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Fennesz  『Mosaic』



Label: P-Vine Inc.

Release: 2024年12月4日


Review


『Mosaic』は2000年代はじめに発表された『Venice』のサウンドと地続きにある。今年、『Venice』は20周年を迎えるにあたって、リマスターを施したアニヴァーサリー・バージョンも発売されている。1990年代に彗星のごとくウィーンのテクノシーンに登場したFenneszは、ギタリストとして知られるほか、プロデューサー、作曲家として幅広い分野で活躍してきました。その中には坂本龍一とのコラボレーションアルバム『Cendre』を筆頭に、この10年間、 Fennesz(フェネス)はミュージシャン、映画制作者、ダンサーと共同制作を行ってきた。デヴィッド・シルヴィアン、キース・ロウ、スパークルホースのマーク・リンカス、マイク・パットン、多くのミュージシャンとレコーディングやパフォーマンスを行っている。また、ピーター・レーバーグ、ジム・オルークとともに即興トリオ、フェン・オーバーグとしても活動している。

 

フェネスの音楽的なアプローチに関しては、基本的にノイズ、アンビエントの中間に位置づけられる。また、その中には稀に、一般的なリスナーには聞き慣れないアフリカ等の民族音楽の要素が含まれることもある。しかし、結局、今世紀初めには上記のジャンルが(おそらく)確立されていなかったため、前衛音楽の枠組みの中で解釈されることは避けられなかった。ときにはアウトサイダー的なテクノとして聴かれる場合もあったかもしれない。だが、『Venice』の20周年盤でも言及した通り、テクノ全般のイディオムがフェネスの音楽にようやく追いついて来た。おそらく90年代や00年代にフェネスの音楽を理解した人はかなり少なかったはず。しかし、時代が変わり、今やフェネスの音楽はアウトサイダー・テクノではなく、むしろ主流派の領域に属し始めている。これはテクノや全般的な電子音楽を中心にクロスオーバー化やハイブリッド化が進んだことにより、フェネスの音楽はむしろ時代にマッチするようになった。

 

『Venice』の20周年記念盤のレビューでも言及した通り、このアルバムでは20年後の音楽が予見的に登場していた。それは”ドローン”という新しい音楽形式、それから、他の数々のジャンルを吸収したハイブリッドの末裔としてのテクノ等、 2000年代にグリッチが登場し、それらが新しい音楽として先見の明がある聞き手に支持されていた時代から見ると、たとえリアルタイムの体験者ではないとしても、心なしか感慨深いものがある。しかしながら、待望の新作アルバム、そして解釈に仕方によっては『Venice』の続編とも言える『Mosaic』は、あらためてこのプロデューサーの音楽がどのようなものであったのかを把握するのに最適である。彼の音楽が最先端に属していて、2020年代のミュージックシーンに馴染む内容であることが分かる。

 

本作は、2019年に発表された『Agora』からすでに始まっていたというルーチンワークから生じたという。「今回はゼロからのスタートで、すぐにはコンセプトもなく、厳しい作業ルーティンがあった。朝早く起きて昼過ぎまで仕事をし、休憩を挟んで、また夕方まで仕事をする。最初は、ただアイデアを集め、実験し、即興で演奏した。それから作曲、ミキシング、修正。''モザイク "というタイトルは、ピクセルのように一瞬で画像を作り上げる以前の、古代の画像作成技法を反映した」というのがフェネスのコメントとなっている。そして、アルバムの強度を持つノイズ、アンビエント、民族音楽の融合は、深遠なテクノのイディオムを顕現させる。

 

少なくとも、本作は一度聴いただけで、その全容を把握するのは至難の業である。五分から九分に及ぶ収録曲の音楽の情報量は極めて多い。アルバムの冒頭を飾る「Heliconia」は大まかに二部構成から成立している。ガラス玉のようなパーカッションがイントロに登場し、その後、ギターによるドローンが曲の構成や印象を決定付ける。微細な音の配置は、ポストロック的なマクロコスモスを描き、音像が際限なく広がっていき、宇宙的な壮大さを帯びる。この点に、坂本龍一の遺作『12』との共通項も見出される。


そして、2001年の『Endless Summer』の時代から培われたシンフォニックなテクスチャーが立ち上る。この間、一筋の光のように伸びていくシンセも登場し、4分以降にはダイナミックなハイライトを迎える。


以降は曲風が一変し、ノイズからサイレンスへ変遷していく。すると、精妙なノイズが登場し、民族音楽的なパーカッションが配され、曲全体は霊妙な雰囲気を帯びる。そして、後半部では、民族音楽とテクノを融合させ、その後、ギターのミュートを用いたアルペジオ等が登場し、曲の構成の背景を形作るシンセによるシークエンスは、Loscilの『Umbre』のような荘厳な雰囲気を帯びる。ギターの演奏だけでなにかを物語るかのように、曲はアウトロのフェードアウトに向かっていく。

 

フェネスは音楽制作者としてノイズミュージックの他にも音響派のギタリストとしての表情を併せ持つ。二曲目「Love And The Framed Insects」では2023年に発表されたアルバム『Senzatempo』、『Hotel Paral.lel』の両作品の作風を融合させ、叙情的なギターアンビエントと苛烈なノイズを交互に出現させる。


さらにフェネスはノイズと叙情的なシークエンスを丹念に融合させ、音楽の持つ静謐で美麗な瞬間を作り出す。いわばアルバムのジャケットに描かれるような情景的な美しさが音楽的なモチーフとして登場し、主体性を持つに至る。主体性を持つというのは、音楽が主人公となり、それらが発展したり、敷衍したり、奥行きを増していったりと、多彩な側面を見せるということ。これらは音楽の持つ多次元的な性質を反映させている。それらをフェネスは最終的な編集作業を通してコンダクターさながらに指揮するのである。ノイズも登場するものの、この曲の全般的な魅力はむしろ感覚的な美しさに込められている。これは調和と不調和の融合をかいして、制作者の美学のようなものが鏡のように映し出される。

 

経済学者であるジャック・アタリも指摘するように、ノイズというのは社会学として見た上では、不調和を意味する。しかし、一方で、実際的にホワイトノイズやピンクノイズ等、音の発生学として多彩なノイズがこの世に存在するように、これらの雑音が必ずしも不快な印象を与えるとはかぎらないということは、次の収録曲「Personare」を聴けば瞭然なのではないかと思う。


例えば、この曲では坂本龍一とのコラボアルバム『Cendre』で用いた精妙なノイズを駆使し、「不調和の中にある調和」を示唆している。実際的に、多くの人々は、単一の物事の裏側にある別の側面を度外視することが多いが、この世の現象や出来事の大半は、こういった二面性や多面的な要素から成立している。この曲では、そういった現象学としての普遍性がしたたかに織り交ぜられている。同時に、ノイズという本来は不快であるはずの音響的な現象中に、それとは対極に位置する快適な要素ーー心地よさーーを見出すことも、それほどむずかしくない。


実際的にこの曲はノイズを不自然に除去した音楽よりも、不思議と音に身を預けていたいと思わせる快適な要素が偏在している。なぜ、一般的には心地良くないと言われている音響に心地よさを覚えるのかといえば、それは、自然界を見ても分かるように、雑音性というのは必ずどこかに生じ、自然の摂理に適っているためである。これはフェネスのノイズ制作の清華とも言える。

 

続く「A Man Outside」でもノイズの要素は維持され、パーカッシヴな音響効果を用いた環境音楽の形式が取り入れられている。そして、この曲でも序盤は前曲の作風を受け継いで、ノイズの精妙な感覚、次いで、ノイズの中にある快適さという側面が強調されているが、二分後半からは曲調がガラリと変化し、ダークなドローン風の実験的なテクスチャーが登場する。まるで情景的な変化が、ノイズや持続的な通奏低音を起点に移ろい変わっていくような不可思議な感覚を覚える。曲の序盤における天国的な雰囲気は少しずつ変化していき、メタリックで金属的な響きを帯び、冥界的なアンビエント/ドローンに変遷していくプロセスは圧巻というよりほかなし。これほどまで変幻自在にサウンド・デザインのように音の印象を鋭く変化させる制作者は他に思いつかない。曲の後半でも曲の雰囲気が変わり、序盤の精妙な雰囲気が立ち戻ってくる。

 

「Patterning Heart」は、現在のアンビエントシーンの流れに沿うような楽曲と言えるかもしれない。抽象的なドローン風のテクスチャーが通奏定音のように横向きに伸びていき、極大の音像を形成してゆく。大掛かりな起伏は用意されていないけれど、曲の中盤ではサイレンスが強調される瞬間があり、『Venice』に見いだせるギターノイズが取り入れられている。アルバムのクローズでもフェネスらしさが満載で、濃密な音楽世界が繰り広げられる。モーフィングを基に制作された「Goniorizon」では音の波形の変化に焦点が絞られている。


2000年代の制作者が二十年後の音楽を予見したように、音楽の未来性を読み取ることも可能かもしれない。本作には音楽の持つ楽しさはもちろん、未知の芸術的な表現性への期待感が込められているように思えた。

 

 

 

90/100 

 



「Heliconia」

Matthew Herbert

Matthew Herbert(マシュー・ハーバート)がロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとともに昨年リリースした『The Horse』のスペシャル・エディションが11/29に自身のAccidental Recordsよりリリース。下記より収録曲「The Horse Is Put To Work」をチェックしてみてください。


全編で馬の音を用いて作り、Shabaka HutchingsやTheon Cross、Evan Parkerら豪華ゲストの参加も大きな話題となった本作は、先頃英国の優れた作曲家に送られるアイヴァーズ・クラシック賞においてベスト・ラージ・アンサンブル作曲賞を受賞するなど高い評価を得ています。


今回リリースされるスペシャル・エディションには14の未発表リミックスとボーナストラックが含まれており、リミキサーには、Osunlade、Robag Wruhme、Richard Skelton、Gazelle Twinなど多彩な面々が参加、aus(11月29日にニューアルバム『Fluctor』をリリース)によるリミックスも2曲収録されています。



「The Horse Is Put To Work」



Matthew Herbert 『The Horse』 Special Edition




タイトル:The Horse Special Edition

アーティスト:Matthew Herbert x London Contemporary Orchestra

発売日:2024年11月29日

レーベル:accidental


tracklist:

1. The Horse's Bones Are In A Cave

2. The Horse's Hair And Skin Are Stretched

3. The Horse's Bones And Flutes

4. The Horse's Pelvis Is A Lyre (feat. Jali Bakary) 

5. The Horse Is Prepared

6. The Horse Is Quiet by Chris Friel

7. The Horse Is Submerged (feat. Evan Parker)

8. The Horse Is Put To Work by Ross Stringer

9. The Rider (Not The Horse)

10. The Truck That Follows The Horses

11. The Horse's Winnings 

12. The Horse Has A Voice (feat. Theon Cross) 

13. The Horse Remembers 

14. The Horse Is Close 

15. The Horse Is Here (feat. Danilo Pérez)


Remixes & Versions:

16. The Horse Is Here (Momoko Gill Remix)

17. The Horse Is Put To Work (Yoruba Soul Mix)

18. The Rider (Not The Horse) Robag Wruhme's Arada Samoll Rehand

19. The Horse's Winnings (Gazelle Twin Remix)

20. The Horse Is Not Quiet (aus UMA Remix)

21. The Horse Is Quiet Cause Sleep (aus Reprise)

22. The Rider (Film Version) by Sebastian Lelio

23. The Horse's Pelvis Is A Lyre (Nyokabi Kariũki Remix) 

24. The Horse's Winnings (Orchestral Version) 

25. The Horse Is Mechanised 

26. The Horse In Agriculture 

27. The Horse Is Put To Work (Osunlade's Gallop Mix) 

28. The Horse Is Prepared (Richard Skelton Remix) 

29. The Horse's Winnings (Percussion Version)

 

 

Matthew Herbert:

 

マシュー・ハーバート(Matthew Herbert ) は、イギリスの電子音楽作曲家、DJである。 BBCの録音技師を務めた父のもとに生まれ、幼い頃からピアノとヴァイオリンを学ぶ。

 

エクセター大学に在学し、演劇を専攻した後、1995年にウィッシュマウンテン(Wishmountain)名義にて音楽活動を開始する。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット(Doctor Rockit)、レディオボーイ(Radioboy)、本名のマシュー・ハーバート(Matthew Herbert)など様々な名義を使い分けている。 

 

その作風はミュジーク・コンクレートに大きな影響を受けている。アルバム『Around the House』では洗濯機やトースター、歯ブラシといった日常音を採集し、独自のディープハウスを展開。また政治色の強いレディオボーイでは、グローバリズムに抗議し、マクドナルドやGAPの商品を破壊した音をサンプリングし、即興的にビートを構築するといったパフォーマンスを行う。 

 

2000年には「Personal Contract for the Composition Of Music (PCCOM)」をマニフェストとして掲げ、サンプルの剽窃行為が横行する今日の音楽制作の状況を痛烈に批判し、音楽の権利を保護する運動を率先している。 2005年には、Akeboshiのメジャーデビューアルバム『Akeboshi』にて、ハーバートの楽曲「The Audience」がカバーされた。 2006年2月、ネットワーク上の国家、Country Xを立ち上げる。

 Andrea Belfi & Jules Reidy 『dessus oben alto up』


Label: Marionette

Release: 2024年11月8日

 

Review

 

Andrea Belfi(アンドレア・ベルフィ)とJules Reidy(ジュール・レイディ)による初のコラボレーション・レコーディング『dessus oben alto up』は実験音楽の一つの未来を提示している。

 

レイディとベルフィは、オーストラリアとイタリアという異なる出身地でありながら、ともに長年ベルリンに住んでいて、そのアプローチには多くの共通点がある。19世紀の機械工場を改装したベルリンの芸術施設「Callie's」のサウンド・スタジオに滞在していた2人(マルコ・アヌッリがデスクを担当した)は、ギターとエレクトロニクスのきらめく靄の中を美しく録音されたベルフィのドラムのパーカッシヴな透明感が通り抜ける、4つの広がりのある作品を完成させた。

 

『dessus oben alto up』は、新しい音楽の息吹を感じさせる作品である。ミニアルバムは実験音楽を中心に展開され、アンドレア・ベルフィのジャズ・ドラム等で頻繁に使用されるブラシ・ドラムとコラボレーターであるジュールズ・レイディの変則的なチューニングを施したギター(12弦ギターが使用されることもあるという)に電子的な音響加工が施されて、異質なサウンドが組み上がる。彼らの音楽は、フロイドの『The Dark Side Of The Moon』、あるいはHolger Czukay(ホルガー・シューカイ)のように神妙でありながら、そしてアヴァンジャズやエスニック、エレクトロニック等を行き来する。全体的な枠組みとしてはジャズドラムを中心とする作品のように聴こえるかもしれないが、エレクトロニックの要素が前衛的な要素をもたらす。


最近の音楽は、ドラムにせよ、ギターにせよ、付属的に導入される弦楽器やエレクトロニクスにせよ、音楽の構造自体が省略化されてしまうことが非常に多い。そのせいで音楽自体に深みがなくなり、深く聴くことを拒絶させるのである。それは例えば、Tiktokなどで音楽を省略的に聴く人々が増加しているから止むを得ないとしても、音楽自体を痩せ細らせる原因ともなりうる。60年代、及び、70年代のミュージシャンは、マスターやミックスで音楽をごまかすことが出来なかったため、音の細部に至るまで入念に配慮していたし、全般的な楽器等の音色や出力には必要以上にこだわっていた。要するに、自分の納得のいかない音は、一切出そうとしなかったのだ。だが、それが結果的に、デジタル・リマスター等の普及によって(技術の向上自体は歓迎すべきことだけれど)自分たちの出す音にかなり無頓着になっていったのである。ミュージシャンの中には、何をやっても一緒ではないか、と思うような方々もいるかもしれない。

 

しかし、トム・ヨークやマルタ・サローニとの共演で知られるアンドレア・ベルフィ、そして弦楽器奏者のジュールズ・レイディのコラボレーションアルバムを聴くと、そういった幻想はすぐさま吹き飛ぶ。『dessus oben alto up』は、デチューニングを施したインドのシタールのようなエキゾチックなギターが、無限に鳴り響き、それらに電子音楽のマニュピレーションが組み合わされ、ジャズドラムが加わると、強固な音楽の構造体が組み上がる。繊細なドラムプレイ、弦楽器のピッキング/タッピング、エレクトロニクスがどのように組み合わされるのかに耳を傾ければ、音楽の持つ深さはもちろん、実験音楽の本質的な魅力に気づくことだろう。そして音楽を一切簡略化することなく、セッションの組み合わせにより、誰も到達しえない境地に到達している。もちろん、音楽というフィールドの奥底にある霊妙な領域へと聞き手を誘うのである。


このミニアルバムは、ある種の変奏曲のように組み上げられ、同じような形式による実験音楽が4曲収録されている。しかし、その音楽的なボリュームの圧倒的な量に驚かされるはずだ。オープナー「dessus」は、連曲のモチーフのような役割を担い、作品全体に影響を及ぼす。しかしながら、同じような手法や作曲の形式が用いられるからと言え、全然飽きが来ないのが不思議である。しかも、歌がないのは欠点にならず、ひたすら心地よいセッションが繰り広げられ、彼らのライブセッションに、ずっと身を委ねていたいという欲求すら覚えることもある。ジャズドラムのブラシとシタールのような弦楽器は、たとえ同じような旋律の曲線を描いたとしても、また、同じようなリズムの構成を経たとしても、聞き手側の聴覚には同じ内容には聞こえない。それは彼らが上辺だけの「曲」を作ろうとせず、音楽の奥深い泉に迫ろうと試みているから。そして曲のセクションの中で、クローズのハイハットの連打やジャズ的な微細なピッキングギターによって、およそ二人だけで作り上げたとは思えない刺激的かつ壮大なライブセッションが繰り広げられる。このことは二曲目「oben」を聴くとよく分かるのではないか。

 

私自身は、これまでアンドレア・ベルフィというドラマーを全然知らなかった。それでも、三曲目「alto」を聴くと、彼が世界屈指の技術を誇る天才的な演奏者であることが分かる。良い打楽器奏者というのは、自らの技術を十分に洗練させた後、曲に対してどのような影響を及ぼすのかを熟知している人々である。それは、ギター、ベースと同様に、曲の細かな抑揚やニュアンスの変化に際して、最適な演奏方法を知っていて、それを忠実に実践できる、ということである。つまり、アンドレア・ベルフィのような卓越した演奏者は、無自覚に音を発生させることはほとんどなく、すべての音の要素が十分に計算されて出力され、まるで頭脳と楽器が一体化しているような印象すら受ける。これは全盛期のヤング兄弟のギターにも言えることだろう。

 

アンドレア・ベルフィの場合は、ハイハットの連打の間に組み込まれるタム/スネアが、ギターの超絶的なビッキングに対して、音階的な影響を及ぼし、タブラのような演奏効果を生み出す。これは、ロックやポップスのドラムだけではなく、民族音楽を熟知しているからなし得る神業の一つ。そして、アンドレア・ベルフィのドラムは、単に技巧的な側面をひけらかすことはなく、曲の構造に対する音響効果やテンションによる音階効果を重視している。さらに、それらの組み合わせに強い影響を及ぼすのが、マニュピレートされた電子音である。これらは、NEU、CAN、ホルガー・シューカイ等が探求していた「実験音楽の結末」とも呼ぶべきであろう。

 

アルバムの終曲「up」だけは実験音楽の枠組みから遠ざかり、民族音楽のイメージが強調される。そして、インドのカシミール地方の民族音楽、ないしはパキスタンのアラブ音楽の雰囲気が強まる。これは民族楽器の専門的な演奏者として知られ、世界各地を放浪しながら、珍しい楽器を探訪する、Stephan Micusというミュージシャン(ドイツのECMの録音でよく知られている)の音楽的なアプローチに準ずるものである。しかし、ジュールズ・レイディの弦楽器の連続性、反復性は「up」に対して瞑想的な要素を及ぼしている。そして、ミニマルミュージックの魅力は、画一的な連続性や反復性にあるわけではなく、変奏や倍音の発生により、原初の反復的な曲の構成からどれだけ遠くに行けるかという、冒険心や遊び心にあることが分かる。最終的には、最初のモチーフからセッションの巧みさによって、全く印象の異なる音楽へと変貌していく。つまり、音楽によって遠い場所に連れて行くような不思議な力を備えているのである。

 

 

 

95/100


 

 

Weekly Music Feature: Perila

Perila


実験音楽界に新たな奇才が登場。サンクトペテルブルク生まれでベルリンを拠点に活動するサウンド&ビジュアル・アーティスト、DJ、詩人、パフォーマーのペリラがオスロのスモールタウン・スーパーサウンドからセカンド・アルバムを本日リリースした。21の個別のコンポジションからなるフォーマット別の2枚組アルバムで、内外のリズムを活用することに狙いを定めている。


メディア(媒体)という点では、『Intrinsic Rytmn- イントリンシック・リズム』は基本的にダブル・アルバムである。しかし、70年代のクラシックなコンセプチュアル・アルバムというよりは、ロイヤル・トラックスの『ツイン・インフィニティブス』やR!!!S!!!の『レイク』のような90年代のアウトサイダー・エクスペリメンタル・ダブル・アルバムに近い。長尺のサイケデリックな探求を避け、強力で凝縮された恍惚とした内省のブロックを、5秒のブレイクを挟むことで音のパレットを浄化させながら聴かせる。


その結果、リズミカルなアンビエント、スペクトラルなエレクトロニクス、そして親密なヴォーカルが、意図的な要素と偶発的な要素、環境から生成されたリズムとメロディ、抽象的なメロディと具体的な言語、そして人生の複雑さと精神的な再生の間で、とらえどころのないバランスを保っている。


冒頭から幽玄なシンセワークと、重なり合う声と重なり合う牛の鈴のフィールド・レコーディング(「Sur」)によってシーンが設定され、精神的な意味と身体的な幸福を生み出す音楽が常に押し合いへし合いしている様子をリスナーに観察させる--故ミルフォード・グレイヴスのホリスティックな芸術作品とは似て非なるものだ。


「Nia」や「Ways」のようなトラックでは、テープのヒスノイズ、小音量のうなり音、リズミカルな小声のパチパチというテクスチャーが、遠くのヴォーカルと変調する鐘の音に一定の瞑想的な土台を提供し、音世界を浸透させる。これらは、ASMRを誘発するような音響、前後するメロディー、幻覚的な雰囲気を伴っており、微妙な音の作用が大気の地平へと果てしなく広がっていく。


「Angli」、「Supa Mi」、「Fey」といった曲では、ヴォーカルのミニマリズムを削ぎ落として、エレガントなクリックやカット・パーカッションと組み合わせることで、より親密で内面的なサウンドスケープを作り出している。  具体的には、アルバムの最後の4分の1では、無防備で飾り気のないサウンド・メモのようなレコーディングの中で、内と外の緊張感が再び現れる。そこでは、足音のペースやマイクのノイズのような操作(「Darbounouse Song」)、あるいは日用品の自発的なパーカッションや遠くの歌声が、アルバムのクローズである「Ol Sun」のように、私たちが住んでいながら見過ごしがちな空間や物事の共鳴周波数を探り当てようとする。


結局のところ、この2枚のレコードは互いに対話するように考えられており、内的世界と外的世界の間で音楽的な会話をしながら一緒に演奏することができる。さらに、4つのビニールの側面の区分は、土、魂、空気、地面として、なる段階、物質、人生の質感を表している。


この意味で、『Intrinsic Rhythm』は、外界の生態系が、日常生活の周波数やテンポの中に、メロディーやリズムの絶え間ない、そしてしばしば混沌とした源を提供していることを思い出させてくれる。内面的には、これらは意識や内臓の無形のリズムと組み合わさっている。ペリラは、受動的に知覚される音と、そこから能動的に生み出される音楽のバランスを正確に探っている。


ペリーラ自身の言葉を借りれば、「このアルバムに取り組む過程で、私自身の本質的なリズム、つまり私の中心であり拠り所であるリズムは、ゆっくりとしたものであることがわかった。スローダウンすると、すべての魅惑的な美しさに気づくことができ、音の世界を違った形でとらえることができる。私にとって、この作品を作ることは、自分が本当は何者なのか、そしてこの世界で自分がどうあり得るのかを知り、受け入れるという、まさにスピリチュアルな旅だった」


さらに、レーベルの個人的なメモは適切な洞察と考えに基づいており、謎めいたベルリンのアーティストの実像の一端を明らかにする。


「ペリラは私にとってとても特別な存在で、サウンドクラウドで彼女の最初の2、3曲を聴いたとき、とても特別な人の音楽がここにあるとすぐに理解した。彼女はとても強いヴィジョンを持っていて、私たちレーベルは何も干渉したり手助けしたりする必要はない。彼女のビジョンは完全だ」


「私にとって、このアルバムはアウトサイダー・ダブルと呼ばれるもので、90年代初期の偉大なアウトサイダー・ダブル・アルバムと同じ感触とアプローチを持っている。Royal Truxの『Twin Infinitives』、Dead Cの『Harsh 70s Reality』、R!!!Sの『Lake』など。これらのアルバムは、70年代ロックの誇大妄想の古典的な2枚組アルバムに中指を立て、2枚組アルバムの奇妙なバージョン、新しい定義を作り上げる。公平を期すなら、ミニットメン、ヒュスカー・デュー、ソニック・ユースはすべて、70年代のビッグ/エピックな恐竜と90年代のアウトサイダー・ダブル・アルバムの間に橋を架けたと言わねばならない。とにかく、『Intrinsic Rhythm』も同じような感触を持っている。長さ64分、21曲が4面に渡って収録され、それぞれの面にタイトルとテーマがある」


「彼女のアート、ボディー・ムーヴメント、自然からの影響。このアルバムは、ペリラことアレクサンドラ・ザハレンコの人間としての姿を音で擬人化したもの。私にとって、この音楽こそペリラなのだ。タルコフスキーの『鏡』の想像上のサントラのように。深く、心に染みるほど美しい」

 


『Intrinsic Rhytmn』- Smalltown Supersound (92/100)


 

オーストラリアの実験音楽作家、ローレンス・イングリッシュ(Lawrence English)が最新アルバムの発表とともにコメントとして添えた「音楽構造を建築のように解釈する」という考えは、今日日の実験音楽、あるいはアンビエントのような抽象的な音楽を解釈する上で不可欠な要素となる。アルバム全体を堅牢なビザンチン建築、あるいはモザイク模様を施したイスラム建築のように解釈することが、「フルアルバム」という不可解な形式を解き明かすのに重要になってくる。そもそも、音楽なるリベラルアーツの一貫にある媒体は、哲学や数学よりも往古から存在し、「黄金比」のような原初的な学問の理想形態を表すものであった。それが宗教や民族の儀式や祭礼のための音楽という中世の通過儀礼の段階を経たのち、現代の趣味や趣向の多様化により、「娯楽の一貫」と見なされるようになったのは時代の流れと言えるだろうが、無数の学問の中で音楽が最初に存在し、その後、哲学や数学や建築が出てきたのを考えると、結局、音楽というのがすべての学問の先頭に位置し、最も先鋭的な分野であることは自明なのである。

 

最近、最もヒップなジャンルの一つであるヒップホップは、ようやくアンビエントの尻尾をつかまえて、その背中に追いついたわけだが、アンビエントも負けじと次の段階に進みつつある。これらのデッドヒートが終わることは考えづらい。今、最もトレンドな音楽は間違いなくアンビエントで、これらが当初はダンスミュージック界隈のアーティストやプロデューサーから少しダサいとみなされていた2000年以前の傾向を考えると、時代の変化が顕著であることが窺える。その理由を挙げるとするなら、一つはホーム・レコーディングで高品質の音楽を制作することが可能になったこと。加えて、Ableton、NI、各種のソフトウェアの進化、専門的なレベルで音楽制作が可能になったことだろう。無論、以前はラップトップやPC等でアナログの音響機器の配線やMIDIを介さずに打ち込みの音楽を制作することは困難を極めたが、今やスタジオ・レコーディングのレベルの録音システムを構築することは、より一般的になったと言える。

 

ジェンダー論を比較対象に出すまでもなく、エレクトロニックプロデューサーが90年代から00年代を通して、男性を中心に発展してきたことを考えると、 2010年代後半くらいから、Anna Roxanne、Malone、Haloを中心とする女性プロデューサーが活躍するようになったのは、これもまた時代の流れを象徴付けていると言える。そして、00年代以降には、いるにはいたが、少し影の薄かった黒人のエレクトロニックプロデューサーの活躍が最近になって目立ってきたのも、新しい兆候です。特に、女性的なエレクトロニックプロデューサー/DJは、すべてレフトフィールドに属するとは言えないのだが、一般的に柔軟な考えを持っているため、本来は音楽という形式からかけ離れたような媒体(映画、文学、詩)から、音楽のヒントや種をすんなり見つけてしまう。このあたりは、例えば、ダニエル・ロパティンのようなプロデューサーにも共通しているが、白人男性の音楽として発展してきたダンスミュージックは、おそらく2025年前後で一つの分岐点を迎えるような気がしている。


例えば、1990年代からテクノシーンを牽引してきた主要なプロデューサーの一部はおそらく、このことになんとなく気がついており、制作を続けたり、あるいは中断させたりしながら、新しいシーンの流れを読んでいる最中なのではないかと思われる。そして、2020年代始めには、ドローン(* 現代音楽発祥の形式で、元はスコットランドのパグパイプが発祥。ラモンテヤングなどが有名)という吹奏楽の形式を弦楽器のディケイとダイナミクス(減退と増幅)から音楽全体を再解釈しようという潮流が出てきたことは、すでにこのサイトの購読者であれば、ご承知のことと思われる。


そして、問題は「ドローンの次はなにが出てくるのか?」という点であるが、ロシア出身のプロデューサーの新作を聞けば分かる通り、すでに新しいものが出かかっている。少なくとも、アンビエントは次なるステップに進みつつあり、複数のグループに枝分かれし始めているようだ。殊、このアルバムに関して言うのであれば、ボーカルアート、ビートルズのようなアートポップ、クラシック・ミュージック、アヴァンギャルド・ジャズの融合を発見することが出来る。これは最早、70年代のブラック・ミュージックや、90年代のロックやメタルで盛んであった「クロスオーバーの概念」が極限に至った事実を示し、水が蒸発し揮発する瞬間にもよく似ていて、何らかの臨界点を迎えつつある兆候を、はっきりとした形で暗示しているのである。



例えば、Black Midiとしてお馴染みのジョーディー・グリープさんが新しい音楽を探しているようなのだが、新しい表現というのは、苦心して出てくるわけでもないし、頭を悩ませて出てくるものではないと思われる。新しいものが出てくる瞬間というのは、異質な文化で育った人、一般的な音楽の流れから見て、異端的な背景を持つ人、また、その生活環境にある人などが従来とは異なる概念を表沙汰にするということである。つまり、これは、奇を衒って音楽をやっているということではないのである。例えば、この事例は、第二次世界大戦後の70年代、80年代の東西分裂時代のドイツにあり、トルコからの移民が多い危険地帯の地下から登場した「インダストリアル・ノイズ」という形式が当てはまる。そして、何らかの表現を規制されたり、直接的な政治的迫害を受ける市民から発生した前衛音楽の形式なども、この事例に当てはまる。つまり、ファッション、スポーツ、ないしは一般的な情報誌やファッション誌、もしくは主要メディアで紹介されるような表面的なカルチャーとは異なる領域に属する「文化の裏側」から新しい表現や形式が台頭するのである。例えば、現在、ベルリンを拠点に活動するPerilaは、実際の音楽を聴くと分かるように、前衛音楽や実験音楽に憧れているわけでもなく、ましてや奇をてらっているわけでもなく、スノビズムにかぶれているわけでもない。チャット・ベイカー、坂本龍一、アルヴァ・ノトといった、アーティストがこよなく愛する音楽が、何らかの形でアンダーグラウンドミュージックとして乗り移り、異端的な音楽が生み出されたと見るべきなのだ。これは先にも言ったように、意識して作られたものではなく、「他の人のようにやろうとしたら、異端的な音楽が出来てしまった」という感じではないかと思う。一般的な人々とは異なる文化の背景や生活形態、そして考えが複雑に絡み合って出来たと見るべきだろう。

 

それでは、このアルバムのどこが新しいのだろうか。21曲という大容量なので、ダブルアルバム(実質的にはクアドラプル)として見た上で、主要なトラックを事例にあげて説明していきたい。

 

インドネシアのガムランの打楽器のような神秘的なパーカッションで始まり、70年代の埃を被ったアナログシンセサイザーで発生させたような古典的なアンビエントのテクスチャーがその後に続く。レーベルの説明では、「70年代のプログレッシヴロックのアルバムに中指を立てる」と説明されているが、表向きに聞こえるサウンドは、Anna Roxanneのようにハイファイであるが、実際的に音楽の奥行きとして感じられるのは、ブライアン・イーノの最初期(ロキシー・ミュージックの後)のシンセ音楽のようなローファイな手法である。これは、具体的にはアウトプットの手法が現代的なものであるだけで、実際に展開される音楽は古典的なのである。

 

実際的に、シュトックハウゼンの古典的なトーン・クラスターの手法を用いながら、丹念にサウンドスケープを描いていく。そして、現代的なプロデューサーと同じように、自らのボーカルを一つのシークエンスとして解釈し、それらをアンビエントとして解釈するという手法は続く「3-Sepula Purm」に示されている。ボーカルをLaulel Haloのようにカットアップで重ね、重層的なハーモニーとして組み上げていく。そして、それは新しいゴスペルやクワイアの形として表側に現れる。更にその根本となる音楽に演出的な効果を与えるのが、 オシレーターを使用した中音域の軋むようなノイズである。当初は、神秘的なアンビエントのような印象を持つ楽曲が漸次その印象を変化させていき、いわばアヴァンギャルドとしての要素を発揮するのである。

 

 その後、このアルバムはとらえどころのない抽象的な音楽が続いている。「4-Nia」、「5−Ways」の二曲に関しては、それほど現代のアンビエントと大きな違いはない。しかし、同時にアルヴァ・ノトの精妙なテクスチャーやノイズからの影響がうかがえ、アルバムの序盤とは対象的に、ハイファイなエレクトロニックとしての印象を強める。これらは、Abletonのように、電気信号の配線を図面的に解釈する電子音楽としてアウトプットされたものではないかと推測される。そして空間や建築内にこだまする空気感という概念は、リゲティ・ジョルジュが最初に確立したもので、アンビエントの副題のような意味を持つが、続く「6-Lish」ではこの概念が示されている。例えば、サグラダファミリアのような高い尖塔を頂く教会、ないしはエジプトの王家の谷のような場所で、観光客の会話の合間を通して、風が渡る音や建築の中にある内部構造から何らかの空気の流れのようなものを聞き取ったり、何らかの神秘的な息吹やエーテルのようなものを感じたりすることはないだろうか。この曲では、そういった普段の意識では聞き取りづらい神秘的な瞬間を、電子音楽という側面から表現しようとしている。これらは「体験としての音楽」という、近年稀に見るような新しい概念が付与されていることが分かる。


例えば、「トーンの変調」という概念を通じて、一つの実験音楽の変奏形式を組み上げるアーティストに、スウェーデンのEllen Arkbroがいる。Perilaの新作アルバムの中盤に収録曲には、例えば、ギターやベース、ドラム等の通常の演奏方法では実現しえないものが展開され、それは音の発生音の後に生ずるトーンという側面を抽出し、それらを減退させることなく、持続音として継続させる。これは、音の発生学の異質な側面を捉えている。普通であれば、音は発生した後、ピークを迎え、徐々に減退の瞬間を迎えるが、減退する直前の音を抽出し、それらを持続音として継続させる手法が取り入れられている。一般的にはドローン音楽の手法の一貫に属し、機械的な音楽に聴こえるかもしれないが、反面、これが自然の音響学から乖離しているとも考えづらい。例えば、建築内にこだまする空気の音の流れ等は、大気や空気、素粒子、原子という元素がこの世に偏在するかぎり、あるいは建築物が物理的に取り壊されないかぎり、それらの音響を永久に持続させるからである。 例えば、「8-Nim Aliev」ではトーン・クラスターにより、この手法が確立され、続く「9-Mola」は、ラスコーの洞窟を描写音楽として刻印したような不可思議なアンビエント/ドローンの手法を確立させている。そして、これらのアルバムの第一部は、実験音楽として秀逸であるにとどまらず、音楽の永遠の瞬間を捉えたかのようでもある。さらに、後者の楽曲では、ピアノのスニペットが登場し、音楽の神秘的な雰囲気を引き立てる。第一部は「Lym Riel」、「Air Two Air」にて、ひとまず終了する。前者は、ヒス・ノイズを用いた古典的なアンビエントで、Loscil、Chihei Hatakeyamaの系譜に属する作風でもある。後者は、エレクトロニック寄りの楽曲で、中音域のグリッチノイズを強調させ、それらのノイズの位相(PAN)を転移させながら、ビート、リズムを組み上げ、緻密なグルーヴを作り上げていく。

 

アルバムの一枚目では、アンビエントを中心としたエレクトロニックが展開される。続く二枚目では、ボーカルアートを中心としたエレクトロニックが繰り広げられる。 そして、第二部の方はボーカルアートを駆使したストリーテリングの音楽としての意義を持つ。クワイアやメディエーションの領域に属するものから、ビートルズがアートポップ時代に遊びの一貫として試したもの、メレディス・モンクの系譜にある現代音楽の領域に属するものまで幅広い。例えば、「Angli」では、メレディス・モンクの『Atlas』の手法を用い、洞窟のような音響効果を用い、奥行きのあるアンビエントを形作り、その中でペリラ自身がオペラ風のボーカルを披露する。しかし、明確なボーカルというわけでなく、ペリラのボーカルはモンクと同じように、器楽的なテクスチャーの一貫として解釈され、フルートや笛のようにその空間内に響き渡るのである。さらに、続く「Supa Mi」を聴くと分かる通り、ペリラの声は明確な言語の意味を持つことはきわめて少ない。 それはジャズのスキャットと同じく、言葉以上の伝達手段として確立され、例えば、ウィストリング(口笛)に近いような意味を持つ。それはオーストラリアのモリー・ルイスの口笛と同じように、スキャットやハミングそのものが言葉や会話の代わりを果たすのである。

 

果たして、言語学の範疇には属さない、これらの歌から何らかの言語性を読み取ることが出来るのだろうか。私自身はそこまでは全然出来なかったが、少なくとも、音楽の構造としては、続けて聴いていると、物語性を持ち始めて、また、その物語の端緒が音楽に合わせて広がっていったり縮んだり、物語が一人でに歩き始めるような印象を持つに違いない。この後のいくつかの収録曲「Sneando」、「Fey」、「Lip」では、メレディス・モンクのようなパフォーミング・アーツの領域に属する「演劇としてのボーカル」、そして、アンビエント・プロデューサー、Grouper(リズ・ハリス)、Ekin Fillのようなアンビエント・フォークとドリーム・ポップを結びつけた次世代のアヴァンギャルド・ミュージックという形を以って展開されていくことになる。尚且つ、それらの抽象音楽としての形式は、おとぎ話や童謡的な意味合いを帯び、もしくは古典的なギリシャ神話の音楽による復刻といった、アーティスティックな印象を携えながら繰り広げられていく。これらは、ペリラの類稀なる美的センスと、ゴシック的な概念の融合の瞬間を見出せる。無論、そういったアンダーグランドミュージックの複数の形式が組み込まれた後、野心的な試みが行われることもある。ペリラは、イタコや霊媒者のようになり、「Message」なるものを地上に降ろそうとする。これは非常に斬新で奇妙な試みである。

 

 

アルバムの全般では、洞窟や教会のような広い奥行きのあるアンビエンスを想定した録音が際立つ。一方、本作の最終盤はデモトラックのようなクローズの指向マイクを用い、近い空間の録音の音響が強調されている。

 

この後の「Darbounouse Song」、「Note On You」、「She Wonder」、終曲となる「Ol Sun」 は、基本的にはアカペラのボーカルトラックで構成される。「Darbounouse Song」は唯一、足音などのサンプリングを用いたボーカルトラックで、物語的な前衛音楽の意義を保持しているが、以降の三曲は、かなり異端的である。とりとめのない思いを日記のような形で録音したボイスメモのようでもあり、ヒップホップのミックステープのようでもある。

 

これらは、パティ・スミスやブリジット・フォンテーヌのような、ポピュラーの前衛音楽の側面を改めて見つめ直すかのようでもある。少しだけ散漫になりかけた作風だが、円環構造を用いて、全体的な構成を上手くまとめあげている。一曲目と呼応するクローズ「Ol Sun」では、鐘とパーカッションを用いた前衛音楽に再び回帰している。しかし、始まりと終わりでは、音楽そのものの印象がまったく異なることに気がつく。ガムランのように始まったこのアルバムは、クローズでは、チベットのマントラのような民族音楽に縁取られている。それらの雑多な音楽性、あるいは文化性は、このアルバムの最後になって花開き、ロシア正教のミサ等で聴くことが出来る鐘の音のサンプリングで終了する。音楽に明確な意味を求めても仕方がないかもしれない。しかし、このアルバムを聴くかぎり、新しい何かが台頭したことをひしひしと感じる。

 

 

Photo Credit: Harrison Reid & Visuals Direction: Niki Zaupa


グラスゴー出身のアンビエント・デュオ、ケーヒル//コステロ(Cahill // Costello)による3年ぶりとなる待望のニューアルバム『II』が、本日レコード(数量限定)、及び、デジタル・フォーマットでリリースされた。良作なので実験音楽がお好きな方はぜひチェックしていただきたい。


クラシックの訓練を受けたエクスペリメンタルなギタリスト、ケヴィン・ダニエル・ケイヒルと、スコットランドの著名なジャズ・イノベーター、グレアム・コステロから成るこのデュオにとって今作は、CLASH、Worldwide FMのサポートを得た2021年のデビュー作『オフワールド』に続く。


ニューアルバム『II』は、エフェクトのかかったギターを基調としたアンビエントな雰囲気と絶妙なグルーヴを取り入れたドラミングが、時折、催眠術のようなテープ・ループを経由しながら織り交ざっている。

 

スコットランド王立音楽院で出会った2人は、ジャズとクラシックという異なる分野を専攻していたにもかかわらず、ミニマリズムと即興演奏への情熱を分かち合っていた。

 

ある時はグレアムのバックグラウンドであるジャズ的素養を感じさせ、またある時は、彼が幼少期に聴いて育ったインストゥルメンタル・ロック、ポスト・ロック的な激しさも感じさせる。アルバムは、デュオがデビュー作の成果をさらに発展させた、広大で野心的な作品となっている。


ニューアルバムのリリースを記念し、デュオは「JNGL」(ジャングル)と題された新曲を公開した。このトラックは、ループと熱烈なアップテンポのドラミングを駆使して、ダンス・ミュージックと表現力豊かなアンビエント調の微妙な融合を生み出している。プログレッシヴジャズを経過したドラミングとポストロック/音響系の緻密なギターワークがキラリと光る一曲となっている。


「JNGL」について彼らは次のように話している。

 

「この曲はアルペジオのコード進行と、キーセンターの中で対位法を重ねたループ・ソロ・ギターから生まれたんだ。ギターのループが決まったら、90年代のジャングル/ドラムンベースに通じるビート/グルーヴを探した。そしてノスタルジックなサウンドとフィーリングを出すために、クラシックな165bpmのテンポに収まるようにした。結果、クラシックなスタイルをポストモダンにアレンジし、独自のアプローチを加えた」




Cahill // Costello - JNGL (Audio Video)

 

 

 

今回のアルバムについては、こう語っている。


「『II』の作曲と制作のプロセスは、『オフワールド』と変わらない部分も多かったが、まったく違う部分もあった。最初のアイデアのほとんどは、以前と同じように即興で、その場でライヴ録音したものだ。最も大きな違いは、デュオとして、また友人として、より親密になったこと。『オフワールド』は、音楽的にも個人的にも、お互いを理解し合うための素晴らしいきっかけになったと思う。その結果、僕たち2人が信じられないほど誇りに思っているアルバムができた。『オフワールド』のセッションから”作曲プロセス”が終わることはなく、最終的にこのアルバムになるものへと、時間をかけてゆっくりと融合していったんだ」


「その結果、このアルバムにはじっくりと腰を据えて書いたり、リハーサルをしたりする時間はなかった。どこか特別な場所から生まれた音のアイデアや、決して強制されることのないアイデアの共有が行ったり来たりしていた。今、思えば、それは特別なことだった。こうして一緒に音楽を演奏するというのは、繊細なコンセプトなんだ。ある意味では、音楽と友情を称えるために、できるだけ一緒に曲を書いたり演奏したりしたいと思うものだが、同時に、新鮮で創造的なアイデアを長続きさせるため、”井戸の水を飲み干す”ようなことはせず、必要な分だけ飲むことも必要なんだ。『II』は、僕たちの継続的な発展、僕たち自身の創造的なプロセスのより良い理解、お互いの意見に耳を傾け、友人として、デュオとしてより親密になることを表現している」


Cahill // Costello 『Ⅱ』 


【アルバム情報】

アーティスト名:Cahill//Costello(ケーヒル//コステロ)

タイトル名:II(2)

発売日:発売中!

形態:2LP(140g盤)

バーコード:5060708611163

品番: GB1599


<トラックリスト>

Side-A

1. Tyrannus

2. Ae//FX

Side-B

1. Ice Beat

2. Sensenmann


Side-C

1. JNGL

2. I Have Seen The Lions On The Beaches In The Evening


Side-D

1. Lachryma

2. Sunbeat



【クレジット】

Kevin Cahill: electric guitar, effects, tape loops

Graham Costello: drums, percussion FX

All tracks composed by Kevin Cahill and Graham Costello

Recorded on location and mixed by Luigi Pasquini, Dystopia Studios, Glasgow.

Mastered and cut by Caspar Sutton-Jones at Gearbox Records



アルバム『II』レコード (数量限定)発売中!

https://store.gearboxrecords.com/products/cahill-costello-ii-cahill-costello


https://cahillcostello.bandcamp.com/album/cahill-costello-ii-2



デジタル・アルバム『II』配信中!

https://bfan.link/cahill-costello-ii



Cahill // Costello Biography:

 

スコットランドはグラスゴー出身のアンビエント・デュオで、メンバーは、ギタリストのケヴィン・ダニエル・ケーヒルとドラマーのグレアム・コステロ。

 

両者の出会いは2012年の英国王立スコットランド音楽院であった。ジャズとクラシックという異なる専攻を学んだ二人だったが、さまざまなジャンルにわたるミニマリズムと即興への相互の情熱を共有していた。この友情と共有された情熱は、最終的にケーヒル//コステロの結成に至る前に、グラハムとケヴィンがさまざまなソロ・プロジェクトで協力することにつながった。

 

彼らのプロセスは、ミニマリズムとアンビエント・ミュージックの要素を融合し、過度の複雑さとは無縁の、非常に感情的なサウンドの世界を構成している。その音楽制作は忍耐と明晰さに基づいており、リスナーの心に正直に語りかける。2021年9月、ファースト・アルバム『オフワールド』をリリース。そして、2024年11月には3年ぶりとなるニュー・アルバム『II』を発表した。

Interview- Passepartout Duo 



 

~  Music exists as a communicator of ideas outside of language~(音楽は言語外にあるアイデアの伝達者として存在する)  - Passepartout Duo(Nicoletta Favari)



Passepartout Duoは、ニコレッタ・ファヴァリ(イタリア)とクリストファー・サルヴィト(イタリア/アメリカ)により結成され、エレクトロ・アコースティックのテクスチャーと変幻自在のリズムから厳選されたパレットを作り上げる。2015年から世界中を旅しながら「スローミュージック」と呼ぶ創造的な楽曲を発表している。環境音楽から実験音楽まで幅広いですが、共通するのは、デュオの音楽は従来の系譜に属するものではなく、未知の体験に溢れていることです。

 

著名なアーティスト・レジデンスのゲストや文化スペースでのライブ・パフォーマンスなど、カテゴライズされる事なく活動を続ける。ウォーターミル・センター(米国)、スウォッチ・アート・ピース・ホテル(中国)、ロジャース・アート・ロフト(米国)、外国芸術家大使館(スイス)など、世界各地で多数のアーティスト・レジデンスの機会を得た。また、2023 年には「中之条ビエンナーレ」に参加、同年4月には「Daisy Holiday! 細野晴臣」に出演。2024 年には”ゆいぽーと”のアーティスト・イン・レジデンスとして来日し、東北・北海道を訪れています。

 

Passepartout Duoは、2020年のグラミー賞の最優秀ヒストリカルアルバム部門にノミネートされた『KANKYO ONGAKU』にも参加しています。2024年の夏にリリースされたイノヤマランドとのコラボレーション・アルバム『Radio Yugawara』に続き、ニューアルバム『Arogot』を11月29日にリリースする。本作は、ストックホルムのレジデンス開催中に考案され、モジュラーシンセのBuchla、Sergeとの出会いを通じて制作された。今回、デュオのメンバーでピアニスト、楽器の開発者でもあるニコレッタ・ファヴァーリに話を聞いた。

 


ーー前作『Radio Yugawara』が環境音楽を中心に構成されていたのに対し、『Argot』の作風は大きく異なります。アルバムでは、アコースティック・ピアノとアナログ・シンセによる前衛的なライブ・セッションを聴くことができました。このアルバムの制作のインスピレーションと全体的な構想について教えていただけますか?

 

Passepartout Duo(Nicoletta Favari):  私たちの活動は非常に雑食的であることを目指しているので、私たちの異なるプロジェクトが異なるスコープに分類されることは、それほど驚くことではありません。『Argot』は一種のサウンド・リサーチであり、私たちが数年間追求し、培ってきたもので、非常に原始的で高品質なサウンド・レコーディングにも努めている。


このアルバムは、『エピグラム』というタイトルの前作EPにつながるもので、ユニークなアナログ・シンセサイザーと、私たちが演奏するアコースティック楽器、アコースティック・ピアノやパーカッションを組み合わせるというアイデアなんだ。


このアルバムでは、特定の''Buchla''や''Serge''のシンセサイザーを初めて使う機会があったので、マシンのロジックやどのような音を作ることができるのかについて多くを学ぶことができた。そのおかげで、ピアノのための作曲の新しい可能性を想像するようにもなった。『ラジオ湯河原』では、イノヤマランドとの初めてのコラボレーションで何が可能かを想像していたし、他方『アルゴット』では、シンセサイザーとピアノの組み合わせで何が可能かを想像している。



ーーBuchlaやSergeなどのシンセサイザーはどのような機材ですか?普通のモジュラー・シンセサイザーとの違いはありますか?  大まかに教えてください。


Passepartout Duo(Nicoletta Favari): 現在のシンセサイザーは、何百という先代のシンセサイザーを参考にして、インターフェースや素材、機能性を決定することができますが、BuchlaやSergeにはそのような余裕はありませんでした。これらのモデルが作られた60年代や70年代には、純粋なエレクトロニック・ミュージックを作ることは可能でしたが、ミュージシャンにとって理にかなったアプローチを作るには時間と労力が必要でした。古いBuchlaやSergeのシステムで興味深いのは、これらの新しい疑問のすべてに答えようとする非常にユニークな試みだということだ。


これらのシステムは大部分がアナログであるため、非常に特殊な特性と不安定性を持っており、それが私たちの音の扱いや機械との共同作業のプロセスにとって非常に重要なのです。システムには(Buchlaタイム・ドメイン・プロセッサーのような)デジタルの要素もありますが、同様にテクノロジーの初期バージョンを探求しているため、興味深いアーティファクト(人工物)があります。



ーーレコーディングではインプロヴァイゼーション(即興性)が強調されているように感じました。どのようなサウンドを目指したのでしょうか? また、制作の中で最もエキサイティングな瞬間を挙げるとしたらそれはどんな瞬間にありましたか?


Passepartout Duo: 私たちは主に、シンセサイザーと一緒に作曲することで、シンセサイザーをそのプロセスにおけるもう1つの能動的なエージェント(代理)として扱い、独自の決定を下していくことをアルバムのプロセスとして考えていました。


これはマシンとのインタビュー(対話)のようなもので、パッチ(データやモジュール)を設定し、音符のセットを確立することで、いくつかの質問を投げかけます。マシンは、私たちが完全に予測できず、時には理解できないような答えを返してくる。これによって、レコーディング時に私たちが反応する会話が生まれ、すべての音響パートは、そうした音楽的会話から派生したものなのです。


実は、ピアノ・パートは、シンセサイザー・パートからトランスクリプション(曲ないしは音を譜面に起こすこと(記譜のこと)によって抽出されたコンポジションです。私たちは、シンセサイザーの音の最もメロディアスでハーモニックな要素を際立たせるため、主にユニゾンのテクスチャーに焦点を当てたいと思い、聴こえたものをできるだけ正確に記譜し、また、興味深い予測不可能な結果を生み出すことができるトランスクリプション・ソフトウェアも活用しました。


この2番目のステップによって、私たちの耳は、次に録音するアコースティック楽器のパートで、より精巧にしたり、より装飾的にしたりするような、作品のさまざまな方向性を聴き取ることができました。さらにフルート、コントラバス、弦楽四重奏など、ゲスト・ミュージシャンがさまざまなトラックに参加したことで、即興の世界がより鮮明になりました!  


まず第一に、私たちは彼ら全員を素晴らしいミュージシャンと見ていますので、完全な信頼を置いて決断しました。そして第二に、これらのトラックがまったく新しい次元で生き返ったのを聴くのは本当に信じられないことでした。


ーーこのアルバムでは、日本人の打楽器奏者の住吉さんが和笛を吹いています。彼をコラボレーターに選んだ理由はなぜでしょうか?


Passepartout Duo: 今年の初め、私たちはアーティスト・イン・レジデンスとして新潟で数カ月を過ごしました。思いつきの旅行で佐渡の鼓童村を訪ねたのですが、裕太はとても素晴らしいホストとして私たちを迎え入れてくれました。


彼はまた、自身の0onプロジェクトや、音楽レーベル、自身の音楽、そしてレコーディングのセットアップについて少しだけ話してくれた。

 

その後すぐに、新潟での小さなライブ・セットで即興演奏をする機会があったのですが、裕太がいかに簡単にプロジェクトに飛び込み、彼自身のユニークな声をシームレスに織り交ぜることができるのかと、信じられませんでした。ですから、私たちは、一緒に仕事をする機会を与えてくれたことに感謝していますし、このような寛大な心の持ち主に出会えたことに感謝しています。


『Argot』のためにコラボレーターに声をかけることを決めたとき、私たちはフルートが興味深いレイヤーを加えてくれるだろうとも考えました。フルートのフレージングは言語と同じように、呼吸(ブレス)の持続時間と強く結びついているからです。


ーーお二人は以前、細野晴臣さんのラジオ番組に出演されたことがあり、最後のアルバムは湯河原の温泉地でレコーディングされたそうですね。日本との関係はどのように始まりましたか? また、日本文化のどこに魅力を感じますか?


Passepartout Duo:  日本的な文化が好きな友人が、文学やさまざまな証言を通して彼女が心に描いてきた日本が、現実には存在しないことに気づくだろうから、日本には絶対に行きたくないな、と言ったことがありました。


たまたまクリスと私はここ数年のあいだ、何度も日本を旅行する機会があったけれど、その度に私たちの日本への想像は現実と出会い、そして離れている間に独自の成長を遂げ、再び現実に引き戻されたような気がしました。それはある種、興味深いダイナミックな関係を意味します。


ーー思っていたのと違った箇所もあったけれど、実体験によって、より深い理解を得たということですね。日本文化に対する見方について具体的に、どのようなときに予想外だと感じましたか?

に対する見方について。具体的に、どのようなときに「思ってい

Passepartout Duo: 地理的に日本のさまざまな地域を訪れることができ、その違いを感じることができたと思います。青森から佐渡まで、東京から京都まで、長野から徳島まで、地域によってリズムが違ったり、季節によって生活の意味合いが違ったりするのは、いつも驚きましたし新鮮でした。


ーーPassepartout Duoの音楽性を「スロー・ミュージック」と表現していますね。この音楽は「くつろげる、ゆったりとした音楽」と定義されるのでしょうか? この考えを「Argot」にも当てはめることはできますか?


Passepartout Duo:  私たちが "スロー・ミュージック "と言う場合、一般的には、構想や楽器の設計から最終的な音楽の完成に至るまで、多くの時間を要する段階からなるプロセスとしての音楽制作に対する私たちの全般的なアプローチを指しています。


実際、私たちが音楽制作をコントロールする上で、一方ではかなり具体的であるとしても、他方では、人々が私たちの音楽を聴くときの心の状態について、本当に予測することはありません。Argotでは、いくつかの曲を聴いた後の感情の状態をどう表現したらいいのか本当にわからない。私たちが音楽を聴くとき、特に興味があるのは、音楽を理解することと理解しないことの間の押し引き(境界線)なのかもしれない。私たちの考えでは、音楽は言語の外にあるアイデアの伝達者として存在し、楽曲の目的、反応、感覚を表現するのに通常の言語では不十分と感じています。しかし、私たちの側からアルゴについて確実に言えることは、「妥協のない音楽」ということです。


Argotは私たちが話していた「スローミュージック」のプロセスに入るのでしょうか?というのも、このプロジェクトは、私たちが新しい楽器を発明したり、作ったりする必要がなかったからです。また、ライブ・パフォーマンスという形式をとっていないため、聴く人それぞれが、どこでどのように聴くかによって、自分自身のリスニング体験を作り上げることになるからです。


ーーさて、お二人は頻繁に世界中を旅していらっしゃるようですね。旅先で出会った人々や文化、風景は、あなたの作品に影響を与えていますか? 旅の素晴らしさや醍醐味について教えてくださいますか。


Passepartout Duo:  私たちはこの7年間、旅を続けていますが、本当に幸運なことだと思います。この旅はまず私たちを人間として変化させましたし、そうして音楽にも浸透させている。作品を発表するために呼ばれる場所や状況が絶えず移り変わるので、私たちは常に練習方法を見直したり、新しく発見した音楽のテクニックや楽器の素材、リズムやアイデアに触発されることがよくあります。私たちは行く先々で、素晴らしいアーティストやミュージシャンに出会うだけでなく、美しいコミュニティやアーティスト・スペースの運営方法にも出会うこともある。


『Argot』に関しては、この微妙なプロセスを如実に表しています。というのも、もともとオーストリアのレジデンスでのブクラ・シンセサイザーとの出会いに触発され、スウェーデン、フランス、アメリカでのレジデンスのおかげで実現したものだし、中国や日本での旅からのインスピレーションも含まれています。もっと多くの人が旅行や旅をする機会を持てば、社会はもっと良くなると私たちは心から思っています!


ーーArgotは音楽として聴くことも、芸術作品として解釈することもできます。このアルバムに接した人たちに、どのような面白さを感じてほしいですか?


『Argot』のリスナーが、エレクトロニック・ミュージックとアコースティック・ピアノの両方に対する新しい考え方を発見できるような、新鮮なアルバムだと感じてくれることを願っています。


ーーPassepartout Duoの今後について教えてください。また、あなたにとって最も理想的な音楽と芸術の形は何ですか?


新しい旅の計画は続けていますし、新しいライブセットも現在開発中です。数ヶ月後には、ベルリンのKOMA Elektronik社と共同で製作・販売を開始した楽器、''Chromaplane''が多くの人の手元に届き、使われ始めるでしょう。自然はおそらく私たちにとって最もパワフルな音楽で芸術でもあるのです!

 

『Argot』に関するリリース情報はこちらからご覧ください。



【Episode In English】

 

The Passepartout Duo, formed by Nicoletta Favari (Italy) and Christopher Salvito (Italy/USA), create a carefully selected palette of electro-acoustic textures and mutable rhythms. Since 2015, the group has been traveling the world, presenting creative compositions they call “slow music”. The music ranges from environmental to experimental, but the common thread is that the duo's music is not part of a traditional musical lineage, but rather an experience of the unknown.


They continue to work without categorization as guests of prominent artist residencies and live performances in cultural spaces. He has had numerous artist residency opportunities around the world, including the Watermill Center (USA), Swatch Art Peace Hotel (China), Rogers Art Loft (USA), and Embassy of Foreign Artists (Switzerland). In 2023, they participated in the Nakanojo Biennale, and in April of the same year, they performed in “Daisy Holiday! Haruomi Hosono”. In 2024, they came to Japan as artists-in-residence for “Yui Port”, visiting Tohoku and Hokkaido.


The Passepartout Duo also performed on “KANKYO ONGAKU,” nominated for a 2020 Grammy Award in the Best Historical Album category, and released a collaborative album with Inoyama Land, “Radio Yugawara,” in the summer of 2024. Following this, he will release his new album “Argot” on November 29. 

 

This work was conceived during a residency in Stockholm, and was created through an encounter with modular synths "Buchla" and "Serge". We contacted with Nicoletta Favari, a member of the duo, pianist, and instruments developer.


--While the previous album "Radio Yugawara" was composed mainly of environmental music, the style of "Argot" is very different. On the album, we can hear an avant-garde live session of acoustic piano and analog synths. Can you tell us about the inspiration and general conception of the production of this album?

 

Passepartout Duo: Our practice aims to be quite omnivorous, so it is not really a surprise for us that our different projects fall into different scopes. Argot is a sort of sound research, something that we have been seeking and cultivating for a couple of years, and where we strive for very pristine and high quality sound recording too. It reconnects to our previous EP titled Epigrams, and the idea is to couple very unique analog synthesizers with the acoustic instruments we play, acoustic piano and percussion. 


In this album, we had the opportunity to use some specific Buchla and Serge synthesizers for the first time, and so we learned a lot about the logic of the machine and the kind of sound it can create. Because of this, we also started imagining new possibilities for writing for piano. Maybe what is in common between all of our work at a very basic level, is the understanding of music as the magic materialization of a possibility: in Radio Yugawara we were imagining what would be possible in a first time collaboration with Inoyama Land, and in Argot we are imagining what is possible pairing synthesizers and piano.


ーーWhat kind of equipment are synthesizers such as Buchla and Serge? Are there any differences between them and ordinary modular synthesizers?  Could you give us a general idea?


Passepartout Duo: When a synthesizer is made today, we can pull from its hundreds of predecessors to make decisions about the interface, materials, and functionality, but Buchla and Serge did not have this luxury. When a technology is new, there are no answers yet, just many questions - in the 60s and 70s when these models were made, it was possible to create pure electronic music, but creating an approach that made sense for musicians took time and effort, and so conventions were developed slowly. What is interesting about the older Buchla and Serge systems is that they are very unique attempts to answer all of these new questions.


Because the systems are largely analog, they have a very special character and instability that is very important to our treatment of the sound, and the process of collaborating with the machine. There are some digital elements to the systems (like the Buchla Time Domain Processor), but because they are similarly exploring early versions of the technology, they have interesting artifacts too.


--It seemed to me that improvisation was emphasized in the recording. What kind of sound did you aim for in this production? And if you had to name the most exciting moment in the production?


Passepartout Duo:  We mainly saw the process of the album as composing together with the synthesizer, treating the synthesizer as another active agent in the process contributing its own decisions. It was a sort of interview with the machine, where we pose some questions by setting up a patch and establishing a set of notes. The machine generates some answers back, answers that we cannot fully predict and sometimes cannot understand, even if they make sense based on the question asked. This creates a conversation that we’re reacting to when recording, and all the acoustic parts are derived from those musical conversations.


The piano parts are compositions that are extracted from the synthesizer part through transcription. We wanted to focus on primarily unison textures to highlight the most melodic and harmonic elements of the synthesizers’ sounds, notating out what we heard as accurately as we could, also making use of some transcription software that can produce interesting and unpredictable results. This second step helped our ears hear different directions the pieces could go, that we would elaborate or embellish in the acoustic instrument parts that were recorded next.


The contributions that guest musicians gave to different tracks on flutes, double bass, and string quartet live more clearly in the world of improvisation, and this was possibly the most exciting moment of the production for us! First of all, it was a step that we took with complete trust, because we see all of them as incredible musicians; and secondly, it was just incredible to hear these tracks come alive again in a completely new dimension: something that we thought we knew so well, was now sounding like we could have never imagined on our own, and this was really magical!


--On this album, Sumiyoshi-san, a Japanese drummer, plays the Japanese flute. What made you choose him as your collaborator?


Passepartout Duo:  Earlier this year we spent a couple of months as artists in residence in Niigata, and we were so lucky to meet a bunch of wonderful people involved with music. On a spontaneous trip we were taken to visit Kodo on Sado Island and Yuta hosted us as such a wonderful host. He also shared with us a bit about his 0on project, his music label, his own music, and his recording setup. 


Soon after, we had the chance to improvise during a small live set in Niigata, and it was so incredible how easily Yuta could jump into a project and seamlessly weave in his own unique voice. So we are very grateful for the chance to work together, and thankful for meeting such a generous soul! When we were deciding to reach out to collaborators for Argot, we also thought that these flutes would add an interesting layer because their phrasing is, like language, strongly connected to the duration of the breath.


--The two of you have appeared on Haruomi Hosono's radio program before, and your last album was recorded in the hot spring resort of Yugawara. How did your relationship with Japan begin? Also, what do you find favorable about Japanese culture?


Passepartout Duo:  A friend who is very fond of everything that is Japanese once told me that she would never want to visit Japan, because she would realize that the Japan she had cultivated in her mind through literature and different accounts does not exist in real life. 


It happened that Chris and I had many opportunities to travel back to Japan in the last few years, and I feel like every time our imagination of Japan meets reality and then has some time to grow on its own when we are away, and then back to reality again. That is a sort of interesting dynamic relationship.


--So you have gained a deeper understanding. Specifically, when did you find your view of Japanese culture unexpected?


Passepartout Duo: I think I was able to visit different parts of Japan geographically and feel the differences! From Aomori to Sado, from Tokyo to Kyoto, from Nagano to Tokushima, it was always surprising and refreshing to see the different rhythms in different regions and the different meanings of life in different seasons.


--You guys describe the musicality of Passepartout Duo as "slow music". Is this music defined as "relaxing, laid-back music that makes you feel at home"? Can we apply this idea to "Argot" as well?


Passepartout Duo:  When we speak of “slow music” we generally refer to our overall approach to music making as a process, made of many time-consuming phases from conception and instrument design to final fruition of the music. In fact, if from one side we are quite specific in the control that we have over the production of the music, on the other side we really don’t have predictions about the state of mind that people should have when listening to our music. 


And especially with Argot, we are really not sure how to describe the emotive state after we listen to some of the tracks. Maybe what we are particularly interested in when we listen to music is this push and pull between understanding and not understanding the music, so that in fact the act of listening is expanding our own understanding. In our view, music exists as a communicator of ideas outside of language, and we don’t feel language is normally sufficient to describe the purpose, response, and feeling of a piece. But from our side, what we can certainly tell about Argot is that it is music of no compromises.


Now, does Argot fall in the process of “slow music” that we were talking about? I think only partially, because this project did not require us to invent and build new musical instruments, and also because it does not really exist in the format of a live performance, so every listener will be curating their own listening experience depending on how and where they are listening to it.


--It seems that you two often travel around the world. Do the people, cultures, and sights you encounter on your travels have any influence on your work? Can you tell us about the beauty of travel?


Passepartout Duo:  We have been continually traveling for the past seven years, and we know we are really fortunate. This travel is first changing us as people, and in this way seeping through into the music too. Because of the shifting grounds and circumstances where we are called to present our work, we are constantly reframing our practice, and we are often inspired by newly discovered music techniques, materials for musical instruments, rhythms or ideas. 


Everywhere we go we encounter incredible artists and musicians, but also beautiful communities, and ways of running artist spaces, and the dedication of all of these people give us a lot of strength and motivation.


Argot is really a clear example of this subtle process, because it was originally inspired by our encounter with the Buchla synthesizer at a residency in Austria, it actually was made possible thanks to residencies in Sweden, France, and the US, and also includes inspiration from travels in China and Japan.


We truly think that if more people had the chance to travel or travel more often, our societies would improve!


--“Argot" can be listened to as music and interpreted as a work of art. What do you hope people who come into contact with this album will find interesting?


Passepartout Duo:  We hope that listeners of Argot will find it a refreshing album that allows them to discover new ways of thinking about both electronic music and acoustic piano, which is exactly what happened to us in the process of making it too.


--Can you tell us about the future of Passepartout Duo? Also, what is the most ideal form of music and art for you?


Passepartout Duo:  We continue to have plans for new travels, and we are developing at the moment a new live set as well, that will include some older and some newer instruments. 


In a few months many people will also start receiving and using the Chromaplane, the instrument that we have started producing and selling together with the Berlin-based company KOMA Elektronik, so we are really excited to see where that will take understanding of the instrument and of electronic music.Nature is probably the most powerful form of music and art for us!

【Weekly Music Feature】  Felicia Atkinson

Felicia Atkinson


実験音楽家、サウンド&ビジュアル・アーティストのフェリシア・アトキンソン(1981年生まれ)は、ノルマンディー(フランス)の野生の海岸に住んでいる。2000年代初頭から音楽活動を開始。バルトロメ・サンソンと共同主宰するレーベル、シェルター・プレスから多数のレコードと小説をリリースしている。


フェリシア・アトキンソンにとって、人間の声は、風景、イメージ、本、記憶、アイデアなど、従来の意味での言葉を発しない多くのものと並び、その中にある生態系に息づいています。フランスの電子音響作曲家でありビジュアル・アーティストである彼女は、フィールド・レコーディング、MIDIインストゥルメンテーション、フランス語と英語によるエッセイ的な言葉の断片をコラージュし、彼女自身の声と対話しながら、これらの他の可能な声を活かすような独創性の高い音楽を制作しています。


彼女自身の声は、常に空間を作るために移動し、隅からささやくように、あるいは全然別の登場人物の口調になりきることもある。


アトキンソンは、想像的で創造的な人生を処理する方法として作曲を用い、ヴィジュアル・アーティスト、映画制作者、小説家の作品と頻繁に関わる。彼女の重層的なコンポジションは、時間と場所を交互に引き伸ばしたり折りたたむストーリーを語る。彼女は語り手ではあるが主人公ではない。控えめな登場人物として作品の中に現れる。


フェリシア・アトキンソンは、ジェフレ・カントゥ=レデスマ、クリス・ワトソン、クリスティーナ・ヴァンツォー、スティーブン・オマリーなどのミュージシャンや、エクレクト(ジュネーブ)、ネオン(オスロ)などのアンサンブルと共同制作している。INA GRM/Maison de la Radio(パリ)、Issue Project Room(ニューヨーク)、バービカン・センター(ロンドン)、Le Guess Who(ユトレヒト)、Atonal(ベルリン)、Henie Onstad(オスロ)、Unsound(クラクフ)、Skanu Mesz(リガ)などの会場やフェスティバルで演奏して来ました。彼女は、映画製作者(ベン・リバース、シーヴァス・デ・ヴィンク)やファッション・ハウス(プラダ、バーバリー)から作品の依頼を受けている。RIBOCA Biennale(リガ)、Overgaden(コペンハーゲン)、BOZAR(ブリュッセル)、Espace Paul Ricard(パリ)、MUCA ROMA(メキシコシティ)などの美術館、ギャラリー、ビエンナーレに出展している。


地球での生活で普遍的な体験のひとつは、首を傾げながら宇宙を見つめること。自分の内的生活の広大さと宇宙の広大さが出会い、瞬間、それらの視点は驚きと好奇心の中で融合する。フランスのアーティストで音楽家フェリシア・アトキンソンの最新アルバム『Space as an instrument』は、リスナーを、心が開放的で環境に対し受容的であるとき、そのような変容的な出会いの中で生まれる幻想的な風景へと誘う。夜空の広大さに吸い込まれるように、この音楽はイマジネーションを膨らませ、計り知れない神秘の中に心地よく身を置く手助けをしてくれる。


エレクトロニクスの断片や、発音された言葉の子音等、音楽の端々にある音と複雑に絡み合いながら、抑制された反復的なメロディーによって語られる。これらはアトキンソンの携帯電話で録音されたものであるといい、鍵盤の横や背後に置かれ、部屋の音が滲んで、不可思議な場所と時間を感じさせる。彼女はこれらのセッションを、「自分とピアノが交わり、渦巻くようなフレーズや茫漠とした不協和音を刻一刻と共創していく会議」と表現している。このダイナミズムを複雑にしているのが、ダイオードとLEDディスプレイという超現実的な空間に存在するデジタルピアノの存在である。デジタル・ピアノは、3次元のピアノのアバターとして機能する。


それでも、人、水、風といった人間の世界にある主要な元素は、楽器としてスペース全体で聴くことが可能です。多くの場合、これらの録音はエレクトロニクスの背景と一体化し、あるいは物理的な形態が不明瞭な動きの音に還元される。"Sorry "では力強い突風にマイクが緊張し、"Pensées Magiques "では見えない地形を横切るリズミカルな足音。これらのフィールド・レコーディングは、私たちを共感覚的体験の瀬戸際まで誘い、想像力の地形を垣間見せてくれる。しかし、アトキンソンの音楽は、このシーンに対する特異な視点や明確な結論に抵抗する。


「音楽、それは何も説明しない 」と彼女は言う。「しかし、それは私がそれを知覚する方法を、どうにかして翻訳しようとする」


アトキンソンはもともと多趣味で、日々のさまざまな芸術的実践に没頭し、互いに栄養を与え合っている。自宅の庭では、種を超えた関係構築のスローワークを行い、内省とさらなる創造に理想的な空間を培っている。アルバムのヴォーカルとエレクトロニック・エレメントの多くはそこでレコーディングされたという。


「日常的な意味づけの道具を謎めいたものにする能力がある」と彼女が高く評価する詩の形態は、音楽にも折り込まれている。彼女は時間の許す限り、絵を描いているという。アトキンソンが絵画に見出す個人的な限界のひとつ「遠近法の表現」は、彼女の音楽を定義する特徴になっている。聴き手の視点は滑りやすく定まらず、音は巨大にも極小にも、遠くにも近くにも見える場合がある。


この現象は、1時間半の演奏から削ぎ落とされた13分の作品「Thinking Iceberg」の中心的なもので、アルバムのレコーディングでは幽霊のような存在でしかない。アトキンソンは、オリヴィエ・リモーの著書『Thinking Like An Iceberg(氷山のように考える)』を受けて、この曲を書いたという。


この書籍では、哲学者がこの巨大で絶滅の危機に瀕した物体に主体性を与え、彼らが人間との千年にわたる関係をどのように認識するかを想像する。ストイックなシンセサイザーの音色が鳴り響く中、水はフレームから飛び出して、澄み切った存在感を放つ。作品が盛り上がると、アトキンソンのささやきが、リスナーの左耳の傍らに聞こえてくる。私たちは、巨大さと繊細さが、時間と人間性の犠牲の上にいかに共存しうるかについて、かすかな気づきを得るのである。


アトキンソン自身は、彼女の音楽は「理解できるかできないかの瀬戸際に位置する」と語っています。しかし、漠然とした空間には謙虚さと開放感があり、巨大な凍った水の塊の意識を理解するのに十分な共感があるのかもしれない。聴き手の視点がさまざまな方向に向けられることで、それもまた思いやりを育むための手段となり得るのではないだろうか? 彼女の音楽に静かに耳を傾けるとき、私たちは、崇高な体験……、無限の広がりと近さの根本的な並置の中にだけ意味があるのではなく、同じ旅をした無数の個人の連続性の中にも意味があるという大いなる知恵に出会うことになる。


以前、アトキンソンは、The Quietusの「目をつむり、見て」と題された過去のインタビューにおいて、アンリ・ルソー、高田みどり(注:  日本の実験音楽家。高野山の仏僧とのライブセッションをレコーディングに残している)からの影響、日本の切り花や生花からの影響を参照している。それはアトキンソンの音楽制作の道しるべとなり、空間の中でどのように音楽が聞こえるのか、音の各々のマテリアルがどこに配置されるべきか、という考えに反映されている。


これらはすべて、印象派/抽象派としての美しい音楽をアトキンソンが作曲するための足掛かりとなるイデアである。そしてまた、「そこにあるべきものが自然な形で存在する」、あるいは、「過度な脚色や華美さを平すように削ぎ落としていく」という日本の伝統的な建築形式や芸術様式の美学の反映も内在する。これは、「侘び寂び」と呼ばれる日本の美学の原点でもあるのです。



『Space As An Instrument』  Shelter Press   (90/100)

 

フランスの実験音楽家、フェリシア・アトキンソンは、ニューヨークとパリを往復することが多いらしく、定期的に移動するのが好きだというように話していた。28年ほどパリで過ごし、以後ブリュッセル、そしてレンヌに滞在している。「わたしの家の窓からは、素晴らしい庭が見え、何百羽もの鳥が住んでいた。しかし、プライベートプールを建てるためにすべての木がなぎ倒され、私の心は傷ついた」と彼女は語っている。「レンヌの建築は70年代までは面白かったが、以降は開発業者のための大虐殺。現在、不動産の投機のために美しい家が次々と打ち壊されている」 さて、時代を追うごとに外側の景色が変わっていく中で、変わらないものは本当にあるのだろうか。

 

新作アルバム『Space As A Instrument』は、外の景色が移ろっていく中で、変わらないものとはなにかを探求している。それは内側と外側の世界の合致する瞬間であり、内側の世界が静寂に包まれる時、初めて外の世界が同じように静かに見えることがある。録音という行為は、記録の代用でもある。瞬間に捉えられる音、言葉、外側の世界のフィールド録音、このアルバムの場合は、鳥の声、水の音等を中心に構成され、それらが電子ピアノとフェリシア・アトキンソンの声、アコースティック・ギター、マリンバ、あるいは、彼女自身の詩の朗読によって組み上げられる。37分ほどの記録.....、もしくは永遠の時間の中の瞬間的な歩み......、その不明確な空間に響きわたる、ないしは、こだまする電子音楽のテクスチャーは、基本的にはブライアン・イーノの系譜にあるアンビエントの技法や実験性の高いマテリアルを中心に構成されている。

 

しかし、音の運びが組み合わされると、どのジャンルにも属さないノンジャンルの音楽が出来上がる。抽象的な音の運び方は、ジョルジュ・デ・キリコの不可思議なシュールレアリズムの絵画の世界の中に飛び込むかのようだ。このアルバムにはそれほど多くの人も登場しないし、そして躍動的な生命の息吹を感じさせることも稀有である。しかし、同時にこのアルバムには、生命的なエネルギーの断片が刻まれている。そして実験音楽として、湯浅譲二や武満徹の実験工房時代の音楽を彷彿とさせる内容も登場する。しかし、その音楽は、アストリッド・ソーンの最新アルバムのように、表向きには不気味に聴こえる場合もあるが、実際的に建築やファッションの美的センスと図りがたい癒やしが共存する稀有な作品と呼べる。

 

アルバムの冒頭を飾る「1- The Healing」では、大自然の脈動(宇宙の本質的な活動でもある)を表すかのような木の音の軋みを録音したフィールドレコーディングにピアノの演奏が続く。ヒーリングミュージックを思わせるタイトルだが、幽玄なアンビエントピアノ風の悲痛なサウンドが続いている。その中に、フェリシア・アトキンソン自身のスポークンワード、詩の朗読が加わる。それは内的な痛みを感じさせ、背景となるアンビエンスに的確に溶け込んでいる。朗読は非常に淡々としているが、それは上記のような自然破壊に対する悲しみと嘆きが内在する。まるでその声は消えたもの、消えぬものの境界に揺れ動くかのよう。

 

「2- This Was Her Reply」は、マリンバの演奏で始まる。その後、アトキンソンの詩の朗読が続く。そして、「アルバムの録音」という行為の目論見が、発生した音を収録するのではなく、「一空間にある元素の実存を表す」というものである。どうやら、アルバムを聴くと、制作者は、原子や元素のような微細な要素から組み合わされる物質の総体が音楽であると考えているらしい。

 

ここでは、音楽という概念を構成する微細な元素の集積のことを「Ambience- アンビエンス」と呼ぶ。アトキンソンの制作する音楽の基底には、有機的な生き物、無機的な楽器が並置される。しかし、その両方に両極端の性質が存在し、それらの生命的なエネルギーや元素、そしてエーテルのようなプラトンが提唱したギリシア的な概念に培われる原初的な構成要素を収録する。


これが単なる音の発生にとどまらず、「有機体としての一つの空間」を生み出し、それらがテキサスの礼拝堂であるロスコ・チャペルのような不可思議な空間性を作り上げていく。特に、「空間の移動」という彼女の一つの人生の副次的な主題のような概念も偏在している。それは、アンビエンスの変化という側面で発生し、広大な空間から狭い場所へと瞬時に移行する。また、それらの空間的な移動を助長するのが電子音楽のテクスチャー。この曲の場合は、カールハインツ・シュトゥックハウゼンの「トーン・クラスター」の技法によって行われる。

 

このアルバムは、日常的な生活の周囲の音楽の他にも、山岳地帯にこだまするアンビエンスを描写したような曲も登場する。「3-Thinking Iceberg」では、ブルターニュ地方の山岳地帯を思わせるサウンドスケープがブライアン・イーノの系譜にある重厚なアンビエントにより描写される。これらは、バルザック時代のフランスの古典的な風景の名残りを描写音楽として活写したかのようだ。

 

シダの別名であるフジェールの茂る大きな森、古い苔に覆われた石の寺院、土壁を持つ風車、また、古典的なヨーロッパの美しきレンガの町並み、そして、スイスのアルプス地方にも見出されるような神秘的な光景を囁くようなスポークンワードで包み込む。それらは本来は離れた空間ーー広大な自然と彼女の住む生活空間ーーを結びつけるかのようでもある。しかしそれらは、神秘的ではあるが、歴史的な歩み、その最中にある憂愁のような感覚を刻印している。つまり、「内側の世界の視点を通して離れた場所を見つめる」ような不可思議なアンビエントなのだ。この辺りに「目を閉じると見える」というアトキンソンの作曲概念がうかがえる。曲の最後にはリュートを思わせるガットギター(バリトン)が優雅で神妙なエンディングを構成する。

 

 「タイル」を意味する「4- La Puile」では、透明な印象を持つアンビエント・ピアノが展開される。前曲での乖離した二つの空間の結合を基にし、この曲では、アトキンソンの神妙なスポークンワードによって、さらに瞑想的な領域へと差し掛かる。音楽が表面性に鳴り響くにとどまらず、その内側に入り込んでいき、より深い内殻の空間へと踏み入れていく。


いつしか、ピアノの演奏は鳴り止み、立ち代わりに、布をこすり合わせるような録音、オーケストラストリングスの役割を果たすシンセ、そして、偏在する孤絶を表したかのようなスポークンワードが神秘的に鳴り響く。アルバムの冒頭のように、シンセの響きは悲しみの印象を与えるが、対比的に導入される高音域に鳴り響く単一のピアノのフレーズはそれとは対象的に高らかな響きに縁取られている。前項の山岳地帯の雪解けの頃の季節が何らかの個人的な記憶と共鳴を果たす。神秘的でありながら、重厚感があり、催眠的な響きを兼ね備えている。そして、これらの悲しみが何によるものかはよくわからないが、推測すると、それらは最初に述べたレンヌ地方の自然破壊や変わりゆく町並みへのノスタルジアとも考えることが出来るかもしれない。


このアルバムには、声という器楽的な要素を用いた詩の表現を織り込まれている。一方、音楽そのものが詩のように鳴り響くのもまた事実である。そして制作者は、フィールドレコーディングも効果的に用いて、音によるストーリーテリングの要素を付与する。例えば、続く「5- Sorry」では、大気の粒子をフィールドのマイクロフォンで捉え、その空気音をキャンバスにし、音楽を絵画さながらに描写する。


フェリシア・アトキンソンを「印象音楽のペインター」と称するのは少し強引かもしれないが、それに比する印象もなくはない。そして、彼女は、冒頭をシュールレアリズムで表現した後、アルルの印象派の画家のように、丹念にサウンドスケープを描いていき、これらは、ゴーギャンのような「暈しの技法」を作曲技法に取り入れているといえる。要は明確に聴取出来る音楽ではなく、背景に滲じむ抽象的な音像を作り上げてゆく。また、このアルバムは沈鬱な印象を持つ収録曲が多い中、この曲はただひとつだけ、天国的な音楽性が感じられる。しかし、タイトルに見られるように、この曲の印象は少しずつ制作者の人生の変遷を捉えるかのように変わっていき、最終的には、感傷的なピアノの断片とシンセにテクスチャーへと変化する。


『Space As An Instrument』は、個人的な生活の体験を基にして、そこから汲み出される感情や気付きを基に、複数の離れた空間を移動するかのようである。それは、レンヌからパリ、パリからニューヨーク、ニューヨークからブリュッセルというように、実際的な空間の移動も含まれているかもしれないが、同時に、過去に行った場所、過去に起きた感情、それらをすべてひっくるめて重要な体験と見た上で、現在の制作者が実存する地点から目くるめくようなクロニクルを構築していく。要するに、このアルバムは、例えば、ダニエル・ロパティンが最新作『Again』で探求したような「アンビエントや実験音楽による年代記」と称せるかもしれない。多くの人は、現実を「現象」として見ていると思うが、それはプラトンも言うように、真実に暗く、洞窟の闇に住まうことを示唆している。もちろん、「過去の場所、感情、行動、思索の積み重ね」の連続が、人間にとっての「実存」を意味するのである。それが他者が知り得ぬものであるからこそ、アルバム全体に通底する音楽は、純粋なアートとしての意味を帯びて来るようになる。本作は、その後、前の曲の流れを受け継いで、アンビエント・ピアノが続いている。

 

「6- Shall I Return To You」は、本作の中では最もミステリアスな響きを帯び、実際的に不協和音が強調されている。このアルバムでは始めて、他者の明確な暗示が登場する。氷塊のような印象を持つアンビエントのシークエンスとデチューンを施したピアノが組み合わされる否や、形而上に存在する音楽が作り上げられる。実際的な実験音楽としては、ハロルド・バッドに近く、ピアノの演奏とリサンプリングが組み込まれている。そして、アルバムの中に、再三再四登場するように、微細で幽玄な雰囲気を持つヴォーカルが登場する。

 

アルバムは連曲のように前の曲が次の曲と密接な関係を持ち、何らかの関連性を持っている。それは人生が連続しているのと同様。音楽の存在は、そのほかの要素と無関係ではないだろうし、曲はトラックリストを経るごとに、神妙な領域に入り込む。そして、その音楽は何らかの心象風景を仮想のヴィジョンに映写するように、曲ごとに異なる空間、風景、記憶を呼び覚ます。

 

特に驚かされたのが、本作のクローズを飾る「7- Pensees Magiques」(魔術的思考)だった。この曲は2024年の実験音楽の最高の一曲である。不協和音を活用したピアノの旋律の進行、そしてアルバムの二曲目よりも明確に「トーン・クラスター」が登場する。

 

本作の心象風景は最後のさいごになって、自宅の庭へと移り変わる。鳥の鳴き声や階段を上がっていく音など、何らかの瞬間を暗示する日常的なサンプリングがサブリミナル効果のように挿入される。これが、音楽を解明するというより、謎めいた余韻を残す。音楽はすべて分かるというよりも、何かしら究明しきれない箇所があった方が楽しい。特に、曲の最後の唐突な足音を聞いて、何が想像されるだろうか。また、どのようなイメージが呼び覚まされるだろうか。

 


 

 

 



* 発売元のシェルター・プレスは、出版社のバルトロメ・サンソンとアーティストのフェリシア・アトキンソンが2012年に共同設立したレコードレーベル兼出版プラットフォーム。印刷出版物やレコードを通じて、現代アート、詩、実験音楽の対話を構築している。2021年9月より、Shelter Pressは、Ideologic Organ、Recollection GRM、Portraits GRMレーベルのリリースも手がけ、コラボレーションを行っている。

Interview(インタビュー)   Masayoshi Fujita   -Erased Tapesとの出会い、最新アルバム『Migratory』について-

Masayoshi Fujita  ©Erased Tapes

自分のルーツである日本やアジアの音楽に興味がありますが、単にそれを取り入れるのではなく、自分の中で解釈し、表現していくというプロセスに重きを置いています」  -Masayoshi Fujita



 兵庫県を拠点に活動するヴィブラフォン/マリンバ奏者、藤田正嘉さんの音楽と出会ったのは、このサイトを初めてまもない2021年のことでした。以来、彼の演奏からもたらされる瞑想的な倍音の神秘性に魅せられてしまったのです。この年、私は、日本のアンビエントシーンのアーティストを宣伝したいと思い、2019年のアルバム『Stories』を拙いながらもご紹介しました。その日、私は、夕暮れの東京を歩いていて、数羽の美しい鳥が夕空の向こうに去っていくのをぼんやり眺めていました。そのイメージはなぜか今も脳裏に灼きついています。そして、最新アルバムに渡り鳥のテーマが込められているのを知った時、不思議な興味を掻き立てられた。


 藤田さんの演奏の素晴らしさを最初に見出したのは、ロンドンの実験音楽を得意とするレーベル、Erased Tapesの創設者であるロバート・ラス氏でした。ヴィブラフォンが魅力的な楽器だからという理由だけでなくて、彼の楽器の扱い方、幽玄で重層的なサウンドの描き方に、ラスさんは心から魅了されたといいます。


マサ(敬称略)は、まず最初にドラムを習い、その後、ヴィブラフォンを徹底的に練習して、ジャズやエレクトロニカに影響を受けた独自の楽曲を制作し、プレイするようになった。ヴィブラフォンのアンビエント・ベース/エレクトロニックな録音作品を''el fog''という別名義で発表するうち、藤田さんはヴィブラフォンの音色そのものに惹かれていったのだそうです。伝統的なヴィブラフォンのスタイルや奏法にこだわらず、楽器の新たな音響の可能性を探し求めて、金属片や箔などを使って演奏し始めました。その結果、生まれたフレッシュなサウンドは、楽器本来の音響性の特徴をなんら損なうことなく、ヴィブラフォンのスペクトルを敷衍させた。それ以降、アコースティック作品の作曲を始め、2013年初頭にはMasayoshi Fujita名義で初のソロアルバム『Stories』をリリースしました。


 2015年のErased Tapesからのデビュー作『Apologues』では初めてリード楽器以外の楽器、ヴァイオリン、チェロ、フルート、クラリネット、フレンチ・ホルン、アコーディオン、ピアノ、スネア・ドラムを使い、友人が演奏し、彼自身がアレンジした。ドイツの電子音楽家ヤン・イェリネクとのコラボレーションは、イギリスの雑誌『The Wire』の推薦により、世界中の実験音楽ファンから注目を浴びるようになった。


 以降も、英国のミュージックシーンと深い関わりを持ち続けた。レコード・ストア・デイ2016では、藤田と英国のエレクトロニック・プロデューサー、ガイ・アンドリュースの即興セッションをマイダ・ベイル・スタジオで収録した27分のBBC録音作品『Needle Six』を共同リリースしました。


 BBCラジオ3のレイト・ジャンクションの一環として録音されたパフォーマンスは、両者のミュージシャンの魅力を紹介し、普段の各々の準備を放棄し、斬新なアプローチを採用して展開される、予測不可能で説得力のあるサウンドを記録する、という当番組の伝統性を引き継いでいました。



 その後、2018年に高評価を得たアルバム『Book of Life』をリリースし、ヴィブラフォン・トリプティークを完成させた。ベルリンでの13年間の暮らしを経たのち、自然の中で音楽を制作したいという長年の夢を実現するため、兵庫県の香美町に転居し、スタジオを構えました。2021年5月28日、彼は続くアルバム『Bird Ambience』において未知の音楽性を示すことに成功しました。


 この作品は音楽的なアプローチに変化をもたらすことになった。これまで藤田さんは、アコースティックなソロ・レコーディング、エル・フォグという別名義のエレクトロニック・ダブ、ヤン・イェリネクら同世代のアーティストとの実験的な即興演奏を共有していましたが、この新しいアルバムにおいて、彼はこれらの異なる側面を初めて明確なビジョンにまとめ上げることに成功しました。また、彼の代表的な演奏楽器であるヴィブラフォンから、ドラム、パーカッション、シンセ、エフェクト、テープレコーダーと並んで、「マリンバ」が主役となったのです。


 先月同レーベルから発売された最新作『Migratory』には、実験音楽で活躍する二人のボーカリスト、Moor Mother、Hatis Noit、そしてスウェーデンの笙奏者であるMattias Hållstenが参加しています。前作と同じように、友人から深いインスピレーションを受けたという。タイトルは、アフリカ、東南アジア、日本の土地を旅する渡り鳥のイメージに因んでいます。彼らが下界から音楽を聴き、上空から世界を見る視点が音楽と土地の境界を曖昧にする様子を想像しています。


 音楽的にはアンビエント、ジャズが中心となり、マリンバの演奏を通して、サックス、シンセ、笙、ボーカルとどのような化学反応が起きるのかという制作者の試作の変遷を捉えられます。それはアルバムの主要な収録曲「Higurashi」、「Yodaka」をはじめとする日本語のトラックで大きく花開く。重層的で微細なハーモニクスの中には、西洋音階にはない微分音を用いるインドネシアのガムラン、日本の雅楽からのフィードバックを掴むこともできるかも知れません。



--今回のアルバム『Migratory』では「自然」というのがテーマになっているようです。あらためてお聞きしますが、具体的にどのような情景が音楽のイメージを作り上げていったのかあらためて教えていただきたいです。


Masayoshi Fujita: 僕は、何かを見て、それを直接音楽に反映したり、それをモチーフにして作曲するということはあまりないのですが、山の中の豊かな自然に囲まれて暮らし制作していることで、そこで日々自分の中に蓄積されていった景色や情景が、間接的に影響しているとは思います。あと、スタジオから見える山や木々、雲や霧に囲まれた環境で音楽を作っていて、そういった自然の中に違和感なく響く音というのを探っている気はします。


--ロンドンのレーベル、Erased Tapesからリリースを行うようになってから、およそ10年が経過しました。レーベルとの出会いや長年の付き合いについてあらためて教えていただくことは出来ますか。


Masayoshi Fujita: レーベルオーナーのロバートも一時期ベルリンに住んでいて、ちょうどその頃ニルス・フラームのライブで知り合いました。その後、アルバムが完成するたびにデモを送っていたのですが、「Apologues」のデモを気に入ってもらい、リリースする運びになりました。


Erased Tapesはロバートの人柄が色濃く反映されたレーベルで、音楽やアーティストをとても大事にしてくれますし、自由にやらせてくれます。レーベルのチームみんなが家族のような友人のような関係で、とても居心地が良いです。このレーベルに出会えて長く協働できていることを本当にありがたく思っています。


ーー昨年、お母さまを亡くされ心痛であったと思いますが、最新アルバムの音楽には、何かしら個人的な追憶や回想のような感慨が含まれているのでしょうか。


Masayoshi Fujita: 個人的な追憶や回想といったものは、あまり含まれていないかもしれませんね。間接的にはあるのかもしれませんが、どちらかというと現在進行形で自分が興味のあるテーマ、音楽をやっているという感覚です。もっというと、個人的な部分を超えたーー普遍的な部分ーーに興味があるのだと思います。


ーー藤田さんは、これまで実験音楽を数多く制作されてきました。最新アルバムは、終盤の収録曲にある、ひぐらしのフィールドレコーディングを聞くかぎり、個人的にはアジア的でありながら、日本的であるとも感じました。制作全般を通して、日本的な感性やエモーションを表現したいという思いはありましたか。


Masayoshi Fujita: 今回のアルバム制作の過程を通して、「渡り鳥」というイメージが出てきました。それは、架空の渡り鳥がアフリカからアジア、そして日本へと渡っていくようなイメージです。ここ数年、自分のルーツである日本やアジアの音楽に興味がありますが、単にそれを取り入れるのではなく、自分の中で解釈し、表現していくというプロセスに重点を置いています。今回のアルバムもその探求の一環ですね。




ーー他方、この作品には、MOOR MOTHER、Hatis Noit等、実験音楽をメインに活躍する著名なコラボレーターが参加しています。両者ともボーカルのタイプが全然異なります。作品への参加の経緯をお聞きしたいのと、この作品にどのような影響を及ぼしたのか教えていただけますか。


Masayoshi Fujita:  Moor Motherは、最初に彼女の曲にヴィブラフォンを弾いてほしいと依頼され、録音しました。その後、そのお返しに「あなたの曲に参加することもできるけど」と提案され、新曲にポエトリー・リーディングを乗せてもらうことになりました。


彼女が参加した「Our Mother’s Lights」は、当初はボーカルを入れることは想定していなかったんです。どこかアフリカからアジアを飛ぶ鳥のイメージがあったので彼女のイメージに合うんじゃないかと思い、ヴォーカルを入れていただいたところ、想像以上によくて別次元に昇華してくれました。



Hatis Noitさんとは、以前からアジアの音楽やルーツについて話していたこともあり、僕から一緒に曲を作る提案をしました。まずはスタジオ近くでヒグラシの音を録音し、彼女に送り、彼女がそれにボーカルをつけ、その上に僕がまた少し音を重ねて完成しました。二人とも声という要素でこの作品の幅を広げてくれているのと同時に、渡り鳥というテーマにも深みを与えてくれています。


ーーこのアルバムには、個人的には、ニューエイジ、アンビエント、ジャズに至るまで非常に多彩な音楽性が含まれているように感じました。とりわけ、以前の作風よりもクロスオーバー性が強まったという印象を受けました。制作者として、その点はどのようにお考えでしょうか。


Masayoshi Fujita: 前作『Bird Ambience』は、楽曲ごとに音楽性が異なり、アルバムとしての統一感に欠ける部分がありました。あの作品は、それまで自分が試みてきた様々なタイプの音楽を全て取り込んで一緒くたにするというアイデアのもと作ったので無理もないのですが、次作品はさらに方向性を絞ったものにしたいという思いがありました。今回は、アンビエントの方向性に絞りつつも、参加アーティストの影響もあり、クロスオーバーな要素も加わったと感じています。


ーーまた、その中で、個人的にはスティーヴ・ライヒの系譜にあるミニマル・ミュージックの影響も見出すことが出来ました。藤田さんにとって、ライヒはどのような存在でしょうか。また、演奏者として、この数年、どのようなプレイヤーを目指してきたのか教えていただければと思います。


Masayoshi Fujita: 正直に言うと、僕はスティーヴ・ライヒの音楽をあまり聴かないので、直接的な影響は少ないかもしれませんね。ライヒはマリンバをよく使うので、連想されることは多いですね。もちろん知識としては知っていますし、曲も色々聞いたこともありますが、あまり個人的に感銘を受けたという曲は少ないでしょう。「Music for Pieces of Wood」という作品は例外的にとても好きなんですが………。でも、僕が直接的に影響を受けたミュージシャンでライヒの音楽から影響を受けた人は多いと思うので、間接的には少なからず影響は受けているかなと思います。


また、一演奏者としては、自分にしか表現できないヴィブラフォンやマリンバの音を追求し続けたいと思っています。確固たる自分の音を持った演奏者でありたいですね。


ーー 最後に、藤田さんは、長年のベルリンの生活を終えられて、現在、関西で活動されていらっしゃるようですね。ドイツと日本の暮らしの違いであるとか、それぞれの国の魅力などについて実体験を元に教えていただけますか。また、以前と比べて日本の印象は変わりましたか。


Masayoshi Fujita: ドイツから、兵庫県の北部に移住しました。違いは多くありますが、日本はやはり自分の故郷であり、根を下ろして長く生活しながら音楽を作りたいという夢がようやく実現した感覚です。今住んでいる場所は、私にとって全く新しい土地でとても自然豊かなところでなので、日々新鮮な発見があります。


田舎暮らしには、まだ慣れない部分もありますが、ゆっくりと新しい生活を築いていっている最中です。帰国前と比べて日本の印象が変わったというよりは、もっと深く日本の自然や文化を知り、感じられるようになったと思います。なんとなく知っていると思っていたこと、想像していたことが具体的に見えてきて、さらに奥深い魅力も発見していっているという感じでしょうか。

 

 

◾️アルバム情報  Masayoshi Fujita 『Migratory』 - Erased Tapes


Tracklist:

Tower of Cloud
Pale Purple
Blue Rock Thrush
Our Mother's Lights (feat. Moor Mother)
Desonata
Ocean Flow
Distant Planet
In a Sunny Meadow
Higurashi (feat. Hatis Noit)
Valley
Yodaka

 

Listen/Purchase: https://idol-io.ffm.to/Migratory

左から畠山地平/石若駿


 
アンビエント/ドローン・ミュージシャンChihei Hatakeyama(畠山地平)とジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーション・アルバムの第二弾『Magnificent Little Dudes Vol.2』が本日ついにデジタル・リリースされる。 

 
 

アルバムのリリースを記念して、デュオは受賞歴のあるイギリスのチェリスト、セシリア・ビグナルをフィーチャーしたアルバムのオープニング曲「M3」を公開した。

同楽曲について、畠山は次のように声明を通じて述べている。「『M3』では私たちの演奏にセシリア・ビグナルがチェロで参加してくれました。これは遥か昔、私がデヴィッド・グラブスから受けた影響が見え隠れしています。彼のアルバムの『ザ・スペクトラム・ビトウィーン 』に入っている「Stanwell Perpetual」という曲です。しかしこの曲は私が頭の中で何度も形を変えてしまったので、今回の『M3』とは直接は関係がないように思えます」と話していました」

 

「M3」

 

 

このアルバムに関するMOJO,Uncutを筆頭とする英国の音楽メディアの反応は以下の通りです。

 

・「ボーズ・オブ・カナダの聖歌隊、ケヴィン・シールズのギター、常軌を逸したパーカッシヴな刻み」- MOJO



・「ロビン・ガスリーのソロ・カタログがフリー・ジャズ・ドラムでどんなサウンドになるか、日本の大物アンビエントによる想像」 - Uncut

 

・「きらめくアンビエント・エレクトロニクスとエフェクトを多用したギターが織り成す蒸し暑い靄……。これぞまさしくアンビエントのドクターが注文したものだ」 - Electronic Sound

 

・「心地よいそよ風が、陽光に照らされた草原に直接テレポートさせてくれる」 - The Vinyl Factory

 

・「瞑想的で催眠術のように、人間の状態とその感情スペクトラムを見つめる」 - Far Out Magazine 

 

ニューアルバム『Magnificent Little Dudes Vol.2』は本日デジタルで先行リリース済みです。以後、CD /2LP(140g)フォーマットでもリリース予定となっています。詳細は下記の通りです。

 

 

・Chihei Hatakeyama/ Syun Ishiwaka  『Magnificent Little Dudes Vol.2』- New Album Now On Sale!!

Tracklist:


1. M3 (feat. Cecilia Bignall)
2. M2
3. M5
4. M6
 

 

Listen(配信リンク):https://bfan.link/magnificent-little-dudes-volume-02

 

 

アルバムのリリースに合わせて、ジャズドラマーの石若駿さんのイベントの開催が決定しています。石若さんのコメントも到着!!

 

 

【ライヴ情報】

石若 駿 3days 6公演 2024


Shun Ishiwaka Trio with 青羊 (fromけもの)& Gensuke Kanki


10月25日(金)@Shinjuku PIT INN
Open19:30 /Start20:00
チケット: SOLD OUT



--皆様、大変ご無沙汰しております。石若駿です。今年も「pit inn」での3days6公演をさせていただく運びとなり大変光栄に思います。感謝いたします。2024年にはこの日がピットイン初出場となってしまいました。pit innのあの空気が恋しすぎました。--

 

--同時に、とてもいまからわくわく楽しみです。初日昼は、chiheiさんとのduoで、昨年はプレリリースのライブでしたが、今年は既に2作品リリース済みとなってのライブです。昨年のよろめいたトークは個人的にツボでしたが、果たして、今年はどんな演奏と、お話になるのだろうか......。-- 石若駿

 Fennesz 「Venice 20」

 



 
Label: Touch
Release: 2024年8月23日



オーストリアの実験音楽家や現代音楽の大家で、坂本龍一とのコラボレーション・アルバム「Cendre」でよく知られるクリスチャン・フェネスの2004年の名作「Venice」の20周年記念リマスター盤『Venice 20』は、以前よりも音がクリアになり、当時、クリスティアン・フェネスが何をやろうとしていたのかが手に取るように分かるようになった。2000年代には、フェネスの音楽は、とっつきづらく難解なイメージに縁取られていたが、このアルバムでフェネスが試そうとしたことは、私達が考えていた以上にポピュラーな音楽だったのかもしれない。

 

このアルバムの発売後、以降、Pitchforkの編集長を最も長く務め、ウォール・ストリートジャーナル等の執筆も手掛けたマーク・リチャードソン氏がフェネスのインタビューを行った。しかし、この時のインタビューは、非常にためになるものがあった一方、かなりユニークな内容が含まれていた。特に、ビーチ・ボーイズを比較対象にしたことに関し、フェネス氏は少しだけ困惑するような気配があったのである。ただおそらく、チルウェイブの萌芽や楽園的な音楽が含まれていることを指摘したかったのではないかと思われる。また、同インタビューでフェネスは、「なぜノイズを作るのか」というマーク・リチャードソン氏の問いに対して「私は美しいものを作るためにノイズを制作する」と述べていたが、この言葉の趣旨や真意は、今回の二度目のリマスターでより明らかとなるはずである。というのも、2000年頃のオリジナル盤の音源は荒削りで、かなり精度の高いスピーカーでもなければ、全体的な音像を把握することは難しかっただろうからである。もちろん、当時はアンビエントというジャンルはそれほど主流ではなかっただろうし、ドローンというジャンルもなかったので、こういった音楽をどのように説明するのか分からなかったのは当然のことだと言える。

 

実験音楽としては名盤の呼び声の高い作品なので、今更くだくだしく述べるまでもないが、おそらく、この時代にこのアルバムに何らかの形で興味を抱いたということ自体が先見の銘があった。というのも、主要なマガジンの評価は平均的で、Mojoは3/5という評価を下すにとどまっていた。しかし、以降の現代音楽界での活躍や、実験音楽界で象徴的なミュージシャンとなったことを考えると、このアルバムの評論に関しては、Pitchforkだけが正当な評価を下していたことになる。そして、今回の二度目のリマスタリングで音質面での不安要素が取り払われて、音楽の全容が明瞭となり、精妙でクリアな印象に縁取られている。現在まで不透明であった音質が、最新のリマスターで澄明に変化した。つまり、このアルバムは2度生まれ変わることになったのだ。

 
今考えると、「Venice」の音楽はあまりに予見的で、時代の先を行き過ぎていたかもしれない。2000年代はじめといえば、ドイツを中心にグリッチミュージックが出てきた頃である。しかし、まだそれは大雑把に言えば、テクノ/ハウスという枠組みの中で実験音楽が動いているに過ぎなかった。反面、フェネスの音楽は、単なるギターロック、テクノ/ハウスやノイズというのには惜しく、例えば、2010年代のカナダのTim Heckerのようなダウンテンポ、ノイズ・アンビエントに近い、非常に画期的な音楽性も含まれていた。現代の「アブストラクト」と呼ばれる音楽であり、これはヒップホップにも登場するが、フューチャー・ベースのようなジャンルの源流に位置する。
 
 
また、このアルバムのいくつかの収録曲は、メインの出力がモジュラーシンセかエレクトリックギターであるかを問わず、2020年代の実験音楽の先鋒であるドローン音楽を予見している。フェネスは、リヒャルト・ストラウスの「2001年 宇宙への旅」のように、音楽の時間旅行を試み、この2004年の時点から、十年後、あるいは、二十年後に流行する音楽を「偶発的に見てしまった」と言えるかも知れない。そして、むしろ、このアルバムは、2024年の音楽として聴くと、ぴったり嵌るというか、今こそ聞かれるべき作品なのではないかとすら思えてくる。

 
アルバムには、ニューロマンティックの象徴的なグループ、JAPANからソロ活動に転じた後に前衛音楽の大御所となったデイヴィッド・シルヴィアンがボーカルを提供した「Transit」等、後から考えると、微笑ましくなるような曲もある。さらに、このアルバムには、ドローンミュージックとして聴いても、2020年代の音楽に比肩する楽曲もある。「City Of Light」、「Onsay」などはその好例であり、現代のドローンミュージックの一派が一つの体系を築く上でのヒントとなったはずだ。また、「Circassian」はポスト・ロック/ギターロックの音響派に近い作風である。


また、当時、ドイツを中心に発生したコンピューターのエラー信号からビートを抽出するグリッチ・サウンドの影響も含まれているのは、当時、クリスチャン・フェネスがヨーロッパのアンダーグラウンドのダンスミュージックや電子音楽の流行の流れを的確に読んでいたことを暗示する。「The Stone of Impermanence」や11曲目以降の収録曲は、アーティストにしては珍しく衝動的というか、若気の至りで制作したという印象も受ける。しかし、ある意味では、理想的な実験音楽は、完璧性から導き出されることはほとんどなく、それとは対象的に、不完全性から傑出した作品が生み出されることを考えると、こういった曲があるのも頷けるような部分はある。前衛音楽は、短所を活かし、最終的にはそれらをすべて長所に反転させることを意味している。

 
本作のオープニング「Rivers of Sound」、「The Point of All」、「Asusu」等、不朽の電子音楽の名曲も収録されている。このアルバムには、以降の20年の電子音楽の未来が集約されていると言っても大げさではないだろう。少なくとも、アルバムのこれまでとは一味違う魅力を堪能出来るはずである。しかし、ギターロックにしても、テクノにしても、現代には同じような音楽がたくさん存在するが、このアルバムは実のところ、それらと明らかに一線を画している。同時に、きわめて機械的なのに、深い抒情性がある。もしかすると、当時のクリスチャン・フェネスさんは、現代人がすっかり忘れた感覚を持っていたのだろうか。
 
 
 
 
 
90/100
 
 
 
 
 
 






最新のリマスターに関して


デニス・ブラッカム:

「2024年まで早送りして、2003年に使ったのと同じオリジナル・マスター・ミックスを使って、このアルバムの新しい拡張版、『Venice 20』を作ることにした。あれから20年あまりが経ち、オーディオ制作、レコーディング、マスタリングの技術は大幅に進歩した」



ジョン・ウォゼンクロフト:

「...作品全体には、本質的に時代を超越した静けさと風格がある。これはもちろん、デヴィッド・シルヴィアンとの『Transit』でのコラボレーションに象徴される。私は、ジャケット・アートが絵画のようなレベルで、音楽のように永続することを願っていた。私が絵を描けるとは決して言わないし、写真が絵画のように長く持ちこたえられるとも思っていないからだ。クリスチャンとの仕事はいつも私を感動させる」



クリスチャン・フェネス:
 

「アコースティック・ギターやエレクトリック・ギターの短いレコーディング、新しく導入したソフト・シンセやサンプラーを使った実験、フィールド・レコーディングなどだ。この街の音と音響は私を魅了した」
 
 
「私の部屋からは、夜、窓を開けると会話がはっきりと聞こえたが、それが隣の家から聞こえてきたのか、数ブロック先から聞こえてきたのかは定かではなく、まるでヴェニスの音波が独自のルールに従っているかのようだった。威厳のある衰退、腐敗、死、そして再生を暗示するような表現として、アルバム・タイトルとしてのヴェニスのアイデアが浮かんだのはこの頃だった。「Transit」のデヴィッド・シルヴィアンの歌詞とヴォーカル・パフォーマンスは、私にとってこのアイデアを完璧に表現していた。この作品は、現在進行中の素晴らしいコラボレーションのハイライトであり続けている」 
 
 
 
 
Venice:
 
 
2004年にリリースされ、ベストセラーとなったフェネスの「Venice」の20周年記念再発盤が、デニス・ブラッカムによるリマスタリングで、CDやレコードには未収録の新曲や追加曲を含むデラックス・バージョンとして登場。DVDフォーマットのエディションには、フェネス自身、デニス・ブラッカム、ジョン・ウォゼンクロフトによるテキストと、2004年のオリジナル・セッションの未公開写真が掲載されたブックレットが付属する。ブックレットにはデヴィッド・シルヴィアンの「Transit」のオリジナル手書きの歌詞も掲載。この「デヴィッド・シルヴィアンとの見事なコラボは、シルヴィアンのアルバム『Blemish』での素晴らしいデュオ・トラックから続いている。控えめなリスニング体験の真ん中に位置する「Transit」は、文字通りスピーカーから飛び出し、アルバムのポップな特徴だけでなく、抑制された瞬間も際立たせている。

ーー実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』 


東京恵比寿リキッドルームにて『MODE AT LIQUIDROOM』を9月21日に開催ーー




イギリス・ロンドンを拠点とする音楽レーベル兼イベントプロダクションの「33-33」と、日本を拠点に実験的なアートや音楽プロジェクトを展開するキュレトリアル・コレクティブ「BLISS」が手掛ける実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』が2024年9月21日に、本年開業30周年を迎える東京・恵比寿のライブハウスLIQUIDROOM(リキッドルーム)にて『MODE AT LIQUIDROOM』を開催します。


プログラムには、大阪を拠点とする音楽家・YPYこと日野浩志郎を中心とした5人編成のリズムアンサンブル、goatが出演します。goatは楽器の音階を極力無視し、発音時に生じるノイズやミュート音から楽曲を制作します。


昨年、結成10周年を迎え、ヨーロッパ各国のフェスティバル、リスナーからも強い支持を得ているほか、2021年にはスイスのコンテンポラリーダンサー・振付師のCindy Van Ackerによる作品「Without References」への楽曲提供なども行い、国外でも幅広く活動しています。

 

本年2024年には、オランダのデン・ハーグにて開催されたRewire 2024や、フランスのナントで開催されたFestival Variationsに出演し、ドゥームメタル/ドローン・バンドのSUN O)))との共演も話題となりました。

 

さらに、初来日公演となるイギリス・グラスゴー出身のトリオStill House Plantsも本プログラムに出演します。Still House Plantsはボーカル、ギター、ドラムのシンプルな編成からなるバンドです。


ロックバンドと評されることも少なくない彼らですが、サンプリング、スロウコア、R&Bといった様々な音楽的要素を作品に取り入れ、実験的かつオリジナルなサウンドスケープを創り出すことで世界的に注目を集めています。2024年12月にリリースされた最新作「If I Don't Make It, I Love You」は、アメリカの音楽メディアPitchforkや、イギリスのThe Guardianといった主要メディアからも高い評価を得ています。


高度な演奏技法を駆使し、難解なリズムを重ね合わせ、緊張感のある音空間を創り出すgoat。捉えどころのないメロディとリズム、彷徨いながら赴くままにサウンドを展開するStill House Plants。開業30周年を迎えるLIQUIDROOMにて、アンサンブル/バンドといった合奏形態でありながら、全く異なる音楽を創り出す両組によるパフォーマンスをぜひお楽しみください。


*追加プログラムなどの情報はMODEインスタグラムアカウント、MODE公式ウェブサイトなどにて発表を予定しております。イベント詳細は下記よりご確認ください。



【プログラム詳細】

MODE AT LIQUIDROOM

公演日時:2024年9月21日(土)17:30開場/18:30開演

チケット料金:前売5,500円[スタンディング]※ZAIKOにて販売中

出演者:goat(ゴート/JP)、Still House Plants(スティル・ハウス・プランツ/UK)

会場:LIQUIDROOM 〒150-0011 東京都渋谷区東3-16-6

 


【出演アーティスト】

 

goat(ゴート/JP)




2013年に日野浩志郎を中心に結成したグループ。元はギター、サックス、ベース、ドラムの4人編成であるが、現在は楽曲によって楽器を持ち替えていく5人編成で活動している。

 

極力楽器の持つ音階を無視し、発音させる際に生じるノイズ、ミュート音などから楽曲を制作。執拗な反復から生まれるトランスと疲労、12音階を外したハーモニクス音からなるメロディのようなものは都会(クラブ)的であると同時に民族的。2023年には3rd albumとなる「Joy in Fear」をNAKIDから発表。




Still House Plants(スティル・ハウス・プランツ/UK)



Still House Plantsは、Jess Hickie-Kallenbach、Finlay Clark、David Kennedyからなるバンド。ボーカル、ギター、ドラムというシンプルな編成ながら、絶えずスタイルを変え、焦点を移し、反復を用いてオリジナルな音楽を作り上げている。

最新作「If I Don't Make It, I Love You」は彼らの3作目となるアルバムであり、これまでのサウンドの集大成となっている。2作目の「Fast Edit」が素早い展開とジャンプカットを特徴としていたのに対し、最新アルバムでは各曲に対するバンドの継続的な取り組みが反映され、音楽に一貫性が生まれ、温かみが増し、多くのリスナーに高く評価されている。


About 33-33:

33-33(サーティースリー・サーティースリー)はロンドン拠点の音楽レーベル兼コンサートプロダクション。世界中のユニークなスペースで実験的な音楽とアートのイベントを開催している。年間を通してのイベントプログラム制作や、33-33レーベルからのレコードリリース、また、アーティストと協業し特別なプロジェクトを立ち上げている。

 

33-33は、2014年からロンドン東部の教会で行われているコンサートの代表的なプログラムである「St John Sessions」というイベントシリーズから発展した組織であり、ガーナ、東京、ベイルート、カイロなどでイベントを開催してきた。



About BLISS:

BLISS(ブリス)は、2019年に日本を拠点として設立されたキュレーター・コレクティブです。アートと音楽の分野において、実験的な展覧会、イベントなど行っています。抽象性が高く、実験的な表現を社会に発表、共有し続けることが可能な環境をつくることを目的としています。


Works of BLISS:

Kelsey Lu at Enoura Observatory

INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada


【開催団体】

主催:

MODE


協力:

EDSTRÖM OFFICE

YAR


助成:

公益財団法人東京都歴史文化財団

アーツカウンシル東京【芸術文化魅力創出助成】



フランスのミュージシャン、詩人として活動する、Merle Bardenoir(メル・バルドゥノワール)のプロジェクト、Glamourieがセカンドアルバム『Lady From The Outside』を4月27日にリリースした。


Glamourieの音楽はインストゥルメンタルで、プロジェクトを構成する幻想的なテーマの展開は、タイトルだけでなく、ビジュアルを通じても展開される。また、メル・バルドゥノワールは、画家/イラストレーターとしても活動しており、美しく幻想的なアートワークを幾つか製作している。


イマジナル・ステージの経験をさらに発展させたこの第2作は、アーサー王伝説にインスパイアされ、ケルト音楽、ミニマル・ミュージック、アンビエント・ミュージックの要素を融合させている。


アルバムの楽曲はBandcampにてご視聴/ご購入することが出来ます。 アートワークとともに下記より御覧下さい。






 

石若駿&畠山地平
 

日本を代表するアンビエント/ドローン·ミュージック・シーンを牽引する存在となったChihei Hatakeyamaこと畠山地平が、この度ジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーションを発表した。 

 

ラジオ番組の収録で出会って以来、ライヴ活動などでステージを共にすることはあった2人だが、作品を発表するのは今回が初めて。

 

『Magnificent Little Dudes』と名付けられた今作は、2部作となっており、2024年5月に”ヴォリューム1”が、同夏に”ヴォリューム2”がリリース予定となっている。

 

 
その場、その日、季節、天気などからインスピレーションを得て演奏すること」をコンセプトに、あえて事前に準備することはせず、あくまでも即興演奏を収録。

 

ファースト・シングル「M4」には日本人ヴォーカリスト、Hatis Noitをゲストに迎えた。ギター・ドローンの演奏をしていると、その音色が女性ヴォーカルのように聞こえる瞬間があることから、いつか女性ヴォーカルとのコラボレーションをしたいと思っていた畠山。

 

今回の石若駿との録音でその時が来たように感じたので、即興レコーディングの演奏中、いつもは使っている音域やスペースを空けてギターを演奏しました。ちょうどこのレコーディングの3週間くらい前に彼女のライヴ観ていたので、Hatis Noitさんの声をイメージしてギターを演奏しました」と話す。

 

畠山地平、石若駿、Hatis Noit、世界を股にかけて活動する日本人アーティスト3組のコラボレーションが実現した『Magnificent Little Dudes Vol.1』は、日本国内外で話題となること間違い無い。

 

 

昨年、掲載された畠山地平のロングインタビューはこちらよりお読みいただけます。

 

 

 

Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka(畠山地平&石若駿)
  『Magnificent Little Dudes Vol.1』(マグニィフィセント・リトル・デューズ・ヴォリューム 1)

 


※日本先行発売(予定)
レーベル: Gearbox Records



発売日: 2024年5月22日(水) 

品番 (CD/LP):GB1594CD / GB1594


価格 (CD/LP):2,500円(+税)/ 4,000円(+税)

 

 

Tracklist(収録曲):

 1. M0 

2. M1.1 

3. M1.2 

4. M4 (feat. Hatis Noit) 

5. M7




Biography:

 
<Chihei Hatakeyama> 

 

2006年に前衛音楽専門レーベルとして定評のあるアメリカの<Kranky>より、ファースト・アルバ ムをリリース。以後、オーストラリア<Room40>、ルクセンブルク<Own Records>、イギリス <Under The Spire>、<hibernate>、日本<Home Normal>など、国内外のレーベルから現在にいたるまで多数の作品を発表している。デジタルとアナログの機材を駆使したサウンドが構築する、 美しいアンビエント・ドローン作品を特徴としており、主に海外での人気が高く、Spotifyの2017 年「海外で最も再生された国内アーティスト」ではトップ10にランクインした。

 

2021年4月、イギ リス<Gearbox Records>からの第一弾リリースとなるアルバム『Late Spring』を発表。その後、 2023年5月にはドキュメンタリー映画 『ライフ・イズ・クライミング!』の劇中音楽集もリリー ス。

 

映画音楽では他にも、松村浩行監督作品『TOCHKA』の環境音を使用したCD作品『The Secret distance of TOCHKA』を発表。第86回アカデミー賞<長編ドキュメンタリー部門>にノミ ネートされた篠原有司男を描いたザカリー・ハインザーリング監督作品『キューティー&ボクサー』(2013年)でも楽曲が使用された。


また、NHKアニメワールド:プチプチ・アニメ『エんエんニコリ』の音楽を担当。2010年以来、世界中でツアーを精力的に行なっており、2022 年には全米15箇所に及ぶUS ツアーを、2023年は2回に渡りヨーロッパ・ツアーを敢行した。

 


<Shun Ishiwaka> 

 

 1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。2006年、日野皓正special quintetのメンバーと して札幌にてライヴを行なう。2012年、アニメ『坂道のアポロン』 の川渕千太郎役ドラム演奏、 モーションを担当。

 

2015年には初のリーダー作となるアルバム「Cleanup」を発表した。また同世 代の仲間である小西遼、小田朋美らとCRCK/LCKSも結成。さらに2016年からは「うた」をテー マにしたプロジェクト「Songbook」も始動させている。近年はゲスト・ミュージシャンとしても 評価が高く、くるり、KID FRESINOなど幅広いジャンルの作品やライヴに参加している。2019年 には新たなプロジェクトAnswer To Rememberをスタートさせた。2023年公開の劇場アニメ 『BLUE GIANT』では、登場人物の玉田俊二が作中で担当するドラムパートの実演奏を手がけた。