アルバムはシンセの壮大なインスト曲「Intro」で始まり、ソングライターとしての成長を印象付ける「I Just Do」が続く。心地よい8ビートにインディーロックのラフなバッキング・ギター、そしてベッカ・ハーヴェイの内省的なボーカルが徐々にドライブ感を帯び、サビの箇所で轟音性を増す。そしてそれはセンチメンタルな雰囲気がありながらも、若い年代のシンガーらしい純粋な感覚を表現していて、聴いていて何か爽快感やカタルシスをもたらす瞬間がある。このアルバムでは痛快な轟音のインディーロックが強い印象をはなつ。レーベルの契約と合わせて発表された「Champ」はベタであることを恐れず、ロックソングの本来の輝きを放つ。シューゲイズの響きとグランジの重さがこの曲のロック的な魅力を強調している。使い古されたと思えるようなロックの手法もベッカ・ハーヴェイの手にかかると、新鮮な音楽に生まれ変わる。「Champ」はギターソロが力強い印象を放ち、雄大なイメージを呼び覚ます瞬間がある。
従来のインディーポップ風の曲も収録されている。「In My Eyes」はドリーム・ポップ風の曲であるが、ハーヴェイのボーカルはこの曲に切ないエバーグリーンな感覚を添えている。過去の数年間を振り返るようなポップソングで憂いや悲しみをアンニュイなポップソングとして昇華している。その後、このアルバムの音楽はやや夢想的になっていき、同レーベルのデュオ、Widowspeakにも似たセンチメンタルなインディーロックソングへと傾倒していく。そしてセンチメンタルであることを恐れないという点にソングライターとしての力強さが宿っている。「Windows」、「Since April」はそれほどオルタナティヴロックファンにも詳しくないリスナーにも琴線に触れるものがあるに違いない。それはソングライターとして感覚的なもの、一般的には見えにくいエモーションを歌で表現することにガールパピーは長けているからである。
本作の音楽はゆっくりと歩きだしかと思うと、徐々に走りが軽快になっていき、クライマックスでそれらが軽妙な感覚に変わる瞬間がある。それらは過去の傷ついた心を癒やすような優しさに満ちている。人間としての成長が断片的に描かれ、それらがスナップショットのように音楽に収められている。シンガーとしてはそれらの過去を振り返りつつも、別れを爽やかに告げるという瞬間が織り交ぜられている。それはまた過去に浸らず、次の未来へとあるき出したということだろう。終盤の収録曲に聞かせる部分が多い。「Beaches」はアメリカーナやカントリー/フォークをポップの側面から解釈し、聴きやすく、つかみやすい曲である。特にシンパシーを超えたエンパシーという感覚が体現されるのが「I Was Her Too」だ。サッカー・マミー、MOMMAといったトレンドのロックシンガーの音楽をわずかに彷彿とさせる。その一方で、エモに近い雰囲気が立ち込め、それらがドラムやシンセストリングスの演奏により、ドラマティックな空気感を帯びる。そして、なかなか表しがたい内在的な感情性をロックソングに体現させている。この曲はガールパピーの象徴的な一曲が生み出されたと見ても違和感がないように思える。
ガールパピーは、TilTokなどのカルチャーの波に乗り、それらをベッドルームポップの系譜にある軽快なロックソングに落とし込んでいる。しかし、その中には個性的な雰囲気が漂い、それが『Sweetness』の潜在的な魅力となっている。それほど肩ひじを張らず気楽に楽しめると思いますが、一方でポストパンクからの影響も読み解ける。例えば、「For You Two」は象徴的な一曲で、ドライブ感というパンクの要素が聴きやすく甘いポップセンスと融合している。これらはパワーポップとまではいかないものの、 それに似た甘く切ない雰囲気に満ちている。言葉で具象化することの難しい感覚を表すのがロックソングの醍醐味であるとすれば、『Sweetness』はその一端を味わえる。そして実際なんらかのカタルシスをもたらすはず。クローズ「I Think Did」はアコースティックギターをメインにした開放的なフォークポップ。ロックソングの音楽性が瞬間的なものであるがゆえか、アルバムを聴いた後に切ない余韻を残す。
フレンチーのデビューアルバムは、そういった「自由貿易の時代の産物」である。「Can I Lean On You」ではUKソウルを下地にして、メロウなエレクトリック・ピアノがストリングスやリズムの輪郭を際立たせるドラム、そしてフレンチーのボーカル、そして同じように美麗なコーラスが溶け合い、重厚なソウルミュージックが作り上げられる。近年、米国のソウルはディープになりがちだが、フレンチーの音楽はどこまでも軽快でソフト。しかし、ニュートラルな音楽には陥らない。そして、それは何より、メロディーやリズムのセンスの良さだけではなく、ファンクの要素がポピュラーソングと上手く干渉し、ハイセンスなソウルミュージックが作り上げられていく。この曲はガール・レイのようなイギリスのバンド形式のソウルの録音の影響が含まれ、ソロシンガーとしての性質を保ちながら、バンドの音楽にもなっているのである。
結局、バリエーションという要素が曲の中で生きてくるのは、根幹となる音楽性がしっかりと定まっている場合に限定される。その点においてフレンチーは、バンドとともに本格派としてのソウルを構築している。アルバムの後半には遊び心のある曲が多い。「Shower Argument」はアコースティックギターを用いたボサを聴くことができ、小野リサのようなブラジル音楽を彷彿とさせる。かと思えば、音楽そのものは軽くなりすぎることはない。「It' Not Funny」ではしっとりしたピアノバラードを慎ましく歌い上げている。この点は、例えば、ブルーノートに所属するSSW、ノラ・ジョーンズのようなシンガーにも何か共鳴するものがあるのではないかと思う。
音楽が移り気になろうとも、全体の水準が下がらない。これはおそらく歌手としての卓越した才覚をさりげなく示唆しているのではないだろうか。「Que Je T'aime」はボサノヴァをワールドミュージックとして再考している。この曲ではゲンスブールのようなフランスの音楽を受け継いでいる。クローズもフレンチポップの気配が濃い。しかし、現代的なUKソウルの要素が音楽自体を前の時代に埋没させることがない。音楽が明るく、スタイリッシュな感覚に満ちている。
「何も起こっていないときでさえ、私は圧倒され目を覚まします。私は一日の残りを規制しようとする過ごしかた、たとえばそれは家で一人で自分の考えで行うのが好きです。しかし、なぜ? それらはほとんど悪いです。それらはまた、何十年も本当に変わっていません。私はこれらの孤立したループの1つに閉じ込められたまま「It's a Mirror」を書きました。何か違う、そしておそらく美しいものがそこにあるのを見ましたが、冒険する方法がよくわからなかった。ドアを閉めておく練習がもっとたくさんあります」
ハドレアスはエキセントリックなイメージを押し出すことが多かったが、今回のアルバムに関しては、ポピュラーミュージックの普遍的な側面を探求しているように感じられる。「No Front Teeth」のような曲は、パフューム・ジーニアスのインディーフォークソングのセンスが光る。奥行きのあるサウンド・ディレクションはもとより、70年代のカルフォルニアのバーバンクを吸収し、それらを現代的な作風に置き換えている。タンバリンのパーカションがシンセサイザーのストリングスと合致し、マイク・ハドレアスの甘い歌声と上手く溶け合っている。特に、NZのアルドゥス・ハーディングの参加も同様だが、ボーカル録音に特に力が注がれている。それらが重厚なバーバンクサウンドを思わせるバンドアンサンブルの中で精彩味を持つ瞬間がある。
「Land Of The Tyrants」はダークなシンセから始まり、アップテンポなダンサンブルなヒップホップナンバーへと変化していく。極限までBPMを早めた「The Victory Lap」でグライムコアの新境地に達する。シンプルな4つ打ちのハウスにリズム的な工夫を凝らし、新時代のEDMを作るべく苦心している。これは彼らがKilling Jokeのようなリズム的な革新性を追求していることの表れでもある。さらにこのアルバムはデビュー時のノイズコアのヘヴィーなイメージを突き出した「Lies And Fear」で最高潮を迎える。この曲はグラストンベリーのライブでも披露された。
最後は、ジャズ・バラードのような要素がオルガンの演奏と組み合わされて、「Burnt Out Family Home」という楽曲が確立している。この曲ではボーカルが少しメロディアスになりつつある。これから非音楽的な領域を抜け出して、新しいベネフィッツに生まれ変わるという事もありえる。今回のアルバム『Constant Noise』は、曲を寄せ集めたアンソロジーのような雰囲気になったのが少し惜しかった。それでも、相変わらず才気煥発なセンスがほとばしる。そしてまだキングズレイの言葉には力がある。もし、アルビニがまだ生きていて、ベネフィッツの2ndアルバムを聴いたら、なんと感想を漏らすだろう。''それほど悪くはないね''と言うような気がする。
その後、シネマティックなサウンドに接近する。「Memory 3: In Company」は再びクワイアのコラージュサウンドに舞い戻る。一貫してミニマルな構成と美しいハーモニーを交えながら淡々とした曲が続く。
しかし、その中には、アーティストがライブで培ってきたアートパフォーマー的なセンスとサーフミュージックのようなトロピカルな要素が溶け合い、陶酔的なアートポップが構築される。最もアップテンポなトラックが「Memory 4: Move Like A Flame」。ワールド・ミュージックの要素をベースに、ボサ・ノヴァ的なアコースティックギター、そしてリズムの中でシンプルなボーカルワーク、エレクトロニカ風のサウンド処理が心楽しげな雰囲気を醸し出している。
EPの音楽を聞き出すと、惜しいほどすぐに終わってしまう。それでも、情報過多な時代においてスペースや余白の多い音楽ほど美しいものは存在しない。クローズ「Movement 5: Two Ends」はボサ・ノヴァやハワイアン音楽を基底にし、夕日を浜辺で見るような甘美さを表現する。ほんの瞬きのように儚く終わるEP。音楽そのもののセンスの良さ、そして歌の本当の美しさによって、ニコ・パウロはカナダの注目のフォークシンガーとして名乗りを挙げようとしている。
マタドールに移籍して発表された『Halo On The Inside』。シカゴのミュージシャン、ヘイリー・フォアの最新作で、シンガーとしてのひとつの変容の瞬間が刻印されている。しかし、このアルバムの主題の芽生えは、2021年のアルバム『Sculping The Exsodus』に見出すことが出来た。オーケストラストリングスとの融合を基底にしたシアトリカルなアートポップ。その本領はまだ数年前には発揮されず、ぼんやりとした印象に留まっていたが、今作ではより明瞭な感覚をもって聴覚を捉える。
本作は、EDMをベースにしたダークを超越したエレクトロポップ「Megaloner」で幕を開ける。そして同じく、Underworldのエレクトロをベースにした「Canopy Of Eden』といった曲を聞くと、音楽そのものが旧約聖書の黙示録の要素を持って繰り広げられる。聞き手はそれらを宗教としての符牒ではなく、アーティスティックな表現下にあるポップソングという側面で捉えることになろう。
しかし、その中では、ブリューゲルのバベルの塔や洪水から救済するためのノアの方舟といった西洋絵画などのモチーフに度々登場する絵画的な表現性によって音楽という名の媒体が展開されていく。これらのポップソングとしての構造の背景には、明らかに中世の西洋的な概念が揺らめく。それが的確なソングライティング、そして中性的な印象を放つアルトやバリトンの音域に属するヘイリー・フォアのボーカルによって、強固な音楽空間が綿密に構築される。音楽としては、ロックらしい情熱を持つ瞬間があり、二曲目「Canopy Of Eden』ではユーロビートやレイヴのようなアシッド・ハウスに近い音像の広い奥行きのあるサウンドが熱狂的に繰り広げられる。決して安易に箱庭の音楽を作ろうとせず、ライブでの熱狂を意図したサウンドが楽しめる。
収録曲そのものが続編のように繋がる。続く「Anthem Of Me」では再びノイジーなロックやメタル風のサウンドが驚きをもたらす。内的な探検をもとにした内的な自己の発見を端的に表そうという試みなのだろうか。それは、メタル的な興趣を持つギターの代わりとなるシンセのジェネレーター、そしてそれとまったく相反するオペレッタ風のシアトリカルなボーカルというように、これこそ新時代のロック・オペラなのではないかと思わせる何かが込められている。
一曲目や二曲目を除けば、アートポップやハイパーポップというように、ポップソングの枠組みを取り払うための前衛的な試みが中心となっている。しかし、最も着目すべきは、『Halo On The Inside』は単なる録音作品以上の意味が込められているということである。例えば、ライブ会場でどのように響くのか、もしくはファンを楽しませるための音楽として書かれた曲も発見出来る。
「It Takes My Pain Away」は、90年代のモグワイの音響派としてのポストロックをインスト曲として更新している。あるいはエイフェックス・ツインの初期のアンビエントの音楽的なアプローチに共鳴する内容である。こういった曲は、90年代や00年代では男性ミュージシャンの仕事と相場は決まっていたが、時代を経て性別に限定されなくなった。前作に比べると劇的かつ飛躍的な進化を遂げた。これは肯定的に見ると、音楽的な変容というプロセスがどこかで必要だったのだろう。サーキット・デ・ユーの従来の最高傑作の一つが誕生したといえるだろう。
音楽的にはロックソングのポップネス、そして、エレクトロニクスの近未来的な感覚、さらにはマニック・ストリート・プリーチャーズの最初のブリット・ポップはもちろん、ヴァーヴのようなブリットポップのポスト世代の音楽の系譜を受け継ぎ、抽象的で催眠的なロックソングを特徴としている。90年代から00年代初頭のマンチェスターのFacrotyからの雰囲気を受け継いだダンスロックソング「John on the Ceiling」、そして、ザ・スミスからオアシス、そして、ザ・ヴェーヴへと受け継がれるブリット・ポップの系譜を継承した「Infinite Peaking」を筆頭に、UKロック・バンドらしいダンスとロックの中間にある霧がかったサウンドワークが光る。特に、中盤の注目曲「Snare」はクラブ・ハシエンダを中心とする80年代後半のダンスムーブメント魅力をかたどり、Warpの最初期の7インチレコードなどを彷彿とさせるものがある。
そういった中で、モグワイが音響派やポストロックのオリジネーターとして活躍したように、ロック・バンドとして先鋭的な試みがなされている。アグレッシヴでアンセミックな趣を持つアルバムの序盤の収録曲とはきわめて対象的に、「In The Electric Field」、そしてタイトル曲「Microtonic」といった曲はロックバンドとしてアンビエントとサイレンスを探求した記念的な瞬間である。そして上記の要素はアルバム全体のサウンドに抑揚とメリハリをもたらしている。また、それは従来よりも音楽のディープな領域に達したともいえ、bdrmmの成長を感じさせる。またタイトルからも分かるように、Clarkの90年代、00年代のレイブやアシッド・ハウスを受け継いだ「Clarkycat」もロックバンドとしてはかなり新鮮な試みが取り入れられている。 従来のフランツ・フェルディナンド、ブロック・パーティ、キラーズなどのダンスロックというジャンルが取りざたされた時代の音楽をモダンにかっこよく鳴らすことを重視している。これらは少し陳腐化しつつあるこのジャンルに新しい風を呼び入れようという試みでもある。
このアルバムは従来のシューゲイズというニッチの領域から脱却し、エレクトロニックロックの新鋭へと突き進んでいこうとするbdrmmの旅の過程をかたどったアルバムである。またロックバンドでありながら、IDMの作曲のセンスがあり、「Sat In The Heat」を聴けば、そのことが分かると思う。Yard Actが呼び込んだポストパンクの流れを受け継ぎ、そこに彼等の持ち味であるドリーム・ポップやアートポップの要素を付け加え、魅力的なサウンドを作り上げている。この曲では、従来にはなかった近未来的な要素とSFの雰囲気が上手く融合している。アルバムの終盤の収録曲も聴き逃がせない。「Lake Disappointment」ではアシッドハウスとロックの融合という形式によって、ポストパンクの新しい音楽の流れを呼び込もうとしている。 こういった曲はもしかすると、何度も繰り返し聴きたくなるような中毒性があるかもしれない。
『Tears of Injustice(不正義の涙)』は、Mdou Moctorが2024年に発表した『Funeral For Justice』のアコースティックバージョンによる再構成となっている。ハードロックを中心とする前作アルバムよりも音楽の旋律の叙情性とリズムの面白さが前面に押し出された作品である。このアルバムを聞くと、Mdou Moctorの音楽の旋律的な良さ、そして叙情的な側面がより明らかになるに違いない。『Funeral For Justice』の発売日前には本作の制作が決定していたというが、結局、彼等の故郷であるニジェールの国内の動乱ーー政権移行により、アルバムの制作は彼等にとってより大きな意義を持たせた。なぜなら、国境封鎖によりエムドゥー・モクターのメンバーは祖国ニジェールに帰国できなくなり、音楽によって望郷の歌を紡ぐ必要性に駆られたからである。
『Tears of Injustice』には、「Takoba」、「Imajighen」、前作のタイトル曲「Funeral For Justice」といった魅力的な曲が多い。そして編曲という観点から見ても、全く別の雰囲気を持つ曲に変身している。あらためてエムドゥーの魅力に触れる恰好の機会となるはずである。本作はエムドゥー・モクターというプロジェクトの編曲能力の高さを証明づけたにとどまらず、彼等が音楽的な核心を把握していることを印象付ける。本作ではエキゾチックであった音楽の印象が普遍的な感覚に変化する瞬間がある。要するに、遠くに鳴り響いていた彼等の音楽が身近に感じられる瞬間を体験することができる。そして、その音楽に耳を澄ました時、ないしは彼らの言葉を心から傾聴した時、まったく縁もゆかりもないはずのアフリカ、ニジェールという私達にとって縁遠い地域のことがなんとなく分かり、そして、人間の本質的な部分やその一端に触れることが出来るようになるのだ。
インディーポップからダンス、ロック、ジャズ、ソウル、他にも広汎な音楽的な知識を伺わせるサヤ・グレイはデビュー作において、クワイアとエレクトロニックの融合、ネオソウルのポップ風のアレンジ、そして従来としては珍しくアメリカーナへの音楽的な言及も見出せる。グレイのソングライティングは基本的にはBon Iver、The Vernon Spring以降のコラージュのサウンド、サンプリング的な組み合わせが中心となっている。前作の「Qwenty」シリーズでは他の媒体からのサンプリングや自身のボーカルやギターの録音のリサンプリングなどが刺激的な楽曲として組み上げられていたが、依然としてデビュー・アルバムでもこれらのカットアップ・コラージュ、クラシック風に言えばミュージック・コンクレートの要素が楽曲の中心となっている。
前回のアルバムでは''懐古主義''と書いた覚えがあるが、それはフェンダーの楽曲に80年代から90年代のポピュラーの影響が感じられたからである。そして、二作目では2020年代にふさわしいポピュラーソングを書いたという印象を抱く。ただ、それもやはり オアシスのようなブリットポップの象徴的な音楽、そしてヴァーヴのようなポスト・ブリット・ポップの世代からの色濃い影響をうかがわせる。「Chin Up」はオアシスのヒット曲「Woderwall」を彷彿とさせるギターワークが光る。一方でボーカルの方はヴァーヴのリチャード・アシュクロフトのソングスタイルを彷彿とさせる。これらの組み合わせに、彼の音楽的な背景の一端を確認することも出来る。そして、何らかの影響こそ受けているが、それらをフェンダーらしいソングライティングや歌唱に昇華している。つまり、彼の歌は、やはり2020年代の象徴とも言えるのだ。2ndアルバムでは少し風変わりな音楽も含まれている。アコースティックギターの演奏をフィーチャーし、起伏に富んだ音楽を擁する「Wild Long Lie」はシンガーソングライターの新しい方向性を象徴づける楽曲といえるかもしれない。ゆったりしたテンポに戯れるように歌うフェンダーだが、この曲は途中シンセサイザーのアレンジを通して、ダイナミックな変遷を描く。
「Arm's Length」はオープニングと同様に、80年代のAORやニューウェイブのサウンドを活用し、シンプルなコード進行のロックソングに昇華している。近年、複雑化しすぎた音楽をより省略したり簡素化する一派が出てきている。昨年のファビアーナ・パラディーノのようにゆったりとしたスケールの進行やシンプルな曲作りは、POLICEのヒットソングのソングライティングのスタイルと組み合わされ、2020年代のUKロックのベースになったという気がしている。これはスティングだけではなく、The Alan Person's Project、Tears For Fearsのヒットソングの系譜に属している。これはもちろん類似性を指摘したいというのではなく、ヒットソングには必ずステレオタイプが存在し、過去の事例を活かすことが大切だということである。もちろん、それを現代の歌手としてどのように表現するのかが、2020年代に生きる人々の課題なのである。そして何かに似すぎることを恐れずに、自分なりの表現をつきつめていくのが最善であろう。
中盤ではビートルズのアートロックからの影響を感じさせる「Rein Me In」など、前作にはなかった実験的な音楽の方向性が選ばれている曲もあり、今後の制作にも期待したい。また、本作の中で最も力強くパワフルな「TV Dinner」は、フェンダーの新しいアンセム曲が誕生したと言えるかも知れない。この曲は、アリーナのスタジアムのライブパフォーマンスのために書かれた曲ではないかという推測も出来る。少なくともライブで素晴らしい効果を発揮しそうなトラックだ。
きわめつけは、クローズを飾る「Remember My Name」となるだろう。シンガーとしての圧倒的なスケールの大きさを感じさせるし、彼はこの曲で内側に秘めるタレントを惜しみなく発揮している。これまでで最もドラマティックなバラードソングである。ホーンセクションとサム・フェンダーのボーカル融合は新たな「ウォール・オブ・サウンド」が台頭したことを印象付ける。
95/100
Best Track 「Remember My Name」
Bartees Strange 『Horror』
Label: 4AD
Release: 2025年2月14日
Review
前作では「Hold The Line」という曲を中心に、黒人社会の団結を描いたバーティーズ・ストレンジ。2作目は過激なアルバムになるだろうと予想していたが、意外とそうでもなかった。しかしやはり、バーティーズ・ストレンジは、ブラックミュージックの重要な継承者だと思う。どうやら、バーティーズ・ストレンジは幼い頃、家でホラー映画を見たりして、恐怖という感覚を共有していたという。どうやら精神を鍛え上げるための訓練だったということらしい。
「Too Much」のイントロはツインギターの録音で始まり、その後、まったりとしたR&Bへと移り変わる。それは、通勤電車やバスの向こうに見える人生の景色の変化のようである。そしてバーティーズはデビューの頃から培われたソウルフルなヴォーカルで聞き手を魅了する。ラフな感じで始まったこのアルバムだが、続く「Hit It Quit It」ではヒップホップとR&Bの融合というブラックミュージックの重要な主題を受け継いでいる。しかし、バーティーズのリリックは、それほど思想的にはならない。音楽的な響きや表現性が重要視されているので、言葉が耳にすんなり入ってくる。ファンカデリック、パーラメント好きにはたまらないナンバーとなるだろう。バーティーズはまた、哀愁のあるR&Bやソウルのバラードの系譜を受け継いでいる。「Sober」は、デビュー作に収録されている「Hold The Line」と同じ系統にある楽曲だが、しんみりしすぎず、リズムの軽やかさを感じさせる。エレクトリック・ピアノ(ローズピアノ)とセンチメンタルなボーカルが融合する。この曲は、ジャック・アントノフ&ブリーチャーズが志向するようなAOR、ソフィスティポップといった80年代のUSポップを下地にした切ないナンバーだ。
特に、コーラスの側面ではデビュー当時よりも磨きがかけられており、これらはホースガールのチームワークの良さを伺わせるもので、同時に現在のバンドとしての大きなストロングポイントとなっていると思われる。それらがノンエフェクトなギターサウンドと合致し、 心地良いサウンドを生み出す。ローファイなロックサウンドはマタドールが得意とするところで、Yo La Tengoの最新作と地続きにある。しかし、同じようなロックスタイルを選んだとしても、実際のサウンドはまったく異なるものになる。もっと言えば、ホースガールの主要なサウンドは、ヨ・ラ・テンゴやダイナソー・Jr.の90年代のサウンドに近いテイストを放つ。カレッジロックやグランジ的なサウンドを通過した後のカラリとした乾いたギターロックで、簡素であるがゆえに胸に迫るものがある。そして、適度に力の抜けたサウンドというのは作り出すのが意外に難しいけれど、それを難なくやっているのも素晴らしい。「Where'd You Go?」はラモーンズの系譜にあるガレージロック性を踏襲し、ラモーンズの重要な音楽性を形成しているビーチ・ボーイズ的なコーラスを交え、ホースガールらしいバンドサウンドが組み上がる。特にドラムの細かいスネアの刻みがつづくと、サーフロックのようなサウンドに近づくこともある。これは例えば、ニューヨークのBeach Fossilsのデビュー当時のサウンドと呼応するものがある。
最近では、インディーポップ界隈でもアナログの録音の質感を押し出したサウンドが流行っていることは再三再四述べているが、ホースガールもこの流れに上手く乗っている。厳密に言えば、アナログ風のデジタルサウンドということになるが、そういった現代のアナログ・リヴァイヴァルの運動を象徴付けるのが続く「Rock City」である。イントロを聴けば分かると思うが、ざらざらとして乾いた質感を持つカッティングギターの音色を強調させ、ピックアップのコイルが直に録音用のマイクに繋がるようなサウンドを作り上げている。これが結果的には、ブライアン・イーノがプロデュースしたTalking Heads(トーキング・ヘッズ)の『Remain In Light』のオープニングトラック「Born Under The Punches」のようなコアでマニアックなサウンドを構築する要因となった。しかし、ホースガールの場合は、基本的には、ほとんどリバーブやディレイを使わない。拡張するサウンドではなく、収束するサウンドを強調し、これらが、聴いていて心地よいギターのカッティングの録音を作り出している。いわば、ガレージロックやそのリバイバルの系譜にあるストレートなロックソングとしてアウトプットされている。そしてトーキング・ヘッズと同様にベースラインをギターの反復的なサウンドに呼応させ、さらにコーラスワークを交えながら、音楽的な世界を徐々に押し広げていく。まさしく彼女たちがデビュー当時から志向していたDIYのロックサウンドの進化系を捉えられることが出来る。
続く「Well I Know You're Shy」は、ポエティックなスポークンワードと原始的なロックの融合性がこの曲の持ち味となっている。アルバムの序盤の複数の収録曲と同様に、ニューヨークの原始的なパンクやロックのサウンドに依拠しており、それはヴェルヴェットの後期やルー・リードのソロ作のような古典的なロックサウンドの抽象的なイメージに縁取られている。意外とではあるが、自分が生きていない時代への興味を抱くのは、むしろ若い世代の場合が多い。それらは、同時に過去の人々に向けた憧憬や親しみのような感覚を通じて、音楽そのものにふいに現れ出ることがある。この曲までは、基本的にはデビューアルバムの延長線上にある内容だが、ホースガールの新しい音楽的な試みのようなものが垣間見えることもある。「Julie」は、その象徴となるハイライトで、外側に向けた若さの発露とは対象的に内省的な憂鬱を巧みに捉え、それらをアンニュイな感覚を持つギターロックに昇華させている。比較的音の数の多いガレージロックタイプの曲とは異なり、休符や間隔にポイントを当てたサウンドは、ホースガールの音楽的なストラクチャーや絵画に対する興味の表れでもある。ベースの演奏のほかは、ほとんどギターの演奏はまるでアクション・ペインティングのようでもあり、絵の具を全体的なサウンドというキャンバスに塗るというような表現性に似ている。これらはまた、ホースガールのアーティスティックな表現に対する興味を浮き彫りにしたようなトラックとして楽しめる。
アルバムの最後には、ホースガールらしいサウンドに回帰する。これらはニューヨーク、シカゴ、西海岸という複数の地域をまたいで行われる音楽の旅行のようで興味をひかれる部分がある。「Sports Meets Sound」では、ローファイなロックとコーラスワークの妙が光る。しかし、それはやはりハイスクールバンドの文化祭の演奏のようにロック本来の衝動的な魅力にあふれている。そして最もソングライティングの側面で真価が表れたのが、続く「I Can't Stand to See You」であり、サーフロックの系譜にあるサウンドを展開させ、海岸の向こうに昇る夕日のようなエンディングを演出する。本作を聴いた後に爽やかな余韻に浸ることが出来るはずである。
アルバムのオープナーから軽快な印象です。「Share You Care」ではファジーなシンセポップにヘレン・ガーニャの華麗なボーカルが乗せられる。全体的な音楽の枠組みが西洋に依拠しているからと言えども、そのメロディーの節々にはアジアのテイストが漂う。聴く人にとっては少しエキゾチックにも聞こえるかもしれませんが、懐かしい感覚が蘇る。それらをスタイリッシュな感覚に充ちたポップスに落とし込むという点では、ニューヨークのインディーポップシーンに呼応するもので、セイント・ヴィンセントのデビューアルバムを彷彿とさせます。アジアのよな抜き音階を踏襲したシンセのベースライン、そしてボーカルが心地良いサウンドを生み出している。ダンス・ポップ、ないしはシンセ・ポップとして申し分のないナンバーでしょう。
そして「プロセスを重視する」という指針は、「Building 500」、「Blood On The Boulders」に色濃く反映されている。ベースラインとギターラインのバランスを図ったサウンドは、従来のスクイッドの楽曲よりも研ぎ澄まされた印象もあり、尚且つ、即興演奏の側面が強調されたという印象もある。いずれにしても、ジャジーな印象を放つロックソングは、彼等がジャズとロックの融合という新しい節目に差し掛かったことを意味している、というように私自身は考えた。
続く「Blood On The Boulders」では、ダークな音楽性を通して、アヴァンギャルドなアートロックへと転じている。ハープシコードの音色を彷彿とさせるシンセのトリルの進行の中で、従来から培われたポストパンクというジャンルのコアの部分を洗い出す。この曲の中では、女性ボーカルのゲスト参加や、サッドコアやスロウコアのオルタネイトな性質を突き出して、そしてまるで感情の上がり下がりを的確に表現するかのように、静と動という二つのダイナミクスの変遷を通じて、スクイッドのオリジナルのサウンドを構築するべく奮闘している。まるでそれは、バンド全体に通底する”内的な奮闘の様子”を収めたかのようで、独特な緊張感を放つ。また、いっとき封印したかと思えたジャッジのシャウトも断片的に登場することもあり、これまで禁則的な法則を重視していたバンドは、もはやタブーのような局面を設けなくなっている。これが実際的な曲の印象とは裏腹に、何か心がスッとするような快感をもたらすこともある。
この数年間、スコットランドのモグワイは、2020年のEP『Take Side』を除いては、その仕事の多くがリミックスや映像作品のサウンドトラックに限定されていた。見方によっては、バンドではなくスタジオミュージシャンに近い形で活動を行っていた。(ライブパフォーマンスを除いては)『The Bad Fire』は、四人組にとって久しぶりの復帰作となる。以前はポストロックの代表的な存在として活躍したばかりではない。モグワイは音響派の称号を得て、オリジナリティの高いサウンドを構築してきた。
『The Bad Fire』は、”労働者階級の地獄”という意味であるらしい。これらは従来のモグワイの作品よりも社会的な意味があり、世相を反映した内容となっている。モグワイのサウンドは、シューゲイズのような轟音サウンド、そして反復構造を用いたミニマリズム、それから70年代のハードロックの血脈を受け継ぎ、それらを新しい世代のロックへと組み替えることにあった。ミニマリズムをベースにしたロックは、現代の多くのバンドの一つのテーマともいえるが、モグワイのサウンドは単なる反復ではなく、渦巻くようなグルーブ感と恍惚とした音の雰囲気にあり、アンビエントのように、その音像をどこまで拡張していけるのかという実験でもあった。それらは彼らの代表的な90年代のカタログで聴くことができる。そして、この最新作に関して言えば、モグワイのサウンドはレディオヘッドの2000年代始めの作品と同様に、イギリスの二つの時代の音楽を組み合わせ、新しいハイブリッドの音楽を生み出すことにあった。エレクトロニックとハードロック。これらは、彼らがイギリスのミュージック・シーンに台頭した90年代より以前のおよそ二十年の音楽シーンを俯瞰して解釈したものであったというわけなのだ。
モグワイの新作アルバムは奇妙な作品である。上記で述べたような、以前の世界、そして以後の世界を繋ぐようなロックミュージックが展開され、それは新しいとも古いともつかない奇異な印象を与える。また、彼らのロックソングは、90/00年代のエレクトロニックに寄りかかっているようでいて、2020年代の雰囲気を持ち合わせている。むしろ、『The Bad Fire』は、時間の感覚が薄れ、聞き手が所在する時代の感覚を希薄にするような魅力が随所に散りばめられている。モグワイの王道のマーチングのような勇壮なリズムが現代的なコングルトンのデジタルサウンドの中に見つかったかと思えば、それは必ずしも90年代のループサウンドやミニマリズムのように持続せず、夢想的、幻想的な雰囲気に留まることなく、痛烈なリアリズムが出現する。
例えば、オープニングトラック「God Gets You Back」では、従来のモグワイの幻想的なサウンドの向こうから、なにかリアリティのあるバンドセッションが浮かび上がってくる。二つの世界を組み込んだメタフィクションの音楽は、明らかに従来のモグワイのものではない。そして、モグワイはインストゥルメンタル中心の音楽性で知られているが、この曲は珍しくボーカル付きである。浮遊感のあるボーカルトラックはキュアーの最盛期、ブリットポップの最盛期の90年代前半に聞き手を誘う。しかし、一貫して恍惚としたサウンドは維持されている。お馴染みの巧緻なミニマリズムを基調にしたサウンドの向こうに浮遊感のある夢想的なボーカルが登場する。これらは、単なる轟音性や映像的な質感を持ち合わせていた、かつてのモグワイのサウンドとは明らかに一線を画していることに、勘の鋭いリスナーはお気づきになられるに違いない。
「What Kind Of Mix This Is」は、ポストロックの原初的なサウンドに回帰している。例えば、オーストラリアのDirty Three、米国のRed Stars Theory、Mineralなどに代表されるエモ/スロウコアのニュアンスを含んだアルペジオがイントロに配され、叙情的なサウンドが広がりを増していく。その中で、レディオヘッドの系譜にあるエレクトロニックを吸収したロックは、モグワイの手にかかると、ゆったりとしていながらも勇壮なイメージを持つ楽曲へと変化していく。そして、やはり、彼らの特徴的なリズムがベースとなり、それらを反復的に続けながら、徐々にバンドサウンドとして白熱する瞬間を探求していこうとする。つまり、バンドセッションを辛抱強く続けながら、心地よい沸点を迎える瞬間を探しあてていくのである。しかし、すでにこのバンドのファンはご存知の通り、モグワイのサウンドの一番の迫力は、内的に静かに燃え上がるような激しさにある。これらは、以降、むしろ単なるポストロックやスロウコアというよりも、プログレッシヴロックに近い曲調へと変遷を辿る。YES、Pink FloydのようなUKミュージックの元祖に近くなる。
アルバムは、少しマニアックに傾きかけるが、どうやらモグワイの新作に見いだせるのは、ニッチさだけではない。彼らは『 The Bad Fire』においてロックソングの核心のようなものを提示することもある。例えば、続く「Fanzine Made of Flesh」ではシンプルな8ビートをもとにダフト・パンク的なロックを展開させる。ボーカルトラックにはボコーダー/オートチューンをかけ、近未来的なサウンドを突き出す。また、そこにはAIテクノロジー優勢の時代の感覚が反映されている。かと思えば、続く「Pale Vegan Hip Pain」においては、フロイドの『Dark Side Of The Moon』の作風を下地にしたペーソスのある静かで瞑想的なギターロックソングで聞き手を魅了する。しかし、その中で、オムニコードのようなチープでレトロなシンセが最初期のモグワイの感覚をありありと蘇らせる。さらに続く、「If You Find This World Bad,You Should See Some of The Others」は、静謐なロックソングから轟音へと移行していく。いかにもモグワイらしい一曲となっている。
モグワイとしての新機軸を示したのが、続く「18 Volcanoes」である。背景となるシューゲイズ的なフィードバックの轟音を活かしているが、ボーカルそのものはポピュラーに根ざしており、コントラストを活かしたロックソングを組み上げている。ここには、モグワイのMBV的な性質が出現する瞬間を捉えられる。終盤の三曲は、いずれも実験的なロックバンドとして、未知なるサウンドの追求を意味する。ただ、それはモグワイとしての唯一無二の境地に辿りついたかはまだわからない。「Hammer Room」では、The Smileを彷彿とさせるエレクトロニックたダンスミュージックを反映させたロックソング、「Lion Rumpus」では、ハードロックとエレクトロニックの融合、そして、クローズ「Fact Boy」では、クレスタを用いて、オーケストラ楽器がロックバンドのアンサンブルの中でどのように響くのかを探求している。アウトロでは、近年のドラマなどの映像作品へのサウンドトラックの提供という貴重な経験を活かし、映像的なエンディングを構築する。この点においては、Explosions In The Skyとの共通点も発見できるかもしれない。
「The Doctor」は明らかに80年代のシンセ・ポップやポピュラー・ソングに根ざしていて、懐古的な雰囲気を漂わす。しかし、バンドサウンドとしては、モダンなロックサウンドを意識しており、タイトな楽曲に仕上がっている。特に続く「Hooked」はフランツ・フェルディナンドの復活を告げるハイライトである。サブベースの強いエレクトロサウンドをディスコのビートと組み合わせて軽快なロックソングに仕上げている。この曲には、アルバムのテーマである恐怖を打ち破るような力があり、聴いているだけで活力がみなぎってくるような効果がある。デビューアルバムの頃から培われたジプシー音楽のスケールを生かしたロックソングもある。「Built Up」において哀愁のある旋律性を活かし、アンセミックな楽曲性を強調する。同じく、「Night Or Day」ではハードロック風の楽曲のスタイルを選んでいるが、やはり南欧の哀愁のあるサウンドがシンプルな構成の中で個性的を雰囲気を醸成している。相変わらずカブラノスのボーカルはクールさとシニカルな印象を持つが、やはり彼らの音楽は不動のものという気がする。簡単に模倣出来るようでいて、そうではない唯一無二のサウンドが貫流している。
このアルバムは押しも押されぬフランツらしい作品として十分に楽しめるような内容となっている。しかし、新たに ポピュラー・ソングやワールド・ミュージックの要素が以前よりも色濃くなったという点を言及しておきたい、それは実際にアルバムを楽しむ上で、一度聴いただけでは掴み難い、渋さや奥深さという魅力にも成りえる可能性がある。例えば、前者は、「Tell Me What I Should Stay」では、Wham!を彷彿とさせる年代を問わず楽しめるポップソングとして、スコットランドのケルト民謡のリズムが登場する「Cats」では、電子音楽とは異なる民族音楽を要素がダンスミュージックの色合いを強調させ、心楽しいサウンドが立ち現れている。
ブライトンのノイズパンクデュオ、ランブリーニ・ガールズのデビュー・アルバム『Whor Let The Dog Out』は年明け早々、痛撃だったと言える。デビュー・アルバムらしからぬ完成度、あるいはデビューアルバムらしい初期衝動を収めこんだ正真正銘のハードコア・パンクアルバムとなっている。ランブリーニ・ガールズこと、フィービー(ボーカル)、リリー(ベース)は、Banksyという謎めいたドラマーとレコーディングに挑んでいる。ランブリーニ・ガールズはライオット・ガールパンクの先駆者的な存在、Bikini Kllを聴いて大きな触発を受けたという。そして、彼女たちもまた次世代のライオット・ガールのアティテュードを受け継いでいるのは間違いない。
ランブリーニ・ガールズは、ウィットとユーモアも忘れていない。「Big Dick Energy」は、下卑た笑いを湧き起こすが、実際的に風刺的なシニカルさは乾いたような笑いを巻き起こす。しかしながら、両者は、パンクという枠組みの中で、空想や絵空事を描こうというのではない。実際的な恐怖や腐敗、退廃等を相手取り、それらに痛快な一撃をお見舞いする。それらはオールドスクール・ハードコアの領域に属した荒削りなパンクソングーーBad Brains、Gorlilla Biscuitsーーといった原初的なハードコアパンクのイディオムの中で繰り広げられる。そのサウンドは、Black Flagのようなカルフォルニアパンクの元祖から、ストレイトエッジの原点に迫る場合もあり、このジャンルの祖であるTeen Idlesのような衝動に任せたパンクソングが組み上がる。Bad Religionのように政治的でないがゆえ、むしろ直情的なパンクとも言える。しかし、曲の途中では、スポークンワードというよりも、ステートメントのように変わるのも面白い。フィービーはヴォーカルの性格を曲の途上でたえず変化させ、別人のように変わることもある。
パンクソングという側面から見ると、Bikini Killの系譜にある「No Homo」もかなり楽しめるはずだ。カルフォルニアパンクの文脈を受け継いだ上で、同じ海岸沿いという都市の性質を活かし、それを見事にブライトン一色に染め上げる。この曲では、彼女たちはパンクというよりも、それ以前のロックンロール性に照準を絞り、タイトなロックソングに昇華している。ギターのプレイに関しては、グレッグ・ギンの系譜にあり、スリーコード中心であるが、ザラザラとした音作り、分厚い音像を徹底的に突き出し、ライブサウンドに相応しいサウンドを創り出す。ライブアクトとして国内で旋風を巻き起こしているランブリーニガールズの象徴的なトラックと言える。中盤でも、モチベーションを保持しながら、バランスの取れたサウンドで勢いを維持している。特に、「You're Not From Around Here」はロックソングとして聴いてもかっこいいし、ライブでも映えるようなナンバーであると思う。ローファイの側面を強調した分厚いギターで始まり、ハイハットの裏拍の強調により、この曲は見事なほどまでにドライブ感を増す。さらに、それらのサウンドにフィービーのボーカルは引けを取らない迫力で聴覚を捉える。
Yoshika Colwell・The Varnon Spring 『This Weather(E.P)』
Label: Blue Flowers Music
Release: 2024年12月6日
Review エクペリメンタルポップのもう一つの可能性
ロンドンをベースに活動するYoshika Colwell(ヨシカ・コールウェル)の新作『This Weather』はThe Vernon Spring(ヴァーノン・スプリング)が参加していることからも分かる通り、ピアノやエレクトロニクスを含めたコラージュ・サウンドが最大の魅力である。単発のシングルの延長線上にある全4曲というコンパクトな構成でありながら、センス抜群のポップソングを聴くことが出来る。
それに加えて、ポスト・クラシカルともエレクトロニックとも異なるヴァーノン・スプリングの制作への参加は、このささやかなミニアルバムにコラージュサウンドの妙味を与えている。Bon Iver以降の編集的なポップスであるが、その基底には北欧のフォークトロニカからのフィードバックも捉えられるに違いあるまい。また、感の鋭いリスナーはLaura Marling(ローラ・マーリング)のソングライティング、最新作『Patterns In Repeat』との共通点も発見するかもしれない。
ヴァーノン・スプリングのエレクトロニカ風のサウンドは次の曲に力強く反映されている。「Give Me Something」は前の曲に比べると、ダンサンブルなビートが強調されている。つまり、チャーチズのようなサウンドとIDMを融合させたポピュラー・ミュージックである。この曲ではイギリスのフォーク・ミュージックからの影響を基にして、エレクトロニカとしてのコラージュ・サウンドに挑んでいる。Rolandなどの機材から抽出したような分厚いビートが表面的なフォークサウンドと鋭い対比を描きながら、一曲目と同じように、グロッケンシュピール、ボーカルの断片が所狭しと曲の中を動き回るという、かなり遊び心に富んだサウンドを楽しめる。また、サウンドには民族音楽からのフィードバックもあり、電子機器で出力されるタブラの癒やしに満ちた音色がアンビバレントなサウンドからぼんやり立ち上ってくる。色彩的なサウンドというのは語弊があるかもしれないが、多彩なジャンルを内包させたサウンドは新鮮味にあふれている。ボーカルも魅力的であり、主張性を控えた和らいだ印象を付与している。
フェネスは音楽制作者としてノイズミュージックの他にも音響派のギタリストとしての表情を併せ持つ。二曲目「Love And The Framed Insects」では2023年に発表されたアルバム『Senzatempo』、『Hotel Paral.lel』の両作品の作風を融合させ、叙情的なギターアンビエントと苛烈なノイズを交互に出現させる。
続く「A Man Outside」でもノイズの要素は維持され、パーカッシヴな音響効果を用いた環境音楽の形式が取り入れられている。そして、この曲でも序盤は前曲の作風を受け継いで、ノイズの精妙な感覚、次いで、ノイズの中にある快適さという側面が強調されているが、二分後半からは曲調がガラリと変化し、ダークなドローン風の実験的なテクスチャーが登場する。まるで情景的な変化が、ノイズや持続的な通奏低音を起点に移ろい変わっていくような不可思議な感覚を覚える。曲の序盤における天国的な雰囲気は少しずつ変化していき、メタリックで金属的な響きを帯び、冥界的なアンビエント/ドローンに変遷していくプロセスは圧巻というよりほかなし。これほどまで変幻自在にサウンド・デザインのように音の印象を鋭く変化させる制作者は他に思いつかない。曲の後半でも曲の雰囲気が変わり、序盤の精妙な雰囲気が立ち戻ってくる。