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Anour Brahem(アヌアル・ブラヒム)

Anour Brahem © ECM Records


Anour Brahem(アヌアル・ブラヒム)はチュニジア出身の作曲家、及び、ウード奏者である。(ウードーOud)とはリュート属に分類される撥弦楽器。中東から北アフリカのモロッコに及ぶアラブ音楽文化圏、及び、ギリシアで使用される。ウードの楽器の形状は、中世ヨーロッパのリュートや日本の琵琶に似ており、事実これらの楽器の近縁に当たるとされる。アヌアル・ブラヒムはウード演奏の第一人者で、これまでチュニジアの音楽とジャズの音楽を融合させてきた。

 

彼はソロアーティストでありながら、ジャズアンサンブルとして作品をリリースする場合が多い。アンサンブルの中には、バス・クラリネット奏者のKlaus Gesing、ベーシストのBjorn Meyer、同じく中東の楽器であるDarbouka(タブラ)を演奏するKhaled Yassine(カリド・ヤシン)等とレコーディングに取り組んできた。

 

アヌアル・ブラヒムは、チュニジア・チュニスのメディナにあるハルファウイーン地区で生まれ育った。チュニジア国立音楽院でウードの演奏を学び、その後、ウードの巨匠アリ・スリティに師事する。1981年、新しいヴィジョンを求め、フランスのパリに渡った。そこでさまざまなジャンルの音楽家と出会う。パリには4年間滞在し、チュニジアの映画や演劇のための劇伴音楽を作曲した。さらにバレエ音楽を制作し、『Thalassa Mare Nostrum』においては、ガブリエル・ヤレドとコスタ・ガヴラス監督の映画『Hanna K...』のリュート奏者として共演した。

 

1985年にチュニジアに戻ると、5年間にわたって作曲とコンサートを行い、彼の名声を確立した。ECMとの関係は1989年からで、以来10枚のアルバムを録音している。

 

『Barzakh』を筆頭に、バルバロス・エルケーゼ、ヤン・ガルバレク、デイヴ・ホランド、ジョン・サーマン、リチャード・ガリアーノなど、ジャンルや伝統に関係なく、世界で最も才能ある音楽家とコラボレートしてきた。主要なディスコグラフィには、『Conte de L'Incroyable Amour』(1991)、『Madar』(1994)、『Khomsa』(1995)、『Thimar』(1998)、『Astrakan Café』(2000)、『Le Pas Du Chat Noir』(2001)、『Le Voyage De Sahar』(2006)、『The Astounding Eyes Of Rita』(2009)などがある。

 

 

アヌアル・ブラヒムは一般的に、エスニック・ジャズの代表格とされることがあるが、彼の音楽性を単なるエキゾチズムと呼ぶのは妥当ではないかもしれない。中東/アラビアの旋律やスケール、巧緻なウードの演奏、打楽器を用いた世界音楽をジャズ/現代音楽の観点を通じて作曲してきた。

 

 

 

『Astran Cafe』 2000

 

アヌアル・ブラヒムは、ウード奏者としてだけではなくコンポーザーとしても一流の人物である。彼は2000年代からチュニジアや中東、北アフリカの民族音楽を、かつてのピアソラのように現代音楽やクラシックの作曲法により、独自のものとするのかを追求してきた。

 

その手始めとなったのが、「Astran Cafe」である。このアルバムにはのちのエスニック・ジャズの基礎となる要素や、民族音楽やワールド・ミュージックをどのようにクラシックや現代音楽のように構築していくのか、その試行錯誤のプロセスが的確に捉えられている。おそらく、作曲家は、チュニジアや中東の音楽を単一地域の民族音楽としてではなく、他のフラメンコやタンゴと同じように世界的な音楽として紹介することを意図していたのではないかと思われる。

 

しかし、それと同時に『Astran Cafe』はブラヒムの旧作のカタログの中で最もエキゾチックな響きが含まれているのは事実である。2010年代には洗練されたジャズや現代音楽、バレエのような劇伴音楽に至るまで、彼はさまざまな音楽の表現法を積み上げていったが、本作があったからこそ、オリジナリティ溢れる作風を作り上げることが出来たのではないかと推測される。

 

そういった意味では、ウードの演奏とハミングにより紡がれる演奏がエキゾチックな響きを持つ録音というかたちで留められている。以降の年代には、チュニジア、ネパールや中東の音楽を世界的な視点で捉えるようになるアヌアル・ブラヒムではあるが、少なくとも、彼の出世作ともいえる本作では、民族音楽の地域性や特性にコンポジションの焦点が絞られていると解釈出来る。ただし、これらの曲が古びて聞こえるかと言えば、そうではない。例えば、「Astran Cafe- 1」、「Karakorum」は今でも新しく聞こえ、ワールドミュージックとしてもきわめて斬新な響きを擁する。また、2009年の代表作「The Astounding Eyes Of Rita』でのウードの演奏と声のハミングのユニゾンという、アヌアル・ブラヒムらしい音楽性の萌芽を見出すことが出来る。

 

 

 

 

 

 

「Las pas du chat noir」 2002

 

 2000年代からエスノ・ジャズというジャンルがよく聞かれるようになったが、まさにこの音楽的な特徴を捉えるのに最適なアルバムが「Las pas du chat noir」。


今作において、アヌアヌ・ブラヒムは、フランスの現代音楽で活躍目覚ましいフランソワ・クチュリエと共演を行い、チュニジアや中東の民族音楽をバッハ的なエクリチュールと結びつける。

 

そして、アコーディオン奏者であるジャン・ルイ・マティリエはアルゼンチンタンゴのような哀愁を音楽に付与している。ジャズトリオの演奏の形式を取りながら、その演奏はクラシックの室内楽のような気品に満ちあふれている。これは中世のヨーロッパ音楽をエスニック/ジャズとして解釈している。

 

アルバムの収録曲のほとんどは、マイナー・スケールを中心に構成されるが、トリオの緻密なアンサンブルはメロディーの融合は、瞑想的な音楽の領域へと近づく場合もある。

 

ブラヒムの持つ中東や北アフリカの民族音楽のスケールに加え、アルゼンチンタンゴの持つ特殊な音階が結びついたタイトル曲「Las pas du chat noir」はもちろん、アコーディオンとピアノの合奏が瞑想的なアトモスフェールを作り出す「Leila au pays du carrousel」等、良曲に事欠かない。民族音楽やジャズの印象が表向きには際立っているが、バッハを中心とする正調の純正音楽をモチーフとしたフランソワ・クチュリエによる現代音楽のピアノのパッセージも本作に重要な貢献を果たしている。チューリッヒのDRSスタジオで2001年にレコーディングされたアルバムである。


 

 

 

「The Astounding Eyes Of Rita』 2009

 


アヌアル・ブラヒムの音楽はそもそも彼自身によるウードの演奏に加え、ジャズ・アンサンブルという形を取り、タブラのリズム、そしてバスクラリネットの中東のテイストを漂わせるスケールをもとに構成される。

 

稀にボーカルが入る場合もあるが、それは限定的なことであり、器楽的な効果を予想して導入されるに過ぎない。少なくとも、このアルバムにおいて四人編成のジャズ・アンサンブルは、低音部の音響の強調と、ウードやバスクラリネット、タブラのアンビエンスを拡張したサウンドという形で表側に現れる。特に、彼の旧来のカタログの中で注目しておきたいのは、2009年「The Astounding Eyes Of Rita」である。

 

この作品では、チュニジアを始めとする北アフリカ圏、それから中東の民族音楽のスケールを用い、ピクチャレスクなエスノ・ジャズを展開させる。特にブラヒム、メイヤー、ヤシーヌを中心とするアンサンブルはダンスミュージックのごとき深みのあるグルーブ感を作り出す。タブラの演奏は神がかりの領域に入る場合があり、5曲目「AI Birwa」に見出せる。

 

チュニジア/中東のマイナースケールに基づいたタイトル曲「The Astounding Eyes Of Rita」はバス・クラリネットの哀愁のあるフレーズの妙が光る。さらにボーカルをフィーチャーした「Waiking State」ではアラビアを放浪するような開放的な感覚が込められている。アルバムは、パレスチナの詩人"マフムード・ダルウィーシュ"の思い出に捧げられている。

 

 

 


 

 

 

 『Souvenance』 2014

 


ドイツのECMレコードはメインのジャズのリリースと合わせて、NEW SERIESという現代音楽のリリースにも取り組んできたことは詳しい方ならばご存知のことと思われる。

 

そして、このアルバムはどちらかといえば、従来のアラビアの旋法やスケールを踏まえて、現代音楽のようなディレクションが施されている。他のアヌアル・ブラヒムの主要な作品と同じように、室内楽やアンサンブルの形式を選んでレコーディングされているものの、エスニック・ジャズという言葉では一括りにすることが難しい。というのも、本作では指揮者、ピエトロ・ミアニーティを録音に招き、少人数の編成のオーケストラ作品のような趣を持つ作風もオープニングに収録されているからである。

 

2014年の「The Astounding Eyes Of Rita」において共同制作を行ったフランスのピアニスト、フランソワ・クチュリエの現代音楽のエクリチュール、同じくベース奏者のビョーン・メイヤー、バスクラリネットのクラウス・ゲッシング、スイス・イタリア管弦楽団のシネマティックで重厚なストリングスのコントラストには目を瞠るものがある。

 

アルバムの一曲目「Improbable Day」は大掛かりなスケールを持つ室内楽、及びオーケストラとして楽しめる他、音楽の多彩なバリエーションがひとつの魅力となっている。「Deliverance」ではエスノ・ジャズとミニマル、民族音楽のリズムを緻密に組み合わせて、独特な作風を作り上げる。バスクラリネットの響きはスリリングで高らかな響きに変わる場合もある。「Youssef's Song」には中東/アラビアの文化性に加え、四者の優れたプレイヤーによるジャズ・アンサンブルとしての魅力が凝縮されている。

 

 「この曲集を書くのに長い時間を必要としました」とアヌアル・ブラヒムは述べています。彼の感情の世界は、チュニジア、あるいは近隣諸国を席巻する政治的動乱ーーアラブの春ーーにまつわる物語に絡め取られていたという。大きな希望と恐怖を伴う異常な変化の波はチュニジア出身の作曲家にとって無関係ではありえなかった。アルバムの収録曲の音楽の中には中東の政治的な緊張や不穏な空気感が暗示されている。


しかし一方で、ブラヒムはそれが音楽の全てではないと述べています。 「ただ、私の作曲とチュニジアで起きている出来事との間に直接的な因果関係があるとは言い切れません」考え方によっては、上記のアートワークに表されているように、そういった政治的感情から距離を少し置いて、芸術的な感性を取り戻すために制作されたとも解釈しえる。さらに彼は次のように説明しています。「音楽の新しいディレクションについては、フランソワ・クチュリエがグループに戻り、繊細な弦楽器のオーケストレーションによって支えられています」

 



 

ーグルジエフの人生と考え

 

 

グルジェフは、コーカサス地方のアルメニア出身の神秘思想家で、20世紀最大のオカルティストとして知られている。神秘思想家としては、一般的にヘルメス主義の影響を受けているといわれ、イスラム神秘主義の「スーフィズム」の影響下にあるという説もある。彼はオカルティストとして絶大な影響力を誇った。

 

グルジェフは、ギリシャ系の父とあるルーマニア系の母のもとに生まれた。青年時代のグルジエフは、医師と牧師になるという夢を抱えていたが、その医術は、現代的に解釈すると、神秘主義的な治癒の方法に焦点が置かれていた。以後、彼は古文献を渉猟し、神秘主義者としての道のりを歩み始めた。彼の行動の手始めとなったのが、コーカサス地方をはじめとする放浪の旅である。


グルジエフは、アナトリア、エジプト、バビロニア、トルキスタン、チベット、コビ、北シベリア、東欧から小アジア、アラビアをくまなく歩いた。彼の探究心は、最終的に古代文明に行き着き、複数の秘技的な宗教集団と接触する。そのなかには、イスラム、キリストの神秘主義派、チベット密教、シベリアのシャーマニズムなど、多岐にわたるレリジョンが含まれている。

 

グルジェフは、複数の地域で秘技的な文化に接するが、最も強い触発を受けたのが、西アジアの北ヒマラヤにある「オルマン僧院」と言われている。ここにグルジェフは数ヶ月滞在し、イスラム神秘主義のひとつとされる「スーフィズム」を通じて、「大いなる知恵」を掴んだとされる。

 

しかし、グルジェフは意外にも、最初に実業家として名を揚げた。 20世紀初頭、チベットから戻った彼は、中央アジアのタシュケントで事業をはじめ、それを拡大させ、いつの間にか大金を手にしていた。彼が第一次世界大戦直前の社会的に混迷を極めていたロシアに姿を現した時、すでに彼は100万ルーブルもの資金を手にしていた。


この時代、彼は、実業家としての並々ならぬ才覚を発揮し、鉄道、道路のインフラ、レストラン、マーケット、映画館の経営に携わり、驚くべき大金をその手中に収めた。1ルーブルを現在の円のレートで換算すると、グルジエフは1,5億円以上もの収益を上げたということになる。 金銭価値は市場の相対的な評価に過ぎないので、現在ではさらに多額の価値があると推測される。

 

以降、ヨーロッパの貴族社会の人々や名士と交流を交わし、名声を獲得していったといわれている。そのなかで、新約聖書のなかで使徒が語ったように、ナザレのイエスがなした奇跡的な治療を施し、これがのちに、20世紀最大の神秘思想家として知られる要因になったと推測される。

 

グルジェフは、神秘主義の教団の首領として弟子たちをワークというかたちで先導するかたわら、アラビア、イスラム、スラブの民族音楽に触発された音楽家/舞踏家として芸術的に優れた才覚を発揮し、数年間で複数のスコアを遺している。なぜ、体系的な音楽教育を受けていないグルジェフが、音楽や舞踏という分野に活路を見出したのかは不明だが、これは秘技的な教団を率いる以前の放浪の時代に、音楽的な源泉が求められるのは明白だろう。彼は、それらをアカデミーで学ぶのではなく、生きた体験として学んだことは想像に難くない。グルジェフの音楽には、ヨーロッパ、南米、南アジアとも異なるエキゾチックな響きがある。その楽曲の演奏時には、Santur、Tmbuk、Duduk、Pkuなど、アラビア、イスラム圏の固有の楽器が複数使用される。

 

そして、グルジェフがアナトリア、エジプト、バビロニア、トルキスタン、チベット、コビ、北シベリア、東欧から小アジア、アラビアといった若い時代に旅をした地域のエキゾチズムが彼の音楽の根幹を成すことは、実際の音源を聴けば痛感できる。

 

彼の神秘主義の教えの中には、現代社会に通じる真実性が含まれていることがわかる。グルジェフは、「人類全体が目覚めておらず、眠ったままの隷属的存在」であるとし、そこから開放されることの重要性を訴えた。それを単なる神秘思想やオカルトと結びつけることは簡単だが、現代的な視点から見ると、スピリチュアリティに基づく思想だけを最重要視すべきではないように思える。

 

グルジェフは生前、弟子に対して、人類がなぜ戦争を幾度も繰り返すのかについて、そして戦争がなくならない理由について次のようなことを語っている。彼が話すのは1世紀前のことだが、しかし、2020年代の東欧やイスラエルで起きていることに深い関連性を見出すことができる。


ーー戦争を嫌う人々は、ほとんど世界が創造された当初からそうしようと努めてきたと思う。それでも、現在やっているような大きい規模の戦争は一度もなかった。戦争は減るどころか、時代とともに増えていて、しかもそれは普通の手段では止めることが出来ない。世界平和や平和会議に関する議論も、単に怠惰の結果であり、どころか欺瞞に過ぎない。 人間は、自分自身について考えるのも嫌でたまらず、いかにして他人に望むことをやらせることばかり考えている。

 

ーーもし、戦争をやめさせたいと考える人々の十分な数が集まれば、彼らはまず彼らに反対する人々に戦争を仕掛けることから始めるだろう。そして、彼らはそういうふうに戦うだろう。人間は今あるようにしかなれず、別様であることは出来ない。

 

ーー戦争には我々の知らない多くの原因が潜んでいる。 ある原因はひとりの人間の内側にあり、また別のものはその外側にある。そして戦争を止めるためには人間の内側から手をつけなければいけない。環境の奴隷であるかぎり、巨大な宇宙のちからという外的な影響をいかにして免れることができるのか? 人間はそもそも、まわりの外的な環境に操られているだけだ。もし、それらの物事から自由になれれば、そのときこそ人間は本来の意味で自由な状態になることができる。

 

ーー自由、開放、これがまず人間の生きる目的でなければならない。自由になること、隷属の状態から開放されること、これこそ人々が獲得すべき目標となるだろう。内面的にも外面的にも、奴隷状態にとどまるかぎり、その人は何者にもなることもできず、また、何もすることができない。内面的に奴隷であるかぎり、外面的にも奴隷状態から抜け出すことはできない。だから自由になるためには、人間の内的自由を獲得しないといけない。

 

ーー人間の内的な奴隷状態の第一の要因となるのは、その人自身の無知、なかんずく自分自身に対する無知である。自分自身を知らずして、みずからの内側にある機械的な動きとその機能を理解せずには、人間は本当の意味で自由になることも、自分自身を制御することもできない。それは単なる奴隷に過ぎないか、あるいは、外的な環境の翻弄される遊び道具にとどまるだろう。ーー  グルジェフ

 


 ーーグルジエフの音楽観 客観的な音楽と主観的な音楽の定義 東洋の発見

 


客観的な芸術と考えられるものに対する一般的な反応について語るのは難しい。それは、私たち誰もが経験したことのある普通の連想プロセスを超越しているように見える。私たちが知っている多くの音楽では、少なくともある文化圏の一般的な経験の範囲内では、特定の音の進行や質、それらの組み合わせや時間的な間隔が、他の人と共通する特定の感覚や感情を聴き手に呼び起こす。


この現象は、一見不可解であると同時に否定できない。この現象は、聴き手の中で活性化される共鳴から生じるに違いなく、さらに、音と記憶との関連性が曖昧だったり不明だったりしても、過去の経験との連想を引き起こすことが可能なのだ。全般的な芸術において、この振動(ヴァイヴ)の力は、その過程と結果を部分的にしか知らないまま使われている。アーティストの主観的な意識によって制限され、アーティストが発信するものは、同じように「主観的な反応」しか生み出せない。


従って、主観による表現の結果は偶然のものに過ぎず、「受け手によって正反対の効果をもたらすこともありうる」というのがグルジェフの主張である。「無意識的な創造的芸術は存在しえない」とまで彼は主張している。


逆に、客観的な音楽は、振動の法則を決定する数学、ピタゴラス派の標榜する黄金比による正確無比で完全な知に基づいており、それゆえ聴く人に特定の予測可能な結果をもたらす。グルジェフは、無宗教の人が修道院にやって来た時の例を挙げている。そこで歌われ演奏される音楽を聴いて、その人は宗教性をもたないにもかかわらず、なぜか「敬虔な祈り」を音楽の流れのなかに感じとることがある。この例では、人間を高い内的状態に導く能力が、「客観的な芸術の特性のひとつ」として定義付けられる。その効果は、人によって程度が異なるだけである。


音楽の持つ客観的な力学について、グルジェフは『ベルゼバブ物語』の中でもう一つの例を挙げている。彼は、特別なシステムに従って調律された普通のグランドピアノで、ある一連の音を繰り返し叩く驚くべき老練なダービッシュについて述べている。


ーーこれらの音はすぐに、聴衆の一人の足に、師匠が予言したとおりの場所にできものを生じさせる。その直後、別の音符の連打でその腫れ物はすぐさま消える。エリコの城壁が破壊されたという伝説は、単に奇跡的な出来事の想像上の物語ではない可能性を考えることはできないだろうか? もしかしたら、ヨシュアは音の振動の特異な性質と効力を知悉していたのかもしれないーー


このように、グルジェフの考えでは、心地よい楽音を楽しむだけでは、いかに深刻で高尚なものであろうと、科学として、芸術として、高次の知識として、そして、人間の成長と進化のために必要な糧としての音楽の究極的な理想には、少しも近づいていないことは明らかなのである。


グルジェフが、真理の体現という本来の神聖な目的を果たす芸術を発見したのは、主にアジアだった。東洋の古代芸術を彼は台本のようにすらすら読むことができた。それは好き嫌いのためではなく、「より深く理解するため」と彼は言った。


しかし、平均的なヨーロッパ人にとっては、ある程度の音楽的教養があっても、東洋音楽はエキゾチックであるが、最後には単調で理解しがたいものに思える。ベートーヴェンの交響曲やシューベルトのリート、あるいは単純な民謡の「内容」を受け取ることができるように思えるのと同じように、私たちはこの音楽のほとんどが「何について」書かれているのか理解できないのだ。


グルジェフは、オクターブ構造は普遍的であるが、東洋の音楽では、西洋人にとって奇妙な方法で分割されている可能性があることを想起させる。基音とオクターブとの間には、4つという少ない分割もあれば、48という多い分割もある。西洋的な考えでは、私たちの知覚は7音のダイアトニックスケールや、ピアノの鍵盤のように等距離にある12音の半音階構造によって制限される。


東洋の音楽は、微分音的な配置によって、私たちの「制限された音階」では到達しえない、かけ離れた感情を呼び起こすことができる、と言われている。にもかかわらず、私たちのほとんどは、それらが調律されていないような音楽というかたちでしか聴くことが出来ない。私達は、アジア人であっても、常日頃から西欧的な音楽の中で生き、それが一般的な概念であると捉えている。


他方、特別な感受性と開放性を持つヨーロッパ人が、東洋音楽のなかに熟考すべき深遠な何かが存在することを肯定しえる何かを発見する可能性が高いことは、紛れもない事実だろう。チベットの僧侶の深い三和音の詠唱、スーフィーのジークルの小声のクレッシェンド、日本の能楽の伴奏の滑舌のよい声音など、これらはすべて、感覚的な印象のみならず、未知なる感情を呼び起こす音楽形式に他ならない。当初の反応はしばらく新奇な感覚として後に残るかもしれない。それでも未だ疑問点は残る。ドミナントからトニックへの進行を追うように、知性により音楽の「構文」を追うことができなければ、その音楽は主観的に完全に受け入れられたのだろうか?


音楽を聴く行為というのは、聴覚により何かを把捉しているように見えて「他言語の構文」を追っているに過ぎない。そして、その語法が一般的なものと乖離するほど、その言語はより難解になり、一般的には受け入れ難いものとなる。

 

してみれば、各地域の文化の壁が、各々の音楽的な語法や言語的な特性を有するがゆえ、純粋な芸術という形で高次の知識を伝えることを阻害していると定義付けられる。しかし、もしかしたら、この真実を追求することが可能な道筋がどこかにみつかるかもしれない。グルジェフの客観的芸術の定義に近づけるような音楽的な事例を、西洋の遺産や伝統から探すのはどうだろう。アンブロジオ聖歌やグレゴリオ聖歌の純粋さと正確さについて思いを馳せるのはどうだろう?


あるいは、ノートルダム派の謎めいたオルガヌムや、15世紀のフランドルの巨匠、ヤコブ・オブレヒトが作曲した、「3」という数の順列を表現した数秘的な声楽ミサに注目すべきかもしれない。J.S.バッハが静謐で瞑想的な殻の中で対位法の難解な謎を探求したライプツィヒの合唱前奏曲や平均律のフーガの芸術を考えてみることはできないだろうか。あるいは、モーツァルトの五重奏曲の、シルクのように滑らかで欺瞞に満ちた表面の下に、音、音程、リズムの組み合わせが、言葉では説明できないような感情を人間の心に呼び起こす秘密が隠されているのではないだろうか?


これらの全般的な疑問は、芸術に関するグルジェフの考えを肯定し、彼自身が作曲した音楽と関連づけようとするとき、特に大きな意味を持つようになる。もちろん、グルジェフの音楽の目的そのものや、それが創作された状況さえも、音楽の捉え方に大きな影響を与える可能性があるということがわかる。



ーーロシアの作曲家、トーマス・デ・ハルトマンとの関わり



グルジェフとロシアの作曲家トーマス・デ・ハルトマンとの関わりはよく知られている。若いデ・ハルトマンは、精神的な教えを求めて1916年にグルジェフのもとを訪れ、彼の弟子となった。グルジェフは訓練された作曲家ではなかったため、デ・ハルトマンもグルジェフの音楽的思考を表現する理想的な補助役となった。


彼はまず、グルジェフの教えの不可欠な部分である聖なる舞曲(ムーヴメント)のために、グルジェフの音楽を調和させ、発展させ、完全に実現することから始めた。数年後、デ・ハルトマンは、ムーヴメントとは独立したグルジェフの音楽作品に同様の方法で協力した。驚くべきことに、これらの後者の作品は非常に数が多く、ほとんどすべてが1925年から1927年にかけて、グルジェフが数年前に研究所を設立したフランスのフォンテーヌブローのプリューレで作曲された。1927年、この音楽活動は終わりを告げ、グルジェフが再び作曲することはなかった。


ド・ハルトマンの貢献の重要性は極めて大きい。実際、デ・ハルトマンの献身的な協力がなければ、グルジェフの音楽的アイデアは私たちが知っているように生まれなかったのではないか、と考える人もいるだろう。しかし、グルジェフの音楽を綿密に研究し、特にデ・ハルトマンがグルジェフと関わる前、関わっていた時、関わっていた後の、グルジェフ自身の膨大な音楽作品と比較すれば、グルジェフの音楽の真の源泉はグルジェフ自身にあったことは明らかである。


もちろん、デ・ハルトマンには洗練された音楽的精神があり、この共同作業ではそれを見事に発揮した。しかし、グルジェフの目的に対する彼の感覚は鋭く、聡い音楽的本能を十分に保ちながら、この仕事のために自らの創造性を昇華させることができた。彼がグルジェフから指示されたメロディーをいかにして上品かつ適切に調和させ、発展させたとしても、本質的な音楽的衝動と、その音楽が呼び起こす独特の感情の質は、一人の人間から生まれたものであることは明らかである。デ・ハルトマンが作曲した各曲の草稿は、グルジェフによって聴かれ、グルジェフがその意図を実現できたと満足するまで、しばしば大幅に修正されることもあった。


デ・ハルトマンは、グルジェフとの作曲過程についての驚くべき記述からも明らかなように、この共同作業における自分の役割について、控えめであるどころか、どちらかと言えば自嘲的であった。デ・ハルトマンはグルジェフとの共同作業について次のように回想している。


ーーゲオルギイ・イワノヴィッチのすべての音楽の一般的なキャッチとメモは、通常、プリーレハウスの大きなサロンまたはスタディハウスのいずれかで、夕方に起こりました。私は演奏し始め、音楽用紙を持って階下に急いで降りなければならなかった。すべての人々がすぐに来て、音楽のディクテーションはいつもみんなの前にありました。


ーー書き留めるのは簡単ではありませんでした。彼が熱狂的なペースでメロディーを演奏するのを聞いたので、私は紙に一度に曲がりくねった音楽の反転、時には2つの音符の繰り返しを走り書きしなければならなかった。しかし、どんなリズムで? アクセントの作り方は? メロディーの流れは、時々止めたり、バーラインで分割したりできませんでした。そして、メロディーが構築されたハーモニーは東洋のハーモニーであり、私は徐々にそれを認識しただけだったのです。


ーー多くの場合、私を苦しめるために、彼は私が表記を終える前にメロディーを繰り返し始め、これらの繰り返しは微妙な違いを持つ新しいバリエーションであり、私を絶望に駆り立てました。もちろん、このプロセスは単なるディクテーションの問題ではなく、本質的なキャラクター、メロディーの非常にノヤウまたはカーネルを「キャッチして把握」するための個人的な練習でした。


ーーメロディーが与えられた後、ゲオルギイ・イヴァノヴィッチはピアノの蓋をタップしてベース伴奏を構築するリズムを演奏しました。その後、私は与えられたものをすぐに演奏し、私が行くにつれて調和を即興で演奏しなければなりませんでした。



Gurdjieff


グルジェフは、ロシア領のアルメニアとトルコの国境にある、豊かな民族と宗教が混在する中心地で生まれ、幼少期を過ごした。少年時代から人間存在の意味について深い疑問を抱いていた。彼は、彼を取り巻く光景や音、特に音楽に対して非常に敏感であった。


深く慕い、『驚くべき人々との出会い』の中で彼が感動的な章を書いている父親は、「アショク」という職業に就いており、彼の民族の古代の伝説の数々を歌や詩で語る吟遊詩人のような存在だった。


これがグルジェフの最も初期の音楽的印象と影響であった。その後、若い学生時代にロシア正教会の聖歌隊で歌った。それ以上の音楽的訓練はほとんど受けていない。しかし、少年時代やその後の旅で吸収した多様な土着の音楽に対する彼の並外れた感受性は、彼自身の作曲に顕著に反映されている。


民謡や舞踊、さまざまな聖職者の宗教的聖歌、エジプトや中央アジア、遠くはチベットの寺院や修道院で耳にした神聖な合唱曲など、ありとあらゆる音楽がグルジェフのスコアのなかには通奏低音のように響き渡る。彼自身の楽器演奏能力については、ギターや、片手で弾き、もう片方の手で空気を送り込む小さなハルモニウムの形をした鍵盤の演奏など、ささやかなものだったようだ。


彼の音楽にはアラビア、イスラム、スラブの独特な音楽性が発見できる。そこには讃美歌の影響があると指摘する識者もいる。現代音楽のシーンでは、グルジェフのアーティスト/ミュージシャンとして再評価の機運が高まっているという話もある。それらのスコアの再構成に取り組むのが、The Gurdjieff Ensemble(グルジエフ・アンサンブル)、そして、ジャズレーベル、ECMである。


The Gurdjieff Ensemble


ドイツの国家観としては、グルジエフの作品をリリースすることは勇気が必要だが、従来から「エスニック・ジャズ」というジャンルを手掛けてきたレーベルは、アラビア、イスラム圏の音楽の伝統性をより良く知るための最適な機会を提供している。The Gurdjieff Ensembleの功績は、グルジェフの音楽の隠れた魅力を発見したことに加えて、単なるオカルティストや神秘主義者の遊戯という領域を超越し、真に芸術的な表現に引き上げようとする挑戦心に求められる。

 

以前は、アラビア、イスラム圏の作曲家は、日の目を見る機会が少なく、軽視されることもあったが、以下に紹介する、グルジエフのスコアの再録のリリースなどの機会を通して、スラブ、アナトリア、イスラム、中央アジアを中心とする文化圏の音楽にも注目が集まることを期待したい。


 


 The Gurdjieff Ensemble & Levon Eskenian『Music of Georges I. Gurdjieff』



 

グルジェフ(1866年頃~1949年)の音楽を民族的なインスピレーション源に立ち返らせる、魅力的で非常に魅力的なプロジェクト。


これまでグルジェフの作品は、西洋ではトーマス・デ・ハルトマンのピアノ・トランスクリプションによって研究されてきた。アルメニアの作曲家レヴォン・エスケニアンは、印刷された音符を越え、グルジェフが旅の間に出会った音楽の伝統に目を向け、その観点から作曲を再編成した。


エスケニアンは、アルメニア音楽、ギリシャ音楽、アラビア音楽、クルド音楽、アッシリア音楽、ペルシャ音楽、コーカサス音楽のルーツに注目している。アルメニアを代表する奏者たちの協力を得て、エスケニアンは2008年にグルジェフ民族楽器アンサンブルを結成し、彼らとともにこの驚くべきアルバムを完成させた。


レヴォン・エスケニアンの楽器編成で私が最も魅力を感じるのは、静寂の荒野でほんのわずかな音への介入を行う際、不必要な "作曲 "や "巧みさ "を排した、極めて綿密で明快な作業アプローチである。グルジェフの音楽の核心には深い静寂があり、それは聖書のコヘレトの書の章、あるいは遠い国の深い静寂が語る真実と関係している。- ティグラン・マンスリアン 

 




Anja Lechner / Vasslis Tsabropoulos 『Chants, Hymns and Dances』



ドイツのチェリスト、アンニャ・レヒナーとギリシャのピアニスト、ヴァシリス・ツァブロプロスによる魅力的な新プロジェクト「聖歌、賛美歌、舞曲」は、「世界の十字路からの音楽」という副題が付けられるかもしれない。グルジェフの作品のなかでは最も室内楽的な響きを持つ。


東洋と西洋、作曲と編曲と即興、現代音楽と伝統音楽の境界線を曖昧にするプロジェクトだ。レパートリーの中心は、古代ビザンチンの賛美歌をインスピレーション源とするツァブロプーロスの作曲と、アルメニア生まれの哲学者・作曲家であるジョルジュ・イヴァノヴィッチ・グルジェフ(1877-1949年頃)の音楽で、コーカサス、中東、中央アジアの聖俗両方のメロディーとリズムを使用している。 ーECM

 


 

 

 

The Gurdjieff Ensemble & Levon Eskenion『Komstas』



  



アルメニアン・グルジェフ民族楽器アンサンブルは、G.I.グルジェフ/トーマス・デ・ハルトマンのピアノ曲を「民族誌的に正統な」アレンジで演奏するために、レヴォン・エスケニアンによって設立された。


ECMからのデビューアルバム『ミュージック・オブ・G.I.グルジェフ』は広く賞賛され、2012年にエジソン賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。今、エスケニアンと彼の音楽家たちは、コミタス・ヴァルダペト(1869-1935)の音楽に注目している。

 

作曲家、民族音楽学者、編曲家、歌手、司祭であったコミタスは、アルメニアにおける現代音楽の創始者であり、コレクターとしての活動の中で、アルメニアの聖俗音楽を独自に結びつけるつながりを探求した。民俗楽器の演奏とインスピレーションに満ちた編曲に焦点を当てたこのアンサンブルは、201年2月にルガーノで録音されたこのプログラムで、コミタスの作曲の深いルーツに光を当てる。ーECM

 



 The Gurdieff Ensemble & Levon Eskenion  『Zartir』

 

 



 

昨年にECMから発売された『Zartir』は、グルジエフの音楽的な遺産を発掘するためのアルバムである。

 

レヴォン・エスケニアンによる注目のアンサンブルのサード・アルバムは、これまでで最も冒険的な作品となった。G.I.グルジェフの音楽を民族楽器のために再生させただけでなく、アシュグ・ジヴァニ、バグダサール・トビール、伝説的なサヤト・ノヴァなど、アルメニアの吟遊詩人やトルバドゥールの伝統の中にグルジェフを位置づけている。これと並行して、神聖な舞踊のための作品に重点を置いた『大いなる祈り』は、グルジェフ・アンサンブルとアルメニア国立室内合唱団との魅惑的なコラボレーションで頂点に達し、複数の宗教の儀式音楽を取り入れている。


アレンジャーのエスケニアンは、「『大いなる祈り』は単なる "作曲 "以上のものだと思います。グルジェフの作品の中で、私が出会った最も深遠で変容的な作品のひとつです」と語る。


『ザルティール』は2021年にエレバンで録音され、2022年11月にミュンヘンでマンフレート・アイヒャーとレヴォン・エスケニアンによってミキシングされ完成した。ーECM





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  スティーヴ・ライヒは、マサチューセッツのジョン・アダムス、シカゴのフィリップ・グラスと共にミニマル・ミュージックの元祖でもある。

 

ライヒはまた日本の現代音楽シーンとも非常に密接な関係を持ってきた人物である。かつて武満徹作曲賞の審査員を務め、それまでこの賞のほとんどはアカデミア、つまり音楽大学で学んだ作曲者に限られていたが、この年、ライヒは、それほど知名度のなかったテープ音楽制作者に賞を与えています。これは、アカデミアの人々からは意外に思える選考となったに違いないが、彼がもたらそうとしたのは、硬化して内輪のものと化したアカデミズムの風潮を刷新しようとする試みであったのでしょう。また、その他にも、武満賞の審査員には面白い人物が列席し、その中には、リゲティ・ジョルジュ、ジョン・アダムス、カイヤ・サーリヤホ、ハインツ・ホリガー、一柳慧、トーマス・アデスがいます。

 

スティーヴ・ライヒは、この作品以前の遊び心溢れる手拍子の音楽『Clapping Music』において、リズムの観点からミニマル・ミュージックの原型を作り上げた後、1980年の『Music For 18 Musicians』でミニマル・ミュージックというジャンルを完成形に到達した。この作品のレコーディングでは、ECMのオーナーのマンフレート・アイヒャーと、また、記憶違いでなければ、複数のジャズ・プレイヤーもレコーディングに参加していました。あまり適当なことは言えませんが、最初期のNew Seriesのカタログにおいて、オーナーのマンフレート・アイヒャーが録音前に、特に完全な名作と見込んでいたのは、エストニアのアルヴォ・ペルトの交響曲群とこのライヒの『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』だったように思えます。フィジカル盤のライナーノーツには、実際のレコーディングの風景の写真が載せられているが、 写真からは相当な緊張した雰囲気が見て取ることができます。特に、ピアノ、ビブラフォン、シロフォン、ダブルベース、クラリネット、フルート、チェロ、バイオリン、ビオラといった演奏者レコーディングに参加したジャンルレスのプレイヤーたちは、この録音が伝説的なものとなることを確信しており、まさに後はレコーディングが終わるのを待つだけだった。そしてこの作品に参加した伝説的な奏者はそれを見事な集中力を保ち、完璧にやり遂げてみせたのです。

 

スティーヴ・ライヒが音楽学んだのは、マイルス・デイヴィスを輩出したニューヨークの名門、ジュリアード音楽院。20世紀、このアカデミアでどのような音楽教育が実践されていたかまでは定かではありませんが、ライヒの作曲技法の核心にあるものは、”変奏-Variation”であると思われます。


そして、このバリエーションが出来ないと古典音楽の作曲の世界ではお話にすらなりませんでした。なぜなら主題は常に変奏され繰り返されるからです。また、最初の楽章と対になる次の楽章はドイツ・ロマン派の時代には調性という側面でコントラストを作る必要があった。イタリアのボローニャ大学の教授を務めたウンベルト・エーコが『美の歴史』と『醜の歴史』で指摘しているように、対比というのは西洋の古くからの美学のひとつ。そこで、スティーヴ・ライヒは簡素な短いモチーフを徹底的に繰り返していきますが、徹底的にモチーフの変奏を繰り返しながら、独特なエネルギーを生み出し、また、その途上で、リズムすら複雑に変奏させることで、曲の後半には曲の始まりとまったく異なる音楽に変容させる。その幻惑に聞き手は驚異を覚えるのです。

 

『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』の3つの楽章では、それぞれ短いモチーフを原型に、広い音域を持つオーケストラ楽器によって多彩なバリエーションが繰り広げられる。バスクラリネットのような低い音域の楽器からピッコロ・フルートのような高い音域の楽器までが幅広く網羅されています。こういった形容が妥当かはわかりませんが、音楽の歴史の中で最も色彩に富んでいると言えるのではないでしょうか。そして、ライヒがこの名作で求めたのは、旧来の古典音楽の形式で見過ごされてきた技法の拡張性にあろうかと思われます。このミニマル・ミュージックの素地は、バッハの『平均律クラヴィーア』、ベートーヴェンの『月光』の反復性に見られ、実はピアノ音楽としては中世の時代から普通に親しまれてきた技法でもあった。ライヒは管弦楽法により、20世紀の時代に即した形で新しく推進させようとしたのです。

 

但し、スティーヴ・ライヒは、これらの古典的な音楽の作風とは本作において一定の距離を置いている。それはある意味では、インテリアの家具のような洗練さを思わせ、また建築物の設計上の数学性を思わせる。かつて、フランスの近代作曲家のモーリス・ラヴェルは、アーノルト・シェーンベルクの音楽を「数学のようであり建築のようでもある」と称していたと思うが、それは、作曲者としての羨望や負け惜しみも少なからずあったかもしれませんが、12音技法を称賛しつつも音楽の本来の魅力である情感に乏しい点を指摘していたとも読み取れます。そして、この現代音楽の作曲における数学性をセンスの良い形、情感溢れる形、さらに言えば、音楽に詳しくないリスナーにも楽しめるような形でライヒは繰り広げようとしました。今作でのセンスの良さ、それはニューヨークの洗練されたジャズ・シーンに親しんできたのがひとつ、今ひとつは、アフリカの民族音楽のような前衛的なリズムの核心を上手く吸収しているからなのです。これらの三つの楽章の目的は、楽譜を忠実に再現する複数のプレイヤーの演奏から緻密に織りなされる対位法的な複数の声部の重なりが立体的な音響の集合体を生み出すことにあります。また、生命的なエネルギーの集合体を作り出そうとしたとも言えるでしょう。

 

この3つの楽章を聴いてわかるとおり、旋律の微細なバリエーションの連続によって、そして、リズムを微妙にずらしシンコペーションを多次元的に組み上げていくことにより、ダンス・ミュージックやロック・ミュージックで言われる、パワフルな”グルーブ感”を生み出される。これはまさに以前の『Clapping Music』で行われたリズムの変奏の実験性がカウンターポイントと緊密に合致することで、未曾有の現代音楽がこの世に生み出された瞬間でもあったのです。そして、このグルーブ性が、クラブ・ミュージックやダンス・ミュージックのファンがこれらの楽章を初めて聞いた時に親近感をおぼえる理由でもあります。そして、それは終盤には強拍と弱拍の境目が希薄となり、リズムレスの領域に差し掛かる。つまり、例えばストラヴィンスキーの『春の祭典』のように、強拍と弱拍が複数の次元に多数存在するようにも聴こえるのです。

 

音符のひとつひとつの配置が難解な数学のように細かいので、果たして、この中に鏡式対位法のような技法が取り入れられているのかまではわからないものの、少なくとも、これは対位法の音楽のエクストリームともいえる作品です。そして、副次的な声部と副次的なリズムを重ね、多次元的な音楽を生み出したこと。これが、スティーヴ・ライヒが歴史に残るべき偉大な作曲家であり、ジャンルを問わず後世の音楽家に触発を与えつづける要因ではないでしょうか。本来のリズム(拍動)の定義である”ビートは一定である”という概念をこの作品で覆し、既存の音楽には存在しえない作曲技法を生み出してみせた功績はあまりに偉大です。

 

近年では、ロック・ミュージックの中に、ライヒやグラス、アダムスのミニマル・ミュージックの影響を取り入れるバンドが数多く出てきました。一例では、ロンドン、マンチェスターのBlack Country,New RoadやCarolineが挙げられます。これはかつて現代音楽を一つの側面から解体し、新しいものを生み出したミニマル・ミュージックの影響が今なお大きいことを明かし立てているようです。そして、ミニマル・ミュージックといったいなんなのか、そのニュアンスを掴むための最高の作品、それがライヒの『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』なのです。


Tower Records/disc union

 

Keith Jarret  『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』

 

 

 

 

 Label : Lantower Records

 Release Date: 2023年1月2日

 

 

Review


 米国のジャズ・ピアニストの至宝、キース・ジャレットは、間違いなく、ビル・エヴァンスとともにジャズ史に残るべきピアニストのひとりである。

 

 若い時代、ジャレットはマイルス・デイヴィスのバンドにも所属し、ECMと契約を結び、ジャズとクラシックの音楽を架橋させる独創的な演奏法を確立した。その後、90年代になると、難病の慢性疲労症候群に苦しんだけれども、最愛の妻の献身的な介抱もあってか、劇的な復活を遂げ、『The Melody At Night,With You」(ECM 1999)という傑作を作りあげた。ピアニストの過渡期を象徴するピアノ・ソロ作品には、その時、付きっきりで介抱してくれた最愛の妻に対する愛情を込めた「I Love You, Porgy」、アメリカの民謡「Sherenandoah」のピアノ・アレンジが収録されている。2000年代に入ってからも精力的にライブ・コンサートをこなしていたが、数年前に、ジャーレットは脳の病を患い、近年は神経による麻痺のため、新たに活動を行うことが困難になっている。そして、残念ながら、コンサート開催も現時点ではのぞみ薄で、昨年発売されたフランスでのライブを収録した『Bordeaux Concert(Live)』もまた、そういった往年のファンとしての心残りや寂しさを補足するようなリリースとなっている。

 

 ジャレットの傑作は、そのキャリアが長いだけにあまりにも多く、ライブ盤、スタジオ盤ともにファンの数だけ名盤が存在する。ライブの傑作として名高い『ケルン・コンサート」は、もはや彼の決定盤ともいえようが、その他、『At The Deer Head Inn』がニューオーリンズ・ジャズのゴージャスな雰囲気に充ちており、異色の作品と言えるかもしれないが、彼の最高のライブ・アルバムであると考えている。また、ECMの”NEW SERIES”のクラシック音楽の再リリースの動向との兼ね合いもあってか、これまで、ジャレットは、バッハ、モーツァルト、ショスターコーヴィッチといったクラシックの大家の作品にも取り組んでいる。クラシックの演奏家として見ると、例えば、ロバート・ヒルのゴールドベルク、オーストリアの巨匠のアルフレッド・ブレンデル、その弟子に当たるティル・フェルナーの傑作に比べると多少物足りなさもあるけれど、少なくとも、ジャレットはジャンルレスやクロスオーバーに果敢に挑んだピアニストには違いない。彼は、どのような時代にあっても孤高の演奏家として活躍したのである。

 

 今回、リリースされた70年代でのスウェーデンのフル・コンサートを収録した『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』は、今作のブートレグ盤の他にも別のレーベルからリリースがある。私はその存在をこれまで知らなかったが、どうやらファンの間では名盤に数えられる作品のようで、これは、キース・ジャレットがECMに移籍した当初に録音された音源である。もちろん、ブートレグであるため、音質は平均的で、お世辞にも聞きやすいとは言えない。ノイズが至る箇所に走り、音割れしている部分もある。だが、この演奏家の最も乗りに乗った時期に録音された名演であることに変わりなく、キース・ジャレットのピアノ演奏に合わせて聴こえるグレン・グールドのような唸りと、演奏時の鮮明な息吹を感じとることが出来る。

 

 また、本作は、40分以上に及ぶストックホルム・コンサートは、ジャレットの演奏法の醍醐味である即興を収録した音源となっている。意外に知られていないことではあるが、最後の曲では、ジャレット自ら、フルートの演奏を行っている。そして、素直に解釈すると、本作の聞き所は、ジャズ・ピアノの即興演奏における自由性にあることは間違いないが、着目すべき点はそれだけにとどまらない。すでに、この70年代から、ジャレットは、バッハの「平均律クレヴィーア」の演奏法を、どのようにジャズの中に組み入れるのか、実際の演奏を通じて模索していったように感じられる。音階の運びは、カウンターポイントに焦点が絞られており、ときに情熱性を感じさせる反面、グレン・グールドの演奏のように淡々としている。ただ、これらの実験的な試みの合間には、このジャズ・ピアニストらしいエモーションが演奏の節々に通い始める。これらの”ギャップ”というべきか、感情の入れどころのメリハリに心打たれるものがある。

 

 それらは、高い演奏技術に裏打ちされた心沸き立つような楽しげなリズムに合わせて、旋律が滑らかに、面白いようにするすると紡がれていく。さらに、二曲目、三曲目と進むにしたがって、演奏を通じて、キース・ジャレットが即興演奏を子供のように心から楽しんでいる様子が伝わってくるようになる。公演の開始直後こそ、手探りで即興演奏を展開させていく感のあるジャレットではあるが、四曲目から五曲目の近辺で、がらりと雰囲気が一変し、ほとんど神がかった雰囲気に満ち溢れてくる。それは目がハッと覚めるような覇気が充溢しているのである。

 

 コンサートの初めの楽しげなジャズのアプローチとは対象的に、中盤の四曲目の演奏では、現代音楽を意識したアヴァンギャルドな演奏に取り組んでいる、これは、60年代に台頭したミニマル・ミュージックの影響を顕著に感じさせるものであり、フランスの印象派の作曲家のような色彩的な和音を交えた演奏を一連の流れの中で展開させ、その後、古典ジャズの演奏に立ち返っていく様子は、一聴に値する。更に、続く、五曲目の即興では、ラグタイムやニューオーリンズの古典的なジャズに回帰し、それを現代的に再解釈した演奏を繰り広げている。続く、六曲目では、ジャレットらしい伸びやかで洗練されたピアノ・ソロを楽しむことが出来る。

 

 そして、先にも述べたように、最後のアンコール曲では、フルートのソロ演奏に挑戦している。これもまた、このアーティストの遊び心を象徴する貴重な瞬間を捉えた録音である。楽曲的には、民族音楽の側面にくわえて、その当時、前衛音楽として登場したニュー・エイジ系の思想や音楽を、時代に先んじてジャズの領域に取り入れようという精神が何となく窺えるのである。


 この70年代前後には、様々な新しい音楽が出てきた。そういった時代の気風に対して、鋭い感覚を持つキース・ジャレットが無頓着であるはずがなく、それらの新鮮な感性を取り入れ、実際に演奏を通じて手探りで試していったのだ。いわば、彼の弛まぬチャレンジの過程がこのストックホルム・コンサートには記されている。また、後に、ジャズ・シーンの中でも存在感を持つに至るニュー・ジャズの萌芽もこの伝説のコンサートには見いだされるような気がする。

 

 


 Steve Tibbetts


 

スティーヴ・チベッツは、アメリカのギタリスト兼作曲家。アートスクールに在学していた時代からギターの多重録音に夢中になり、その後、ドイツのECMと契約を交わし、これまで多数の作品をECMからリリースしている。

 

スティーヴ・チベッツは、レコーディングスタジオをサウンドを作成するためのツールとみなしている。チベッツの楽曲は、ニューエイジ、アンビエント、ワールド・ミュージック、実験音楽と、幅広いサウンドの特徴を持つ。

 

特に、チベッツの楽曲性として顕著なのは、ギターの多重録音である。複雑なループディレイ、ディケイのサウンド処理を施した録音の素材を幾重にもダビングさせ、独特なミニマル色の強いギター音楽へ昇華する。彼のギター演奏が特異なのは、ライブの演奏のためでなく、それをレコーディング、完成されたプロダクションのためにループエフェクトをプログラミングとして用いていることである。

 

スティーヴ・チベッツは、自身の楽曲について「ポストモダンのネオプリミティヴィズム」と称している。ギターのチョーキングを駆使し、周囲のサウンドスケープと電気的な歪みを交互に繰り返しながら、インドの民族楽器”サーランギー”のようなサウンドを生み出す。 また、スティーヴ・チベッツはギターの他に、ケンダンやカリンバといった民族楽器を演奏することでも知られている。

 


 

1999 Choying and Steve, Walker Art Center
 

 

 

 

Steve Tibbettsの主要作品

 

 

 

・「Northern Song」1981    

 

 

 


スティーヴ・チベッツの最初期の名盤として挙げられる。1981年のノルウェー、オスロでエンジニアにヤン・エリック・コングショーマンを迎えて録音が行われた作品。彼のアコースティックギタリストとしての才覚が花開いたECMと契約を結んで最初にリリースされた作品である。

 

このスタジオ・アルバムで、スティーヴ・チベッツこれまでのアコースティックギターの可能性を押し広げている。

 

弾くというより、撫でるような繊細なギターのフィンガーピッキングの演奏に加え、詩的でナチュラルなアコースティックギターの演奏を堪能できる作品。チベッツは、フォーク音楽の革新性をワールド・ミュージック寄りのアプローチを行うことにより、楽曲をアンビエントに近い領域まで推し進めている。

 

1981年という年代には、ギターアンビエントというジャンルが存在しなかったはずだが、その音楽性をここでスティーヴ・チベッツは世界で初めて取り入れていることに驚かずにはいられない。

 

スティーヴ・チベッツの生み出すギター音楽は、瞑想的であり、沈思的であり、独創性に飛んでいる。最後に収録されている「Nine Doors/ Breaking Space」は、ギター演奏のミュートのニュアンスを徹底的に突き詰めていった民族音楽の色合いが強く引き出された楽曲であるが、それと同時に、Fenneszのようなアンビエントギターを世界に先駆けて発明した伝説的な名曲でもある。




   

 

 

 

・「Safe Journey」 1983


 

 


上記の「Northern Song」が、もしかりに地ベッツのアコースティックギタリストとしての傑作だとするなら、「Safe Journey」はエレクトリックギタリストとしての名盤として挙げられる。

 

この作品においてチベッツは、エレクトリック・ギターのテープループを用いた多重録音、コンガ、カリンバ、スチールドラムといった民族音楽をリズム的に取り入れることにより、これまでに存在しなかった電子音楽寄りの民族音楽を生み出している。

 

このアルバムでのスティーブ・チベッツの速弾きのテクニックは、ハードロック色を感じさせる熱狂性が込められていることはよく指摘される。これは「The Fall of Us」から突き進めてきたエレクトリックギタリストとしての完成形、究極形が提示されている。

 

特に一曲目の「Test」では、ヴァン・ヘイレン、ヘンドリックスに引けを取らない凄まじいギターテクニックがインドの打楽器タブラとともに狂乱的に繰り広げられる様はほとんど圧巻というよりほかない。その他にも、「Version」「Any Minute」といった民族音楽の色合いが強い独特な楽曲が収録されている。彼の作品の中では特に民族音楽の性格が絶妙に引き出された作品である。




 

 



 

・「A Man About A Horse」2001

 

 

 


スティーヴ・チベッツの作品の中では、最高傑作のひとつに挙げられることが多い作品である。

 

アルバムジャケットの海に釣り上げられたバクバイプが燃やされた象徴的なアートワークも衝撃的であり、実際の音楽性についても独特や特異といった性質を越えた前衛音楽をスティーヴ・チベッツは生み出している。これまで、アフリカ、インドといった様々な民族音楽を取り入れてきたチベッツは、この作品において、自身の活動名の由来であるチベットの宗教音楽へと踏み入れている。

 

「A Man About A Horse」には、チベット地域の宗教音楽を特異なアンビエンスとして取り入れた楽曲が数多く収録されている。マントラをはじめとする、チベット高地発祥の宗教音楽を、アンビエントという側面から西洋的解釈を試み、そこに彼らしいギター音楽に昇華した作品である。

 

「Burning Temple」に代表されるように、東洋と西洋の概念を融合させたような楽曲がこのスタジオ・アルバムには多数収められており、アンビエント音楽とチベット密教の宗教音楽を融合させた静謐な楽曲群は、これまでにないジャンルがこの世に生み落とされた瞬間と言えるかもしれない。「A Man About A Horse」に収録されている楽曲は当時、ニューエイジという名で呼ばれていたようだが、そういった枠組みで収まりきる音楽ではなく、精神的な音楽といえる。

 

また、最終曲の「Koshala」での、静と動、緩急をまじえた楽曲、最終盤部でのタブラの狂気的なパーカッション、チベットボウル、ほとんど鬼気迫る勢いで繰り広げられるギター演奏のミニマリズムがかけあわさることにより,独特な内向きの渦のような凄まじいエネルギーが生み出される。

 

2002年というリリースされた年代を考えると、「A Man About A Horse」は、虐げられるチベットの民族、それから、チベット密教へのギター音楽を通しての「精神的な讃歌」ともとれなくもない。






・この作品の他にも、Steve Tibbettsがチベット仏教の尼僧Choying Drolmとコラボレーションを行った1997年の「Cho」では、Nagi寺院の尼僧たちのチベット語による美しい歌声を聴くことが出来る。

 

昨今のチベット・ウイグル自治区の情勢を鑑みると、今後、重要な歴史的資料ともなりえるかもしれない。

 

チベット周辺の文化の研究を行っている方には、密教のマントラのミュージックライブラリーと合わせて是非聴いてみていただきたい作品である。「Cho」は、Rikodiscというワーナー傘下のレーベル”Rhino"からリリースであるため、ここでは、取り上げないことをお許し願いたい。


 Enrico Rava

 

 

エンリコ・ラヴァは、1939年、イタリア、トリエステ生まれのトランペット奏者。最早トランペットの巨匠といっても差し支えないアーティスト。


Enrico Rava.com

 

マイルス・デイヴィスの影響下にある枯れた渋みのあるミュート、対象的な華やかなブレスのニュアンスを押し出したトランペット界の大御所プレイヤー。1960年代からアーティストとして活動をおこなっています。元々、トロンボーン奏者としてキャリアをあゆみはじめたエンリコ・ラヴァは、マイルス・デイビスの音楽性に触発され、トランペット奏者に転向する。

 

エンリコ・ラヴァのキャリアは、ガトー・バルビエリのイタリアン・クインテットのメンバーとして始まった。1960年には、スティーヴ・レイシーのメンバーとして活躍。1967年に、 エンリコ・ラバは活動の拠点をイタリアからニューヨークに移し、ソロトランペッターとして活動を行っています。



 

 取り分け、エンリコ・ラヴァのトランペットプレイヤーとしての最盛期は1960年代から70年だいにかけて訪れました。ジョン・アバークロンビー、ギル・エヴァンス、パット・メセニー、ミロス、ヴィトウス、またポール・モチアンといったECMに所属するジャズ界の大御所との仕事が有名。

 

また、イタリア、ペルージャで開催される「ウンブリア・ジャズ・フェスティヴァル」でのジャズ教育の20周年記念としてバークリー音楽大学から名誉博士号を授与されています。

 

 

 

 

 

・Enric Ravaの主要作品


トランペット奏者としての最盛期は他の時代に求められるかもしれませんが、ジャズのコンポーザーとしての最盛期はむしろ1990年代から2000年代にかけての作品に多く見いだされる遅咲きのトランペット奏者。マイルス・デイヴィス直系の枯れた渋みのあるミュートブレスが特徴のイタリアの哀愁を見事に表現するプレイヤー、ほかにも、「Italian Ballad」等、イタリアのトラディショナル音楽の名トランペットカバー作品をリリースしているラヴァ。ここで列挙する作品はプレイヤー、そしてコンポーザーとして最盛期を迎えた2000年代のジャズの名作群に焦点を当てていきます。



 

 

「Easy Living」2004  ECM Records

 

 

 

1.Cromomi

2.Drops

3.Sand

4.Easy LIving

5.Algir Dalbughi

6.Blancasnow

7.Traveling Night

8.Hornette And The Drums Thing

9.Rain


 

 

それまでビバップ・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズといった様々な実験性を見せてきたエンリコ・ラヴァではありますが、意外に自身のイタリアンバラッドとも呼べる独自の作風を確立したのは六十を過ぎてから、2000年代、つまり、ドイツのECMからリリースを行うようになってからといえるかもしれません。全盛期の華美なトランペットの奏法を踏襲しつつ、枯れた渋みのあるミュートブレスを演奏上の特質としたプレイをこの年代から追求していくようになりました。これは彼の最初の原点ともいいえるマイルスのジャズの歴代で見ても屈指の大傑作「Kind Of Blue」時代のジャズ・トランペットの原点ともいえる基本的技法に立ちかえり、そして、それを自身のルーツ、イタリアの伝統音楽の持つ独特な哀愁とも呼ぶべき風味をそっと添え、エンリコ・ラヴァらしい作風を、この作品において確立したといっても差し支えないでしょう。



 

特に、エンリコ・ラヴァの代名詞的な一曲「Blancasonow」はこの後の「New York Days」で再録されより甘美な演奏となってアレンジメントされていますが、アルバム全体としてみても、エンリコ・ラヴァらしいバラッド、それが非常にゴージャスかつ上質な雰囲気が漂っている傑作の一つです。これ以前の「Italian Ballad」でのバラッド曲の影響下にある枯れた渋みのある独特な演奏を味わえる作品。非常に落ち着いた作風であり、この年代にして備わったトランペッターとしての貫禄は他のプレイヤーには見出しづらい。

 

長年、アヴァンギャルド奏法をたゆまず追求してきたからこそ生み出されたトランペットの装飾音、独特な駆け上がりの技法の凄さは筆舌に尽くしがたいものがあります。既に技法をひけらかすという領域は越えており、楽曲の良さを生み出すためにそれらのアバンギャルドな技法が駆使されているあたりも、まさに「Easy Living」というタイトルにあらわされているとおり、大御所エンリコ・ラヴァの貫禄、余裕ともいうべきもの。楽曲としてのおしゃれさ、そしてBGMのような聞き方も出来る作品のひとつです。



 

 

 「Tati」2008 ECM Records

 

 

 

 

 

1.The Man I Love

2.Birdsong

3.Tati

4.Casa di bambola

5."E lucevan le stelle"

6.Mirrors

7.Jessica Too

8.Golden Eyes

9.Fantasm

10.Cornettology

11.Overboard

12.Gang Of 5

 

 

同郷イタリアのジャズ・ピアニスト、ステファノ・ボラーニ、そして、こちらも伝説的なジャズドラム奏者、ポール・モチアンが参加したプレイヤーの名だけ見てもなんとも豪華な作品。ここではより前作「Easy Living」よりも抑制の聴いた叙情性溢れる素敵なジャズ作品ともいうべきでしょう。

 

特に、今回、ステファノ・ボラーニの参加は、よりエンリコ・ラヴァの作品に美しい華を添えています。特に「Bird Song」「Tati」といった楽曲では、ボラーニの演奏の美麗さが前面に引き出された作品で、そこにエンリコ・ラヴァが水晶のような輝きを持つフレージングにより、より楽曲に甘美な雰囲気をもたらす。



 

エンリコラヴァの演奏はボラーニのピアノ演奏にたおやかで深いエモーションを与える。聴いていると、なんとも、陶然とした気分になる楽曲が多く収録されている傑作。

 

モダンジャズというと、前衛的な演奏を主に思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。でも、実は全然そうではなく、落ち着いた安心した雰囲気を擁する作品も多く存在するということを、今作は象徴づけています。美しいジャズ、上品なジャズをお探しの方に、ぜひおすすめしておきたい傑作です。



 

 

 

 

「New York Days」2009  ECM Records

 

 



1.Lulu

2.Improvisation Ⅰ

3.Outsider

4.Certi angori sergeti

5.Interiors

6.Thank You,Come Again

7.Count Dracula

8.Luna Urbana

9.Improvisation Ⅱ

10.Lady Orlando

11.Blancasnow



「New York Days」という2009年に発表されたエンリコ・ラヴァの集大成ともいえる作品は、ECMレコードの代表作であるばかりでなく、ジャズ史に燦然と輝く名作の一つとして紹介しても良いという気がしています。それは私が、今作を上回る甘美なジャズを聴いたことがないというごく単純な理由によります。マーク・ターナー、ラリー・グレナディア、そして、長年の盟友ともいえる、ポール・モチアンの今作品への参加というのも、この上ない豪華ラインアップを形成しています。いずれにしましても、このアルバムに収録されている「Lady Orland」という楽曲、及び、最終曲「Blancasnow」の再録は、個人的には歴代のトランペット奏者の中で唯一、マイルス・デイヴィスの「Kind Of Blue」での神がかりの領域に肩を並べたともいえる作品であり、ジャズ好きの方はぜひとも一度は聴いていただきたい傑作のひとつ。



 

もちろん、エンリコ・ラバの演奏力は、ついに70歳にして最盛期を迎えたといえ、独特なアバンギャルド的な奏法、トリルを交えた駆け上がりのような独自のアヴァンギャルド奏法が駆使された作品。

 

全体的な作風といたしましては、上掲した二作の延長線上に有り、なおかつ、そこに現代トランペッターとしての並々ならぬ覇気のようなものが宿った凄まじい雰囲気を持つアルバム。もちろん、上二曲のような甘美なモダンジャズの風味もありながら、「Outsider」において、再びアヴァンギャルドジャズに対する再挑戦を試みた前衛的なジャズも収録されているのが聞き所。

 

トランペットと、サクスフォーンのスリリングな合奏についてはマイルスの全盛期を彷彿とさせる、いや、それどころか、それを上回るほどのすさまじい熱曲的なプレイ。何をするにも、年齢というのは関係ないのだ、ということを、はっきりと若輩者として、この作品のエンリコラヴァというプレイヤーに教え諭された次第。

 

ジャズというのは、古いライブラリー音楽というように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品を聴けば、それは大きな思い違いにすぎず、今なお魅力的な現代音楽のひとつ、いまだプログレッシヴな音楽であることをエンリコ・ラバはみずからの演奏によって見事に証明づけています。何らかの評論、措定をするのが虚しくなる問答無用のモダン・ジャズの21世紀の最高傑作としてご紹介させていただきます。



ECM Records





ECMレコードは、1969年、ドイツ、ミュンヘン本拠のレコード会社。元々、ベルリン・フィルのコントラバス奏者であったマンフレート・アイヒャーが西ドイツ時代に設立。ユニバーサルミュージックグループの傘下に当たる。

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ECMは、元々、ジャズを中心とした作品をリリースを行っていた。しかし、近年では「NEW SERIES」という現代音楽や実験音楽を中心とするカタログもリリースされるようになった。このドイツの名門レーベルのコンセプトは、「音の静寂」にあり、レコーディングの音源として音の透明感を出すかに焦点が絞られている。また、アルバムジャケットデザインも専属のカメラマンを雇い、鑑賞者に問いかけるかのようなアート色のつよい個性的なデザインを特色とする。

ECMは、これまでの五十年以上のレーベル運営において、音楽史として欠かさざる作品を多くリリースしている。例を挙げれば枚挙にいとまがないが、キース・ジャレット、パット・メセニー、チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、ヤン・ガルバレクといったジャズの巨匠の作品はもちろん、現代音楽作曲家の巨匠、スティーヴ・ライヒ、アルヴォ・ペルト、ヴァレンティン・シルベストロフ、カイヤ・サーリアホの音源作品、ジョン・ケージ、モートン・フェルドマンといった近代作曲家。あるいは、アンドラーシュ・シフをはじめとするクラシック音楽の著名な演奏家の作品リリースも行っている。特に、シフの作品では、これまでの近代の名ピアニストが途中で断念してきたベートーベンのピアノ・ソナタ全録音をシリーズ化してリリースしている。

つまり、ECMレコードは、ジャズの領域のみならず、民族音楽、ニューエイジ、アンビエント、クラブ・ミュージック、現代音楽、古典音楽というふうに、メインカルチャーからカウンターカルチャーに至るまで広範な歴史的文化事業を「音源の録音リリース」という側面で五十年もの間支え続けている。

厳密に言えば、この世に「音楽の博物館」というのは存在しませんが、ECMレコードはその役割を十分、いや十二分に果たしている。新旧問わず、歴史的音源を網羅してリリースを行うのが、ECMというミュンヘンのレーベルである。もちろん、その中には、クラブ・ミュージックのアーティスト、しかも、きわめて前衛的な作品リリースも含まれていることも付け加えておかねばならないはず。

この大多数のジャンルレスにも思えるECMのカタログ作品の中に通じているのが、マンフレート・アイヒャーがECMの設立時に掲げたコンセプト「澄明な静寂性」という概念。これはこの五十年、一度も覆されたことのないこのレーベルの重要なコンセプトでもある。実際に、このECMのレコーディングの音には、他のレーベルにはない雰囲気、アルヴォ・ペルトの自身の作品についての説明の半分受け売りとなってしまうが、「プリズムのような輝き」が込められている。

そして、ときに歴史的に重要な作品のリリースの際は、マンフリート・アイヒャーが直々にエグゼプティヴ・プロデューサーとして作品を手掛けている。特に、彼のベルリン・フィル時代からのレコーディングに対する知見は群を抜いており、どの場所にマイクロフォンを設置すれば、どのような音が録音出来るのか、また、どのようなエフェクト処理を施せばどのような音が表れ出るのかを熟知しているのが、レコーディング・エンジニアのマンフレート・アイヒャー。

これまでのECMカタログ中には、無数の魅力的な作品、また、あるいは歴史的な名盤が目白押しといえますが、このカタログから重要なアーティストのリリース年代に関わらず拾い上げていきたいと思います。概して、ECMレコードのリリースは、現代ジャズの入門のみならず、現代音楽、民族音楽、ニューエイジ。といった一般的にはそれほど馴染みのないジャンルへの入り口として最適です。


Vol.1  Arvo Part


ECMレコードの設立者、マンフリート・アイヒャーの長年の盟友のひとりであるアルヴォ・ペルト。

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御存知の通り、説明不要の現代音楽家の巨匠であり、高松宮殿下記念世界賞も与えられている作曲家、アルヴォ・ペルトは、エストニアの現代作曲家であり、ミニマリズムの学派に属しています。若い時代からタリン音楽院で学び、非常に多作な作曲家だったようです。その後、正教会のキリスト教の信仰に目覚め、独特な作風を確立する。特に、聖歌や教会でのミサ曲などを中心に作曲を行っている。

基本的には、ミニマリズムの学派としての作風でありながら、グレゴリオや古楽の楽譜を専門的に研究し、作曲中にも原始的な教会旋法が取り入れられており、アントニオ・ヴィヴァルディに代表されるイタリア古楽との親和性も見いだされる作風。ペルトの主要な交響曲、合唱曲、ミサ曲においてはロシア正教の形式に則ってラテン語が使用されている。アルヴォ・ペルトは、これまでの自身の作風について、「プリズムの反射」というように説明しており、和声的な作曲法でなくて、ポリフォニー的な作曲法を中心に据えている。フーガ形式、あるいはアントン・ブルックナーのような単一の楽節の反復性、さらにいえば、それらの楽節の要素を最小限まで縮小したミニマルな単位(単音)が頻繁に繰り返される点がアルヴォ・ペルトの主要な作風。若い時代から、マンフレート・アイヒャーの盟友で、ECMを中心に次作の交響曲、声楽曲、弦楽曲のリリースを行っている。スティーブ・ライヒと共にECMを代表する作曲家です。



・Arvo Partの主要作品


「Arvo Part: Tabula Rasa」 1984







1.Fratress
2.Cantus In Memory Of Benjamin Britten
3.Fratress-For 12 Celli
4.Tabula Rasa Ⅰ.Ludus-Live
5.Tabula Rasa Ⅱ.Silentium-Live 



アルヴォ・ペルトが、なぜミニマリズムの学派に属するのかその理由を示し、あるいは、また、アルヴォ・ペルトという現代音楽作曲家の作風を掴むのに最も適した作品が「Tubula Rasa」です。

ここでは、ピアノとバイオリンを交えた室内楽として、この作品を楽しむ事ができます。レコーディングにはキース・ジャーレットが参加し、ピアノの演奏をしているというのも豪華。ここでは、グレゴリア聖歌からの影響、単旋法というペルトの音楽を知る上では欠かさざる要素を読み取ることが出来ます。

アルヴォ・ペルトの代表的な楽曲のひとつ「Fratres」は、弦楽としての単旋法の導入というのが現代音楽として作曲法としても弦楽技法的にも大きな革新性をもたらした傑作です。もちろん、キース・ジャレットは、バッハの平均律クラヴィーアやモーツアルトのリリースもECMから行っているように、ジャズ・ピアニストでありながら古典音楽に対する深い理解があり、ここではジャズでなく「古典音楽ピアニスト」としてのキース・ジャレットの演奏を堪能することが出来る。そして、ペルトの楽曲に高級な雰囲気を添えているのが名ヴァイオリニストのGidon Kremerです。また、これまでのキャリアの中での屈指の名曲「TubraRasa  Ⅱ.Silentium」も反復性に重点を置いたペルトらしい名曲といえ、ここでは抑制のとれたチェレスタの演奏、そしてバイオリンの芳醇な響きを味わう事が出来ます。


「Te Deum」 1993




1.Te Deum

2.Silouans Song

3.Magnificat

4.Berliner Messe:Kyrie

5.Berliner Messe:Gloria

6.Berliner Messe:Ester Alleluiavers

7.Berliner Messe:Zwaiter Alleluiavers

8.Berliner Messe:Veni Sancte Spiritus

9.Berliner Messe:Credo

10.Berliner Messe:Sanctus

11.Berliner Messe:Angus Dei


そして、上記二作とは異なり、アルヴォ・ペルトの宗教曲の魅力を堪能出来るのが「Te Deum」です。ここでは聖歌の厳格な形式に則って作曲が行われています。これまでグレゴリア、教会旋法、あるいは古楽の楽譜を長年にわたって研究してきたペルトの集大成ともいえる宗教曲です。Te Deumは、イムヌスに分類されるラテン語の聖歌の一。ペルトのロシア正教の深い信仰性により、これらの楽曲は、かつてのバッハの宗教曲のような荘厳な響きを現代に復活させています。エストニア室内合唱団は、ペルトの合唱曲の多くに参加している合唱団で、ここでは深い正教の信仰性に培われた精神、概念というのが、合唱のハーモニクスにより表現されているように思えます。

「Te Deum」では、ヨハン・セバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」にも比する荘厳な音響の世界が形作られている。しかし、それは宗教という狭い空間にとどまらず、またその他の領域にも開かれた現代的な雰囲気を持つ。

ここでペルトは、長年の正教の信仰からの精神性、古典音楽の系譜を受け継いだ上でそれを現代音楽として、あるいは現代の宗教曲として見事に体現してみせています。「Te Deum」は、ECMのカタログの中でも屈指の名作のひとつと言えるでしょう。これまでの現代音楽が無調という一般的印象を払拭し、中世のバロック音楽、それ以前の教会旋法を大胆に取り入れた作品です。


「Fur Alina」1999




1.Spiegel im Spiegel version for Violin and PIano

2.Fur Alina

3.Spiegel im Spiegel version for Cello and Piano

4.Fur Alina- Reprise

5.Spiegel im spiegel version for Violin and Piano/Reprise


アルヴォ・ペルトは、これまで、交響曲、弦楽曲、あるいはピアノ小曲集、歌曲と、古典音楽としての基本的な作法を踏襲しながら様々なジャンルの音楽を数多く残しています。そのほとんどは調性音楽で、長い古典、近代音楽史としてみてもきわめて重要な歴史に残るべき名作が多い。中でも、最もアルヴォ・ペルトらしい作風ともいえるのが、「Fur Alina」という作品です。、表題曲の「Fur Aline」はペルトのピアノ曲としては代表的作品です。

ロシア正教会の鐘の音をモチーフにしたと思われるこの楽曲「Fur Alina」はペルトの代表的なピアノ曲。これまでの古典音楽で存在しなかったタイプの楽曲で、後期フランツ・リストのような静謐さを彷彿とさせ、教会尖塔の中で響くようなアンビエンスが意図的に取り入れられています。ピアノの実際の演奏だけでなく、空間に満ちている音を際立たせるという側面ではジョン・ケージの「In a Landscape」と同じ指向性が取り入れられている。「Fur Alina」は、演奏上においても特異な特徴があり、ダンパーペダルに対する特殊指示記号がこの楽譜中に見られ、また、低音が突如として楽曲の中に現れ、低音部が高音部と対比的に配置されているのも共通点。ジョン・ケージの系譜にある「サイレンス」を活かしたピアノ曲でありながら、独特な教会旋法が取り入れられている点についてはアルヴォ・ペルトらしい作風といえるかもしれません。

また、「Spiegel im Spiegel」も、アルヴォ・ペルトの代表的な楽曲です。清涼感のある穏やかな楽曲で、癒やし効果のある名作。「Fur Alina」と同じように、初歩的な演奏能力があれば演奏出来る楽曲でありますが、説得力のある演奏をするのはきわめて至難の業という面で、ケージの「In a Landscape」と同じく難易度の高い楽曲といえるでしょう。短調の「Fur Alina」と長調の「spiegel im spiegel」は、アンビエント音楽、ポスト・クラシカルのジャンルの先駆的な意味合いを持った一曲。交響曲、宗教曲の印象が強いペルトではありますが、こういったピアノの小曲でも情感にうったえかけるような際立った楽曲を書いていることもゆめ忘れてはならないでしょう。