インド音楽のラーガ  伝道師のラヴィ・シャンカルはラーガをどう見たのか?

左からタブラ奏者のアラ・ラカ、シタール奏者のラヴィ・シャンカル

 インド音楽のラーガというのをご存知だろうか。シタール、タブラといった楽器演奏者が一堂に介して、エキゾチックでミステリアスな音楽を奏でる。しかし、この音楽は民族的で宗教的であるのは事実だが、その反面、神妙な響きが込められているのを感じる。それはこの音楽が悠久の時を流れ、宇宙の真理を表す、ピタゴラスの音楽の理想系を表しているからなのだろうか。


 ラーガのルーツは、バラモン教、ヒンドゥー教の経典であるヴェーダの聖典、つまり紀元前500年から一千年の時代にまで遡る。ラーガの本来の目的は、音楽的な心地よさだけではない。この音楽の目標は、人が覚醒に達するのを助けることであった。それゆえ、インドの古典音楽は厳格に認識され、神聖な領域に属している。


 インド音楽は大きく二つに分けられる。ひとつは南インドのカルナティック音楽、もうひとつは北インドのヒンドゥスターニー音楽である。インド古典音楽の2つの系統を区別しているのは、ムガール帝国の支配下にあったため、北部のヒンドゥスターニー音楽に忌避され、適応したペルシアの影響である。

 

 一方、南カルナータク音楽は、ペルシャの影響を一切受けず、孤立したまま進化を続けた。この地域にいたムガル人は寺院で演奏されていたヒンドゥスターニー音楽を王の宮廷に持ち込んだ。

 


ラーガーマーラーと呼ばれる絵画 ラーガを絵画で表したとされる

 このラーガというのはどんな音楽なのだろう。ジョージ・ハリソンはビートルズ時代からシタールを演奏し、インド音楽に感銘を受け、ラヴィ・シャンカールから手ほどきを受けた。さらにその後、ヒンズー教を信仰するようになった。彼はソロアルバムで信仰を告白した。しかし、不思議でならないのは、かれはなぜ、インドの音楽に、それほど大きな霊感を受けたのだろうか。おそらく、その秘密、いや、奥義は、ラーガひいてはインド音楽の神秘性にあるのかもしれない。インド音楽の巨匠であるラヴィ・シャンカルは「インド古典音楽の鑑賞」のなかで、この音楽について次のように説明している。以下は基本的には門外不出のラーガの貴重な記述のひとつである。


 インド古典音楽は、和声、対位法、和音、転調など、西洋古典音楽の基本ではなく、メロディーとリズムを基本としている。「ラーガ・サンゲート(Raga Sangeet)」として知られるインド音楽の体系は、その起源をヒンドゥー寺院の「ヴェーダ讃歌」にまで遡ることができる。 このように、西洋音楽と同様、インド古典音楽のルーツは言うまでもなく宗教的なものです。 


 私たちにとって、音楽は自己実現への道における精神的な鍛錬となり得る。このプロセスによって、個人の意識は、宇宙の真の意味、永遠で不変の本質の啓示を喜びをもって体験できる気づきの領域へと昇華することができる。 つまり、ラーガは、この本質を知覚するための手段でもある。


 古代のヴェーダ聖典は、音には2種類あると教えている。 ひとつはエーテルの振動で、天界に近い上層または純粋な空気です。 この音は「アナハタ・ナッド(打たない音)」と呼ばれている。 偉大な悟りを開いたヨギーが求める音で、彼らだけが聞くことができる。 宇宙の音は、ギリシャのピタゴラスが紀元前6世紀に記述した球体の音楽のようだと考えられている振動である。 自然界で耳にする音、人工的に作られた音、音楽的なもの、非音楽的なものなど、あらゆる音を指す。

 

 これはインド音楽そのものが神秘主義的な考えをもとに成立していることの表れである。明確なつながりは不明であるが、エーテルというのは、ギリシャ哲学家の提唱した概念でもある。この符号はインドのような地域の原初的な学問とギリシャの学問がなんらかの形で結びついていた可能性を示す。



 インド古典音楽の伝統は口伝による。 西洋で使われている記譜法ではなく、師から弟子に直接教えられる。 インド音楽の核心はラーガであり、音楽家が即興で演奏する旋律形式である。 この枠組みは、インド国内の伝統によって確立され、マスター・ミュージシャンの創造的な精神に触発されている。


 インド音楽はモード的な性格を持つのは事実であるが、ラーガを中近東や極東の音楽で耳にするモードと勘違いしてはならないし、音階や旋律そのもの、作曲、調性とも理解してはならない。

 

 ラーガとは、アロハナ(Arohana)とアヴァロハナ(Avarohana)と呼ばれる上昇または下降の構造で、7音オクターブ、ないしは6音または5音の連続(またはこれらの組み合わせ)からなる、独特の上昇と下降の動きを持つ、科学的で正確、繊細で美的な旋律形式を示している。音の順序の微妙な違い、不協和音の省略、特定の音の強調、ある音から別の音へのスライド、微分音の使用、その他の微妙な相違によって、あるラーガと別のラーガが区別されるのです。


ラーガの主な旋法の例 北インド



 ラーガは厳密に言えば、長調と短調の二つに大別される。ある音楽ではくつろいだ南方の音楽を思わせるが、それとは対象的に、ある音楽では北方の悲しげな音調を持つ。リズムも対照的で、ゆったりしたテンポ(Adagio,Largo)から、気忙しいテンポ(Allegro,Presto)に至るまで幅広い。これらはラーガが感情を掻き立てる音楽であることを示唆している。これは覚醒を促すという主な目的の他に、Karmaという目的のためにラーガが存在するからなのだろう。

 

 サンスクリット語に "Ranjayathi iti Ragah "という格言がある。 ラーガが真に聴く人の心を彩るためには、その効果は音符や装飾だけでなく、それぞれのラーガに特徴的な感情やムードを提示することによっても生み出されなければならない。 このように、私たちの音楽における豊かな旋律を通して、人間のあらゆる感情、人間や自然におけるあらゆる微妙な感情を音楽的に表現し、経験することができる。


 各ラーガは、主にこれら9つのラサ(旋法)のうちの1つによって支配されるが、演奏者は、他の感情をあまり目立たない形で引き出すこともできる。 ラーガの音符が、ひとつのアイデアや感情の表現に密接に合致すればするほど、ラーガの効果は圧倒的なものとなる。


ラーガは朝、昼、夜といった時間ごとの儀式音楽の形式で親しまれたが、のちにはあまり一般的な意味を失いつつあった。


 それぞれのラーガは、特定の気分と関連しているだけでなく、1日の特定の時間帯や1年の季節とも密接な関係がある。 昼と夜のサイクルや季節のサイクルは、生命のサイクルそのものに似ている。 夜明け前の時間、正午、昼下がり、夕方、深夜など、一日の各部分は明確な感情と結びついている。 各ラーガに関連する時間の説明は、ラーガを構成する音符の性質や、ラーガにまつわる歴史的逸話から見出すことができる。


 ラーガの音楽の音階には、科学では解き明かせない神秘的な宇宙的な根源が示されている。そして、人間の精神の発露でもある。それがこの音楽という側面を考える上で不可欠のようである。

 

 ラーガの基となる音階は72種類あるが、インド音楽の研究者たちは、その組み合わせによって、6000以上のラーガが存在すると見積もっている。しかし、ラーガは、単に音階の上昇や下降の構造だけの問題ではない。 ラーガには、そのラーガに特徴的な「チャラン」と呼ばれる音型、主要な重要音(ヴァディ)、2番目に重要な音(サマヴァディ)、そして「ジャン」(生命)または「ムクダ」(顔)として知られる主な特徴がなければならない。


 美学の観点から言えば、ラーガはアーティストの内なる精神の投影なのであり、音色と旋律によってもたらされる深遠な感情や感性の顕現でもある。 音楽家は、それぞれのラーガに命を吹き込み、展開させなければならない。 インド音楽の九割は即興演奏であり、芸術の精神とニュアンスを理解することに依存しているため、アーティストと師匠との関係は、この古代の伝統の肝心要となっている。 音楽家を志す者は、最初から、芸術的熟達の瞬間へと導くための特別で個別的な注意を必要とする。 ラーガの独特なオーラ(「魂」と言ってもいいかもしれない)とは、その精神的な質と表現方法であり、これはどんな本からも学ぶことはできないのです。


 師匠の指導とその祝福のもとで、何年にもわたる献身的な修行と鍛錬を積んで初めて、芸術家はラーガに「プラーナ」(生命の息吹)を吹き込む力を得ることができる。 これは、「シュルティス」(1オクターブ内の12半音以外の微分音、インド音楽は西洋音楽より小さな音程を使う。(1オクターブ内に22個)の使用など、師から伝授された秘密を用いることで達成される。

 

 また、インド音楽独自の特殊奏法も存在する。例えば、「ガマカ」(1つの音と他の音をつなぐ特殊なグリッサンド)、「アンドラン」(揺れ-ビブラートではない)などは西洋音楽には求めづらいものである。その結果、それぞれの音は生命を持って脈動し、ラーガは生き生きと白熱する。


 インド音楽を聴く上で最も不可欠なのはリズムの複雑さと豊富さにある。4ビート、8ビート、16ビートといった西洋音楽では一般的なものから、2つか3つのリズムを組み合わせた9ビートまで存在する。それは、ラーガの「ターラ」、「リズムのサイクル(インド独自の拍節法)」に明確に反映されている。これは最終的には円に描かれ、ラーガその経典のような意味を持つ。



 

 
 ターラには、3拍子から108拍子まで存在する。有名な拍節は、5,6,7,8,10,12,14,16拍子である。 また、9,11,13,15,17,19拍などのより細かなサイクルもあるが、これは稀に優れた音楽家によってのみ演奏される。ターラ内の分割と、最初の拍(和音と呼ばれる)の強調は、最も重要なリズム要素である。 同じ拍数のターラがある一方、分割とアクセントが同じでないので、それらは異なっている。 例えば、「Dhamar」と呼ばれる14拍を「5+5+4」で分割したターラがある。別のターラ「Ada Chautal」は同じ拍数ですが、「2+4+4+4」で分割されている。


 インド古典音楽は、ジャズの原始的なインプロバイぜーションの性質を有している。つまり基本的にはジャズとの相性が抜群なのかもしれない。シタールやタブラの演奏がトランペットやピアノ、そしてサックスのような楽器とよくマッチするのはこういった理由がある。演奏者は演奏する前に、セッティング、リサイタルにかけられる時間、その時の気分、聴衆の気持ちを考慮する必要があります。 インド音楽は宗教的なものであるため、音楽家の演奏のほとんどに精神的な質を見出すことができる。これらはライブのセッションなどでより明瞭な形で現れる。


 ラーガの演奏は、厳密に言えば、一つの音楽形式のようなものが存在すると、シャンカール師匠は説明している。伝統的なインドのラーガのリサイタルは、「アラップ・セクション」(選ばれたラーガの重厚で静謐な探求)から始まる。 このゆっくりとした、内省的で、心に響く、悲しいイントロダクションの後、音楽家は次の演奏のステップである「ジョール」に移る。 このパートではリズムが入り、複雑に発展していき、即興演奏の性質が色濃くなる。 すると、ラーガの基本テーマに無数のバリエーションがもたらされる。 アラップにもジョールにも太鼓の伴奏はありません。反面、サワル・ジャバブ(シタールとタブラの目もくらむような素早い掛け合い)は、スリリングな相互作用で、不慣れな聴き手をも魅了するパワーを持っている。
 
 
 ラヴィ・シャンカールに関しては、最初期にラーガ音楽の伝統を伝えるオリジナルアルバムを発表している。いずれも原始的なインド音楽の魅力、背後に流れるガンジス川のごとき悠久の歴史を感じさせる。原始的で粗野な側面もあるが、宮廷に献呈された音楽もあり、民衆的な響きから王族の優雅な響きにいたるまで、広汎な魅力を有しているのにお気づきになられるだろう。
 
 
 

「Dhun」- Ravi Shankar(ラヴィ・シャンカル)