・南アフリカ発 フューチャー・ゲトゥー・ファンクの女王の誕生
ミュージシャンでクリエイティブなビジョナリー、Moonchild Sanelly(ムーンチャイルド・サネリー)は、アマピアノ、Gqomから 「フューチャー・ゲットー・ファンク」と呼ばれる彼女自身の先駆的なスタイルまで、南アフリカの固有ジャンルを多数網羅したディスコグラフィーを擁する。
ポート・エリザベス出身のこの異端児は、活動当初から独自の道を切り開いてきた。''ムーンチャイルド・サネリー''として親しみやすく、唯一無二の存在であり続けるように努めながら、実験と革新を巧みに取り入れたキャリアを通じて、溌剌とした比類なきスタイル、肯定的なリリックとストーリーテリング、そしてインスピレーションを与える誠実さで知られるようになった。
スタジオデビューアルバム『Rabulapha!』(2015年)、ジャンルを超えた2ndアルバム『Phases』(2022年)に続き、変幻自在の彼女は、2025年1月に新作スタジオ・アルバム『Full Moon』をリリースする。
南アフリカのアフロハウスの女王”ヨハン・ヒューゴ”のプロデュースによる『Full Moon』は、サネリーの大きな自負と覚悟の表れでもある。独自のサウンド、陽気なアティテュード、個性的なヴォーカル、ジャンルを超えたヒット曲、さらに、彼女の特徴的なシグネチャーであるティールカラーのムーンモップに彩られた輝かしい美学が表現された12曲から構成される作品集だ。
『Full Moon』はツアーの移動中に複数の場所で録音され、内省的でありながら彼女の多才ぶりを示すアグレッシブな作品。「どんなジャンルでも作れるし、制限されないから音楽を作るのが楽しくてたまらない」という彼女の言葉にはサネリーの音楽の開放的な感覚という形で現れ出る。
エレクトロニック、アフロ・パンク、エッジの効いたポップ、クワイト、ヒップホップの感性の間を揺れ動くクラブレディなビートなど、音楽的には際限がなく、きわめて幅広いアプローチが取り入れられている。南アフリカのコミュニティでポエトリーリーディングの表現に磨きをかけてきたサネリーは、リリックにおいても独自の表現性を獲得しつつある。例えば、ムーンチャイルドが自分の体へのラブレターを朗読する「Big Booty」や、「Rich n*ggah d*ck don't hit Like a broke n*ggah d*ck」と赤裸々に公言する「Boom」のような、リスナーを自己賛美に誘うトラックである。 ムーンチャイルドの巧みさとユーモアのセンスは、テキーラを使った惜別の曲「To Kill A Single Girl」の言葉遊びで発揮されている。そして、ファースト・シングルであり「大胆なアンセム」(CLASH)でもある「Scrambled Eggs」では、平凡な日常業務にパワーを与える。
ムーンチャイルド・サネリーは、サウンド面でも独自のスタイルを確立しており、オリジナル・ファンから愛されてやまないアマピアノと並び、南アフリカが提供する多彩なテックハウスのグルーヴをより一層強調付けている。当面のサネリーのスタジオでの目標は、ライブの観客と本能的なコネクションを持てるような曲を制作すること。さらに、彼女は観客に一緒に歌ってもらいたいという考えている。
しかし、『Full Moon』は対照的に自省的な作品群である。サネリーは自分自身と他者の両方を手放し、受容という芸術をテーマに選んだ。曲作りの過程では、彼女は自己と自己愛への旅に焦点を絞り、スタジオはこれらの物語を共有し、創造的で個人的な空間を許容するための場所の役割を担った。
彼女が伝えたいことは、外側にあるもとだけとは限らず、内的な感覚を共有したいと願う。それは音楽だけでしか伝えづらいものであることは明らかである。「私の音楽は身体と解放について歌っている。自分を愛していないと感じることを誰もOKにはしてくれないの」と彼女は説明する。
『Full Moon』は、ムーンチャイルド・サネリーの様々な側面を垣間見ることができる。実際的に彼女が最も誇りに思っている作品であるという。
秀逸なアーティストは必ずしも自分を表現するための言葉を持つわけではない。いや、彼らは制作を通して、自分を表現するための言葉や方法をたえず探し続ける。ミキサールームやレコーディングスペースで制作に取り組む時、歌詞を書いて歌う時、自分の本当の姿を知ることが出来るのである。もちろん、過去の姿でさえも。サネリーはこのように言う。「私の弱さ、つまり、この旅に入るために、以前はどんなに暗かったか、表現する言葉を持っていなかったとき、私が”ファック・ユー”と言っていた状況を的確に表現する言葉を見いだすことなのです」
サネリーの新作の節々には南アフリカの文化が浸透している。それはまた彼女一人の力だけで成しえなかったものであると明言しえる。ダーバンのポエトリー・シーン、そしてヨハネスブルグのプール・パーティーから国際的なスターダムにのし上がったサネリーの活動の道程は、生来の創造性、ユニークな自己表現、並外れた自信に加えて、志を同じくするアーティストとチームを組むことによって大きく突き動かされてきた。自他ともに認める 「コラボレーション・ホエアー 」であるサネリーは、2019年の『ライオン・キングス・サウンドトラック』でビヨンセの「マイ・パワー」をヴォーカルで盛り上げた火付け役として多くの人に膾炙されている。
さらに彼女は、共同制作を通じて音楽を深く理解するように努めてきた。サネリーはエズラ・コレクティヴ、スティーヴ・アオキ、ゴリラズといったアーティストとコラボレートを続けている。現在、イギリスのスター、セルフ・エスティームと共作したジェンダーの役割を探求した「Big Man」(2024年の夏の一曲[ガーディアン紙])は、大成功を収め、その余韻に残している。
ライブ・パフォーマンスの華やかさにも定評がある。テキサスのSXSWからバルセロナのプリマベーラ・サウンドにいたるまで、世界的な音楽フェスティバルで多数のオーディエンスを魅了し、今年だけでもグラストンベリー・フェスティバルで10回という驚異的なパフォーマンスを行った。昨年末にはBBCのジュールズ・ホランドの番組にも出演し、本作の収録曲を披露した。
ムーンチャイルドサネリーは世界の音楽を塗り替える力量を持っている。彼女はユニークでユーモアのある表現力を活かし、女性権利、同国の文化と歴史を背負いながら、南アフリカのオピニオンリーダーとして、世界のミュージックシーンに挑戦状を力強く叩きつける。シングル「Scrambled Eggs」、「Sweet & Savage」、「Big Booty」、「Do Your Dance」に導かれるようにして、星は揃った。2025年はムーンチャイルド・サネリーのブレイクスルーの年になるだろう。
*本記事はTransgressiveより提供されたプレス資料を基に制作しています。
・Moonchild Sanelly 『Full Moon』 Transgressive
最近では、もっぱら”アマピアノ”の方が注目を浴びるようになったが、2016年頃、日本のハードコアなクラバーの間で話題になっていたのが、南アフリカのGqom(ゴム)というジャンルだった。このクラブミュージックのジャンルは、UK Bassの流れを汲み、サンプリングなどをベースにした独特なダンス・ミュージックとしてコアな日本のクラブ・ミュージックファンの間で注目を集めていた。m-flo(日本のダンスミュージックグループ)が主催する”block.fm”、そしてスペースシャワーのオウンドメディアなどが、もう十年くらい前に特集していて、アフロ・トロピカルが次にヒットするのではないかと推測を立てていたのだ。このGqomというジャンルは例えば、ビヨンセがアルバムの中で試験的に取り入れたりもしていた。
あれから、およそ8年が経過した今、ようやくというか、このジャンルの重要な継承者が出てきた。それがムーンチャイルド・サネリーである。彼女はヒップホップとアマピアノを吸収し、そして教会の聖歌隊でゴスペルを歌った時代から培われたソウルフルで伸びやかなボーカルをもとに、オリジナリティ溢れるアフロ・ハウスを三作目のアルバムにおいて構築している。基本的には、マンチェスターの雑誌、CLASHが説明するように、アンセミックであるのだが、よく聴くと分かる通り、彼女が組み上げるGqomとアマピアノのクロスオーバーサウンドには、かなりのシリアスな響きが含まれている。それはムーンチャイルド・サネリーが南アフリカのこのジャンルが生み出されたダーバンのコミュニティで育ち、そしてその土地の気風をよく知っているからである。サネリーは、とくにアフリカ全体の女性の人権意識に関して、自分を主張することに蓋をされてきたように感じていた。アフリカは現在でも女性の地位が脅かされることがあり、それはときどき社会問題としての暴力のような行為に表れでることもある。 長い間、おそらくサネリーのように意見を言うレディーはマイノリティに属していたのである。
ムーンチャイルド・サネリーが実際的にどのような意識を持って音楽活動や詩の活動に取り組んできたのかはわからないが、三作目のアルバムを聴いていたら、なんとなくその考えのようなものがつかめるようになった。このアルバムは、音楽的にはその限りではないが、かなりパンクのフィールドに属する作品である。旧来、パンクというジャンルはマイノリティのためのものであり、自分たちの属する位置を逆転するために発生した。それは過激なサウンドという形で表側に表れ出ることが多かった。それとは異なるのは、ムーンチャイルド・サネリーのサウンドは、アンセミックでキャッチー、そしてストレート。なんの曇りや淀みもない。きわめて痛快なベースラインのクラブミュージックが現代的なポップセンスをセンスよく融合しているのだ。
アルバムの中心は、スパイスとパンチのある楽曲が目白押しとなっており、アンセミックな曲を渇望するリスナーの期待に答えてみせている。UKドリルを吸収したグリッチサウンドに乗せて、クラブテイストのポピュラーソング「Scrambled Eggs」が、冒頭からマシンガンのように炸裂する。ヒップホップの文脈を吸収させ、その中で、グルーブの心地よさを踏まえたボーカルをサネリーは披露する。オートチューンを使用したボーカルは、ハイパーポップ系にも聞こえるが、明確に言えば、近年のポップスのように音程(ピッチ)を潰すためのものではない。ムーンチャイルド・サネリーはヒップホップの重要なスキルであるニュアンス(微妙な音程の変化)を駆使して、背景となるバックトラックにリズミカルな効果を与える。そしてボーカリストとしてもハイテンションと内省的という二つの性質を交えながら絶妙なテイストを醸し出す。
「Big Booty」は、Gqomの流れを汲んだ一曲で、また、アマピアノのサンプリング等の要素を付け加えている。特に、UK Bassからの影響はかなり分厚い対旋律的な構成を持つサブベースによって、この楽曲に力強いイメージをもたらしている。もちろん、それに負けじと、ムーンチャイルド・サネリーは、アンセミックなフレージングを意識しつつ、痛快なポピュラー・ソングを歌い上げる。実際的に背景となるトラックメイクに彼女の声が埋もれることはない。これは何度となく、ダーバンのコミュニティで声を上げ続けてきた彼女しかできないことである。サネリーの声は、なにか聴いていると、力が湧いてくる。それは、彼女が、無名時代から人知れず、ポエトリー・リーディングなどの活動を通して、みずからの声を上げ続けてきたからなのだ。ちょっとやそっとのことでは、サネリーのボーカル表現は薄められたりしないのである。
ムーンチャイルド・サネリーが掲げる音楽テーマ「フューチャー・ゲットゥー・ファンク」というのをこのアルバムのどこかに探すとするなら、三曲目「In My Kitchen」が最適となるかもしれない。ケンドリック・ラマーが最新作において示唆したフューチャーベースのサウンドに依拠したヒップホップに近く、サネリーの場合はさらにゲットゥーの独特な緊張感をはらんでいる。表向きには聴きやすいのだが、よくよく耳をすましてみてほしい。ヨハネスブルグの裏通りの危険な香り、まさにマフィアやアウトライダーたちの躍動する奇妙な暗黒街の雰囲気、一触触発の空気感がサネリーのボーカルの背後に漂っている。彼女は、南アフリカの独特な空気感を味方につけ、まるで自分はそのなかで生きてきたといわんばかりにリリックを炸裂させる。彼女はまるで過去の自分になりきったかのように、かなりリアルな歌を歌い上げるのだ。
続く「Tequila」は、前曲とは対照的である。アルコールで真実を語ることの危険性を訴えた曲で、 ムーンチャイルドのテキーラとの愛憎関係を遊び心で表現したものだ。酩酊のあとの疲れた感覚が表され、オートチューンをかけたボーカルは、まるでアルバムの序盤とは対象的に余所行きのように聞こえる。しかし、序盤から中盤にかけて、開放的なアフロ・トロピカルに曲風が以降していく。イントロのマイルドな感じから、開放的な中盤、そしてアフロ・ビートやポップスを吸収した清涼感のある音楽へと移ろい変わる。アルコールの微妙な感覚が的確に表現されている。さらに、BBCのジュールズ・ホランドのテレビ番組でも披露された「Do My Dance」は、アルバムの中で最も聴きやすく、アンセミックなトラックである。この曲はまた、南アフリカのダンスカルチャーを的確に体現させた一曲と称せるかもしれない。アフロハウスの軽妙なビートを活かし、ドライブ感のあるクラブビートを背景に、サネリーは音楽を華やかに盛り上げる。しかし、注目すべきはサビになると、奇妙な癒やしや開放的な感覚が沸き起こるということだ。
「Do My Dance」
アルバムは中盤以降になると、クラブ・ミュージックとしてかなり複雑に入り組むこともあるが、曲そのもののアンセミックなテーストは維持されている。「Falling」では、Self Esteenとのコラボレーション「Big Man」で学んだポップセンスをふんだんに活かしている。ここでは、センチメンタルで内省的なメロディーセンス、そして、ダブステップの分厚いサブベースと変則的なビート、UKドリルのグリッチの要素を散りばめ、完成度の高いポピュラーに仕上がっている。一方、ヒット・ソングを意識した曲を収録する中でも、個性的な側面が溢れ出ることがある。
「Gwara Gwara」は、サネリーらしさのある曲で、アフロハウス、Gqom、アマピアノといったサウンドの伝統性を受け継いでいる。しかし、トラックそのものは結構シリアスな感覚があるが、サネリーのユーモアがボーカルに巧みに反映され、聴いていてとても心地よさがある。そして渦巻くようなシンセリードを背景に、タイトルを歌うと、強烈なエナジーが放出される。曲の節々には南アフリカやダーバンのポップスの要素がふんだんに散りばめられている。さらにクラブミュージックとして最もハードコアな領域に達するのが、続く「Boom」である。アンセミックな響きは依然として維持されているが、アマピアノのアッパーな空気感と彼女自身のダウナーな感性が融合し、「フューチャー・ゲットゥー・ファンク」のもうひとつの真骨頂が出現する。
「Sweet & Savage」では、ドラムンベースが主体となっている。ブンブンうなるサブベースを背景に、南アフリカの流行ジャンルであるヒップホップと融合させる。現地の著名なDJは、アマピアノはもちろん、Gqomというジャンルがラップと相性が良いということを明らかにしているが、この点を踏まえて、サネリーは、それらをポストパンクの鋭い響きに昇華させる。また、この曲の中ではサネリーのポエトリーやスポークンワードの技法の巧みさを見いだせる。そして同時に、それはどこかの時代において掻き消された誰かの声の代わりとも言えるのかもしれない。ラップやスポークンワードの性質が最も色濃く現れるのが、続く「I Love People」である。ここでは、他の曲では控えめであったラッパーとしてのサネリーの姿を見出すことが出来る。おそらく南アフリカでは、女性がラップをするのは当たり前ではないのだろう。そのことを考えると、ムーンチャイルド・サネリーのヒップホップは重要な意義があり、そして真実味がある。もちろん、ダーバンには、ヒップホップをやりたくてもできない人も中にはいるのだろう。
多くの場合、自分たちがやっていることが、世界的には常識ではないということを忘れてしまうことがあるのではないだろうか。音楽をできるということは、少なくとも非常に贅沢なことなのであり、この世界には、それすらできない人々もたくさんいるのだ。ムーンチャイルド・サネリーの音楽は、常識が必ずしも当たり前ではないことを思い出させてくれる。サネリーにとっては、歌うこと、踊ること、詩をつくるときに、偉大な感謝や喜びという形で表面に立ち現れる。言っておきたいのは、表面的に現れるのは、最初ではなくて、最後ということである。
えてして、音楽の神”アポロン”は、そういった人に大きな収穫と恩恵を与える。それは音楽的な才覚という形かもしれないし、ラップが上手いということになるかもしれない。もしくは、良いメロディーを書くこと、楽器や歌が上手いということなのかもしれない。少なくとも、サネリーは、こういった慈愛の感覚を内側に秘めている。それがソングライターとしての最も重要な資質でもある。世界の人々は、経済に飢えているのではない。愛情に飢えている。そのことを考えると、サネリーのような存在がスターダムに引き上げられるとすれば、それは必然であろう。
久しぶりに音楽の素晴らしさに出会った。「Mintanami」である。私は、この曲はアルバムの中で一番素晴らしいと思い、そして、アーティストが最も今後大切にすべき一曲であると考えている。 この曲があったおかげで、このアルバムの全体的な評価が押し上げられたと言えるだろう。
95/100
Best Track 「Mintanami」
Moonchild Sanellyのニューアルバム「Full Moon」はTransgressiveより本日発売。ストリーミングはこちら。