Weekly Music Feature: FACS 『Wish Defense』  スティーヴ・アルビニの最後のプロデュース作品  アルビニ・サウンドの集大成

 



Midwest(中西部)というのは、テキサスと並んで、アメリカの中でも最もワイアードな地域ではないかと思う。それは異なる文化や生活スタイルが折り重なる地域だからなのではないだろうか。ワイアードというのは、変わってはいるが、魅力的な面も大いにあるということ。ミッドウェストは、都市的な気風を持ちながらも、田舎性を併せ持ち、独特のコミュニティがおのずと構築される。先日、Cap n’ Jazzのメンバーが「Still Living(まだ生きている!!)」というカットソーのシャツを着て、写真に写っていたのを見たとき、なにか安堵するものがあった。音楽ファンとしては、元気でいるぜと対外的にアピールしてくれることが一番の幸せだからだ。

 

グランジやスロウコアを生み出したシアトル/アバディーンとならび、中西部のシカゴは、Tortoise,Cap N' Jazz,Ministry、スティーヴ・アルビニを輩出したことからも分かる通り、アメリカのアンダーグラウンドミュージックの発信地でありつづけてきた。古くはTouch & Go、現在はPolyvinlの本拠地だ。他でもなく、近年、自分が最も注目してきたのは中西部である。また、その中には、地理的には異なる北部に該当するが、(ボストンや)ペンシルベニアなどのラストベルトの地帯にも注目していた。この地域は、工業地帯で、NINなどインダストリアルな響きを持つ音楽が出てくる。ただ、印象としては、工業的な生産などが下火になるにつれて、トレント・レズナーのような天才は出てこなくなった。そして、アイオワなどのより田舎の地域に音楽のシーンは変遷していった。なぜなら、工業的な音が街から徐々に消えてしまったからである。

 

シカゴのFacsは、志を同じくするシカゴのユニット''Disappears''の後進ともいえるバンドである。彼らの音楽性はアートパンク、もしくはイギリス風に言うなら、ポストパンクに属するが、少なくとも、ボストンやワシントンDCのハードコア、シカゴのポスト世代のパンクを受け継ぐトリオである。ニューヨークをはじめとする、従来のハードコアパンクは激情的であったが、時代を経ると、インテリジェンスの側面を押し出すようになった。語弊はあるかもしれないが、頭脳がおろそかでは、パンクやオルトロックソングは出来ないのである。とくに、Facsは、ミニマリズムと空間を駆使し、アブストラクトでモダンなアートロックを創り出し、ポストパンクとポストロックの交差点に立つダークで推進力のある音楽を奏でる。彼らは、2018年のデビューアルバム『Negative Houses』において、音楽を最も強固なリズムの基盤まで削ぎ落とし、2020年の『Void Moments』と翌年の『Present Tense』では、より実験的でメロディを付け加えた。


Disappearsのベーシスト、デイモン・カルルエスコが自身のビジュアル・アートとエレクトロニック・プロジェクト、Tüthに専念するために脱退し、バンドは2016年後半に結成された。たが、 残されたギタリスト/ヴォーカリストのブライアン・ケース、ギタリストのジョナサン・ヴァン・ヘリック、ドラマーのノア・レガーは一緒に音楽を作り続けたいと考えた。ケースはベースに転向し、プロジェクト名をFacsに改めた。 ウェブオンラインでデモを投稿後、バンドはトラブル・イン・マインドと契約し、2017年6月にシカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオでジョン・コングルトンとデビュー・アルバム『Negative Houses』をレコーディングした。


2018年3月の『Negative Houses』リリース直前に、ヴァン・ヘリックがFacsを脱退。 その後、ケースはギターに戻り、バンドは旧友である元We Regazziのドラマー、アリアンナ・カラバにベースの後任を頼んだ。セカンド・アルバムを制作するため、Facsはジョン・コングルトンと再会し、ブライアン・ケースのエレクトロニック・プロジェクト”Acteurs”のメンバーであるジェレミー・レモスとも仕事をした。 カラバとレジェのインタープレイに焦点を当て、ケースのメルヘンチックなギターのテクスチャーも加えた『Lifelike』は、2019年3月にリリースされた。 Trouble in Mindから2020年3月にリリースされた『Void Moments』では、バンドのメロディックな側面が顕在化した。 この年末、Facsのメンバーはスタジオに戻り、Electrical Audioのエンジニア、サンフォード・パーカーと一緒に仕事をし、一連の創作のプロセスを通じて自発的なアプローチをとった。続いて、4枚目のアルバム『Present Tense』は2021年5月にリリースされた。




今回、2018年にデビューアルバム『Negative Houses』をリリースする直前にグループから離れたオリジナルメンバー、ジョナサン・ヴァン・ヘリックが、長年のベーシスト、アリアンナ・カラバに代わってカムバックしたことによって、新たな活力と観点がもたらされた。ヴァン・ヘリックが在籍していた頃と、ブライアン・ケースや強力なプレイで知られるドラマー、ノア・レガーとともにDisappearsに在籍していた頃とでは、役割分担が明らかに変わっている。 この役割の逆転は、バンドのダイナミズムを強調し、さらに以前とは異なる音楽的視点を提供し、現在ではトリオの長年のコラボレーションを、ある程度の距離と時間をおいて下支えしている。


ブライアン・ケースは、「Wish Defense」の歌詞はドッペルゲンガーや 「替え玉」をテーマにしていて、自分自身と向き合い、自分の考えや動機を観察するというアイデアに取り組んでいると述べている。テーマは内的な闘いで、自分ともう一人の自分のせめぎ合いでもある。ブライアン・ケースによれば、最終的な感情は次のような内容に尽きるのだという。「......ろくでなしに負けるんじゃない、この瞬間の向こうに何かがある、それは希望のようなものだ」


「Wish Defense 」のアートワークは、原点回帰を意味する。これは「Negative Houses」のアートワークへのさりげない言及でもあり、アルバムのモノクロの暗さとミニマリズムに回帰している。本作のチェッカーボードは、ジャケットの前面と中央に印刷された歌詞と鏡のように映し出され、いたるところに自己を映し出している。


『Wish Defence』は二人の著名なエンジニアのリレーによって完成に導かれた。シカゴの代表的なミュージシャン、スティーヴ・アルビニが生前最後にエンジニアを務めた作品である。 スティーブが早すぎる死を遂げる直前の2024年5月初旬、シカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオで2日間レコーディングされ、その24時間後、著名なエンジニアでデビュー当時からの友人でもあるサンフォード・パーカーがセッションの仕上げに入り、ヴォーカルとオーバーダブの最後の部分をトラッキングした。 

 

スティーヴ・アルビニはご存知のとおり、昨年5月7日に亡くなった。このアルバムは半ば忘れ去られかけたが、ジョン・コングルトンがそのバトンを受け継いだ。長年の共同制作者のコングルトンは、アルビニの遺志を引き継ぎ、エレクトリカル・オーディオのAルームで、テープから外し、セッションに関するアルビニのメモを使い、アルバムをミックスして、このアルバムを完成させた。



FACS 『Wish Defence』/  Trouble In Mind






スティーヴ・アルビニのサウンドは1980年代から一貫しているが、少しずつ変化している。例えば、Big Blackのようなプロジェクトは、ほとんどデモテープのような音質であり、MTRのマルチトラックのようなアナログ形式でレコーディングが行われていたという噂もある。アルビニのギターは、金属的な響きを持ち、まるでヘヴィメタルのようなサウンドのテイストを放っていた。その後、ルイヴィルのSlintのアルバムでは、ギタートラックのダイナミック・レンジを極限まで拡大させ、他のベースやドラムが埋もれるほどのミキシング/マスタリングを施した。また、ベースに激しいオーバードライヴを掛けるのも大きな特徴なのではないか。

 

こういったアンバランスなサウンドスタイルが俗に言う「Albini Sound」の基礎を形成したのだ。その後、アルビニは、Nirvanaの遺作『In Utero』で世界的なプロデューサー(生前のアルビニは、プロデューサーという言葉を嫌い、エンジニアという言葉を好んだ。「自分は業界人ではなく、専門的な技術者」という、彼なりの自負であろうと思われる)として知られるようになった。この90年代のレコーディングでは、ギターの圧倒的な存在感は維持されていたが、デイヴ・グロールのドラムも同じくらいの迫力を呈していた。90年代に入り、楽器ごとの音圧のバランスを重視するようになったが、依然として「ロックソングの重力」が強調されていた。アルビニのサウンドは、聴いていると、グイーンと下方に引っ張られるような感覚がある。以後、アルビニは、ロバート・プラントの作品を手掛けたりするうち、シカゴの大御所から世界的なエンジニアとして知られるようになった。最近では、アルビニは、MONOのアルバムも手掛けているが、ポストパンクというジャンルに注目していただろうと推測される。まだ存命していれば、この後、イギリスのポストパンクバンドの作品も手掛けていたかもしれない。

 

シカゴのFacsのアルバムは、 アルビニのお膝元である同地のエレクトリカル・オーディオ・スタジオで録音されたというが、奇妙な緊張感に充ちている。何かしら、真夜中のスタジオで生み出されたかのようで、人が寝静まった時間帯に人知れずレコーディングされたような作品である。トリオというシンプルな編成であるからか、ここには遠慮会釈はないし、そして独特の緊張感に満ちている。Facsはおそらく馴れ合いのために録音したのではなく、プロの仕事をやるためにこのアルバムを録音し、作品として残す必要があったのである。まるでこのアルバムがアルビニの生前最後の作品となるものとあらかじめ予測していたかのように、ケースを中心とするトリオはスタジオに入り、たった二日間で7曲をレコーディングした。これは驚愕である。『Wish Defense』は、80年代のTouch & Goの最初期のカタログのようなアンダーグラウンド性とアヴァンギャルドな感覚に充ちている。どれにも似ていないし、まったく孤絶している。

 

 

『Wish Defense』は、シンプルに言えば、イギリスの現行のポストパンクの文脈に近い。例えば、今週、奇しくもリリース日が重なったブリストルのSquid、ないしは、Idlesのデビュー当時のようなサウンドである。また、カナダのインディーロックバンド、Colaを思い浮かべる方もいるかもしれないし、日本のNumber Girlのセカンドアルバム『Sappukei』を連想する人もいるかもしれない。いくらでも事例を挙げることは出来るが、Facsは誰かのフォロワーにはならずに、オリジナルサウンドを徹底して貫いている。なぜなら、かれらの音楽は、中西部の奥深い場所から出てきたスピリットのようなものであり、上記のバンドに似ているようでいて、どれにも似ていないのである。もちろんサウンドの側面で意図するところも異なる。先にも述べたように、まるで四人目のメンバーにスティーヴ・アルビニが控えているかのようで、しかも、いくつかの曲のボーカルでは、アルビニ風の「Ha!」という特異なシャウトも取り入れられている。

 

そして、今回のアルビニ/コングルトンのサウンドは、ミックスの面でバランスが取れている。どの楽器が主役とも言えず、まさにトリオの演奏全体が主役となっていて、ボーカル、ギター、ベース、ドラムというシンプルな編成があるがゆえ、一触即発の雰囲気に満ちている。たとえば、オープナー「Taking Haunted」は、アルビニのShellac、ヨウのJesus Lizardに近く、グランジ・サウンドがベースラインを中心に構築される。ダークであり、90年代のアリス・イン・チェインズのような重力があるが、これらにモダンな要素をもたらすのが、ギターのピックアップの反響を増幅させ、倍音の帯域のダイナミクスを増強させたサウンドである。アトモスフェリックなギター、タムを中心とする音の配置を重視したタイトなドラム、それから、ケースのスポークンワードに近いボーカルが幾重にも折り重なっていく。ボーカルは重苦しく、閉塞感があり、ダークだが、その中にアルビニの最初期のボーカルからの影響も捉えられる。ニヒリズムを濃縮させたようなブライアン・ケースのボーカル、これは現実主義者が見た冷ややかなリアリズムであり、彼は決して目の前にある真実をごまかしたりしない。これらのストイックな風味を持つサウンドは、アルバムの序盤の独特な緊迫感にはっきりと乗り移っている。

 

2曲目の「Ordinary Voice」は画期的である。モグワイの最新作では惜しくも示しきれなかったポストロック/マスロックの新機軸を提示する。Big Blackの音楽性を彷彿とさせるメタリックなギターは、Dave Fridmann(デイヴ・フリッドマン)のマスタリングをはっきりと思い起こさせる。テープサチュレーターのような装置で最初の音源を濾過したようなサウンドで、ギターのフィードバックを強調させながら、アトモスフェリックなサウンドを組み上げていく。ざっくりとしたハイハットの4カウントが入ると、Facsのライブを間近で聴いているような気分になる。アトモスフェリックなギター、基音と対旋律を意識したベース、そして、和音的な影響を及ぼすドラム(ドラムは、リズムだけの楽器ではなく、和音や旋律の側面でも大きな影響をもたらす場合がある)そして、スロウテンポのタムが、これらのサウンドをぐるぐる掻き回していくような感じである。その中で、マイナー調のギターの分散和音が登場し、この曲のイメージをはっきりと決定づける。まさしくこの瞬間、オルタナティヴの音楽の魅力が真価をあらわすという感じなのである。そのあと、ドラムスティックでカウントを取り、曲はスムーズに転がっていく。ここにも、ケースのボーカリストとしてのニヒリスティックな性質が滲んでいる。そして、それは最終的に、バンドサウンドのタイトさと相まって、クールな印象をもたらす。

 

 

 「Ordinary Voice」

 

 

 

その後、このアルバムの音楽の世界は、シカゴの最深部に向かうのではなく、シアトルのアバディーンに少し寄り道をする。三曲目の「Wish Defense」では、例えば、Jesus Lizard、Melvins、それよりも古い、Green River、Mother Love Boneといったハードロックやメタルの範疇にある最初期のグランジを踏襲して、ベースを中心に構成が組み上げられていく。この曲では、例えば、デイヴィッド・ヨウのような90年代のメタリックなシャウトは登場しないが、楽節の反復ごとに休符を強調させる間の取れたミニマリズムの構成の中に、一貫して怜悧で透徹したブライアンのスポークンワードがきらめく。それは、暗闇の中に走る雷の閃光のようなものである。


そして、同じフレーズを繰り返しながら、バンドサウンドとしての熱狂的なポイントがどこかを探ろうとする。結果的には、昨年の秋頃、当サイトのインタビューバンドとして紹介したベルリンのバンド、Lawns(Gang of Fourのドラマー、トビアス・ハンブルが所属している)に近いサウンドが組み上げられていく。これらは、アルビニ/コングルトンという黄金コンビのエンジニアリングによって、聴いているだけで惚れ惚れしてしまうような艶やかな録音が作り上げられている。デイヴ・グロールのドラムのオマージュも登場し、バス、タムの交互の連打という、Nirvanaの曲などでお馴染みのドラムのプレイにより、曲のエナジーを少しずつ引き上げていく。少なくとも、このバンドの司令塔はドラムであり、アンサンブルを巧みに統率している。



アルバムの多くの曲は、似通った音楽のディレクションが取り入れられている。また、FACSのメンバーにせよ、録音の仕上げに取り組んだエンジニアにせよ、楽曲自体のバリエーションを最重視しているわけではないと思う。ところが、同じタイプの曲が続いたとしても、飽きさせないのが不思議である。そして、最も大切なのは、バンドのメンバーの熱量がレコーディングに乗り移っているということ。「A Room」では、Fugaziのようなサウンドをモチーフにし、ポストロックの曲が組み上げられる。しかし、Fugaziやその前身であるOne Last Wish、Rites Of Springに近いテイストがある一方、ギターのアルペジオにはミッドウェスト・エモや、それ以前のオリジナル・エモの影響が感じられる。従来のセンチメンタルな感覚ではなく、それとは対極的なNINのようなダークなフィーリングによってエモーショナルな質感が生みだされる。さらにバンドサウンド全般は、Sonic Youthの最初期のようにアヴァンギャルドということで、アメリカの多角的な文化的な背景や音楽観が無数にうごめくような一曲となっている。まさに、ワシントンDC、シカゴ、ニューヨークの従来のミュージックシーンが折り重なったような瞬間だ。

 

アルバムの序盤では、表向きには、不協和音、ミュージック・セリエル、ミュージック・コンクレートの要素がことさら強調されることはない。ただ、不協和音や歪みが強調されるのが、続く「Desire Path」となる。これはまた、Number Girl(向井秀徳/田淵ひさこのサウンド)を彷彿とさせる。あいかわらず、曲調そのものは、ダークで重苦しさに充ちているが、ある意味では、これこそが”オルタナティヴ・ロックの本質”を示唆している。イントロの後、ギターの波形を反復させながら、そこに、フェーザー、ディレイ、リバーブをかけ、グルーヴを作り出す。曲全体のイメージとしては、アブストラクトなアートパンクに変わるが、情報量の多いサウンドをまとめているのが、ドラムのリムショットを強調させたしなやかなビート。これらは、ドラムのダイナミックレンジを強調させ、ドラムの圧倒的な存在感を引き出し、ライヴサウンドに近づけるという、スティーヴ・アルビニの特徴的なサウンドワークを楽しむことが出来ると思う。

 

こういった曲が続けば、このアルバムは佳作の水準に留まったかもしれない。しかし、それだけでは終わらないのがすごい。その点がおそらく、今後の評価を二分させる要因ともなりえるかもしれない。「Sometimes Only」は、アンダーグランドのレベルの話ではあるが、オルタナティヴの稀代の名曲だ。本作の二曲目に収録されている「Ordinary Voice」と並んで、2020年代のオルタナティヴロック/ポストロックのシンボリックな楽曲となるかもしれない。2000年代以降は、オルタナティヴという言葉が宣伝のキャッチコピーみたいに安売りされるようになってしまい、結局、明らかにそうではない音楽まで”オルタナティヴ”と呼ばれることが多くなった。


断っておくと、このジャンルは、ミーハーな気分で出来るものではないらしいということである。どちらかといえば、求道者のような資質が必要であり、本来は気楽に出来るようなものではない。なぜなら、王道ができないのにもかかわらず、亜流が出来るなんてことはありえない。曲の土台を支えるのは、アルビニの系譜にあるニヒリスティックなボーカル、ハードコアパンクの派生ジャンルとして登場したエモである。曲の最後の仕上げには、Don Caballeroが使用したアナログ機器によりBPMを著しく変速させる本物のドリルが登場する。まさしく、シカゴ出身のバンドにしかなしえない偉業の一つ。この曲は、ミッドウェストらしい気風を感じさせる。

 

「Albini Sound」の不協和音の要素である「調和というポイントから遠ざかる」というのは、西洋美学の基礎である対比の概念に根ざしていて、調和がどこかに存在するからこそ、不調和が併存するということである。ここにあるのは、単なる音の寄せ集めのようなものではなく、ユング的な主題を通して繰り広げられる実存の探求である。そして、調和がどこかに存在しつつも、不協和音が力強く鳴り響くという側面では、''現代のアメリカ''という国家の様相を読み解くことも出来る。それは、中西部からの叫びのようなもので、苛烈なディストーションギターの不協和音が本作のエンディングに用意されている。そして、その”本物の音”に接した時、一般的な報道では見ることの叶わない中西部の実像のようなもの、そして、そこにリアルな感覚を持って力強く生きぬく市井の人々の姿が、音楽の向こうからぼんやりと浮かび上がってくるのだ。

 

 

 

94/100