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Fabiano do Nascimento & Vittor Santos e Orquestra 『Vila』


 

Label: Far Out Recordings

Release: 2026年2月27日

 

Review

 

ファビアーノ・ド・ナシメントはブラジル出身のギタリスト/作曲家/プロデューサーで、広がりのある独自のサウンドを確立している。

 

幼い頃にクラシックピアノを学び、リオデジャネイロで10歳からギターを始めた。最終的に、ナシメントは故郷ブラジルを離れ、ロサンゼルスにわたり、時々、東京を往復しながら、音楽制作を続けている。これまでに、ナシメントは、サム・ゲンデル、カロス・ニーノ、笹久保伸と共同制作を行っている。彼の主な作風は、ブラジルの伝統的な音楽、ショーロ(Choro)、サンバ、ジャズ、エレクトロニックなどを呼応させる、新鮮味あふれるスタイルを特徴としている。

 

先週末発売された『Vila』はファビアーノ・ド・ナシメントのギター音楽を中心に(時々ピアノやエレクトリック・ピアノも入る)、トロンボーン奏者のヴィットー・サントスが率いるオーケストラとの豪華な共演作品である。『Vila』の舞台となったのは、リオのカテテ地区にある鋳鉄製の門の裏にある小さな路地。この終点には、バイロ・サアペドラがあり、ネオコロニアル様式の建物が並ぶ。ナシメントは彼が子供時代に過ごした地区にちなむ音楽作品を作り上げた。

 

『Vila』の全体的な音楽は、形骸化したシーンに一石を投じるような驚きに満ちている。ブラジル音楽の伝統であるショーロを中心に、流麗なオーケストレーションが繰り広げられる。インストゥルメンタル曲が主体となっているが、一曲目に収録されている「O Tempo」だけはボーカルが後半に登場し、ブラジル音楽のスタイリッシュでおしゃれな感覚、情熱的な雰囲気を体感できる。

 

ファビアーノ・ナシメントは、現代のギタリストとして最高峰にあるといっても過言ではない。南米音楽の転調の多い和声進行、矢継ぎ早に変化する和声など、スリリングさと落ち着きを兼ね備えた素晴らしい演奏を聴ける。作曲としては、転調の巧みさも卓越しているが、変拍子によって驚くようなシークエンスを登場させることもある。ボサノバやサンバを吸収したリズミカルなサウンドは、他地域の音楽には見つからず、南米音楽の高水準の音楽性を象徴している。また、オーケストラのなめらかなストリングスがアコースティックギターの周りを取り巻き、開放感のある音楽を形成している。そこにジャズの響きが加わり、ワールドミュージックとしても、モダンジャズとしても、クラシックとしても存分に楽しめる作品に仕上がっている。

 

全般的には、『Vila』はブラジル音楽のおしゃれさを堪能するのに最適な一枚と言える。しかし、このアルバムの魅力は表面性な印象だけにとどまらない。広やかで開放的な感覚を持つVitter Santos Orchestraの演奏は、アルバムの舞台であるカテテ地区の路地裏の風景を想起させ、石畳の街路、石造りの住居から差し込む陽の光、また、アルバムのアートワークに表されるような子どもたちの歓声が音楽の向こうから立ち上ってきそうだ。ナシメントは、この音楽を通じて、自分の幼少期に、この路地裏で遊んだ経験を回想し、そこに淡い抒情性を卒なく添える。


「Spring Theme」のようなボサノバの音楽性を活かしたオーケストラ音楽は、この土地の安らいだ雰囲気や陽だまりのような穏やかさと温かさを持ち、どことなくセンチメンタルな気風に縁取られている。ド・ナシメントのギターは生きているかのように空間を揺れ動き、粒子を振動させる。その背後には美麗なストリングスが配され、スムーズなレガートからトレモロに至るまで微細な空気感を作り上げている。また、コンガのような打楽器が後から加わり、心地よいリズムを作り上げる。アンサンブル全体が水の流れや春の風のよう雰囲気を見事に呼び覚ます。

 

「Teme Em Harmonics」は音のハーモニーの美しさやギター音楽の素晴らしさを体験できる。ショーロやサンバのアグレッシヴなリズムを活用しながら、 そしてトロンボーンの華やかな音色を引き立てるかのように、リズムギターでハーモニクスの演奏を巧みに表現し、バリエーションに富んだ色彩的な音楽性を発露させている。この曲ではジャズ風の遊び心のある即興性がリズムの中に組み込まれ、それらが最初のモチーフを中心として面白いように転がっていく。

 

全体的に、南米音楽らしい陽気な音楽が中心となっているが、ハッと目が覚めるような曲もある。「Uirapuru」は印象的なアコースティックギターのイントロから、モダンジャズの演奏へと移行していく。曲の後半では見事なアンサンブルが構築され、サンバのような音楽性へと繋がる。その中で登場するヴィットー・サントスのトロンボーンの味のあるソロにも注目しておきたい。

 

イントロの主題はスペインの作曲家、フェデリコ・モンポウのような淡い叙情性があり、ナシメントのギターはモンポウのピアノ曲集『Impresiones』の収録曲「La Barca」のような哀愁溢れる空気感を生み、高音部にピアノの即興的な遊び心のある演奏が加わり、ドラムのスネアやハイハット、シンバルを中心に、モダンジャズのしなやかな演奏が華麗な印象を携えて続いていく。 

 

中盤では、オーケストラストリングスのレガートが際立っているが、アンサンブルとしても豪華で、フルート、エレクトリック・ピアノ(ローズ・ピアノ)など多角的な器楽を交えて重層的な音楽が構築される。このアルバムは、単なる回想やリオの風景の描写にとどまらず、ポストコロニアル様式の建築を想起させる、堅牢かつ優美な音楽のイメージが生かされている。中盤でのアコースティックギターに対して、コールアンドレスポンスのように、ストリングスやピアノが見事に呼応するカノンの形式は、『Vila』の音楽的なハイライトとなるかもしれない。また、ジャズアンサンブルの枠組みを超越して、ビックバンドのような華やかな演奏が終盤に登場する。ここでは、色彩的な和音や対旋律の組み合わせが広大な音楽世界を作り上げている。制作者が子供の頃体験したブラジルの風景はこれほどまでに壮大であったのかと頷かせる。

 

 

「Valsa」は感動的である。ここでは、 ベースのような重低音を活かしたエレクトリックの弦楽器を使用し、ピチカート/ハーモニクスを中心にモード奏法が展開される。そのサウンドの風味は伝説的なジャズベーシスト、ジャコ・パストリアスにも似た感覚がある。従来のジャズアンサンブルのモード奏法では、トランペット、コントラバスがそれに呼応する形だったが、「Valsa」では、 オーケストラストリングスが中心的な役割を担う。背後にはブラシを用いたドラム、コントラバスが心地よく鳴り響き、芳醇な室内楽の音楽が醸成される。ここでは、昼下がりのゆったりとした安らぎのひとときや癒やされるような瞬間がジャズとして縁取られている。この曲では他曲よりも映画音楽のような雰囲気があり、映像的な印象を捉える事もできる。 

 

「Floresta Dos Sonhos」ではブラジル音楽の「ソン」のようなスタイルを感じさせるが、ギターの作法としてはスペイン音楽やフラメンコのような情熱的な哀愁をどこかに留めている。曲は落ち着いた印象のあるアルペジオを中心に組み立てられ、ストリングスのアーティキュレーションを通してダイナミックな変遷を辿っていく。南米的な情熱は落ち着きのあるどっしりとした街路にある塑像のようなイメージをなし、このアルバムの音楽的なストーリーの中核を担う。


アルバムの始めは、散歩やスキップのように緩やかな速度を形成していた音楽がにわかに走り始め、全般的なストーリーの核心とも言えるシークエンスを作り上げる。この曲では、インストゥルメンタル曲としてのストーリテリングやブラジルの街の歴史を感じさせる。少し大げさにいうなら、そこには開拓の歴史や人類史におけるロマンチシズムが反映されているのである。

 

音楽というのは、一連の長大な文化史でもある。アルバム『Vila』を聴けば、ヴィラ・ロボスのような象徴的な作曲家を中心に発展してきたブラジル音楽が、クラシックの影響を多大に受けており、なおかつまた、ジャズの要素を吸収してきたことを確認できるのではないか。もちろん、それは、ブラジルのサンバのリズミカルな要素や哀愁の気風と共に、南米の重要な文化性を担ってきた。ようするに、本作は見方を変えれば、南米音楽の文化史の発現のようなものではないか。本作の終盤も優れた曲が多いので聴き逃さないで頂きたい。「Plateau」、「Vittor e Fabi」のような曲は、ファビアーノ・ド・ナシメントの新しいスタンダード曲が誕生した瞬間だろう。この曲集を聞くと、実際にブラジルの街を歩いたような優雅な気分に浸ることができる。

 

 

90/100

 

 



▪︎南米音楽の記事:


・CHORO(ショーロ) ~リオのカーニバルの核心を担うブラジル音楽の原点~

 Asgeir 『Julia』


Label: One Little Independent

Release: 2026年2月13日


Review


アイスランドのシンガーソングライター、アウスゲイル(Asgeir)が5枚目のスタジオアルバム『ジュリア』をリリースした。 アウスゲイルを取り上げるのは、2022年以来のことになる。アウスゲイルは、ジョン・グラントら翻訳者を長年起用し、父エイナル・ゲオルグ・エイナルソンの詩と向き合ってきたが、輝かしいキャリアの中で初めて自ら作詞を手掛けた。アルバムのタイトルキャラクターの亡霊に導かれながら、シンガーは過去の後悔と未来への希望を瞑想する。

 

アウスゲイルは複雑なフォークポップ、豊かなプロダクション、物憂げで情感あふれるファルセットで称賛されてきた。『Julia』は歌詞制作における自立だけでなく、カタルシス的な率直さへの転換を示す。単に精巧に演奏されただけでなく、生きた経験が込められた楽曲群だ。「完全に一人で歌詞を書いたのはこれが初めてだった」と彼は語る。「怖かった。 今もその中で自分を探している。それでも心を開こうと試み、その過程で多くを学び、間違いなく癒やされた」

 

2022年のアルバム『Time On My Hands』ではフォークポップのアプローチと並んで、エレクトロニックを活用することがあったが、およそ四年ぶりとなる最新作は、アコースティックを中心としたポップソングが中心で、フォーク的なアプローチに関してはマンドリンなどを用いつつ、アメリカーナに近い音楽性も含まれている。青年期の音楽的な記憶を交えて、未来への展望を描く。

 

アウスゲイルのボーカルは、一般的に裏声のファルセットが称賛される事が多いが、特に歌手として、エド・シーランのようなクリアで美しい歌声を持ち、それらがアイスランドの風景を彷彿とさせる結晶のように澄明なボーカルとして表側に出てくる瞬間に注目したい。今回のアルバムは生楽器のドラムや打ち込みのマシンビートを併用し、 ループサウンドを作り出し、現代的なポップスのアプローチに準じている。このアルバムは、まるで彼自身の半生を描くかのように、軽やかなフォークポップソングを中心に展開される。清涼感のあるソングライティングは最新作でも健在で、朝の光のように清々しい音楽性がアコースティックギターの演奏を中心に続いていく。


今作のオープナー「Quiet Life」では、ソングライターのソフトな歌声を中心に、軽快なドラム、そしてコラージュされたピアノなど、癖がなく、聞きやすいフォークポップを楽しめる。淡々とした曲調なのだが、中音域から高音域にボーカルが跳躍するポイントにカタルシスがある。そしてアイスランドらしさもあり、ヨハン・ヨハンソンの系譜にあるポスト・クラシカルの音楽的なアプローチが楽曲の後半部で、キラキラとした朝の光のような印象を生み出している。

 

軽やかに始まったアルバム。「Against The Current」では曲調が一転、過去の後悔を披瀝するかのように憂いに満ち溢れた音楽性へと転じる。しかし、少し悲しみすら感じさせるアウスゲイルのボーカル、それらは、ファンクのリズムに支えられて、徐々に力強さを獲得する。ここでは内面の脆弱さを余さず示しながら、力強く生きるような歌手の生き様が感じられる。その歌声はこの歌手の表向きのイメージとは対象的にとても脆いが、対象的に力強さもある。


歌手としての卓越性も感じさせる。ドラムとベースを中心に組み上げられるこの曲では、現代的なプロデュースの影響は、シンセの使用など最小限にとどめておいて、歌手の歌声が独立している。この曲では、鼻声の性質を持つアウスゲイルのボーカルが澄明な輝きを放ってやまない。一曲目と同じように反復的な構成であるが、音楽的な情景は少しずつ移り変わっていき、曲の後半では、シンセサイザーを中心としたアイスランド的な郷愁とも言うべき瞬間へと近づく。

 

「Smoke」は、このアルバムの序盤ではフォークソングとして最も古典的な性質を帯びる。 ゆったりとしたドラム、ピアノ、アコースティックギターを中心に、エド・シーラン的なポップネスを吸収しながら、そのフォーク的なセンスとしてはジョン・デンバーのような渋さを兼ね備えている。ヒップホップやエレクトロニックなどのビートを吸収しつつも、古典的なカントリーソングの形を吸収し、ため息の出そうな憂いのエモーションに満ちたアウスゲイルの歌声と混ざり合い、特異な音楽的な世界観を作り上げていく。その中には、アメリカーナへの傾倒も伺え、このジャンルの看板である雰囲気のあるスティールギターが夏の陽炎のように音楽のはてに揺らめき、影さながらに遠のく。この曲には、何かしら音楽として酔わせる力が含まれている。


「Ferris Wheel」もまた、クラシカルなイントロを経て、現代的なポップソングの基本形である、憂いを乗り越えて歓喜に近づこうとするプロセスのような時間が刻みこまれている。この曲では、一般的に称賛されるファルセットの繊細な歌声をコーラスの箇所に配し、ポピュラーの基本である高音部を聞かせどころに持ってきている。この曲では、ナイロン弦のような柔らかいアコースティックギターの音色とピアノ、抽象的な風味を持つボーカルが絶妙に合致している。その中で、この歌手のソングライティングの基本的な長所である勇気づけられるような温かいボーカルラインが見出せる。その歌はまるで聞き手の肩を静かに叩くような優しさがある。また音楽的にも、曲の後半では、AOR、ソフトロック、ヨットロックのような音楽性へ傾倒していく。

 

アウスゲイルの作曲術は、日々のランニングやマラソンにも似ている。いきなり大掛かりな結末を用意するのではない。一歩ずつ進んでいったら、思いもよらぬような景色に出会わすのである。 ある時は雨、あるときは雪、また、次の日は晴れだが、歌手はその季節や日々のサイクルや循環を心から愛しているような気がする。その中で、最もセンチメンタルな瞬間が出てくる。


タイトル曲「Julia」はこのアルバムの副次的なテーマである憂いが極上のフォークポップソングに反映されている。この曲でのアウスゲイルのボーカルは90年代初期のトム・ヨークのような傷つきやすさや脆さがあるが、それらがアイルランド民謡、もしくは、サイモン&ガーファンクルのような憂愁のあるフォークソングと合致して、良曲/名曲とも呼ぶべき水準に達している。分けても、タイトルの歌詞の部分のファルセットは、器楽的な音響効果があり、現代の男性ボーカリストとしては最も美しい部類に入るものと思われる。この曲では、忘れられかけた悲しきフォーク・ミュージックの系譜を受け継ぎ、それを現代的な美しさへと転化させている。

 

このアルバムは最初の方の曲よりも、後半の曲の方が聴き応えがありそうだ。それはなぜかといえば、従来のソングライティングの形を崩したり、乗り越えるような瞬間があるから。それはまた、ソングライターとしての成長の証とも言えるかもしれない。あまり評者として偉そうなことは言えないのだが、「Sugar Clouds」のような曲ではいよいよ、エリック・クラプトンのような作曲者の水準に達しつつある。聞きやすいのだが、その中には深い核心がある。軽いのだが、重々しさがある。また、目を引くのだが、渋さがある。脆さがあるが、同時に強くもある。


音楽というのは、常に相反するものが重なり合いながら成立している。その一方の要素だけを封じ込めておくことはとうてい出来ないのである。こういった矛盾する2つの対象的な性質を持ち合わせずして本格派と呼ぶことは容易ではない。そういった面では、アウスゲイルは2つの対極する要素を音楽の中で体現するようになっている。「Stranger」のような現代的なポップソングに呼応するような形を選んだとしても、それは軽く聞こえることはなく、ずしりと聞こえる。いわば、本当の意味で心を捉えたり、感覚に共鳴する何かを持ち合わせているのである。

 

個人的に推薦しておきたいのが、最後の2曲「In The Wee Hours」、「Into The Sun」である。 前者はエレクトロニックのビートを吸収し、ネオソウルの匂いすら漂わせるポップソング。ついで、後者は、古典的なカントリー/フォークに根ざしたダイナミックなエンディング曲である。そして前者は、テクノのセンチメンタルな音色が素直で癖のない感じのボーカルと溶け込んでいる。これはアイスランド勢としては珍しく、ザ・ポリスのような楽曲に対する明確なアプローチで、ニューウェイブやAORのような音楽性が現代的なポップソングと合致した瞬間でもある。こういった曲は、80年代の洋楽のポップスファンにもチェックしていただきたいナンバー。

 

ソングライターとしての大きな飛躍の瞬間が最後の曲「Into The Sun」で示されている。個人的には、こういったクローズ曲のタイトルは明朗な印象があり、かなり好感を覚えてしまう。アウスゲイルは古典的なフォーク/カントリーを基にして、まれにカットアップ・コラージュのようなミュージックコンクレートの手法で遊び心を取り入れつつ、清々しい理想的な境地に辿り着く。それは苦悩から離れた従来の価値観や既成概念が通用しないユートピアの具現でもある。

 

 

84/100 

 

 

 

ÁSGEIR 『TIME ON MY HANDS』

 Ulrika Spacek  『EXPO』


 

Label: Full Time Hobby

Release: 2026年2月6日

 

 

Review


ロンドンの五人組アートロックバンド、Ulrica Spacekは先週末、ニューアルバム『EXPO』をFull Time Hobbyから発表した。『EXPO』は、タイトルに違わぬ印象で、斬新な音楽が見本市のようにずらりと並ぶ。

 

日に日に強まるソーシャルメディアの絶大な影響力、その中で個性的であるということは、とりも直さず孤独を選ばすには居れないことを、ウルリカ・スペイセックの五人組は示唆する。例えば、かつてレディオヘッドが2000年代以降の個人監視社会を主題に選んだロックソングで一世を風靡したことがあるが、ウルリカ・スペイックは『OK Computer』『KID A』が生み落とした次世代の申し子である。


そのサウンドの中には、ポストロック風の響きも含まれる。しかし、同時に、最初期のレディオヘッドのような閉塞感のあるボーカルがテクノ、ロックの中間にあるサウンドに揺らめく。最新鋭のロックなのか、それとも2000年代のリバイバル運動なのか。確かにそこには既視感のあるジャズ的なリズムとトム・ヨーク的な幽玄なボーカルが併存し、なにかしら新鮮な響きに縁取られている。


「孤立と疎外感の歌。周囲の誰もが絶えず自己を晒し、公の場で生き、見られたり聞かれることを求める、過度にオンライン化された世界において、『個性』の時代はひどく孤独だ。それは凹面鏡の部屋のようなもの。このことを念頭に、バンドは集合的な努力を捧げることに決めた」

 

独特な孤独感、また、それはときに勇敢さを意味する。『EXPO』の音楽には、''和して同ぜず''という論語の故事成語がぴったりと当てはまる。時流に乗っているようで、また、流行りのポストパンクにも共鳴する何かがあるが、彼らのサウンドは同時代のバンドとは異なっている。2016年から二年ごとのサイクルでアルバムを発表してきた彼らはついに最新作で高みに到達した。


「Intro」から強烈で、AIのテーマを暗示させたインスト曲で始まり、マニュピレーターを用いたアヴァンギャルドなテクノがブレイクビーツやスポークンワードのサンプリングと連動する。そこには近未来的なイディオムもある。しかし、それは同時に現代社会の同化現象に鳴らされた警鐘でもある。


「Picto」では16ビートのドラムの中で、ポストロック/マスロックの混雑したギターが、緻密なストラクチャーを構築する。ボーカルは『OK Computer』や『KID A』のような閉塞感のあるサウンドを担う。最近のポストパンクやスロウコアも吸収していると思うが、独特な浮遊感のあるサウンドは他の何物にも例えがたい。90年代のUSオルタナティヴロックからの影響もわずかに感じられるが、マニュピレイトされたRolandのシンセで出力されるテクノサウンドがそれらの既視感を帳消しにする。複雑なサウンドは変化し、中近東のパーカッションなどをドラムに重ね、エキゾチズムを増す。いわば、Squidのような複雑なサウンドであるが、こちらの方が一体感がある。

 

中盤は、King Kruleを彷彿とさせるようなごった煮のサウンドの曲があったり、レディオヘッドの中期のようなサウンドがあったり、『EXPO』のコアらしきものがほのめかされる。それはまるでインターネット空間をぼんやりと彷徨うような感覚がある。意図せぬ情報やアルゴリズムの投稿が目の前に矢継ぎ早に示され、それをさながら命題のように考え、時々振り回されたり、翻弄される個人。『EXPO』には現代社会の縮図とも呼ぶべき広汎な音楽が居並ぶ。


しかし、これらの現代史の博物館(EXPO)の展示中に、バンドが言うところの本当の自己やアイデンティティが発見できる瞬間がある。それが「Showroom Poetry」である。ローファイやスラッカーロックを基本に展開されるが、それらの混沌としたサウンドの向こうに歌われる、もしくは呟かれる言葉に一体感が生じ、バラバラに散らばっていたはずの破片が集まり、奇妙な一体感のような感覚が生み出される。ボーカルや全体的なバンドサウンドには今作のテーマである孤独の空気感が揺らめくが、その中には得難い安心感やひりひりするような情熱がちらついている。誰もそんなとこにはいないだろうと思っていた場所に結構な人がいたというような瞬間。とまあ、なんやかんやで、この曲は聴いてみると分かる通り、アルトロックの秀曲となっている。Galaxie 500のような内省的なインディーロックサウンドがアンセミックに変貌していく。

 

本作の後半はさらに多彩さが増すが、同時に序盤の収録曲に比べると求心力に乏しいところもある。レディオヘッドの次世代のアートロックサウンドが展開されたり、Ulrica Spacekの持ち味の一つであるジャズの影響を取り入れた動きのあるアートロックが繰り広げられる。 また、ブレイクビーツとアートロックの融合を試みた「Weight & Measures」なる次世代のロックソングも収録されている。この曲では弦楽器を取りれたりしながら、イギリス的なポストロックのイディオムを定めた瞬間が訪れる。テクノや電子音楽を中心としたバラード「A Modern Low」もまたレディオヘッドの次世代のサウンドに位置づけられる。ただ、そんな中、単なるフォロワーに収まりきらず、独創的なロックサウンドが出てくるときがやはり最も面白い瞬間であろう。

 

アルバムのクローズを飾る「Incomplete Symphony」は、バロックポップやチェンバーポップを下地にした次世代のサウンドで、ビートルズ、ローリング・ストーンズからブリットポップまでを吸収し、現代版に置き換える。また、こういった最後の曲を聴くと分かる通り、彼らがMOGWAIの初期のようなサウンドを吸収していることはおそらく間違いないだろうと思われる。一方で『EXPO』はモグワイのような反復的で恍惚とした轟音ロックサウンドにはならない。アンセミックなボーカルやコーラスを通じて現代社会を鋭く風刺するかのようなギターの不協和音が背後を突き抜け、次いでアンセミックなボーカルとシンセが追走するように通り過ぎていく。そこには飾らない生々しいリアリティが内在する。それこそが『EXPO』の醍醐味なのだろう。

 

 

80/100 

 

 

 「Showroom Poetry」-Best Track

 

 

 

▪Ulrica Spacek『EXPO』- Listen/Stream: https://ulrikaspacek.ffm.to/expo 



Ulrica Spacek:



「リビングルームは自然な残響をあまり生み出さないし、人工的に作り出すのも我々の意図ではない」


ウルリカ・スペイセックはベルリンで一夜にして結成された。14年来の友人であるリース・エドワーズとリース・ウィリアムズが『ウルリカ・スペイセック』というコンセプトを思いつき、デビューアルバムのタイトルとして『The Album Paranoia』を考案した。 ロンドンに戻りレコーディングを開始すると、ジョセフ・ストーン(ギター、オルガン、シンセサイザー、ヴァイオリン)、ベン・ホワイト(ベース)、カラム・ブラウン(ドラム、パーカッション)が加わり、現在の5人編成が固まった。 


アルバムはほとんど予告なく、大々的な宣伝もなくリリースされ、バンドがキュレーションと出演を兼ねる「オイスターランド」と題したほぼ月1回のクラブナイトが1年間続いた。18ヶ月も経たぬうちに、不気味なほど完成された続編が登場。エドワーズによればこれは必然だったという。


「曲を一括で作り上げてから順番を決める手法には、我々はあまり興味がない」と語るように、3分間のシングル10曲を書き上げる誘惑を避け、より開放的で広がりのあるスタイルを志向している。書きながらアレンジを重ね、楽曲がセットリストの中で自然な位置を見つけることを意図しつつ、自己満足に陥らない方向性を常に保っている。現在はロンドンで活動している。


 Mandy Indian 『URGH』

 

Label: Sacred Bones

Release: 2026年2月6日

 

 

Review 

 

昨年、 好印象のアルバムを立て続けに輩出したSacred Bones。所属グループがゴールドディスクを獲得し、勢いに乗っている。2026年最初のリリースは、マンチェスターの話題のグループ、Mandy, Indianの最新アルバム『URGH』となる。本作は画期的なサウンドで、音楽ファンの度肝を抜くことは必須だろう。UKベースライン、ブレイクビーツ、ドラムンベースなどを吸い込んだ''EDMメタル''ともいうべき衝撃的なアルバム。現時点のところ、ストリーミング再生数はガツンとは伸びていない。まだまだ、このアルバムがどのような評価を受けるのかは未知数である。しかし、二番煎じを徹底して疎い、アバンギャルドなダンスミュージックを展開させた野心作であることは確かだ。

 

マンディ・インディアナは、ボーカリストのヴァレンタイン・コールフィールド、ギタリスト兼プロデューサーのスコット・フェア、シンセ奏者のサイモン・キャトリング、ドラマーのアレックス・マクドゥーガルからなる4人組だ。本作の大半はリーズ郊外の不気味なスタジオハウスでのレジデンシー期間中に執筆され、ベルリンとグレーター・マンチェスターの二箇所でレコーディングされた。 


制作過程でコールフィールドとマクドゥガルが健康問題に直面したこともあってか、環境は苛烈を極めた。『URGH』は広範な世界の暴力的で断片化された状態を反映している。コールフィールドの歌詞は暴力性、制度的な無関心、遍在する苦痛とたえまなく格闘し、美と連帯の瞬間を主張する。アンドレアス・ヴェサリウスの解剖学的図解をフィーチャーしたカーノフスキーのアートワークは、身体とその限界に対するこのレコードの内臓的な対峙を強調している。

 

『URGH』はアンダーグランドのクラブの熱気に縁取られている。狂乱的でときに催眠的なダンスミュージックがアシッドハウス風のグルーヴを導き出す。「Magazine」はその象徴となるトラックで、遠目に鳴り響くレイヴやユーロビートのような空間性のあるサウンドが再現される。ドラムンベースのドラムのリズム、内的な暴力性を赤裸々に吐露するサウンドはあまりに苛烈だ。

 

これらは制度に対する怒りの感覚がリアリティを持って体現される。また、ミュージックコンクレート/コラージュアート的なサウンドが、強烈なノイズやパルス状のビートと重なりあいながら激しく炸裂する。独特な緊張感を持つヒリヒリとしたアヴァンギャルドなダンスミュージックは、ときに魔術的なボーカルと組み合わされ、また、アフリカのような地域のリズムと融合する。


「Dodechahedron」はそういった中で、メタリックな印象を持ちながら、神秘的な電子音楽に傾倒していく。また、インダストリアルミュージックのイメージを持つ「A Brighter Tomorrow」は悪夢的な雰囲気に浸される。


これらは内的な恐怖と戦うドゥームサウンドと言え、外側の外的な状況とせめぎ合いを続ける。それらの恐怖感は「Life Wax」で最高潮に達し、エクストリームなノイズミュージックとして昇華される。NINを通過したようなインダストリアルの冷淡さ、そして狂気的なノイズミュージックが続いてから、突如、ニューメタルやポストハードコアのようなサウンドへと傾倒していく。

 

本作の収録曲で注目したいのが、「ist halt so」である。ダンスミュージックをベースにしたヘヴィロックで、 ブンブン唸るベースと苛烈でアグレッシヴなボーカルが特徴である。また、ヒップホップを参照し、プエルトリコのヒップホップと連動するようなサウンドを作り出す。90年代以降のミクスチャーの末裔とも言える音楽性なのだが、そこに商業的な香りはほとんどない。ノイズやインダストリアルミュージックの無機質なサウンドを明確に押しだし、奇異な領域に近づいている。また、ドラムの側面は、Sepuluturaのような南米のヘヴィメタルからの影響を感じさせる。イギリスのアンダーグランドのダンスミュージックとニューメタルが合体したようなサウンドである。後半には、ドリルンベースが出てくる瞬間もある。Aphex Twinをメタルから解釈したような一曲で、 その重力のあるサウンドはほとんど嵐のごとく過ぎ去っていく。

 

ただ、Billy Woods(ビリー・ウッズ)が参加した「Sicko! 」は、イントロはさておき、とっつき易い。アブストラクトヒップホップとヘヴィロックのエッセンスが融合し、パーカッションは過激な印象に満ちているが、ビリー・ウッズのラップが上手い具合に融和している。同楽曲では、アーマンド・ハマーとのコラボに見受けられるヒップホップの解体と再生の要素が垣間見える。面白いアルバムだと思うのだが、全体的な集中性にかける部分もある。しかし、その破壊性や衝動性すら彼らの計算の内とすれば、それこそが本作の無尽蔵のエナジーを生んだ理由なのだ。アルバムの後半では、多言語のボーカルやグリッチが出てきたりと、かなり難解な作品のように思えた。 

 


 

75/100 

 

 

 「ist halt so」-Best Track

Angus MacRae  『Warren Suit』 


Label: Venus Pool

Release: 2026年2月6日

 

Review 


ロンドンの作曲家、アンガス・マックレイによる最新作『Warren Suit(ウォレン組曲)』は、バーナード・ショーによる舞台劇『ウォレン夫人の職業』のために書かれた10の組曲である。この舞台作品は、日本の劇場でも今年上映される話題作。


『ウォレン夫人の職業』は売春婦をテーマに母と娘の衝突、そして自立、家父長制が社会的規範であった時代の道徳とは何かを問う。1902年の発表まもなくバーナード・ショーの新作は上演禁止となった。文字通りの問題作である。

 

作曲家、アンガス・マックレイは、今回の音楽作品『Warren Suit』のために多角的な器楽のアプローチを図り、ピアノ、ハープ、弦楽器、電子音による女性声楽四重奏が導く、夢幻的な小品群として展開する。ミニマリズムとマキシマリズムを織り交ぜた音楽は、20世紀初頭のフォークとクラシックの伝統を汲み取りつつ、包み込むような現代的な音響世界へと再構築している。



「これは即興と実験のアルバムです。舞台作品とは並行世界として捉えてほしい——繋がりつつも独立した存在として」マックレイは語る。「原作のスコアの糸をひたすら引き続け、どこへ導かれるか見たかった。それは予想外の深淵へと私を誘った。このレコードの核心にあるのは言葉なき声たちだ。ショーの物語の中心に立つ女性たちの幽霊のような幻影として機能している。彼女たちの存在感を増幅させ続け、文章とは独立した形で物語を拡大させたかった」

 

制作者が語るように、どことなく舞台に登場する亡霊の声なき声が盛り込まれている。アルバムは「May Child」で始まり、電子音と女性のクワイアを中心にミステリアスな音楽性が組み上げられている。二声(以上)を中心とする女性のクワイアはこの物語の扉を開き、無限なる物語の道筋へと誘う。しかし、この舞台音楽が面白いのは、典型的なイギリスの響きが出てくることだろう。


「Warren Folklore」では、女性のメゾソプラノ/ソプラノを中心にさらにミステリアスな音楽が登場し、Secret Gardenのような音楽性を彷彿とさせるセルティック民謡(ケルト音楽)の要素が出てくる。この副次的なモチーフが独り歩きをして、物語の奥行きを広げるための導きを成す。曲の途中では、音楽そのものは本格的なオペラへと近づき、複数の声部の歌唱、ストリングスのハーモニーを通じて、ウォレン一家の悲哀のような感覚が露わとなってくる。賞賛すべきなのは、この音楽作品がそのまま、シナリオの暗示、もしくは道標となっていることだろう。

 

また、この舞台音楽のたのしみは、クワイアや弦楽と合わせてささやかなピアノの小品が収録されていること。そして「In Your Nature」のように印象音楽としての自然を描いたと思われる曲から「Nine Roses」のような物語の中枢に登場するような印象的なシーンを描いたものまで、それらが一貫してペシミスティックなピアノの音色で縁取られていることである。ここにはドラマ音楽の基本的な作曲法と合わせて、マズルカのような物悲しい音楽的なテーマが垣間見える。ここにも一貫して、古典的な家父長制度における女性の生き方という主題が、一つの物悲しさに結びついている。そしてその中には、女性たちの幽霊というショーの物語の中枢が見えてくる。その音楽的なテーマの中には、やはりイギリスの古典的な雰囲気を見いだせるだろう。

 

現代音楽としても興味をひかれる曲がある。四曲目に収録されている「Chalk Petal」は、Arvo Part、Alxander Knaifelのような東欧の作曲家の管弦楽法を受け継いだ曲として聞き入らせる。また、音響効果として舞台を演出する内容も、弦楽器の長いレガートにより培われるドローン音楽は、ワーグナーのオペラの通奏低音のような特殊効果を発揮する。 複数の主旋律が重なり合い、美しく可憐な音の構造を生み出すが、同時に、それはアンビエントのような音楽的効果を併せ持つ。しかし、ここまで一貫して、物悲しい音楽がいまだかつて存在しただろうか。音の旋律は美しさがあるが、それはまるで濃霧の中を永遠とさまよい続けるような無明の雰囲気がある。しかし、もっともこの曲が美しいのは、弦楽器の演奏のあとに登場するクワイアである。

 

そんな中で、ややコミカルな曲もある。「Forebears」のような曲は、悲哀溢れるウォレン夫人の物語のミステリアスな側面を強調付けるものであるが、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような音楽性を感じ取る事ができる。音楽全体は、室内楽のような感じで続いて、ピアノ、弦楽器の演奏を通して、ウォレン夫人を暗示するメインのボーカルが華麗な雰囲気を作り出す。この舞台音楽が最もアンビエント的な要素を強める瞬間が「Picking Fruit」である。シンセサイザーを通じて、作曲家のマックレイは電子音楽に近い音楽の手法を選んでいる。そして、クワイアやミステリアスなシンセサイザーの伏線を通じて、華麗な弦楽器のソロが登場する。ここではチェロと思われる芳醇な旋律が、力強く鳴り響く瞬間がこの曲のハイライトとなる。

 

声楽を中心とする曲の中で、最も目玉となる曲が「Bloodline」である。制作者が語る「亡霊的な響き」が最も色濃く表れ出た瞬間である。この曲は特に、夫人の売春婦としての艶やかな雰囲気がオペラティックな歌唱によく表れ出ている。一方でそれは艶やかで魅力的であるが、危険なバラのような棘を持った夫人の人物像を音楽の向こうに浮かび上がらせる。こういった劇伴音楽の手腕は本当に見事であり、たとえ舞台そのものの演出がなくとも、独立した音楽作品として十分自立していることを証し立てるものである。この曲に感じられるミステリアスな雰囲気はまさしく、バーナード・ショーの作品をくまなく読み込んだからこそなしえた凄技だろう。

 

本作『Warren Suit』はオペラティックな側面もありながら、バレエの組曲に近い音楽構成も発見出来る。そしてまた、アルバムの最後に収録されている「Ghosts In White Dress」は、ウォレン家の豪奢な暮らし、その裏に隠された物悲しいエピソード、当時の社会的な道徳という副次的な主題を鮮明に浮かびあがらせ、まるで音楽という舞台を中心に登場人物たちが甦るような不可思議な感覚に浸されている。音楽的には、Morton Feldmanの作品『Rothko Chapel』に近い感覚を見出せることもあった。近年聴いた劇伴音楽の中では随一の作品で、大いに称賛すべき組曲。

 

 

85/100 

 

 

 

 

 

日本版 ウォレン夫人の職業 2026年1月23日より劇場公開


Angus MacRae:

 

アンガス・マックレイは作曲家、マルチインストゥルメンタリスト、レコーディングアーティストであり、その作品はレコード、実験的なライブパフォーマンス、演劇・ダンス・映画のためのスコアの間をシームレスに行き来する。彼の音楽は容易に分類されることを拒むが、広くはクラシック音楽と電子音楽の交差点に位置し、即興がしばしばその核心をなす。


独特の音楽的世界構築で知られるマックレイの作品は、記憶と想像力をテーマに深く概念的な探求を続ける。数々の高評価を得たアルバムやEPを通じて、その音楽は世界的な聴衆に届いている。


彼の数多くの楽曲は、ナショナル・シアター、アルメイダ・シアター、BAM、ロンドンのウエスト・エンド、ブロードウェイなど、国際的に著名な会場で演奏、上映されています。ドミニク・クック、レベッカ・フレックナル、リンドジー・ターナーなどの監督、マイケル・ウィノグラッド、ナタリア・ツプリク、バレネスク・カルテットなどのミュージシャンとコラボレーションを行っています

 Lande Hekt  『Lucky Now』


Label: Tapete

Release: 2026年1月30日

 

 

Review

 

イギリスのシンガーソングライター、Lande Hekt(ランデ・ヘクト)は2022年のアルバム『House Without A View』以来の最新作『Lucky Now』を先週末にリリース。2022年のシングル「Romantic」を聴くと分かるように、パワーポップやジャングルポップを中心とする良質なソングライターで、甘酸っぱく切ないメロディーをさらりと書き上げる能力を持ち合わせている。『Lucky Now』は前作の延長線上に位置するアルバムで、良曲揃いのアルバムとなっている。

 

アルバムのサウンドは、インディーフォークやネオアコースティックが主体となっている。本作の冒頭曲「Kitchen Ⅱ」は、思わず口ずさんでしまいそうなキャッチーなフレーズ、どことなく懐かしい感じのするメロディーで満載となっている。ほどよく力が抜けたボーカル、そしてドラム、ベースと聞きやすさを重視したサウンドで、爽やかで軽快なオープナーとなっている。

 

タイトル曲は、同じくネオアコースティックに属するが、ランデ・ヘクト持ち前の甘酸っぱいメロディーセンスを活かした良曲となっている。これらのサウンドは、アズテック・カメラ、オレンジ・ジュース、パステルズ、ヤング・マーブル・ジャイアンツなど、このジャンルの代名詞となるグループを彷彿とさせるものがある。決して現代的なサウンドとは言えないけれども、独特な雰囲気の曲展開、そして柔らかな曲の雰囲気についつい惹き込まれてしまうことがある。


また、「Rabbits」などを聴くと分かる通り、The Undertonesのような北アイルランドのパンクバンドの影響を感じさせることもある。 そういった中、ギターに薄いフェイザーをかけたようなサウンドを中心とする「Favourite Pair of Shoes」は前半の一つのハイライトとなりえる。ボーカルメロディーの親しみやすさもさることながら、ギターワークに光る部分があるのに注目だ。『Lucky Now』は、純粋なボーカルアルバムというよりも、その向こうから聞こえるギターリフに一瞬のきらめきが込められている。ドラム、ベースというシンプルなバンド構成がそれらの曲をほんのり引き立てている。また、曲全体から感じられる叙情的な音楽性からはどのような風景が思い浮かべられるだろうか。曲そのものが何らかの換気力に富んでいるのにも着目したい。

 

そういった中で、インディーフォークに舵をとった「Middle Of The Night」は新鮮な響きが込められている。クリアな雰囲気の中で、美麗なギターのアルペジオ、そしてバンジョーのような響きが聞こえてくる。さらに、夜の澄んだ空のような神秘的な雰囲気が立ち上ってくることがある。ここには、ランデ・ヘクトの吟遊詩人的なミュージシャンの姿を捉えられる(かもしれない)。


パワーポップやジャングルポップの雰囲気で繋がる「Circular」は、おなじみの陰影のある曲調に、ザ・リプレイスメンツのようなサウンドが加わる。そしてそれらは、全般的なロックの文脈の中で行われ、依然としてキャッチーな曲調を維持している。また、ここでもサビ(コーラス)の最後の方で、チューブアンプを中心としたギターワークがキラリと光る。それはランデ・ヘクトのソングライティングの中で、ギターソロが大きな割合を占めることの証でもある。

 

 アルバムの後半では、さらにインディーフォークやネオ・アコースティックの性質が強まり、「My Imaginary Friend」ではレモンヘッズ、ザ・ポウジーズ、ヴェルヴェット・クラッシュにも比する甘酸っぱいメロディーが満載である。それらがセミアコースティックギターの演奏を中心にボーカルと合わさり、爽やかな雰囲気を呼び込む。今回のアルバムで少しわかったことは、ランデ・ヘクトのソングライティングは、物申すような自己主張的なサウンドではなく、控えめで抽象的なサウンドである。それが80年代から90年代にかけてのインディーロックやパワーポップと結びついている。それはまた続く「The Sky」にも共通する点であると思われる。

 

最終盤ではこれまでの主要な楽曲とは異なる雰囲気の曲が出てくる。異色ではあるが、良曲ぞろいである。「Submarine」、「Coming Home」などは、ビートルズやビーチボーイズのサウンドをパワーポップやジャングルポップの側面から再構築している。 特に、アルバムをしっかりと聴いたファンはきっと、「Submarine」が隠れた名曲であることに気づくはずだ。楽曲の構成は以前よりもダイナミックになっていて、より大きな構想を練っているような気配も感じられる。この曲でもギターソロがクールな箇所がある。2分以降を聞き逃さないようにしてもらいたい。


まだ、このアルバムで最終的な答えが出たとは言えないかもしれない。しかし、ランデ・ヘクトの音楽性はいよいよ核心に近づきつつある兆候を捉えられる。クローズ曲「Coming Home」は叙情的なサウンドで聴かせる箇所があり、フォークとロックの中間にある淡い感覚を見出せる。

 

 

 

78/100 


 

 「Submarine」- Best Track





▪️過去のレビュー


LANDE HEKT 『HOUSE WITHOUT A VIEW』


▪️リリース情報


LANDE HEKTが三作目のアルバム『LUCKY NOW』を発表。 1月30日にTAPETEよりリリース

 Softcult   『When A Flower Doesn't Grow』

 

Label: Easy Life Records

Release: 2025年1月30日

 

 

Review

 

カナダのライオットゲイズ、 Softcultは、パンキッシュなイメージとシューゲイズを融合させるグループで、特にライブツアーなどで定評を獲得している。前作『Heaven』では、やや不発に終わった印象もあったのですが、最新作『When A Flower Doesn't Grow』では、さすがの実力を見せています。前作より曲がバラエティ豊富になり、音楽性の引き出しが驚くほど増えている。

 

前作では、二人の構成ということで、ギターの音圧に頼るケースが多かったものの、今回はよりバンド形式に近い録音を楽しむことができる。そしてパンクやハードロック的を以前までは強調していましたが、センス抜群のインディーポップのエッセンスを取り込むことで、聞きやすいアルバムに仕上がっています。実際的には、ソフトカルトはこれまでシングルやEPのリリースにこだわってきましたが、フルレングスを制作したことで、音楽的な広がりが出てきています。

 

アルバムは意表をつく静かなエレクトロニック/テクノ/アンビエント「intro」で始まり、それ以降、二曲目「Pill To Swallow」でソフトカルトらしいロックソングを聴くことができるはずです。この曲では持ち前のポップセンスを散りばめて、聞きやすいポップソングを下地にしつつ、おなじみの超大な音像を持つシューゲイズが加わる。特に今回のアルバムでは、ボーカルトラックに力を入れており、即効性があって感染力があるフレーズを惜しみなく歌い上げている。


また、ドラムやパーカッションの面でも、タンバリンのような音色を入れて、リズムの分厚さを出している。シューゲイズといえば、甘いメロディーに苛烈なファジーなギターが特徴ですが、基本的な形をストレートに打ち出している。しかし、このようなわりと激しい印象を持つ曲ですら、全体的な緩急を意識している。例えば、2分半前後のハードロックに依拠した間奏などはその代表例です。つまり全体的に聞き入らせるようなソングライティングや曲作りがなされていて、なおかつ聴いていて飽きさせない工夫が凝らされている。これは称賛すべき点でしょう。

 

しかし、そういったシューゲイズの基本的な曲よりも「Naive」のほうが際立っている印象がある。轟音のディストーションギター、そして超大な音像は維持しつつ、ボーカルについてはポップソングを意識している。リズム的な工夫も随所に凝らされていますが、その複雑さを経経てアンセミックなサビに来る部分で爽快感がある。いわば音楽的なフリークとそうではないファンの両方に響きそうなフレーズを大切にしています。 いつもジェンダーや政治的なメッセージを欠かさない双子のミュージシャンの音楽は、アヴリル・ラヴィーンの影響を感じさせることもあるため、実は結構ポップでミーハーと言えるでしょう。しかし、それこそが唯一無二の長所となり、ライブシーンで映えそうなアンセミックなフレーズを生み出している。また、双子らしいボーカルの息の取れたハーモニーの美しさは他のバンドでは容易には出しえない。二人は、ある意味では、Mewのような北欧的なロックバンドの清涼感のある空気感を導き出す。

 

ソフトカルトのもう一つのサウンドの特徴はメタル的なヘヴィネスを併せ持つこと。「16/25」はメタリックなドラムの連打に対して清涼感のあるヴォーカルのフレーズが特徴です。ボーカルの間に入るバッキングギターはハードロック的なニュアンスに富んでいてかっこよい。また、同じフレーズとリズムを続ける中で、1分15分以降に音楽が開けてきて、奥行きが出てくることがある。いわばボーカルとドラムがヒプノティックな効果を発揮し、トランスやレイヴのようなダンスミュージックの性質を帯びる。これは2000年以降のニューメタルのニュアンスを引き継いでいると言えるでしょう。そして、その挑戦はたぶん上手くいったのではないでしょうか。 


楽曲の構成は目まぐるしく変化し、アンセミックなボーカルを織り交ぜながら、ジェットコースターのように楽しい展開力を形作る。また、曲の後半では、90年代のグランジやストーナーへと傾倒していき、アリス・イン・チェインズやサウンドガーデンのようなグランジサウンドも登場したりしてものすごく楽しい。一曲の中で、ジャンルが移り変わっていくような柔軟性がある。それらが最終的には、80年代のハードロックやヘヴィメタル、強いて言えばメロディックメタル調の叙情性のあるボーカルのフレーズも登場する。ここまで強固なサウンドを見せつけられると、それにうなずくよりほかなくなる。つまり、新旧という概念を超えているのです。

 

また、このアルバムはソフトカルトのメンバーの音楽的な好みが凝縮されている。グランジロックとしてより濃厚になる「She Said,She Said」はオーバードライヴをかけたベースから始まるが、全体的な音楽性やボーカルにパンクのエッセンスを散りばめつつ、双子らしいヘヴィネスと毒々しさを追求している。しかし、重く、また、毒があるとは言え、音楽そのものはそれほど聞きづらくないはずです。これらの軽い姿勢とかノリの良さが楽曲全体に良い均衡をもたらしている。そして歌詞としても、なぜか口ずさんでしまうような魔力を持っているのに驚き。


「Hurt Me」は更に激しいヘヴィネスを追求していて、狂気の一歩手前まで行く。このサウンドは現代的なヘヴィメタルというより、90年代のミクスチャーロックの印象に近い。時々、横揺れのリズムを織り交ぜながら、ほどよいかっこよさを追求している。しかし、轟音を中心としたドロドロした曲はその後、急に静けさへと帰っていく。そして、その後、この曲は驚くべき変貌を遂げ、エモーショナルでアンセミックなロックへと飛躍していく。最後は、ソフトカルトの美学とも言えるアーティスティックなギターで締めくくられる。このあたりの両極端な二面性が面白い部分で、全体的にこのアルバムを楽しむ上で、抑えておきたいポイントとなるでしょう。

 

アルバムの音楽は激烈になったり、それとは対象的に精妙になったりというように、感情的な振れ幅は90年代のスロウコアに匹敵する。しかし、ソフトカルトをその存在たらしめているのは、抜群のポップセンスです。

 

「Queen of Nothing」はドリームポップの側面が色濃く出ており、聞きやすく、エモーショナルなロックソングに仕上がっている。「Queen of Nothing」はおそらく、アルバムのハイライトであり重要な楽曲でもある。怒りや轟音の向こう側にある感覚を二人は探し求めており、それが結果的に示唆されている。また、音楽的にも陰影のある切ないフレーズを呼び覚ましている。さらに、ハードコアパンクやストレートエッジに挑んだ「Tired」もかっこいい曲で、ハードロック風のエッセンスが付け加えられている。これらの反骨精神が聞きどころとなりそうです。


最新作『When A Flower Doesn't Grow』は音楽的にはなんでもありの、ごった煮のアルバムなのですが、ソフトカルトの好きな感覚がいたるところに垣間見えることがあり、なにか微笑ましい感覚に満ちています。また、終盤に収録されている「Not Sorry」はアルトロックソングとして申し分なし。Mommaの系譜にある聞きやすく、そして掴みやすいロックナンバーとなっています。

 

最後には意外な一曲が収録されています。インディーフォークに傾倒した、アコースティックギターの弾き語り曲です。前作『Heaven』では音楽性が画一的になりがちでしたが、最新作では驚くべき興味の広さを見せました。ソフトカルトはシューゲイズ、パンク、グランジ、メタルなどを織り交ぜ、クールな音楽を探求しています。 このアルバムは、カナダのデュオがまだ見ぬ領域を開拓した作品。と同時に、聴き応え十分の楽曲群によってその潜在的な能力を発揮しています。

 

 

82/100 

 

 

 




▪️過去のレビュー


Flip Top Head 『Triateral Machine』- EP


Label: Blitzcat

Release: 2026年1月30日

 

 

Review

 

英国/ブライトンのアートロックグループ、Flip Top Head(フリップ・トップ・ヘッド)はコレクティヴの編成で構成され、6人のメンバーを擁している。

 

彼らは、”カルトロック”を自称するグループであるが、Caroline、The Last Dinner Party、The New Evesの系譜にあるサウンドを特徴としていて、ロックオペラやフォーク、実験的なロックサウンドを織り交ぜ、個性的な音楽世界を構築している。


Flip Top Headを最初に当サイトで紹介したのは、2023年の「Alfred Street」だった。マスロック/ポストロック的なサウンド、Led Zeppelinのようなハードロック、物悲しさを感じさせるボーカルラインなど、 個性的な音楽センスが盛りだくさんだった。ミュージックビデオも古めかしい町並みをバンドメンバーが疾走するという、なかなか微笑ましい感じの内容だった。現在、Flip Top Headはベースメントやインディーズの範疇に収まるバンドではありながら、独創的なサウンドを制作しようとしている。

 

現時点では、Flip Top Headの作品はシングルとEPの発売にとどまっている。『Trilateral Machine 』は確認出来たかぎりでは、二作目のミニアルバムのリリースとなる。シングルではバラバラに散らばっていたマテリアルがミニアルバムという形で収められると、明確な形になってきたという気がする。Flip Top Headは、6人という分厚いアンサンブルを象徴するかのように、メインボーカルに加え、複数のボーカリストが メイン的な役割を担う。メインは女性ボーカルだが、他のイギリスのロックバンドのように、一人のフロントパーソンだけが大活躍するという感じではない。それぞれが個性を持ち寄り、どんなサウンドができるかの試作、あるいは実験である。

 

彼等は、マスロックやポストロックのような変拍子のサウンドを織り交ぜたり、曲の展開がいきなりジャンプしたりと、予想出来ない独創的な音楽性をはらんでいる。現時点では、メインボーカルのペーソス溢れる切ないメロディーセンスがカルト的なロックサウンドの支柱となっている。ボーカリストはアイルランド民謡のような地域性のある古典的な音楽を、ロックオペラのようにドラマティックに歌い上げ、それらが現代的なロックサウンドの基底に組み込まれる。


まだ、全体的には、完成されたサウンドとは言い難いが、その荒削りな魅力はインディーズロックのファンの心に響く何かがあるに違いない。そして、The Who、Led Zeppelinのような70年代のロックバンドの影響を感じさせるとはいえ、その中には、80年代後半のブリットポップへの親しみもある。


例えば、後半の収録曲「What I Really Want To Know」は、ザ・スミスのサウンドに近い。一般論として、The Smithsの追走者になることを、多くのバンドは避けてきた印象もあるのだが、ここでは、マーやモリッシー的なセンスを受け継いでいる。

 

今作もまた、ポストロックのセンスが健在であるが、実際の音楽性については深度を増したように感じる。「Porcelain Plugs」では、複数のギターのアルペジオの重なり、そしてゆったりとしていて安定感のあるドラム、そして悲しみと癒しに満ちたヴォーカルが混在し、その中で、アイルランド民謡に根ざしたメロディーが独創的な音楽世界を作り上げる。短調を中心とした曲展開の中で、その中で雲間から一筋の光が差し込むように曲調が明るくなることもある。

 

さらに、2分後半以降は、変拍子が随所に散りばめられ、プログレッシヴロック寄りの展開を見せることも。やがて、ロック的な曲展開から、オペラやバラードのような別の音楽性へと繋がっていく。これらの予測出来ない音楽性へと繋がる瞬間は、やはりコレクティヴならではのものだろう。特に、彼らはリズムの側面で独創的な才覚があり、曲の後半では、6/8の性急な拍子へと構成を様変わりさせる。イントロは、基本的な四拍子であるが、後半では三拍子中心の拍動へとドラスティックな転換を遂げる。すると、同じような歌の旋律でも、まったく異なる音楽であるように聞こえるのだ。

 

2曲目に収録されているタイトル曲などは、彼らのマスロックの嗜好が滲み出た一曲である。80年代後半から90年代は、アメリカのインディーズに限られていたこの音楽が、最近ではイギリスのバンドを中心に再興しつつある。これらはエモやパンクを経た後の実験的なロックサウンドとして注目を浴びつつある。「Trilateral Machine 」では、それらのマスロック/ポストロックの文脈を強かに踏襲し、フォークサウンドと結びつけ、新鮮味溢れる音楽性を築き上げている。この曲は、ロンドンのバンド、Honeyglazeのサウンドにも近い風味が感じられるかもしれない。曲のリズムやアンサンブルはかなり複雑なのだが、ボーカルはシンプルで聞きやすさがある。例えば、この曲の後半を聴くと、英国のロックは新しいステップにさしかかっていることを実感する。

 

「My Greatest Hits」は、Carolineのアートロックのサウンドをスポークワードなどを散りばめて、再構築しようとしている。イギリスのニューウェイヴを近年のポストパンクという視点を通して、どう組み替えられるかの試みだ。 また、ボーカリストのスポークンワードの語りの中には、The Last Dinner Partyのようにロックオペラからの参照もあり、また、舞台芸術の音楽性を感じさせることもある。楽曲そのものに、舞台芸術や演劇が付随するような音楽だ。

 

おのずと楽曲の中には、視覚的な効果が組み込まれていることは明らかだろう。それらが、このグループらしい独創的な音楽性で組み上げられ、ドラマティックな瞬間を呼び起こす。それは、六人組としての個性の化学反応ーースパークーーが生じた貴重なモーメントでもある。また、Flip Top Headのサウンドは、必ずしも轟音やノイズの側面だけが特徴ではない。特に、静けさや沈黙にフォーカスが絞られるときもある。それは、この曲の四分半以降のクワイアの合唱に宿る。こうした多角的なサウンド構成を織り交ぜながら、最終的には、一体感のあるアルトフォークに行き着く。言ってみれば、一曲の中に、ミルフィーユのように様々な構造が混在していておもしろい。

  

 「What I Really Want To Know」もまた興味をそそられる一曲である。先にも述べたように、マー、モリッシーの系譜にあるThe Smithsのようなペーソスに満ちたサウンドがベースになっている。しかし、カクカクとしたマスロックのリズムがそれに加わると、やはり独創的なサウンドが生み出される。決してポピュラーな音楽とは言えないが、全体的なメインボーカルには、何らかの親しみを感じさせ、ついつい聴き込んでしまうのが不思議だ。この曲の中には、おそらく、ブライトンの寛容的な多彩な文化観が盛り込まれているという気がする。また、彼らの音楽的なアイディアは瞬発的に終わることはない。彼らはじっくりと曲の次のセクションへ繋げて、スムーズに展開させる術を知っている。これもまた演奏力の高さや音楽の理解力の賜物であろう。そういった中で、この曲は、アンセミックなフレーズを呼び起こすことに成功している。サビ(コーラス)で聞かれるような癖になるボーカルのフレーズが魅力だ。

 

メインボーカルの節回しは、オペラ風になったり、民謡風になったりと、変幻自在なキャラクターが沢山盛り込まれている。本作のクローズ曲「The Ladder」は、レトロなシンセを活かしたプログレッシヴロックソングで、フロントパーソンやボーカリストとしての存在感が際立った一曲だ。独特なボーカルの節回し、ドラムのパーカッシヴな迫力も然ることながら、この曲には得難い魅力が滲んでいる。


めくるめくようなアンサンブルや全般的な楽曲の展開は、UKプログレッシヴロックの系譜に属しているが、その中でじっと耳を澄ましていると、メインボーカルの音楽的な感性が明瞭に浮かび上がる。そこには、なにか大きく期待すべき音楽性が偏在していることに気がつく。曲のクライマックスでは、EPに似つかわしくない、壮大な音楽的な感性を捉えることができる。まだまだアイディアが沢山あるという感じで、これからの活躍がとても楽しみな存在だ。

 

 

 

80/100 

 

 

 

Courtney Marie Andrews  『Valentine』
 



Label: Loose Future(Thirty Tigers)

Release: 2026年1月16日 

 

・Listen/Stream 

 

Review

 

アリゾナのシンガーソングライター、コットニー・マリー・アンドルーによるニューアルバム『Valentine』は不思議な感覚に満ちている。その楽曲群は、過ぎ去った日々を回顧するかのような興趣に富み、同時に未来を俯瞰するような内容になっている。 アンドルーは、1970年代のフォークロックバンド、フリートウッド・マック、ビッグ・スターなどを参照しつつ、雄大で自然味溢れるサウンドを築き上げている。全10曲は、アンドルーが愛する人の死の淵、重要な関係の終焉、そして新たな恋愛の激動という暗い時期の中で生まれた。彼女はその混乱から逃げるのではなく、それを楽曲制作と芸術に注ぎ込み、献身的で反抗的な音楽を生み出してみせた。

 

深い喪失、感情の激動、そして新たな関係の不安定な始まりという時期に書かれたこのアルバムは、アンドルーの最も傷つきやすく、そして落ち着きのある姿を捉えている。「愛は、年月と信頼、変化の上に築かれるものなのだ」と彼女は言うが、『バレンタイン』は、その苦労して得た明快さを反映している。ジェリー・バーンハートとの共同プロデュース、そして大部分がテープ録音で制作されたこのアルバムは、スタジオでのフルパフォーマンスを収録している。

 

アンドルーのサウンドは、カントリー、フォークのスタイルを織り交ぜたポップ/ロックソングの範疇にある。『Valentine』を彼女の作品らしくしているのが、人生における個人的な愛の解釈であり、それらが歌詞に的確に反映されていることだ。そしてそれこそが、この作品全体に只ならぬ説得力や聴き応えをもたらしている。人間関係の変化や転変をときに素朴に、また、ときに直情的に解釈し、音楽そのものに深みを与えている。アルバムの冒頭から、アンドルーが愛したと思われる人物が歌詞の中に登場し、また、それはアートワークにも暗示されているのだが、これほど直情的な歌詞や歌に接したとき、琴線に触れるなにかがもたらされるはずだ。

 

本作の冒頭を飾る「Pendulum Song」はダイナミックなバラードソング。その人物がシンガーにとってどれほど大きな存在であったかがわかる。そしてこのピアノとドラムで始まるこの曲は、驚くほどダイナミックなプロセスをたどる。素朴なフォークミュージックの質感を残しつつも、ドラマティックな音楽性に至る。内面の静けさと外側の変化との折り合いをつけるために書かれた楽曲とも解釈できるかもしれない。基本的には、ヴァースとサビを交互に配置するというシンプルな構成から成立しているが、この曲のフォークソングのスタイルからは勇敢さや雄大な空気感が立ち上ってくる場合がある。それはシンセサイザーのシークエンスやギターのアルペジオ、そしてドラムが重なり合い、Weyes Bloodのようなドラマティックなサウンドを呼び起こす。「Pendulum Song」はこのアルバム全体の緩やかな物語の序章として成立している。

 

その後、『Velentine』は現代的なフォークロックのスタイルを織り交ぜつつ、中盤の注目曲 「Keeper」、「Cons And Clowns」に至る。前者は70年代のフォーク・ロックのスタイルを選び、一方、後者はビックシーフやマース・レモンのようなインディーロックやフォークのスタイルを図る。そして音楽性も変化に富み、少し物憂げな展開があったり、その後すぐに軽快になったりと、歌手の人生の変遷を暗示させている。その瞬間、他者の中に共通するなにかを見出し、共感を覚えることもあるかもしれない。それはまた、聞き手が、他者の人生を垣間見るというよりかは、追体験したり、自分の中にある人生を重ね合わせ、共鳴する瞬間を得るということである。こういった中で、パーカッションによる工夫を交えたアコースティックギターとボーカルを中心とする「Cons And Clowns」は比較的、多くのファンの心を捉えるに違いない。

 

アンドルーは、普遍的なフォークソングの形式を、アーティスト自らの人生観を徹して探求しているが、最も音楽的に目を惹くのが、古典的なスタイルの中で、革新的なサウンドが出てくる瞬間であろう。「Magic Touch」は本作の序盤のハイライトのひとつ。ドラム、ベース、ギターというシンプルなバンド編成のサウンドが、素朴な質感を持つアンドルーのボーカルと上手く連動しながら、曲の展開を次のステップへと運んでいく。 リズム的な緩急を用いながらも、必要以上に曲をコントロールせず、流れの中で面白い展開を呼び起こすことに成功している。


サビでのコーラスがこの曲の要所となるが、同時に、バックコーラスも主旋律に美麗な印象を添える。シンプルな構成を心がけながらも、かなり細かい箇所まで入念に作り込まれており、これが音楽の印象をドラマティックにしている理由なのだろうか。一見すると、同じようなコード進行や和声進行を用いているように思えるが、一分後半から単調のスケールや調性を用いて、曲の雰囲気がガラリと変化していく。それはミュージシャンとしてのアルバム制作の一つの目標である自分の人生を音楽的な形で象るという目論見が一つの成功をみた瞬間でもある。


コットニー・アンドルーの曲は、ボーカルが歌われている瞬間よりも、ボーカル中心とする楽節から、楽器中心の楽節へと移り変わるときに、圧倒的な雰囲気が出てくることがある。2分序盤からのシンセサイザーの構成がきわめて巧みであり、曲そのものの余韻を長い奥行きのあるシークエンスにより象っている。このあたりは、例えばフリートウッド・マックのサウンドからの影響が顕著に感じられる。この曲の場合はアメリカ南部のような情景を呼び覚ますのである。

 

このアルバムを通じて、アリゾナのシンガーソングライターは、普遍的な音楽性や良いメロディーとは何かを探求しており、それらは続く2曲に反映されている。「Little Picture of a Butterfly」がたとえ、ビートルズやビッグ・スターのようなサウンドを参考にしているとは言え、それらが単なるパティーシュやイミテーションにとどまっているといえば、そうではないだろう。同音反復で和声を分散させるシンセのベースは、ビートルズのようなサウンドでお馴染みのものであるが、コットニー・アンドルーは存在感に溢れる堂々たる歌唱を披露しながら、涙もろい音楽性を呼び起こす。そして、それは長調の和声の中に、独立的に単調を組み込むというポップソングの基本的な形で展開される。ここでは、夢想的な感覚、ほろ苦さ、強さや勇ましさを発揮し、何らかの障壁を乗り越えようとする素敵な歌手の姿を捉えることができる。それはもちろん、聞き手に何らかの形で潤いや勇敢さを与えてくれることは自明であろう。

 

このアルバム、おそらく日本の歌謡曲とも相通じるものがある。私自身はあまり詳しくないのだが、往年の日本歌謡の名シンガーがお好きなファンには、きっと琴線に触れる感覚があろうと思われる。素朴さ、あるいは繊細さや脆さという、いくつかの感情性を踏まえながら、このアルバムは続いていき、「Outsider」ではアメリカーナに古典的な解釈を試みることで、対象的に新しいサウンドを打ち立てる。 これまでスティールギターがアメリカーナの象徴でもあったのだが、アナログシンセサイザーの音色に組み替えることにより神秘的な楽曲へと昇華している。音楽そのものは、70年代のフォークバラードなどにその源流が求められるが、暗さ、温もりなどの感情を交差しながら、日本の歌謡曲にも近い独特な音楽性を呼び込んでいる。いわゆる泣きの要素を交えていて、そこには奇妙な癒やしを見出すことができるはずだ。これこそ、歌手が作曲や制作の際に内面と向き合いながら、今作のテーマを表現しようとした成果でもある。


その後、『Valentine』はフォークソングの基本的な形へと傾倒していく。しかし、音楽そのものは軽妙になったり、もしくは明るくなってくる。これは作品全体をあまりシリアルになりすぎないようにしたり、または、救いのような瞬間を与えようという作者なりの配慮でもあろう。とりわけ、終盤のハイライト曲「Best Friend」では、ワクサハッチーにも通じる秀逸なフォークサウンドを打ち立てている。そしてアルバム全般に言えることであるが、メインボーカルに加えて、バックボーカルが入ったときに、このミュージシャンの音楽の醍醐味が出てくる。

 

牧歌的で広やかなインディーフォークサウンド、南部の雄大な雰囲気、音楽から立ち上るゴスペルのような霊妙さ、それらをこの歌手らしい素朴なサウンドによって縁取っている。そして意外なことに、この曲は、レディオヘッドの初期のアルバム「Fake Plastic Tree」(『Bends』に収録)を彷彿とさせる、ボーカルの旋律進行の影響を明瞭に見出すことができる。スタンダードなフォークミュージックが中心のアルバムでありながら、その一方で、シンガーソングライターのオルタナティヴへのささやかな愛情が映し出された作品である。1月の注目作のひとつだ。

 

 

 

82/100

 

  

 

 

 「Magic Touch」- Best Track

Loscil 『Ash』



Label: Loscil

Release: 2025年11月21日/12月19日



Review
 
 
ティム・ヘッカーと並んで、カナダを代表する電子音楽プロデューサー、Loscilの最新作『Ash』は、従来通り、アンビエント/ミニマルテクノですが、視覚的な効果を追求した作品と言えます。ベテランプロデューサーとしての技量と重厚な音楽観が凝縮された一作です。アルバムを購入すると、フォトジンが付属していて、そこには、印象的な写真が収録される。今作でロスシルの名を冠するスコット・モルガンさんは音楽と写真を合体させた新たな分野に挑戦しています。
 
 
旧来は、ギターのリサンプリングやモーフィングを中心に楽曲制作を行ってきたロスシルですが、アルバムは、推察するに、シンセサイザー中心の作品となっているようです。ミニマル・テクノに属する短いシークエンスが長尺のトラックを形成していますが、この数年プロデューサーが取り組んでいたトーンの繊細な変化や波形の微細なモーフィングなどを介し、変化に富んだドローンのトラックがずらりと並んでいます。音楽的には、ダークウェイヴとも称すべき短調中心の曲と、対象的に清涼感すら感じさせる長調のドローンが並置されています。こういった対比的な曲調を並べるのが、2025年のアンビエント/ドローンのシーンの主流になりつつある。
 
 
アルバムのタイトル、及び曲のタイトルは、全般的に火にまつわる内容となっている。6曲で40分という聞きごたえたっぷりの内容となっています。「Smoulder− 燻る」、「Carbon- 炭素」、「Soot-煤」など象徴的なタイトルが並んでいます。しかし、それとは対象的に、「Crown- 王冠/王位」、「Cholla− サボテン」もあり、最後は、「Ember- 残り火」で終わる。もしかすると、このアルバムには謎解きのようなミステリアスな意図が込められているのかもしれません。実際の作風は、ロスシルの一般的なアンビエント/ドローンに属していますが、最近の作品は、硬質でメタリックな重厚感に満ちていて圧倒的です。もちろん、それは『Ash』についても同様でしょう。また、ロスシルは最近、シンセサイザーなどを介して、パイプオルガンのような音響を再現することもある。それは全般的には、表立って出てこないものの、最後に暗示的に登場します。
 
 
アルバムを聴いていて思ったのは、昨今のロスシルは、音響工学に属するアンビエントを志しているのではないかということです。そこには音がどのように響き、増幅されていくのかという音響学の視点が備わっている。また、音のサステイン(持続)をどう続けるのか、音響そのものをどう反響させ、減退させ、収束させ、消えさせるか。音が立ち上がる瞬間だけではなく、音が消え入る瞬間にも細心の注意が払われています。プロデューサーという観点から言えば、ソフトウェアの波形のモーフィングにその点が反映されています。音が鳴っている瞬間にとどまらず、音が減退する瞬間や消えゆく瞬間に力が込められていて、スリリングな響きが発生します。こういった音響学的な制作者の興味が「火」というテーマに沿って形作られています。
 
 
短いシークエンスが組み合わされ、徹底的にオスティナート(反復)されるに過ぎないのに、ロスシルの卓越したプロデュースの手腕は、さほど個性的ではないモチーフですら、興味深い内容に変貌させ、最後には、マンネリズムとは無縁の代物になってしまう。波形のデジタル処理やトーンの変調により、驚くべき微細な波形の変化が作り出されています。これは電子音楽による、もしくはプロデュースによる、バリエーション(変奏)の手法と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
「Smoulder」を聴くと、荒涼とした風景を思わせるサウンドスケープがイントロに配される。これが曲の根本的な骨組みとなっています。しかし、ドローンのパッドは音量的なダイナミクスの変化を経て、音が発生した後すぐ静かにフェードアウトしていき、その合間に別のシークエンスが登場します。2つのパッドが重なりながら音楽が同時に進行していく。音楽的には、重苦しさや暗鬱さもあるが、同時に力強さもある。その音量的な変化の中で、パンフルートのような音色を用いた3つ目の旋律も登場し、音楽的な印象を決定づける。例えば、ポップやロックソングでは、イントロの後の2、3小節で行うことを、独特なディレイの方式により丹念に行っています。その結果として、映像音楽のように、なにかを物語るような音楽が完成します。


一連のミニマル・テクノの作風の中で、短調のハーモニーを形成させ、静寂の向こうから重厚感のあるドローンの旋律を登場させる。同じ構成がずっと続くようでいて、その過程で微細な変奏を用いている点に驚かされる。短調の悲哀のある印象音楽は、5分以降はその表情を変え、清涼感のあるサウンドスケープに変化していく。明らかに描写的な音楽と言え、大規模火災のような情景を想起させることがあり、それはまた追悼的な意味合いが感じられることもあるでしょう。
 
 
 
二曲目「Carbon」は中音域の持続音に高音域の持続音を付け加え、イントロからロスシルにしかなしえないオリジナリティあふれる音響を作り出す。音楽的な印象そのものは、一曲目と同様に物悲しさに満ちていますが、そのトーン自体からは精妙な感覚も感じ取られる。そして同じように複数のドローンの旋律を重ね合わせ、倍音を作り出し、それらをハーモニーに見立てる。


同様の音楽的な手法が用いられていますが、この曲の面白さは、テクノ的な音の配置にあるようです。永遠に続くかと思われたドローン音が消え去り、静寂が現れると、2分20秒以降では、Burialが使用したようなダブステップの音色がスタッカートのような効果を強調させ、曲のキャンバスに点描を打つ。Andy Stottのようなインダストリアルなテクノの影響が加わり、特異な音響を生み出す。こういった試みは、以前のロスシルの作風には多くは見いだせませんでした。そして、ダブ的なプロデュースの方法を使用し、その残響を強調し、ドローンとして続く。このあたりには、レゾナンス(残響)を巧みに活用しようという制作者の美学が反映されています。また、後半でも、複数の持続音を組み合わせる、カウンターポイントの手法が見出されます。
 
 
 
音楽の基礎としては、1小節目や2小節目において、曲の気風や印象を明瞭に提示するというのが常道です。しかし、それを逆手にとった音楽は古今東西存在している。「Crown」ではその固定概念を覆す。シンセの倍音の音域を増幅させ、煉獄的とも天国的ともつかない中間域にある音楽を作り出す。こういう音楽は、聞き手の感情に訴えかけるのではなく、聞き手の理性に根ざした音楽と言えます。感情の内側にある魂に到達し共鳴する音楽なのです。催眠的な音楽効果も含まれていますが、むしろ制作者が体現したかったのは形而下の内容なのではないでしょうか。


この音楽は、2000年代くらいにあったアンビエント曲を彷彿とさせ、それは聴く人によって印象が様変わりする。「明るい」と思う人もいれば、「暗い」と思う人もいるかもしれません。そして、クワイア(声楽)を模したシンセサイザーの音色が響き、それはやはり特異な印象を帯びる。これらは「音楽の一般化」という概念に対抗するような内容となっているのは確かです。つまり、音楽を決められたように作らないというアイディアが盛り込まれています。全体的なプロデュースの手腕も優れていて、洞窟や高い天井のようなアンビエンス(空間性)を再現しています。こういった曲を聴くと、アンビエントのトラックを制作する時は、''どのような空間性を作りたいのか''というシミュレーションが不可欠であることが理解していただけると思います。
 
 
全般的には、アンビエントともドローンとも言える、その中間点に属する曲が続いた後、いかにもロスシルらしい個性派の曲が登場します。「Soot」はまさしく、このプロデューサーの作品でしか聞けない内容で、ロスシルのファンにとっては避けては通れない内容です。特に、2000年代以降の作品より重力が加わり、メタルのようなヘヴィな質感を帯びていて素晴らしい。従来から制作者が追求していた重みのあるドローン音楽が集大成を迎えた瞬間であり、迫力満点です。文章がその人を体現するとよく言うことがありますが、音楽もまたそれは同様です。そして、この曲の場合は、単なる付け焼き刃ではなく、自然と獲得した人物的な重厚感なのでしょう。


総じて、こういった類いの曲は、扇動的な音楽を意図すると、ノイズや騒音に傾倒しがちなのですが、重力を保ったまま、心地よい精妙なトーンやハーモニーが維持されているのが美点です。本作の冒頭曲のように荒涼とした大地を思わせる抽象的なドローンが徹底して継続されるが、それは先にも言ったように空虚さとは無縁であり、むしろ陶然としたような感覚をもたらす。音量的にはダイナミズムを重視しつつも、その中には奇妙な静けさと落ち着きが含まれる。これこそ長く続けてきた制作者やプロデューサーにしか到達しえない崇高な実験音楽の領域。
 
 
 
16分以上の力作が並んだ最後の二曲は圧巻です。 「Cholla」は、前の四曲とは対象的に、それらの地上的な風景から遠ざかり、天上的で開けた無限の領域に属する音楽性が強調される。 音楽だけに耳を傾けると、誰にも作れるように思えますが、実はこういった曲は、簡単にはなしえません。これこそ、余計な夾雑物を選り分けた後に到達する崇高な領域です。このアルバムで登場した複数のシークエンスが同時進行するカウンターポイントの形式は、カンタータのようなクラシックやジャズとの融合を試みる、新しいアンビエントの形式が台頭した瞬間です。少なくとも、2025年のこのジャンルの曲の中では傑出していて、開放的な空気感に満ちています。
 
 
それは自然の鮮やかな息吹、美しさや崇高さという本作の副次的なテーマを暗示している。この曲を聴いて覚える解放的な感覚や心が晴れやかになる瞬間こそ、このジャンルの醍醐味と言えるのではないでしょうか。人間の魂が、自然と調和し、共鳴するような素晴らしいモーメントを体験することが出来ます。それはまたヒーリングというこのジャンルの副次的な効果をもたらす。
 
 
「Ember」もマニアックではありますが、他の制作者には簡単には作れない曲でしょう。地の底から鳴り響くかのような重厚感のある低音のドローン、その後、教会のパイプオルガンのような主旋律が作曲の首座を占める。これは現代的な感性に培われた電子音楽の賛美歌のようです。通奏低音を徹底的に引き伸ばし、その上に複数の持続音を重ねていくという手法が見出せます。


こういった作風は、現代音楽などでは既出となっていますが、ロスシルは、それらを最も得意とする電子音楽の領域に導き入れる。ドローンの基本的な持続音の形式に属していますが、特に曲の終盤でのフェードアウトしていく瞬間に着目です。音像がフィルターによりだんだん曇り、ぼかされ、ロスシルのモーフィングの卓越した手腕が遺憾なく発揮されています。また、この曲は一曲目「Smoulder」と呼応していて、円環型の変奏形式をひそかに暗示する。冒頭でも述べたように、未知の音響体験といえるのではないでしょうか。かなりの力作となっています。
 
 
 




▪️過去のインタビュー

LOSCIL'S COMMENTS ON THE NEW EP UMBEL   新作EP「UMBEL」に関するロスシルのコメントをご紹介


▪️レビュー


 LOSCIL 「THE SAIL'S,PT.1」


LOSCIL - 『UMBEL』 EP:  バンクーバーのアンビエントの重鎮による重厚なドローン

Taylor Dupree ・ Zimoun 『Wind Dynamic Organ, Deviations』


 
Label: 12K
Release:2025年12月5日
 
 
 
Review
 
 
12kはニューヨークのインディペンデント・レーベルで、テイラー・デュプリーによって1997年に設立された。それ以降、世界的にも希少なアンビエントに特化した実験音楽レーベルとして名を馳せてきた。実験音楽やアンビエントに携わる者にとっては、羨望の的となるレーベルとも言えるでしょう。


スイスのアーティスト、Zimoun(ジモン)、そして、レーベル・オーナーによる共同アルバムは、Tim Hecker(ティム・ヘッカー)を彷彿とさせるアブストラクトなアンビエントを中心とした難解なアルバムとなっている。しかし、同時に、ある程度の聞きやすさが担保される作品ではないか。
 
 
全般的なアンビエントの制作のスタイルとしては、アナログ/デジタルに依らず、シンセサイザーを用いたり、ギターからテクスチャーを生成し、リサンプリングのような手法でノンビートとして抽出したり、フィールドレコーディングから組み立てたり、また、ボーカルアートのような形式を採るものなど、多岐にわたる。今作は、スイス/ベルン大聖堂に設置されているオルガンが録音に使用されたという。パイプオルガンのような楽器は、鍵盤楽器と吹奏楽器の両方の性質を兼ね備え、これらの奏法の性質を活用している。『Wind Dynamic Organ, Deviations』に関しては、吹奏楽器の性質を強調させて、オルガンの名にあるように、風のような効果を発生させている。


本作は、アンビエントを未来の前衛音楽として解釈させるにとどまらず、無限に拡大する音響を、録音としてどのポイントから収めるのか、その収めた音をどのように聴かせるかに焦点が置かれる。要するに、レコーディング/マスタリングにおける壮大な実験が行われたとも言えるかもしれない。
 
 
 
本作は、六つの変奏曲/組曲の形式により展開される。全般的には、アンビエントのシークエンスをトラックの背景に敷き詰め、その中で、メインの楽器となるオルガンのトーンや音のコントラストがどのように変化していくかの実験が試みられている。


『Ⅰ』は、Tim Hecker、畠山地平に類するドローンノイズが敷き詰められ、 オルガンがあるポイントから現れたり、また、しばしば消えたりというように、カウンターポイントのような複声部の形式が敷かれている。


その音響は、工業的な響きを形作り、無機質な音の連なりを生み出す。これは全体的に、現代的な建築を目の当たりにしたときのような、スタイリッシュな雰囲気を添える。こういった都会的な響きは、William Basinski(ウィリアム・バシンスキー)のドローンテクスチャーを彷彿とさせる。またトラック全体には、微細なノイズが敷き詰められ、クリアトーンとノイズが混在している。これらの本来であれば、相反する音を組み合わせ、混沌とした音の渦を作り出す。どうやって作るのかといいたくなるほど。
 
 
 
また、「Ⅱ」では、ドローン/ノイズの性質がさらに強調付けられる。ホワイトノイズやヒスノイズといった本来のデジタル録音であれば除去される音を強調させ、本来は醜悪とされる概念の向こうに美しさを投射する。


さながら、それは1つの考えの転換のようなもので、2つの対極に位置する考えが相似する概念であることを伺わせる。そして、本来であれば倦厭されるノイズの背景に、それとは対象的に、古典的なオルガンの音色を配置し、天上的な楽の音を登場させる。オルガンの演奏は、トーンの変調を交えながら、色彩的なコントラストを作り出す。この絶妙なコントラストは、作曲論や方法論に終始しがちな昨今のアンビエントに、新鮮なニュアンスをもたらしている。
 
 
「Ⅲ」では、同じ類いのノイズを用いながら、風や嵐のような鋭い音の効果を持つアンビエンスを強調させている。しかし、同じような音楽的な手法を用いようとも、全体的な印象は、きわめて対照的となっている。


この曲では、ゴシック・メタルのようなダークな雰囲気、まるで空を雲が覆い、情景が少しずつ移り変わっていくような時間の経過が含まれる。「Ⅰ」に見い出せるカウンターポイントが生じ、オルガンの持続音が向こうに現れたかと思えば、また立ち消え、別の方向から異なる持続音が出現する。
 
 
 「Ⅳ」のイントロでは、シネマティックな音楽がイントロに配置される。抽象度としては、前の三曲よりもはるかにこちらの方が高い。まるで印象派のような絵画的な音のコントラストは、全般的にはモノトーンにより表出されるが、その中で微細な音の変調を織り交ぜ、水墨画のような音の玄妙な世界を作り出す。アブストラクト・アンビエントの真骨頂のようなトラックである。現代音楽や実験音楽の極北とも呼べる手法により、アヴァンギャルドの最前線を行く。


しかし、ドローン/アンビエントの手法は、必ずしも恣意的な内容ではなく、計算され尽くしている。全体的な音のパレットの中で、印象音楽のような音のマテリアルが配置され、茫漠とした荒野のような情景の中に豆粒のような何かが動き回るように、副次的な音楽が展開される。それは一つの音の世界の扉を開くと、また、もう一つ神秘的な世界が現れ、どこまでも果てしなく、その世界が続いていくかのような奇妙な感覚をおぼえる。こういった無限を感じさせる音楽はアンビエントならではのもの。
 
 
 「Ⅴ」では、こもった音像を駆使し、外側に放射される音響ではなく、それとは対象的に内側に向かう音響を強調し、内省的なサウンドが繰り広げられる。フィルターのような装置を用いながら、全体的な音像をわざと曇らせ、ある意味では、バシンスキーの系譜にあるような、音響を解体するような試みが行われる。これは「ミュージック・コンクレート」の一貫とも解釈出来る。


しかし、他の曲と同様に、全般的なハーモニー、調和、そして均衡は維持されている。ぼんやりとしたシークエンスの中でも、なにかしら二人の製作者の美学のようなものが揺らめき、せめぎ合いながら、この曲の全体的なバックグラウンドを支えている。こういった曲は、ノイズ/ドローンの名手、ニューヨークのプロデューサー、ラファエル・イリサーリの手法に準じている。また、曲の後半では、オルガンの持続音が徹底して強調され、このアルバムの核心のようなポイントが現れる。美しさとも醜さともつかない、一般的な価値観を超越したイデアを提示する。二項対立の音楽だ。
 
 
作曲的な側面としては、クローズを飾る「Ⅵ」が傑出している。この曲では、ミニマリズムの音形を反復させ、アシッドハウスのようなエレクトロニックに手法を駆使し、その中で、オーボエのような木管楽器の音色を登場させる。一般的には、ジャズとアンビエントをクロスオーバーさせた曲で、依然としてアンビエントのウェイトが強い。全般的なトラックのマスタリングも秀逸で、微細なディレイや波形の反復を用いつつ、特異な音響を得ることに成功している。
 
 
『Wind Dynamic Organ, Deviations』は、12kらしいアルバムで、生の録音とプロデュース的な手法が見事に合致し、世にも稀な実験音楽が登場したと称せる。アンビエント/ドローンの音楽は、あらかじめ計画された構想や反復的なストラクチャーから、予期せぬ”偶然の要素”が出てくる瞬間が一番楽しい。実のところ、本筋や本道からそれた時、予想外の風景に出会い、未知の魅惑的なサウンドスケープが出てくる。合理主義とは対極にある本物のアヴァンギャルド精神が貫かれる。偶発的な音の発生を散りばめたチャンスオペレーションの要素が、本作の六つの変奏曲を通じて、ひっきりなしに出てくる。アンビエント/ドローンの面白さを改めて体感するには、うってつけの作品と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
86/100 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
Details:
 

 
スイスのアーティスト、Zimoun(ジモン)は、スイス/ベルンに設置されたユニークな楽器「ウィンド・ダイナミック・オルガン(プロトタイプIII)」と共に過ごす光栄と喜びを得た。過去数年にわたり、彼はこの楽器を探求し録音する機会を与えられたのだった。 結果、2枚のアルバムが生まれた。ソロ作品『Wind Dynamic Organ, One & Two』(12k2061)と、 Taylor Dupree(テイラー・デュプリー)とのコラボレーションによる本作『Wind Dynamic Organ, Deviations』である。


ジモンはこの体験を語る。

「ダニエル・グラウスとそのチームが開発した真に傑出した驚異的な楽器『ウィンド・ダイナミック・オルガン プロトタイプIII』と、長期にわたり定期的に関わる素晴らしい機会に恵まれました」


「従来のオルガンとは異なり、各パイプへの風圧と空気量を能動的・継続的・動的に形成できるため、音色は単にオンオフされるだけでなく、発音中に変調されます。 これにより、ダイナミックな音の進化を操作したり、実際の音色の境界領域で音を生成したり、純粋な空気ノイズやきらめくさざめきを統合することが可能になる」


「鍵盤のストロークは音の立ち上がり(アタック)を変え、ストップを変更せずに、明瞭にアクセントの効いた音形から溶け合った音の帯へとシームレスに移行させる。こうして、現在の風圧に反応する、空気感あふれるノイズ・トーンのテクスチャーや、ちらつきながら振動する倍音の雲が生まれた」


『Deviations」は二人のアーティストがオルガンを出発点として、楽器の音の特性を掘り下げ、テクスチャーを強調/変容させ、新しさを作り出すための変奏を展開。オルガンはスイス・ベルン大聖堂に設置。スイス国立科学財団の支援を受け、オルガニスト兼作曲家ダニエル・グラウスの指導のもと、ベルン芸術大学(HKB)の研究プロジェクトの一環として開発・製作された。 

Sword Ⅱ 『Electric Hour』


Label: Section 1

Release:2025年11月14日

 

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アトランタのアルトロックバンド、Sword Ⅱは、マリ・ゴンザレス、アス・カーテン・ズコ、トラヴィス・アーノルドの三人組である。このサイトでは初登場のバンドとなるはずだ。アトランタのバンドではあるが、ブリット・ポップのようなサウンドとインディーロックを融合するバンドである。


2023年にデビュー・アルバム『Spirit World Tour』をリリースしており、本作は二作目となる。このアルバムは、監視技術社会の問題点をベースに制作され、その中で、創造性や革命の時間をもたらすという内容である。


バンドは、ライブステージに立つ時間をそういった抑圧、疎外感から解放する働きをもたらすようなアルバムを制作したかったという。


実際的に、これらは観念的な世界から生み出されたものではない。友人の家がFBIに捜査され、監視下に置かれたのだった。レコーディングに関しても、独特な切迫感をもたらし、漏電などの脅威もあったという。おのずとこのアルバムはアンダーグランドなロックソングの響きがあるが、同時に、その中で作り事ではないリアリズムのサウンドが全般を通じて体現されているように思える。

 

アルバムは「Disconnection」で始まるが、これらは、80−90年代のブリット・ポップのサウンドと共鳴する何かがある。同時に、Guided By Voices、Pavement、Galaxie 500、Sebadohのような最初のオルタナティヴロックソングと通じる何かがある。悲しみに満ちたアコースティックサウンドで始まるが、ローファイなロックサウンドの中で、独特な内向きの熱狂性を生み出している。


これらは必ずしも、感情が昂じたり高ぶることなく、ほどよいテンションを保ちながら、USインディーロックらしい空気感を呼び覚ます。曲の全般はダークな雰囲気に満ちているが、聞いていると不思議と癒やしがあり、勇気づけられる感覚もある。基本的には、ニッチなインディーロックに属しているが、彼らのサウンドには奇妙な説得力がある。これらはフィクションとしてのサウンドにはあらず、リアリズムの延長線上に、アトランタの3人組、Sword Ⅱの音楽性が構築されていることを伺わせる。また、その主要なサウンドは、ガレージ・ロック色には乏しいものの、Bar Italiaのサウンドに通じるものがあることを感じ取っていただけるのではないか。

 

同時に、このトリオは、分担制のボーカルスタイルを取る。これが曲の印象にバラエティを付与しているのは事実だろう。「Swenty」では女性ボーカルに変わり、ネオ・アコースティックやアノラック風のサウンドに傾倒する。それは同時にジャングルポップやトゥイーポップのようなサウンドの一面を強調付ける。この曲には、甘酸っぱい感じもあり、Vaselinesのようなサウンドを楽しむことが出来る。アルバムの冒頭では、さらにロック的な知識量の豊富さを顕示し、バロックポップのような70年代風のサウンドを続く「Under the Scare」に捉えることが出来るはずだ。そうした中で、独特なオリジナリティが出てくることがある。この曲の明るい感じのするコーラスワークは、このバンドの持ち味や長所が目に見える形で出てきた瞬間でもある。

 

ロックバンドとしての性質にとどまらず、MUNAのようなインディーポップサウンドのセンスを発揮することもある。「Sugarcane」は注目の一曲となっている。甘口のアルトポップソングをお望みの方に最適なトラックとなる。 また、それらのポップサウンドには、シューゲイズからの影響もわずかに感じられる。独特なアナログシンセのような音色は、MBVのロックサウンドのような独特な甘酸っぱさに満ちている。これらが最終的に、ドリームポップバンドとしてのSword Ⅱの姿を浮かび上がらせる。ツインボーカルの楽曲は、ロンドンのWhitelandsのサウンドを彷彿とさせることも。これらの田舎性と都会性の混在したロックサウンドが醍醐味となる。

 

90年代のブリット・ポップや、USオルタナティヴロックを踏襲した上で、ローファイやヒップホップのイディオムを的確に踏まえ、「Gun You Hold」では新鮮味のあるサウンドを作り出している。静かなアルトフォークサウンドから、ロック的な轟音のサビ/コーラスが対比されるという点ではやはり、Bar Italiaに近い性質をもった楽曲と言える部分もあるかもしれない。これらはまだ最終的な形になったとまでは言えないけれど、曲の後半ではじんわりとした感覚をもたらす。


鐘の音のイントロで始まる「Passionate Nun」もセンス抜群のサウンドである。以前として全体的には、ボーカルの節回しを見るかぎり、ブリットポップからの影響が色濃いように思えるが、その中で最もユニークな性質がサビ/コーラスの箇所で登場する。これはアトランタのサウンドなのか、それとも、このトリオの持つスペシャリティなのか。よくわからないが、面白い。続く「Halogen」は、ドリーム・ポップ/シューゲイズの楽曲で、現在のインディーズロックの主流のスタイルに準じている。その中で、スコットランドのネオ・アコースティックやシアトルのグランジの要素を織り交ぜながら、Sword Ⅱとしての唯一無二のサウンドを探求している。

 

今後、どのようなバンドになるのか読めないという点で、Sword Ⅱに大きな期待値を感じる。アルバムの後半ではほとんどジャンルを度外視し、冒険に満ちたサウンドを追求している。「Violence of the Star」では、Let's Eat Gramma、MUNAのような甘口のポップサウンドを提示しているが、その後は、まったく予想がつかず、そして展開が読めない。藪から蛇といった感じだ。


「Who's Giving Your Love」では、荒削りな感じのあるガレージロックをベースにしたsnooperっぽい高速パンクチューンを制作している。また、クローズ「Even if it's Just a Dream」ではアルバムの序盤や中盤に見出されるブリットポップを中心としたバラード風のインディーロックソングへと舞い戻る。このアルバムの全体に通底するバラエティ性こそ、このバンドの最大の魅力であるとともに、USインディーロック特有の性質でもある。今後のトリオの活躍にも注目したい。

 

 

80/100

 

 

 

「Gun You Hold」 

Yazmin Lacey 『Teal Dreams』 


Label: AMF

Release: 2025年10月24日

 

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Review

いつの間にか、ロンドンに活動拠点を移したアーティストは、前作『Voice Notes』では、レゲエのリバイバルを試みていたが、最新作『Teal Dremas』はダンサンブルなビートを生かしたネオソウルアルバムを制作した。ダンストラックとして楽しめる曲がある一方、ディープなソウルミュージック、それからクラシカルなレゲエソングもある。今回のレビューは、デジタルの音源をもとに行いますが、ビニール盤では、また一味異なる音の質感が感じられるかもしれません。

 

ネオソウルとしては、実際の制作者の実像はさておき、作品としてはファッションスターのような、きらびやかな印象があることが重要です。その点において、「Teal Dreams」には、スターへの羨望的な雰囲気、バブリーな空気感が漂っている。また、それは80年代のソウルミュージックと呼応するようなスタイリッシュな音楽が示されている。次いで注目すべきは、前作の全体的なレゲエの要素に加え、アンダーグランドのダンスミュージックを絡め、センスの良いブラックミュージックを制作していることでしょう。ビンテージなレゲエの要素もたまに登場するが、モダンなネオソウルやダンス・ミュージックをレイシーは追求したということになる。それ加えて、夢見るような音楽を、ヤスミンは制作しようとしたように感じられる。しかし、夢見るような音楽とは言っても、それは千差万別です。今回のアルバムの場合、それは、クラバー向けのDJサウンドを、全般的なディープソウルの要素と結びつけたと言えるでしょう。

 

その中で、もう一つ新たな音楽的な要素が加わった。アルバムの冒頭曲「Teal Dreams」では、アフリカの民族音楽のリズムが、心なしかエキゾチックな印象をもたらす。 その中で、近代的なイギリスの革新的なリズムーースカ、レゲエ、ダブーーといった、70-80年代の英国のニューウェイヴの要素を添え、独特なテイストを持つネオソウルのトラックを制作している。もちろん、アフロ・カリブやアフリカへのルーツの回帰という主題も捉えることは可能ですが、それらにイギリスに対する文化的な敬意を添えようとしている。最終的には、スタイリッシュな感覚を持つソウルミュージックが出来上がる。現在のロンドンの混在する文化性を象徴するような楽曲です。


その中で、レイシーはボーカルの側面で、絶妙なポップセンス/メロディーセンスを発揮している。これはラップだけでは少し物足りないと感じるリスナーをも惹きつける可能性がある。その中で、エキゾチズムというテーマを音楽的に強調する瞬間が「Two Steps」に現れる。文字通り、ロンドンのガラージや2ステップのリズムを取り入れているが、全般的にはアフロ・キューバン・ジャズのような南米の音階やリズムが登場し、躍動するビートの中で、南欧の音階も登場する。ジプシー音楽を彷彿とさせる哀愁のあるサウンドは、キューバ/プエルトリコのような地域のサウンドも相まって、特異なテイストを放つ。その中で、全般的には、ブレイクビーツを配したドラムテイクの中で、ヤスミン・レイシーのボーカルが鮮やかな印象を保っている。その中で、最近流行りの2つのボーカルーー歌とラップーーを並置させ、特異な音楽を作り出す。

 

しかし、これらは飽くまでポピュラーソングの範疇で行われていることに注目したいところです。レゲトンを意識した「Wallpaper」では、ヤスミン・レイシーは、堂々とポピュラーシンガーであると宣言している。そして、依然として、前作と同じように、レゲエのジャマイカのリズムが、心地良い雰囲気を作り出す。また、この曲では、アーティストによるトロピカルソングの見本が示される。今回は、ダンス・ミュージックやネオソウルが表向きには主要な印象を占めているように思えます。しかし、同時に前作のレゲエの要素は、より奥深い領域へと到達していることが分かる。「Love Is Like The Ghetto」は、Trojan Reggeaのリズムを参考にして、オルガンの裏拍の音色やダブ風のギターのサウンド処理を通じて、トロピカルな印象を押し出す。その中で、ゲットーへの愛を示すかのように、温かなボーカルの雰囲気を作り出す。ムードたっぷりで、東京の下町のような人情味溢れる雰囲気のソウルミュージックは、他ではなかなか聞くことができないでしょう。アーティストによるローカルコミュニティへの愛情が感じられる。

 

その他、ヤスミン・レイシーの音楽が理想的である理由は、一貫して、人間の愛情や友情の側面に焦点を当てようとするから。つまり、レイシーの音楽は、必ずしも特異性を示すのでなく、共通項を示そうとしている。「Worlds Apart」 は、分断する今日の世界から距離を取り、人間の本質的な美徳を言い表わそうとする。音楽的にも、それは同様で、美麗なギターのアルペジオを中心としたフォークミュージックを通じて、現代人の多くが忘れかけた感覚を取り戻すべく試みる。これはしかし、必ずしも悲劇的なヒロイックな印象を押し出すのではなく、平等や人権といった普遍的な観念から、これらの一般性ーー親しみやすさーーを導出するのである。


そして、そのための1つの鍵となるのが、エズラ・コレクティヴが示した”ダンス”という主題であるが、このアルバムの場合は専門的なダンスではなく、一般的なダンスであり、”音楽に合わせて体を揺らす”という”シンプルな運動”を意味する。これは、エズラ・コレクティブが、神様という視点を欠かさぬように、より大きな宇宙的な存在を見ないことにはなし得ないことなのでしょう。また、それはヤスミン・レイシーの音楽の根幹の部分を形成している。続く「Rear View」でも、その点は変わりがないようです。金管楽器をフィーチャーし、ジャズの要素が付け加えられるが、ダンスミュージックにある陽気さや楽しさという本作の理想が体現されている。当然、一般的な感覚の共有という側面でのコミュニケーションを意図しているのでしょう。


また、音楽的に言っても、最近のダブは、他の音楽とのクロスオーバや融合が進んでいるので、その本義が薄まりつつある。しかし、「Grace」はダブの王道の楽曲であり、この音楽の基本的な要素が受け継がれている。シンプルなレゲエのスネア、そして、時折、切れ切れに聞こえるブレイクビーツやヒップホップの重要なヒントとなったベース、夢想的なヴィブラフォン、そしてベルを交え、全体的な楽曲の骨組みを作り上げていく中で、ソウルの王道のボーカルが、最終的にメインメロディーを作り出す。同時に、これらの器楽と声は、美麗なハーモニーを形成する。まさしく大人のためのソウルミュージックで、これはあまり近年に聴いた記憶がない。この曲では、ブラックミュージックの奥深い感覚、そして、静寂を体感することが出来る。また、一般的なギターロックやギター・ポップに挑戦した曲も収録されている。「No Promises」は、80年代っぽい秀逸なギターポップソングとして大いに楽しむことが出来るでしょう。

 

後半にも簡単に聴き逃がせない曲がいくつかあります。「Wild Things」ではアルバムの序盤のアフロキューバのリズムが復活し、それらがこのアルバムの根幹にあるダンスミュージックと呼応し、サイケな印象を帯びる。サイケデリック・ソウルの急峰が、このポイントで形成される。「Ain't I Good For You」は、キューバン・ジャズのリズムや音階を強調し、エズラ・コレクティヴ風のサウンドを追求している。華やかで祝祭的な金管楽器のユニゾンがエズラの持ち味ですが、この曲では、ヤスミンらしさがほとばしり、躍動感のあるネオソウルに昇華されている。


終盤の収録曲は、近年のヒップホップのコラボブームを参照しつつ、ヒップなソウルを制作している。これらの曲では、フェミニンなソウルの魅力を体感出来ます。また、クローズ曲は、ヒップホップ・ジャズを意識している。これらのメロウなサウンドは、うっとりした余韻を残し、本作のテーマを印象づける。『Teal Dreams』は、ネオソウルの急進的な作品です。アメリカのミック・ジェンキンスのようなヒップホップ・アーティストが好きな方にもおすすめです。

 

 

84/100 


 

「Two Steps」- Best Track




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YAZMIN LACEY (ヤスミン・レイシー) 英ノッティンガムのシンガーによるR&B/レゲエの注目作 ”VOICE NOTES”

 Hannah Jadagu 『Describe』


 

Label: Sub Pop

Release: 2026年10月26日

 

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ニューヨーク→カルフォルニアのシンガーソングライター、ハンナ・ジャダグ(Hannah Jadagu)は、2020年代中盤以降のインディーポップシーンを象徴するような存在である。元々、iPhoneなどで録音を行っていたハンナ・ジャダグであったが、Sub Popにその才を見初められ、ポップ/ロックシンガーとしての華々しい才能を発揮するに至った。


『Apeture』は、フランスで同地のプロデューサーと組んでレコーディングされた。これまで影響を受けてきた、ポップやソウル、そしてロックのエッセンスにヒップホップの話法を取り入れた画期的なアルバムで、ニューヨーク・タイムズ、NPRから称賛を受けた。サブ・ポップの説明によると、セカンド・アルバムは、ミュージシャンとして生きるようになってからの葛藤が描かれている。

 

彼女の開花しつつあるキャリアは、ニューヨークで育まれていた恋愛関係から彼女を引き離した。「愛と感謝を感じつつも、仕事のために離れていることへの罪悪感もあった」と彼女は振り返る。「ミュージシャンであることは時間を犠牲にすることを意味する——そして私の特徴の一つは、質の高い時間を大切にする人間だということ」 


彼女の広がりを見せるセカンドアルバムでは、その分離と向き合い、物理的な距離を超えた繋がりを見出し、その過程で自身の声を強めている。このセカンド・アルバムは、ソングライターがアイデンティティを確立するための過程を描いている。


前回はロック調の曲も多かったが、今回はポップソングを中心に構成されている。しかし、メインストリームの音楽とどこかで呼応しつつも、独自のDIYのソングライターとして出発したミュージシャンらしく、インディーズポップが中核に据えられている。また、従来としては、白人のポップとして位置づけられていたアートポップやエクスペリメンタルポップ、ケイト・ルボンのような実験的なポップスへの接近を図った作品でもある。

 

「アナログとモダンを融合できるアーティストにすごく惹かれる」と彼女が語るように、今回のアルバムでは、普遍的なポップソングのエッセンスを取り入れながらも、それが現代的な音楽として通用するのか、もしくは新しいなにかが出てくるのか、その過程のようなものを捉えることが出来るはずである。アルバムの冒頭曲「Describe」を聞けば、そのことがよくわかる。ボーカルにはオートチューンを使用し、現代的なポップソングと呼応してはいるが、同時に、バックトラックでのシンセサイザーは清涼感のあるテクスチャを構成し、AORのようなサウンドに変化する。


1980-90年代と2020年代の商業音楽が入り混じったようなサウンドは、このアルバムのコアの部分を構成し、現在の活動拠点であるカルフォルニアのヨットロックやソフィスティポップのごとき音楽性と呼応する。しかし、必ずしもニューヨーク的な気風が立ち消えになったとまでは言えない。ボーカルのリリックや節回しには、依然として都会的な気風があり、アーバンな空気感が漂う。


この曲は、その後、エレクトロニックの音楽性が大々的に強調され、一分半以降はミニマル・アンビエントの音楽性と連動しつつ、ポピュラーソングの未知の領域を開拓する。「Describe」には、その後、ゴスペルやソウルのような要素が追加され、荘厳なポップソングへと移行していく。現代と古典を行き来しながら、未来への希望を物語るかのような一曲だ。

 

デビューアルバム『Apeture』では、恋愛に関する曲も収録されていたが、「Gimme Time」でもその作風は受け継がれている。プロのミュージシャンになったことによる人間関係の葛藤は、内面をシンプルに吐露するという、伝統的なポップソングのスタイルと言えるが、それと同時に、この曲で垣間見えるのは、一般的なエモーションを巧みに表現したラブソングだ。ベッドルームポップのスタイルを参照しつつ、2020年代に相応しい一曲が書かれている。


サウンド面でも、瞠目すべき箇所が数多くあり、ダブのエフェクト、IDMのエレクトロニックの要素等、クロスオーバーの多彩さでは、昨今のミュージックシーンでは群を抜いている。しかし、そういった新しい試みの中でも、ボーカルのメロディーラインは大きく変わっていない。これこそ、ハンナ・ジャダグのソウルやヒップホップを経過した、新しいポップソングの独自のスタイルである。ボーカルは、時々、ラップのニュアンスのように音程をぼかしたり、ネオソウルのような歌唱を踏まえながら、独自のポップネスのイディオムを構築している。同時に、白人のミュージックシーンでは一般的なドリーム・ポップのエッセンスも添えられる。つまり、この曲には、夢想的な感覚が織り交ぜられ、半ば陶酔感のある感覚を付与するのだ。

 

分けても、ヒップホップやブレイクビーツが強調づけられると、旋律的な性質が強いジャダグの音楽は、にわかに、先鋭的なアートポップ/エクスペリメンタルポップの表情が強まる。「More」は、シカゴ/ニューヨークのドリルに触発された一曲で、 アメリカ的なサウンドとイギリス的なサウンドが共存している。気忙しいグリッチのビートに合わせて歌うというケンドリック・ラマーを始めとする現代的なラッパーと同じスタイルであるが、ハンナ・ジャダグの場合は、やはりドリーム・ポップのような乙女心を感じさせるメロディーが切ない空気感を帯びる。


そして、アルバムの一曲目にも登場した、トラックの背景となるシンセのシークエンスが、清涼感のある空気感を生み出している。前面ではヒップホップやソウル、そしてポップやロックが交差するが、その背後では、ミニマル・アンビエントやエレクトロニックが鳴り響くというものである。これは、実は、率先してダニー・ブラウンが『Quaranta』で試していた前衛音楽だったが、これらを聴きやすく、可愛らしい音楽へと置き換えたのが、この曲の正体なのである。特に、この曲も、後半部分では、ダンス・ミュージックの要素が強まり、踊れる音楽としての性質を帯びる。この点を見ると、このシンガーソングライターにとって、理想的なポップソングとは適度に踊れる、また、リズムに乗れるということが重要であることがわかる。

 

急進的なアートポップ/エクスペリメンタルポップのソングライターとしての一つの成果が続く「D.I.A.A」にはっきりと表れ出ている。ダンスビートとロック、そしてポップの融合が図られ、極大の音像を持ち、シューゲイズやポストロックのような宇宙的な壮大さを持つ全体的なテクスチャーの中で、ハンナ・ジャダグは持ち前のポップセンスをいかんなく発揮してみせる。デビュー・アルバムではまだ初々しさも感じられたが、今回のアルバムのいくつかの曲では、ベテラン歌手のような存在感を発揮する瞬間もある。この曲では、SSWとしての強い生命力やオーラのようなものを捉えることがきっと出来るはずである。特に、ダンス・ミュージックとしては極端なほどにBPMを落として、旋律的な側面を維持し、堂々たるポップソングの印象性を強めようとする。旧来のマイケル・ジャクソンのようなサウンドの影響もあるかもしれないが、それらは結局、どこまでもモダンな印象が強調付けられている。この曲では、テクノ、アンビエントを通過したポップソングで、新しい音楽ジャンルの萌芽を捉えることが出来る。こうした中で、ドローンのような痩せたパンフルートの音色を模したシンセサウンドが取り入れられた「Perfect」では、従来にはなかったミステリアスな音楽性で楽しませてくれている。

 

ハンナ・ジャダグというのは不思議なソングライターで、非常に感覚が鋭い。特に意識したわけでもないのに、現在のトレンドとなる音楽性を上手く捉えている。それはいわば、ミュージシャンとして波に乗っている証拠である。今回のアルバムでは、現代のソフィスティポップやAORのリバイバル運動と呼応するようなサウンドが、解題のためのヒントやキーとなりそうだ。


80年代のディスコポップと連動した「My Love」では、ブリブリとしたリズムやビートとネオソウルやヒップホップ的なボーカルが組み合わされ、見事なポップソングが誕生している。その後も、前衛的なポップソングが続き、「Couldn't Call」では、ピアノにモーフィングのエフェクトを加えたサウンド・デザイン的なアートポップソングが登場している。アンビエント的な音像も魅力の一つであるが、ゴスペルに根ざしたボーカルの壮大な印象にも注目したい。この曲では、歌手が子供の時代、ゴスペルを歌っていた頃の経験がモダンなサウンドと共鳴する。「Tell Me That!!!」はスパイス・ガールズやビヨンセのようなサウンドやヒップホップのドリルをポップソングとして昇華しており、聴きやすい一曲として楽しめることうけあいだ。

 

セカンド・アルバムでは、ジャダグのポップセンスの才能的な拡張に加えて、リズムの実験的な試みがいくつも見いだせる。それは実際的に、リズムの側面において、ポリフォニックな革新性を持つに至る場合もある。「Normal Today」は刺激的なビートが特徴で、 ダブステップやUKガラージの派生系であるツーステップ/フューチャーステップのリズムが取り入れられている。 このリズムのセクションに加えて、このアルバムの肝となるソフィスティポップやEnyaのようなヒーリングの要素を持つオーガニックな質感溢れるイージーリスニングの性質が加わり、独自のポップソングの形式が登場している。これはハンナ・ジャダグ以外にはなしえない唯一無二のオリジナリティであり、今後どのような形で成長し、完成されていくのかに注目したい。この曲では、しなるように強固なビートが温和な印象を持つボーカルと見事に融合し、グルーヴィーなポップソングが確立されている。この曲のリズムやウェイブは圧巻とも言える。


さらにヒップホップのビートを矢面に突き出して、それらを持ち前のベッドルームポップの要素と融合させた「Doing Now」は、このセカンド・アルバムの隠れたハイライト曲となるだろう。『Apature』の延長線上にあるこの曲。しかし、ギターサウンドにはさらなる磨きがかけられて、ローファイ風のコアなインディーロックソングのスタイルと見事な形で合致している。ベースラインとヒップホップのビート、そしてジャダグのボーカルは、美しいハーモニーを形成している。このあたりに、新しい米国のポップソングの台頭を捉えることが出来るはずだ。

 

ロックとヒップホップの性質が強まる瞬間もある。これらは、ハンナ・ジャダグの影響を受けた音楽のどの側面が強調付けられるかによって、最終的な音楽性が決定されることの証でもある。なおかつ、アルバムを通して聴く際にも、多彩でバリエーションに富んだ音楽性を楽しめるに違いない。今回の最新アルバムでは、デビューアルバムのクローズのようなフランスのエスプリを表したり、映画的なポップソングを制作したのとは対象的に、エポックメイキングな仕掛けは施されていない。しかしながら、これこそ、ハンナ・ジャダグが本格派のシンガーとしての道のりを歩み始めた証拠で、今後の音楽性がどのように変容していくのか楽しみでならない。「Miracle」でのヒップホップ/ブレイクビーツのリズムのクールさは形容のしようがない。また、夢想的な印象を持つドリームポップの要素がこの曲に独特なロマンチシズムを添えている。おそらく、このアルバムでは最終的な結果のようなものが出てきたとは限らない。つまり、潜在的な歌手や作曲者としての才能が無限大で、今後はまだまだ良い曲が出てきそうだ。

 

アルバムをたくさんレビューしていると、フルアルバムの最後、あるいは一箇所において、大きな期待感を抱く瞬間がある。それは間違いなく、新しい何かが登場した瞬間であり、そこに漠然としたロマンを感じる。アルバムの最終曲「Bergamont」では、それがはっきりと感じられる。音楽が、既存の枠組みに窮屈に押し込まれず、無限に広がっていくような感覚がある。音楽とは、既存の枠組みに押し込めるものではなくて、枠組みから解放するためのものなのだ。そしてそこには、威風堂々たる感覚すら捉えられる。これこそ、ハンナ・ジャダグが、今、着実に、優れたミュージシャンとしての階段を上っている最中であることを示唆するのである。望むべくは、アーティストにとって象徴的なトラックが出てくると、最も理想的かもしれない。

 

 

 

85/100

 

 

 

 

「Doing Now」

 Living Hour  『International Drone Infinity』

Label: Keeled Scales

Release: 2025年10月17日

 

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カナダのロックバンド、Living Hourは、『Someday Is Today』に続くアルバム『Internal Drone Infinity』をKeeled Scalesから先週末にリリースした。 カナダのレーベル、Next Doorから移籍後、第一作となる。最新アルバムは、前作のコラボレーターのJay Som(メリナ・ドゥテルテ)が全面的なプロデュースを担当した一作。このバンドは、カナダの次世代のインディーズロックウェイブを象徴付ける存在といってよいかもしれない。ドリーム・ポップやシューゲイズをインディーロックと結びつけるが、今作では、遊び心溢れる音楽的なアプローチに満ち溢れている。

 

アルバムのオープナー「Stained Steel Dream」では、エイフェックス・ツインと聴き間違えるほどのドリルンベースで始まるが、やはりその後は、静けさと轟音を行き来し、心地よい温みを持つアルトロックソングが続いている。ゆったりとしたテンポでギターロックは続いていくが、轟音のシューゲイズサウンドが後半部に登場する。アンセミックなフレーズも登場するが、テンポ感覚を変えながら、その轟音の向こう側にある静寂を発見する。サウンド全体にはどことなく、Wednesdayに近いテイストが捉えられる。


このバンドの持つ美しいメロディーセンスは、続く「Wheel」に見出すことができる。ほのかな郷愁や田舎性に満ち溢れたサウンドは、ボーカルと骨太なギターラインの轟音のなかで溶け込み、ときどき、ドリーム・ポップの要素を引き出す。ややアメリカーナのサウンドを彷彿とさせるインディーズロックは、南部的な雰囲気を漂わせる。この南部的な郷愁やアメリカーナの要素は、続く「Waiter」でも継続しているが、少しよれたピッチのボーカルが、カントリーとロックのクロスオーバー性をより強調付けている。

 

「Best I Did It」ではギターの強烈なフィードバックノイズを用い、Dinasour Jr.の系譜にあるハードロック風のオルタナサウンドに挑んでいる。やや繊細で内省的な印象を持つボーカルが恐竜や巨人のようなディストーションギターと融合し、モダンなテイストを持つギターロックが誕生している。それらが時折、精妙な感覚を持つ轟音のシューゲイズサウンドへと変化する。しかし、依然としてアメリカーナやカントリーの影響がどことなく渋い印象をもたらしている。曲の後半では、轟音の中から、まるで雪煙の向こうから神秘的な情景が出現するかのような美麗な印象を持つボーカルフレーズが登場する。このあたりのリヴィング・アワーのバンドとしての強固なフレンドシップや一体感がこのアルバムの序盤の一つのハイライトの瞬間となるだろう。

 

前回は、ポップやトロピカルなサウンドも随所に散りばめられていたが、今回のアルバムではよりロック・バンドとしての性質が強まっている。そしてそれは他の現代のバンドの音楽的なアプローチと同期するかのように、ポスト・グランジの次世代のモダンロックへと組み替えた楽曲「Firetrap」 、もしくは、彼らの出発点となったThe White Stripesのようなガレージロック・リバイバルの楽曲「Big Shadow」が続いている。


しかし、これらは乾いた感じのガレージ・ロックではなく、シューゲイズや音響派の系統にある極大のギターサウンドの音像によって構築される。神秘性という側面ではその限りではないものの、Mogwaiのような轟音のポストロックの要素を全面に押し出したという印象がある。そして今回はギターのプレイが活躍している。ツインリードを織り交ぜてメタリックなサウンドを探っていることもある。これらは完全形にはなっていないかもしれないが、ロックサウンドとしては面白さが感じられる。これはもしかすると、Fucked Upのパンクのアプローチにも比する実験性がある。

 

特に、アメリカーナやカントリー/フォークの要素が最も強まるのが、続く「Texting」である。ここでは、雄大なアメリカーナの雰囲気がギターの繊細なアルペジオを中心に組み立てられ、リヴィングアワーの代名詞とも呼べるドリーミーなボーカルが幻想的な雰囲気を作り出す。この曲の後半部では、、ニール・ヤング風のかなり渋いテイストを持つフォークサウンドも登場するのに注目しておきたい。轟音のロックサウンドがこのアルバムでは顕著であるが、一方でこういった静かで精妙な感覚を持つインディーフォークサウンドこそ、このバンドの隠れた長所である。この曲は、「Best I Did It」と並んで、このアルバムの最大の聞き所になる可能性が高い。

 

 

また、アルバムの前半部は轟音のギターロックが多いが、後半部になると、何かつきものが落ちたかのように静寂が強まる。「Little Kid」はオルタナティヴロックの隠れた魅力の静けさに焦点を絞っている。表向きにはそれほどはっきりとはしないが、どことなく哀愁と憂愁に満ち溢れた感覚が、リヴィング・アワーらしいロックサウンドに乗せられることが多い。しかし、その中で、少しダウナーな感覚を持つサッドコア/スロウコアのようなサウンドから、美しい旋律が立ち上る。これらの対極にある要素が絡み合い、『International Drone Infinity』が生み出された。

 

アルバムの終盤では、スロウコア/サッドコアの要素が強まり、鈍重だが幻想的な感覚を漂わせるインディーロックサウンドが、このアルバムの有終の美を飾っている。大きく変化したわけではないが、何かが確実に変化している。これらの変化の中で、今後どういったサウンドが作り上げられていくのかに注目したいです。アルバムのクローズは、やはりアメリカーナを思わせる田舎性を感じさせるインディーロックソングである。しかし、その中でようやく、期待していたような新しい実験的なサウンドの萌芽を見出すことができる。ピアノ/シンセを織り交ぜたサウンドで、口笛の音などをサンプリング的に取り入れ、アート志向のインディーフォークソングを作り上げている。この最終曲では、やはり、このバンドらしい、特異な美的センスを感じ取ることができる。それは、前作のような圧倒的な感覚には乏しいものの、依然として、リヴィング・アワーは何か期待すべきものを持ち合わせている。相変わらず好きなバンドの一つ。

 

 

76/100

 

 

 

「Best I Did It」- Best Track 




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WEEKLY RECOMMENDATION: LIVING HOUR 『SOMDAY IS TODAY』

bar italia 『Some Like It Hot』



 

 

Review 

 

ニーナ・クリスタンテ、ジェズミ・タリク・フェミ、サム・フェントンによる三人組のロックバンドは、2023年からおよそ一年間、160本もの過酷なツアー日程をこなし、プロのロックバンドとしての修行を積んできた。年間160本のライブ日程というのは、多くの日々を飛行機の機内と宿泊先の行き来で終始したことになる。不安定な日程から生み出されたこの作品だが、彼らはデビュー時から多作なバンドであるため、今後も曲を作ることを遠慮するつもりはないだろう。多作であることは、バー・イタリアの強みであり、それは今後も変わらないものと思われる。

 

『Some Like It Hot』は、ジャンル的にもバランスの良い収録曲が並んでいる。マタドール移籍後三作目のアルバムでは、ライブで瞬間的に受ける即効性にポイントを置きつつも、全体的にソングライティングに力を入れ、じっくり聴かせる曲をロンドンの三人組は探求している。しかし、それは基本的には、聴いて楽しむためのロックソングという面では、従来と同様である。

 

本作の冒頭を飾る「Fandraiser」は、イントロこそウィンドチャイムのような音色のモジュラーシンセを活かし、ミステリアスな雰囲気を演出するが、それ以降はフランツ・フェルディナンドを彷彿とさせるキャッチーなダンスロック/ダンスパンクが続いている。一曲目のサウンドには、ディスコからの影響が反映され、乗りやすいリズムと少しチープな感覚が生かされている。小規模のライブハウスの雰囲気を宿した奇妙なほど熱狂的な一曲。また、このバンド特有のルーティンとも言える複数のボーカルも依然として、Bar Italiaの唯一のオリジナリティとなっている。

 

Bar Italiaといえば、最初期はドリーム・ポップやシューゲイズ風のサウンド、そして何と言ってもローファイなサウンドを特徴としていた。前二作のアルバムでは、依然としてローファイで荒削りなロックサウンドを引き継いでいたが、今回のアルバムに関してはローファイとは言えないだろう。


アルバムでは従来にはなかった新しいサウンドがいくつか試されている。それはリバプールの古典的なロックやイギリスのパブロックである。これは世界を飛び回っていて、今日、明日にかけて、ミラノからバルセロナで公演を行うロックバンドの里帰りへの欲求、イギリスへのほのかな郷愁がいくつかの曲に揺らめいている。「Marble Arch」は、なんとなくイギリスやアイルランドのパブの雰囲気が感じられ、哀愁のあるバラードソングという形でこの曲は展開していく。


悲哀と哀愁を織り交ぜたサウンドは彼らとしては珍しい。エレクトリック/アコースティックギターの演奏を交えながら、独特なアイルランド的な空気感をおびき寄せるのである。そして最終的にはブルース・ロックのような渋いスタイルに行き着く。はたして、これは彼らなりのララバイなのだろうか、少なくともバー・イタリアの楽曲としては異色の部類に属している。そして2つのボーカルを対比させて、新しいポップソングのスタイルを探っている。3曲目の「badreputation」は、三拍子のリズムをもとに、新しいオーケストラロックを制作しているのに注目したい。これはロックバンドによる新しいワルツやバラードとも言える。The Whoのロック・オペラほどには壮大にはならないが、哀愁に満ちたロックワルツを体験することが出来る。

 

今回のアルバムでは従来に比べて、英国のロックバンドとしての矜持がはっきりと見出される。ここには、''俺たちはロックの名産地であるイギリス育ちだ''という奇妙な自負心のようなものが込められている。


「Cawbella」はオアシスとWet Legを掛け合わせたようなロックソングだ。 しかし、そういった雛形となるサウンドがあるとはいえ、バー・イタリアはガレージ・ロックの音楽的なアプローチを図ることにより、このバンドらしい独創的なサウンドを構築していく。音像を巨大化した骨太でフックのあるギターリフ、そしてアンセミックなボーカルのフレーズなどを散りばめ、より大衆的なロックサウンドを作り上げる。これこそ、ライブツアーの魔人的な日程をこなしてきた猛者としてのプライドが宿っている。ストロングなパワーは、前2作アルバムよりも強まっているように感じられた。2分半以降の息の取れたコーラスワークには彼らのトリオとしての生命力がほとばしっている。また、その後の鋭いギターリフは、反復的であるが、非常に洗練された響きが含まれている。

 

 

このアルバムはほとんどジャンルを想定せず、思い浮かんだままに曲が並んでいるような印象を受けた。つまり、曲のほとんどがランダムであり、作曲や録音もまた入念に準備された作品とは対象的に、その場で思い浮かんだアイディアを楽曲という形に落とし込んでいったような感じである。次にどんな曲が来るのかわからないのが、一つの楽しみとなるかもしれない。「I Make My Own Dust」のようなグランジタイプの曲ですら、 曲の展開は聞き手の予想を上回る。また、カルト的なロックの雰囲気を押し出しながら、従来のニーナ、サム、ジェズミによる三者のボーカルというルーティンをこなす。この曲は、バンドの原点に帰るかのようであり、時間が経っても結成当初のような熱狂性を取り戻せるかの実験ではないか。そしてそれは、ある程度成功しているといえる。哀愁のあるボーカルや、スポークンワード、ロックタイプのボーカルとそれぞれの音楽的なルーツや背景が異なるからこそ、こういったサウンドが作り上げられる。曲の後半では、ギターの音像が拡大されたり、ボーカルがシャウトに近くなり、ラウドな音量を強調させるが、依然としてその中には、イアン・カーティスのような奇妙な静けさがある。 


そういった中で、「Plastered」は、映画的なポップソングという今流行りの音楽的な手法が見出される。この曲でも複数のボーカリストが歌い、イギリスのコクトー・ツインズのようなサウンド、もしくは東欧のフォーク・ミュージックのような音楽性が融合している。この曲に感じられるようなエキゾチズムの正体は一体何なのだろうか。単に自分が知り得ないものに接したからなのか、それとも、彼らのアウトサイダー的な雰囲気に何かしら親近感を感じたからなのだろうか。いずれにしても、この寂しいバラードソングは、バー・イタリアのサウンドが新機軸に達したことを証明付けている。Black Heart Processionのような独特なエキゾチズムが揺らめく。

 

Bar Italiaは、不協和音を押し出した前衛的なロックサウンド、正確に言えば、ポスト・グランジやポスト・ガレージロックも得意としている。これらの硬派なサウンドは、少なくとも、彼らのアルバムの基軸となる箇所であり、その軸を中心として、同心円を描きながら、その音楽的な世界を押し広げていく。「rooster」は間違いなく、バー・イタリアの象徴的なロックサウンドで、それはブルースの雰囲気を含めながら、ラウドとサイレンスを行き来する新しい時代のロックのスタイルである。そして、野暮ったさというか、粗野な部分というか、全体的なローファイの影響をその中で展開させる。どこでどのボーカルが歌われるのか、それすらもほとんどがランダムであり、特定の決まり事はないように思えてならない。相応しい曲のセクションで相応しい人が歌う。これらの予定調和の世界とは対象的なサウンドは、聴いていて何かしらの期待感があるわけなのだ。 彼らは世界が予測した通りには動かないことをよく知っており、その世界の予測不能な部分を、音楽や歌の領域で表現しようとしている。これらがバー・イタリアのサウンドが抽象的な感覚があり、掴みどころがないように思える理由なのかもしれない。

 

また、アルバムには、底しれぬ暗澹とした世界が満ち広がっている。「The Lady Vanishes」のような曲は、ダークウェイブの系譜にある一曲で、Cigarette After Sexのような心地よいゆらめくような淡いギターロックサウンドで縁取られている。シューゲイズやアンビエントのような音楽ですら彼らにとってはオーバーグラウンドの音楽で、よりマニアックな領域を探求している。そして時々、ギターサウンドの中には70年代のUKハードロックの影響もちらつくことがある。


また、その中で、手に変え品を変え、バロックポップに傾倒した曲もある。「Lioness」は、イギリス版のパワー・ポップソングといえ、アメリカのジャングルポップとの歴然とした相違点が明らかになる。まるでブリストルのサウンドを意識したような曇がちな雰囲気の音楽性は、彼らがイギリスのロックや育った地域のルーツやローカリゼーションを最も強く意識した瞬間とも言えるだろう。これは、ライブツアーで世界を飛び回っているとき、逆向きの作用が働き、彼らをローカルなロックサウンドへと押し戻す何らかの出来事があったことを示唆している。

 

そうした中で、「omni shambles」こそ、英国のロックの真骨頂である。粘りつくギターリフ、鋭く硬派な感覚、さらに雄大な雰囲気など、バー・イタリアがはじめて、プリマヴェーラなどの出演を経て、AC/DCのようなスタジアム級のロックを明確に意識した一曲とも言える。この曲に満ち溢れる鋭利なロックのエナジー、人を食ったかのような大胆な雰囲気こそ、バー・イタリアの最高の魅力が表れ出た瞬間といえる。今回のアルバムでも、彼らは飼いならされることを拒絶し、依然として独立したオリジナリティ溢れるロックバンドとしての姿を誇示している。そして、その中には、やはり旧来のようなロックバンドのあるべき姿を見出すことができよう。

 

ロンドンのロックバンド、バー・イタリアは『Some Like It Hot」において、ロックの復権を試み、その狼煙を上げることに成功した。彼らの勢いは、終盤になっても衰えることなく、むしろエナジーを増していく。「Eyepatch」はデビューバンドのような鮮烈な印象をもって心を鷲掴みにする。このパンクチューンは痛快な印象を与えてやまない。アルバムのクローズ/タイトル曲は意外な展開をもって終わる。ピーター・ガブリエルの系譜にある、渋いポップバラードは、彼らがアルバムの制作全般で聴かせる曲とは何かを探し求めたその痕跡のようなものである。

 

 

85/100 

 

 

Label: Matador

Release: 2025年10月17日

 

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「omni shambles」-Best Track




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BAR ITALIA 『TRACY DENIM』


BAR ITALIA 『THE TWITS』

Skullcrusher  『And Your Song is Like a Circle』

Label: Dirty Hit 

Release: 2025年10月17日

 

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Review

 

ヘレン・バレントンによるソロプロジェクト、Scullcrusherは、インディーフォークやアートポップ志向の音楽を融合させ、 夢想的なポップソングを提供する。最新作は、前作『Quiet The Room』の音楽性を急進的にし、アトモスフェリックなドリームポップやインディーフォークソングを中心に制作している。まるで始まりも終わりもない夢想的な音楽の世界がこのアルバムで体験できる。

 

『And Your Song Is Like A Circle』は全般的にドリームポップ調の音楽的なアプローチではあるが、なおかつまたソングライターとして、普遍的なポップソングの系譜を受け継いでいる。作曲性には骨がある。そして、様々な実験性が施されているのが一番興味深い点ではないかと思う。


たとえば、アルバムのオープナー「March」はピアノの弾き語りをベースにした曲で、アンビエント風のアトモスフェリックな空間処理が際立っている。ヘレン・バレントンのボーカルは、アカペラのように独立した響きを構成し、トラックの背景となる抽象的な空間をさまようかのように揺れ動き、ボーカルのコーラスを対比的に配置させながら、その夢想的な空間性を増強させる。現代的なデジタル録音の強みを生かしたサウンドで、心地よいポップソングとして楽しむことができる。シンセサイザーのアンビエント風のシークエンスは、変化していくボーカルラインと呼応しながら、多彩なインディーポップワールドを形成し、アートポップに傾倒する。

 

今作において注目すべき、もう一つのサウンドは、サッドコアのようなニッチなインディーフォークであろう。「Dragon」はこのジャンルの特徴であるダウナーな音楽性をソングライターの特色である夢想的な感覚と合致させる。また、それに特性を付け加えているのが、ダンス・ミュージックのビートで、テクノやブレイクビーツの系譜に属するドラムテイクがドリーム・ポップと融合を果たす。おのずと音楽自体は大人しくなりすぎず、動的な印象に富んだ内容となる。また、曲の途中では、フィルター処理を施し、楽曲の強度のコントラストに工夫を凝らしている。当初、モノトーンであったはずの音楽的な印象は、おのずと色彩的になるという次第である。3曲目に収録されている「Living」は、アコースティックギターを中心とするドリーム・ポップソングだ。この曲でも複数のボーカルの録音を重ね合わせて、ナイーブでセンチメンタルなハーモニクスを作り出し、聞き手の琴線に触れる切ないエモーションを引き出す。

 

 

2曲目「Dragon」に見出せるようなダンスミュージックのビートの影響は、4曲目に収録されている「Maelstrom」にも発見することが可能である。ともあれ、依然として、スカルクラッシャーのソングライティングは、悲しみやペーソスを起点していて、深い憂愁と甘美的な感覚の底に聞き手を導く。しかし、その主な作風な中で、多くの音楽ファンの心に訴えかけるであろう瞬間も登場する。それが一分後半部分で登場するフレーズで、リサンプリングによるサウンド処理の中で、際立ったポップセンスとメロディーセンスを遺憾なく発揮する。これらはこのアルバムの核となる琴線に触れる瞬間をもたらす。さらに同時に、共感性の溢れるポップソングというスカルクラッシャーの代名詞的なサウンドの象徴にもなっている。特に、ボーカルとリズムと連動するようにして現れる美麗なピアノの断片的なサンプリングに注目したいところ。

 

このアルバムでは、主要なドリームポップやインディーポップの音楽的な方向性と平行して、オーガニックな印象を持つエンヤのようなバラードも併録されていることに注目したい。「Changes」はハイライト曲の一つに挙げられる。アコースティックギターの滑らかで澄んだサウンド処理、そしてボーカルの妙が見事に合致した楽曲でもある。サステインを生かしたマスタリング、そして、ときどき民族音楽の影響を感じさせるエキゾなシンセの演奏を交えて、独特かつ特異なポップワールドを醸成する。この曲には、スカルクラッシャーの音楽的な世界に浸り続けたいと思わせる不思議な感覚があり、なおかつ、その音像的な奥行きに耳を澄ますと、その音楽的な世界はほとんど無辺にも感じられ、終わりのない形而下の音楽的な世界へ導かれる感触をおぼえる。なおかつ、それらの無限の音楽性に一定の規律をもたらしているのが、ナイーヴでオーガニックな印象を持つアコースティックギター、それからスカルクラッシャーの分身のように出現する物語性を持った複数のボーカルやコーラスの重層的な連続である。この曲は、最終的に器楽的な音響効果だけを残して、アンビエント風のイントロへとつながる。

 

インディーポップソングとして秀逸な印象を放つ「Periphery」にも注目したい。 アコースティックギターのフォーク的な印象、そして、ミュートドラムの録音を活かし、アメリカーナの空気感を作り出す。ゆったりとしてラフな感じで始まるこの曲は、同じようにスカルクラッシャーらしいドリームポップのセンスにより、夢想的な音楽的な性質を帯びるようになる。ボーカルのハーモニーも美麗な印象を放つが、何よりこの楽曲の核心にあるのは、物事の本質の抽象化にあり、音楽、言葉、主張性をぼかそうという近代絵画の印象主義にも似た手法である。

 

これらの音楽的なプロセスは、アルバムにまつわる視覚的なイメージや、絵画的なニュアンスを導出する場合がある。音楽自体が副次的な何かを生み出すという面では、やはりアンビエントやエリック・サティの「ジムノペティ」のような「家具の音楽」に近い性質を擁するのである。これらの要素は、スカルクラッシャーの音楽が、映画のサントラや一般的なBGMに近い指向を持つことを証左する。いずれにせよ、どこまでもぼんやりしていて、心地よい音楽空間が演出されている。ようするに、このアルバムでは、音響的な空間性を浸りきることもできる。それは一般的に言えば、プラネタリウムにいるときのような神秘的な感覚を与える場合もある。

 

ある意味では、エリオット・スミスが最初に提示したアメリカのインディーフォークという概念、サッドコアのイディオムを受け継いだ楽曲もある。それは国籍こそ異なるが、Joanne Robertsonのような女性的な感覚を生かしたインディーフォーク・ソングにも比する何かがある。


「Red Car」はその象徴的なトラックとなる。サッドコアの音楽性をさらに急進的にし、アンビエントの範疇にある空間的なサウンドエフェクトという、アルバムの根本的な音楽の主題から、平原や高原にいるときのような精妙な空気感を作り出そうとする。その手段となっているのは、やはりスカルクラッシャー自身のボーカル録音であって、これは、アーティストが音楽自体をボーカルアートのように解釈していることの示唆にもなる。そして、神聖な雰囲気すら感じられる音像の中でアコースティクギターと歌を披露するこのアーティストには、吟遊詩人のようなトルバドゥールの性質や、ミューズの雰囲気すら感じ取ることもできるかもしれない。少なくとも、アーティストの美的な感覚は、このアルバムの一つの美学としての機能をはたす。

 

終盤にもいくつか注目に値する曲があるので、実際に確認していただきたい。スカルクラッシャーの音楽から引き出される神秘性は、終盤の曲でより深度を増し、音楽的なイデアを拡張させていく。


「Vessel」はスカルクラッシャーが新しいポップソングの領域に足を踏み入れた瞬間で、それはまた現実的な概念とは対極にある理想的な空間を意味する。理想主義の音楽とも言えるかもしれないが、それは、実際的に憂いのある現実世界とは対象的な理想郷を鏡のごとく映し出す。これらの細やかな芸術的なセンスが、このアルバムの重要なポイントであり、それは古代ギリシアの哲学者や思想家が夢想した空想の土地や、アンティポデスのような概念の反映を連想させる。

 

少なくとも、同曲の多彩なボーカルのハーモニーはとても美しく、一聴の価値あり。また、マスタリングのサウンド処理が相当凝っているのも、ダーティ・ヒットの録音らしいといえるか。ピアノにデチューンを施し、プリペイドピアノのような音響効果を活かした本作の終曲「The Emptying」では、現代人の空虚さのような感覚を絵画的に表している。このクローズ曲では、スカルクラッシャーの音楽全般がアートポップに根ざしていることを読み解くことができる。

 

 

 

82/100

 

 

 

「Changes」 - Best Track