Perfume Genius 『Glory』
Label: MatadorRelease: 2025年3月28日
Review
2025年のマタドールのリリースはいずれも素通りできないが、パフューム・ジーニアスの『グローリー』もその象徴となろう。従来はエキセントリックなイメージを持つアーティスト像を印象付けてきたパフューム・ジーニアスだったが、「Ugly Season」とはまったく異なるSSWの意外な一面を把捉できる。全盛期のエルトン・ジョンを彷彿とさせる渋いバラード曲が収録されている。これもシンガーソングライターの歩みの過程を示唆している。このアルバムを聴いたファンは従来のパフューム・ジーニアスのイメージが覆されたことにお気づきになられるだろう。
ロサンゼルスのシンガーソングライター、マイク・ハドレアスのプロジェクト、パーフューム・ジーニアスは、このアルバムがミュージシャンの孤独という側面から生み出されたことを明らかにしている。
「何も起こっていないときでさえ、私は圧倒され目を覚まします。私は一日の残りを規制しようとする過ごし、それは家で一人で自分の考えで行うのが好きです。しかし、なぜ? それらはほとんど悪いです。それらはまた、何十年も本当に変わっていません。私はこれらの孤立したループの1つに閉じ込められたまま「It's a Mirror」を書きました。何か違う、そしておそらく美しいものがそこにあるのを見ましたが、冒険する方法がよくわかりませんでした。ドアを閉めておく練習がもっとたくさんあります」
しかしながら、作家や画家と同じように、もしも作曲した音楽が何らかの有機的な意味合いを持つとすれば、それは誰かがそれを聴いたり、そしてライブ・コンサートでファンとの交歓ともいうべき瞬間があるということだろうか。
ソングライティングという入り口を通して、あるいはレコーディングにおけるアルドゥス・ハーディングをはじめとするミュージシャンとの共演を通して一人の持つ世界が共有される空間、そしてコミュニケーションを広める機会となる。これは本来は個人的な音楽がきわめて共同体やコミュニティ、古くはサロンのような小さな交遊のための社会性を持つようになる瞬間である。
アルバムの音楽はロックやフォークバラードを融合させた形で繰り広げられる。オープニングを飾る「It' Mirror」はその象徴でもある。そしてソロシンガーという孤独なランナーを支えるのが今回のバンド形式の録音である。ギタリストのメグ・ダフィー、グレッグ・ウルマン、ドラマーのティム・カー、ベースのパット・ケリーはパフューム・ジーニアスの良質なソングライティングに重厚さという利点を付け加えた。もちろん、ブレイク・ミルズのプロデュースも動きのあるアグレッシブな要素をもたらした。全般的にはインディーロックとも解釈できる同曲は、聴きやすい音楽性の中にあるマイク・ハドレアスの繊細なボーカルを巧緻に際立たせている。そして音楽そのものは静けさと激しさの間を行き来しながら、サビの部分で一瞬スパークする瞬間を迎える。しかし、激しさはミラージュのように遠ざかり、永続しない。独特な雰囲気を持つロックソングが緩やかな起伏を描きながら、心地よい音楽性を作りあげていこうとする。
ハドレアスはエキセントリックなイメージを押し出すことが多かったが、今回のアルバムに関しては、ポピュラーミュージックの普遍的な側面を探求しているように感じられる。「No Front Teeth」のような曲は、パフューム・ジーニアスのインディーフォーク・ソングのセンスが光る。奥行きのあるサウンド・ディレクションはもとより、70年代のカルフォルニアのバーバンクを吸収し、それらを現代的な作風に置き換えている。タンバリンのパーカションがシンセサイザーのストリングスと合致し、マイク・ハドレアスの甘い歌声と上手く溶け合っている。特にアルドゥス・ハーディングの参加も同様であるが、ボーカル録音に特に力が注がれている。それらが重厚なバーバンクサウンドを思わせるバンドアンサンブルの中で精彩味を持つ瞬間がある。
パフューム・ジーニアスは従来、内面にある恐れや不安という感覚をロックやポップソングとしてアウトプットする傾向があったが、今回はそういった印象はほとんどない。例外として、「Clean Heart」は前作アルバムのエキセントリックなイメージを実験的なポピュラー・ソングと結びつけているが、アルバムの終盤に収録されている「Capezio」などを聴くと分かる通り、それは別のセンチメンタルな姿に変貌している。実験的なポップスはネオソウルの系譜にある音楽性と結びつき、今までにはなかった新鮮な音楽に生まれ変わっている。これは作曲家として一歩先に進んだことの証と言えるだろうか。しかし、先にも述べたように、マイク・ハドレアスは、この数年のアメリカの音楽の流れを賢しく捉え、それらを自分のフィールドに呼び入れる。それは70年代のバーバンクサウンドやエルトン・ジョンの時代の古き良きポップソングのスタイルである。これらは例えば懐かしさこそ呼び起こしこそすれ、先鋭的な気風に縁取られている。そしてソングライターとして持ちうる主題を駆使して、メロディアスなバラードソング、そして才気煥発なロックソングを書き上げている。分けても「Me & Angel」は素晴らしいバラードソングで、ポール・サイモン、エルトンの60、70年代の楽曲を彷彿とさせるものがある。
「Lust For Tomorrow」はまさしくバーバンクサウンドの直系に当たり、 カルフォルニアのフォークサウンドのシンボライズとも言える。スティールギターのような雄大で幻想的な響きを背景に、太陽と青空、民謡的で牧歌的な音楽が掛け合わされ、見事な楽曲が誕生している。それらのバーバンクサウンドは60年代のビートルズ/ローリングストーンズのようなサウンドと結びつく場合もある。次の「Full on」は彼の持つ幻想的な雰囲気とフラワームーブメントの雰囲気と合致し、サイケデリアとフォーク・ミュージックという西海岸の思想的なテーマを引き継いでいる。それらの概念的なものが見事なインディーフォークサウンドに落とし込まれている。これらの曲はBig Starのアレックス・チルトンのような米国の最初のインディーズミュージシャンの曲を思い起こさせることもある。さらにアルバムの最後でも注目曲が収録されている。
7thアルバム『Glory」ではバラードソングという側面に力が込められているのを個人的には感じた。それは昨今失われかけていたメロディーの重要性が西海岸のサウンドと結びついて、うっとりさせるような幻想的なポピュラーソングが生み出されたと言えよう。「Dion」はいわゆるオルタネイトなポップスを中心に制作してきたパフューム・ジーニアスが王道であることを厭わなかった瞬間だ。王道であるということ、それがアルバムタイトルの「栄光」というテーマと巧みに結びつけられている。栄光を得るためにはどこかで王道を避けることは難しいのだ。ただ、アルバムの最終盤では、実験的なポピュラーーーエクスペリメンタルポップの音楽性が顕わになる。こういった古典性と新奇性のバランスを上手く整えればさらなる飛躍も予想される。
84/100
「Full On」