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アメリカのエージェントから送られてきたプレスリリースの中で最も注目しているのが、Fake Dad。しかし、週末のレビューで紹介するとは微塵も思っていなかった。フェイク・ダッドは、ロサンゼルスのインディーロックバンドで、MOMMA、Wet Legを彷彿とさせる素晴らしいデュオ。しかもロサンゼルスらしく良い具合に力が抜けていて、音楽がそれほどシリアスになりすぎない。現在、シリアスな世界に必要とされているのは脱力感あるサウンドです。
フェイク・ダッドことアンドレア・デ・ヴァローナとジョシュ・フォードは、ロサンゼルスを拠点に活動するニューヨーク育ちのインディー・ロック・ミーツ・ドリーム・ポップ・デュオです。 フェイク・ダッドは、ポップでキャッチーなフック、90年代にインスパイアされたクランチーなギター、グルーヴィーなベースライン、そして浮遊感のあるシンセサイザーを駆使し、酔わせるようなカラフルな音楽的フュージョンを創り出す。 独特のプロダクション・サウンドと特徴的なヴォーカルを持つ2人は、自分たちのアパートで作曲とレコーディングを行っている。
『Holly Wholesome And The Slut Machine』には、バンドが作り上げた、怒り狂ったハンバーガーをひっくり返すピエロ、星をめぐる騎士、仮面をかぶった睡眠麻痺の悪魔などなど、作り物の世界に生きるキャラクターたちの音楽物語が収められている。 アルバムを通して、アンドレアとジョシュは、恋愛パートナーとしての自分たちのアイデンティティやセクシュアリティなど、自分たちが生きてきた経験のリアルな側面をフィクションを使って解き明かしていることに気づいた。
この1年、フェイク・ダッドはポーザーに執着してきた。 特にロック・ミュージックのポーザーは、自分ではない誰かのふりをするアーティストが作る音楽には魅力がある。 取り分け、ロックの様々なサブジャンルにおいて、"フェイク "は少し汚い言葉かもしれない。 しかし、アンドレアとジョシュが、彼らの時代以前のお気に入りのアーティストを掘り下げていくうちに、キャラクターを演じることはロック音楽の遺産とかなり深く関わっていることが明らかになった。
フェイク・ダッドという名前からは、彼らのジャンルを知る手がかりはほとんど得られないが、7曲入りのEPは、夏のエネルギーをにじませている。難なく歌えるし、紛れもなく感染させ、あらゆるドライブ旅行のプレイリストに入るメロディーを満載している。 しかし、その爽やかでポップなサウンドに惑わされてはいけない。歌詞は、想像されるようなのんきなものではなく、フェイク・ダッドは、怒り狂ったハンバーガーをひっくり返すピエロ、星を追う騎士、仮面をかぶった睡眠麻痺の悪魔など、作り物の世界に住むキャラクターを作り出している。
EP全体を通して90年代の雰囲気が漂っており、シンセとドライブ感のあるドラムとベースのバックボーンが融合し、ギターにさらなるパンチを与えている。 オルタナティヴ・ポップの黄金期を踏襲しながらも、モダンでダイナミックなミックスに仕上がっている。
アンドレアの歌声は各曲に難なく適応し、曲のムードに合わせてトーンや強弱を変化させる。窓を開けての夏のロングドライブのサウンドトラックを探している人も、単演奏が終わった後もずっと心に残る曲のセットを探している人にとって、「ホリー・ホールサム・アンド・ザ・スラット・マシーン」は最適なアルバム。 このバンドはノスタルジーと新鮮さのバランスの取り方を熟知している。
Fake Dad 『Holly Wholesome And The Slut Machine』 EP - Father Figure Music
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プロジェクト名だけではよくわからないかもしれないが、アルバム・ジャケットとかアーティスト写真を見れば、フェイク・ダッドの志すところはなんとなく理解出来る。フェイク・ダッドは、シリアスな世の中にウィットに富んだユーモアをもたらそとしている。
少なくとも、フェイク・ダッドは現在のアメリカ国内の情勢、彼等がツアーなどで体験した出来事に対して、もしくは音楽業界の問題に風刺や際どいユーモアをもたらす。
このアルバムはデュオにとってデビュー作のような意味を持ち、自己紹介がわりとしては平均的な水準以上のものを提示している。知る限りにおいて、彼等は少なくとも現実のシリアスな側面とは異なる斜に構えた方向からニッチな視点を押し出してしているが、それは少なくとも音楽にも見えやすい形で乗り移っている。
しかし、フェイク・ダッドがこういうワイアードなスタンスを取るようになったのには理由がありそうだ。音楽業界の奇妙な慣習や暗黙の了解に接したアンドレアとジョッシュは、これらの慣習をシニカルに風刺することにより、彼等らしいやり方を提示する。それはアルバムの最後を飾り、なおかつハイライトとなる「Machinery」における音楽業界へのカウンター的な位置取りが、爽快感のあるカタルシスを与えてくれるのである。暗黙の了解やルールに内在的に反抗するという姿勢は、クローズ曲だけではなく、アルバムの全体に通底しているように思える。
音楽業界に対する風刺的な姿勢がこういった''モンスター''を生み出したとはいえるが、Fake Dadの音楽は驚くほど軽くてポップ。また、その中には西海岸のパンクからの系譜も受け継がれ、Offspringの傑作『Americana』に見出だせる力の抜けたロックサウンドが顕著である。 それが現代的なベッドルームポップーー自主制作の音楽としてのポップーー、Wet Legのようなニューウェイブの要素、MOMMAのような現代的なインディーロックの要素と絡み合い、フェイク・ダッドらしい軽妙なロックソングが作り出される。そして、それらのロックソングを生み出すための土壌となるのが、アンドレア、ジョッシュというパートナーが作り出す幻想の世界なのだ。
ここでは、カルト的な意味を持つ様々なキャラクターがコメディー映画さながらに登場し、音楽のフィクションの要素を転回させる働きを成している。小説や映画と同じように、「この音楽はフィクションです」と断った上でロックソングが始まるが、リスナーはそれと相反するリアリズムを必ずといっていいほど把捉することになるだろう。『Holly Wholesome And The Slut』は、フィクションの要素を使用してリアリズムを描くという技法が取り入れられている。しかしながら、音楽は以外なほど軽快であり、ほとんど停滞するような瞬間はない。
彼等は、Fake Dadを知らないリスナーに対して、ポップバンガー「Cyrbaby」を挨拶代わりにお見舞いする。Wet Legのようなニューウェイブの範疇にあるエレクトロポップの要素、そして、インディーロックのシンプルな技法を用いて、軽快なロックソングを提供している。一見すると、少しチープに聞こえるが、病みつきになりそうな要素を持っている。複雑化したロックのイディオムに抵抗するという態度はまさしく、彼等がパンクのルーツを持つことの証とも成り得る。80年代のハードロック・ギタリストの演奏を徹底して下手にしたようなギター(実は上手い)、調子外れなボーカルなどなど、面白さが満載であり、それらはサーカスのような楽しさがある。これこそ、現代人が忘れ去ったユーモアの重要性をリスナーに教えさとしてくれる。そしてお膝元のハリウッドへの言及などを通して、揶揄的なユーモアを歌うのである。おそらく、この曲を聴き終えた後、気難しい表情をしている人々の顔がぱっと明るくなるだろう。
もう一つ見過ごせないのが、西海岸のミュージックシーンの重要な核心であるヨット・ロックの要素である。彼等は、マグダレナ・ベイなどのネオ・サイケデリアの要素と結びつけ、それらを軽快でゆったりとしたポップソングに落とし込んでいる。
「Odyssey To Venice」は想像上のイタリアへの旅を意味し、ディスコサウンドの系譜にあるエレクトロの要素とポピュラー性が組み合わされ、バブリーな感覚が引き出される。この曲では、人生を謳歌するという姿勢が軽妙な感覚を付与する。それはボヘミアン的な人生観を反映させたと言える。見方を変えれば、人生における遊びの感覚、物事を深刻に取らすぎないことへの賞賛が謳われている。イントロではチープな印象がサビにおけるゴージャスなアレンジによってポップバンガーへと変化する。曲の印象が驚くほど一変する瞬間は聞き逃すことが出来ない。
「WANTO」はデモテープのようなローファイな音質で始まる。 最初のイントロは、iPhoneのガレージバンドで録音したような音質だが、フィルター処理の後、劇的の音楽の印象が変化する。彼等の展開させるロックソングのイディオムの中には、DIIIV、DEHDといった現代的なドリームポップバンドーーネオシューゲイズに属するバンドの影響が含まれている。しかし、現代的なロックバンドの多くの場合と同様に、ギターサウンドは、轟音性ではなく、”合理性”に焦点が絞られている。つまり、拡大する音像ではなく、減退するシンプルな音像が重視されている。
これらは、現代のポップソングやTikTokのサウンドの影響があり、ギターワークが滑らかに聞こえるように洗練されているのである。これは、ロックソングの余剰性を一貫して削ぎ落としたもので、現代のロックの核心である洗練性や簡素性を印象づける。ボーカルに関しては、西海岸のヨット・ロックーーチルウェイブを反映させた軽いポップソングーーが反映されている。ちなみに、ロサンゼルスからは、ディスコ、チルウェイブ、それから、ポップとロックを組み合わせた”LAサウンド”が今後、雨後の筍のように、わらわらと出てくることが予想される。これらは、シリアスな音楽に対するカウンターの動きであり、バランサーのような意味がある。
「WANTO」
表向きに言っていることとやっていることが違うという人々がいるが、フェイク・ダッドはそういった二律背反的なロックソングを書く。そして、本当に意図するところがわからず、どうしても深読みしたり勘ぐったりしてしまうというものである。しかし、そういった中で、「So Simple!」 では、非常にわかりやすいロックソングを聞くことが出来る。エレクトロのベースがブンブンうなる中、ドラムのハイハット、シンバルのパンのLRの振りわけを駆使し、ドライブ感のあるロックソングが作り上げられる。ボーカルにも創意工夫が凝らされ、スポークンワードやラップのような形でラフに入っていき、全体的なロックソングのミックスに上手く溶け込んでいく。全体的にはアリス・クーパーの「School’s Out」のようなベタでクラシカルなロックソングの枠組みの中で、シニカルな風刺やモダンな感覚を持つボーカルのフレーズを披露していく。
しかし、これらは、技術や方法論にがんじがらめになったロックソングとは対象的に、ロックそのものの、わかりやすさ、親しみやすさという重要な要素を明瞭な形で思いださせてくれる。そして、もったいぶったようなメロからサビへの飛躍こそが、このロックバンドの魅力でもある。こういった曲は、現代のロックシーンから見ると、少し物足りないと思うかもしれないが、一方で聴いた後、頭がすっきりする。要するにロックのカタルシスを追い求めた曲なのだ。
「フェイク・ダッドの音楽は溌剌としていて軽快だ!!」 と、多くの耳の肥えた論者は評するかもしれないが、「Little Fake」と次曲は例外となるだろう。どのような人物にも複数の感情が渦巻くのと同じように、この曲では、ナイーブでダークな感情が露わとなる。しかし、一曲の単位で聴いたときと、アルバムの一曲として聴いたときに、まったく印象が変わる場合がある。
同じように、「Little Fake」は単体で聞くと、アンニュイで感傷性を感じさせる一曲であるのは事実なのだが、全体的なアルバムとして聴いたとき、琴線に触れるような趣を持つようになる。それは感傷的というか、陰影のある抽象的な印象を軽妙なサウンドの背景に滲ませるのである。この曲はグランジとその音楽性に含まれるポップネスに注目した新しいロックソングである。
「ON/OFF」 は、ライブツアーで体験した日常/非日常の経験における戸惑いの気持ちが感情的なポップスとして刻印されている。しかし、陰影のあるメロに対してサビはバンガー調である。こういったライブツアーに関する感情を日記のように織り交ぜた曲は先週のアニー・ディルッソの曲にも存在したが、鈍い感覚とそれとは対極的なハイな感覚というのを主題とし、音楽として象っているのはさすがと言える。
やはりグランジやポスト・グランジと地続きにあるが、バンガー的な性質が重視されている。しかし、メタ的な視点が込められている。過去の自分の姿を離れた場所から見て戸惑うという、ナイーブな感覚が含まれている。アンドレアとジョッシュの二人は、ロックソングを通して、怒りや悲しみといった感情の落とし所というか、納得すべき点を探っているようにも思える。アルバムの中では非常にセンチメンタルな印象があり、何らかの切ない気持ちを呼び起こす。
そういった紆余曲折が、この数年間の両者の実生活であったと見ても違和感はない。しかし、人生にまつわる悲しみや楽しさ、それらをひっくるめて肯定的に捉えようという心意気を感じる。それこそがフェイクダッドの素晴らしさなのだ。これが最終的に、道化的な印象を持つフェイク・ダッドという存在を生み出した。どのような存在も”土壌なくしては”実在しえないのだ。
現在のアメリカの姿や風潮を反映させた音楽は、他にもたくさん存在するが、フェイク・ダッドも必然的に登場したロックデュオである。クローズを飾るラフなインディーロックソング「Machinery」は、彼等のライブにおいて、代表的なアンセミックなナンバーとなりそう。今後、Bella Unionに所属する北欧のインディーロックバンド、Pom Pokoとのツアーによって、その実力が明らかになる。ぜひ、以降のライブツアーで大きな旋風を巻き起こしてもらいたいです。
85/100
「Machinery」 - Best Track