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NYCのインディーロック・バンド、Frankie Cosmosが6作目のアルバム『Different Talking』の知らせを引っ提げて復帰を果たした。今作はサブ・ポップから6月27日に発売予定。またレーベルの説明によると、現時点のバンドのベストアルバムであるという。

 

断片的な記憶、思い出の場所、再解釈された感情が、明晰でハミングするような全体像に集約されている。年齢と時の流れをテーマにした骨太で世俗的なインディー・ロックでありながら、鋭く今を感じさせる。

 

フランキー・コスモスの現在のメンバーは、グレタ・クライン、アレックス・ベイリー、ケイティ・ヴォン・シュライヒャー、ヒューゴ・スタンレー。

 

クラインは唯一不変の存在だが、スタンリー、ベイリー、フォン・シュライヒャーは重要なコラボレーターだ。「グレタ・クライン」と「フランキー・コスモス」という名前を使い分けるのは正しくないだろう。クラインが主要なソングライターであることに変わりはなく、『ディファレント・トーキング』の楽曲はバンド全体がアレンジしているが、このアルバムは外部のスタジオ・プロデューサーを起用せず、ユニットがセルフ・トラッキングした初のアルバムである。

 

 

リード・シングル 「Vanity 」は、プロダクションとソングライティングに対する完璧主義者のアプローチを例証している。

 

 フォン・シュライヒャーはこの曲を「クソみたいなポップ・アンセム」と表現しているが、ポップ・アンセムにここまで細部にこだわった曲があるだろうか?

 

「Vanity」は余裕と忙しさを同時に感じさせる曲で、初期のフランキー・コスモスのテープを思い起こさせるようなミニマルな好奇心のパッセージの間に、セカンドアルバム『Strokes』のコーラスが花を咲かせている。

 

「ある晩、トンプキンス・スクエア・パークからサンセット・パークまで(約6.5マイル)歩きながら、宇宙に直接語りかけ、宇宙から配慮してもらえるよう嘆願しながら書き始めた」とクラインは言う。「大人と子供、政府と被統治者、惑星と草の葉の間の押し引きを包括しているように感じる」

 

ディファレント・トーキングのレコーディング中に編集され、フランキー・コスモスのメンバーであるグレタとアレックスが撮影した映像を使用した「Vanity」の公式ビデオをご覧ください。


「Vanity」


 

 

Frankie Cosmos  『Different Talking』


Label: SUB POP

Release: 2025年6月27日

 
Tracklist

1. Pressed Flower
2. One of Each
3. Against the Grain
4. Bitch Heart
5. Porcelain
6. One! Grey! Hair!
7. Vanity
8. Not Long
9. Margareta
10. Your Take On
11. High Five Handshake
12. You Become
13. Joyride
14. Tomorrow
15. Wonderland
16. Life Back
17. Pothole

 Mamalarky 『Hex Key』


Label: Epitaph

Release: 2025年4月11日

 

Listen/Stream

 

Review


ロサンゼルスのMamalarkyは米国のパンクの名門レーベル、Epitaphと契約を結んで『Hex Key』を発表した。カルテットはおよそ8年間、LA、オースティン、アトランタに散らばって活動してきた。いつも一緒にいるわけではないということ、それこそがママラーキーのプロジェクトを特別なものにしたのか。ママラーキーのドラマーを務めるディラン・ヒルは次のように述べています。「私達は互いに大きな信頼を持っている。しかし、プロフェッショナルな空気感はありません。文字通り、四人の友人がブラブラして、なにかの底にたどり着くという感じです」

 

結局、ママラーキーの音楽の魅力は、雑多性、氾濫性、そして、クロスオーバーにあると言えるでしょう。ネオソウル/フィーチャーソウル、そしてパンクのエッセンスを込めたインディーロック、サイケ、ローファイ、チルウェイブなどなど、ベイエリアらしい空気感に縁取られている。


かしこまりすぎず、開けたような感覚、それがMamalarkyの一番の魅力である。これは、1960~70年代のヒッピームーブメントやフラワームーブメントのリバイバルのようでもある。ロックソングとしては抽象的。ソウルとしては軽やか。そして、チェルウェイブやローファイとしては本格的……。ある意味では、ママラーキーは、これまでにありそうでなかった音楽に、アルバム全体を介して挑戦している。明らかにロンドンっぽくはないものの、新しいカルチャーを生み出そうという、ママラーキーの独自の精神を読み取ることが出来るはず。これらは、異なる地域から集まった秀逸なミュージシャンたちのインスタントな音楽の結晶とも言える。

 

アルバムのオープニングを飾る「Broken Bones」はママラーキーの挨拶代わりの一曲である。サイケデリックな風味を持つインディーロックソングで、ベネットのボーカルは明らかにこの曲に新鮮なテイストを付け加えている。ハードロック、ポップ、プログレッシブ・ロック、いずれでもない宇宙的な壮大な感覚を持つボーカルを提供し、バンドサウンドの中に上手く溶け込んでいる。必ずしも歌をうたうというのではなく、ベネットのボーカルはごく稀に器楽的な役割を果たすことがあり、ジャズのスキャットをロック的に解釈した「ラララ〜」などのボーカルは、このアルバム全体のリスニングをする際に強烈な印象を残すかもしれない。これはママラーキーが音楽を難しく考えすぎず、ゆるく構えるというスタンスを持つことの証立てとなる。


しかし、アンサンブルとしては、プロフェッショナルで、高い演奏力を誇る。専門的ではないからこそ、インスタントなスタジオのジャムなどで高いレベルを追求してきたことが分かる。というよりも、楽しんでいたら、いつの間にか高いレベルに到達していたということかもしれません。これらはバンドとしての存在感を示すにとどまらず、ライブアクトとしても一定のエフェクトを及ぼしそうな雰囲気が出ている。つまり、バンドとしてのスター性は十分と言える。

 

''インディーロックバンド''と単に紹介するのは、Mamalarkyに礼を失するかもしれない。特に、このバンドは、Funkadelicやジョージ・クリントン界隈のファンク/ソウルの音楽性が強まることがある。序盤に収録されている「Won’t Give Up」、そして後半に収録されているメロウでアーバンな雰囲気を持つソウルバラード「Take Me」などは、アルバムの隠れたハイライトとなりえる。


そんな中で、チルウェイブやダンス・ミュージックの影響を絡めたスペシャルな音楽性も目立つ。そして、ロックソングという全体的な枠組みの中で、西海岸の幻想的で魅力的な光景を思い起こさせる曲も収録されている。心地よいヨットロック風のギターで始まる「The Quiet」は、その好例であり、テキサスのKhruangbin(クルアンビン)の音楽性をわずかに彷彿とさせる。しかし、このバンドの場合は、アフロソウルの要素は少し薄く、サザンソウルの渋さが漂う。これが近年のロックバンドとは異なる、''ビンテージに根ざしたモダン''という新しい要素を示唆するのである。もちろん、かっこよさや渋さという側面でも音楽全体に奥行きを与えている。

 

サイケデリックな要素が強まるタイトル曲「Hex Key」を聴くと、このアルバムの楽曲の多くはママラーキーの一面が表れ出たものに過ぎないと思わせる。ドラムに深いフィルターをかけ、ダンスミュージック的なサウンド処理を施し、その中でハイパーポップのようなトリッピーな音楽が展開される。 その中で、ボーカルは、ドリームポップに近づいたり、バロックポップに近づいたりと、まるで海の中を漂うかのように、音楽性を変貌させていく。例えば、海を泳いでいると、地上から降り注ぐ太陽によって海の中の景色が変わったりする。ママラーキーの音楽は、そういった類のもので、決め打ちをせず、バリエーションに富んだ音楽を展開させていく。


ベッドルームポップ風のインディーロックがお好きなリスナーには「Anhedonia」がおすすめ。軽妙なインディーロックソングを本曲では堪能することが出来る。しかし、先にも行ったようにソウルやファンクの要素が強い、この曲では特に、アフロソウルを反映させ、奥行きのある音楽に仕上げている。ビンテージレコードのようなアナログライクなプロデュース方法によって。

 

先行シングル「#1 Best of All Time」はママラーキーの魅力を体現している。ローファイ、チルウェイブといったベイエリアらしい音楽性に加え、 ママラーキーとしては珍しくドライブ感のあるパンキッシュなサウンドを展開させる。ミュージックビデオもユニーク。ロサンゼルスのストリートをオープンカーでバンドメンバーが疾走するという構成である。おそらく、現在、最も新しい西海岸の音楽を確立しようとしているのは、このバンドなのではないか。そのほか、アルバムの終盤もかなり聴き応えがあり、ママラーキーのポテンシャルの高さを伺わせる。

 

 

 「#1 Best of All Time」

 

 

 

「Take Me」は、4/8のバロックポップを下地にし、ソウル/ファンクバンドの性質が強まる。ボーカルも本格派のソウルで、聞き入らせる何かがあるかもしれない。ベースのヌーラ・カーンの演奏はファンクの跳ねるようなリズムをもたらし、そして、その上にローズ・ピアノの同音反復が続く。ドラムのしなやかな演奏もバッチリで、全体的なカルテットの演奏が傑出しているため、ボーカルが安心して遊び心のある歌唱を披露出来る。この曲ではインスタントな録音のバンドでは体験しえない、バンドとしての演奏の深さを堪能することが出来るはずである。

 

 

アンサンブルとして変拍子を組み込む場合があるのに注目したい。「MF」はフレーズごとに拍子を変え、カクカクとしたプログレッシヴなロックを提示している。そして、この曲の面白さは、ミルフィーユのような構造性にある。一つの音楽を捉えると、その向こうに別の音楽がまた一つ現れるということ。全体的にはサイケなプログレということも出来るでしょうが、曲のイメージとしてはドリーミーでファンシーな感覚に満ちている。こういった''体感的な音楽''という論理性だけで語り尽くせぬママラーキーの特性を掴むのには最適なトラックとなるかもしれません。


続いて「Blow Up」は、Deerhoofの最初期を想起させるローファイなインディーロック性に縁取られている。拡張器を思わせるボーカルのエフェクトをかけたりと、プロデュースの側面でもユニークさが際立ち、全体的な音楽の構造は入り組んでいるが、その中にはライブセッションからもたらされるルーズな感覚やラフな感覚に満ち溢れている。これらの''かっちりしすぎない''という要素はロックソングの醍醐味。70年代のロックにはあった魅力、それをママラーキーはきわめて感覚的に習得し、それらを現代のレコーディングで再現している。非常にお見事。

 

 

アルバムの後半では、インディーロックやプログレッシヴなロックの影に隠れていた本格派のビンテージソウルバンドとしての一面を見せる。「Blush」、「Nothing Lasts Forever」はロンドンのソウルやリトル・ドラゴンのような北欧のフューチャーソウルのバンドの完成度に肩を並べている。また、後者の楽曲は、Clairoの最新アルバムの音楽的なアプローチと重複する部分もある。特に、ファンクの文脈の中で繰り広げられるワウのギターが凄まじい。これらはジミ・ヘンドリックスが洗練された新しいモダンなサイケロックの一つの形とも言えるかもしれません。


ポップソングと80年代のディスコソウルを結びつけた「Feels So Good」もハイレベルに達している。ジョージ・クリントン周辺のバンド、あるいはカーティス・メイフィールドのバンドのようなコアなグルーヴを体感することが可能である。ママラーキーのアンサンブルの能力は、圧倒的に高いレベルにあるが、それらはすべて感覚的な表現としてバンドの演奏に定着している。

 

頭で考えてそれをやるというよりも、演奏を通じて自然に新しいものが溢れ出てくるというのは、彼らがインスピレーションを元にして音楽を制作している印象である。「バンドメンバーの目をしっかりと見つめて、次のテイクを信じられないものにしよう」というリヴィ・ベネットの言葉は、「Feel So Good」に明確に反映されている。この曲では、ボーカルの持つメロディーの良さに加えて、バンドアンサンブルとしての最も刺激的な瞬間を味わうことが出来ます。

 

レコーディングを体験のように捉えているのが『Hex Key』の音楽をアグレッシヴにしている理由なのでしょう。たぶん聴くたびに印象が様変わりするようなユニークな風味を感じ取ることが出来るはず。本作の最後を飾る「Here's Everything」も海岸のムードたっぷり。ヨットロックを彷彿とさせるディレイとリバーヴをてきめんにきかせたイントロで始まり、サイケソウル風の音楽へ変遷していく。と、同時に、次のアルバムに向けた伏線を残しているような気がします。”含みがある”といえば、少し誇張になるかもしれませんが、次の作品にも期待が持てますね。 



 

88/100

 

 

 「Nothing Lasts Forever」

Black Country, New Road 『Forver Howlong』 



Label: Ninja Tune

Release: 2025年4月4日


Review

 

ファーストアルバム『For The First Time』では気鋭のポストロック・バンドとして、続く『Ants From Up There』では、ライヒやグラスのミニマリズムを取り入れたロックバンドとして発展を遂げてきたロンドンのウィンドミルから登場したBC,NR(ブラック・カントリー、ニューロード)。


マーキュリー賞へのノミネート、それから、UKチャート三位にランクインするなど高評価を獲得し、さらには、フジ・ロック、グリーンマン、プリマヴェーラを始めとする世界的なフェスティバルでライブ・バンドとしての実力を磨いてきた。すでにライブ・パフォーマンスの側面では世界的な実力を持つバンドという前提を踏まえ、以下のレビューをお読みいただければと思います。

 

メンバーチェンジを経て制作された三作目。フジロックでの新曲をテストしたりというように、バンドは作品ごとに音楽性を変化させてきた。ロンドンではポストロック的な若手バンドが多く登場しており、BC,NRは視覚芸術を意図したパフォーミング・アーツのようなアルバムを制作している。また、ブッシュホールでの三日三晩の即興的な演奏の経験にも表れている通り、即興的なアルバムが誕生したと言えるかもしれない。メンバーが話している通り、スタジオ・アルバムにとどまらない、精細感を持つ演劇的な音楽がアルバムの収録曲の随所に登場している。音楽的に見ると、三作目のアルバムではバロックポップ、フォーク、ジャズバンドの性質が強められた。これらが実際のライブパフォーマンスでどのような効果を発揮するのかがとても楽しみ。

 

今回、バンドはミニマリズムを回避し、ジョン・アダムスの言葉を借りれば、ミニマリズムに飽きたミニマリスト、としての表情を伺わせる。しかし、全般的にはクラシック音楽の影響もあり、アルバムの冒頭を飾る「Besties」ではチェンバロの演奏を交え、バロック音楽を入り口として即興的なジャズバンドのような音楽性へと発展していく。ボーカルが入ると、バロックポップの性質が強くなり、いわばメロディアスな楽曲の表情が強まる。一曲目「Besties」は新しい音楽性が上手く花開いた瞬間である。


一方で、ビートルズの中期以降のアートロックを現代のバンドとして受け継いでいくべきかを探求する「The Big Spin」が続く。「ラバーソウル」の時代のサイケ性もあるが、何より、ピアノとサックスがドラムの演奏に溶け込み、バンドアンサンブルとして聞き所が満載である。新しいボーカリスト、メイ・カーショーの歌声は難解なストラクチャーを持つ楽曲の中にほっと息をつかせる癒やしやポピュラー性を付与する。


そういったバンドアンサンブルを巧緻に統率しているのがドラムである。現在のバンドの(隠れた)司令塔はドラムなのではないか、とすら思わせることもある。散漫になりがちな音楽性も、巧みなロール捌きによって楽曲のフレーズにセクションや規律を設けている。上手く休符を駆使すれば最高だったが、音楽性が持続的な印象が強いのは好き嫌いが分かれる点かもしれない。休符が少ないので、音楽そのものが間延びしてしまうことがあるのは少し残念な点だった。

 

そんな中で、これまでのBC,NRとは異なり、ポピュラー性やフォークバンドとしての性質が強まるときがある。そして、従来のバンドにはなかった要素、これこそ彼等の今後の強みとなっていくのでは。「Socks」では60〜70年代のバロックポップの影響をもとにして、心地よいクラシカルなポピュラーを書いている。メロディーの良さという側面がややアトモスフェリックの領域にとどまっているが、この曲はアルバムを聴くリスナーにとってささやかな楽しみとなるに違いない。そしてこの曲の場合、賛美歌、演劇的なセリフを込めた断片的なモノローグといったミュージカルの領域にある音楽も登場する。 これらは新しい「ポップオペラ」の台頭を印象づける。


次いで、クイーンのフレイディ・マーキュリーのボヘミアン的な音楽性を受け継いだ曲が続いている。「Salem Sisters」は「ボヘミアン・ラプソディー」の系譜にあるピアノのイントロで始まり、その後、アートポップやジャズ的なイディオムを交えた前衛的な音楽が続いている。一曲目と同じように、チェンバロの演奏も登場するという点ではジャズとクラシック、そしてポピュラーの中間域に属する。ボーカルは優雅な雰囲気があり素晴らしく、この曲でもドラムの華麗なロールが楽曲に巧みな変化や抑揚の起伏を与えている。いわば、BC,NRの目指す即興的な音楽が上手く昇華された瞬間を捉えられる。そして曲の後半部にかけて、ボーカルはミュージカルに傾倒していく。いわば、このアルバムの中核を担うシアトリカルな音楽の印象が一番強まる瞬間だ。

 

 アルバムの中盤では中性的なアイルランド民謡に根ざしたフォーク/カントリーミュージック「Two Horses」、「Mary」がアルバムの持つ世界観を徐々に拡張させていく。そして同じタイプの曲でも調理方法が異なり、前者では変拍子を交えたプログレッシブな要素、さらに後者では、ジャズやメディエーションのニュアンスが色濃い。また、賛美歌やクワイアのような聴き方も出来るかもしれない。すくなくとも、それぞれ違う聴き方や楽しみ方が出来るはずだ。

 

ブラック・カントリー、ニュー・ロードの掲げる新しい音楽が日の目を見た瞬間が「Happy Birthday」となる。印象論としては、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・ハーツ・バンド」のミュージカルの系譜にある音楽を踏襲し、それらをクイーン的にならしめたものである。この曲ではボーカルはもちろん、サックス、ドラム、ピアノの演奏がとても生き生きとして聞こえる。また、チェンバロの導入など遊び心のある演奏もこの曲に個性的な印象を付け加える。しかし、やはり、このバンドの曲が最も輝かしい印象を放つのは、ロック的な性質が強まる瞬間であると言える。無論、調性の転回など、音楽としてハイレベルなピアノの旋律進行もフレーズの合間に導入されることもあり、動きがあって面白く、さらに音楽的にも無限のひらめきに満ちているが、音符の配置が忙しないというか、手狭な印象があるのが唯一の難点に挙げられるかもしれない。その反面、一分後半の箇所のように、ダイナミックスが感じられる瞬間がバンドとして溌剌としたイメージを覚えさせる。 曲の後半では、カーショーの伸びのあるビブラートがこの曲に美麗な印象を添える。音楽的な枠組みに囚われないというのは、バンドの現在の美点であり、今後さらに磨きがかけられていくのではないかと推測される。

 

ロック寄りの印象を持つ瞬間もあるが、終盤では古楽やバロックの要素が強まり、さらにアルバムの序盤でも示されたフォークバンドとしての性質が強められる。「For The Cold Country」では、ヴィヴァルディが使用した古楽のフルートが登場し、スコットランドやアイルランド、ないしは、古楽の要素が強まる。結局のところ、これは、JSバッハやショパン、ハイドンのようなクラシック音楽の大家がイギリスの文化と密接に関わっていたことを思い出させる。特にショパンに関しては、フランス時代の最晩年において結核で死去する直前、スコットランドに滞在し、転地療養を行った。彼の葬式の費用を肩代わりしたのはスコットランドの貴族である。ということで、イギリス圏の国々は意外とクラシック音楽と歴史的に深い関わりを持ってきたのだった。

 

この曲は、スコットランドの古城や牧歌的な風景のサウンドスケープを呼びさます。そして実際に、そういった異国の土地に連れて行くような音楽的な換気力に満ちている。


タイトル曲「Forver Howlong」に関してもケルト民謡の要素が色濃い。これらの中世的な音楽性は、今後のブラック・カントリー、ニューロードの強みとなっていくかもしれない。かなり複雑で入り組んだアルバムであるため、一度聴いただけではその真価はわからないかもしれない。ただ、それゆえに、聴く時のたのしみも増えてくると思う。


今回は''バンド''という言葉を使用させていただいたが、BC, NRは、ひとつの共通概念を共有するグループーーコレクティヴの性質が強い。バンド/コレクティヴとして純粋な音楽性を感じさせたのがアルバムのクローズを飾る「Goodbye」だった。一貫して、ポスト・ブリットポップ的な音楽を避けてきたバンドが珍しくそれに類する音楽を選んでいる。ただ、それはやはり、フォークバンドとしての印象が一際強いと付言しておく必要があるかもしれない。今後どうなるのかが全くわからないのがこのバンドの魅力。潜在的な能力は未知数である。

 

 

 

84/100

 

 

「Goodbye(Don't Tell Me)」

  Momma 『Welcome to My Blue Sky』

 


 

Label: Polyvinyle/ Lucky Number

Release: 2025年4月4日

 

Listen/ Stream

 

Review

 

Mommaは今をときめくインディーロックバンドであるが、同時に個性的なキャラクターを擁する。ワインガルテンとフリードマンのセカンドトップのバンドとして、ベース/プロデューサーのアーロン・コバヤシ・リッチを擁するセルフプロデュースのバンドとしての二つの表情を併せ持つ。コバヤシ・リッチはMommaだけにとどまらず、他のバンドのプロデューサーとしても引っ張りだこである。現在のオルタナティヴロックやパンクを象徴する秀逸なエンジニアである。

 

2022年に発表されたファーストアルバム『Household Name」は好評を得た。Pitchfork、NME、NYLONといったメディアから大きな賞賛を受け、アメリカ国内での気鋭のロックバンドとしての不動の地位を獲得した。その後、四人組はコーチェラ・フェスティバルなどを中心とする、ツアー生活に明け暮れた。その暮らしの中で、人間的にも、バンドとしても成長を遂げてきた。ファーストアルバムでは、ロックスターに憧れるMommaの姿をとらえることができたが、今や彼等は理想的なバンドに近づいている。ベテランのロックバンド、Weezer、Death Cab For CutieとのライブツアーはMommaの音楽に対する意識をプロフェッショナルに変化させたのだった。

 

本拠地のブルックリンのスタジオGとロサンゼルスのワサッチスタジオの二箇所で制作された『Welcome To My Blue Sky』はMommaにとってシンボリックな作品となりそうだ。目を惹くアルバムタイトル『Welcome To Blue Sky』はツアー中に彼等が見たガソリンスタンドの看板に因んでいる。アルバムの収録曲の多くはアコースティックギターで書かれ、ソングライティングは寝室で始まったが、その後、コバヤシ・リッチのところへ音源が持ち込まれ、楽曲に磨きがかけられた。先行シングルとして公開された「I Want You(Fever)」、「Ohio All The Time」、「Rodeo」などのハイライトを聴けば、バンドの音楽性が大きく洗練されたことを痛感するはずだ。

 

ファーストアルバムではベッドルームポップに触発されつつも、グランジやオルトロックを受け継ぐバンドとしての性質が強かった。続いて、セカンドアルバムでは、タイトルからも分かる通り、エモへの傾倒が強くなっている。「I Want You(Fever)」はBreedersを彷彿とさせるサイケ性があるが、オルトロックとしての轟音性を活かしつつも、それほどマニアックにはならず、バンガーの要素が維持されている。これらはアコースティックギターで曲が書かれたというのが大きく、メロディーの良さやファンに歌ってもらうための''キャッチーなボーカル''が首座を占めているのである。仮にテープ・ディレイのような複雑なサウンド加工があろうとも、それほどマニアックにならず、一定のポピュラー性(歌いやすさ)が担保されている。その理由はマニアックなサウンド処理が部分的に示されるに留まること、そして、バンドの役割が明確であること。この二点がバンガー的なロックソングを生み出すための布石となった。ボーカルがメインであり、ギターやシンセ、ドラムなどの演奏はあくまで「補佐的な役割」に留められている。

 

これはワインガルテンとフリードマンが自由奔放な音楽性や表現力を発揮する懐深さを他のメンバーが許容しているから。それが全体的なバンドの自由で溌剌としたイメージを強調付ける。たぶんこれは、ファーストアルバムにはそれほどなかった要素である。がっつりと作り込んでいた前作よりロックソングのクオリティーは上がっているが、同時にバンドをやり始めた頃の自由な熱狂性を発揮することを、バンド全体、コバヤシ・リッチのプロデュースは許容している。 そしてこれがロックソングとしての開けた感覚と自由なイメージを強調するのである。

 

セカンドアルバム『Welcome To My Blue Sky』において、バンドはポピュラーソングとロックソングの中間に重点を置いている。おそらく、Mommaはもっとマニアックで個性的な曲を書くことも出来ると思うが、オルタネイトな要素を極力削ぎ落とし、ロックソングの核心を示そうとする。そして、これは彼らが必ずしもオルタネイトな領域にとどまらず、上記のバンドのようなメインストリームに位置する商業的なロックバンドを志していることの証ともなりえるのである。

 

バンドというのは結局、どの方向を向いているのか、それらの意思疎通がメンバー内で共有出来ているかという点が大切かと思う。彼等が実際にそういったことを話し合ったかどうかは定かではないものの、多忙なツアースケジュールの中で、なんとなく感じ取っていったのかもしれない。その中には、ツアー中に起きた''不貞''が打ち明けられる場合があり、「Rodeo」で聴くことが出来る。音楽からは、メンバー一人ひとりが器楽的な役割を理解していて、そして彼等が持つ個性をどんなふうに発揮すれば理想的な音楽に近づくのか、そういった試行錯誤の形跡が捉えられる。


一般的には、試行錯誤の形跡というのは複雑なサウンドや構成、そして脚色的なミックスなどに現れることが多いが、Mommaの場合は、それらのプラスアルファの要素ではなくて、マイナスーー引き算、簡略化ーーの要素が強調されている。これが最終的に軽妙なサウンドを生み出し、音楽にさほど詳しくないリスナーを取り込むパワーを持つようになる、というわけである。Mommaの音楽は、ミュージシャンズ・ミュージシャンのためにあるわけではなく、それほど音楽に詳しくない、一般的なロックファンが渇望するパッションやエナジーを提供するのである。

 

 

これが本作のタイトルにあるように、Mommaの掲げる独自の世界「ブルースカイ」への招待状となる。その中には先にも述べたように、90年代以降のオルタナティヴロック、エモ、シンセポップなどの音楽が引きも切らず登場するが、全般的に、その音楽のディレクションの意図は明確である。


わかりやすさ、つかみやすさ、ビートやグルーヴの乗りやすさ、この三点であり、かなり体感的なものである。それは以降の複雑なポストロックやポストパンクに対するカウンターの位置取りであり、頭でっかちなロック・バンドとは異なり、ロックそのものの楽しさ、雄大さ、そして、心を躍らせる感じ、さらには、センチメンタルなエモーションがめくるめくさまに展開される。音楽的な方向性が明瞭であるからこそ、幅広く多彩なアプローチが生きてくる、という実例を示す。これらは、数しれないライブツアーの生活からしか汲み出し得なかったロックソングの核心でもあるのだ。

 

 

 

上記の先行シングルのようなバンガーの性質を持つロックソングと鋭いコントラストを描くのが、内省的なエモの領域に属するセンチメンタルなロックソングの数々である。そして、これらがロックアルバムとして聴いた上で、作品全体の奥行きや深さを作り上げている。「How To Breath」、「Bottle Blonde」では、それぞれ異なる音楽性がフィーチャーされ、前者ではThird Eye Blindのような、2000年代以降のオルタナティヴロック、後者では、シンセ・ポップをベースにしたベッドルームポップのキャラクターを強調している。 そしてどちらの曲に関しても、ボーカルのメロディーの良さやドリームポップに近い夢想的な感覚を発露させている。これらに多忙なツアー生活の中の現実性とは対極に位置する幻想性を読み解くことも不可能ではない。

 

 

また、ライブツアーにまつわる音楽性は従来とはカラーの異なる音楽性と結びつけられる場合がある。例えば、「Ohio All The Time」は、Placeboを彷彿とさせる音楽性に縁取られている。ソングライティングの側面で大きく成長を遂げたのが、本作のクローズに収録されている、子供時代の記憶を振り返りながら、自分の姿が今とはどれほど変わったかを探る「My Old Street」である。他の曲と同じく、歌える音楽性を意識しつつ、スケールの大きなロックソングを書きあげている。これらはMommaがいよいよアリーナクラスのロックバンドへのチケットを手にしつつあることを印象付ける。

 

 

85/100

 

 

Best Track-「How To Breath」

 girlpuppy 『Sweetness』

 

Label: Captured Tracks

Release:2025年3月28日

 

Review

 

キャプチャード・トラックスと新契約を結んで発表されたベッカ・ハーヴェイによる新作アルバム『Sweetness』はインディーロックの純粋な魅力に溢れている。ガールパピーは記憶に間違いがなければ、従来はインディーポップ寄りのソングライティングを特色としていたシンガーであったが、今回のアルバムではロック的なアプローチを選んでいる。むしろオルタネイトな要素を削ぎ落として、聴きやすいロックソングとは何かという点を追求した作品となっている。バンガー的な曲も幾つか収録されているが、失恋という全体的なテーマからも分かる通り、エモーショナルで切ない雰囲気を帯びたアンニュイなロックソングが特徴のアルバムである。このアルバムでは傷ついた心を癒やすような活力に満ち溢れたロックソングを楽しめるはず。

 

アルバムはシンセの壮大なインスト曲「Intro」で始まり、ソングライターとしての成長を印象付ける「I Just Do」が続く。心地よい8ビートにインディーロックのラフなバッキング・ギター、そしてベッカ・ハーヴェイの内省的なボーカルが徐々にドライブ感を帯び、サビの箇所で轟音性を増す。そしてそれはセンチメンタルな雰囲気がありながらも、若い年代のシンガーらしい純粋な感覚を表現していて、聴いていて何か爽快感やカタルシスをもたらす瞬間がある。このアルバムでは痛快な轟音のインディーロックが強い印象をはなつ。レーベルの契約と合わせて発表された「Champ」はベタであることを恐れず、ロックソングの本来の輝きを放つ。シューゲイズの響きとグランジの重さがこの曲のロック的な魅力を強調している。使い古されたと思えるようなロックの手法もベッカ・ハーヴェイの手にかかると、新鮮な音楽に生まれ変わる。「Champ」はギターソロが力強い印象を放ち、雄大なイメージを呼び覚ます瞬間がある。

 

従来のインディーポップ風の曲も収録されている。「In My Eyes」はドリーム・ポップ風の曲であるが、ハーヴェイのボーカルはこの曲に切ないエバーグリーンな感覚を添えている。過去の数年間を振り返るようなポップソングで憂いや悲しみをアンニュイなポップソングとして昇華している。その後、このアルバムの音楽はやや夢想的になっていき、同レーベルのデュオ、Widowspeakにも似たセンチメンタルなインディーロックソングへと傾倒していく。そしてセンチメンタルであることを恐れないという点にソングライターとしての力強さが宿っている。「Windows」、「Since April」はそれほどオルタナティヴロックファンにも詳しくないリスナーにも琴線に触れるものがあるに違いない。それはソングライターとして感覚的なもの、一般的には見えにくいエモーションを歌で表現することにガールパピーは長けているからである。

 

本作の音楽はゆっくりと歩きだしかと思うと、徐々に走りが軽快になっていき、クライマックスでそれらが軽妙な感覚に変わる瞬間がある。それらは過去の傷ついた心を癒やすような優しさに満ちている。人間としての成長が断片的に描かれ、それらがスナップショットのように音楽に収められている。シンガーとしてはそれらの過去を振り返りつつも、別れを爽やかに告げるという瞬間が織り交ぜられている。それはまた過去に浸らず、次の未来へとあるき出したということだろう。終盤の収録曲に聞かせる部分が多い。「Beaches」はアメリカーナやカントリー/フォークをポップの側面から解釈し、聴きやすく、つかみやすい曲である。特にシンパシーを超えたエンパシーという感覚が体現されるのが「I Was Her Too」だ。サッカー・マミー、MOMMAといったトレンドのロックシンガーの音楽をわずかに彷彿とさせる。その一方で、エモに近い雰囲気が立ち込め、それらがドラムやシンセストリングスの演奏により、ドラマティックな空気感を帯びる。そして、なかなか表しがたい内在的な感情性をロックソングに体現させている。この曲はガールパピーの象徴的な一曲が生み出されたと見ても違和感がないように思える。

 

ガールパピーは、TilTokなどのカルチャーの波に乗り、それらをベッドルームポップの系譜にある軽快なロックソングに落とし込んでいる。しかし、その中には個性的な雰囲気が漂い、それが『Sweetness』の潜在的な魅力となっている。それほど肩ひじを張らず気楽に楽しめると思いますが、一方でポストパンクからの影響も読み解ける。例えば、「For You Two」は象徴的な一曲で、ドライブ感というパンクの要素が聴きやすく甘いポップセンスと融合している。これらはパワーポップとまではいかないものの、 それに似た甘く切ない雰囲気に満ちている。言葉で具象化することの難しい感覚を表すのがロックソングの醍醐味であるとすれば、『Sweetness』はその一端を味わえる。そして実際なんらかのカタルシスをもたらすはず。クローズ「I Think Did」はアコースティックギターをメインにした開放的なフォークポップ。ロックソングの音楽性が瞬間的なものであるがゆえか、アルバムを聴いた後に切ない余韻を残す。

 

 

 

 

80/100 

 

 

Best Track-「For You Two」

  Frenchie 『Frenchie』

Label: Frenchie

Release: 2025年3月28日

 

Review

 

 

80年代くらいに”アーバン・コンテンポラリー”というジャンルがアメリカを中心に盛り上がった。 日本ではブラック・コンテンポラリーという名称で親しまれていた。いわゆるクインシー・ジョーンズやマーヴィン、スティーヴィーといったアーティストを中心に新感覚派のソウルミュージックが登場したのである。これらはきらびやかなソウルという音楽性をもって従来のブルージーなソウルミュージックに華やかな印象を添えたのだった。以降、このジャンルはイギリスにも伝播し、ポピュラーミュージックと組み合わせる動きが出てきた。Tina Turner,Billy Ocean,Heatwaveなどがその筆頭格といえるが、正直なところを言えば、米国のアーティストに比べれば小粒な感じがあった。いまだこの音楽は完全には洗練されていなかったのである。

 

しかし、最近、UKソウルはこの80年代のプロデュース的なソウルミュージックを受け継いで、再びリバイバルの運動が発生している。そして、80年代の米国のソウルと比べても引けを取らないシンガーが台頭してきている。例えば、JUNGLEはもちろん、サム・ヘンショー、NAO、ファビアーナ・パラディーノなどがいる。エズラ・コレクティヴの最新アルバムにもコラボレーターとして参加したヤズミン・レイシーはレゲエやカリブ音楽の方向からダンスミュージックを再編するシンガーである。これらがソウル・リバイバルのような二次的なムーブメントに結びつくかは不透明だが、米国ではラディカルなラップが目立つ中、一定数リスナーの需要がありそうだ。これらのグループはソウルミュージックの歌唱とポップソングのセンスを融合した存在である。ただ、これらは90年代の日本のミュージック・シーンには不可欠な音楽だった。

 

 

フレンチーはその名の通り、フランス系のシンガーで、移民が多いロンドンの世相を反映している。移民は少なくとも、従来の文化観に新しい風を呼び込む存在なのであり、音楽的には、そういった新しいグループを尊重することは、なかなか避けられないだろう。フレンチーは、ネイキッド・アイズというグループで元々活動していたらしく、その後ソロシンガーに転向している。その歌声を聴けば、グループのシンガーではもったいないというイメージを抱くことだろう。セルフタイトルを冠した「Frenchie」は、UKソウルのリバイバルを象徴付ける作品で、NAOの作風にも近い雰囲気があり、フレンチーの場合はよりメロウでうっとりとした感覚に満ちている。おそらくダンスミュージックにも精通しているフレンチーは、今回のアルバムにおいて、複数のバンドメンバーの協働し、魅惑的なアーバン・コンテンポラリーの世界を見事に構築した。鍵盤奏者のルーク・スミス、KOKOROKOのドラマー、アヨ・サラウ、ホーネン・フォード、フライデー・トゥーレイのバッキングボーカル、そしてアーロン・テイラー、アレックス・メイデュー、クリス・ハイソン・ジャス・カイザーが楽器とプロデュースで参加した。

 

80年代の米国のソウルミュージックは、多くが70年代のファンクグループからの影響を元に成立しており、ジャクソン5などを筆頭に大活躍した。また、専門家によると、プリンスのようなエキセントリックなシンガーの音楽でさえ、その基盤となるのはファンクだったということであり、結局、ヒップホップが存在感を放つ90年代〜00年代のブラックミュージックの前夜はファンクの要素が欠かせなかったのである。


さすがにブルースやドゥワップは古典的過ぎるとしても、James Brownのようなファンクはいまだ現代的に聞こえることがある。それはソウル/ヒップホップという音楽の成立にファンクの要素が不可欠だからである。そして、UKソウルの多くの歌手が曲りなりにもファンクのイディオムを上手く吸収している。だからダンスミュージックのビート/リズムに乗せたとき、軽快に聞こえ、メロウな歌と結びついたとき、心地よさをもたらす。もし、これらのファンクの要素を完全に外すと、それらのソウルはニュートラルな感覚に近づき、ポピュラーに傾倒していくのである。これらは音楽的には親しみやすいけれど、深みに欠けるという印象を与えることがある。

 

 

ただ、ファンクを吸収したソウルというだけでは、米国の70年代や80年代のソウルミュージックの二番煎じになってしまう。そこで、ロンドンの移民性という個性的な文化観が生きてくる。例えば、このデビューアルバムは、本格派としてのソウルの雰囲気が通底しているが、一方で、ワールドミュージックの要素が満載である。そしてこれがR&Bのイディオムを懐古的にせず、おしゃれな感覚やエスプリの要素を付け加えている。特に、ボサノヴァを意識したリゾート的なアコースティックギター、さらにはフレンチポップ(イエイエ)の系譜にあるフランス語のポップスが登場したりもする。これらのワールド・ミュージックの要素はおそらく、音楽が閉塞したり、陳腐になりかけたとき、偉大な力を発揮するようになるのではないかと思う。


そして、それらは、とりも直さず、現代の世界情勢に分かちがたく結びついている。いままでの音楽の世界は、商業的に強い地域で繁栄する場合が多かったが、現今では多極主義の情勢の影響を受け、固有の地域の音楽がエキゾ(異国的)ではなくなり、ワールドスタンダードに変化した。そして、これはグローバリズムや自由貿易といった政策がもたらした功績の一つでもあったろう。もちろん、EU圏内をパスポートなしで自由な旅行ができるという点も功を奏した。旅行や貿易は、人やモノだけではなく、''文化を運搬する''という点を念頭に置かねばならない。また、音楽という形態は、他の地域の人が固有の音楽や民謡を発見することで、従来の音楽的なアプローチにささやかな変化をもたらしてきた。これは他のどの媒体よりも顕著な点である。

 

フレンチーのデビューアルバムは、そういった「自由貿易の時代の産物」である。「Can I Lean On You」ではUKソウルを下地にして、メロウなエレクトリック・ピアノがストリングスやリズムの輪郭を際立たせるドラム、そしてフレンチーのボーカル、そして同じように美麗なコーラスが溶け合い、重厚なソウルミュージックが作り上げられる。近年、米国のソウルはディープになりがちだが、フレンチーの音楽はどこまでも軽快でソフト。しかし、ニュートラルな音楽には陥らない。そして、それは何より、メロディーやリズムのセンスの良さだけではなく、ファンクの要素がポピュラーソングと上手く干渉し、ハイセンスなソウルミュージックが作り上げられていく。この曲はガール・レイのようなイギリスのバンド形式のソウルの録音の影響が含まれ、ソロシンガーとしての性質を保ちながら、バンドの音楽にもなっているのである。

 

近年、ヒップホップが流行ると、ファンクの持ち味である華麗な調性の転回が少なくなってしまった。しかし、「Searching」は、バンドアンサンブルのグルーブと華麗な転調がセンスの良い音楽性を作り上げる。そしてさらにStylisticsなどに象徴されるようなポピュラー寄りのコーラスグループの音楽性を踏まえ、ソウルミュージックの醍醐味とはなにかを探っている。懐かしさがあるが、やはりヒップホップやファンクを意識したグルーヴィーなリズムがハネるような感覚をもたらし、曲を聴きやすくしている。この曲はドライブのお供にも最適なトラックである。同じようにヒップホップの軽快なリズムを活用した「Love Reservior」は、ニルファー・ヤンヤの書くソウルに近い雰囲気がある。ドライブ感のあるリズムを反復的に続け、そこに心地よいさらっとした歌を添える。スポークンワードと歌の中間にあるニュアンスのような形式で、わざと音程(ピッチ)をぼかすという現代的で高度な歌唱法が巧みに取り入れられている。

 

本作の中盤の二曲はソウルバラードとして聞き入らせる。「Werewolf」はオルガンの音色を用いたゴスペルの雰囲気を印象付けている。三拍目を強調する変則的なリズムを用い、心を和ませるような巧みなバラードを書き上げている。メインボーカルとコーラスと伴奏という形の王道の作風に、ジャズ風のピアノのアレンジメントを配し、甘美な趣のあるソウルミュージックが流れていく。さらに失恋をテーマにした歌詞がこれらの曲に切なさを添えている。しかし、曲は悲しくなりすぎず、ジャズ風のピアノが曲にハリのような感覚を与えている。続いて、アイスランドや北欧のポストクラシカルと呼応した曲も収録されているのに注目したい。「Almost There」はクラシックとポピュラーの融合で、同じようにそれらをバラード・ソングとして昇華している。上記2曲の流れはアルバムのハイライトとなり、うっとりした時間を提供する。

 

続く「Distance」はアルバムの序盤の音楽性に再帰し、ファンクの要素が色濃くなる。それらをディスコ風のサウンドとして処理し、懐かしのEW&Fのようなミラーボール華やかなディスコソウルの音楽性が強まる。しかし、同時に、80年代のアーバン・コンテンポラリーの作風が強く、マーヴィン、クインシー、スティーヴィーのポップソングとしてのR&Bの要素が色濃い。

 

これらは古典性と新奇性という両側面において二律背反や矛盾撞着の意味を付与するが、曲の軽快さだけではなく、ディープさを併せ持っている。これが欠点を長所に変えている。そして曲に聴きやすさがある理由は、ファビアーナ・パラディーノのようにポップセンスがあり、曲の横向きの旋律進行を最重要視しているからだろう。美しい和音が発生するように聞こえるのは、モーダルな要素であるポリフォニーの動きと倍音の調和が偶発的に生み出したものである。これらが立体的な音楽を作り上げ、リズムにしても、メロディーにしても、ベースとなる通奏低音にしても、流動的な動きをもたらす。たぶんそれが聴いていて飽きさせない理由なのだろう。

 

結局、バリエーションという要素が曲の中で生きてくるのは、根幹となる音楽性がしっかりと定まっている場合に限定される。その点においてフレンチーは、バンドとともに本格派としてのソウルを構築している。アルバムの後半には遊び心のある曲が多い。「Shower Argument」はアコースティックギターを用いたボサを聴くことができ、小野リサのようなブラジル音楽を彷彿とさせる。かと思えば、音楽そのものは軽くなりすぎることはない。「It' Not Funny」ではしっとりしたピアノバラードを慎ましく歌い上げている。この点は、例えば、ブルーノートに所属するSSW、ノラ・ジョーンズのようなシンガーにも何か共鳴するものがあるのではないかと思う。

 

音楽が移り気になろうとも、全体の水準が下がらない。これはおそらく歌手としての卓越した才覚をさりげなく示唆しているのではないだろうか。「Que Je T'aime」はボサノヴァをワールドミュージックとして再考している。この曲ではゲンスブールのようなフランスの音楽を受け継いでいる。クローズもフレンチポップの気配が濃い。しかし、現代的なUKソウルの要素が音楽自体を前の時代に埋没させることがない。音楽が明るく、スタイリッシュな感覚に満ちている。


以前のソウルといえば、地域やレーベルのカラーが強かったが、今は必ずしもそうではない。そして海を越え、イギリスでこのジャンルが再び花開こうとしている。もちろん、自主制作でも、メジャーレーベルのクオリティに引けをとらない作品を制作することは今や夢物語ではなくなったのである。

 

 

 

 

85/100 

 

 

 

Best Track-  「Werewolf」