フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」とは
フィル・スペクターは人物的には映画監督の黒澤明に近く、ワンマンに近い完璧主義のディレクションを採用した。そして、ディレクションなくして作品が成立しえないという点では、かなり限定的な録音手法だと言えるかもしれない。フィル・スペクターは、マイクの位置に徹底的にこだわり、演奏者が触れることさえ許さなかった。そして短い楽節を演奏を何度も繰り返させたことから、ミュージシャンからはあまり受けが良かったとは言えないかもしれない。
つまり、「ウォール・オブ・サウンド」の難点を挙げるとするなら、ミュージシャンの自由性や遊びの部分をほとんど許さず、演奏者の苦心をすべて録音作品の成果として吸収してしまうのである。これは彼がリヒャルト・ワーグナーに傾倒していた点からも分かる通り、ベルリン・フィルのカラヤンの名演のような演奏を生かしたエコーチェンバー(自然の反響)を組み上げようとしていたことが理解出来る。ちなみに、カラヤンは作曲者の指示を無視してストリングスの編成を増やし、重厚なサウンドを作ることがあった。チェイコフスキーのライブ等を参照。
一般的な解釈としては、スタジオの壁に反響する音響(エコーチャンバー)を用いた録音技術として知られている。この名称「Wall Of Sound」を聴くと、彼が多重録音、つまりジャマイカで発生したダブのような形式で数々の名作を録音したと思う方もいるかもしれないが、事実はどうやら少し異なるようだ。どころか実際はそれとは正反対だ。フィル・スペクターは3トラックのマルチトラックレコーダーを使用して、彼はピアノ、ベース、ギター、コーラス、それからオーケストラをユニゾンで重ね、壁に反響するような重厚なサウンドを構築していったのだった。
驚くべきことに、フィル・スペクターは、限定的な録音環境で重厚なエコーチャンバーを生み出したのである。彼は一般的に狭いレコーディングスタジオの四壁の反響の特性を活かして、音量、音圧、音の奥行きといった録音的なアンビエンスを見事に作り出したのだった。しかも、フィル・スペクターのカラヤン的な録音技法は徹底していた。18人から23人ものミュージシャンを比較的狭いスペースに集めて、演奏をさせ、それを一挙に録音したのである。彼の代名詞であるホーンセクション、リズム・セクションに関しては、一発録りで録音し、それらをミキサーで最終的な調節をかけるというものだった。これは実際的には彼の手掛けた録音作品に、ダイナミックさと生々しさを及ぼすことになった。しかし、同時に最終的な調整では、リバーヴ、ディレイ、ダイナミックレンジの圧縮(リミター的な処理)をミキサーで施した。
フィル・スペクターのプロデュース作品は、ギター、ピアノ、ベース、ドラムといったシンプルな楽器編成に加えて、オーケストラ等のポピュラーミュージックとしては大編成の楽器が加わることもある。フィルハーモニーのような大編成の録音をどのように組み上げていったのか。 スペクターのウォール・オブ・サウンドの構築は、それらの基礎を担うシンプルなバンドのアンサンブルから始まる。ソングライターのジェフ・バリーによると、最初はギターの録音から始まることが多いという。
「4つまたは5つのギター、2つのベース、同じタイプのライン(ユニゾン)を加えて、それから弦を録音し、最終的に6つか7つのホーンセクションを加え、楽曲にパンチをもたらした。その後、パーカッションの録音に移行し、打楽器、小さなベル、シェーカー、タンバリンを付け加えた」 また、スペクターと頻繁に共同作業を行ったエンジニアのラリー・レヴィンも同じような証言を残している。「ギターから始めて、一時間の間に4-8の小節の録音を繰り返し、スペクターが納得するまで何度も反復する」というものだった。ビートルズの録音等では10テイクくらいまでが残されているが、実際には、20回から50回もの演奏に及ぶこともあったという。
レコーディングスタジオの音響
レコーディング・スタジオの空気感(アンビエンス)が作品全体に影響を及ぼすことがある。あるスタジオで録音された音源は音が敷き詰められているように思えるし、別のスタジオで録音された音源は、ゆったりとした間延びしたような音の印象を覚えることがある。言い換えれば、それは、建物や部屋のアンビエンス(音響や残響の全般のこと)の特性、マイクの位置、そして演奏者の距離が出力されるサウンドにエフェクトを及ぼすということである。フィル・スペクターは、実際的な録音の完成度の高さを目指したのは事実だと思うが、一方、彼はスペースのアンビエンスに徹底してこだわった。つまり、彼はレコーディングルームの空気感をマイクで録音し、モノラルでミックスしたのだった。そして、ウォール・オブ・サウンドの完成のために、不可欠だったのがロサンゼルスにある「Gold Star Studio」である。
音の特性にこだわれば際限がなくなる。けれど、空間的な特性が録音に影響を与えることは実のところ免れないことである。例えば、メジャーリーグのスタジアムでも打球が飛びやすい球場とそうでない球場がある。また、フットボールのスタジアムでは、ボールがハネやすかったり、そうでなかったり、高地にあるので、スタミナを過剰に消耗しやすいフィールドもある。音楽も同じで、空気の乾燥、つまり湿度や温度、密度、壁や建材の材質までもが実際の録音に影響を与える。もちろん、コンクリートの壁であれば音は硬く聴こえるはずだし、反対に木材中心のスタジオでは反響は吸収されるが、コンクリートよりも柔らかいサウンドが得られるだろう。もちろん、レンガ壁等の特殊な録音空間では、予想も出来ない反響の結果が得られるに違いない。
特に、フィル・スペクターが好んで使用し、ウォール・オブ・サウンドという名称が生み出されたゴールド・スター・スタジオもまた、現代的なレコーディングスタジオという観点から言うと、きわめて異質な環境であった。このスタジオからはビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソン、ジョン・レノンの名作が誕生した。伝説的なレコーディングスタジオとして知られている。
ゴールド・スター・スタジオは、デヴィッド・S・ゴールド、スタン・ロスによって1950年に設立された。このスタジオの設備には、反響効果を及ぼす装置、エコーチェンバーが付属し、音の壁からボーカルが浮き出るような特異な感覚があったため、ウォール・オブ・サウンドの名称が誕生した。
このスタジオからはロネッツの「Be My Baby」、ビーチ・ボーイズの「Good Vibration」、ラモーンズの「Do You Remember Rock n' Roll Radio?」などが制作され、数々のグラミー賞ヒットナンバーを世に送り出したのは最早周知のことではないかと思われる。
本来であれば、フィル・スペクターが用いた録音の方法は理に叶ったものとは言えない。例えば、近距離で演奏すれば他のパートの楽器のノイズを拾ってしまう。しかし、フィル・スペクターは、この欠点を活かし、独特のアンビエンスを作り出すことに成功したのだった。特に、スタジオに付属しているエコーチェンバー(ルームエコー)の装置が、ウォール・オブ・サウンドの完成には不可欠だった。
スペクターは、エコーマシンをディレイさせ、それをチェンバーに通した。その結果として生み出されるのは、個々の楽器の特性を掴みがたいような抽象的でありながら凄まじい密度を持つ重厚なサウンドであった。さらに、スペクターは最終のミックス時に、個々のトラックにエコーを掛け、何台ものテープマシンを回した。そして、同時にユニゾンで同じフレーズを演奏者に演奏させ、録音し、それらを組み合わせ、ミックスを加えていった。フィル・スペクターのサウンドは帰納的なものと言え、結果や結末から最初に行うべき録音を逆算していったのではないか。つまり彼の頭には理想的なサウンドがあり、どうすればその結果に辿り着くのかを試行錯誤していった。
ゴールドスタジオはパラマウントの近くにあり、1950年代にハリウッドの音楽作家、そして映画、TV制作者のデモづくりのスタジオとして始まった。つまり、映画やドラマのサウンドトラック的な意味を持つ音源を制作するために作られたスタジオだった。これは大手レコード会社とは異なる運営方法を可能にしたにとどまらず、映画的なサウンドを作るための基盤になった。
特に、スタジオにあるミキシングコンソールは、設立者のデイヴィッド・ゴールドが自作したものである。音響効果の装置を熟知した開発者が在籍していたことは、録音の特性を最大限に発揮させるための手助けともなった。また、このスタジオには優れたエンジニアが在籍していた。ラッカー盤に刻むカッティング・マシーンは、創設者のゴールドが自作し、アナログとは思えない卓越した音圧を得ることが可能になった。その他、エンジニアのラリー・レヴィンは、カッティング技術者として優れた技術を持っていた。つまり、こういった技術者の活躍があったおかげで、レコードとして高性能の再現力を持つ音源が完成した。それは芸術的な側面だけではなく、工業的な側面を併せ持つレコードの清華でもあったのだ。
ウォール・オブ・サウンドの以降
果たして、ウォール・オブ・サウンドは時代遅れの録音技術なのだろうか。しかし、少なくとも、以降の大瀧詠一や山下達郎のような複数のアーティストにより、再現が試みられたことを見ると、まだまだ無限の可能性が残されているように思える。そして少なくとも、この録音技術は、機材の機能の制限から生み出された産物であったということである。もちろん、技術者として卓越したコンソール制作者がいたことは忘れてはいけない。そして事実、1960年以降、ウォール・オブ・サウンドの代名詞であったモノラル録音からステレオ録音に移り変わり、マルチトラック数が4から8、16へと増加していき、録音機器の可能性がエンジニアによって追求されていく過程で、この録音技術は時代に埋もれていった側面もある。しかし、ポピュラーミュージックの歴史を見る上で、限定的な数のトラックを用いた録音というのは、何らかの可能性が残されているかもしれない。ウォール・オブ・サウンドの演奏者が同じスペースで一発録りをする録音方法は現代でも取り入れられる場合があり、まだまだ未知の可能性が残されているような気がする。
以降、同時に録音出来るトラック数が増えたことは、実際的にソロアーティストが活躍する裾野を広げていった。 実際的に多数の演奏者が一つのレコーディングルームで演奏する必要がなくなったことが、グループサウンドやバンドサウンドがその後、いっとき衰退し、ソロアーティストの活動が優勢になっていく要因となったという話もある。つまり、録音技術の拡大は、必ずしもバンドやグループというセクションの録音にこだわらなくても良くなったというわけである。ビートルズやビーチボーイズの主要メンバーが以降、ソロ活動に転じたのは、最早バンドで録音を続ける意義を見出しづらくなったという要因があった。
しかし、同時に、フィル・スペクターがエンジニアと協力して構築した「ウォール・オブ・サウンド」の最大の魅力や価値を挙げるとするなら、それは複数の演奏者が一同に介し、その瞬間にしか得られないような生のサウンドをリアルタイムで追求するということであった。結果的に、「同時に録音する」という行為は、想定した録音の結果が得られるとはかぎらず、偶然の要素、チャンス・オペレーションが発生する。そして、予測出来ない箇所にこそ、録音の未知の可能性が残されているかもしれない。
テクノロジーは、日々、革新を重ね、新しい録音システムが次々と生み出されている。旧来の可能性と未来の可能性が合致したとき、ウォール・オブ・サウンドに代わる新しい代名詞がどこからともなく登場するかもしれない。そして、その画期的な録音方法にはどんな名称が与えられるのだろう。考えるだけでワクワクするものがある。