【Weekly Music Feature】 Anat Moshkovski 『Anat』 シネマティック・ポップ時代の到来の予感

Weekly Music Feature : Anat Moshkovski



アナト・モシュコフスキはイスラエル/テルアビブ在住のミュージシャン。6歳からピアノ、11歳からクラリネットを始め、後にヴォーカリストとなる。近年は、ヨニ・レヒテル、ウジ・ナヴォン、ヌリット・ヒルシュらと歌い、「ヘーゼルナッツ 」と共に世界ツアーを行っている。2017年にデビューEP『Happy as a Dog』をリリース。セカンドEP『Loud & Clear』は2019年リリースしている。


彼女のディスコグラフィーには、二作のEPとフランスのシングルの三部作が含まれている。その中には、Yoni Rechterの有名な曲「The Prettiest Girl In Kindergarten」の人気のある魅惑的な新バージョンがある。


アナトはマルチバイリンガルで、英語、フランス語、ヘブライ語をシームレスに切り替える。彼女の音楽は、イスラエルとフランスの尊敬されるラジオ局や雑誌から支持されています。彼女はまた、シュロミ・シャバンやウジ・ナボンなど著名なアーティストともコラボレーションしています。アナトは11月15日にニューアルバム『Anat』をリリースし、彼女の音楽の旅に別のエキサイティングな章を追加する。


モシュコフスキーの有名作としては2021年の「La Petite Fille la Plus Jolie du Monde(世界で一番かわいい女の子」がある。この曲はシンガーソングライターのコンポジションを理解する上で不可欠である。フランスのメディアによると、この曲はイスラエル音楽の有名曲であるらしく、回顧展と合わせて公開された。すべては、音楽家ノエミー・ダハンがアナト・モシュコフスキーとシュージンのために翻訳した、イスラエル音楽で最も有名な曲のひとつから始まった。


叙情的な観察から繊細で癒し系のポップな賛辞まで、『世界で一番可愛い女の子』は目、体、手といった五感のすべてを通して感覚を伝えた。宙吊りのジェスチャー、救いの空に向かって振り上げられる指、鏡の向こう側に座る生き物を見つめる虹彩、創造的で人間的な系譜が進行しているのを目撃するよう誘う、濡れた肌や冷たい肌、ぴったりした服やゆったりした服の感触が、私たちの想像力を引き継ぐスケッチを誘発する。展示とサウンドトラックは、日々学び直すべき普遍的なメッセージを伝えている。すべてのドローイング、すべての楽譜、すべての彫刻の背後には、自伝の本質的な部分、イニシアティブと具体性の不滅の存在がある。その根源は、アナトとシュージンの新しく敬虔なパフォーマンスと、献身と時間を通してこの忘れがたい深い感動的な作品に自分の存在を捧げてくれたすべての人々の惜しみない参加によって育まれている。

 

新しいアルバムは、7つのシンプルで美しいビネットにより構成されている。このアルバムは、モシュコフスキーいわく「言葉ではなく、激しい感情の流れ」であり、パリの映画のサウンドトラックとそれほど縁遠いものではない。

 

『Anat』は大胆にもアーティスト名を冠するアーティストにとっての記念碑的な作品である。ヌーベルヴァーグ(Nouvelle Vague)のモノクロ映画から、『Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain,(邦題:アメリ)』のようなポスト・ヌーベルヴォーグに至るまでの新旧の映画音楽を変幻自在に横断し、新しいシネマ・ポップの流れを形作る。これはアナト・モシュコフスキーの音楽が、シルヴィ・バルタンやブリジット・フォンテーヌまでのフレンチ・ポップやアートポップの流れを汲むことを示唆する。これらの音楽に変化を及ぼすのが、ゲンスブールのバロックポップからの影響、英語、フランス語を曲ごとに使い分ける巧みな歌唱、そしてラテン・ジャズからのフィードバック。このアルバムは、イスラエルの新しいポップスの台頭を表すと同時に、米国の著名なソングライターと並んで、2020年代のシネマ・ポップの時代を予感させる。

 

 

 

『Anat』 Nana Disc  (86/100)


 


アーティスティックな音楽表現はすでに2021年の時点で完成されていた。ボサ・ノヴァやイエイエをベースにした作曲、ピアノ、クラリネットの演奏で培われた音感の良さは、旧来の商業音楽を組み替える契機となり、普遍的な音楽表現を構築するための躍如ともなった。結果的に、アナト・モシュコフスキーがこのアルバムで全般的にヒントにしたのは、奇異なことに、現代的なアメリカのシンガーソングライターが取り組んでいる「リバイバル運動」であるようだ。

 

それはアメリカの商業音楽の場合、映画のワンカットで流れる演出的な挿入歌やサウンドトラック等がポピュラーの音楽の一つの枠組みとなっている。イスラエルのシンガーソングライター、アナト・モシュコフスキーもこの事例に倣い、ヌーヴェル・ヴァーグのモノクロの映画で流れていたファッショナブルな音楽を彼女自身のポピュラー・ソングに取り入れている。そもそも、フレンチ・ポップとも称される「イエイエ」のムーブメントは、前時代のフランスのクラシック音楽の流れを汲んでおり、オーケストラとポップネスの融合というのが重要な主題でもあった。それにジャズの要素を加え、独自のポピュラー音楽という形に昇華していたのだった。

 

『Anat』はクラシック音楽やワールドミュージックからの影響を基に、親しみやすく、聴きごたえのあるポピュラー・ソングによって構成されている。このアルバムは基本的に、バンド構成で録音され、ドラム、ギター、ストリングス、管楽器、エレクトロニクス等を取り入れている。

 

オープナー「Jamie」は、アコースティックギターの多重録音で始まり、シンプルかつ美しい調和を作り上げた後、60年代の古典的なバロックポップの影響下にある温和な音楽性を展開させている。一見して、簡素な旋律やスケールを描くように聴こえるが、複数の楽器のアンサンブルを通じて、ビートルズに近い美麗なポップスが作り上げられる。基本的な音楽性にオルタネイトな影響を与えているのが、彼女がよく聴くという”Mild High Club”のようなネオサイケロックバンドからのフィードバックである。これはメインストリームの音楽に、ノスタルジアとディレッタンティズムを添える。歌唱法についても囁くような語りのニュアンスからスキャット、明確なボーカルに至るまで、幅広い形式が繰り広げられる。何より、バロックポップ/チェンバーポップの規則的なビートに乗せられる穏やかな旋律進行は、うっとりさせるものがある。 

 

 

 

アナト・モシュコフスキーの音楽は、ビートルズやセルジュ・ゲンスブールといった60年代、70年代の音楽のフィードバックをありありと感じさせる。「If We Fail」ではボサ・ノヴァのリズムをシンセとドラムでユニゾンで刻みながら心地よいビートを作り上げ、そしてラテン音楽とジャズの融合をポピュラーの文脈と結びつける。それほど音の要素は多くはないものの、核心を捉えたグルーヴがモシュコフスキーの温かい印象を持つボサ風のボーカルと上手く合致している。

 

リズムやセクションの合間に導入されるクラリネット/オーボエの音色がアフロ・ジャズ/ラテン・ジャズ風のしなやかな旋律性を付与し、色彩的な印象を添える。更に、シンセのトロピカルやラヴァーズロック風のアレンジ、そして部分的にアートポップの範疇にあるボーカルのリサンプリングなどを配して、それほど派手ではないものの良質なポップソングを作り上げている。この曲では、ポピュラーの基本的な要素であるスケール(コード)と旋律、そしてリズムという3つの構成要素をバランスよく見定め、心地よく安らげるような音楽を作り上げている。

 

映画/演劇の場面の中で演出的な効果で用いられるようなポピュラー音楽の手法は、続く「Lightnings」に見いだせる。アコースティックギター、バイオリン/ヴィオラのピチカートで穏やかな和音を作り、クラリネット等の管楽器、弦楽器のスタッカート、レガートを対旋律的に交えながら、ピクチャレスクなイメージを持つ美麗な音楽を構築していく。アナト・モシュコフスキーは、それらの背景となるオーケストラの演奏に仄かな哀愁を添えている。また、水の流れのように澱みのない弦楽器のトレモロ/レガートのハーモニクスが、アウトロにおいて美しいシークエンスを作り上げる。簡素なバレエのムーブメントに近い一曲で、中盤から終盤にかけて、息を飲むような美しい瞬間が用意されている。この曲は、イゴール・ストラヴィンスキーのバレエ曲『Pulcinella (プルチネルラ)』のポピュラー・バージョンとも言えるかもしれない。

 

アルバムは冒頭だけ聴くと、一般的なポピュラーアルバムに聴こえるかもしれない。しかし、本当に面白いのは、中盤から終盤にかけての収録曲であり、セルジュ・ゲンスブールのようなアートポップ性とオルトロックが融合する箇所にある。


「Teddy Bears」は、レディオヘッドの『OK Computer』のエレクトロニックを融合させた近未来のオルタナティブロックやトリップ・ホップなどのヒップホップとエレクトロニックの融合をベースにし、モシュコフスキーは自身の淡々としたボーカルを通じて、唯一無二のワンダーランドを作り上げる。特に、クラシック音楽の作曲技法であるゼクエンス進行(同じ音形を別の調に組み替えること)を用い、巧みなソングライティングを披露し、調性を徐々に展開させながら(長調を単調に組み替えることもある)、楽曲の印象をかわるがわる変化させていく。これは特に、幼少期から培われた音感の良さとクラシック音楽の構成からの影響が色濃く滲み出ている。

 

続く「On a Tout Fait」はアコースティックギターの繊細なアルペジオの弾き語りで、聴きやすいバラード曲を提供している。具体的にイスラエルでどういった曲が流行っているのかは不明ではあるものの、フォーク・ソングをベースにしたこの曲では、ファンタジックなイメージを基にして、現代的なフォークソングを組み上げ、コーラスワークを通じて、音楽的な奥行きを表現している。終盤では、アートポップの要素が強まり、そしてフレンチ・ポップの要素と結び付けられる。「Obscure Clarte」では、エレクトロニックピアノの演奏とストリングスをかけあわせ、オルタナティヴの側面を強調している。セルジュ・ゲンスブールの系譜にある一曲である。

 

アルバムのクローズ「Encore」は、鳥の声のサンプリングで始まり、その後、ベス・ギボンズの系譜にあるアートポップ・ソングに直結している。しかし、明確にポスト・ギボンズかといえばそうとも言い難く、依然としてフレンチポップ、イエイエからの影響が色濃いように思える。更にクライマックスでは、シネマティック・ポップの主題のような音楽性が示唆されている。スパニッシュのフラメンコ・ギターとオーケストラ・ストリングスの融合が、フランスの商業音楽はもちろん、スペイン音楽の気風を醸し出し、哀感と共に情熱的な音楽性を演出している。

 




Anat Moshkovskiによるニューアルバム『Anat』は本日、Nana Discより発売。アルバムのストリーミングはこちら

 

 

「Encore」



*記事掲載時にアーティスト名の表記に誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。