Fucked Up 『Someday』
Label: Fucked Up Records
Release: 2024年11月1日
Review
カナダ・トロントの伝説的なハードコアバンド、Fucked Upは、一日で録音された『One Day』、今夏に発売された『Another Day』に続いて、『Someday』で三部作を完結する。今作は、エレクトロニックとハードコアを融合させた前二作の音楽性の延長線上に属するが、他方、ハードコアパンクのスタンダードな作風に回帰している。
それと同時に、ボーカルの多彩性に関しても着目しておきたい。例えば、『One Day』と同じように、ハリチェクがリードボーカルを取っている。4曲目の「I Took My Mom To Sleep」ではトゥカ・モハメドがリードボーカルを担当している。他にも、8曲目では、ジュリアナ・ロイ・リーがリードボーカルを担当。というように、曲のスタイルによって、フォーメーションが変わり、多彩なボーカリストが登場している。従来のファックド・アップにはあまりなかった試みだ。
アルバムの冒頭では、お馴染みのダミアン・アブラハムのストロングでワイルドなボーカルのスタイルが激しいハードコアサウンドとともに登場する。しかし、そのハードコアパンクソングの形式は一瞬にして印象が変化し、バンドの代名詞である高音域を強調した多彩なコーラスワークが清涼感をもたらす。バンドアンサンブルのレコーディングの音像の大きさを強調するマスターに加え、複数のコーラス、リードボーカルが混交して、特異な音響性を構築する。少し雑多なサウンドではあるものの、やはりファックド・アップらしさ満載のオープニングである。
また、従来のように、これらのパンクロックソングの中には、Dropkick Murphysを彷彿とさせる力強いシンガロングも登場する。2010年代からライヴバンドとして名をはせてきたバンドの強烈かつパワフルなエネルギーが、アルバムのオープニングで炸裂する。しかし、今回のアルバムでは、単一の音楽性や作曲のスタイルに依存したり固執することはほとんどない。目眩く多極的なサウンドが序盤から繰り広げられ、「Grains Of Paradise」では、ボブ・モールドのSugarのようなパンクの次世代のメロディックなロックソングをハリチェクが華麗に歌い上げている。一部作『One Day』の9曲目に収録されている「Cicada」で聴くことができた、Sugar,Hot Water Musicのメロディックパンクの原始的なサウンドが再び相見えるというわけなのである。
一見すると、ドタバタしたドラムを中心とする骨太のパンクロックアルバムのように思えるが、三曲目の後、展開は急転する。アナログのディレイを配した実験的なイントロを擁する「I Took My Mom To Sleep」では、ガールズパンクに敬意を捧げ、トゥカ・モハメドがポピュラーかつガーリーなパンクを披露する。察するに、これまでファックド・アップがガールズ・パンクをアルバムの核心に据えた事例は多くはなかったように思える。そしてこの曲は、バンドのハードコアスタイルとは対極にある良質なロックバンドとしての性質を印象付ける。また、2000年代以前の西海岸のポップパンクを彷彿とさせるスタイルが取り入れられているのに驚く。さらに、アルバムはテーマを据えて展開されるというより、遠心力をつけるように同心円を描きながら、多彩性を増していく。それはまるで砲丸投げの選手の遠心力の付け方に準えられる。
「Man Without Qualities」は、ロンドンパンクの源流に迫り、ジョン・ライドンやスティーヴ・ジョーンズのパンク性ーーSex PistolsからPublic Image LTD.に至るまで--を巧みに吸収して、それらをグリッターロックやDEVOのような原始的な西海岸のポスト・パンクによって縁取っている。彼らは、全般的なパンクカルチャーへの奥深い理解を基に、クラシカルとモダンを往来する。
最近では、米国やカナダのシーンでは、例えば、ニューメタル、メタルコア、ミクスチャーメタルのような音楽やコアなダンスミュージックを通過しているためなのか、ビートやリズムの占有率が大きくなり、良質なメロディック・ハードコアバンドが全体的に減少しつつある。しかし、ファックド・アップは、パンクの最大の魅力である旋律の美麗さに魅力に焦点を当てている。「The Court Of Miracles」では、二曲目と同じように、Sugar、Husker Duのメロディック・ハードコアの影響下にある手法を見せ、それらをカナダ的な清涼感のある雰囲気で縁取っている。
ミックスやマスターの影響もあってか、音像そのものはぼんやりとしているが、ここでは、アブストラクト・パンク(抽象的なパンク)という新しい音楽の萌芽を見て取ることも出来る。つまり、古典的なパンクの形式を踏襲しつつ、新しいステップへと進もうとしているのである。そして、パンクバンドのコーラスワークという側面でも、前衛的な取り組みが含まれている。
例えば、続く「Fellow Traveller」は、メインボーカルやリードボーカルという従来の概念を取り払った画期的な意義を持つ素晴らしい一曲である。この曲では、ファックド・アップのお馴染みのストロングでパワフルな印象を擁するパンクロックソングに、ライブステージの一つのマイクを譲り合うかのように、多彩なボーカルワークが披露されるのである。いわば、この曲では、バンドメンバーにとどまらず、制作に関わる裏方のエンジニア、スタッフのすべてが主役である、というバンドメンバーの思いを汲み取ることが出来る。これはライヴツアー、レーベル、業界と、様々な側面をよく見てきたバンドにしか成し得ないことなのではないかと思われる。
そして、全般的なパンク・ロックソングとして聴くと、依然として高水準の曲が並んでいる。彼らは何を提示すれば聞き手が満足するのかを熟知していて、そして、そのための技術や作曲法を知悉している。さらに、彼らは従来のバンドの音楽性を先鋭化させるのではなく、これまでになかった別の側面を提示し、三部作の答えらしきものを導き出すのである。音楽はときに言葉以上の概念を物語ると言われることがあるが、このアルバムはそのことを如実に表している。
「In The Company of Sister」は報われなかったガールズパンクへの敬愛であり、それらの失われた時代の音楽に対する大いなる讃歌でもある。パンク・シーンは、80年代から女性が活躍することがきわめて少なかった。Minor Threatの最初期のドキュメンタリー・フィルム等を見れば分かる通り、唯一、アメリカのワシントンD.C.の最初期のパンクシーンでは、女性の参加は観客としてであった。つまり、パンクロックというのは、いついかなる時代も、マイノリティ(少数派)を勇気づけるための音楽であるべきで、それ以外の存在理由は飽くまで付加物と言える。近年、女性的なバンドが数多く台頭しているのは、時代の流れが変わったことの証ともなろう。
ファックド・アップは、いつも作品の制作に関して手を抜くことがない。もちろん、ライヴに関してもプロフェッショナル。一般的なパンクバンドは、まずこのカナダのバンドをお手本にすべきだと思う。「Smoke Signals」では軽快なパンクロックを提示した上で、三部作のクライマックスを飾る「Someday」では、かなり渋いロックソングを聴かせてくれる。このアルバム、さらに、三部作を全て聴いてきた人間としては、バンドの長きにわたるクロニクル(年代記)を眺めているような不思議な感覚があった。 ということで、久しぶりに感動してしまったのだ。
88/100