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Squarepusher 『Kammerkonzert』 


Label: Warp

Release: 2026年4月10日

 

Review

 

Squarepusherによる新作アルバム『Kommekonzert』 は、四の五の言わずに聴いておいたほうが良い作品。1990年代からイギリスのエレクトロニックシーンを牽引してきたスクエアプッシャーは今回、ソロ演奏を中心とするオーケストラアルバムに挑戦した。カマーコンツェルトは室内楽の意味で、エレクトロニック、ジャズ、モダンクラシカルをクロスオーバーする作品である。

 

中心的な役割を担うのが、ドラムやシンセサイザーのWurlizerのような鍵盤楽器である。 トム・ジェンキンソンは、2000年以降はジャズベーシストとしてのソロアルバムも残しているが、ご存知の通り、スクエアプッシャーを名乗る前、アートスクールの在籍時から手作りのドラムを制作し演奏していたことを考えると、ドラム奏者でもあるわけである。このアルバムは、オリヴィエ・メシアンやブーレーズのようなミュージック・セリエル(シェーンベルクほどには厳格でない十二音技法)、半音階法、モダンジャズをかけあわせた作品である。また、Wurlizerのような鍵盤楽器は電子音楽のチェンバロのような効果を生み出し、独創的な音楽世界が構築される。近年のWarpのカタログの中では随一の作品で、スクエアプッシャーの代表作がここに誕生した。これまでのスクエアプッシャーの作品中でも最高傑作の一つでははないかと思う。

 

このアルバムはシンプルに言えば、電子音楽とオーケストラの仮想的な共演がポイントとなる。また、メシアンやシュトックハウゼン以降の現代音楽の協奏曲、あるいは交響曲である。明確にコンセプト・アルバムの一貫としての狙いがあり、作品は簡潔なタイトルに数字が加えられたのみ。まるでこのアルバムは、スクエアプッシャーが作り上げた壮大な建築の中に入り込み、その中で、いくつかのエポックメイキングな出し物やアトラクションを楽しむような趣がある。しかし、それは単なる演出のようなものではない。一つ一つが緻密であり、精密機械のように精巧な音の作り。音の職人として90年代以降名を馳せてきたミュージシャンは、およそ30年間の音楽的な蓄積と経験を駆使して、一つの高みへと上り詰めた。 

 

アルバム全体の曲に共通しているのは、無調のスケールや旋法であり、それらの音形の連なりがまるで建築やプログラミングの設計図のように縦横無尽に駆け巡り、音の建造物を作り上げていく。


スクエアプッシャーは、調性音楽が出来ないというわけではないので、これらは明らかの緻密に計算されたミュージック・セリエルの手法である。シロフォン、マリンバなどの打楽器系統の音階がセリエル音楽を作り上げたかと思うと、やはりシンセサイザーのスケールや旋法が無調音階のスケールを作り上げる。その中で、ジャズドラムが一定/変則のリズムを刻むが、ティンパニーのようなオーケストラ楽器とは異なり、細かなダイナミクスの変化やレゾナンスの変化を用いながら、奇妙な音楽空間を構築していく。まるでそれらはバルセロナのサグラダ・ファミリアの建築を眺めるようなものである。中央に巨大な尖塔がそびえるかと思えば、微細な箇所には驚くべき精密な音のデザインや装飾が施されている。しかも、それらはフーガやカノンのような音階の追走形式を取ることもある。そして一見散らばっているように思える音階の連なりが、ユニゾンで結合する時、迫力に満ちた音の大スペクタクルが生み出される。このアルバムを聴いて思うのは、かつてこのような音楽がどこかに存在したかということである。スクエアプッシャーは間違いなく、ゼロから一を生み出す現代の正真正銘の天才音楽家である。

 

 

 「K1 Advance 」では、冒頭からシロフォンの演奏が導入され、シンセとドラムを中心にミュージックセリエルの形が示される。シンセサイザーの使用法が面白く、サックスや吹奏楽器のような使い方で無調音階のユニゾンが流れていく。何か奇妙な現代絵画に接するような形でシュールレアリスティックな音楽が示される。音楽だけではなく、絵画や芸術的な趣が感じられる。


一方、「K2 Central」は先行シングルとして公開された曲である。従来のスクエアプッシャーの音楽性の延長線上にあり、エレクトリックベース、生と打ち込みのドラム、シンセを用いたジャズ風のパッセージが主な特徴である。しかし、2000年代以降のスクエアプッシャーの主要な楽曲とは異なり、 激しさやノイズではなく、静けさに焦点が置かれている。特に、ピンと張り詰めたような緊張感を持つ静寂がシークエンスの中で、どのポイントに出現するのかに注目したい。


「K2 Central」

 



現代音楽とジャズの中間にある音楽がアルバムの序盤では続いていくが、その中には熟練のエレクトロニックプロデューサーらしい曲が出てくる。「K4 Fairyland」は、おそらくドラムンベースを基本とする曲で、ドラム、シンセサイザー、ストリングスを交えて展開される。エイフェックス・ツイン風のドラムンベースのドライブ感に満ちた曲であるが、唐突な休符を織り交ぜ、意外な音の印象を作り上げる。これもまた音の要素の飽和という局面をよく知る音楽家としての蓄積が、どこで音を消すのか、という新しい境地に向かわせたといえる。 この曲では、音形の調を移行させるカデンツァ進行によって、終止形の解決を後に引き伸ばし、それを延々と続けていくという特異な作曲技法が取り入れられている。クラシック音楽では、オスティナートと呼ばれる箇所で、それらの技法を用いながら、摩訶不思議な音の印象を作り上げていく。ゲーム音楽のサントラのような印象を持つ曲で、BGMの制作者の手腕が発揮された瞬間。

 

続く「K5 Fremanle」は、スクエアプッシャーとしては珍しく、アコースティックピアノをイントロに配置している。ダブのような奇妙な音響効果を施し、音がドローンのように変調していくミステリアスな印象を持つ導入部。それからこの曲は急激な展開を織り交ぜ、弦楽器のドローン奏法などを織り交ぜながら、メシアンやブーレーズのような現代音楽へと傾倒していく。ブーレーズと制作を行ったことがあるフランク・ザッパもおそらく驚愕するであろう一曲だ。メシアンや武満徹の作風を彷彿とさせるピアノと弦楽器による協奏曲として成立している。

 

特に、曲の後半での弦楽器の無調の音階を基にしたハーモニーには独特な美しさが宿っている。ピアノの演奏は短音階とアルペジオを中心に展開されるが、ドローン奏法の弦楽の重奏とどのような音響効果を及ぼすのかに着目したい。ここには間違いなく新しい音の響きが発見できる。アルバムの冒頭から張り詰めたような独特な緊張感が続くが、「K6 Headquarters」はどことなく平穏な境地を感じさせる。 フルートのような管楽器(もしかするとシンセかもしれない)とシンセをユニゾンさせ、その背後でジャズドラムの前衛的な演奏が繰り広げられる。時折、弦楽器の演奏を織り交ぜながら、全体的な音のダイナミクスが最高潮に達する。相変わらず、シュールな一曲で電子音楽とオーケストラ曲の中間にある個性的なサウンドが構築されている。

 

「K7 Museum」はモスキート音のイントロで始まり、Wurlizerのような音色の楽器が登場し、華麗なパッセージが繰り広げられる。スクエアプッシャーの代名詞とも言えるクールな主題が中心となり、ジャズとクラシックの中間点にある新鮮味のあるクロスオーバー音楽が展開される。背景となるエレクトリックベースの演奏はファンクを基礎にし、曲の主旋律となるWurlizerのような楽器のパッセージを背後で支えている。この曲に宿るフリージャズのような即興性や計算され尽くした音の配置や曲展開は、本作の聞き所やハイライトになるに違いない。間違いなくスリリングな音の楽しみがある。また、それらは計算されたものと即興性の間に作り出される。特に計算されたものの中では、バロック音楽や古典音楽からの影響であり、演奏の中にはカノンやフーガのような追走形式の箇所も登場する。これらは、結局、ジャズやエレクトリック、そしてプログレッシヴロックを通過し、最終的に現代の音楽という形でアウトプットされる。特に、複数の楽器がユニゾンで強調される瞬間、新しい音響性を発見することが出来る。

 

 

このアルバムはミュージシャンとしての総決算とも言える内容で、それはまたミュージシャンとしての半生を描いたようなものである。ドラマティックな表現をそれほど好まない印象もあるが、つまり、これらの楽曲はミュージシャンとしてのポートレイト代わりでもある。「K8 Park」ではベーシストとしての豊富な経験を活かし、清涼感のあるジャズソングを制作している。


「K9 Reliance」ではグラウンドベースの音楽的手法を駆使し、ミニマルミュージックをジャズと結びつける。シロフォンの演奏はやはり、ミュージックセリエルの一貫である無調音階を作り上げる。これらの広汎な作曲の知識は後発のミュージシャンにとって大いに学ぶべき点があるに違いない。また、無調音楽でもこれほどに自由闊達な音楽、あるいは精細感のある音楽が作れるというのは驚きである。これらはどちらかと言えば、おそらく楽譜のような下地を用意した上での即興的な録音がこういった精細感のあるレコーディングを質感をもたらしているのではないか。

 

かなりのボリュームで聴き通すのも一苦労だったが、それ相応の価値があるアルバムである。次々に移り変わるフレーズ、それらが強調されたり、縮小されたり、引き伸ばされたりする。これらの流れの中で、プログレッシヴロックをクラシックやエレクトロニック側から見た「K10 Terminius」、「K11 Tideaway」、「K13 Vigilant」は本作の最もエキサイティングな箇所でもある。

 

「K11 Tideaway」では、管楽器やシンセサイザーの音色を中心にスクエアプッシャーの音楽的な美学のようなものが反映されている。それは音楽が必ずしも和声法から作り出されるのではなく、もう一つの旋法やスケールの連続が重層的な音の空間を作り上げ、予め想定できなかったような偶発的なサウンドが生み出される瞬間である。その偶然性の中に、スリリングな音の響きが生まれ、これまでになかった新しい表現が出てくる。「K11 Tideway」「K13 Vigilant」は、やはりセリエリズムを中心に構成され、 お世辞にも聞きやすい曲とは言えないが、音楽そのものが持つスリリングな響きが宿っている。曲を平面的に捉えず、立体的に考えるという点において、スクエアプッシャーの音楽はどことなくストラヴィンスキーに近い印象がある。この曲では、音形が組み合わされ、全方向からそれらの旋律が別の楽器によって登場したりする。

 

しかし、先述したように、音楽的な激しさや刺激性も示されつつも、全体的にはそういった轟音性の中から汲み出される静寂が大きなポイントとなっている。アルバムの最後を飾る「K14 Welbeck」は、ミシェル・ウェルベックに因んでいるのだろうか。パイプ・オルガンによるバロック音楽で、このアルバムは締めくくられる。このアルバムの中で、唯一、調性音楽を用いて演奏されるが、部分的には、無調の音階が混在する。Kit Dowesの系譜にある一曲とも言えるだろう。この曲は、宗教音楽を意識していて、癒しや安らぎすら感じさせる。これはミュージシャンとしての新たな冒険が始まったことを示唆する。2000年代の最高傑作『Ultravisitor』から大きく音楽性は変化したが、やはり、スクエアプッシャーの天才性は今なお健在である。そう、ミュージシャンとして年を重ねるということは、幸福なひとときが増える場合もあるのだろう。 

 

 

96/100

 

 

 

「K7 Museum」

   My New Band Believe 『My New Band Believe』

Label: Rough Trade 

Release: 2026年4月10日

 

Review

 

My New Band Believeは、Black Midiの元ベーシスト、キャメロン・ピクトンにより結成されたバンド。ある時、中国のホテルで急に錯乱状態に陥り、突発的に様々なイメージが思い浮かんできた。その中から奇妙なフレーズ、My New Band Believeが浮かんだ。それをプロジェクト名にした。前身のバンドの後、曲を書いていたものの、じっくりとアイディアを温めてきた。ようやく昨年からシングルを発表し、ライブで実際に試していた曲がアルバムの形になった。

 

才能というのは、過剰さともいうべきもので、キャメロン・ピクトンに相応しい言葉である。それはむしろ、反動とも呼ぶべきもので、何かを抑えつけようとしたときに、才覚が奔出する。このデビューアルバムには、少なくとも、抑えがたい創造性のようなものが満載となっている。難しいアルバムと取るか、また、聞きやすいアルバムと取るかは、聞き手次第となりそうだ。

 

ラウドなサウンドは抑え気味で、ミュージックコンクレートを通過した後のアヴァンフォークやロックオペラを目指したような作品である。そして意外にもフォークポップサウンドを思わせることもある。「Target Practice」は、Queenのロックオペラの影響を色濃く感じさせる。それらがフォークミュージックを中心に繰り広げられる。既視感はあるが、強弱を強調するアクセント、そして、曲の表情付けにストリングスも用いられ、思いの外、ゴージャスなサウンドに移行していく。

 

このオープニング曲では、クイーンのようなポピュラーソングに軸足を置き、縦横無尽に駆け巡る音楽的なイメージをプロデュース的な楽曲としてまとめ上げる。「Bohemian Rapsody」時代のクイーンのサウンドが満載であり、それらが変拍子を交えたセクションを織り交ぜながら、音楽の印象そのものが次々に移り変わっていく。一見すると、まとまりがつかないような曲に思えるかもしれない。しかし後半では、ビートルズの中期以降のサウンドに依拠したチェンバロを用いたバロックポップの美しいメロディーがボーカルと登場し、曲がぱっと華やかになる。曲の後半では、UKロックの系譜を踏まえ、チェンバロを生かしたレトロなポップソングに変わる。コーラスも見事で、フレイディ・マーキュリー風の迫力のあるバックコーラスが聴ける。

 

特に、キャメロン・ピクトン率いるバンドは、 70年代のUKフォークサウンドを踏襲して、それらをミニマル・ミュージック、ミュージック・コンクレートを織り交ぜて、独創的なサウンドに仕上げる。

 

二曲目では、 Queenのサウンドをポストロック/マスロック風にアレンジしたり、ビートルズのチェンバーポップの楽曲で使用されるドローンのストリングスなどを用いて、エポックメイキングな箇所を作り上げる。しかし、その後、静かな印象を持つフォークサウンドに切り替わったり、ビートルズの「Yellow Submarine」を彷彿とさせるホーンのトレモロが入ったりと、カオスになっていく。また、その後にフィドルが出てきて、カントリーやウェスタンの古風なフォークミュージックに切り替わる。このバンドの中心人物の音楽的な知識量と再現力には圧倒されるばかりだ。そのほとんどがすでに前に出てきた内容だとしても、これらはヒップホップのサンプリングの次を行く前衛的なサウンドが登場したと言える。これは、画面の映像が一瞬で切り替わるような、トランジションの音楽バージョンともいうべきサウンドである。

 

今回のアルバムは、ロック的な要素を抑えて、イギリスの70年代のフォークサウンドを中心とするアヴァンギャルドなサウンドに仕上げている。三曲目「Heart of Darkness」では、やはりジェットコースターのように曲のフレーズが切り替わり、Led Zeppelinのフォーク的な要素を受け継ぎ、それらをミュージックコンクレートの手法で縁取っている。この曲が面白いのは、一方から音が出てきたかと思えば、全く別の方向から音が出てくる、それらが重層的な音の連なりを作り出し、曲の全般的なセクションを作り上げる。まるで音楽そのものがアトラクションのようだ。そして、ギターそのものもジプシー風のフォークサウンドが出てくる。これらは、例えば、Led Zeppelinのカシミール地方のエキゾチックなフォークサウンドを受け継いだ数少ない事例とも言える。かと思えば、キャメロン・ピクトンのボーカルは依然としてQueenのフレイディ・マーキュリーを彷彿とさせる。単なる寄せ集めなのか、それともそれ以上の何かがあるのか、そういったことはほとんどどうでも良くなるような楽しさに溢れている。

 

これらが単なる無謀な試みではないことは次の曲を聴くとわかる。「Love Story」では、古典的なバラードソングを選び、このバンドのメロディ的な才覚が明らかになる。この曲のイントロでは、ピアノとホーンを用いたロンドンジャズの影響を込め、しっとりとしたバラードが聴ける。その後、Jaga Jazzistの系譜にあるエレクトロジャズソングへと移行していく。 ノルウェージャズを筆頭に、北欧のジャズグループからの影響も含まれているかもしれない。しかし、依然として、ボーカルは、UKポップ/ロックの伝統的な歌い方に根ざしている。ちょっとした言葉の節回しや、メロディーの繋ぎ方など、焼き刃ではなしえない様式美のようなものが存在する。そして最後には、爽やかなフォークサウンドをもとに、舞い上がるような印象を持つ曲に変わる。音楽的にはブロックのように要素を重ねていき、最後にサビの箇所が来るという異例の手法である。これはまた、DTMのようなプログラミングによるサウンドの象徴的な制作法でもある。ここでは、このバンドの英国的な矜持のような心意気が宿っているような気がした。

 

 「Pearls」は、ロックオペラの次世代の音楽が出てきた瞬間である。この曲は、やはりミニマムのレベルでは、フォークミュージックが基礎になっているが、クラシック音楽からの影響が色濃く感じられる。アヴァンフォークに属する不協和音を用いたドローン音も登場したり、遊び心もあるが、全体的な曲の構成は崩れていない。曲そのものがラウドに傾いた時、その後、ストンとサイレンスに移行する。前身バンドの経験に根ざし、聴覚的な限界を踏まえ、絶妙な均衡を保っている。この曲では、アヴァンフォークの間に木管楽器の演奏が登場し、風景的な描写、つまり音によるイメージやサウンドスケープを作り上げている。不協和音も多いが、聴いていてそれほど嫌な感じはない。音の持つ可能性を音響的に拡張しているのがさすがである。さらに「Opossite Teacher」では、最も聞きやすいインディーフォーク・ソングで、驚くほど静かな印象、そして牧歌的な印象を持つ平らかな音楽を制作している。これは間違いなく、少しラウドなロックや前衛的なポストロックなどに飽きた音楽家が作る玄人好みの一曲である。

 

また、Queenだけではなく、Pink Floydのフォークミュージックの要素を受け継いだ曲もある。一番近いと思うのが、「Actess」である。 ここでは曲の後半でやはりサビとなる箇所が出てくる。ここではビールやパブ文化を象徴するようなにぎやかで陽気な印象を持つサウンドが楽しめる。曲の後半では、アイルランドのフォークミュージック、そしてエレクトロニックが結びつき、独創的な音楽へと切り替わる。曲のイントロではスタンダードなUKロックの内容に根ざしていながら、その後は現代的なサウンドへ移行するというユニークな発想がてんこ盛り。

 

一度だけ聴いて終わりというアルバムではなく、聴く度に新鮮な発見がありそうだ。個人的に推薦したいのは、最後に収録されている「One Night」である。コラージュ的なサウンドで、強烈なノイズというブラック・ミディにも通じるような内容となっているが、飽くまで全般的に、明るく陽気な音楽を提供しようという意図が通じている。キャメロン・ピクトンのささやくようなボーカルはユニークさがあり、救われるような瞬間もある。音楽全体をあまりシリアスにしすぎず、遊びの箇所を設けておくという制作者の狙いも感じられる。この曲では、エレクトロニックの文脈におけるドローンも登場することも。それはまた、彼らが2020年代に生きている証でもある。このアルバムが単なる懐古主義だけではなく、未来志向のサウンドに縁取られていることが有意義ではないか。次世代の新しい音楽への突破口となるかもしれない。

 

 

84/100

 

 

 

「One Night」- Best Track

 Arlo Parks 『Ambiguous Desire』

 

Label: Transgressive

Release: 2026年4月3日

 

Review


 

およそ3年ぶりとなるアーロ・パークスのアルバム『Ambigious Desire(あいまいな欲望)』 は、先週のベストアルバムの一つ。ロンドンからロサンゼルスに活動拠点を移動し、従来のインディーポップの音楽性に、プラスの要素をもたらしたのが『Ambigious Desire』 である。依然として、甘酸っぱいアルトポップソングを主体にしているが、今回の最新作では、LAのトレンドであるビートシーンの影響を受けてか、ダンサンブルなポップソングを志向しているように感じられた。


メロディアスな一面もあるが、ビート全体に体を委ねて聴く、あるいは楽しむようなアルバムとなっている。また、そこには、Dirty Hitに所属するパークスの友人であるKelly Lee Owensの影響を受けてか、ロンドンのガラージのようなダンスミュージックスタイルを織り込んでいる。

 

 『My Soft Machine』で基本的なアルトポップのスタイルはひとまずやり終えたと思ったのだろう。また、アーロ・パークスは日常的にクラブシーンに接することが多いためか、やはり現地の音楽を作風に取り入れようとするのは自然なことのように思える。パークスは現在の音楽に興味があるようで、過去の音楽にはそれほど興味は薄い。しかし、ロンドンの音楽に対する愛着もまだ残されている。それは特にアルバムの後半の曲で、ブレイクビーツという形で登場する。Wu-Luを彷彿とさせるヒップホップ仕込みの強烈なブレイクビーツがメロディアスなアルトポップソングと融合している。これは意外と誰かがやっていそうでやらなかった内容だ。また、作曲面でも技術が向上しており、Abletonを使用した打ち込みのサウンドはその象徴となる。

 

しかし、アーロ・パークスらしさが薄れたかと言えばそうではない。アルバムの冒頭を飾る「Blue Disco」はその象徴で、現代的なテクノとアルトポップの形が合致した、心地よい一曲だ。特に前作よりもキックの音を強調しながら、グルーヴ感を追求し、その中で、甘い感じのボーカルのメロディが歌われる。この曲を聴いて思うのは、どうやらアーロ・パークスには音楽的な美学があるらしく、もちろん自分なりの理想を体現しつつ、ポピュラーなサウンドを制作している。 実際的にこのオープニング曲は素晴らしく、80年代のシンセ・ポップが2020年代のサウンドに変化すると、どのようになるのかを示した好例である。オシレーターを使用したシンセがアトモスフェリックな音像を作り出し、やはりツボを捉えた良いボーカルが響く。また、ニュートラルなサウンドが目立った前作であったが、ベースラインを強調した立体的なサウンドを聴くことが出来る。このあたりにもアーロ・パークスの作曲の成長が伺える。その中で強調されるのは、ロサンゼルスのクラブシーンに触発された多幸感のある旋律である。しかし、それは真夜中のクラブのように、ぼんやりとしていて、淡い感覚に満ちている。それは結局、パークスにとってクラブというものが、暮らしの中の癒しであることを示唆する。


「Blue Disco」

 



また、アーロ・パークスは最新作において、民族音楽のようなワイルドなビートを織り交ぜる。これが果たしてタイラー・ザ・クリエイターの最新作に触発されたものなのかは定かではない。しかし、アグレッシヴなアフロビートを用いた「Jetta」はワイルドな感じもありつつ、スタイリッシュな感覚も維持されている。この曲にはLAのビートシーンからの影響と、ジェフリー・パラダイスに象徴されるようなチルウェイブやチルアウトからの影響を織り交ぜ、最適解を汲み出している。


そのサウンドは、ロサンゼルスの海岸筋の光景を思わせ、Ninja Tuneに代表されるような、しなやかでフレッシュな質感を持つダンスビートと融合している。結局は、ロサンゼルスのダンスミュージックとロンドンのガラージのような二つの地域のEDMが融合したサウンドが組み上がる。続く「Get Go」も同様のサウンドで、アップテンポなビートと張りのあるネオソウルのサウンドが見事に混ざり合い、爽快感があり、アグレッシブなダンスポップソングが展開される。

 

アーロ・パークスはやはり実際のミュージックシーンの体験者ということもあって、ロンドンとLAのサウンドを見事にクロスオーバーし、一瞬にしてロスに、そして一瞬にしてロンドンへとひとっ飛びする。ネオソウルの色合いが一番強まるのが、ロイル・カーナー、ROMYなどのコラボレーターとして知られるSamphaが参加した「Senses」である。


従来よりもキックの音を押し出した重厚なダンスビートをもとに、ロンドンのリアルなネオソウルのサウンドが展開される。こういった曲を聴くとつくづく思うのは、楽曲から醸し出されるシンガーとしての雰囲気とか、歌そのものに宿るツヤのようなものが存在し、それは現地に行って聴かないと分からないのかもしれない。


アーロ・パークスは音楽のリアリティをよく知っていて、実際に現地で鳴っているサウンドをこの曲で再現させる。サンファのボーカルは最後の方で登場するが、すでにご承知の方も多いように、彼のボーカルは曲そのものに癒しを与え、曲全体を均すようなパワーがある。全体的に多少アンバランスな曲だとしても、サンファがソウルフルに歌うと、なぜかまとまりがつき、仕上がってしまう。これはとても不思議な現象であり、サンファ現象ともいうべきものだろう。

 

「Heaven」ではブレイクビーツとアルトポップの中間にあるサウンドを捉えられる。しかし、依然としてアーロ・パークスのボーカルは背景となる強固なダンスビートに上手く融和している。そしてその独特なムードの中に、 甘酸っぱい感じのするボーカルを付け加える。特に、この曲では、サブウーファーの低音域を強調されるサブベースが上部のボーカルメロディと鮮やかな対比をなしている。実際のクラブフロアで聴いて映えるような曲作りを志しているようだ。

 

結果的に、UKベースラインのようなアクの強い玄人好みのダンスミュージックが生み出された。これはまた、単なる録音作品というよりも、ライブシーンを意識した楽曲になっている。また、アシッド・ハウスのようなサウンドを反復する中で、エレキピアノを用いて繊細なサウンドを織り交ぜたりもする。実に依然よりも多角的なダンスミュージック/ポップが展開される。こうした中で、ヒップホップとアルトポップの中間にある「Beams」では、曲の後半部で良いボーカルメロディーが見いだせる。しかし、それらは単独の歌手としてではなく、背景のダンスビート/ヒップホップのトラックと上手く連動するような形でハイライトとなる瞬間が出てくる。

 

また、前作よりも音楽的な引き出しが多くなり、このアルバムの全体的な水準の底上げにも繋がっている。「South Seconds」ではベッドルームポップを下地に、アーティストとしては珍しく、インディーフォークソングに傾倒している。従来はアーロ・パークスはネオソウルとアルトポップの中間にいると思っていたのだが、これは予想外だった。また、実際的にこの曲は短いレングスでありながら、かなり良い線を行っていると思った。ローファイなサウンドから、内省的なパークスのボーカルが心地よい空気感を生み出している。それは、このアルバムの副題とも言える”雰囲気のあるポップソング”という制作の意図を読み解くことも出来る。実際的にこの曲は、アルバムの中盤の癒しとなるセクションで、パークスらしい心地よい旋律が美麗な空気感を作り出している。この曲にもまた、制作者の美学が淡く映し出されていると言える。

 

再びダンスミュージックに返り咲く「Nightswimming」では私生活の楽しみのような瞬間を切り取り、それらをリアルなサウンドに落とし込んでいる。イビサ風の精細感のあるハウス・ミュージックはケリー・リー・オーウェンズにも通じるものがあるが、やはりパークスはボーカルの旋律的な甘酸っぱさをなおざりにすることはない。リズムとメロディの両側面がかっちりとハマり、体を揺らしても、聞き入っても楽しい、一挙両得のサウンドが作り上げられる。特にアルバム全般に言えることだと思うが、リズムに乗れる瞬間を上手く引き出す。それは海の波乗りのようなもので、新しいパークスのソングライターとしての手腕が示された瞬間でもある。

 

ロサンゼルスのモダンなダンスポップミュージックを反映させた「2SIDEDED」も良曲で、聴き逃がせない。健康的な雰囲気のある一曲で、パーティ志向の充実した人生への渇望のようなものが描かれる。こういった曲が出てきたのも、現地のポップソングの妙味を知り得たからなのだろう。実際的に、このアルバムの最も心楽しい瞬間を作り出すことに成功している。特にこの曲では、ビートの良さもさることながら、シンセサイザーが見事なボーカルとの対比を描く。 

 

アルバムの終盤の収録曲はトラック制作の面で相当な力の入れよう。「What If I Say It?」はガラージのようなダンスミュージックを主体にしたイントロがヒップホップのビートと融合している。TRICKYを彷彿とさせるトリップホップのようなイントロから、やはりパークスはアルトポップソングの作曲経験を活かしながら、良いボーカルメロディーを引き出そうとする。サビ/コーラスの箇所では、単なる多幸感を越えた天上的な空気感が出てくることもある。こういった地上的なサウンドにとどまらず、高らかなポップソングを書こうとしている気配も感じられる。

 

3年前、アーロ・パークスの曲を良いと感じたのは、融和のような精神が根底にあるからである。それは最新作でも共通していて、現代ポップシーンの癒しとなることは必須である。しかし、野心的な趣を持つ最終曲「Floette」は何を物語らんとするのか。これはおそらく、アーロ・パークスという飽くなき音の探求者が次のステップへと向かいつつある兆候でもあるのだろう。

 

 

85/100

 

 

 

 

「South Seconds」- Best Track

 

 

 

▪Arlo Parks 『Ambiguous Desire』Stream :  https://arloparks.ffm.to/ambiguousdesire


過去のレビュー:ARLO PARKS(アーロ・パークス) 「MY SOFT MACHINE」

Snail Mail  『Richochet』



Label: Matador

Release: 2026年3月27日

 

Review

 

人間は年齢を重ねるごとに、 今まで見えなかった視点を獲得し、また、その年代ごとに興味を変化させていく。他者と自己の分離、あるいは境界という出発点に始まり、そもそも自己とは何なのか、自分を構成するものは何なのか、また、自分はどこに属するのか、そしてどこから来てどこに行くのかを思案することになる。学生生活や仕事、日常生活に忙殺されていると、なかなか考える暇すらない。外に興味を向け、それを断罪するのは容易い。しかし、自己を回顧するのは難しい。しかし、ある時ふと、流れが止まったとき、自己を見ざるをえなくなり、あるテーマが目の前に浮かぶ。この段階で、個人が客観的なメタ視点を持つことになり、ある意味では、自分の姿を他者の視点から眺める時期に差し掛かる。それでは自分とはなんなのかという。

 

ニューヨークから故郷に戻った後、レコーディングされたリンジー・ジョーダンによる最新作『Richochet』には成長過程における死や死後の世界という、いくらか深妙なテーマが取り入れられ、哲学的な視点を取り入れた作品である。

 

しかし、そういった切実なテーマがありながらも、音楽は重苦しくはない。いや、それとは対象的に、驚くほど軽やかで、爽快な局面もある。それは過去の自分を見つめた時、多少、恥ずかしいような思い出も今ではなんだか美しい思いに彩られたからである。このアルバムは、前作『Valentine』のニューヨークの都会的な雰囲気とは対象的に、アメリカ郊外の平穏な風景をぼんやりと思いおこさせる。その中にシンガーソングライターは、しがないように思える青春時代の自己を慈しみの眼差しで見つめる。

 

一曲目「Tractor Beam」を聴くと、故郷の情景を描いたものであることはそれとなく伝わってくる。今では少し使い古されたようなポップソングを踏襲して、スネイル・メイルはらしいロックソングを紡ぐ。その手助けを果たしたのが、Mommaのベーシストを務め、近年、めきめきとプロデューサーとしての腕を上げ、活動の裾野を伸ばしているアーロン・コバヤシ・リッチである。 

 

コバヤシ・リッチのプロデュースは、90年代以降のオルタナティヴロックをベースにしているが、現代的なサウンドの妙味を埋もれさせることなく、今あるべき最適解を導き出す。スネイル・メイルの代名詞となる叙情的なインディーロックサウンドは、時々、脆さや儚さすら持ち合わせているが、それと同時にコバヤシの全体的なプロデュースが楽曲に強さをもたらしている。


思い返せば、2024年、スネイル・メイルは、Smashing Pumpkinsの「Tonight Tonight」のカバーに挑戦していたが、その影響が現れたのが二曲目を飾る「My Maker」である。アコースティックギターを多重録音し、ベッドルームポップに属するエバーグリーンなボーカルが加わり良い空気感を生み出している。この曲では、以前よりフォークミュージックに焦点を置き、心地よいボーカルのメロディー、ミニマリズムに依拠したギターサウンドが、全体的にアトモスフェリックな音楽性を作り上げる。まるで爽やかな春の風が目の前を通り過ぎていく瞬間のようである。

 

 『Richochet』では、ボーカルは全体的なトラックに対して、むしろ控えめな立ち位置を選ぶことが多い。それは他の箇所では後ろに立っているが、ここぞというときに満を持して前面にせり出てくる感じである。

 

「Light On Our Feet」ではゆっくりとしたテンポを活かして旋律的な要素を上手く引き出している。、マーチングのような細かい三拍子のドラムビートを全体に配して、ギターの繊細なアルペジオを介して、楽曲がゆっくりと展開していく。全体的な曲の空気感は、レトロなシンセストリングスが司り、全体的にはチェンバーポップを基本にしたロックサウンドが構築される。


しかし、ここで少し思い出してもらいたい。例えば、Fountains D.C.が2024年の最新作『Romance』で用いたオーケストラポップ(チェンバーポップ)の手法とは明らかに異なるということである。ロック/パンクがベースとなるFountains D.C.に対して、Snail Mailのサウンドは、全体的にはポピュラーソングが強いフィードバックを及ぼしている。そこに、甘い感じのジョーダンのボーカルが録音され、ドリーミーな雰囲気を持つロックサウンドが作り上げられる。


曲の途中では、本格的なオーケストラストリングスが導入され、ドラマティックなサウンドが強調されている。ここには、プロデューサーと連携してストーリーを持つ楽曲を作り上げようという試作の痕跡が残されている。『Valentine』での音楽的な収穫を踏まえ、それらをより壮大なスケールを持つ楽曲に仕上げている。また、前作ではプロデュースに寄りかかるようなサウンドもあったが、自発的なソングライティングを曲に落とし込もうとしているような気配も伺える。

 

中盤では、明るさのある序盤の収録曲とは対象的に、憂いに満ちたアンニュイなサウンドや、中間域にある感情性を追求したロックソングが目立つ。特に、ドラムの演奏を矢面に押し出し、ロックに近いサウンドを探求している。「Cruise」ではブリット・ポップやオアシスに近い、UKロックの影響を感じさせる。これはこれまでのSnail Mailの作風から見ると、意外性が込められている。


その一方、「Agony Freak」では当初のベッドルームポップに近い音楽性を駆使しながら、個性的なポップ/ロックサウンドで寄り道をする。グランジのクールなギターを織り交ぜながら、独特なポップセンスを発揮している。この曲では単なるオルタナティヴに収まらず、オーバーグラウンドのポップソングに共鳴する瞬間を刻んでいる。また、それは過去のアーティストの写し身でもある。続いて「Dead End」もまた、現代的な米国のポップとロックの中間に位置づけられる一曲である。これはスネイル・メイルがサブリナ・カーペンターのようなポップアーティストへの共感が示された瞬間だ。上記二曲は、オルタナから脱却しようという意図を捉えられる。

 

「Butterfly」は表向きには標準的なロックソングに聞こえるかもしれないが、RIDEやSlowdiveのようなシューゲイズの影響を感じさせる。80年代のニューウェイブサウンドやシンセ・ポップ風のサウンドをギターロックから解釈した楽曲でもある。ここでもスネイルメイルのボーカルのメロディセンスがきらりと光り、物憂げで切ない感じの琴線に触れるメロディが聴ける。スマパンの「1979」のようなミニマリズムをベースにしたロックソングだが、楽曲の構成における工夫も凝らされている。全体的に轟音と静寂を上手く使い分け、アウトロでは悲しい感じのフレーズが出てくる。ここには暗い感情を包み隠さず表現しようという意図も込められていそうだ。しかし、中盤での創意工夫とは対象的に、終盤で、カントリーやフォークからの影響をうかがわせる瞬間が出てくる。すると、まるで音の印象は霧が晴れたかのようにクリアになる。

 

恐れながらも暗い領域から明るい領域へと突き進む瞬間がこのアルバムのハイライトとなる。それは一曲単位で訪れるというよりも、全体的な曲の流れにしか見いだせない。「Nowhere」ではカントリーやロックをベースに、アーティストが明るい領域へと勇ましく踏み出す瞬間が描かれている。「Hell」はタイトルとは裏腹に爽快さを感じさせ、吹っ切れたような明るさを感じさせる。山登りで言うなら、まるで山の五合目までは曇りであったが、その先に晴れ渡った青空がふいに出てきたかのようである。

 

これらの感覚的なポップ/ロックソングが頂点を迎えるのがタイトル曲である。前作では声帯を痛めたため、声が少し低くなるなど、ボーカリストとしての難局を乗り越え、ぎごちないながらも自分に合う歌唱法をスネイルメイルは選ぼうとしている。「Richochet」はセンチメンタルな空気感を残しつつ、キャッチーなポップネスが重視されている。それは過去を振り返った上での決別と前進を意味する。その時、過去の自分は問題ではなくなり、新たな一歩を歩み始める。


最新アルバム『Richochet』にはアーティストとしての苦悩の痕跡が留められている。音楽的な理想に対して、どのように近づくのかという試行錯誤が随所に反映されている。しかし、そのことを考えると、むしろ全体に通じる軽やかで明るい印象が癒やしをもたらしてくれる。「Revire」は良いメロディーが満載で、慈しみのような感覚が表されている。それが何に向けられているのかは定かではない。しかし、この曲には温かい感情が滲んでいて本当に素晴らしかった。

 

 

 

86/100

 

 

 

「Reverie」- Best Track

 Courtney Barnett  『Creature of Habit』


 

Label: Mom+Pop

Release: 2026年3月27日

 

 

Review

 

メルボルン出身のインディーロックスター、コットニー・バーネットはボーカルアルバムとして約五年ぶりとなるアルバム『Creature of Habit』をリリースした。2021年にリリースされた『Things Take Time, Take Time』はメロディアスなインディーロック集で聴きやすかった。インストがメインの作品を挟んでリリースされた最新作はシンガーソングライターの即興的な楽曲の性質を残しつつ、全体的により高い水準を目指したロックアルバムとなった。プロデューサーにはジョン・コングルトンが招聘されたこともあり、楽曲の洗練度は前作を凌ぐ可能性がある。

 

今作では、音楽性に新たなバリエーションが追加された。シンセポップやエレクトロポップである。これは、コットニー・バーネットが新しい音楽性を模索している最中であることが伺える。本作のオープナーを飾る「Stay In Your Lane」は、ジョン・コングルトンの代名詞的なサウンドで、オーバードライブのかかったベースにガレージロックのサウンドが乗せられる。バーネットの楽曲の中ではパワフルな部類に入ると思われる。また、新作アルバムでは、バーネットのボーカルの歌唱法に若干の変化が見受けられ、少しふてぶてしさのある歌い方を選んでいる。


曲の基礎は、The Kinksのようなサウンドであるが、エレクトロニクスを脚色的に使用したり、ダブ風のボーカルのディレイ効果を及ぼすことで、モダンなエレクトロロックに様変わり。ここにコングルトンの敏腕プロデューサーとしての手腕を堪能出来る。しかし、この曲をコットニー・バーネットらしくしているのが、ブルージーな歌の節回しと、往年のロックシンガー顔負けの迫力満点のボーカル。そして夢見るような幻惑的な雰囲気である。この曲では、古典的なロックから現代的なロックまでを踏襲し、聴き応え十分のオープニングトラックを提供している。

 

2曲目「Wonder」は前曲とは対象的に、コットニー・バーネットらしいメロディアスで叙情的なインディーロックソングである。この曲はおそらく、前々作の音楽性の延長線上に位置づけられるかもしれない。バーネットは筋金入りのロックギタリスト、そして良質なメロディーメイカーとしての性質を併せ持つ。この曲は、これらの二つのキャラクターがぴたりとハマっている。


ジャングリーなギター、8(4+4)ビートのドラム、力が抜けたラフなボーカルが混在し、魅力的なサウンドを構築している。もちろん、前作の曲の単なる焼き増しというわけではあるまい。シンセストリングスのようなアレンジメントは、バーネットの楽曲にドラマ性を与え、ほのかな感動を誘うことがある。全体的には、ロックソングという枠組みの中で、シンセポップのような音楽性が揺らめく。また、ボーカルには少しポップなサウンドが組み込まれている。キャッチーなサビの後にブリッジを歌う箇所は温和な雰囲気に満ちていて、思わず口ずさんでしまいそうだ。

 

「Site Unseen」では、Anti-に所属する米国のアメリカーナの代表格、ワクサハッチーがゲストで参加。アメリカーナを基盤にしたロックソングだが、イントロはかなり手が混んでいて、ネオサイケ風である。しかし、その後は爽快さのあるロックソングへと移行し、ワクサハッチーとの素敵なデュエットを惜しみなく提供している。両者ともに、カントリーやフォークに親しいシンガーであるため、二人のボーカルの相性が良く、前曲と同様に温和な空気感が醸し出されている。サビの部分ではカントリーの雰囲気が強まり、牧歌的な音楽性を楽しむことが出来る。端的に言うと、このアルバムの憩いの曲。聴いていると、言い知れない安らぎを感じる。曲の後半では、デュエットの形式を強化しながら、予測出来ない展開が登場する。このあたりに、バーネットが楽曲の洗練度や完成度を上げるべく、相当な試行錯誤を重ねたことが伺える。

 

エレクトリックギターによるアルペジオを生かしたフォークロック「Mostly Patient」も渋いながら、良曲のひとつ。 アコースティックで演奏しても良い曲であるが、あえてエレクトリックを使用しているのがポイントである。ボブ・ディラン的な哀愁は、コットニー・バーネットの手にかかると、きらめきのある繊細なフォークソングへと変化する。この曲では、レコーディングスタジオのアンビエンスを活かし、スタジオライブのような精細感のあるレコーディングが作り上げられる。 ギターのアルペジオとボーカルは時々、瞑想的な空気感を醸し出すこともある。前作よりも円熟味のあるサウンドを追求した過程が、この曲に強い影響を及ぼしている。

 

ドラムのスティックのカウントで始まる「One Thing At A Time」では、 アーティストらしいシュールで摩訶不思議なロックワールドが展開される。ボーカルの節回しにしても、旋律にしても、グリッターロックやサイケデリックロックの中間にある、独創的なサウンドプロダクションが生み出されている。ロックらしいフックがあるのにメロディアスさを失わない。特に間奏では、センス抜群のギタープレイが披露され、ロックらしいスピリットが立ちのぼってくる。

 

隠れたタイトル曲「Mantis」は、インディーロックとポップの中間に位置する。奇異なことに、発売日が重なったスネイル・メイルの最初期のサウンドを彷彿とさせる。ボーカルはより旋律の良さが際立ち、ポップネスにも磨きがかけられている。ジョン・コングルトンのプロデュースも素晴らしく、ドラムのタムがボーカルと見事にマッチしている。語弊があるかもしれないが、カマキリと話すという謎めいたエピソードが背景にあるこの曲で、バーネットは、青春時代に立ち返ったかのように、センチメンタルで叙情的なロックワールドを構築している。ここには、適度に力が抜けたラフなロックを重視した過程が見出せる。スタイリッシュな感じのするロックソングという、バーネットの代名詞的なサウンドを堪能することが出来るに違いない。

 

7曲目以降は、バーネットの音楽的な実験場とも言える、遊び心のあるサウンドが目白押し。アルバムの制作の後日談のようなサウンドが顕著で、もちろん曲ごとに音楽性も各々異なっている。


「Sugar Plum」は、いわゆるローファイ/スラッカーロックを体現した一曲で、マック・デマルコのようなサウンド。また、予想外にも、ドラムンベースのイントロを配した「Same」はシンセポップやエレクトロポップのような夢想的な音楽性を押し出している。これはアーティストによるドリームポップの解釈といっても良いかもしれない。バーネットの典型的なイメージとは対照的であるため、旧来のファンは意外の感に打たれるかもしれない。ギターロックを基本にしつつも、エレクトロポップソングを意識した「Great Advice」も面白い感じの一曲で、最新アルバムを通しで聴く際の密かな楽しみとなるに違いない。全般的には、ハイライトとなる曲を用意しつつも、それほどシリアスにならずに、気軽に楽しめるのがコットニー・バーネットのロックのスタイル。それは前々作から引き継がれたミュージシャンの流儀と言えるかもしれない。

 

終盤に趣味全開で遊び心のあるトラックを織り交ぜながらも、最後をしっかりと締めくくるのがプロフェッショナルな仕事である。「Another Beautiful Day」は良い空気感が滲み出ている。全体の夢見るような雰囲気を活かし、魅惑的なロックバラードを書いている。駆け出しの時代のようなラフさと情熱を維持しつつ、更に高度なソングライティングを実現している。また、この曲は、夏の太陽の光を感じさせる若さとまばゆさがある。 ハードロックのギターのエッセンスを随所に散りばめた深みのあるサウンドが金字塔のように輝く。最終曲ではロックミュージシャンとしてのライブセッションのリアルな醍醐味を味わえるはず。

 

 

 

84/100 

 

 

 

「One Thing At A Time」

Joep Beving 『Liminal』

Label: Deutshe Grammophon

Release: 2026年3月20日

 

Listen/Stream 

 

Review

 

オランダのピアニスト、ユップ・べヴィン(Joep Beving)。2010年代後半からピアノ曲集を発表しつづけており、ポスト・クラシカルやモダン・クラシカルのシーンを牽引してきた。ニルス・フラームなど同世代の象徴的なミュージシャンがエレクトロニック作品を並行してリリースする中、彼だけは徹底してピアノという形に拘ってきた。これまで古典派やロマン派のクラシック、サティ的な家具の音楽を追求してきたべヴィンの方向性に大きな変更は感じられない。それどころか、旧来の音楽性に更なる磨きをかけられた円熟したピアノ曲集がここに誕生した。フレドリック・ショパンの再来か。それとも、オランダに因んで言えば、ベートーヴェンの再来か。

 

べヴィンは「大局の中にある小さな意味ある場所を探求したい」と考えていると、アルバムを紹介している。ややもすると、わたしたちは、日々の暮らしの中で、視野狭窄に陥りやすいが、人間中心の考えから離れ、自然との共存やそれと一体となって創造をするようにしたい、と考えたという。


おのずと、ミニマルミュージックによるピアノ曲が中心となる。しかし、そこには音楽的な物語が内在し、コントロールと直感の間で繰り広げられる対話、そして、本来は対極に位置する概念を超越する、つまりは、人間界の二元論からの脱却という意味が込められている。そのための橋渡しの役割を果たすのが、アルバムのタイトルーーリミナルーー境界という概念である。

 

ユップ・べヴィンのピアノ曲は、ロココ/ギャラント様式をもとにした、分散和音に主旋律が加わるという古典派からロマン派にかけての基本的な形式を踏襲している。『Liminal』は、その多くが短調によって構成され、フレドリック・ショパンのような叙情的な詩性、及び、ベートーヴェンのような頑強なオスティナートやミニマリズムが併存している。しかし、曲の流れが存在し、悲哀に満ちた音楽は折々変化し、優雅になり、時には慰めや癒しのような意味を持つ。 同じ音形が中心となり楽曲が組み立てられるが、そこには変化や変容が存在し、時間の流れとともに、音楽に映る風景がおもむろに移り変わっていく。ここには、演奏家の人生観が反映されているらしく、「変化し、衰え、そして、静寂に戻る」という生命の転変が込められている。

 

バロック派やロマン派への親しみという、ユップ・べヴィンの基本的な音楽が示されつつも、その中には、現代的なテーマが織り交ぜられているのに注目したい。ミニマル・ミュージックへの強い傾倒が示唆されることがあり、特に、「When Human Do Go Algorythms」に見出すことが出来る。ライヒ/アダムスを彷彿とさせる急進的なピアノ曲であるが、そのロボット的な演奏と音の連鎖は、''人間とコンピューターの共生''という、AIテクノロジー時代を生きる私達のテーマが端的に反映されていると言える。この曲では、2つ以上のピアノの録音を繋ぎあわせ、ミニマル・ミュージックの進化系を示そうとしている。今なお反復性やオスティナートの局面の特異な印象に目が奪われがちであるが、この曲には、テクノロジー時代の音楽という従来になかった視点が加わった。同じ音形に転調を折り重ねる音楽が、ひときわ新鮮な印象をもたらす。

 

アルバムの前半には、フレドリック・ショパンやベートーヴェンを彷彿とさせるロマン派のリバイバル曲が多い。 ポストクラシカルの代表的なサウンドを捉えられる「Through The Looking Glass」、「Ida」で始まり、「We Are Here But To Make Music-~」では、べヴィンらしいロマンティックな雰囲気のピアノプレイを聞くことが出来る。音楽的には、Leiter(ドイツ)から発売された『Vision of Contentment』の延長線上にあり、感傷的な雰囲気を受け継ぎつつ、思索的な曲が続いている。「Voda」は一転して爽やかな長調の曲。癒やされるような瞬間が刻まれていく。

 

ショパンの『ノクターン』を彷彿とさせるロマン派の楽曲「From Where One Hearts the Willow Speak」、及び、現代音楽とロマン派の融合「Wild Renessance」は本作のハイライトとなりえる。『Hermetism』から一貫してミュージシャンが追求してきた古典主義の集大成ともいうべき楽曲である。聴いているだけでうっとりとする、また、時を忘れさせるような不思議な効力に溢れている。ユップ・ヘヴィンの演奏は依然としてペシミスティックだ。分散和音を基礎に、叙情的な主旋律が優雅に流れ、演奏家の思いの丈を込めるかのように感傷的な旋律が紡がれる。


『Liminal』では様々な新しい試みがなされ、一つの楽節に続いて別の構成が唐突に登場することがある。例えば、ショパンのような音階下降(音階の掛け下がり)がアンティークな響きと共に再現される。19世紀前半の音楽的な手法が21世紀のデジタルレコーディングを介して、どう再生されるのかという探求がなされている。これはニルス・フラームのレーベルから発売された前作と同様である。


ただ、従来よりも低音部の音響に迫力が加わり、音楽的にはダイナミックになっている。中音域から高音域の主旋律と対比をなすかのように、低音部の旋律が重層的に連なっていく。従来よりも対位法を活かした演奏法を選んだという点で、バロックの要素が強化された。それはやはり、複数の概念の対比が一つに交わる瞬間が探求されているのである。また、べヴィンのピアノは、ショパンが使用した白ピアノ「エラール」のような音色を復刻している。これは''新しい時代のサロン音楽''を象徴するサウンドが構築されたと言えるだろう。もっと言えば、私たちの時代のサロンとは、他ならぬ''インターネット空間''なのかもしれない。「Wild Renessance」では摩訶不思議な音楽が登場することがあり、調性内にある無調の音階配列を取り入れている。ここにはフィリップ・グラスのような現代音楽の大家の影響を捉えることも出来るかもしれない。

 

さらに、アルバムの後半では、ショパン/サティの系譜にあるサロン音楽の影響を捉えられる。18、19世紀への親しみを現代音楽家としてどのように解釈し、新しい質感を持つ音楽として蘇らせるのか、そういった考古学的な興味も満載となっている。「Heterotopia」はその好例となる。しかし、最新アルバムは全体的に、前作アルバムと同じように、夕方から夜にかけての物憂げな空気感に満ちている。これは、エリック・サティが「黒猫」のような場所で演奏していたのはかくなるものではなかったかという思いすら呼び起こす。もちろん、サティやショパンを知らないリスナーにとっても、魅惑的なモダンクラシカルの音楽世界を味わえるに違いない。

 

全般的には、現代音楽のミニマリズムという''理性''と、ショパン/リストの音階下降やカデンツァという''感性''が共存する作品となっている。今作の音楽はベートーヴェンの『月光』のように思索的で深遠な響きがあり、叙情的なピアニストの称号に違わぬ、素晴らしい演奏を聞くことが出来る。

 

個人的に面白いサウンドと思ったのは、最後の曲「Ghostly Chicken」。これはアンビエントとピアノの融合で、クローズに相応しい余韻のある残響を作り上げている。個々の曲として聴いても十分楽しめるアルバムとなっているが、むしろ、陶酔感に満ちたサウンドは、タイトルの意味を記号論のように希薄にし、アルバム全体を時間のない”シュールレアリズムの領域”へと近づけていく。悠久の時を示すかのような境界のない音楽性が本作の解題のための鍵となっている。

 

 

84/100

 

 

「Ida」 

Ora Cogan  『Hard Hearted Woman」

 

Label: Sacred Bones

Release: 2026年3月13日

 

Review

 

カナダ/ブリティッシュ・コロンビアのシンガーソングライター、オラ・コーガン(Ora Cogan)の最新作は先週のリリースの中でも注目作の一つ。


フォーク、ロック、ジャズ、ソウル、そしてアートポップなどが錯綜する本作は、一見するとソフトな印象があるため、ソフィスティポップのようにも聞こえるかもしれない。


しかし、同時にオラ・コーガンの前衛主義や実験音楽に対するこだわりが見受けられるアルバムでもある。フィオナ・アップル、アラニスモリセット、PJ ハーヴェイの系譜にあるサウンドが中心のように感じられるが、同時にオルタネイトな性質も含まれている。『Hard Hearted Woman』には、Radiohead、Blonde Redheadのような得難いサウンドが含まれている。

 

オープニングを飾る「Honey」はドアーズを彷彿とさせるサウンドで、フォーク・ソングとロックの中間に位置するが、アルバムタイトルの印象とは対象的にそれほどハードな内容ではない。ハードロックやロックンロールを通過した後、それらをアートポップやソフィスティポップでろ過させ、艶のあるサウンドを獲得している。録音はコーガンのソフトなボーカルによってマイルドな印象を帯び、インディーポップに依拠した軽いサウンドに昇華されている。息の続くかぎり、反復的なギターリフ/ドラム/ベースを続け、ピアノの演奏を配して、ジャジーなサウンドに変化することもある。 その中には、カントリー、フォーク、ロック、ジャズと様々な音楽が混在するが、コーガンのヴォーカルは全体的なサウンドプロダクションに落ち着きをもたらし、全体的な印象を取っつきやすい内容にしている。いわば古典的なブギーロックの要素を、ミニマル・ミュージックの方面から再解釈するようなサウンドになっている。これらは最終的に、弦楽器のアレンジメントなどを交えて、70年代風のロックサウンドへと変遷していく。

 

実験音楽や前衛主義に対する傾倒は、「The Smoke」に見出され、ロック/ブルースを含めたフォーク主義が新しいアートポップソングの形に結びついている。特に、コンガのような民族楽器の打楽器の使用、そしてブルースロックの影響を帯びたコーガンのボーカルは、間違いなく女性シンガーソングライターとしての円熟味や渋さを思わせるところがある。ボーカル全般は、基本的にスポークンワードのように歌われるが、サビ/コーラスでは歌唱法をシフトチェンジし、音階的なボーカルが顕著になる。全般的に、音階をぼかして歌う手法を選んでいるが、サビの箇所でカントリーの歌唱の性質を押し出し、独特な哀愁を帯びた旋律を得る。これらは、感情的あるいは叙情的な音楽の作曲性をもとにこのアルバムのいくつかの曲が制作されていることの証となり、ボーカルの性質により、背景となるバンドサウンドにも変化が生じる。最終的には、歌謡的な哀愁溢れるポップサウンドの印象が楽曲の首座を占めるようになる。

 

アルバムの最初のハイライトは「Division」で訪れる。 別段目新しいことをやっているわけではないのだが、電子音楽を配したイントロ、そして80年代のシンセポップやテクノ・ポップを経過したサウンド、そしてビブラートを駆使し、あえて音階を暈す抽象的なボーカライズなど、オラ・コーガンらしいサウンドを聴くことが出来る。バンド録音としては相当ハイレベルで、ファンク/フュージョンジャズの系譜にあるベースと広大な音像を獲得するシークエンスを基調としたシンセなど、80年代のクインシー・ジョーンズ、マーヴィン、チャカ・カーンなどが使用していたR&Bのブラックコンテンポラリーの手法を駆使することで、プロデュース的なポップサウンドを獲得している。これらはオラ・コーガンが単なるシンセポップにとどまらず、ブラックミュージックやソウルミュージックの影響を受けていることを伺わせる。ボーカルの音階進行も独特であり、背景となるプログレッシヴロックのようなサウンドに、移調や転調の要素を付与する。そして、コーガンのボーカルは、ときおり、全般的なアンビエンスと呼応するかのように、宇宙的な印象を帯び、巨大な音像ーーマクロコスモスのサウンドーーを作り出す。曲の後半では、アンダーグラウンドのダブステップ/フューチャーステップなどで使用されるダンスミュージックの手法が登場し、エポックメイキングなサウンドを楽しむことが出来る。

 

最初に、Radhioheadの影響について言及したのは、「Limits」のような楽曲が収録されているから。 この曲では『In Rainbows』時代のトム・ヨーク的なサウンドの影響を感じさせる。そしてそれらを純粋な電子音楽の枠組みではなく、フォークやロックの角度から再構築しようとする。このあたりにもカナダの音楽のすでに存在するものを再構築したり、組み直したりするという要素を捉えられるはずだ。この曲でも意外性のある転調や分数コードを使用したレディオヘッドのように、モダンジャズを経過したロック/ポップのサウンドを楽しむことが出来るはず。その他方、「Love You Better」ではアメリカンなスタイルを選び、カントリー/フォークに依拠したノスタルジックかつパストラルな印象を持つ楽曲、そしてシャンソンやフレンチ・ポップの系譜にあるヨーロッパのポップソングを合体させて、独創的なサウンドを生み出している。

 

これらの1970年代やそれ以前の古典的なポップソングを並行して、本作ではアートポップ主義に傾倒する場合もある。「River Rise」や「Believe In The Devil」などはその象徴となり、60-70年代の古典的なポップソングにカナダのローファイ、それから前衛的なポップソングの影響を交えたサウンドを作り上げる。いわば、Cate Le BonやGwennoのようなアーティストのサウンドとバロックポップを融合させて、懐かしくも新しい抽象的な印象を持つサウンドを構築している。

 

こういった中で、ジャズのシャッフルのリズムを込めた、ロマン派主義のクラシックとバロックポップの融合を目指した『Outgrowing」に心惹かれるところがある。 ここでは、ジャズとバロックポップの融合という、いかにもカナダらしいサウンドを楽しめる。これらの古くもあり、また新しくもあるサウンドは、そもそも音楽には現実世界のように時間軸が存在しないことを強烈に意識づける。だからこそ時間を忘れさせてくれるようなパワーがあるのかもしれない。

 

結果的には、オラ・コーガンのニューアルバムは、前作『Formless』と比べると、ソングライターとしても、全体的なレコーディングとしても大きな飛躍を遂げた。その独特なモノトーンの音楽世界に魅せられてしまうことは確実である。アルバムの多くの楽曲は、モノトーンの暗い色調に彩られているが、それとは対象的に、最終曲「Too Late」だけはファンシーな印象を押し出したドリーミーなフォークポップとなっている。このアルバムは、全般的なカナダの音楽シーンが、アメリカとイギリスの中間に位置づけられること、そして、同地のモントリオールなどで盛んなジャズの要素をどこかに併せ持つことを、あらためて再確認させてくれるのである。

 

 

 

84/100 

 

 

 

Best Track-「Division」 

Fabiano do Nascimento & Vittor Santos e Orquestra 『Vila』


 

Label: Far Out Recordings

Release: 2026年2月27日

 

Review

 

ファビアーノ・ド・ナシメントはブラジル出身のギタリスト/作曲家/プロデューサーで、広がりのある独自のサウンドを確立している。

 

幼い頃にクラシックピアノを学び、リオデジャネイロで10歳からギターを始めた。最終的に、ナシメントは故郷ブラジルを離れ、ロサンゼルスにわたり、時々、東京を往復しながら、音楽制作を続けている。これまでに、ナシメントは、サム・ゲンデル、カロス・ニーノ、笹久保伸と共同制作を行っている。彼の主な作風は、ブラジルの伝統的な音楽、ショーロ(Choro)、サンバ、ジャズ、エレクトロニックなどを呼応させる、新鮮味あふれるスタイルを特徴としている。

 

先週末発売された『Vila』はファビアーノ・ド・ナシメントのギター音楽を中心に(時々ピアノやエレクトリック・ピアノも入る)、トロンボーン奏者のヴィットー・サントスが率いるオーケストラとの豪華な共演作品である。『Vila』の舞台となったのは、リオのカテテ地区にある鋳鉄製の門の裏にある小さな路地。この終点には、バイロ・サアペドラがあり、ネオコロニアル様式の建物が並ぶ。ナシメントは彼が子供時代に過ごした地区にちなむ音楽作品を作り上げた。

 

『Vila』の全体的な音楽は、形骸化したシーンに一石を投じるような驚きに満ちている。ブラジル音楽の伝統であるショーロを中心に、流麗なオーケストレーションが繰り広げられる。インストゥルメンタル曲が主体となっているが、一曲目に収録されている「O Tempo」だけはボーカルが後半に登場し、ブラジル音楽のスタイリッシュでおしゃれな感覚、情熱的な雰囲気を体感できる。

 

ファビアーノ・ナシメントは、現代のギタリストとして最高峰にあるといっても過言ではない。南米音楽の転調の多い和声進行、矢継ぎ早に変化する和声など、スリリングさと落ち着きを兼ね備えた素晴らしい演奏を聴ける。作曲としては、転調の巧みさも卓越しているが、変拍子によって驚くようなシークエンスを登場させることもある。ボサノバやサンバを吸収したリズミカルなサウンドは、他地域の音楽には見つからず、南米音楽の高水準の音楽性を象徴している。また、オーケストラのなめらかなストリングスがアコースティックギターの周りを取り巻き、開放感のある音楽を形成している。そこにジャズの響きが加わり、ワールドミュージックとしても、モダンジャズとしても、クラシックとしても存分に楽しめる作品に仕上がっている。

 

全般的には、『Vila』はブラジル音楽のおしゃれさを堪能するのに最適な一枚と言える。しかし、このアルバムの魅力は表面性な印象だけにとどまらない。広やかで開放的な感覚を持つVitter Santos Orchestraの演奏は、アルバムの舞台であるカテテ地区の路地裏の風景を想起させ、石畳の街路、石造りの住居から差し込む陽の光、また、アルバムのアートワークに表されるような子どもたちの歓声が音楽の向こうから立ち上ってきそうだ。ナシメントは、この音楽を通じて、自分の幼少期に、この路地裏で遊んだ経験を回想し、そこに淡い抒情性を卒なく添える。


「Spring Theme」のようなボサノバの音楽性を活かしたオーケストラ音楽は、この土地の安らいだ雰囲気や陽だまりのような穏やかさと温かさを持ち、どことなくセンチメンタルな気風に縁取られている。ド・ナシメントのギターは生きているかのように空間を揺れ動き、粒子を振動させる。その背後には美麗なストリングスが配され、スムーズなレガートからトレモロに至るまで微細な空気感を作り上げている。また、コンガのような打楽器が後から加わり、心地よいリズムを作り上げる。アンサンブル全体が水の流れや春の風のよう雰囲気を見事に呼び覚ます。

 

「Teme Em Harmonics」は音のハーモニーの美しさやギター音楽の素晴らしさを体験できる。ショーロやサンバのアグレッシヴなリズムを活用しながら、 そしてトロンボーンの華やかな音色を引き立てるかのように、リズムギターでハーモニクスの演奏を巧みに表現し、バリエーションに富んだ色彩的な音楽性を発露させている。この曲ではジャズ風の遊び心のある即興性がリズムの中に組み込まれ、それらが最初のモチーフを中心として面白いように転がっていく。

 

全体的に、南米音楽らしい陽気な音楽が中心となっているが、ハッと目が覚めるような曲もある。「Uirapuru」は印象的なアコースティックギターのイントロから、モダンジャズの演奏へと移行していく。曲の後半では見事なアンサンブルが構築され、サンバのような音楽性へと繋がる。その中で登場するヴィットー・サントスのトロンボーンの味のあるソロにも注目しておきたい。

 

イントロの主題はスペインの作曲家、フェデリコ・モンポウのような淡い叙情性があり、ナシメントのギターはモンポウのピアノ曲集『Impresiones』の収録曲「La Barca」のような哀愁溢れる空気感を生み、高音部にピアノの即興的な遊び心のある演奏が加わり、ドラムのスネアやハイハット、シンバルを中心に、モダンジャズのしなやかな演奏が華麗な印象を携えて続いていく。 

 

中盤では、オーケストラストリングスのレガートが際立っているが、アンサンブルとしても豪華で、フルート、エレクトリック・ピアノ(ローズ・ピアノ)など多角的な器楽を交えて重層的な音楽が構築される。このアルバムは、単なる回想やリオの風景の描写にとどまらず、ポストコロニアル様式の建築を想起させる、堅牢かつ優美な音楽のイメージが生かされている。中盤でのアコースティックギターに対して、コールアンドレスポンスのように、ストリングスやピアノが見事に呼応するカノンの形式は、『Vila』の音楽的なハイライトとなるかもしれない。また、ジャズアンサンブルの枠組みを超越して、ビックバンドのような華やかな演奏が終盤に登場する。ここでは、色彩的な和音や対旋律の組み合わせが広大な音楽世界を作り上げている。制作者が子供の頃体験したブラジルの風景はこれほどまでに壮大であったのかと頷かせる。

 

 

「Valsa」は感動的である。ここでは、 ベースのような重低音を活かしたエレクトリックの弦楽器を使用し、ピチカート/ハーモニクスを中心にモード奏法が展開される。そのサウンドの風味は伝説的なジャズベーシスト、ジャコ・パストリアスにも似た感覚がある。従来のジャズアンサンブルのモード奏法では、トランペット、コントラバスがそれに呼応する形だったが、「Valsa」では、 オーケストラストリングスが中心的な役割を担う。背後にはブラシを用いたドラム、コントラバスが心地よく鳴り響き、芳醇な室内楽の音楽が醸成される。ここでは、昼下がりのゆったりとした安らぎのひとときや癒やされるような瞬間がジャズとして縁取られている。この曲では他曲よりも映画音楽のような雰囲気があり、映像的な印象を捉える事もできる。 

 

「Floresta Dos Sonhos」ではブラジル音楽の「ソン」のようなスタイルを感じさせるが、ギターの作法としてはスペイン音楽やフラメンコのような情熱的な哀愁をどこかに留めている。曲は落ち着いた印象のあるアルペジオを中心に組み立てられ、ストリングスのアーティキュレーションを通してダイナミックな変遷を辿っていく。南米的な情熱は落ち着きのあるどっしりとした街路にある塑像のようなイメージをなし、このアルバムの音楽的なストーリーの中核を担う。


アルバムの始めは、散歩やスキップのように緩やかな速度を形成していた音楽がにわかに走り始め、全般的なストーリーの核心とも言えるシークエンスを作り上げる。この曲では、インストゥルメンタル曲としてのストーリテリングやブラジルの街の歴史を感じさせる。少し大げさにいうなら、そこには開拓の歴史や人類史におけるロマンチシズムが反映されているのである。

 

音楽というのは、一連の長大な文化史でもある。アルバム『Vila』を聴けば、ヴィラ・ロボスのような象徴的な作曲家を中心に発展してきたブラジル音楽が、クラシックの影響を多大に受けており、なおかつまた、ジャズの要素を吸収してきたことを確認できるのではないか。もちろん、それは、ブラジルのサンバのリズミカルな要素や哀愁の気風と共に、南米の重要な文化性を担ってきた。ようするに、本作は見方を変えれば、南米音楽の文化史の発現のようなものではないか。本作の終盤も優れた曲が多いので聴き逃さないで頂きたい。「Plateau」、「Vittor e Fabi」のような曲は、ファビアーノ・ド・ナシメントの新しいスタンダード曲が誕生した瞬間だろう。この曲集を聞くと、実際にブラジルの街を歩いたような優雅な気分に浸ることができる。

 

 

90/100

 

 



▪︎南米音楽の記事:


・CHORO(ショーロ) ~リオのカーニバルの核心を担うブラジル音楽の原点~

 Asgeir 『Julia』


Label: One Little Independent

Release: 2026年2月13日


Review


アイスランドのシンガーソングライター、アウスゲイル(Asgeir)が5枚目のスタジオアルバム『ジュリア』をリリースした。 アウスゲイルを取り上げるのは、2022年以来のことになる。アウスゲイルは、ジョン・グラントら翻訳者を長年起用し、父エイナル・ゲオルグ・エイナルソンの詩と向き合ってきたが、輝かしいキャリアの中で初めて自ら作詞を手掛けた。アルバムのタイトルキャラクターの亡霊に導かれながら、シンガーは過去の後悔と未来への希望を瞑想する。

 

アウスゲイルは複雑なフォークポップ、豊かなプロダクション、物憂げで情感あふれるファルセットで称賛されてきた。『Julia』は歌詞制作における自立だけでなく、カタルシス的な率直さへの転換を示す。単に精巧に演奏されただけでなく、生きた経験が込められた楽曲群だ。「完全に一人で歌詞を書いたのはこれが初めてだった」と彼は語る。「怖かった。 今もその中で自分を探している。それでも心を開こうと試み、その過程で多くを学び、間違いなく癒やされた」

 

2022年のアルバム『Time On My Hands』ではフォークポップのアプローチと並んで、エレクトロニックを活用することがあったが、およそ四年ぶりとなる最新作は、アコースティックを中心としたポップソングが中心で、フォーク的なアプローチに関してはマンドリンなどを用いつつ、アメリカーナに近い音楽性も含まれている。青年期の音楽的な記憶を交えて、未来への展望を描く。

 

アウスゲイルのボーカルは、一般的に裏声のファルセットが称賛される事が多いが、特に歌手として、エド・シーランのようなクリアで美しい歌声を持ち、それらがアイスランドの風景を彷彿とさせる結晶のように澄明なボーカルとして表側に出てくる瞬間に注目したい。今回のアルバムは生楽器のドラムや打ち込みのマシンビートを併用し、 ループサウンドを作り出し、現代的なポップスのアプローチに準じている。このアルバムは、まるで彼自身の半生を描くかのように、軽やかなフォークポップソングを中心に展開される。清涼感のあるソングライティングは最新作でも健在で、朝の光のように清々しい音楽性がアコースティックギターの演奏を中心に続いていく。


今作のオープナー「Quiet Life」では、ソングライターのソフトな歌声を中心に、軽快なドラム、そしてコラージュされたピアノなど、癖がなく、聞きやすいフォークポップを楽しめる。淡々とした曲調なのだが、中音域から高音域にボーカルが跳躍するポイントにカタルシスがある。そしてアイスランドらしさもあり、ヨハン・ヨハンソンの系譜にあるポスト・クラシカルの音楽的なアプローチが楽曲の後半部で、キラキラとした朝の光のような印象を生み出している。

 

軽やかに始まったアルバム。「Against The Current」では曲調が一転、過去の後悔を披瀝するかのように憂いに満ち溢れた音楽性へと転じる。しかし、少し悲しみすら感じさせるアウスゲイルのボーカル、それらは、ファンクのリズムに支えられて、徐々に力強さを獲得する。ここでは内面の脆弱さを余さず示しながら、力強く生きるような歌手の生き様が感じられる。その歌声はこの歌手の表向きのイメージとは対象的にとても脆いが、対象的に力強さもある。


歌手としての卓越性も感じさせる。ドラムとベースを中心に組み上げられるこの曲では、現代的なプロデュースの影響は、シンセの使用など最小限にとどめておいて、歌手の歌声が独立している。この曲では、鼻声の性質を持つアウスゲイルのボーカルが澄明な輝きを放ってやまない。一曲目と同じように反復的な構成であるが、音楽的な情景は少しずつ移り変わっていき、曲の後半では、シンセサイザーを中心としたアイスランド的な郷愁とも言うべき瞬間へと近づく。

 

「Smoke」は、このアルバムの序盤ではフォークソングとして最も古典的な性質を帯びる。 ゆったりとしたドラム、ピアノ、アコースティックギターを中心に、エド・シーラン的なポップネスを吸収しながら、そのフォーク的なセンスとしてはジョン・デンバーのような渋さを兼ね備えている。ヒップホップやエレクトロニックなどのビートを吸収しつつも、古典的なカントリーソングの形を吸収し、ため息の出そうな憂いのエモーションに満ちたアウスゲイルの歌声と混ざり合い、特異な音楽的な世界観を作り上げていく。その中には、アメリカーナへの傾倒も伺え、このジャンルの看板である雰囲気のあるスティールギターが夏の陽炎のように音楽のはてに揺らめき、影さながらに遠のく。この曲には、何かしら音楽として酔わせる力が含まれている。


「Ferris Wheel」もまた、クラシカルなイントロを経て、現代的なポップソングの基本形である、憂いを乗り越えて歓喜に近づこうとするプロセスのような時間が刻みこまれている。この曲では、一般的に称賛されるファルセットの繊細な歌声をコーラスの箇所に配し、ポピュラーの基本である高音部を聞かせどころに持ってきている。この曲では、ナイロン弦のような柔らかいアコースティックギターの音色とピアノ、抽象的な風味を持つボーカルが絶妙に合致している。その中で、この歌手のソングライティングの基本的な長所である勇気づけられるような温かいボーカルラインが見出せる。その歌はまるで聞き手の肩を静かに叩くような優しさがある。また音楽的にも、曲の後半では、AOR、ソフトロック、ヨットロックのような音楽性へ傾倒していく。

 

アウスゲイルの作曲術は、日々のランニングやマラソンにも似ている。いきなり大掛かりな結末を用意するのではない。一歩ずつ進んでいったら、思いもよらぬような景色に出会わすのである。 ある時は雨、あるときは雪、また、次の日は晴れだが、歌手はその季節や日々のサイクルや循環を心から愛しているような気がする。その中で、最もセンチメンタルな瞬間が出てくる。


タイトル曲「Julia」はこのアルバムの副次的なテーマである憂いが極上のフォークポップソングに反映されている。この曲でのアウスゲイルのボーカルは90年代初期のトム・ヨークのような傷つきやすさや脆さがあるが、それらがアイルランド民謡、もしくは、サイモン&ガーファンクルのような憂愁のあるフォークソングと合致して、良曲/名曲とも呼ぶべき水準に達している。分けても、タイトルの歌詞の部分のファルセットは、器楽的な音響効果があり、現代の男性ボーカリストとしては最も美しい部類に入るものと思われる。この曲では、忘れられかけた悲しきフォーク・ミュージックの系譜を受け継ぎ、それを現代的な美しさへと転化させている。

 

このアルバムは最初の方の曲よりも、後半の曲の方が聴き応えがありそうだ。それはなぜかといえば、従来のソングライティングの形を崩したり、乗り越えるような瞬間があるから。それはまた、ソングライターとしての成長の証とも言えるかもしれない。あまり評者として偉そうなことは言えないのだが、「Sugar Clouds」のような曲ではいよいよ、エリック・クラプトンのような作曲者の水準に達しつつある。聞きやすいのだが、その中には深い核心がある。軽いのだが、重々しさがある。また、目を引くのだが、渋さがある。脆さがあるが、同時に強くもある。


音楽というのは、常に相反するものが重なり合いながら成立している。その一方の要素だけを封じ込めておくことはとうてい出来ないのである。こういった矛盾する2つの対象的な性質を持ち合わせずして本格派と呼ぶことは容易ではない。そういった面では、アウスゲイルは2つの対極する要素を音楽の中で体現するようになっている。「Stranger」のような現代的なポップソングに呼応するような形を選んだとしても、それは軽く聞こえることはなく、ずしりと聞こえる。いわば、本当の意味で心を捉えたり、感覚に共鳴する何かを持ち合わせているのである。

 

個人的に推薦しておきたいのが、最後の2曲「In The Wee Hours」、「Into The Sun」である。 前者はエレクトロニックのビートを吸収し、ネオソウルの匂いすら漂わせるポップソング。ついで、後者は、古典的なカントリー/フォークに根ざしたダイナミックなエンディング曲である。そして前者は、テクノのセンチメンタルな音色が素直で癖のない感じのボーカルと溶け込んでいる。これはアイスランド勢としては珍しく、ザ・ポリスのような楽曲に対する明確なアプローチで、ニューウェイブやAORのような音楽性が現代的なポップソングと合致した瞬間でもある。こういった曲は、80年代の洋楽のポップスファンにもチェックしていただきたいナンバー。

 

ソングライターとしての大きな飛躍の瞬間が最後の曲「Into The Sun」で示されている。個人的には、こういったクローズ曲のタイトルは明朗な印象があり、かなり好感を覚えてしまう。アウスゲイルは古典的なフォーク/カントリーを基にして、まれにカットアップ・コラージュのようなミュージックコンクレートの手法で遊び心を取り入れつつ、清々しい理想的な境地に辿り着く。それは苦悩から離れた従来の価値観や既成概念が通用しないユートピアの具現でもある。

 

 

84/100 

 

 

 

ÁSGEIR 『TIME ON MY HANDS』

 Ulrika Spacek  『EXPO』


 

Label: Full Time Hobby

Release: 2026年2月6日

 

 

Review


ロンドンの五人組アートロックバンド、Ulrica Spacekは先週末、ニューアルバム『EXPO』をFull Time Hobbyから発表した。『EXPO』は、タイトルに違わぬ印象で、斬新な音楽が見本市のようにずらりと並ぶ。

 

日に日に強まるソーシャルメディアの絶大な影響力、その中で個性的であるということは、とりも直さず孤独を選ばすには居れないことを、ウルリカ・スペイセックの五人組は示唆する。例えば、かつてレディオヘッドが2000年代以降の個人監視社会を主題に選んだロックソングで一世を風靡したことがあるが、ウルリカ・スペイックは『OK Computer』『KID A』が生み落とした次世代の申し子である。


そのサウンドの中には、ポストロック風の響きも含まれる。しかし、同時に、最初期のレディオヘッドのような閉塞感のあるボーカルがテクノ、ロックの中間にあるサウンドに揺らめく。最新鋭のロックなのか、それとも2000年代のリバイバル運動なのか。確かにそこには既視感のあるジャズ的なリズムとトム・ヨーク的な幽玄なボーカルが併存し、なにかしら新鮮な響きに縁取られている。


「孤立と疎外感の歌。周囲の誰もが絶えず自己を晒し、公の場で生き、見られたり聞かれることを求める、過度にオンライン化された世界において、『個性』の時代はひどく孤独だ。それは凹面鏡の部屋のようなもの。このことを念頭に、バンドは集合的な努力を捧げることに決めた」

 

独特な孤独感、また、それはときに勇敢さを意味する。『EXPO』の音楽には、''和して同ぜず''という論語の故事成語がぴったりと当てはまる。時流に乗っているようで、また、流行りのポストパンクにも共鳴する何かがあるが、彼らのサウンドは同時代のバンドとは異なっている。2016年から二年ごとのサイクルでアルバムを発表してきた彼らはついに最新作で高みに到達した。


「Intro」から強烈で、AIのテーマを暗示させたインスト曲で始まり、マニュピレーターを用いたアヴァンギャルドなテクノがブレイクビーツやスポークンワードのサンプリングと連動する。そこには近未来的なイディオムもある。しかし、それは同時に現代社会の同化現象に鳴らされた警鐘でもある。


「Picto」では16ビートのドラムの中で、ポストロック/マスロックの混雑したギターが、緻密なストラクチャーを構築する。ボーカルは『OK Computer』や『KID A』のような閉塞感のあるサウンドを担う。最近のポストパンクやスロウコアも吸収していると思うが、独特な浮遊感のあるサウンドは他の何物にも例えがたい。90年代のUSオルタナティヴロックからの影響もわずかに感じられるが、マニュピレイトされたRolandのシンセで出力されるテクノサウンドがそれらの既視感を帳消しにする。複雑なサウンドは変化し、中近東のパーカッションなどをドラムに重ね、エキゾチズムを増す。いわば、Squidのような複雑なサウンドであるが、こちらの方が一体感がある。

 

中盤は、King Kruleを彷彿とさせるようなごった煮のサウンドの曲があったり、レディオヘッドの中期のようなサウンドがあったり、『EXPO』のコアらしきものがほのめかされる。それはまるでインターネット空間をぼんやりと彷徨うような感覚がある。意図せぬ情報やアルゴリズムの投稿が目の前に矢継ぎ早に示され、それをさながら命題のように考え、時々振り回されたり、翻弄される個人。『EXPO』には現代社会の縮図とも呼ぶべき広汎な音楽が居並ぶ。


しかし、これらの現代史の博物館(EXPO)の展示中に、バンドが言うところの本当の自己やアイデンティティが発見できる瞬間がある。それが「Showroom Poetry」である。ローファイやスラッカーロックを基本に展開されるが、それらの混沌としたサウンドの向こうに歌われる、もしくは呟かれる言葉に一体感が生じ、バラバラに散らばっていたはずの破片が集まり、奇妙な一体感のような感覚が生み出される。ボーカルや全体的なバンドサウンドには今作のテーマである孤独の空気感が揺らめくが、その中には得難い安心感やひりひりするような情熱がちらついている。誰もそんなとこにはいないだろうと思っていた場所に結構な人がいたというような瞬間。とまあ、なんやかんやで、この曲は聴いてみると分かる通り、アルトロックの秀曲となっている。Galaxie 500のような内省的なインディーロックサウンドがアンセミックに変貌していく。

 

本作の後半はさらに多彩さが増すが、同時に序盤の収録曲に比べると求心力に乏しいところもある。レディオヘッドの次世代のアートロックサウンドが展開されたり、Ulrica Spacekの持ち味の一つであるジャズの影響を取り入れた動きのあるアートロックが繰り広げられる。 また、ブレイクビーツとアートロックの融合を試みた「Weight & Measures」なる次世代のロックソングも収録されている。この曲では弦楽器を取りれたりしながら、イギリス的なポストロックのイディオムを定めた瞬間が訪れる。テクノや電子音楽を中心としたバラード「A Modern Low」もまたレディオヘッドの次世代のサウンドに位置づけられる。ただ、そんな中、単なるフォロワーに収まりきらず、独創的なロックサウンドが出てくるときがやはり最も面白い瞬間であろう。

 

アルバムのクローズを飾る「Incomplete Symphony」は、バロックポップやチェンバーポップを下地にした次世代のサウンドで、ビートルズ、ローリング・ストーンズからブリットポップまでを吸収し、現代版に置き換える。また、こういった最後の曲を聴くと分かる通り、彼らがMOGWAIの初期のようなサウンドを吸収していることはおそらく間違いないだろうと思われる。一方で『EXPO』はモグワイのような反復的で恍惚とした轟音ロックサウンドにはならない。アンセミックなボーカルやコーラスを通じて現代社会を鋭く風刺するかのようなギターの不協和音が背後を突き抜け、次いでアンセミックなボーカルとシンセが追走するように通り過ぎていく。そこには飾らない生々しいリアリティが内在する。それこそが『EXPO』の醍醐味なのだろう。

 

 

80/100 

 

 

 「Showroom Poetry」-Best Track

 

 

 

▪Ulrica Spacek『EXPO』- Listen/Stream: https://ulrikaspacek.ffm.to/expo 



Ulrica Spacek:



「リビングルームは自然な残響をあまり生み出さないし、人工的に作り出すのも我々の意図ではない」


ウルリカ・スペイセックはベルリンで一夜にして結成された。14年来の友人であるリース・エドワーズとリース・ウィリアムズが『ウルリカ・スペイセック』というコンセプトを思いつき、デビューアルバムのタイトルとして『The Album Paranoia』を考案した。 ロンドンに戻りレコーディングを開始すると、ジョセフ・ストーン(ギター、オルガン、シンセサイザー、ヴァイオリン)、ベン・ホワイト(ベース)、カラム・ブラウン(ドラム、パーカッション)が加わり、現在の5人編成が固まった。 


アルバムはほとんど予告なく、大々的な宣伝もなくリリースされ、バンドがキュレーションと出演を兼ねる「オイスターランド」と題したほぼ月1回のクラブナイトが1年間続いた。18ヶ月も経たぬうちに、不気味なほど完成された続編が登場。エドワーズによればこれは必然だったという。


「曲を一括で作り上げてから順番を決める手法には、我々はあまり興味がない」と語るように、3分間のシングル10曲を書き上げる誘惑を避け、より開放的で広がりのあるスタイルを志向している。書きながらアレンジを重ね、楽曲がセットリストの中で自然な位置を見つけることを意図しつつ、自己満足に陥らない方向性を常に保っている。現在はロンドンで活動している。


 Mandy Indian 『URGH』

 

Label: Sacred Bones

Release: 2026年2月6日

 

 

Review 

 

昨年、 好印象のアルバムを立て続けに輩出したSacred Bones。所属グループがゴールドディスクを獲得し、勢いに乗っている。2026年最初のリリースは、マンチェスターの話題のグループ、Mandy, Indianの最新アルバム『URGH』となる。本作は画期的なサウンドで、音楽ファンの度肝を抜くことは必須だろう。UKベースライン、ブレイクビーツ、ドラムンベースなどを吸い込んだ''EDMメタル''ともいうべき衝撃的なアルバム。現時点のところ、ストリーミング再生数はガツンとは伸びていない。まだまだ、このアルバムがどのような評価を受けるのかは未知数である。しかし、二番煎じを徹底して疎い、アバンギャルドなダンスミュージックを展開させた野心作であることは確かだ。

 

マンディ・インディアナは、ボーカリストのヴァレンタイン・コールフィールド、ギタリスト兼プロデューサーのスコット・フェア、シンセ奏者のサイモン・キャトリング、ドラマーのアレックス・マクドゥーガルからなる4人組だ。本作の大半はリーズ郊外の不気味なスタジオハウスでのレジデンシー期間中に執筆され、ベルリンとグレーター・マンチェスターの二箇所でレコーディングされた。 


制作過程でコールフィールドとマクドゥガルが健康問題に直面したこともあってか、環境は苛烈を極めた。『URGH』は広範な世界の暴力的で断片化された状態を反映している。コールフィールドの歌詞は暴力性、制度的な無関心、遍在する苦痛とたえまなく格闘し、美と連帯の瞬間を主張する。アンドレアス・ヴェサリウスの解剖学的図解をフィーチャーしたカーノフスキーのアートワークは、身体とその限界に対するこのレコードの内臓的な対峙を強調している。

 

『URGH』はアンダーグランドのクラブの熱気に縁取られている。狂乱的でときに催眠的なダンスミュージックがアシッドハウス風のグルーヴを導き出す。「Magazine」はその象徴となるトラックで、遠目に鳴り響くレイヴやユーロビートのような空間性のあるサウンドが再現される。ドラムンベースのドラムのリズム、内的な暴力性を赤裸々に吐露するサウンドはあまりに苛烈だ。

 

これらは制度に対する怒りの感覚がリアリティを持って体現される。また、ミュージックコンクレート/コラージュアート的なサウンドが、強烈なノイズやパルス状のビートと重なりあいながら激しく炸裂する。独特な緊張感を持つヒリヒリとしたアヴァンギャルドなダンスミュージックは、ときに魔術的なボーカルと組み合わされ、また、アフリカのような地域のリズムと融合する。


「Dodechahedron」はそういった中で、メタリックな印象を持ちながら、神秘的な電子音楽に傾倒していく。また、インダストリアルミュージックのイメージを持つ「A Brighter Tomorrow」は悪夢的な雰囲気に浸される。


これらは内的な恐怖と戦うドゥームサウンドと言え、外側の外的な状況とせめぎ合いを続ける。それらの恐怖感は「Life Wax」で最高潮に達し、エクストリームなノイズミュージックとして昇華される。NINを通過したようなインダストリアルの冷淡さ、そして狂気的なノイズミュージックが続いてから、突如、ニューメタルやポストハードコアのようなサウンドへと傾倒していく。

 

本作の収録曲で注目したいのが、「ist halt so」である。ダンスミュージックをベースにしたヘヴィロックで、 ブンブン唸るベースと苛烈でアグレッシヴなボーカルが特徴である。また、ヒップホップを参照し、プエルトリコのヒップホップと連動するようなサウンドを作り出す。90年代以降のミクスチャーの末裔とも言える音楽性なのだが、そこに商業的な香りはほとんどない。ノイズやインダストリアルミュージックの無機質なサウンドを明確に押しだし、奇異な領域に近づいている。また、ドラムの側面は、Sepuluturaのような南米のヘヴィメタルからの影響を感じさせる。イギリスのアンダーグランドのダンスミュージックとニューメタルが合体したようなサウンドである。後半には、ドリルンベースが出てくる瞬間もある。Aphex Twinをメタルから解釈したような一曲で、 その重力のあるサウンドはほとんど嵐のごとく過ぎ去っていく。

 

ただ、Billy Woods(ビリー・ウッズ)が参加した「Sicko! 」は、イントロはさておき、とっつき易い。アブストラクトヒップホップとヘヴィロックのエッセンスが融合し、パーカッションは過激な印象に満ちているが、ビリー・ウッズのラップが上手い具合に融和している。同楽曲では、アーマンド・ハマーとのコラボに見受けられるヒップホップの解体と再生の要素が垣間見える。面白いアルバムだと思うのだが、全体的な集中性にかける部分もある。しかし、その破壊性や衝動性すら彼らの計算の内とすれば、それこそが本作の無尽蔵のエナジーを生んだ理由なのだ。アルバムの後半では、多言語のボーカルやグリッチが出てきたりと、かなり難解な作品のように思えた。 

 


 

75/100 

 

 

 「ist halt so」-Best Track

Angus MacRae  『Warren Suit』 


Label: Venus Pool

Release: 2026年2月6日

 

Review 


ロンドンの作曲家、アンガス・マックレイによる最新作『Warren Suit(ウォレン組曲)』は、バーナード・ショーによる舞台劇『ウォレン夫人の職業』のために書かれた10の組曲である。この舞台作品は、日本の劇場でも今年上映される話題作。


『ウォレン夫人の職業』は売春婦をテーマに母と娘の衝突、そして自立、家父長制が社会的規範であった時代の道徳とは何かを問う。1902年の発表まもなくバーナード・ショーの新作は上演禁止となった。文字通りの問題作である。

 

作曲家、アンガス・マックレイは、今回の音楽作品『Warren Suit』のために多角的な器楽のアプローチを図り、ピアノ、ハープ、弦楽器、電子音による女性声楽四重奏が導く、夢幻的な小品群として展開する。ミニマリズムとマキシマリズムを織り交ぜた音楽は、20世紀初頭のフォークとクラシックの伝統を汲み取りつつ、包み込むような現代的な音響世界へと再構築している。



「これは即興と実験のアルバムです。舞台作品とは並行世界として捉えてほしい——繋がりつつも独立した存在として」マックレイは語る。「原作のスコアの糸をひたすら引き続け、どこへ導かれるか見たかった。それは予想外の深淵へと私を誘った。このレコードの核心にあるのは言葉なき声たちだ。ショーの物語の中心に立つ女性たちの幽霊のような幻影として機能している。彼女たちの存在感を増幅させ続け、文章とは独立した形で物語を拡大させたかった」

 

制作者が語るように、どことなく舞台に登場する亡霊の声なき声が盛り込まれている。アルバムは「May Child」で始まり、電子音と女性のクワイアを中心にミステリアスな音楽性が組み上げられている。二声(以上)を中心とする女性のクワイアはこの物語の扉を開き、無限なる物語の道筋へと誘う。しかし、この舞台音楽が面白いのは、典型的なイギリスの響きが出てくることだろう。


「Warren Folklore」では、女性のメゾソプラノ/ソプラノを中心にさらにミステリアスな音楽が登場し、Secret Gardenのような音楽性を彷彿とさせるセルティック民謡(ケルト音楽)の要素が出てくる。この副次的なモチーフが独り歩きをして、物語の奥行きを広げるための導きを成す。曲の途中では、音楽そのものは本格的なオペラへと近づき、複数の声部の歌唱、ストリングスのハーモニーを通じて、ウォレン一家の悲哀のような感覚が露わとなってくる。賞賛すべきなのは、この音楽作品がそのまま、シナリオの暗示、もしくは道標となっていることだろう。

 

また、この舞台音楽のたのしみは、クワイアや弦楽と合わせてささやかなピアノの小品が収録されていること。そして「In Your Nature」のように印象音楽としての自然を描いたと思われる曲から「Nine Roses」のような物語の中枢に登場するような印象的なシーンを描いたものまで、それらが一貫してペシミスティックなピアノの音色で縁取られていることである。ここにはドラマ音楽の基本的な作曲法と合わせて、マズルカのような物悲しい音楽的なテーマが垣間見える。ここにも一貫して、古典的な家父長制度における女性の生き方という主題が、一つの物悲しさに結びついている。そしてその中には、女性たちの幽霊というショーの物語の中枢が見えてくる。その音楽的なテーマの中には、やはりイギリスの古典的な雰囲気を見いだせるだろう。

 

現代音楽としても興味をひかれる曲がある。四曲目に収録されている「Chalk Petal」は、Arvo Part、Alxander Knaifelのような東欧の作曲家の管弦楽法を受け継いだ曲として聞き入らせる。また、音響効果として舞台を演出する内容も、弦楽器の長いレガートにより培われるドローン音楽は、ワーグナーのオペラの通奏低音のような特殊効果を発揮する。 複数の主旋律が重なり合い、美しく可憐な音の構造を生み出すが、同時に、それはアンビエントのような音楽的効果を併せ持つ。しかし、ここまで一貫して、物悲しい音楽がいまだかつて存在しただろうか。音の旋律は美しさがあるが、それはまるで濃霧の中を永遠とさまよい続けるような無明の雰囲気がある。しかし、もっともこの曲が美しいのは、弦楽器の演奏のあとに登場するクワイアである。

 

そんな中で、ややコミカルな曲もある。「Forebears」のような曲は、悲哀溢れるウォレン夫人の物語のミステリアスな側面を強調付けるものであるが、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような音楽性を感じ取る事ができる。音楽全体は、室内楽のような感じで続いて、ピアノ、弦楽器の演奏を通して、ウォレン夫人を暗示するメインのボーカルが華麗な雰囲気を作り出す。この舞台音楽が最もアンビエント的な要素を強める瞬間が「Picking Fruit」である。シンセサイザーを通じて、作曲家のマックレイは電子音楽に近い音楽の手法を選んでいる。そして、クワイアやミステリアスなシンセサイザーの伏線を通じて、華麗な弦楽器のソロが登場する。ここではチェロと思われる芳醇な旋律が、力強く鳴り響く瞬間がこの曲のハイライトとなる。

 

声楽を中心とする曲の中で、最も目玉となる曲が「Bloodline」である。制作者が語る「亡霊的な響き」が最も色濃く表れ出た瞬間である。この曲は特に、夫人の売春婦としての艶やかな雰囲気がオペラティックな歌唱によく表れ出ている。一方でそれは艶やかで魅力的であるが、危険なバラのような棘を持った夫人の人物像を音楽の向こうに浮かび上がらせる。こういった劇伴音楽の手腕は本当に見事であり、たとえ舞台そのものの演出がなくとも、独立した音楽作品として十分自立していることを証し立てるものである。この曲に感じられるミステリアスな雰囲気はまさしく、バーナード・ショーの作品をくまなく読み込んだからこそなしえた凄技だろう。

 

本作『Warren Suit』はオペラティックな側面もありながら、バレエの組曲に近い音楽構成も発見出来る。そしてまた、アルバムの最後に収録されている「Ghosts In White Dress」は、ウォレン家の豪奢な暮らし、その裏に隠された物悲しいエピソード、当時の社会的な道徳という副次的な主題を鮮明に浮かびあがらせ、まるで音楽という舞台を中心に登場人物たちが甦るような不可思議な感覚に浸されている。音楽的には、Morton Feldmanの作品『Rothko Chapel』に近い感覚を見出せることもあった。近年聴いた劇伴音楽の中では随一の作品で、大いに称賛すべき組曲。

 

 

85/100 

 

 

 

 

 



Angus MacRae:

 

アンガス・マックレイは作曲家、マルチインストゥルメンタリスト、レコーディングアーティストであり、その作品はレコード、実験的なライブパフォーマンス、演劇・ダンス・映画のためのスコアの間をシームレスに行き来する。彼の音楽は容易に分類されることを拒むが、広くはクラシック音楽と電子音楽の交差点に位置し、即興がしばしばその核心をなす。


独特の音楽的世界構築で知られるマックレイの作品は、記憶と想像力をテーマに深く概念的な探求を続ける。数々の高評価を得たアルバムやEPを通じて、その音楽は世界的な聴衆に届いている。


彼の数多くの楽曲は、ナショナル・シアター、アルメイダ・シアター、BAM、ロンドンのウエスト・エンド、ブロードウェイなど、国際的に著名な会場で演奏、上映されています。ドミニク・クック、レベッカ・フレックナル、リンドジー・ターナーなどの監督、マイケル・ウィノグラッド、ナタリア・ツプリク、バレネスク・カルテットなどのミュージシャンとコラボレーションを行っています

 Lande Hekt  『Lucky Now』


Label: Tapete

Release: 2026年1月30日

 

 

Review

 

イギリスのシンガーソングライター、Lande Hekt(ランデ・ヘクト)は2022年のアルバム『House Without A View』以来の最新作『Lucky Now』を先週末にリリース。2022年のシングル「Romantic」を聴くと分かるように、パワーポップやジャングルポップを中心とする良質なソングライターで、甘酸っぱく切ないメロディーをさらりと書き上げる能力を持ち合わせている。『Lucky Now』は前作の延長線上に位置するアルバムで、良曲揃いのアルバムとなっている。

 

アルバムのサウンドは、インディーフォークやネオアコースティックが主体となっている。本作の冒頭曲「Kitchen Ⅱ」は、思わず口ずさんでしまいそうなキャッチーなフレーズ、どことなく懐かしい感じのするメロディーで満載となっている。ほどよく力が抜けたボーカル、そしてドラム、ベースと聞きやすさを重視したサウンドで、爽やかで軽快なオープナーとなっている。

 

タイトル曲は、同じくネオアコースティックに属するが、ランデ・ヘクト持ち前の甘酸っぱいメロディーセンスを活かした良曲となっている。これらのサウンドは、アズテック・カメラ、オレンジ・ジュース、パステルズ、ヤング・マーブル・ジャイアンツなど、このジャンルの代名詞となるグループを彷彿とさせるものがある。決して現代的なサウンドとは言えないけれども、独特な雰囲気の曲展開、そして柔らかな曲の雰囲気についつい惹き込まれてしまうことがある。


また、「Rabbits」などを聴くと分かる通り、The Undertonesのような北アイルランドのパンクバンドの影響を感じさせることもある。 そういった中、ギターに薄いフェイザーをかけたようなサウンドを中心とする「Favourite Pair of Shoes」は前半の一つのハイライトとなりえる。ボーカルメロディーの親しみやすさもさることながら、ギターワークに光る部分があるのに注目だ。『Lucky Now』は、純粋なボーカルアルバムというよりも、その向こうから聞こえるギターリフに一瞬のきらめきが込められている。ドラム、ベースというシンプルなバンド構成がそれらの曲をほんのり引き立てている。また、曲全体から感じられる叙情的な音楽性からはどのような風景が思い浮かべられるだろうか。曲そのものが何らかの換気力に富んでいるのにも着目したい。

 

そういった中で、インディーフォークに舵をとった「Middle Of The Night」は新鮮な響きが込められている。クリアな雰囲気の中で、美麗なギターのアルペジオ、そしてバンジョーのような響きが聞こえてくる。さらに、夜の澄んだ空のような神秘的な雰囲気が立ち上ってくることがある。ここには、ランデ・ヘクトの吟遊詩人的なミュージシャンの姿を捉えられる(かもしれない)。


パワーポップやジャングルポップの雰囲気で繋がる「Circular」は、おなじみの陰影のある曲調に、ザ・リプレイスメンツのようなサウンドが加わる。そしてそれらは、全般的なロックの文脈の中で行われ、依然としてキャッチーな曲調を維持している。また、ここでもサビ(コーラス)の最後の方で、チューブアンプを中心としたギターワークがキラリと光る。それはランデ・ヘクトのソングライティングの中で、ギターソロが大きな割合を占めることの証でもある。

 

 アルバムの後半では、さらにインディーフォークやネオ・アコースティックの性質が強まり、「My Imaginary Friend」ではレモンヘッズ、ザ・ポウジーズ、ヴェルヴェット・クラッシュにも比する甘酸っぱいメロディーが満載である。それらがセミアコースティックギターの演奏を中心にボーカルと合わさり、爽やかな雰囲気を呼び込む。今回のアルバムで少しわかったことは、ランデ・ヘクトのソングライティングは、物申すような自己主張的なサウンドではなく、控えめで抽象的なサウンドである。それが80年代から90年代にかけてのインディーロックやパワーポップと結びついている。それはまた続く「The Sky」にも共通する点であると思われる。

 

最終盤ではこれまでの主要な楽曲とは異なる雰囲気の曲が出てくる。異色ではあるが、良曲ぞろいである。「Submarine」、「Coming Home」などは、ビートルズやビーチボーイズのサウンドをパワーポップやジャングルポップの側面から再構築している。 特に、アルバムをしっかりと聴いたファンはきっと、「Submarine」が隠れた名曲であることに気づくはずだ。楽曲の構成は以前よりもダイナミックになっていて、より大きな構想を練っているような気配も感じられる。この曲でもギターソロがクールな箇所がある。2分以降を聞き逃さないようにしてもらいたい。


まだ、このアルバムで最終的な答えが出たとは言えないかもしれない。しかし、ランデ・ヘクトの音楽性はいよいよ核心に近づきつつある兆候を捉えられる。クローズ曲「Coming Home」は叙情的なサウンドで聴かせる箇所があり、フォークとロックの中間にある淡い感覚を見出せる。

 

 

 

78/100 


 

 「Submarine」- Best Track





▪️過去のレビュー


LANDE HEKT 『HOUSE WITHOUT A VIEW』


▪️リリース情報


LANDE HEKTが三作目のアルバム『LUCKY NOW』を発表。 1月30日にTAPETEよりリリース

 Softcult   『When A Flower Doesn't Grow』

 

Label: Easy Life Records

Release: 2025年1月30日

 

 

Review

 

カナダのライオットゲイズ、 Softcultは、パンキッシュなイメージとシューゲイズを融合させるグループで、特にライブツアーなどで定評を獲得している。前作『Heaven』では、やや不発に終わった印象もあったのですが、最新作『When A Flower Doesn't Grow』では、さすがの実力を見せています。前作より曲がバラエティ豊富になり、音楽性の引き出しが驚くほど増えている。

 

前作では、二人の構成ということで、ギターの音圧に頼るケースが多かったものの、今回はよりバンド形式に近い録音を楽しむことができる。そしてパンクやハードロック的を以前までは強調していましたが、センス抜群のインディーポップのエッセンスを取り込むことで、聞きやすいアルバムに仕上がっています。実際的には、ソフトカルトはこれまでシングルやEPのリリースにこだわってきましたが、フルレングスを制作したことで、音楽的な広がりが出てきています。

 

アルバムは意表をつく静かなエレクトロニック/テクノ/アンビエント「intro」で始まり、それ以降、二曲目「Pill To Swallow」でソフトカルトらしいロックソングを聴くことができるはずです。この曲では持ち前のポップセンスを散りばめて、聞きやすいポップソングを下地にしつつ、おなじみの超大な音像を持つシューゲイズが加わる。特に今回のアルバムでは、ボーカルトラックに力を入れており、即効性があって感染力があるフレーズを惜しみなく歌い上げている。


また、ドラムやパーカッションの面でも、タンバリンのような音色を入れて、リズムの分厚さを出している。シューゲイズといえば、甘いメロディーに苛烈なファジーなギターが特徴ですが、基本的な形をストレートに打ち出している。しかし、このようなわりと激しい印象を持つ曲ですら、全体的な緩急を意識している。例えば、2分半前後のハードロックに依拠した間奏などはその代表例です。つまり全体的に聞き入らせるようなソングライティングや曲作りがなされていて、なおかつ聴いていて飽きさせない工夫が凝らされている。これは称賛すべき点でしょう。

 

しかし、そういったシューゲイズの基本的な曲よりも「Naive」のほうが際立っている印象がある。轟音のディストーションギター、そして超大な音像は維持しつつ、ボーカルについてはポップソングを意識している。リズム的な工夫も随所に凝らされていますが、その複雑さを経経てアンセミックなサビに来る部分で爽快感がある。いわば音楽的なフリークとそうではないファンの両方に響きそうなフレーズを大切にしています。 いつもジェンダーや政治的なメッセージを欠かさない双子のミュージシャンの音楽は、アヴリル・ラヴィーンの影響を感じさせることもあるため、実は結構ポップでミーハーと言えるでしょう。しかし、それこそが唯一無二の長所となり、ライブシーンで映えそうなアンセミックなフレーズを生み出している。また、双子らしいボーカルの息の取れたハーモニーの美しさは他のバンドでは容易には出しえない。二人は、ある意味では、Mewのような北欧的なロックバンドの清涼感のある空気感を導き出す。

 

ソフトカルトのもう一つのサウンドの特徴はメタル的なヘヴィネスを併せ持つこと。「16/25」はメタリックなドラムの連打に対して清涼感のあるヴォーカルのフレーズが特徴です。ボーカルの間に入るバッキングギターはハードロック的なニュアンスに富んでいてかっこよい。また、同じフレーズとリズムを続ける中で、1分15分以降に音楽が開けてきて、奥行きが出てくることがある。いわばボーカルとドラムがヒプノティックな効果を発揮し、トランスやレイヴのようなダンスミュージックの性質を帯びる。これは2000年以降のニューメタルのニュアンスを引き継いでいると言えるでしょう。そして、その挑戦はたぶん上手くいったのではないでしょうか。 


楽曲の構成は目まぐるしく変化し、アンセミックなボーカルを織り交ぜながら、ジェットコースターのように楽しい展開力を形作る。また、曲の後半では、90年代のグランジやストーナーへと傾倒していき、アリス・イン・チェインズやサウンドガーデンのようなグランジサウンドも登場したりしてものすごく楽しい。一曲の中で、ジャンルが移り変わっていくような柔軟性がある。それらが最終的には、80年代のハードロックやヘヴィメタル、強いて言えばメロディックメタル調の叙情性のあるボーカルのフレーズも登場する。ここまで強固なサウンドを見せつけられると、それにうなずくよりほかなくなる。つまり、新旧という概念を超えているのです。

 

また、このアルバムはソフトカルトのメンバーの音楽的な好みが凝縮されている。グランジロックとしてより濃厚になる「She Said,She Said」はオーバードライヴをかけたベースから始まるが、全体的な音楽性やボーカルにパンクのエッセンスを散りばめつつ、双子らしいヘヴィネスと毒々しさを追求している。しかし、重く、また、毒があるとは言え、音楽そのものはそれほど聞きづらくないはずです。これらの軽い姿勢とかノリの良さが楽曲全体に良い均衡をもたらしている。そして歌詞としても、なぜか口ずさんでしまうような魔力を持っているのに驚き。


「Hurt Me」は更に激しいヘヴィネスを追求していて、狂気の一歩手前まで行く。このサウンドは現代的なヘヴィメタルというより、90年代のミクスチャーロックの印象に近い。時々、横揺れのリズムを織り交ぜながら、ほどよいかっこよさを追求している。しかし、轟音を中心としたドロドロした曲はその後、急に静けさへと帰っていく。そして、その後、この曲は驚くべき変貌を遂げ、エモーショナルでアンセミックなロックへと飛躍していく。最後は、ソフトカルトの美学とも言えるアーティスティックなギターで締めくくられる。このあたりの両極端な二面性が面白い部分で、全体的にこのアルバムを楽しむ上で、抑えておきたいポイントとなるでしょう。

 

アルバムの音楽は激烈になったり、それとは対象的に精妙になったりというように、感情的な振れ幅は90年代のスロウコアに匹敵する。しかし、ソフトカルトをその存在たらしめているのは、抜群のポップセンスです。

 

「Queen of Nothing」はドリームポップの側面が色濃く出ており、聞きやすく、エモーショナルなロックソングに仕上がっている。「Queen of Nothing」はおそらく、アルバムのハイライトであり重要な楽曲でもある。怒りや轟音の向こう側にある感覚を二人は探し求めており、それが結果的に示唆されている。また、音楽的にも陰影のある切ないフレーズを呼び覚ましている。さらに、ハードコアパンクやストレートエッジに挑んだ「Tired」もかっこいい曲で、ハードロック風のエッセンスが付け加えられている。これらの反骨精神が聞きどころとなりそうです。


最新作『When A Flower Doesn't Grow』は音楽的にはなんでもありの、ごった煮のアルバムなのですが、ソフトカルトの好きな感覚がいたるところに垣間見えることがあり、なにか微笑ましい感覚に満ちています。また、終盤に収録されている「Not Sorry」はアルトロックソングとして申し分なし。Mommaの系譜にある聞きやすく、そして掴みやすいロックナンバーとなっています。

 

最後には意外な一曲が収録されています。インディーフォークに傾倒した、アコースティックギターの弾き語り曲です。前作『Heaven』では音楽性が画一的になりがちでしたが、最新作では驚くべき興味の広さを見せました。ソフトカルトはシューゲイズ、パンク、グランジ、メタルなどを織り交ぜ、クールな音楽を探求しています。 このアルバムは、カナダのデュオがまだ見ぬ領域を開拓した作品。と同時に、聴き応え十分の楽曲群によってその潜在的な能力を発揮しています。

 

 

82/100 

 

 

 




▪️過去のレビュー


Flip Top Head 『Triateral Machine』- EP


Label: Blitzcat

Release: 2026年1月30日

 

 

Review

 

英国/ブライトンのアートロックグループ、Flip Top Head(フリップ・トップ・ヘッド)はコレクティヴの編成で構成され、6人のメンバーを擁している。

 

彼らは、”カルトロック”を自称するグループであるが、Caroline、The Last Dinner Party、The New Evesの系譜にあるサウンドを特徴としていて、ロックオペラやフォーク、実験的なロックサウンドを織り交ぜ、個性的な音楽世界を構築している。


Flip Top Headを最初に当サイトで紹介したのは、2023年の「Alfred Street」だった。マスロック/ポストロック的なサウンド、Led Zeppelinのようなハードロック、物悲しさを感じさせるボーカルラインなど、 個性的な音楽センスが盛りだくさんだった。ミュージックビデオも古めかしい町並みをバンドメンバーが疾走するという、なかなか微笑ましい感じの内容だった。現在、Flip Top Headはベースメントやインディーズの範疇に収まるバンドではありながら、独創的なサウンドを制作しようとしている。

 

現時点では、Flip Top Headの作品はシングルとEPの発売にとどまっている。『Trilateral Machine 』は確認出来たかぎりでは、二作目のミニアルバムのリリースとなる。シングルではバラバラに散らばっていたマテリアルがミニアルバムという形で収められると、明確な形になってきたという気がする。Flip Top Headは、6人という分厚いアンサンブルを象徴するかのように、メインボーカルに加え、複数のボーカリストが メイン的な役割を担う。メインは女性ボーカルだが、他のイギリスのロックバンドのように、一人のフロントパーソンだけが大活躍するという感じではない。それぞれが個性を持ち寄り、どんなサウンドができるかの試作、あるいは実験である。

 

彼等は、マスロックやポストロックのような変拍子のサウンドを織り交ぜたり、曲の展開がいきなりジャンプしたりと、予想出来ない独創的な音楽性をはらんでいる。現時点では、メインボーカルのペーソス溢れる切ないメロディーセンスがカルト的なロックサウンドの支柱となっている。ボーカリストはアイルランド民謡のような地域性のある古典的な音楽を、ロックオペラのようにドラマティックに歌い上げ、それらが現代的なロックサウンドの基底に組み込まれる。


まだ、全体的には、完成されたサウンドとは言い難いが、その荒削りな魅力はインディーズロックのファンの心に響く何かがあるに違いない。そして、The Who、Led Zeppelinのような70年代のロックバンドの影響を感じさせるとはいえ、その中には、80年代後半のブリットポップへの親しみもある。


例えば、後半の収録曲「What I Really Want To Know」は、ザ・スミスのサウンドに近い。一般論として、The Smithsの追走者になることを、多くのバンドは避けてきた印象もあるのだが、ここでは、マーやモリッシー的なセンスを受け継いでいる。

 

今作もまた、ポストロックのセンスが健在であるが、実際の音楽性については深度を増したように感じる。「Porcelain Plugs」では、複数のギターのアルペジオの重なり、そしてゆったりとしていて安定感のあるドラム、そして悲しみと癒しに満ちたヴォーカルが混在し、その中で、アイルランド民謡に根ざしたメロディーが独創的な音楽世界を作り上げる。短調を中心とした曲展開の中で、その中で雲間から一筋の光が差し込むように曲調が明るくなることもある。

 

さらに、2分後半以降は、変拍子が随所に散りばめられ、プログレッシヴロック寄りの展開を見せることも。やがて、ロック的な曲展開から、オペラやバラードのような別の音楽性へと繋がっていく。これらの予測出来ない音楽性へと繋がる瞬間は、やはりコレクティヴならではのものだろう。特に、彼らはリズムの側面で独創的な才覚があり、曲の後半では、6/8の性急な拍子へと構成を様変わりさせる。イントロは、基本的な四拍子であるが、後半では三拍子中心の拍動へとドラスティックな転換を遂げる。すると、同じような歌の旋律でも、まったく異なる音楽であるように聞こえるのだ。

 

2曲目に収録されているタイトル曲などは、彼らのマスロックの嗜好が滲み出た一曲である。80年代後半から90年代は、アメリカのインディーズに限られていたこの音楽が、最近ではイギリスのバンドを中心に再興しつつある。これらはエモやパンクを経た後の実験的なロックサウンドとして注目を浴びつつある。「Trilateral Machine 」では、それらのマスロック/ポストロックの文脈を強かに踏襲し、フォークサウンドと結びつけ、新鮮味溢れる音楽性を築き上げている。この曲は、ロンドンのバンド、Honeyglazeのサウンドにも近い風味が感じられるかもしれない。曲のリズムやアンサンブルはかなり複雑なのだが、ボーカルはシンプルで聞きやすさがある。例えば、この曲の後半を聴くと、英国のロックは新しいステップにさしかかっていることを実感する。

 

「My Greatest Hits」は、Carolineのアートロックのサウンドをスポークワードなどを散りばめて、再構築しようとしている。イギリスのニューウェイヴを近年のポストパンクという視点を通して、どう組み替えられるかの試みだ。 また、ボーカリストのスポークンワードの語りの中には、The Last Dinner Partyのようにロックオペラからの参照もあり、また、舞台芸術の音楽性を感じさせることもある。楽曲そのものに、舞台芸術や演劇が付随するような音楽だ。

 

おのずと楽曲の中には、視覚的な効果が組み込まれていることは明らかだろう。それらが、このグループらしい独創的な音楽性で組み上げられ、ドラマティックな瞬間を呼び起こす。それは、六人組としての個性の化学反応ーースパークーーが生じた貴重なモーメントでもある。また、Flip Top Headのサウンドは、必ずしも轟音やノイズの側面だけが特徴ではない。特に、静けさや沈黙にフォーカスが絞られるときもある。それは、この曲の四分半以降のクワイアの合唱に宿る。こうした多角的なサウンド構成を織り交ぜながら、最終的には、一体感のあるアルトフォークに行き着く。言ってみれば、一曲の中に、ミルフィーユのように様々な構造が混在していておもしろい。

  

 「What I Really Want To Know」もまた興味をそそられる一曲である。先にも述べたように、マー、モリッシーの系譜にあるThe Smithsのようなペーソスに満ちたサウンドがベースになっている。しかし、カクカクとしたマスロックのリズムがそれに加わると、やはり独創的なサウンドが生み出される。決してポピュラーな音楽とは言えないが、全体的なメインボーカルには、何らかの親しみを感じさせ、ついつい聴き込んでしまうのが不思議だ。この曲の中には、おそらく、ブライトンの寛容的な多彩な文化観が盛り込まれているという気がする。また、彼らの音楽的なアイディアは瞬発的に終わることはない。彼らはじっくりと曲の次のセクションへ繋げて、スムーズに展開させる術を知っている。これもまた演奏力の高さや音楽の理解力の賜物であろう。そういった中で、この曲は、アンセミックなフレーズを呼び起こすことに成功している。サビ(コーラス)で聞かれるような癖になるボーカルのフレーズが魅力だ。

 

メインボーカルの節回しは、オペラ風になったり、民謡風になったりと、変幻自在なキャラクターが沢山盛り込まれている。本作のクローズ曲「The Ladder」は、レトロなシンセを活かしたプログレッシヴロックソングで、フロントパーソンやボーカリストとしての存在感が際立った一曲だ。独特なボーカルの節回し、ドラムのパーカッシヴな迫力も然ることながら、この曲には得難い魅力が滲んでいる。


めくるめくようなアンサンブルや全般的な楽曲の展開は、UKプログレッシヴロックの系譜に属しているが、その中でじっと耳を澄ましていると、メインボーカルの音楽的な感性が明瞭に浮かび上がる。そこには、なにか大きく期待すべき音楽性が偏在していることに気がつく。曲のクライマックスでは、EPに似つかわしくない、壮大な音楽的な感性を捉えることができる。まだまだアイディアが沢山あるという感じで、これからの活躍がとても楽しみな存在だ。

 

 

 

80/100 

 

 

 

Courtney Marie Andrews  『Valentine』
 



Label: Loose Future(Thirty Tigers)

Release: 2026年1月16日 

 

・Listen/Stream 

 

Review

 

アリゾナのシンガーソングライター、コットニー・マリー・アンドルーによるニューアルバム『Valentine』は不思議な感覚に満ちている。その楽曲群は、過ぎ去った日々を回顧するかのような興趣に富み、同時に未来を俯瞰するような内容になっている。 アンドルーは、1970年代のフォークロックバンド、フリートウッド・マック、ビッグ・スターなどを参照しつつ、雄大で自然味溢れるサウンドを築き上げている。全10曲は、アンドルーが愛する人の死の淵、重要な関係の終焉、そして新たな恋愛の激動という暗い時期の中で生まれた。彼女はその混乱から逃げるのではなく、それを楽曲制作と芸術に注ぎ込み、献身的で反抗的な音楽を生み出してみせた。

 

深い喪失、感情の激動、そして新たな関係の不安定な始まりという時期に書かれたこのアルバムは、アンドルーの最も傷つきやすく、そして落ち着きのある姿を捉えている。「愛は、年月と信頼、変化の上に築かれるものなのだ」と彼女は言うが、『バレンタイン』は、その苦労して得た明快さを反映している。ジェリー・バーンハートとの共同プロデュース、そして大部分がテープ録音で制作されたこのアルバムは、スタジオでのフルパフォーマンスを収録している。

 

アンドルーのサウンドは、カントリー、フォークのスタイルを織り交ぜたポップ/ロックソングの範疇にある。『Valentine』を彼女の作品らしくしているのが、人生における個人的な愛の解釈であり、それらが歌詞に的確に反映されていることだ。そしてそれこそが、この作品全体に只ならぬ説得力や聴き応えをもたらしている。人間関係の変化や転変をときに素朴に、また、ときに直情的に解釈し、音楽そのものに深みを与えている。アルバムの冒頭から、アンドルーが愛したと思われる人物が歌詞の中に登場し、また、それはアートワークにも暗示されているのだが、これほど直情的な歌詞や歌に接したとき、琴線に触れるなにかがもたらされるはずだ。

 

本作の冒頭を飾る「Pendulum Song」はダイナミックなバラードソング。その人物がシンガーにとってどれほど大きな存在であったかがわかる。そしてこのピアノとドラムで始まるこの曲は、驚くほどダイナミックなプロセスをたどる。素朴なフォークミュージックの質感を残しつつも、ドラマティックな音楽性に至る。内面の静けさと外側の変化との折り合いをつけるために書かれた楽曲とも解釈できるかもしれない。基本的には、ヴァースとサビを交互に配置するというシンプルな構成から成立しているが、この曲のフォークソングのスタイルからは勇敢さや雄大な空気感が立ち上ってくる場合がある。それはシンセサイザーのシークエンスやギターのアルペジオ、そしてドラムが重なり合い、Weyes Bloodのようなドラマティックなサウンドを呼び起こす。「Pendulum Song」はこのアルバム全体の緩やかな物語の序章として成立している。

 

その後、『Velentine』は現代的なフォークロックのスタイルを織り交ぜつつ、中盤の注目曲 「Keeper」、「Cons And Clowns」に至る。前者は70年代のフォーク・ロックのスタイルを選び、一方、後者はビックシーフやマース・レモンのようなインディーロックやフォークのスタイルを図る。そして音楽性も変化に富み、少し物憂げな展開があったり、その後すぐに軽快になったりと、歌手の人生の変遷を暗示させている。その瞬間、他者の中に共通するなにかを見出し、共感を覚えることもあるかもしれない。それはまた、聞き手が、他者の人生を垣間見るというよりかは、追体験したり、自分の中にある人生を重ね合わせ、共鳴する瞬間を得るということである。こういった中で、パーカッションによる工夫を交えたアコースティックギターとボーカルを中心とする「Cons And Clowns」は比較的、多くのファンの心を捉えるに違いない。

 

アンドルーは、普遍的なフォークソングの形式を、アーティスト自らの人生観を徹して探求しているが、最も音楽的に目を惹くのが、古典的なスタイルの中で、革新的なサウンドが出てくる瞬間であろう。「Magic Touch」は本作の序盤のハイライトのひとつ。ドラム、ベース、ギターというシンプルなバンド編成のサウンドが、素朴な質感を持つアンドルーのボーカルと上手く連動しながら、曲の展開を次のステップへと運んでいく。 リズム的な緩急を用いながらも、必要以上に曲をコントロールせず、流れの中で面白い展開を呼び起こすことに成功している。


サビでのコーラスがこの曲の要所となるが、同時に、バックコーラスも主旋律に美麗な印象を添える。シンプルな構成を心がけながらも、かなり細かい箇所まで入念に作り込まれており、これが音楽の印象をドラマティックにしている理由なのだろうか。一見すると、同じようなコード進行や和声進行を用いているように思えるが、一分後半から単調のスケールや調性を用いて、曲の雰囲気がガラリと変化していく。それはミュージシャンとしてのアルバム制作の一つの目標である自分の人生を音楽的な形で象るという目論見が一つの成功をみた瞬間でもある。


コットニー・アンドルーの曲は、ボーカルが歌われている瞬間よりも、ボーカル中心とする楽節から、楽器中心の楽節へと移り変わるときに、圧倒的な雰囲気が出てくることがある。2分序盤からのシンセサイザーの構成がきわめて巧みであり、曲そのものの余韻を長い奥行きのあるシークエンスにより象っている。このあたりは、例えばフリートウッド・マックのサウンドからの影響が顕著に感じられる。この曲の場合はアメリカ南部のような情景を呼び覚ますのである。

 

このアルバムを通じて、アリゾナのシンガーソングライターは、普遍的な音楽性や良いメロディーとは何かを探求しており、それらは続く2曲に反映されている。「Little Picture of a Butterfly」がたとえ、ビートルズやビッグ・スターのようなサウンドを参考にしているとは言え、それらが単なるパティーシュやイミテーションにとどまっているといえば、そうではないだろう。同音反復で和声を分散させるシンセのベースは、ビートルズのようなサウンドでお馴染みのものであるが、コットニー・アンドルーは存在感に溢れる堂々たる歌唱を披露しながら、涙もろい音楽性を呼び起こす。そして、それは長調の和声の中に、独立的に単調を組み込むというポップソングの基本的な形で展開される。ここでは、夢想的な感覚、ほろ苦さ、強さや勇ましさを発揮し、何らかの障壁を乗り越えようとする素敵な歌手の姿を捉えることができる。それはもちろん、聞き手に何らかの形で潤いや勇敢さを与えてくれることは自明であろう。

 

このアルバム、おそらく日本の歌謡曲とも相通じるものがある。私自身はあまり詳しくないのだが、往年の日本歌謡の名シンガーがお好きなファンには、きっと琴線に触れる感覚があろうと思われる。素朴さ、あるいは繊細さや脆さという、いくつかの感情性を踏まえながら、このアルバムは続いていき、「Outsider」ではアメリカーナに古典的な解釈を試みることで、対象的に新しいサウンドを打ち立てる。 これまでスティールギターがアメリカーナの象徴でもあったのだが、アナログシンセサイザーの音色に組み替えることにより神秘的な楽曲へと昇華している。音楽そのものは、70年代のフォークバラードなどにその源流が求められるが、暗さ、温もりなどの感情を交差しながら、日本の歌謡曲にも近い独特な音楽性を呼び込んでいる。いわゆる泣きの要素を交えていて、そこには奇妙な癒やしを見出すことができるはずだ。これこそ、歌手が作曲や制作の際に内面と向き合いながら、今作のテーマを表現しようとした成果でもある。


その後、『Valentine』はフォークソングの基本的な形へと傾倒していく。しかし、音楽そのものは軽妙になったり、もしくは明るくなってくる。これは作品全体をあまりシリアルになりすぎないようにしたり、または、救いのような瞬間を与えようという作者なりの配慮でもあろう。とりわけ、終盤のハイライト曲「Best Friend」では、ワクサハッチーにも通じる秀逸なフォークサウンドを打ち立てている。そしてアルバム全般に言えることであるが、メインボーカルに加えて、バックボーカルが入ったときに、このミュージシャンの音楽の醍醐味が出てくる。

 

牧歌的で広やかなインディーフォークサウンド、南部の雄大な雰囲気、音楽から立ち上るゴスペルのような霊妙さ、それらをこの歌手らしい素朴なサウンドによって縁取っている。そして意外なことに、この曲は、レディオヘッドの初期のアルバム「Fake Plastic Tree」(『Bends』に収録)を彷彿とさせる、ボーカルの旋律進行の影響を明瞭に見出すことができる。スタンダードなフォークミュージックが中心のアルバムでありながら、その一方で、シンガーソングライターのオルタナティヴへのささやかな愛情が映し出された作品である。1月の注目作のひとつだ。

 

 

 

82/100

 

  

 

 

 「Magic Touch」- Best Track

Loscil 『Ash』



Label: Loscil

Release: 2025年11月21日/12月19日



Review
 
 
ティム・ヘッカーと並んで、カナダを代表する電子音楽プロデューサー、Loscilの最新作『Ash』は、従来通り、アンビエント/ミニマルテクノですが、視覚的な効果を追求した作品と言えます。ベテランプロデューサーとしての技量と重厚な音楽観が凝縮された一作です。アルバムを購入すると、フォトジンが付属していて、そこには、印象的な写真が収録される。今作でロスシルの名を冠するスコット・モルガンさんは音楽と写真を合体させた新たな分野に挑戦しています。
 
 
旧来は、ギターのリサンプリングやモーフィングを中心に楽曲制作を行ってきたロスシルですが、アルバムは、推察するに、シンセサイザー中心の作品となっているようです。ミニマル・テクノに属する短いシークエンスが長尺のトラックを形成していますが、この数年プロデューサーが取り組んでいたトーンの繊細な変化や波形の微細なモーフィングなどを介し、変化に富んだドローンのトラックがずらりと並んでいます。音楽的には、ダークウェイヴとも称すべき短調中心の曲と、対象的に清涼感すら感じさせる長調のドローンが並置されています。こういった対比的な曲調を並べるのが、2025年のアンビエント/ドローンのシーンの主流になりつつある。
 
 
アルバムのタイトル、及び曲のタイトルは、全般的に火にまつわる内容となっている。6曲で40分という聞きごたえたっぷりの内容となっています。「Smoulder− 燻る」、「Carbon- 炭素」、「Soot-煤」など象徴的なタイトルが並んでいます。しかし、それとは対象的に、「Crown- 王冠/王位」、「Cholla− サボテン」もあり、最後は、「Ember- 残り火」で終わる。もしかすると、このアルバムには謎解きのようなミステリアスな意図が込められているのかもしれません。実際の作風は、ロスシルの一般的なアンビエント/ドローンに属していますが、最近の作品は、硬質でメタリックな重厚感に満ちていて圧倒的です。もちろん、それは『Ash』についても同様でしょう。また、ロスシルは最近、シンセサイザーなどを介して、パイプオルガンのような音響を再現することもある。それは全般的には、表立って出てこないものの、最後に暗示的に登場します。
 
 
アルバムを聴いていて思ったのは、昨今のロスシルは、音響工学に属するアンビエントを志しているのではないかということです。そこには音がどのように響き、増幅されていくのかという音響学の視点が備わっている。また、音のサステイン(持続)をどう続けるのか、音響そのものをどう反響させ、減退させ、収束させ、消えさせるか。音が立ち上がる瞬間だけではなく、音が消え入る瞬間にも細心の注意が払われています。プロデューサーという観点から言えば、ソフトウェアの波形のモーフィングにその点が反映されています。音が鳴っている瞬間にとどまらず、音が減退する瞬間や消えゆく瞬間に力が込められていて、スリリングな響きが発生します。こういった音響学的な制作者の興味が「火」というテーマに沿って形作られています。
 
 
短いシークエンスが組み合わされ、徹底的にオスティナート(反復)されるに過ぎないのに、ロスシルの卓越したプロデュースの手腕は、さほど個性的ではないモチーフですら、興味深い内容に変貌させ、最後には、マンネリズムとは無縁の代物になってしまう。波形のデジタル処理やトーンの変調により、驚くべき微細な波形の変化が作り出されています。これは電子音楽による、もしくはプロデュースによる、バリエーション(変奏)の手法と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
「Smoulder」を聴くと、荒涼とした風景を思わせるサウンドスケープがイントロに配される。これが曲の根本的な骨組みとなっています。しかし、ドローンのパッドは音量的なダイナミクスの変化を経て、音が発生した後すぐ静かにフェードアウトしていき、その合間に別のシークエンスが登場します。2つのパッドが重なりながら音楽が同時に進行していく。音楽的には、重苦しさや暗鬱さもあるが、同時に力強さもある。その音量的な変化の中で、パンフルートのような音色を用いた3つ目の旋律も登場し、音楽的な印象を決定づける。例えば、ポップやロックソングでは、イントロの後の2、3小節で行うことを、独特なディレイの方式により丹念に行っています。その結果として、映像音楽のように、なにかを物語るような音楽が完成します。


一連のミニマル・テクノの作風の中で、短調のハーモニーを形成させ、静寂の向こうから重厚感のあるドローンの旋律を登場させる。同じ構成がずっと続くようでいて、その過程で微細な変奏を用いている点に驚かされる。短調の悲哀のある印象音楽は、5分以降はその表情を変え、清涼感のあるサウンドスケープに変化していく。明らかに描写的な音楽と言え、大規模火災のような情景を想起させることがあり、それはまた追悼的な意味合いが感じられることもあるでしょう。
 
 
 
二曲目「Carbon」は中音域の持続音に高音域の持続音を付け加え、イントロからロスシルにしかなしえないオリジナリティあふれる音響を作り出す。音楽的な印象そのものは、一曲目と同様に物悲しさに満ちていますが、そのトーン自体からは精妙な感覚も感じ取られる。そして同じように複数のドローンの旋律を重ね合わせ、倍音を作り出し、それらをハーモニーに見立てる。


同様の音楽的な手法が用いられていますが、この曲の面白さは、テクノ的な音の配置にあるようです。永遠に続くかと思われたドローン音が消え去り、静寂が現れると、2分20秒以降では、Burialが使用したようなダブステップの音色がスタッカートのような効果を強調させ、曲のキャンバスに点描を打つ。Andy Stottのようなインダストリアルなテクノの影響が加わり、特異な音響を生み出す。こういった試みは、以前のロスシルの作風には多くは見いだせませんでした。そして、ダブ的なプロデュースの方法を使用し、その残響を強調し、ドローンとして続く。このあたりには、レゾナンス(残響)を巧みに活用しようという制作者の美学が反映されています。また、後半でも、複数の持続音を組み合わせる、カウンターポイントの手法が見出されます。
 
 
 
音楽の基礎としては、1小節目や2小節目において、曲の気風や印象を明瞭に提示するというのが常道です。しかし、それを逆手にとった音楽は古今東西存在している。「Crown」ではその固定概念を覆す。シンセの倍音の音域を増幅させ、煉獄的とも天国的ともつかない中間域にある音楽を作り出す。こういう音楽は、聞き手の感情に訴えかけるのではなく、聞き手の理性に根ざした音楽と言えます。感情の内側にある魂に到達し共鳴する音楽なのです。催眠的な音楽効果も含まれていますが、むしろ制作者が体現したかったのは形而下の内容なのではないでしょうか。


この音楽は、2000年代くらいにあったアンビエント曲を彷彿とさせ、それは聴く人によって印象が様変わりする。「明るい」と思う人もいれば、「暗い」と思う人もいるかもしれません。そして、クワイア(声楽)を模したシンセサイザーの音色が響き、それはやはり特異な印象を帯びる。これらは「音楽の一般化」という概念に対抗するような内容となっているのは確かです。つまり、音楽を決められたように作らないというアイディアが盛り込まれています。全体的なプロデュースの手腕も優れていて、洞窟や高い天井のようなアンビエンス(空間性)を再現しています。こういった曲を聴くと、アンビエントのトラックを制作する時は、''どのような空間性を作りたいのか''というシミュレーションが不可欠であることが理解していただけると思います。
 
 
全般的には、アンビエントともドローンとも言える、その中間点に属する曲が続いた後、いかにもロスシルらしい個性派の曲が登場します。「Soot」はまさしく、このプロデューサーの作品でしか聞けない内容で、ロスシルのファンにとっては避けては通れない内容です。特に、2000年代以降の作品より重力が加わり、メタルのようなヘヴィな質感を帯びていて素晴らしい。従来から制作者が追求していた重みのあるドローン音楽が集大成を迎えた瞬間であり、迫力満点です。文章がその人を体現するとよく言うことがありますが、音楽もまたそれは同様です。そして、この曲の場合は、単なる付け焼き刃ではなく、自然と獲得した人物的な重厚感なのでしょう。


総じて、こういった類いの曲は、扇動的な音楽を意図すると、ノイズや騒音に傾倒しがちなのですが、重力を保ったまま、心地よい精妙なトーンやハーモニーが維持されているのが美点です。本作の冒頭曲のように荒涼とした大地を思わせる抽象的なドローンが徹底して継続されるが、それは先にも言ったように空虚さとは無縁であり、むしろ陶然としたような感覚をもたらす。音量的にはダイナミズムを重視しつつも、その中には奇妙な静けさと落ち着きが含まれる。これこそ長く続けてきた制作者やプロデューサーにしか到達しえない崇高な実験音楽の領域。
 
 
 
16分以上の力作が並んだ最後の二曲は圧巻です。 「Cholla」は、前の四曲とは対象的に、それらの地上的な風景から遠ざかり、天上的で開けた無限の領域に属する音楽性が強調される。 音楽だけに耳を傾けると、誰にも作れるように思えますが、実はこういった曲は、簡単にはなしえません。これこそ、余計な夾雑物を選り分けた後に到達する崇高な領域です。このアルバムで登場した複数のシークエンスが同時進行するカウンターポイントの形式は、カンタータのようなクラシックやジャズとの融合を試みる、新しいアンビエントの形式が台頭した瞬間です。少なくとも、2025年のこのジャンルの曲の中では傑出していて、開放的な空気感に満ちています。
 
 
それは自然の鮮やかな息吹、美しさや崇高さという本作の副次的なテーマを暗示している。この曲を聴いて覚える解放的な感覚や心が晴れやかになる瞬間こそ、このジャンルの醍醐味と言えるのではないでしょうか。人間の魂が、自然と調和し、共鳴するような素晴らしいモーメントを体験することが出来ます。それはまたヒーリングというこのジャンルの副次的な効果をもたらす。
 
 
「Ember」もマニアックではありますが、他の制作者には簡単には作れない曲でしょう。地の底から鳴り響くかのような重厚感のある低音のドローン、その後、教会のパイプオルガンのような主旋律が作曲の首座を占める。これは現代的な感性に培われた電子音楽の賛美歌のようです。通奏低音を徹底的に引き伸ばし、その上に複数の持続音を重ねていくという手法が見出せます。


こういった作風は、現代音楽などでは既出となっていますが、ロスシルは、それらを最も得意とする電子音楽の領域に導き入れる。ドローンの基本的な持続音の形式に属していますが、特に曲の終盤でのフェードアウトしていく瞬間に着目です。音像がフィルターによりだんだん曇り、ぼかされ、ロスシルのモーフィングの卓越した手腕が遺憾なく発揮されています。また、この曲は一曲目「Smoulder」と呼応していて、円環型の変奏形式をひそかに暗示する。冒頭でも述べたように、未知の音響体験といえるのではないでしょうか。かなりの力作となっています。
 
 
 




▪️過去のインタビュー

LOSCIL'S COMMENTS ON THE NEW EP UMBEL   新作EP「UMBEL」に関するロスシルのコメントをご紹介


▪️レビュー


 LOSCIL 「THE SAIL'S,PT.1」


LOSCIL - 『UMBEL』 EP:  バンクーバーのアンビエントの重鎮による重厚なドローン

Taylor Dupree ・ Zimoun 『Wind Dynamic Organ, Deviations』


 
Label: 12K
Release:2025年12月5日
 
 
 
Review
 
 
12kはニューヨークのインディペンデント・レーベルで、テイラー・デュプリーによって1997年に設立された。それ以降、世界的にも希少なアンビエントに特化した実験音楽レーベルとして名を馳せてきた。実験音楽やアンビエントに携わる者にとっては、羨望の的となるレーベルとも言えるでしょう。


スイスのアーティスト、Zimoun(ジモン)、そして、レーベル・オーナーによる共同アルバムは、Tim Hecker(ティム・ヘッカー)を彷彿とさせるアブストラクトなアンビエントを中心とした難解なアルバムとなっている。しかし、同時に、ある程度の聞きやすさが担保される作品ではないか。
 
 
全般的なアンビエントの制作のスタイルとしては、アナログ/デジタルに依らず、シンセサイザーを用いたり、ギターからテクスチャーを生成し、リサンプリングのような手法でノンビートとして抽出したり、フィールドレコーディングから組み立てたり、また、ボーカルアートのような形式を採るものなど、多岐にわたる。今作は、スイス/ベルン大聖堂に設置されているオルガンが録音に使用されたという。パイプオルガンのような楽器は、鍵盤楽器と吹奏楽器の両方の性質を兼ね備え、これらの奏法の性質を活用している。『Wind Dynamic Organ, Deviations』に関しては、吹奏楽器の性質を強調させて、オルガンの名にあるように、風のような効果を発生させている。


本作は、アンビエントを未来の前衛音楽として解釈させるにとどまらず、無限に拡大する音響を、録音としてどのポイントから収めるのか、その収めた音をどのように聴かせるかに焦点が置かれる。要するに、レコーディング/マスタリングにおける壮大な実験が行われたとも言えるかもしれない。
 
 
 
本作は、六つの変奏曲/組曲の形式により展開される。全般的には、アンビエントのシークエンスをトラックの背景に敷き詰め、その中で、メインの楽器となるオルガンのトーンや音のコントラストがどのように変化していくかの実験が試みられている。


『Ⅰ』は、Tim Hecker、畠山地平に類するドローンノイズが敷き詰められ、 オルガンがあるポイントから現れたり、また、しばしば消えたりというように、カウンターポイントのような複声部の形式が敷かれている。


その音響は、工業的な響きを形作り、無機質な音の連なりを生み出す。これは全体的に、現代的な建築を目の当たりにしたときのような、スタイリッシュな雰囲気を添える。こういった都会的な響きは、William Basinski(ウィリアム・バシンスキー)のドローンテクスチャーを彷彿とさせる。またトラック全体には、微細なノイズが敷き詰められ、クリアトーンとノイズが混在している。これらの本来であれば、相反する音を組み合わせ、混沌とした音の渦を作り出す。どうやって作るのかといいたくなるほど。
 
 
 
また、「Ⅱ」では、ドローン/ノイズの性質がさらに強調付けられる。ホワイトノイズやヒスノイズといった本来のデジタル録音であれば除去される音を強調させ、本来は醜悪とされる概念の向こうに美しさを投射する。


さながら、それは1つの考えの転換のようなもので、2つの対極に位置する考えが相似する概念であることを伺わせる。そして、本来であれば倦厭されるノイズの背景に、それとは対象的に、古典的なオルガンの音色を配置し、天上的な楽の音を登場させる。オルガンの演奏は、トーンの変調を交えながら、色彩的なコントラストを作り出す。この絶妙なコントラストは、作曲論や方法論に終始しがちな昨今のアンビエントに、新鮮なニュアンスをもたらしている。
 
 
「Ⅲ」では、同じ類いのノイズを用いながら、風や嵐のような鋭い音の効果を持つアンビエンスを強調させている。しかし、同じような音楽的な手法を用いようとも、全体的な印象は、きわめて対照的となっている。


この曲では、ゴシック・メタルのようなダークな雰囲気、まるで空を雲が覆い、情景が少しずつ移り変わっていくような時間の経過が含まれる。「Ⅰ」に見い出せるカウンターポイントが生じ、オルガンの持続音が向こうに現れたかと思えば、また立ち消え、別の方向から異なる持続音が出現する。
 
 
 「Ⅳ」のイントロでは、シネマティックな音楽がイントロに配置される。抽象度としては、前の三曲よりもはるかにこちらの方が高い。まるで印象派のような絵画的な音のコントラストは、全般的にはモノトーンにより表出されるが、その中で微細な音の変調を織り交ぜ、水墨画のような音の玄妙な世界を作り出す。アブストラクト・アンビエントの真骨頂のようなトラックである。現代音楽や実験音楽の極北とも呼べる手法により、アヴァンギャルドの最前線を行く。


しかし、ドローン/アンビエントの手法は、必ずしも恣意的な内容ではなく、計算され尽くしている。全体的な音のパレットの中で、印象音楽のような音のマテリアルが配置され、茫漠とした荒野のような情景の中に豆粒のような何かが動き回るように、副次的な音楽が展開される。それは一つの音の世界の扉を開くと、また、もう一つ神秘的な世界が現れ、どこまでも果てしなく、その世界が続いていくかのような奇妙な感覚をおぼえる。こういった無限を感じさせる音楽はアンビエントならではのもの。
 
 
 「Ⅴ」では、こもった音像を駆使し、外側に放射される音響ではなく、それとは対象的に内側に向かう音響を強調し、内省的なサウンドが繰り広げられる。フィルターのような装置を用いながら、全体的な音像をわざと曇らせ、ある意味では、バシンスキーの系譜にあるような、音響を解体するような試みが行われる。これは「ミュージック・コンクレート」の一貫とも解釈出来る。


しかし、他の曲と同様に、全般的なハーモニー、調和、そして均衡は維持されている。ぼんやりとしたシークエンスの中でも、なにかしら二人の製作者の美学のようなものが揺らめき、せめぎ合いながら、この曲の全体的なバックグラウンドを支えている。こういった曲は、ノイズ/ドローンの名手、ニューヨークのプロデューサー、ラファエル・イリサーリの手法に準じている。また、曲の後半では、オルガンの持続音が徹底して強調され、このアルバムの核心のようなポイントが現れる。美しさとも醜さともつかない、一般的な価値観を超越したイデアを提示する。二項対立の音楽だ。
 
 
作曲的な側面としては、クローズを飾る「Ⅵ」が傑出している。この曲では、ミニマリズムの音形を反復させ、アシッドハウスのようなエレクトロニックに手法を駆使し、その中で、オーボエのような木管楽器の音色を登場させる。一般的には、ジャズとアンビエントをクロスオーバーさせた曲で、依然としてアンビエントのウェイトが強い。全般的なトラックのマスタリングも秀逸で、微細なディレイや波形の反復を用いつつ、特異な音響を得ることに成功している。
 
 
『Wind Dynamic Organ, Deviations』は、12kらしいアルバムで、生の録音とプロデュース的な手法が見事に合致し、世にも稀な実験音楽が登場したと称せる。アンビエント/ドローンの音楽は、あらかじめ計画された構想や反復的なストラクチャーから、予期せぬ”偶然の要素”が出てくる瞬間が一番楽しい。実のところ、本筋や本道からそれた時、予想外の風景に出会い、未知の魅惑的なサウンドスケープが出てくる。合理主義とは対極にある本物のアヴァンギャルド精神が貫かれる。偶発的な音の発生を散りばめたチャンスオペレーションの要素が、本作の六つの変奏曲を通じて、ひっきりなしに出てくる。アンビエント/ドローンの面白さを改めて体感するには、うってつけの作品と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
86/100 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
Details:
 

 
スイスのアーティスト、Zimoun(ジモン)は、スイス/ベルンに設置されたユニークな楽器「ウィンド・ダイナミック・オルガン(プロトタイプIII)」と共に過ごす光栄と喜びを得た。過去数年にわたり、彼はこの楽器を探求し録音する機会を与えられたのだった。 結果、2枚のアルバムが生まれた。ソロ作品『Wind Dynamic Organ, One & Two』(12k2061)と、 Taylor Dupree(テイラー・デュプリー)とのコラボレーションによる本作『Wind Dynamic Organ, Deviations』である。


ジモンはこの体験を語る。

「ダニエル・グラウスとそのチームが開発した真に傑出した驚異的な楽器『ウィンド・ダイナミック・オルガン プロトタイプIII』と、長期にわたり定期的に関わる素晴らしい機会に恵まれました」


「従来のオルガンとは異なり、各パイプへの風圧と空気量を能動的・継続的・動的に形成できるため、音色は単にオンオフされるだけでなく、発音中に変調されます。 これにより、ダイナミックな音の進化を操作したり、実際の音色の境界領域で音を生成したり、純粋な空気ノイズやきらめくさざめきを統合することが可能になる」


「鍵盤のストロークは音の立ち上がり(アタック)を変え、ストップを変更せずに、明瞭にアクセントの効いた音形から溶け合った音の帯へとシームレスに移行させる。こうして、現在の風圧に反応する、空気感あふれるノイズ・トーンのテクスチャーや、ちらつきながら振動する倍音の雲が生まれた」


『Deviations」は二人のアーティストがオルガンを出発点として、楽器の音の特性を掘り下げ、テクスチャーを強調/変容させ、新しさを作り出すための変奏を展開。オルガンはスイス・ベルン大聖堂に設置。スイス国立科学財団の支援を受け、オルガニスト兼作曲家ダニエル・グラウスの指導のもと、ベルン芸術大学(HKB)の研究プロジェクトの一環として開発・製作された。