今週に入ってから、グッと気温が下がってきた。いよいよ師走の足音がもうすぐそこまで聞こえてきそうな感じである。これから年末にかけて寒くなってくるものと思われるが、この時節になると、是非とも購入を考えたいのがダウンジャケット。
しかし、ダウンジャケットも近年、様々なブランドが台頭し、アパレル市場での群雄割拠というべき様相を呈し、どれを選ぶのか迷ってしまうかもしれない。
Woolrich、Herno,Pyrenex,といった比較的高級なブランドをはじめ、近年、日本のメーカーもアパレルマーケットに参入し、水沢ダウン、snow peakといったブランドもダウンジャケット市場で大きな存在感を見せている。イギリスのP.H.Designというブランドも良質なダウンジャケットの生産を行い、根強い人気を獲得している。
安価なダウンジャケットブランドとしては、ロシア、モスクワのSHUというメーカーをおすすめしたい。このブランドは何と、3万円台という破格の定価でダウンジャケット製品を販売している。
やはり、ダウンジャケットといえば、登山ウェアブランドが強い。そもそもダウンジャケットというのは登山のための装備品として開発された。古くから防寒性、撥水機能、耐久性を兼ね備えた製品を生産し、アパレルマーケットで根強い人気をほこっているのが、The north face、他にもpatagoniaといったブランドである。
そして、ダウンジャケットのブランドを語る上では、何と言っても、伝統的なブランドMONCLERを度外視するわけには行かない。
1・モンクレールの発祥
モンクレールは、どちらかといえば、HERNOに近い高級なファッションブランドの印象が強いが、実はこのメーカー、登山ウェアとしてのルーツを持つファッションブランドである。
モンクレールは、常に登山と深い関わりを持ってきたメーカであり、半世紀以上の伝統を持つブランドである。
そもそも同社は、現在は本社所在地をイタリアミラノに置いているが、フランスのモエスティエ=ド=クレルモンに、ルネ・ラミリオムとアンドレ・ヴィンセントが1952年に創業した登山メーカーである。
モンクレールが創業したグルノーブル近郊の山間地域 モエスティエ=ド=クレルモン Par <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Jvillafruela" title="User:Jvillafruela">Jvillafruela</a> — <span class="int-own-work" lang="fr">Travail personnel</span>, CC BY-SA 4.0, Lien
当初は、冬の登山のための装備、寝袋、テント、フード尽きケープといった製品を製造していた。
Monclerというブランド名については、上記のフランスの小さな山間集落、モエスティエ=ド=クレルモンに因んで名付けられた。
2・モンクレール創業秘話 二人の友人の冒険
フランスのブランド、モンクレールの物語は第二次世界大戦の時代にまで遡る。 当時、フランスはナチスに占領されていたため、登山の冒険など夢のまた夢であり、ごく少数の愛好者の贅沢な嗜みであった。
そして、このフランスのグルノーブル近郊の山あいにある小さな村落、モエスティエ=ド=クレルモンには、のちにモンクレールを創業することになる二人の登山愛好家の姿が見いだされる。アンドレ・ヴィンセント、レネ・ラミリオムだ。彼らは占領以来、友人となり、共に、山岳活動やスポーツを行うための組織「シャンティエ・ド・ジュネス」の一員であった。第二次世界大戦後、ヴィンセントとラミリオムは小さなスポーツ用品店を地元に開くことを思いつく。
第二次世界大戦後の世界は、様々な領土の問題により、フランスにおいても自由な移動や旅行が制限されていた。もちろん、高価な登山用品を購入する余裕は多くの人にはなかった。しかし、彼らはそのこと、つまり、テントや雪山の装備品を売りたいという情熱を人一倍持っていた。
苦肉の策として、ヴィンセントとラミリオリは、低コストのキャンプ用品の販売をはじめる。さらに、ここに彼らの友人のデュオが加わり、テントやスポーツ用品を売り出すことにより、モンクレールは長い歴史の道のりを歩みはじめた。
最初の年はなにもかもうまくいかなかった。戦争の後の経済的な困窮、そして、社会不安の中において、モンクレールは市場の不安定さに直面し、地元の数少ない顧客を頼りに、これらのスポーツ用品の販売を行っていた。
3.不死身の登山家、リオネルテレイとモンクレール
しかし、これらの登山用品を着々と生産を行っていく中、モンクレールの品質の良さ、そして機能面での秀逸さというのは徐々に雪山を踏破しようとする登山家によって支持されるようになる。
そしてモンクレールの名を最初に一般に広めたのが不死身の登山家と称されるリオネルテレイだった。
テレイは、ヒマラヤのマカルーやパタゴニアのアンデスのセロ・フィッツ・ロイなど多くの山の初登頂を果たしたフランスの登山家であり、ガストン・レビュファ、ルイ・ラシュナルと共に1950年代を代表するフランスの登山家で、上記二人とともに三銃士と呼ばれている。また、リオネル・テレイアンドレとラミリオリの共通の友人でもあった。
リオネル・テレイは、特に、モンクレール製品のアヒルの羽毛ジャケットに興味を持った。
フランスには、以前の時代に置いてモールスキンというモグラ皮に似た分厚い綿製品が労働者のウェアとして取り入れられていたが、このダウンジャケットの革新性、アヒルの羽毛の軽さ、そして、温かさに驚いたはずだ。
モンクレールのジャケットは、当初、低温環境で長い作業を続けなければならない労働者のために生み出されたが、登山ウェアとして、リオネル・テレイは時代に先んじてモンクレールジャケットを取り入れた。
実際、山登りをしている際、このジャケットは、驚くほど温かく、体を動かしやすく、快適であることを見出し、つまり、実用性のある登山ウェアとしての魅力を彼は見出したのである。
その後、アンドレとラミリオリは、登山家、リオネル・テレイをコンサルタント、企業アドヴァイザーとしてモンクレールに招聘する。ブランドの特別仕様モデル、モンクレールジャケットの製作に関する技術サポートを一任した。
彼らは、プロの登山家から実際の見地によるプロダクションの忠告を受けながら、さらにモンクレールジャケットを高性能なものに洗練させていく。
この後、「MONCLER pour Lionel Terray」という名前の製品ラインが生み出されて、様々な登山用品、寝袋、保護手袋、靴、テント、登山装備品、といったプロダクトをモンクレールは生産するようになる。
3・K2踏破に耐えうる登山ウェア
第二次世界大戦後、様々な国の著名な登山家がエベレストをはじめとする踏破困難とされる冬山登山に挑戦し、歴史的な記録を打ち立てていく。
そして、以前、最も踏破が難しいとされていたインドのカシミール地方からウイグル自治区まで伸びるカラコルム山脈に位置する、通称K2の踏破にイタリア人登山家アルディト・デジオは挑む際、モンクレールのダウンジャケットを選んだ。
そして、アルディト・デジオは、地球史上最も頂上をきわめるのが困難とされていたK2踏破を1954年に成功させる。さらに、その翌年にモンクレールの登山ウェアは、フランスマカル踏破を後押しした。どのような激しい風雨を凌ぐ事ができる耐久性の高い登山ウェアとして、モンクレールのブランド名は一躍世界に知られるようになった。
その後、モンクレールは、リオネル・テイと協力し、製品開発を続け、彼が主宰した1960年代のアラスカの遠征へのウェアを提供した。
もちろん、その後も、モンクレールはK2遠征と長い関わりを持ち、登山家の登頂の成功を後押しし続けている。
人類のK2初踏破を支えたタフな登山ウェアブランドとしての矜持を保ちながら、現在まで長年、K2への遠征の際に登山ウェアを提供し、登山家のスポンサーとなっている。
4.モンクレールのロゴ
モンクレールの印象深いロゴについても説明しておきたいと思う。このロゴに取り入れられているトリコロールは、もちろんフランス国旗に因む。赤と青をあしらったデザインにMの文字が刻印されている。
シンボルマークの後ろには、フランスの国章のシルエット、そしてオンドリが描かれている。
このブランドロゴが使用されはじめたのは1968年。フランスのグルノーブルオリンピックスキーチームの公式スポンサーとして提携後、モンクレールのブランドロゴとして正式に使用されはじめた。
先述したように、モンクレールのカラーリングはフランス国旗のトリコロールに因んでいるが、この配色については、権力、権威、情熱、忠誠心を表し、これらの概念はモンクレールのブランドのコンセプトとして今も変わらず、当ブランドの欠かさざる精神として引き継がれている。
もちろん本拠をイタリアミラノに移転してからも登山ウェアブランドとしての品格を保ち続けている素晴らしいメーカーである。
Monrelerの製品情報は公式サイト似てご覧下さい
https://www.moncler.com/ja-jp/?tp=67844&ds_rl=1290725&ds_rl=1290725&gclid=Cj0KCQiAzMGNBhCyARIsANpUkzPnbNuURBs1CYg6SprZ0WS5U77k0aPaAR0eW0JfuNx8IjBg6brFyFoaAoCDEALw_wcB&gclsrc=aw.ds