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  Frenchie 『Frenchie』

Label: Frenchie

Release: 2025年3月28日

 

Review

 

 

80年代くらいに”アーバン・コンテンポラリー”というジャンルがアメリカを中心に盛り上がった。 日本ではブラック・コンテンポラリーという名称で親しまれていた。いわゆるクインシー・ジョーンズやマーヴィン、スティーヴィーといったアーティストを中心に新感覚派のソウルミュージックが登場したのである。これらはきらびやかなソウルという音楽性をもって従来のブルージーなソウルミュージックに華やかな印象を添えたのだった。以降、このジャンルはイギリスにも伝播し、ポピュラーミュージックと組み合わせる動きが出てきた。Tina Turner,Billy Ocean,Heatwaveなどがその筆頭格といえるが、正直なところを言えば、米国のアーティストに比べれば小粒な感じがあった。いまだこの音楽は完全には洗練されていなかったのである。

 

しかし、最近、UKソウルはこの80年代のプロデュース的なソウルミュージックを受け継いで、再びリバイバルの運動が発生している。そして、80年代の米国のソウルと比べても引けを取らないシンガーが台頭してきている。例えば、JUNGLEはもちろん、サム・ヘンショー、NAO、ファビアーナ・パラディーノなどがいる。エズラ・コレクティヴの最新アルバムにもコラボレーターとして参加したヤズミン・レイシーはレゲエやカリブ音楽の方向からダンスミュージックを再編するシンガーである。これらがソウル・リバイバルのような二次的なムーブメントに結びつくかは不透明だが、米国ではラディカルなラップが目立つ中、一定数リスナーの需要がありそうだ。これらのグループはソウルミュージックの歌唱とポップソングのセンスを融合した存在である。ただ、これらは90年代の日本のミュージック・シーンには不可欠な音楽だった。

 

 

フレンチーはその名の通り、フランス系のシンガーで、移民が多いロンドンの世相を反映している。移民は少なくとも、従来の文化観に新しい風を呼び込む存在なのであり、音楽的には、そういった新しいグループを尊重することは、なかなか避けられないだろう。フレンチーは、ネイキッド・アイズというグループで元々活動していたらしく、その後ソロシンガーに転向している。その歌声を聴けば、グループのシンガーではもったいないというイメージを抱くことだろう。セルフタイトルを冠した「Frenchie」は、UKソウルのリバイバルを象徴付ける作品で、NAOの作風にも近い雰囲気があり、フレンチーの場合はよりメロウでうっとりとした感覚に満ちている。おそらくダンスミュージックにも精通しているフレンチーは、今回のアルバムにおいて、複数のバンドメンバーの協働し、魅惑的なアーバン・コンテンポラリーの世界を見事に構築した。鍵盤奏者のルーク・スミス、KOKOROKOのドラマー、アヨ・サラウ、ホーネン・フォード、フライデー・トゥーレイのバッキングボーカル、そしてアーロン・テイラー、アレックス・メイデュー、クリス・ハイソン・ジャス・カイザーが楽器とプロデュースで参加した。

 

80年代の米国のソウルミュージックは、多くが70年代のファンクグループからの影響を元に成立しており、ジャクソン5などを筆頭に大活躍した。また、専門家によると、プリンスのようなエキセントリックなシンガーの音楽でさえ、その基盤となるのはファンクだったということであり、結局、ヒップホップが存在感を放つ90年代〜00年代のブラックミュージックの前夜はファンクの要素が欠かせなかったのである。


さすがにブルースやドゥワップは古典的過ぎるとしても、James Brownのようなファンクはいまだ現代的に聞こえることがある。それはソウル/ヒップホップという音楽の成立にファンクの要素が不可欠だからである。そして、UKソウルの多くの歌手が曲りなりにもファンクのイディオムを上手く吸収している。だからダンスミュージックのビート/リズムに乗せたとき、軽快に聞こえ、メロウな歌と結びついたとき、心地よさをもたらす。もし、これらのファンクの要素を完全に外すと、それらのソウルはニュートラルな感覚に近づき、ポピュラーに傾倒していくのである。これらは音楽的には親しみやすいけれど、深みに欠けるという印象を与えることがある。

 

 

ただ、ファンクを吸収したソウルというだけでは、米国の70年代や80年代のソウルミュージックの二番煎じになってしまう。そこで、ロンドンの移民性という個性的な文化観が生きてくる。例えば、このデビューアルバムは、本格派としてのソウルの雰囲気が通底しているが、一方で、ワールドミュージックの要素が満載である。そしてこれがR&Bのイディオムを懐古的にせず、おしゃれな感覚やエスプリの要素を付け加えている。特に、ボサノヴァを意識したリゾート的なアコースティックギター、さらにはフレンチポップ(イエイエ)の系譜にあるフランス語のポップスが登場したりもする。これらのワールド・ミュージックの要素はおそらく、音楽が閉塞したり、陳腐になりかけたとき、偉大な力を発揮するようになるのではないかと思う。


そして、それらは、とりも直さず、現代の世界情勢に分かちがたく結びついている。いままでの音楽の世界は、商業的に強い地域で繁栄する場合が多かったが、現今では多極主義の情勢の影響を受け、固有の地域の音楽がエキゾ(異国的)ではなくなり、ワールドスタンダードに変化した。そして、これはグローバリズムや自由貿易といった政策がもたらした功績の一つでもあったろう。もちろん、EU圏内をパスポートなしで自由な旅行ができるという点も功を奏した。旅行や貿易は、人やモノだけではなく、''文化を運搬する''という点を念頭に置かねばならない。また、音楽という形態は、他の地域の人が固有の音楽や民謡を発見することで、従来の音楽的なアプローチにささやかな変化をもたらしてきた。これは他のどの媒体よりも顕著な点である。

 

フレンチーのデビューアルバムは、そういった「自由貿易の時代の産物」である。「Can I Lean On You」ではUKソウルを下地にして、メロウなエレクトリック・ピアノがストリングスやリズムの輪郭を際立たせるドラム、そしてフレンチーのボーカル、そして同じように美麗なコーラスが溶け合い、重厚なソウルミュージックが作り上げられる。近年、米国のソウルはディープになりがちだが、フレンチーの音楽はどこまでも軽快でソフト。しかし、ニュートラルな音楽には陥らない。そして、それは何より、メロディーやリズムのセンスの良さだけではなく、ファンクの要素がポピュラーソングと上手く干渉し、ハイセンスなソウルミュージックが作り上げられていく。この曲はガール・レイのようなイギリスのバンド形式のソウルの録音の影響が含まれ、ソロシンガーとしての性質を保ちながら、バンドの音楽にもなっているのである。

 

近年、ヒップホップが流行ると、ファンクの持ち味である華麗な調性の転回が少なくなってしまった。しかし、「Searching」は、バンドアンサンブルのグルーブと華麗な転調がセンスの良い音楽性を作り上げる。そしてさらにStylisticsなどに象徴されるようなポピュラー寄りのコーラスグループの音楽性を踏まえ、ソウルミュージックの醍醐味とはなにかを探っている。懐かしさがあるが、やはりヒップホップやファンクを意識したグルーヴィーなリズムがハネるような感覚をもたらし、曲を聴きやすくしている。この曲はドライブのお供にも最適なトラックである。同じようにヒップホップの軽快なリズムを活用した「Love Reservior」は、ニルファー・ヤンヤの書くソウルに近い雰囲気がある。ドライブ感のあるリズムを反復的に続け、そこに心地よいさらっとした歌を添える。スポークンワードと歌の中間にあるニュアンスのような形式で、わざと音程(ピッチ)をぼかすという現代的で高度な歌唱法が巧みに取り入れられている。

 

本作の中盤の二曲はソウルバラードとして聞き入らせる。「Werewolf」はオルガンの音色を用いたゴスペルの雰囲気を印象付けている。三拍目を強調する変則的なリズムを用い、心を和ませるような巧みなバラードを書き上げている。メインボーカルとコーラスと伴奏という形の王道の作風に、ジャズ風のピアノのアレンジメントを配し、甘美な趣のあるソウルミュージックが流れていく。さらに失恋をテーマにした歌詞がこれらの曲に切なさを添えている。しかし、曲は悲しくなりすぎず、ジャズ風のピアノが曲にハリのような感覚を与えている。続いて、アイスランドや北欧のポストクラシカルと呼応した曲も収録されているのに注目したい。「Almost There」はクラシックとポピュラーの融合で、同じようにそれらをバラード・ソングとして昇華している。上記2曲の流れはアルバムのハイライトとなり、うっとりした時間を提供する。

 

続く「Distance」はアルバムの序盤の音楽性に再帰し、ファンクの要素が色濃くなる。それらをディスコ風のサウンドとして処理し、懐かしのEW&Fのようなミラーボール華やかなディスコソウルの音楽性が強まる。しかし、同時に、80年代のアーバン・コンテンポラリーの作風が強く、マーヴィン、クインシー、スティーヴィーのポップソングとしてのR&Bの要素が色濃い。

 

これらは古典性と新奇性という両側面において二律背反や矛盾撞着の意味を付与するが、曲の軽快さだけではなく、ディープさを併せ持っている。これが欠点を長所に変えている。そして曲に聴きやすさがある理由は、ファビアーナ・パラディーノのようにポップセンスがあり、曲の横向きの旋律進行を最重要視しているからだろう。美しい和音が発生するように聞こえるのは、モーダルな要素であるポリフォニーの動きと倍音の調和が偶発的に生み出したものである。これらが立体的な音楽を作り上げ、リズムにしても、メロディーにしても、ベースとなる通奏低音にしても、流動的な動きをもたらす。たぶんそれが聴いていて飽きさせない理由なのだろう。

 

結局、バリエーションという要素が曲の中で生きてくるのは、根幹となる音楽性がしっかりと定まっている場合に限定される。その点においてフレンチーは、バンドとともに本格派としてのソウルを構築している。アルバムの後半には遊び心のある曲が多い。「Shower Argument」はアコースティックギターを用いたボサを聴くことができ、小野リサのようなブラジル音楽を彷彿とさせる。かと思えば、音楽そのものは軽くなりすぎることはない。「It' Not Funny」ではしっとりしたピアノバラードを慎ましく歌い上げている。この点は、例えば、ブルーノートに所属するSSW、ノラ・ジョーンズのようなシンガーにも何か共鳴するものがあるのではないかと思う。

 

音楽が移り気になろうとも、全体の水準が下がらない。これはおそらく歌手としての卓越した才覚をさりげなく示唆しているのではないだろうか。「Que Je T'aime」はボサノヴァをワールドミュージックとして再考している。この曲ではゲンスブールのようなフランスの音楽を受け継いでいる。クローズもフレンチポップの気配が濃い。しかし、現代的なUKソウルの要素が音楽自体を前の時代に埋没させることがない。音楽が明るく、スタイリッシュな感覚に満ちている。


以前のソウルといえば、地域やレーベルのカラーが強かったが、今は必ずしもそうではない。そして海を越え、イギリスでこのジャンルが再び花開こうとしている。もちろん、自主制作でも、メジャーレーベルのクオリティに引けをとらない作品を制作することは今や夢物語ではなくなったのである。

 

 

 

 

85/100 

 

 

 

Best Track-  「Werewolf」

▪次世代のポップスター、Cooper Phillip  「Last One」でポップ・ミュージックとカルチャーの境界を打ち破る 

 


ロサンゼルスを拠点とする、クラシック音楽のレッスンを受けたミュージシャンであるCooper Phillip(クーパー・フィリップ)は、NYの摩天楼のような歌声と堂々としたハッスル&アティテュードを持ち、ポップ・ミュージックとカルチャーの境界を打ち破る大胆で鈍感な存在である。 


このアーティストの突出した個性は、彼女の高い声域と本能的な音楽的直感にマッチしている。 そのため、彼女は独自に話題を呼ぶ存在として頭角を現し、何百万ものストリーミングを記録、WONDERLAND.、American Songwriter、Earmilk、Hollywood Lifeなどから高い評価を得ている。 


現在、クーパーは2024年の一連のシングルと、今後発表される多くの曲によって、かつてないほど世界的な舞台で彼女の声を増幅させようとしている。


「私は静かな変容の時を過ごしましたが、私は今、アーティストとしての本当の自分を知っています」と彼女は叫ぶ。 「私は正直な音楽の作り、重要なことについて話している」


子供の頃、彼女は地方都市サラトフを故郷としていた。 母親がクラシック・バイオリニストとしてツアーに出ていたため、クーパーは叔母と祖母に見守られて育った。 それでも、音楽に対する母親の情熱を自然に吸収していった。 


クーパーは、早くからピアノとハープを習い、合唱団で声を磨いた。 チャイコフスキーやプッチーニの不朽の名曲と、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンに代表されるR&B界のスーパースターのアクロバティックな歌唱に、彼女はまるで世界を二分するかのように没頭した。 


天才肌の彼女は、名門モスクワ国立クラシック・アカデミーに入学し、ピアノ、音楽理論、ハープ、ジャズ、ブルース、声楽、バレエを学び、修士号取得を目指した。 

 

以降、友人に誘われてニューヨークに渡り、19歳の若さでビッグアップル(ニューヨーク)のシーンに身を投じることになった。 生き延びるため、地元のクラブから結婚式まで、歌えるところならどこでも歌った。  「サバイバル・モードで、ただハッスルし、学び、もがいていました」彼女は振り返る。 


自分の技術に真摯に打ち込むことで未来を切り開くかのように、彼女はロサンゼルスでレコーディングする機会を得て、それから一度も西海岸を離れることはなかった。 シングルを1枚ずつ進化させ、インスタグラムで30万人以上のオーディエンスを獲得。 「Party By Myself」のSpotifyの全再生数は160万回を超え、続く 「Not Perfect」は56万1000回のストリーミングを記録した。 

 

”WONDERLAND”は彼女にスポットライトを当て、「Head Over Heels」を "力強いトランペットときらびやかなシンセサイザーのフィール・グッド・パーティー "と称賛した。

 

”アメリカン・ソングライター”は、"リスナーをまるで別世界のような場所と時間に誘う "と約束した。 2022年の「Masterpiece」は、Digital High、Celeb Mix、The Fox Magazineから賞賛を浴び、"彼女の強烈なドライブ感、高鳴るボーカル、情熱的なソングライティングで、フィリップは彼女自身をジャンルのトップに押し上げている "と絶賛された。 


現在、彼女は "Last One "をリリースしている。 この曲は、完全に生きること、一秒一秒を大切にすること、愛と気遣いをもって人生を受け入れることを思い出させてくれる。 

 

私たちはしばしば、気が散ることにとらわれたり、ネガティブな感情にとらわれたり、自分のためにならないことにエネルギーを費やしたりしてしまう。 しかし、大局的に見れば、毎日が、創造し、愛し、成長し、周囲に喜びをもたらす機会なのだ」


クーパー・フィリップはまた、70カ国以上で5万人以上の歌手を指導してきた発声指導メソッド、バイオフォニックスの創始者でもある。


クーパーの音楽の根底にあるのは、高揚感と紛れもないメッセージだ。


"私はただ、この世界をより幸せにするためのアイデアをたくさん持っている自由な魂よ "と彼女は言い残す。 「私の音楽を聴いて、自己観察とパワーを持ち帰ってほしい。 自分の直感とハートに耳を傾けてほしい。 信じること、創造すること、幸せになること、そして自分で決断すること。 強くなることは可能だと教えてあげたい」


クーパーのコメント。

 

時間は最も貴重な贈り物でありながら、私たちが思っている以上に早く過ぎていく。 この "Last One "は、完全に生きること、一秒一秒を大切にすること、愛と気遣いをもって人生を受け入れることを思い出させてくれる。 

 

私たちはしばしば、気が散ることに巻き込まれ、否定的な感情を抱いたり、自分のためにならないことにエネルギーを費やしてしまう。 しかし、大局的に見れば、毎日が創造し、愛し、成長し、周りの人々に喜びをもたらす機会なのだ。


クーパー・フィリップのエンパワーメント・アンセムはSpotifyやYouTubeで大流行し、現在までに1500万回以上のストリーミングを記録している。 彼女の音楽は、WONDERLAND、American Songwriter、Hollywood Lifeなどで賞賛されている。 

 

ニューシングルは、西海岸と東海岸の都会的なイメージが彼女の持つ音楽的なセンスと融合し、 スタイリッシュでバンガー的なポップソングに仕上がっている。ポスト・ガガ的な存在として今後の活躍に注目したい。

 

 

 「Last One」

 

 

 

A classically trained Los Angeles-based musician with a skyscraping voice and unapologetic hustle and attitude, Cooper Phillip asserts herself as a bold, blunt, and boundary-breaking force for pop music and culture. The artist’s outsized personality matches her towering vocal range and instinctual musical intuition. As such, she’s independently emerged as a buzzing presence on her own terms, tallying millions of streams and earning acclaim from the likes of WONDERLAND., American Songwriter, Earmilk, and Hollywood Life, to name a few.

Now, Cooper amplifies her voice on the global stage like never before with a series of 2024 singles and much more to come.

“I went through some quiet time of transformation, but I know who I truly am as an artist now,” she exclaims. “I’m making honest music and talking about things that matter.”

As a kid, she called the provincial city of Saratov home. With mom on tour as a classical violinist, Cooper grew up under the watch of her aunt and grandmother. Nevertheless, she naturally absorbed her mother’s passion for music. Early on, she picked up piano and harp in addition to honing her voice in choir. As if split between worlds, she immersed herself in the timeless compositions of Tchaikovsky and Puccini as well as the vocal acrobatics of R&B superstars a la Mariah Carey and Whitney Houston. A prodigy in her own right, she gained admission into the prestigious Moscow State Classical Academy, studying piano, music theory, harp, jazz, blues, voice, and ballet and working towards a Master’s Degree. Invited to New York City by some friends, she wound up cutting her teeth in the Big Apple scene at barely 19-years-old. In order to survive, shesang anywhere she could—from local clubs to weddings.  “I was in survival mode, just hustling, learning, and struggling,” she recalls.

As if manifesting the future through a diligent commitment to her craft, she accepted an opportunity to record in Los Angeles and never left. Sheevolved one single at a time and gained palpable traction, building an audience of over 300K on Instagram. “Party By Myself” accumulated north of 1.6 million Spotify streams followed by “Not Perfect” with 561K Spotify streams. WONDERLAND spotlighted her and hailed “Head Over Heels” as “a feel-good party with empowering trumpets and glittering synths.” American Songwriter promised, “It entices the listener into an almost otherworldly place and time.” 2022’s “Masterpiece” attracted praise from Digital High, Celeb Mix, and The Fox Magazine who proclaimed, “With her intense drive, soaring vocals, and passionate songwriting, Phillip is elevating herself to the top of her genre.”

Now she has released "Last One", a song about how precious time is. She shares, "The song is a reminder to live fully, to cherish every second, and to embrace life with love and care. Too often, we get caught up in distractions, holding onto negativity or expending energy on things that don’t serve us. But in the grand scheme, every day is an opportunity—to create, to love, to grow, and to bring joy to those around us."

Cooper Phillip is also founder and creator of Biophonics, a vocal teaching method that has taught over 50,000 singers in over 70 countries.

In the end, Cooper transmits an uplifting and undeniable message at the heart of her music.

“I’m just a free soul with lots of ideas on how to make this world a happier place,” she leaves off. “When you listen to me, I hope you take away self-observation and power. I want you to know you can listen to your gut and your heart. Believe, create, be happy, and make your own decisions. I want to show you it’s possible to be strong.”

 

Her new single ”Last One" combines West Coast and East Coast urban imagery with her musical sensibilities to create a stylish banger of a pop song. It is sure to attract attention as a post-Gaga release.

 

 


Yukimiがニューシングル「Peace Reign」をリリースした。リトル・ドラゴンのリードシンガーとしてよく知られているユキミは、近日発売予定のアルバム「For You」でソロに転向する。 彼女自身の名義では初となるこのアルバムは、3月28日にNinja Tuneからリリースされる。

 

個人的な曲の数々で、ユキミは終始、心の内を解き明かす。 ニューシングル「Peace Reign」は、彼女の息子による「信じなければ叶わない、目の前にある」という美しい言葉で始まる。 彼女のアルバムからの最新シングルは、レトロなファンクビートとR&Bを融合した渋い感じの新曲。

 

ユキミはこのニューシングルについてコメントしている。「”Peace Reign”は、この世界が平和な場所になるという夢を諦めないこと。 希望と、来るべき世代への明るい未来を信じて...」

 

「Peace Reign」

 


SPELLLINGのニューアルバム『Portrait Of My Heart』まであと数週間となった。Chrystia Cabralのシングル 「Portrait Of My Heart」と 「Alibi」は素晴らしいプレビューとなった。

 

先行シングルはそれぞれロック的なアプローチとドリーム・ポップ的なアプローチが混在していた。3作目のシングルは70-80年代のR&B風のシングルで、シンセサイザーが甘い歌声と匠に混ざり合う。

 

このアルバムでは、『The Turning Wheel』のように、私の大好きなストリングスや、気まぐれでロマンチックなスティービー・ワンダーの『Secret Life Of Plants』(シークレット・ライフ)風のシンセシアトリックスに敬意を表したかった。

 

SPELLLINGのそういった要素がこの曲で輝いているのが本当に嬉しい。『Destiny Arrives』は、『Portrait Of My Heart』のよりパンチの効いた攻撃的な曲の中で、純粋さと楽観主義の甘い瞬間のような役割を果たしているんだ。


私は勇気について考えていて、変化を受け入れ、人生の本当の道を歩むことがどれほど怖いことなのかを考えていたの。このビデオでは、狼男の変身を微妙に暗示することで、運命とは、自分の真の使命に抵抗するときの苦悩や呪いであるという考えを表現している。未知の危険を受け入れることは、曲の終わりには陶酔的な状態になる。


SPELLINGのニューアルバム『Portrait Of My Heart』はSacred Bonesから3月28日に発売される。

 

 「Destiny Arrives」

 






NaoはロンドンのR&Bシンガー。かつてバックアップ・ヴォーカリストだった彼女はBBCの革新的な新人ミュージシャンを選ぶ「サウンド・オブ・2016」に選出されている。


ネオ・ジェシカ・ジョシュア、イギリスのノッティンガムで育ったナオは、イギリス中を旅した後、最終的にイースト・ロンドンに落ち着いた。彼女は、ナス、ミッシー・エリオット、ブランディが大好きで育ち、ゴスペルが特に好きになった。「ゴスペルをいつも聴いていた。アレサ・フランクリンは、ゴスペル・シンガーでありながらメインストリームになった人の良い例です。彼女は自分の声を完全に解放した。あんなことができる人はあまりいない」


「18歳ぐらいになると、たいていの人は自分のやりたいことを決めたがる。大学に入り、科目を選択しなければならない」と彼女は言う。 法律の授業に退屈していたナオは、音楽に没頭し、ジャズの作曲を学んだ。


2014年、あるマネージャーがナイトクラブで彼女が歌っているのを見つけ、なぜまだ彼女のことを知らないのかと尋ねた。 その後すぐに、彼女は教師業やバック・シンガーの仕事を辞め、デモ・レコーディングを始めた。 その年の10月に最初のトラック「So Good」がリリースされ、2015年5月にはEP『February 15』がリリースされた。


「舞台裏から表舞台に出るというのは、実に美しい瞬間でした」と彼女は言う。「 バック・シンガーだったとき、これが私だったらいいのにと思ったことは一度もなかった。 私はその役でとても幸せだった。 でも、初めて自分として表舞台に立つ瞬間が来たとき、それまで経験したことのない、まったく違うエネルギーに包まれたし、観客の人たちが自分の歌を知っているというのは本当に特別なことだった。 観客が自分の歌を知っているというのは本当に特別なことだった」


「自分の家族の構成や家族のダイナミズムが、自分が存在している空間とは大きく異なっていることを実感していました。両親は一緒にいなかったし、異母兄弟なんて聞いたこともなかったという感じだった。ちょっと控えめで、自分に自信がないのは、そういうところから来ているのかもしれない」


2016年のデビュー作『For All We Know』では、ボイスノートとシルキーでシンセの効いたファンクで埋め尽くし、謎めいたジャイ・ポールとその兄弟AKポールと仕事をした。 絶え間ないアウトプットに執着する業界の異端児であるジャイ・ポールの遺産は、2007年のマイスペースのデモ曲『BTSTU』という、大きな影響力を持つ1曲によって大きく後押しされている。


ナオは多作であり、『Jupiter』は4枚目のフルアルバムであるが、彼女は創作意欲を削ぐ同世代のアーティストたちから学び、初期の誇大広告を凌駕する安定したキャリアを培ってきた。 アルゴリズムがまだ定着していなかった時代に登場したナオは、アーティストにとって状況は難しくなっているという。基本的に、多くの場合、音楽業界そのものはバイラルヒットを待っている。 伝統的なプロモーション方法よりもソーシャルメディアやバイラルが優勢になっているため、業界自体も流動的な状態にあると彼女は付け加えた。


2021年以来の4作目となる最新アルバム『Jupiter』は、発売元のSony Musicによると、精神的なテーマを掘り下げ、新しい一面が表現されているという。「土星は教訓の惑星であり、非常に変革的なタフな惑星です。そして木星は、喜びと豊かさと愛、幸運と幸運の惑星です。それはとても魔法の惑星です。私は人生で本当に良い場所にいると感じています、そして私はそれを祝い、それを私のリスナーと共有したかったので、彼らも彼らの木星を少し持つことができるでしょう」

 

「今作を聴いて、自己の喜びの波動が美しく変化するのを感じてもらえたら嬉しい」と彼女は語っている。

 


NAO 『Jupiter』- Sony Music

 

ナオは2016年に「サウンド・オブ・2016」に選出されてから、燃え尽き症候群のようになり、しばらくツアーを中断していた。高度な資本主義社会では、ある意味、社会全体が刺激的なものが氾濫している。また、同時に便利になりすぎていることから、人々の多くは心が疲れきっている。それはたぶん自分らしく生きることが日に日に難しくなっているからだと思われる。


例えば、成果主義に翻弄された人々がどこかで大きな壁に直面するように、過度な名声や重圧がのしかかることもある。同様に、歌手もこの現象に遭遇せざるを得なかった。結果的にそれはミュージシャンとして活動するのを妨げる難病として現れた。しかし、現在は、ツアーも再開され、回復の途上にあるようだ。ニューアルバムは燃え尽き症候群からの立ち直り、ミュージシャンとしての再生を意味している。その象徴となるのがジュピター、ーー希望の星ーーなのである。

 

アルバムの制作期間は、一個人としての変革期に当たった。母親として妊娠中であり、その多くはかなり疲れていたという。それにもかかわらず、『Jupiter』は明るい気分とエネルギーに満ちている。そして歌手の人生から汲み出された慈愛の精神がこのアルバムの一つのテーマである。それらが、彼女が信奉するボーイズⅡメン、アッシャー、ミッシー・エリオット、ブランディ、さらにはリトル・ドラゴン、ジェイムス・ブレイク、SBTRKTの影響下にあるダンスミュージックとR&Bの中間域にある音楽性がめくるめく様に展開されていく。30分半あまりの簡潔なアルバムとなっているが、これはまちがいなくミュージシャンにとっての人生の重要なスナップショットでもある。このアルバムの期間を後に思い返した時、重要な意味を持つことだろう。

 

『Jupiter』は音楽業界に携わってきた人間として何らかの折り合いをつけるためのアルバムと言えるか。肯定的に見ると、様々な内側の感情が渦巻く中、自分の歩んできた道のりを容認し、誇りに思うということである。分けても、多くの場合、有名アーティストはソーシャルメディアとの付き合いに翻弄され、プレイベートを尊重する人々にとって長い時間そこに滞在することは大きなストレスとなる。そこには生きることへの不安を増長させるもので溢れかえっているからである。こういった情報を上手く活用する人々もいるが、もちろん、そういったたぐいの人たちばかりではない。時々、そういった情報の波に飲み込まれてしまう人もいる。無数に氾濫する情報は、多くの場合、ノイズになることも多く、自分の考えを阻害するものなのである。

 

そして、Naoの場合、そういった存在を容認しつつも、ほどよい付き合い方を考えていた。結果的に現れたのが、アルバムの''希望''という道筋だった。商業を肯定的に捉えた上で、自分なりのやり方を築くことである。もう一つは、彼女の母親のルーツであるジャマイカやロンドンのコミュニティやカルチャーのあり方を再確認し、それらを音楽として具現化しようということである。


結末としては、UKベースライン、ディープ・ハウス、バレアリック、ダンスフロアの音楽に付随するチルアウト、つまりクールダウンのためのダンスミュージックを中心にポピュラーの世界が繰り広げられる。それらがオートチューンやピッチシフターのような機械的な効果を及ぼすボーカルと合致し、トレンドの音楽が構築される。これらは考え方によっては、資本主義社会や現代的なテクノロジー、そして、無数の情報が氾濫する社会の中でどのように生きるべきかを探り、そしてそれを楽観的に乗り切ろうというアーティストなりの考えが音楽に通底している。

 

ナオの歌は驚くほど楽観的であり開放的な感覚に充ちている。これは年代の壁を越えたということでもある。かつて歌手は、若さを手放すことが難しくなるという悩みを持っていたが、概念上の架空のものに過ぎなかった。そういった何歳までに天職に就くというような考えに距離を置くことに決めたのである。それがある意味では吹っ切れたような感覚を生み出し、ベースラインを基調にしたディープハウスと掛け合わされ、驚くべきことに若々しい印象すら生み出している。これは年齢上の老いや若さではなく、人生に対する手応えが溌剌とした印象を生み出し、人生を生きているという実感が乗り移り、軽快なダンスポップナンバー「Wild Flowers」が作り出されたというわけである。しかも、それらがキャッチーでダイナミックな印象を放っている。

 

 

 「Wild Flower」

 

 

 

「Elevate」は、アーバン・コンテンポラリーを意識したトラックで、クインシーやマーヴィンといった80年代のきらびやかなR&Bを下地にして、その後に現代的なソウルナンバーを提供している。そういった中で「Happy People」は、ギターの録音を介して王道のポップソングに挑む。どちらかといえば、これは遠目から幸福な人々を歌っていて、歌手の幸福という概念が徐々に変化していくプロセスが捉えられている。プエルトリコやラテンアメリカの情熱と哀愁の合間にある音楽、そしてそれらが市井の人々の声を反映させたサンプリングと交互に繰り広げられる。ディープハウスはもとより、レゲトンの要素をからめた爽快な楽曲として楽しめる。

 

「Light Years」はマリブ・ステートやプールサイドを彷彿とさせる西海岸風のチルアウトである。ヨットロック風のギターで始まり、 まったりとしていて安らいだ感覚を持つバラード風のR&Bへと変遷する。ベースを起点として、リバーブを印象づける空間的なギターのアルペジオ、ナオのボーカルが合わさり、音楽の印象が決定づけられる。その後、この曲はドラマティックな雰囲気を帯びはじめ、シンセストリングスで雰囲気づけをし、豊かな情感を帯び始める。その後、ピアノの録音を交え、ボーカルは美麗な瞬間を象る。夕日を砂浜からぼんやりと眺めるときのあの美しい感覚だ。そしてサビではドラムフィルが入り、この曲はダイナミックな変遷を辿っていく。ボーカルも素晴らしく、華麗なビブラートが曲の雰囲気を盛り上げる。


続く「We All Win」ではイビサ島のバレアリックのサウンドを踏襲し、EDMの高らかな感覚を表現する。ユーロビート、レイヴ、ハウスを合致させ、ハリのあるサウンドを生み出す。この曲でもリゾートのダンスフロアの音楽性が維持され、リラックスした空気感を放っている。続いて、「Poolside」も同じ系譜に属するが、この曲ではよりポピュラーソングの側面が生かされ、サビでのアンセミックな響きが強調される。踊ることも聞き入ることも出来る絶妙な一曲である。

 

 

「30 Something」は、新しい世代のゴスペルソングのような趣を持つ。精妙なハモンド・オルガンをかたどったシンセの伴奏のイントロのあと、ベッドルームポップを系譜にあるバラードが続く。王道のポピュラーソングの構成をもとに、ギターの演奏のサンプリングの導入などを通じて構造に変化をもたらす。そしてサビでは、わかりやすいシンプルなフレーズが登場する。ここでは、旧来のバックボーカリストとしての役割を離れ、メインボーカリストとして活躍するに至った人生の流れが描かれている。それはまた本来の姿に生まれ変わったような瞬間が立ちあらわれる。この瞬間、聞き手としては歌手に少しだけ近づけたというような実感を持つ。これらはライブを通して歌手が培ってきた手応えが含まれている。それはアーティスト側と聞き手という本来であれば遠くに離れた空間を繋げるような役割を持つ。続く「Just Drive」では、同じような精妙な感覚をもとに、ダンサンブルな重力を持つナンバーを作り上げている。ベースラインの強いローエンドの出力に加え、グリッチの組み合わせが迫力をもたらしている。

 

たいてい、制作された順番に沿って曲が収録されることは多くはないと思われる。しかし、このアルバムは、面白いことに、 アーティストとしての人生のスナップショットやワンカットが曲ごとに順繰りに流れていくような気がする。部分的に何らかの情景としてぼんやりと伝わることもあるし、また、感覚的なものとして心に伝わってくることも。一見したところ、フルレングスとしては分散的であるように思えなくもない。しかし、しっかりと聞き進めていくと、何らかの一連の流れのようなものが備わっているのがわかる。それは音楽的なディレイクションとしてではなく、人生の流れや意識の流れのような感覚をどこかに併せ持っているのである。

 

本作はNaoがバックコーラスとしての音楽家のキャリアを歩み始め、いくつかの逡巡に直面し、そして、一つずつ克服していくような過程が刻みこまれ、最終的にはソロボーカリスト(個人)としての地位の確立というテーマに直結している。要するに、音楽作品が人生の一部分を反映していると称せるかもしれない。そして、それは、泣きたいような瞬間、心から快哉を叫びたくなるような素晴らしい時間をすべて内包している。シンガーは、バックボーカリストとして働いていた時代も、メインボーカリストに憧れることはあまりなかったというが、アルバムの終盤の曲を聴くかぎりでは、心の中でソロで活動することにようやく踏ん切りがついたという印象を抱く。そして、それは実に、2016年にBBCが取り上げた時点からおよそ九年目のことだった。

 

ソロシンガーとしての威風堂々たる雰囲気を捉えることも出来るのがアルバムの表題曲「Jupiiter」。おそらく、これは前作まではなかったオーラのようなものが身についた瞬間ではないか。アルバムの終盤はどうだろうか。グリッチを突き出したダンストラック「All of Me」ではチャペル・ローンのような2020年代のトレンドの歌手に引けを取らない実力を発揮する。アルバムのクローズはアコースティックギターをフィーチャーしたR&Bソングだ。前衛的なアプローチを図ったオルタネイトなR&Bも大きな魅力を感じるけれど、むしろ、こういったストレートな曲こそが、現代のUKソウルの最前線を象徴づけるといっても過言ではないでしょう。


 

 

 

90/100

 

 

Naoのニューアルバム『Jupiter』はソニーミュージックより2月21日に発売。詳細はこちら。 


 

「Elevate」

 



カナダ/トロントのシンガーソングライター、JayWood(ジェイ・ウッド)が『Slingshot』以来のニューシングル「Big Tings」をキャプチャード・トラックスからリリースした。(ストリーミングはこちら)この曲にはオークランドの実験音楽家、Tune Yards(チューン・ヤーズ)が参加している。

 

古典的なブレイクビーツをベースにしたナンバー。ブレイクビーツの飛び方が独創的で、曲の後半ではR&Bらしい幸福感のある雰囲気を漂わせ、トリッピーな感覚が無限にひろがっていく。

 

ヒップホップと70年代のR&Bを融合させるミュージシャンの新曲はセカンドアルバムの余韻を残しながらも、新しい段階へと進んでいる。


ニューシングルに関して、ジェイウッドは次のように説明している。

 

”みんな気をつけたほうがいいよ、これから大きなことが起こるよ"と誰かが言うのを何度も見聞きしてきたけど、その後に続くことがないなんて、クレイジーだよ。 同じことを言うためにこの曲を書いたようなものだけど、もし本気じゃなかったら大変だよね。


ガーバスは次のように言う。 


ファイル名が "BIG TINGS "だったから、"BIG THINGS COMING, COMING OUR WAY "って歌ってみたんだ。 ジェイ・ウッドにとって大きなことがやってくる! 彼の明確な芸術的ビジョン、幅広い想像力、音楽的冒険への渇望...その旅に同行できたことを光栄に思っているよ。


カナダの大草原で生まれ育ったJayWoodは、2015年からヘイウッド=スミスの自己発見と心痛の旅をユニークなソングライティングで捉えてきた。2019年に母親を亡くし、2020年を通して複数の社会的危機が発生し世界的に行き詰まったヘイウッド=スミスは、前進する勢いに憧れた。

 

ヘイウッド=スミスは、両親の死後、自分の過去や祖先とのつながりを断ち切られたと感じ、白人が多いマニトバ州で暮らす自分のアイデンティティと黒人特有の経験を理解するべく意識的に取り組んだ。『Slingshot』は、ファンタジーなシナリオと個人的な逸話、そして、ポップでダンスなインストゥルメンタルを融合させた、Jay Woodの表面と深層の自画像ともいえる。

 

 

 「Big Tings」



ジャンルに垣根を作らない。ソウル界のレジェンドで、モータウンのカタログに多数に名作をもたらしたAl Green(アル・グリーン)が、R.E.M.の1992年のヒット曲「Everybody Hurts」のカヴァーを披露した。ソウルの伝道師がカレッジロックをカバーするという前代未聞の出来事だ。


アル・グリーンは "Everybody Hurts "を完璧に自分のものにしている。彼の特徴であるバリトンヴォイスは、2コードのグルーヴの中で痛く響き、自分のペースで詩を進めていく。現在78歳のグリーンは、ゴスペルのルーツに触れながら、生涯の経験をこの曲に注ぎ込んでいる。


なぜ、伝説的なソウルシンガーはインディーロックをカバー曲として選んだのだろうか。それは表向きの音楽の良さだけが理由ではないという。

 

「Everybody Hurtsをスタジオでレコーディングしているとき、この曲の重苦しさをすごく感じた。暗闇の時代を打ち破ることができる光の存在が常にある」


グリーンは昨年、ルー・リードの「Perfect Day」のカヴァーで復帰し、リリースと同時に5年ぶりの新曲となった。また、今年はロサンゼルスのフェス「Fool in Love」に出演し、ライブ・パフォーマンスにも復帰した。彼は78歳でもライブ活動が可能であることを対外的に示した。

 


「Everybody Hurts」

 『ゴシップ・ガールズ』のオープニングトラックにも選ばれたR&Bシンガー、ホープ・タラのフルアルバムがついに完成

 

 

ウェストロンドンを拠点に活動するR&B界の新星、Hope Tala(ホープ・タラ)のニューアルバム『Hope Written』がついに完成した。本作は、2025年2月28日に発売日がマークされている。日本国内では、国内流通盤、及び、二枚組の輸入盤がPMR Recordsより発売される。アーティストのコメント、及び、リリース情報と合わせて下記よりチェックしてみよう。

 

精神的な葛藤、失恋と新しい愛や友情、祖先や人間性への疑問と自己開示や内省を織り交ぜたという今作はストリングスに満ちたオープニング曲”Growing Pains”から始まる。2019年に彼女の名前を世界的に押し上げた名曲” Lovestained”の時代を想起させる癒しのソウルサウンド。バンドのエネルギーに満ちた遊び心溢れる” Bad Love God”、 ボサノヴァ調のプロダクションにのせて甘く歌い上げることでメロディが滲み出る”Jumping the Gun”。LAとロンドンを拠点に楽曲を制作することでそれぞれの土地から影響を受けたグルーヴがそれぞれの楽曲に漂っている。



「大好きな音楽を聴いていて一番強く感じるのは、その音楽が自分の行きたい場所、住みたい場所だということ。常夏で警察も刑務所もなく教育費もタダというユートピアにしたい」-ホープ・タラ

 

 「Jumping The Gun」

 

 

 

Hope Tala 『Handwritten』



アーティスト : Hope Tala (ホープ・タラ)
タイトル : Hope Handwritten (ホープ・ハンドリトゥン)
レーベル : PMR Records
発売日 : 2025年2月28日

<国内流通盤CD>
品番 : AMIP-0371
価格 : 2,500円(税抜)
バーコード : 4532813343716

<輸入盤2枚組LP>
品番 : PMR223LP
卸値 : 4140円(税抜)
バーコード : 617308087314

 

 


シガー・ロスのヨンシー、ジェフ・バックリィ、ライのマイク・ミロシュなどのような聴くものを魅了するファルセット・ヴォイスをもつ期待のイギリス人シンガー・ソングライター、トム・アダムス。クラシック音楽とエレクトロニック・ミュージック、ふたつのバックグラウンドを配合した親密かつソウルフルな音楽を奏でる若き才能による輝かしいデビュー・アルバム。


10代のころからいくつかのインストのポスト・ロック・プロジェクトを主導し、映画音楽も手がけてきた彼におおきなターニング・ポイントが訪れたのは2014年の夏のことでした。現在の拠点であるベルリンにはじめて旅行で訪れたその夜。たまたま観にいったピアニスト、ニルス・フラームのライヴ。

 

そこでニルスは観客に演奏するように促し、そしてステージにあがったのは短パンにTシャツ姿の旅行客のトムでした。その印象深い歌声にオーディエンスは驚嘆し、思わずニルス自身も連弾で参加するという魔法のような瞬間...。

 

その後、すぐさまニルス・フラームのマネージャーによってレーベルを紹介され、それをきっかけにデビューが決まったというまさにシンデレラ・ストーリー。なお、そのときに演奏したのがこのデビュー・アルバムのラスト・トラック「Time」です。(奇跡の映像はYouTubeで確認することができます)



2016年にEP『Voyages By Starlight』でデビュー。それから1年、ついにリリースされたのが本作『Silence』は、ある1日の午後の時間のみをつかい、ライヴ・レコーディングでつくられました。ア・ウィングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サルンやパフューム・ジーニアスなどのライヴのオープニング・アクトで力をつけた、ヴォーカルとソロ・ピアノを中心にさまざまなノイズやエフェクトのレイヤーによるライヴのフィーリングを持ち込んだ全8曲。

 

胸締め付けるほどの哀愁と心地よい高揚感に包まれる先行シングル「Come On, Dreamer」や「Sparks」、前述の「Time」など切ない名曲が立ち並びます。繊細なメランコリアをまとった浮遊感漂う流麗なポスト・クラシカル的アプローチのプロダクションとその天賦の歌声は、まるで人気ピアニスト、ニルス・フラームが世にも美しいファルセット・ヴォイスを手に入れたかのよう。トム・アダムスが歌う静寂の歌に包まれるとき、例えようのない美しい風景が目前に広がることでしょう。


国内盤のみ、ボーナストラックとしてEP『Voyages By Starlight』の未発表アウトテイク「Circles」と、ライナーノーツ/歌詞対訳のダウンロード・コードつき。

Yazmin Lacey

イギリス/ノッティンガムのシンガー、Yazmin Lacey(ヤズミン・レイシー)がニューシングル「The Feels」で帰ってきた。AMFレコーズと契約したばかりのヤズミン・レイシーのニュー・シングル「The Feels」は、1年半ぶりのソロ・リリースとなる。(ストリーミングはこちら)


このニューシングルではデビュー・アルバムのレゲエやソウルからグルーヴィーなディスコファンクに移行している。「The Feels」は、絶えず新しい挑戦を求め、動き続けるアーティストの肖像である。ヤズミン・レイシーはこのニューシングルについて次のように説明しています。


「The Feelsという曲は、特定のメッセージを伝えるというよりも、ムードをとらえることに重点を置いている。惹かれる人といるときでも、友達と出かけているときでも、あるいは一人で考え事をしているときでも、その場の雰囲気に身を任せたいという抗いがたい衝動を表現している。この曲は、中毒性のある気楽な状態の追求を捉えているが、それが時にいかに圧倒されるかをも示唆している」

 

 

「The Feel」

 


元ネイキッド・アイとして知られるフランス系イギリス人のシンガーソングライター、Frenchie(フレンチー)はセルフタイトルのデビューアルバムの制作を発表した。

 

ジャズ・ギタリストのフェミ・テモウォ(SAULT、エイミー・ワインハウス)がプロデュースしたこのアルバムは3月28日に自主制作盤としてリリースされる。この発表を記念して、アーティストはフリーダ・トゥーレイがヴォーカルをとるトラック「Love Reservoir」を公開した。


「"Love Reservoir "は、関係の感情的な貯水池に燃料を補給し、活性化させることを求めるというテーマを叙情的に探求しており、困難を克服し、愛とつながりを育むという願望を象徴している」とフレンチーは声明で述べている。

 

「フェミと私は一緒に曲を書き、才能ある友人のフリーダ・トゥーレイにこの曲に参加してもらいたいと思った。彼女がヴォーカルを録音しに来てくれた時、この曲は全く新しいレベルに昇華された」


Frenchieには、鍵盤奏者のルーク・スミス、KOKOROKOのドラマー、アヨ・サラウ、ホーネン・フォードとフライデー・トゥーレイのバッキング・ヴォーカル、そしてアーロン・テイラー、アレックス・メイデュー、クリス・ハイソン、ジャス・カイザーが楽器とプロデュースで参加している。

 

 

「Love Reservoir」



Frenchie 『Frenchie』

Label: Frenchie

Release; 2025年3月28日


Tracklist:


1. Can I Lean On You?

2. Searching

3. Love Reservoir [feat. Frida Touray]

4. Werewolf

5. Almost There

6. Distance

7. Shower Argument

8. It’s Not Funny

9. Que Je T’aime

10. Sapphires & Butterflies



Moonchild Sanelly(ムーンチャイルド・サネリー)は、ビヨンセやティエラ・ワック、ゴリラズ、スティーヴ・アオキなどのアーティストとコラボしてきた南アフリカのゲットー・ファンク・スーパースターだ。アフロ・ファンク、ソウル、レイヴ、ポップスを融合させ、刺激的なダンスビートを提供する。

 

先月、ムーンチャイルド・サネリーは、2025年1月10日にTransgressive Recordsからリリースされる新しいスタジオ・アルバム『Full Moon』と、2025年のイギリスとアイルランドのヘッドライン・ツアーを発表した。

 

『Full Moon』は、サネリーのユニークなサウンド、陽気なアティテュード、個性的なヴォーカル、そしてジャンルを超えたヒットメーカーとしての才能を披露する12曲からなるコレクションで、アルバムの最新シングルとビデオ「Do My Dance」も収録されている。(ストリーミングはこちら)

 

最新作は、マラウイ、イギリス、スウェーデンで録音され、ヨハン・ヒューゴ(Self Esteem、MIA、Kano)がプロデュースした。『Full Moon』のクラブ・レディーなビートは、エレクトロニック、アフロ・パンク、エッジの効いたポップ、クワイト、ヒップホップの感性の間を揺れ動く。

 

「このレコードを "FULL MOON "と名付けたのは、これらの経験を生き、書くことで得た、実に明確な感覚を伝えるため」とムーンチャイルドは言う。「”Phases”では月の満ち欠けを表現した。月が満ち欠けするとき、月は一度に自分の一部を見せる。”Full Moon”は、私全体が照らし出される。私の全自己の到着だ」

 

「FULL MOONは、私がここにたどり着くまでに経験しなければならなかったこと、感じなければならなかったすべての感情、経験したすべての集大成です。このプロジェクトには、最初から最後まですべてが凝縮されている。これは融和を表していて、ケンカ、悲しみ、立ち直ること、手放すこと、許すこと、受け入れることを意味します。許しには精神的、霊的な一体感があり、それはあなたを完全なものにしてくれる。だから私はここにいる。それが"FULL MOON "だ」

 

ムーンチャイルドは、"大胆なアンセム(CLASH)"である "Scrambled Eggs "のリリースで復帰のスタートを切った。COLORSxSTUDIOSの独占ショーで初披露された "Sweet & Savage "と、"感染するほど舌を巻くヒット曲(DIY)"である "Big Booty "である。「''Big Booty"は、グラストンベリーでの10公演を含め、ヨーロッパ中のフェスティバルで観客を沸かせた。アルバムの収録曲「Gwara Gwara」は、「EA Sports FC25」のサウンドトラックにも収録されている。

 

この夏には、「アルトポップの未来のスーパースター」であるセルフ・エスティームとのコラボ曲 "Big Man "がリリースされ、ガーディアン紙で「2024年の夏の歌」と評された。

 

先週(11/2)ムーンチャイルド・サネリーはBBCのテレビ番組「Later...With Jools Holland」をDJと一緒に出演した。ウサギダンスをDJは披露。また、サネリーは”原宿ファッション”に触発されたブーツを履いているのにも注目したい。ライヴ・パフォーマンスの模様は下記よりご覧ください。


ムーンチャイルド・サネリーの『Full Moon』は来年1月10日にTransgressiveより発売されます。来年最初の話題作の一つ。



「Later...With Jools Holland」

 

 

Moonchild Sanelly(ムーンチャイルド・サネリー)  3作目のアルバム『Full Moon』を発表  Transgressiveより1月10日に発売


サウスカロライナ州チャールストンのアーティスト、 Contour (Khari Lucas)は、ラジオ、映画、ジャーナリズムなど、様々な分野で活躍するソングライター/コンポーザー/プロデューサー。


彼の現在の音楽活動は、ジャズ、ソウル、サイケ・ロックの中間に位置するが、彼は自分自身をあらゆる音楽分野の学生だと考えており、芸術家人生の中で可能な限り多くの音とテーマの領域をカバーする。彼の作品は、「自己探求、自己決定、愛とその反復、孤独、ブラック・カルチャー」といったテーマを探求している。


コンツアー(カリ・ルーカス)の画期的な新譜『Take Off From Mercy- テイク・オフ・フロム・マーシー』は、過去と現在、夜と昼、否定と穏やかな受容の旅の記録であり、落ち着きのない作品である。


カリ・ルーカスと共同エグゼクティブ・プロデューサーのオマリ・ジャズは、チャールストン、ポートランド、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ジョージア、ロサンゼルス、ヒューストンの様々なスタジオで、Mndsgnやサラミ・ローズ・ジョー・ルイスら才能ある楽器奏者やプロデューサーたちとセッションを重ねながら、アルバムを制作した。


ジャンル的には、『Take Off From Mercy- テイク・オフ・フロム・マーシー』は、ギター・ドリブン・ミュージック、トロピカリア、ブルース、そしてヒップホップのありのままの正直さを融合させ、夜への長い一日の旅を鮮やかに描き出すことで、すでにコンターの唯一無二の声に層と複雑さを加えている。


メキシカン・サマーでのデビュー作となる本作では、2022年にリリースされた『オンワーズ!』のノワール的なサンプルやリリカルな歴史性を踏襲し、より歌謡曲的で斜に構えたパーソナルな作品に仕上げている。ルーカスにとって、これはギターを手に取ることを意味し、この動きはすぐに彼を南部のソングライターの長い系譜と形而上学的な会話に置くことになる。カリ・ルーカスは言う。「それはすぐに、旅する南部のブルースマンについて考えるきっかけになった」 彼にとってギターは旅の唯一の友であり、楽器は自分の物語を記録し、世代を超えた物語と伝統を継承する道具なのだ。このアルバムの語り手は放蕩息子であり、悪党の奸計の中をさまようことになる。



『Take Off From Mercy』/ Mexican  Summer   (94/100) 

 

  Yasmin Williams(ヤスミン・ウィリアムズ)をはじめ、最近、秀逸な黒人ギタリストが台頭していることは感の鋭いリスナーであればご承知だろう。Khari Lucas(カリ・ルーカス)もまたジャズのスケールを用い、ソウル、ヒップホップ、サイケロック、そして、エレクトロニックといった複数のフィールドをくまなく跋渉する。どこまで行ったのだろうか、それは実際のアルバムを聞いてみて確かめていただきたい。

 

シンガーソングライター、ルーカスにとっては、ラップもフォークもブルースも自分の好きな音楽でしかなく、ラベリングや限定性、一つのジャンルという括りにはおさまりきることはない。おそらく、彼にとっては、ブルース、R&B、エレクトロニック、テクノ、アンビエント、スポークンワード、サイケロック、それらがすべて「音楽表現の一貫」なのだろう。そして、カーリ・ルーカスは、彼自身の声という表現ーーボーカルからニュアンス、ラップーー様々な形式を通して、時には、フランク・オーシャンのような次世代のR&Bのスタイルから、ボン・アイヴァー、そしてジム・オルークのガスター・デル・ソルのようなアヴァン・フォーク、ケンドリック・ラマーのブラックミュージックの新しいスタイルに至るまで、漏れなく音楽的な表現の中に組みこもうと試みる。まだ、コンツアーにとって、音楽とはきわめて不明瞭な形態であることが、このアルバムを聴くと、よく分かるのではないだろうか。彼は少なくとも、「慈悲からの離陸」を通して、不確かな抽象表現の領域に踏み入れている。それはまるでルーカスの周囲を取り巻く、「不明瞭な世界に対する疑問を静かに投げかける」かのようである。


「静か」というのは、ボーカルに柔らかい印象があり、ルタロ・ジョーンズのようにささやきに近いものだからである。このアルバムの音楽は、新しいR&Bであり、また、未知の領域のフォークミュージックである。部分的にはブレイクビーツを散りばめたり、Yves Tumorの初期のような前衛的な形式が取り入れられることもあるが、基本的に彼の音楽性はもちろん、ラップやボーカル自体はほとんど昂じることはない。そして彼の音楽は派手さや脚色はなく、演出的な表現とは程遠く、質実剛健なのである。アコースティックギターを片手にし、吟遊詩人やジプシーのように歌をうたい、誰に投げかけるともしれない言葉を放つ。しかし、彼の音楽の歌詞は、世の一般的なアーティストのように具象的になることはほとんどない。それはおそらく、ルーカスさんが、言葉というのに、始めから「限界」を感じているからなのかもしれない。

 

言語はすべてを表しているように思えるが、その実、すべてを表したことはこれまでに一度もない。部分的な氷山の上に突き出た一角を見、多くの人は「言葉」というが、それは言葉の表層の部分を見ているに過ぎない。言葉の背後には発せられなかった言葉があり、行間やサブテクスト、意図的に省略された言葉も存在する。文章を読むときや会話を聞く時、書かれている言葉、喋られた言葉が全てと考えるのは愚の骨頂だろう。また、話される言葉がその人の言いたいことをすべて表していると考えるのも横暴だ。だから、はっきりとした脚色的な言葉には注意を払わないといけないし、だからこそ抽象領域のための音楽や絵という形式が存在するわけなのだ。

 

カリ・ルーカスの音楽は、上記のことをかなり分かりやすい形で体現している。コンツアーは、他のブラック・ミュージックのアーティストのように、音楽自体をアイデンティティの探求と看過しているのは事実かもしれないが、少なくとも、それにベッタリと寄りかかったりしない。彼自身の人生の泉から汲み出された複数の感情の層を取り巻くように、愛、孤独、寂しさ、悲しみといった感覚の出発から、遠心力をつけ、次の表現にたどり着き、最終的に誰もいない領域へ向かう。ジム・オルークのようにアヴァンな領域にあるジャズのスケールを吸収したギターの演奏は、空間に放たれて、言葉という魔法に触れるや否や、別の物質へと変化する。UKのスラウソン・マローンのように、ヒップホップを経過したエレクトロニックの急峰となる場合もある。


コンツアーの音楽は、「限定性の中で展開される非限定的な抽象音楽」を意味する。これは、「音楽が一つの枠組みの中にしか存在しえない」と思う人にとっては見当もつかないかもしれない。ヒップホップはヒップホップ、フォークはフォーク、ジャズはジャズ、音楽はそんな単純なものではないことは常識的である。


そして、音楽表現が本当の輝きを放つのは、「限定的な領域に収まりきらない箇所がある時」であり、最初の起点となるジャンルや表現から最も遠ざかった瞬間である。ところが、反面、全てが単一の領域から離れた場所に存在する時、全般的に鮮烈な印象は薄れる。いわば押さえつけられた表現が一挙に吹き出るように沸点を迎えたとき、音楽はその真価を発揮する。言い換えれば、一般的な表現の中に、ひとつか、ふたつ、異質な特異点が用意されているときである。

 

アルバムは15曲と相当な分量があるものの、他方、それほど時間の長さを感じさせることがない。トラック自体が端的であり、さっぱりしているのもあるが、音楽的な流れの緩やかさが切迫したものにならない。それは、フォーク、ブルースというコンツアーの音楽的な核心があるのに加え、ボサノヴァのサブジャンルであるトロピカリアというブラック・ミュージックのカルチャーを基にした音楽的な気風が、束の間の安らぎ、癒やしを作品全体に添えるからである。


アルバムの冒頭を飾る「If He Changed My Name」は、ジム・オルークが最初期に確立したアヴァンフォークを中心に展開され、不安定なスケール進行の曲線が描かれている。しかし、それ対するコンツアーのボーカルは、ボサノヴァの範疇にあり、ジョアン・ジルベルト、カルロス・ジョビンのように、粋なニュアンスで縁取られている。「粋」というのは、息があるから粋というのであり、生命体としての息吹が存在しえないものを粋ということは難しい。その点では、人生の息吹を吸収した音楽を、ルーカスはかなりソフトにアウトプットする。アコースティックギターの演奏はヤスミン・ウィリアムズのように巧みで、アルペジオを中心に組み立てられ、ジャズのスケールを基底にし、対旋律となる高音部は無調が組み込まれている。協和音と不協和音を複合させた多角的な旋法の使用が色彩的な音楽の印象をもたらす。 そしてコンツアーのボーカルは、ラテンの雰囲気に縁取られ、どことなく粋に歌をうたいこなすのである。

 

 一曲目はラテンの古典的な音楽で始まり、二曲目「Now We're Friends」はカリブの古典的なダブのベースラインをモチーフにして、同じようにトロビカリアの領域にある寛いだ歌が載せられる。これはブラックミュージックの硬化したイメージに柔らかい音楽のイメージを付与している。しかし、彼は概して懐古主義に陥ることなく、モダンなシカゴドリルやグリッチの要素をまぶし、現代的なグルーヴを作り出す。そしてボーカルは、ニュアンスとラップの間を揺れ動く。ラップをするというだけではなく、こまかなニュアンスで音程の変化や音程のうねりを作る。その後、サンプリングが導入され、女性ボーカル、アヴァンギャルドなノイズ、多角的なドラムビートというように、無尽蔵の音楽が堰を切ったかのように一挙に吹き出る。これらは単なる引用的なサンプリングにとどまらず、実際的な演奏を基に構成される「リサンプリング」も含まれている。これらのハチャメチャなサウンドは、音楽の未知の可能性を感じさせる。



さて、Lutalo(ルタロ・ジョーンズ)のように、フォークミュージックとヒップホップの融合によって始まるこのアルバムであるが、以降は、エレクトロニックやダンスミュージックの色合いが強まる。続く「Entry 10-4」は、イギリスのカリビアンのコミュニティから発生したラバーズロック、そして、アメリカでも2010年代に人気を博したダブステップ等を吸収し、それらをボサノヴァの範疇にある南米音楽のボーカルで包み込む。スネア、バスを中心とするディストーションを掛けたファジーなドラムテイクの作り込みも完璧であるが、何よりこの曲の気風を象徴付けているのは、トロピカリアの範疇にあるメロディアスなルーカスのボーカルと、そして全体的にユニゾンとしての旋律の補強の役割を担うシンセサイザーの演奏である。そして話が少しややこしくなるが、ギターはアンビエントのような抽象的な層を背景に形作り、この曲の全体的なイメージを決定付ける。さらに、音楽的な表現は曲の中で、さらに広がりを増していき、コーラスが入ると、Sampha(サンファ)のような英国のネオソウルに近づく場合もある。

 

その後、音楽性はラテンからジャズに接近する。「Waterword」、「re(turn)」はジャズとソウル、ボサノヴァとの融合を図る。特に、前者にはベースラインに聴きどころが用意されており、ボーカルとの見事なカウンターポイントを形成している。そしてトラック全体、ドラムのハイハットに非常に細かなディレイ処理を掛けながら、ビートを散らし、分散させながら、絶妙なトリップ的な感覚を生み出し、サイケデリックなテイストを添える。しかし、音楽全体は気品に満ちあふれている。ボーカルはニュアンスに近く、音程をあえてぼかしながら、ビンテージソウルのような温かな感覚を生み出す。トラックの制作についても細部まで配慮されている。後者の曲では、ドラムテイク(スネア)にフィルターを掛けたり、タムにダビングのディレイを掛けたりしながら、全体的なリズムを抽象化している。また、ドラムの演奏にシャッフルの要素を取り入れたり、エレクトリックピアノの演奏を折りまぜ、音楽の流れのようなものを巧みに表現している。その上で、ボーカルは悠々自適に広やかな感覚をもって歌われる。これらの二曲は、本作の音楽が全般的には感情の流れの延長線上にあることを伺わせる。

 

アルバムの中盤に収録されている「Mercy」は本当に素晴らしく、白眉の出来と言えるだろう。ヒップホップに依拠した曲であるが、エレクトロニックとして聴いてもきわめて刺激的である。この曲は例えばシカゴドリルのような2010年代のヒップホップを吸い込んでいるような印象が覚えたが、コンツアーの手にかかると、サイケ・ヒップホップの範疇にある素晴らしいトラックに昇華される。ここでは、南部のトラップの要素に中西部のラップのスタイルを添えて、独特な雰囲気を作り出す。これは「都会的な雰囲気を持つ南部」とも言うべき意外な側面である。そして複数のテイクを交え、ソウルやブルースに近いボーカルを披露している。この曲は、キラー・マイクが最新アルバムで表現したゴスペルの系譜とは異なる「ポスト・ゴスペル」、「ポスト・ブルース」とも称するべき南部的な表現性を体験出来る。つまり、本作がきわめて奥深いブラック・ミュージックの流れに与することを暗示するのである。

 

意外なスポークンワードで始まる「Ark of Bones」は、アルバムの冒頭部のように緩やかなトロピカリアとして流れていく。しかし、ピアノの演奏がこの曲に部分的にスタイリッシュな印象を及ぼしている。これは、フォーク、ジャズ、ネオソウルという領域で展開される新しい音楽の一つなのかもしれない。少なくとも、オルークのように巧みなギタープレイと霊妙なボーカル、コーラス、これらが渾然一体となり、得難いような音楽体験をリスナーに授けてくれるのは事実だろう。続いて、「Guitar Bains」も見事な一曲である。同じくボサやジャズのスケールと無調の要素を用いながら新しいフォークミュージックの形を確立している。しかし、聴いて美しい民謡の形式にとどまることなく、ダンス・ミュージックやEDMをセンスよく吸収し、フィルターを掛けたドラムが、独特なグルーヴをもたらす。ドラムンベース、ダブステップ、フューチャーステップを経た現代的なリズムの新鮮な息吹を、この曲に捉えることが出来るはずだ。


一般的なアーティストは、この後、二曲か三曲のメインディッシュの付け合せを用意し、終えるところ。そして、さも上客をもてなしたような、満足げな表情を浮かべるものである(実際そうなるだろうとばかり思っていた)しかし、驚くべきことに、コンツアーの音楽の本当の迫力が現れるのは、アルバムの終盤部である。実際に10曲目以降の音楽は、神がかりの領域に属するものもある。それは、JPEGMAFIA、ELUCIDのような前衛性とは対極にある静謐な音楽性によって繰り広げられる。コンツアーは、アルバムの前半部を通じて、独自の音楽形態を確立した上で、その後、より奥深い領域へと踏み込み、鮮烈な芸術性を発揮する。


 「The Earth Spins」、「Thersa」は、ラップそのもののクロスオーバー化を徹底的に洗練させ、ブラックミュージックの次世代への橋渡しとなるような楽曲である。ヒップホップがソウル、ファンク、エレクトロニックとの融合化を通過し、ワールドミュージックやジャズに近づき、そして、ヒーリングミュージックやアンビエント、メディエーションを通過し、いよいよまた次のステップに突入しつつあることを伺わせる。フランク・オーシャンの「Be Yourself」の系譜にある新しいR&B、ヒップホップは再び次のステップに入ったのだ。少なくとも、前者の曲では、センチメンタルで青春の雰囲気を込めた切ない次世代のヒップホップ、そして、後者の曲では、ローファイホップを吸収し、それらをジャズのメチエで表現するという従来にはなかった手法を確立している。特に、ジャズピアノの断片的なカットアップは、ケンドリック・ラマーのポスト的な音楽でもある。カーリ・ルーカスの場合は、それらの失われたコーラスグループのドゥワップの要素を、Warp Recordsの系譜にあるテクノやハウスと結びつけるのである。


特に、最近のヒップホップは、90、00年代のロンドン、マンチェスターのダンスミュージックを聴かないことには成立しえない。詳しくは、Warp、Ninja Tune,、XLといった同地のレーベル・カタログを参照していただきたい。そして、実際的に、現在のヒップホップは、イギリスのアーティストがアメリカの音楽を聴き、それとは対象的に、アメリカのアーティストがイギリスの音楽を聴くというグルーバル化により、洗練されていく時期に差し掛かったことは明らかで、地域性を越え、ブラックミュージックの一つの系譜として繋がっている部分がある。

 

もはや、ひとつの地域にいることは、必ずしもその土地の風土に縛り付けられることを意味しない。コンツアーの音楽は、何よりも、地域性を越えた国際性を表し、言ってみれば、ラップがバックストリートの表現形態を越え、概念的な音楽に変化しつつあることを証立てる。このことを象徴するかのように、彼の音楽は、物質的な表現性を離れ、単一の考えを乗り越え、離れた人やモノをネットワークで結びつける「偉大な力」を持ち始めるのである。そしてアルバムの最初では、一つの物質であったものが分離し、離れていたものが再び一つに還っていくような不思議なプロセスが示される。それは生命の根源のように神秘的であり、アートの本義を象徴付けるものである。

 

アルバムの終盤は、カニエ・ウェストの最初期のようなラフなヒップホップへと接近し、サイケソウルとエレクトロニック、そして部分的にオーケストラの要素を追加した「Gin Rummy」、ローファイからドリルへと移行する「Reflexion」、アヴァンフォークへと回帰する「Seasonal」というように、天才的な音楽の手法が披露され、90年代のNinja Tuneの録音作品のように、荒削りな質感が強調される。これらは、ヒップホップがカセットテープのリリースによって支えられてきたことへの敬意代わりでもある。きわめつけは、クローズ「For Ocean」において、ジャズ、ローファイ、ボサノヴァのクロスオーバーを図っている。メロウで甘美的なこの曲は、今作の最後を飾るのに相応しい。例えば、このレコードを聴いたブロンクスで活動していたオランダ系移民のDJの人々は、どのような感慨を覚えるのだろうか。たぶん、「ヒップホップはずいぶん遠い所まで来てしまったものだ」と、そんなふうに感じるに違いない。






Fabiana Palladino

 

ソウルミュージックのリバイバル運動をリードする作曲家/歌手/プロデューサーのFabiana Palladino(ファビアーナ・パラディーノ)がニューシングル「Drunk」を”Paul Institution/XL”からリリースした。この新曲は今年発売されたセルフタイトルのデビューアルバムに続く待望の作品である。(ストリーミングはこちら)

 

ファビアーナ・パラディーノの楽曲は、クインシー・ジョーンズ、マーヴィン・ゲイ、ジャネット・ジャクスン等の80年代のブラック・コンテンポラリーのスタイルを採用している。このジャンルはブラックミュージックの商業化に拍車が掛かり、多数のヒット曲が生まれた。同時期、ビリー・オーシャン、ヒート・ウェイヴ、ルービー・ターナーといった有名なブリティッシュ・プロデューサーがUKに台頭したものの、チャカ・カーン等の米国の歌手と比べると小粒な印象もある。 その空白の期間を埋め合わせるべく、UKソウルシーンのニュースターが今年登場した。

 

パラディーノは、プロミュージシャンの家系の人物である。アーティスト名を冠したデビュー・アルバムをリリース後、大型のライヴ・イベントにも出演し、着実にファンベースを広げている。ロンドンのソウルが次世代のものへとアップデートする中、この歌手はアメリカの80年代のソウル、さらに言えば、MTV全盛期のブラック・ミュージックに回帰し、異彩を放っている。


ニューシングル「Drunk」でも80年代のソウル/R&Bへのリスペクトは依然として維持されている。今回の新曲では、ドラム・トラックが前面に押し出され、ファンク(ベース)をムーディーでメロウなブラックコンテンポラリーと結びつけている。ソウルとして聴き応えがあり、ライトなディスコサウンドのように乗りやすく、人を酔わせる不思議な力があり、なおかつメロディーラインも親しみやすさがある。シンガーの代名詞となるニューシングルが登場した。


 

 「Drunk」



Dawn Richard & Spencer Zahn 
 

ドーン・リチャードは、ルイジアナ・クレオール文化、ニューオーリンズ・バウンス、サザン・スワッグを要素として扱い、ハウス、フットワーク、R&Bなどを織り交ぜることができる。彼女が言うように、"私はジャンルである"。


ダニティ・ケインの創設メンバーとして、また後にディディのダーティ・マネーに参加したドーンは、商業ポップ・ミュージックの内と外を探求することができた。ソロ・アーティストとして、彼女はセルフ・リリースを選んだ。批評家から絶賛された5枚のフル・アルバムの中で、ドーンは業界の規範に屈服したり屈曲したりしないというメッセージを明確にしてきた。


「プロデューサーとしてもアーティストとしても、女性が評価されることはない。今こそ、エレクトロニック・ミュージックだけでなく、あらゆるジャンルで彼女たちの才能を認めるべき時だ。私は、南部出身の若い黒人女性が、音楽的にも、視覚的にも、芸術的にも、なりたい自分になれるように努める」


マルチ・インストゥルメンタリスト、スペンサー・ザーンの音楽は、オープンであることが特徴だ。広々とした音の風景は、彼のクリエイティブ・コミュニティからの貢献が豊かである。マサチューセッツ生まれのザーンは、12歳でベースを弾き始めた。2000年代半ばにニューヨークに移住してからは、ツアー・ミュージシャンとして活動し、ジャンルを超えてさまざまなアーティストとライブを行なってきた。ザーンのソロ・アーティストとしてのキャリアは、その後、志を同じくするギタリスト、デイヴ・ハリントンと共演を始めた2015年と同時期に始まった。



2022年に発表された『Pigments』に続くこのデュオのセカンド・アルバムは、共通のコラボレーション精神、純粋な音楽的好奇心、ジャンルの慣習から逃れようとするコスモポリタンな熱意を浮き彫りにしている。「Diets 」では、デュオの率直で告白的なリリシズムが発揮されている。リチャードは、有害な人間関係や習慣を断ち切ることを減量に例えて、カロリー摂取を控えるように、偽物の友人を捨てる、と歌う。  


『クワイエット・イン・ア・ワールド・フル・オブ・ノイズ』の制作は、2023年にニューヨーク北部で始まった。別れたばかりのザーンはピアノの前に座り、作曲とレコーディングに没頭した。「私はピアノで、不気味で広々としたピアノ曲を書いた」彼は、標準のピッチではなく、部屋に合わせて型破りに調律されたピアノを使用した。この奇妙な調律の不気味なインストゥルメンタル・レコーディングは、当初アルバムにするつもりはなかったという。半年後、彼はその録音を聴き直してリチャードに送り、彼はすぐに次のアルバムの可能性に気づいた。


『クワイエット・イン・ア・ワールド・フル・オブ・ノイズ』でリチャードは、トラウマ的な喪失体験がもたらす感情的な衝撃を歌詞とヴォーカル・パフォーマンスに反映させた。このアルバムの制作について、リチャーズは次のように語っている。

 

「スタジオに入って、これを書き留めたわけではないんだけど、パージして、その後は何も変えなかった。正直言って、今までで一番大変だった。私たち家族はセラピーに対して歪んだ見方をしている。だからこの瞬間は、世間とその瞬間を共有するという、厳しい開放の瞬間だった。でもまた、なぜかスペンサーと仕事をすると、他の誰ともしないような弱さに触れることができるんだ。そして私は臆することなく挑戦しようと思う」 


『クワイエット・イン・ア・ワールド・フル・オブ・ノイズ』は、プログレッシヴでアヴァンギャルドなR&Bを構成する定義を完全に書き換えることで、親密で、魂を剥き出しにし、スペクタルで、そして驚くべき作品に仕上がっている。


ドーン・リチャードのニューアルバムに関する声明は以下の通り。


ーー私は音楽を通して、いろいろな方法で自分自身を探求することができました。それが当たり前だとは思っていない。たとえそれが馴染みのないものであったとしても、あるいはあなたが私に求めていたものとは全く違うものであったとしても、リスクを冒して音楽的に私についてきてくれたすべての人に感謝したい。


人々はいつも、「なぜ、まだやっているのか?」と尋ねる。それは癒しの芸術以外の何ものでもない。音楽は私を救ってくれた。そして、今もそうあり続けている。


このプロジェクトは私に不可欠なものだった。癒しでもあった。この世界では、多くの雑音があなたを取り囲んでいる。多くの事象があなたを様々な方向に引っ張っていく。自分の静寂を見つけることが大切よ。セルフケアのためのスペース……。静寂は、あなたをひとつにまとめてくれるの。


だから、私の音楽の旅の間、プレイを押し続けてくれた人たちのために、スペンサー・ザーンと私にとってそうであったように、この曲があなたを癒してくれることを心から願っています。ーー


 

 

 Dawn Richard & Spencer Zahn 『Quiet In a World Full of Noise』 - Merge Records

 

2024年のMergeの最高傑作の登場と言えそうだ。ヴォーカリストとして多彩な表現力を持つニューオリンズのドーン・リチャード、そして、ニューヨークのマルチインストゥルメンタリスト、最近はポスト・クラシカルの作品『Status Ⅰ&Ⅱ』を発表したスペンサー・ザーンの異なる才能が結びつき、硬質でゴージャスなレコーディングが誕生した。また、このアルバムは、コラボレーションのお手本であり、多くのプロミュージシャンが模範とすべき指針となるだろう。 


今回のデュオとしての制作における両者の役割は明確である。スペンサー・ザーンは、部屋ごとに調律の異なるピアノを情感たっぷりに演奏し、そして、ドーン・リチャードは、Nick Hakimの系譜にあるネオソウル、ニューオリンズの原初的なラップであるバウンス、そして時にはスポークンワード、トラディショナル、ポピュラー、ジャズといった多角的なジャンルのヴォーカルを通して、ピアノの演奏に多彩なスペシャリティを与える。冷静さと感情の抑制を兼ね備えた語りから、それとは対象的なソウルの情感溢れる歌まで広汎な歌唱法を駆使し、作品全体に動きと変容をもたらす。スペンサー・ザーンのピアノは一貫して明徹で、澄明な輝きを放つが、その演奏を出発点として、リチャードの多彩なヴォーカルがこの作品を佳作から傑作に近い領域まで引き上げている。最後の仕上げとなるのは、高水準のマージレコードの録音である。このアルバムの音質は、洗練された現代建築を見るかのような威厳に満ちている。

 

リードシングルのプレスリリースで、スペンサー・ザーンは「皆、何かに圧倒されすぎなのではないか?」と現代的なポピュラー音楽に苦言を呈していましたが、その通りかもしれない。 音楽は、怪物でもなければ怖い存在でもない、本来は単純明快で素晴らしいものなのだから。実際的に、それらを過度に難しくしたり、モンスター化しているのは制作者自身ではないだろうか。そして、最近よく感じるのが制作者の多くが最早何をやりたいのかも不分明になっているケースが散見されるということである。まだ、それが若気の至りであれば良いのだが、少なくとも経験豊富で良識のある音楽家がするべきことではないだろう。経験のある音楽家はむしろ、後進となる音楽家の模範的な存在であるのが理想的である。そして、良い音楽を作る際に最も重要視すべきなのは、音質でもなければ、録音の手法でもない。そして、人を驚かせるようなやり方を廃し、それとは対象的に、歌の歌唱、作曲の妙、演奏の巧みさ、歌詞の美しさといった音楽の初歩的な手段で本質を語り、音楽の素晴らしさをストレートに伝えるように努めるべきである。そもそも、こういった初歩や基礎を軽視する人が多いのに辟易とすることがある。というのも、この基本を蔑ろにしつづけると、いつしか音楽は驚くべき無味乾燥な娯楽に堕落していかざるを得ないからだ。そして、音楽自体の本質を歪めるような効果を施すのではなく、本質の特性を押し出したり、また、一般的にわかりづらい魅力を引き出すのがレコーディングの妙でもある。その点において、複雑なサウンドエフェクトが施される場合も稀にあるが、このアルバムは、おそらくノンエフェクトで聴いたとしても、良いアルバムに聞こえるに違いない。それは、すでに録音現場に入る段階で、両者の音楽的な構想がしっかりと固まっており、それを忠実に実践しているに過ぎないからである。オズボーンが言うように、構想がしっかりと固めて、何をしたいのかを吟味してから、最終的にレコーディングスタジオに入るべきである。また、人間的な価値観が定まらぬうちに、多くのことを試しすぎるのも実は結構危険なのだ。

 

また、音楽の作法の他に、「表現性」というもう一つの欠かさざる要素も看過出来ない。この点において、ドーン・リチャードは「南部のシンガー」という特性を上手く活かしているのではないか。リチャードの歌に原初的なジャズやブルースの影響が含まれているか、もしくはアーティスト自身がそれらの音楽からの直接的な影響を受けているかどうかは定かではない。しかし、南部は南北戦争後から長期間、人種差別が根強かった地域であり、女性であれば、なおさらであろう。そういった地域に住むミュージシャンが、「南部出身の若い黒人女性が、音楽的にも、視覚的にも、芸術的にも、なりたい自分になれるようにしたい」と抜本的な地位向上を求めること、ないしは、本来の地位の獲得を主張することは、歴史的に見てもとても意義深いように思われる。しかし、そういった出発点は、優遇されたというよりも、不遇であったという思いをバネにして、それらのマイナスのエネルギーをプラスの方向に変換していこうという良心に求められるのである。さらに、個人と社会という二つの関係性において、「より良い権利を獲得しよう」と努めるのは、基本的人権の範疇にある称賛すべき行為である。およそ、すべての人間は幸福になる権利があり、もし、不遇な立場に置かれていると感じるなら、遠慮会釈なく、そのことを対外的に主張せねばならない。それが善良な社会を形成する市民の最低限の責務でもある。もちろん、それが単なる政治的な主張性に終始せず、「音楽の素晴らしさ」という一つの入り口を通して、多くの人々にそのことが伝われば、より理想的かもしれない。

 

ドーン・リチャードはソウルシンガーとしても傑出していて、とくに歌の持つ多彩な表現力を巧緻に駆使している。歌は、言葉になることもあるし、交流の手段、伝達の手段、感情表現、楽器にもなりえる。また、打楽器のようにビートやリズムを刻むこともできる。言葉を使うか否かによらず、考えの及ばないほどの未知の可能性を持っている。そして、リチャードは主張性を負の概念ではなく、正の概念に変換しようとしている。正の概念とは、端的に言えば、己が持ちうる能力や個性を駆使して、それらを社会的に還元しようという意味である。また、それは、一元的な役割に終始することはなく、他者と同じ性質になることもほとんどない。それぞれが違う役割と使命を持っていて、きわめて多彩なのである。そして、それは必ずしも、社会において平均的な能力を発揮するということではないのである。ドーン・リチャードのヴォーカルは、批判や譴責、あるいは内的なストレスの発散にあるわけではなく、それらの感覚を噛み締め、言葉の持つ意味を考えた上で、建設的な表現としてアウトプットする。もちろん、これは、歌手がパーフェクトな人間であると断定付けるものではない。しかしながら、それでも、現代社会ではあまりに言葉が粗雑に扱われることが多いのは事実だろう。それはつまり、自分の中で、なぜ、そういった感情が生じたのか、また、なぜ、そのような考えが沸き起こったのか、吟味する機会が少ないのである。つまり、自分の考えに一歩距離を置いて考えられず、すぐさま何かに過敏に反応してしまう。五分も経てば、もしかしたら、それは思い違いであったかもしれない、そういった吟味することがなく、何かに飛びつく。そんなことを続ければ、その人の人格はどうなっていくのか。そして、その吟味や解釈の時間を作り、建設的な意見を示すことが良識者としての規範であり、それが時間と共に人間的な気品や威厳、何より、その人の人間的な魅力を形作っていく。リチャードの歌は、罪を世に問うのではなく、より建設的な考えを啓蒙するための基礎やきっかけを作ろうとしているに過ぎない。そして、彼女の歌から感じられるのは、「善良な人間として生きるための道筋を作ろう」という意志なのである。

 

従来のデュオの役割ーーピアノの伴奏と歌ーーという関係性について言及するのであれば、一般的には「伴奏」と「歌」という二つの独立した演奏者の性質を反映するものであったが、このアルバムではその限りではない。基本的には、オーケストラの歌曲のように、伴奏と主旋律という関係性は維持されるが、時々、その役割を流動的に変化させる点に注目しておきたい。例えば、スペンサー・ザーンが、時には伴奏から主旋律に役割を移し替えたり、全体的なテクスチャの表情付けをしたかと思えば、それとは対象的に、ドーン・リチャードがスキャットのような技法を駆使し、テクスチャの表情付けをし、ザーンのピアノの演奏の雰囲気を強化したりする。これが作品全体の音楽に流動性を及ぼし、音楽を軟化させ、表現力の多彩さをもたらしている。


つまり、基本的には、リチャードの歌が主役で、ザーンもまたそれを明確に認めていると思うが、両者ともにスタンスを固定せず、それどころか自分の演奏や音楽の立脚点に固執しない。これが音楽に奥行きを与え、聴いていて飽きさせず、長く聴けるような深みを与えている。そして音楽を紡ぐことに関しても、両者には同水準の自負心があり、そのことを誇りに思っているはずだ。それが実際の音楽にも乗り移り、迫力味を付与している。両者の演奏や作曲における観念はピタリと合致し、音楽的な考えを上手く共有していることも、このアルバムを良質にしている要因でもあるのではないか。もちろん、それは独善的な考えではなく、他者に対する敬意を絶えず欠かさぬことが、アルバムの音楽に強固なイメージや結束力をもたらしたことは事実であろう。

 

実際的には、このアルバムは「Movement」であり、曲の寄せ集めではなく、音楽の流れを体現させている。しかし、いくつかのジャンルが含まれ、それらが渾然一体として外側に表出されているのは事実だろう。例えば、そのことが一曲目「Stains」から顕著にうかがえる。この曲は独立したトラックというよりも、全体の導入部となっている。リチャードの声は、ジャズのムードを反映させて始まるが、ザーンのピアノは古典的な雰囲気に充ちている。ピアノの調律でデチューンを強調し、蠱惑的な音のテクスチャーを作り出している。歌に対するピアノは旋律的な側面を強調しているが、全体的にはアンビエントに近いニュアンスが込められている。そしてゾーンのピアノは、クラシックやジャズを織り交ぜ、ジャズからソウルへと変遷を辿っていき、リチャードのボーカルを巧みに引き立てる。それらにゴージャスな感覚を付与するのが、かすれたストリングスだ。これらの組み合わせは、明晰な音楽というより、抽象化された音楽の性質を強めるような働きをなす。いわば、このアルバムを聴き始めると、ぼんやりとした抽象的な空間が音楽の背景に浮かび上がってくるような錯覚を覚えるかもしれない。これは本作の主題となる「ノイズにまみれた世界の中にある静寂」の観念の立ち上がりの瞬間となり、厳密に言えば、「夢のような音楽」を聞き手に提供する出発点となる。これはシュールレアリズムやアンドレ・ブルトンのような原初的な抽象主義や象徴主義を音楽でかたどったかのようだ。

 

こういった手法はアンビエントで用いられる場合が多い。三次元の空間に別次元の空間が出現し、その向こうにある音楽に私達は恐るおそる手を伸ばすことになる。しかし、そのおぼろげでミステリアスな空間から聞こえてくるのは、慈しみと愛、そして柔らかさや優しさに溢れるピアノのモチーフである。続くタイトル曲で、大規模のコンサートホールのようなアンビエンスを施した空間処理の中、ザーンは沈痛に充ちたピアノの伴奏を始め、リチャードのダイナミックなボーカルを導く役割を担っている。


まるで、その期待に応えるかのように、リチャードは内的な痛みを捉えたヴォーカルをピアノに呼応させる。音楽そのものは、両者の演奏と歌を通じて繰り広げられる感情表現であり、それらはストリングスのかすれたトレモロや、ネオソウル風のコーラスによって美麗で高らかな感覚へ跳躍してゆく。いわば、最初のモチーフでは、悲哀とやるせなさが起点となっているが、これらが精妙な感覚を持つソウル・ミュージックへと上昇していくのである。アウトロのゾーンの演奏も哀感に満ち溢れ、イントロと呼応するかのように淡い余韻をもたらす。悲しみの余韻は立ち消え、それと立ち代わりに、アンビエント風のイントロが立ち上がる。すると、まるで場面が突如切り替わるように、開けた屋外や自然豊かな場所が私達の目の前に出現する。「3- Traditions」は対象的に、明るく、輝かしい光に充ちたポピュラー・ソングである。リチャードは時々、その中で、ソウルというよりも、R&Bの古典的な歌唱法を駆使しながら、本格派の歌手としての才覚を遺憾なく発揮する。それらに新鮮なニュアンスをもたらすのが、ゾーンのピアノの伴奏、そしてギター、さらにはアンビエント風のシンセ・テクスチャーである。これらは地にあった感覚を離れて、天上を歩くかのような晴れやかな気分を沸き起こらせる。

 

 

 

「4-Diet」は目の覚めるような曲で、本作の重要なハイライトの一つ。この曲は今年度のソウルミュージックの最高峰に位置するといっても差し支えないだろう。ダイエットの非日常的な話題に触れながらも、対極にある「R&Bの啓示的な本質」を呼び覚ます。ザーンの調律を変えたピアノで始まり、リチャードのヴォーカルの主旋律に対し、補佐的な対旋律を描くことがある。しかし、全般的にこの曲を強固に支えているのは、低音部の和音である。エレクトロニックのアルペジエーターを曲の途中で挿入し、これらの音楽形式に前衛性をもたらしている。シンセサイザーのアルペジエーターは、リチャードの歌の周囲を取り巻きながら、感情的な表現、及び、リリシズムに色彩的な効果を及ぼしている。両者の多彩な才覚が合致した非の打ち所がない一曲だ。

 

 

「Diet」

 

 


テープ(アナログ)ディレイで始まる「5-Stay」は、イントロの渦巻くようなサウンド効果のあと、エレクトロニカ風の曲調に続く。しかし、リチャードのヴォーカルは、ネオソウルの系譜にあり、現代的なエレクトロニックを内包させたブラックミュージックの一貫として展開される。この曲では、スペンサー・ザーンのマルチ奏者としての才覚の一部であるシンセ奏者とプロデューサー的な趣向が色濃く反映されているように思える。いわば、リチャードの本格的なソウルの歌唱に対して、ミニマル・テクノやミニマル・アンビエントのテクスチャーを音楽の背景に敷き詰めている。アルバムの中では、インタリュードーー曲と曲のつなぎ目ーーのような役割を果たしている。

 

「6-Life In Number」は、エリック・サティの「ジムノペティ」の系譜にあるピアノの演奏で始まる。それに続くのは、ドーン・リチャードのニューオリンズ・バウンスの語りだ。ゾーンの演奏は基本的に精妙な感覚に縁取られているが、時々、アナログディレイのアンビエンスを織り交ぜ、通奏低音のような役割を持つリチャードのスポークンワードを補佐している。この曲は、従来の音楽ジャンルにはなかった形式で、「アンビエント・ヒップホップ」の誕生の瞬間と言えそうだ。ただ、これはすでにダニー・ブラウンが昨年リリースした『Quaranta』で暗示していた手法であるが......。

 

  「7-Moments For Stillness」は、ストリングスを編集においてデチューンしたドローンである。これは米国のローレル・ヘイローや日本のサチ・コバヤシに比する手法で、ドローンミュージックの形式が選ばれている。この曲もまた、 インタリュードやムーヴメントの役割を持ち、曲と曲のつなぎの役割を果たしている。なぜ、こういった曲を入れるのかといえば、核心を突く楽曲ばかりだと聞き手が疲弊してしまうからである。しかし、単なる間奏的な曲とも言い難いものがあり、アルバムにバリエーションを与えているのみならず、収録曲全体に何らかの働きかけをしている。その後、アルバムは終盤に差し掛かり、オープニングに見受けられるような、ペーソスに充ちたネオソウルをベースに、音楽そのものがダイナミックさと迫力味を増していく。その音響効果を担うのがシネマ・ストリングスだ。続く「8-The Dancer」では、シネマティックな音楽の性質が強まり、リチャードのヴォーカルが主役となる。それは舞台の後ろにいたはずのリチャードにスポットライトが当てられ、舞台の中央に出てくるような演出効果である。そのあと、それとは対極的な音楽表現が登場する。氷のように冷たい響きを持つザーンのアルペジオをもとに、シネマティックなポップスが構築される。「9-Breath Out」は、音楽における演劇性が確立された瞬間であり、ポピュラー音楽の範疇で展開される。また、バレエ音楽の趣向もあり、何らかの登場人物の動きの効果を音楽が体現しているかのようである。これらは単一の音楽表現に留まることなく、ネオソウル、ジャズ、オーケストラというように、多角的なジャンルを内包させながら、音楽におけるストリーテリングのような役割を果たしている。

 

アルバムのもう一つのハイライトは続く「10-Ocean Past」に出てくる。フルレングスを制作する時に最も配慮したいのが、「ハイライトとなる前後の収録曲をどう配置するのか」という難題である。強い印象を持つ曲で、それがポピュラーとして平均的以上のものを有し、一般的な曲よりも優れている可能性があると分かっている場合には、少なくとも、その前の曲を強い印象で縁取るのは得策とはいいがたい。アルバムの収録曲は、一曲の中のクレッシェンドやデクレッシェンドのように「強弱の均衡」により成立しているため、強進行の曲と弱進行の曲がバランスよく配置されるべきである。このアルバムに関して言うと、続く「To Remove」は、弱進行に該当し、次曲の期待感を徐々に盛り上げるような重要な役割を担う。つまり、イントロダクションや導入部を設け、続くハイライトへの呼び水となり、次に何がやってくるのかという期待感を聞き手の感覚にもたらすのである。アンビエント風のシークエンスで一つの音楽の流れを形作ってから、アルバムのもう一つの本質である「Ocean Past」が続いている。前の曲の雰囲気を巧みに引き継ぐかのように、この曲は静かなイントロで始まり、その後、驚くべき変遷を辿っていく。ミステリアスな印象を持つピアノ、サクソフォンの断片的な演奏の導入、いわばアヴァンギャルドな雰囲気を漂わせながら、それらのミステリアスな感覚を縁取るリチャードのメロウなソウルフルなヴォーカル、彼らは二人三脚で、一大的なポピュラーの名品を作り上げていく。時々、トランペットのミュート、ストリングスの精妙なパッセージ、そしてボーカルやコーラスのサンプリング、多彩な録音を散りばめながら、感覚としては喜びと悲しみの中間域にある憂いのあるダークなポップスを完成させる。全体的な音楽性に関しては、その限りではないが、ゴシック・ポップのようなニュアンスに縁取られている。アルバムの中で最も傾聴すべき素晴らしい一曲である。

 

アルバムの冒頭がどのような曲であるのかを考慮しなければ良い作品を生み出すことが難しいのと同様に、アルバムの最終盤の曲も軽視出来ない。完璧な作品を作るのは難しいが、もし、中盤に、粗や欠点があろうとも、聞き手は終盤の感触が良ければ、それなりに満足感を覚えるからである。ただ、それは付け焼き刃であってはならず、聞き手に確かな手応えを感じさせねばならない。


そういった点では、「Try」はアルバムの中では最も聴き応えのある一曲だ。同時に一回聴いただけでは分からない何かがある。これは、スペンサー・ザーンとドーン・リチャードの持つ性質、器楽奏者としての多彩さ、シンガーの文化性の多彩さ、これら二つの個性が合致し、花開いたのである。オーケストラ風の表情付けから、金管楽器のサンプリング、トラディショナルの範疇にあるリチャードの声というように、このアルバムの副次的なテーマである流動性が的確に表現されている。コラボレーションアルバムの醍醐味というのは、異なる才覚を持つミュージシャンが偶然見つけた何かをレコーディングという形で収め、それを多くの人と共有することに尽きる。


 次いで、個人的な意見を言わせていただくならば、両者の才能がかけ離れた性質であるほど、美しい音楽が出来上がる。もちろん、その場合、お互いの性質や価値観の相違をしっかりと認め合うことが必要とされる。そういった意味では、リチャード&ザーンのコラボレーションは、彼らの精神性の高さが感じられるし、また、人間的な気品も備わっているため、理想的な音楽作品を制作しえたのだろう。願わくば、世界の人々がそういった善良な存在であれば、理想的であるのだが......。結論付けると、音楽というのは、制作者の理想郷を形作るための鏡なのであり、ユートピアが夢に過ぎないからこそ、こういった理想主義的な作品を制作する必要性に駆られたとも言える。それはもちろん、本作のタイトルにあるように、世界のノイズや煩わしさから解き放つ霊妙な力が込められているわけである。

 

 

 

 

95/100

 

 

 

Best Track- 「Ocean Past」


 

Michael Kiwanuka(マイケル・キワヌカ)が新曲「The Rest of Me」をリリースし、イギリスとヨーロッパでのライブを発表した。アコースティックギターが心地よく鳴り響く、安らいだソウルミュージックだ。


「The Rest of Me」は、マイケル・キワヌカが11月15日にポリドール・レコードからリリースする新作『Small Changes』からのリリース。同アルバムには、これまでに発表されたシングル「Floating Parade」、「Lowdown (part i)」、「Lowdown (part i)」が収録されています。

 

「The Rest of Me」




Bartees Strange'
©︎Elizabeth De La Piedra


本日、Bartees  Strange(バーティーズ・ストレンジ)は、2025年2月14日にリリースされる3枚目のフルアルバム『Horror』を発表した。  2022年の『Farm To Table』に続く、彼の最も野心的で幅広いプロジェクトである。リードシングル「Sober」のミュージックビデオは下記よりご覧ください。(ストリーミングはこちら)



バーティーズ・ストレンジは恐怖の中で育った。  彼の家族は、人生の教訓を教えるために怖い話を聞かせ、幼い頃から、強くなる練習をするために怖い映画を見始めた。  世界は恐ろしい場所であり、アメリカの田舎に住む若く、クィアで、黒人の人間にとって、その恐怖は直感的なものである。  ホラー』は、そうした恐怖と向き合い、恐れられる存在に成長することを描いたアルバムだ。


ストレンジは『Horror』についてこう語っている。「ある意味、このアルバムは、自分たちの人生でも恐れを感じている人たちに手を差し伸べるために作ったんだと思う。私にとっては、愛、場所、宇宙的な不運、あるいは物心ついたときから苦しんできた破滅の予感。周りのみんなが同じように感じていることに気づけば、人生の恐怖や奇妙さを乗り越えるのは簡単だと思う。このアルバムは、私がつながろうとしているだけだ。世界の大きさを縮めようとしているんだ。身近に感じようとしているんだ」


本日、ストレンジ、ジャック・アントノフ、イヴ・ロスマン、ローレンス・ロスマンのプロデュースによるニューシングル「Sober」がリリースされた。ストレンジは、「この曲は、人間関係で何度も何度も挫折し、そのために酒を飲むことについて歌っている。  これはおそらく多くの人が共感できることだと思う。  恋をしていても、それをうまく表現できなかったり、うまくいっていると感じられなかったりする。 そして、愛がどのように機能するのか、より良い例を見たことがないため、これが常に対処するものであることを恐れている。このシングルは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの1974年のソウル・トレインでのパフォーマンスからインスピレーションを得たリカルド・ベタンコート監督のミュージック・ビデオと組み合わされている。



「Sober」



Bartees  Strange 『Horror』


Label: 4AD

Release: 2025年2月24日


Tracklist:

1. Too Much
2. Hit It Quit It
3. Sober
4. Baltimore
5. Lie 95
6. Wants, Needs
7. Lovers
8. Doomsday Buttercup
9. 17
10. Loop Defenders
11. Norf Gun
12. Backseat Banton


ストレンジは制作を視野に入れて、自宅スタジオでホラーの制作を始めた。  イヴとローレンス・ロスマン(イヴ・トゥモア、レディー・ガガ)とのセッションは、このアルバムのリズムとサウンドのバックボーンとなった。  ストレンジがジャック・アントノフと出会い、2人が急接近した後、ストレンジはアントノフのバンド、ブリーチャーズの楽曲を手がけ、アントノフは『Horror』を手がけた。


  2人は一緒にレコードを完成させ、生で曲を作り、編集し、アレンジし、恐怖を刺激するような服を着せた。  このアルバムを通して、ストレンジは、彼の子供時代のサウンドトラックのような音楽のパスティーシュの上に、次々と困難な真実を打ち明けている。  アルバムに収録された12曲の新曲には、父親が彼に聴かせたパーラメント・ファンカデリック、フリートウッド・マック、テディ・ペンダーグラス、ニール・ヤングといったジャンルを超えた音楽が、ストレンジのヒップホップ、カントリー、インディー・ロック、ハウスへの興味と融合している。


イギリスのイプスウィッチで軍人の父とオペラ歌手の母の間に生まれたバーティーズ・ストレンジは、オクラホマ州ムスタングに落ち着くまで、各地を転々とする子供時代を過ごした。  その後、ワシントンD.C.やブルックリンのハードコア・バンドで活躍する一方、バラク・オバマ政権や環境正義運動に携わる。最近では、アップルTVの『The New Look』やA24の『I Saw The TV Glow』など、人気のTVや映画のサウンドトラックで彼の音楽がフィーチャーされている。  また、カーラ・ジャクソンとレーベルメイトのアンジマイルとともにTV On The Radioの「Wolf Like Me」をカヴァーし、近日発売予定のレッド・ホット・コンピレーション『Transa』に収録される。

 Joan As Police Woman 『Lemon Limes, and Orchid』



 Label: PIAS

Release: 2024年9月20日

 

 

Review

 

 

ニューヨークのシンガー、ジョアン・アズ・ポリス・ウーマンは、ポピュラー、ソウルをメインテーマに起きつつも、クラシック音楽に通底するミュージシャンである。かつて、十代の頃、ボストン大学公共楽団でヴァイオリンを演奏していた。しかし、古典音楽はすでに気の遠くなるような回数が演奏されており、すでに最高の演奏は時代のどこかで演奏済みで、それ以上の演奏を出来ることは難しい、という考えを基にオリジナルソングの制作を行うようになった。当初はエレクトラでバイオリン奏者として活躍した後、ソロシンガーに転向した。以後は、ソロ・アルバムを多数リリースしてきたが、彼女は同時にコラボレーションを行ってきた。エルトン・ジョン、ルー・リード、スパークルホース、シェリル・クロウ等を上げれば十分だろう。ソウルシンガーでありながら、ロックやインディーズバンドとの交流も欠かさなかった。

 

主要なチャートにランクインすることもあったジョアン・アズ・ポリス・ウーマンはこの最新作で、純粋なポピュラー・ミュージックを制作しようとしている。それはまたジャズやソウルが含まれたポピュラーとも称せる。これまでのソロ作、及び、コラボレーションの経験を総動員したようなアルバムである。少なくとも近年の作品の中では、象徴的なカタログとなるかもしれず、古典的なソウル(ノーザン・ソウル、サザン・ソウル)、ゴスペル、ファンクソウル、そして現代的なポピュラーやロックの文脈を交え、聴き応え十分のアルバムを制作している。ファンク・ソウルのテイストが強く、リズムは70年代のソウルに根ざしている。そこにヒップホップ的なビートを加えて、モダンなソウルのテイストを醸し出すことに成功している。ファンクの性質の強いビートは、主に、プリンスが登場する以前のグループのサウンドを参考にして、グルーヴィーなビートを抽出している。「Long For Ruin」等はその象徴的なトラックで、ハスキーボイスを基に、ファンクのギターやゴスペル風のコーラスを背景としながら、しんみりとした感じとまた雄大さを兼ね備えたブラック・ミュージックの真骨頂を示している。

 

同様に先行シングルとして公開された「Full Time Heist」はサザン・ソウル/ディープ・ソウルのビートを基に、聴きごたえのあるバラードソングを作り上げている。オーティス・レディングのような深みを持つこの曲を取り巻くクインシー・ジョーンズのアーバンコンテンポラリーの要素は、やはりピアノの演奏や渋みのあるゴスペル風の深みのあるコーラスと合わさると、陶酔的な感覚や安らいだ感覚を呼び起こす。特に、細部のトラック制作の作り込みを疎かにしない姿勢、そして、ファルセットからミドルトーンに至るまで、細かなボーカルのニュアンスを軽視せずに、歌を大切に歌い込んでいるため、聴き入らせる何かが存在しているのかもしれない。

 

また、それとはかなり対象的に、「Back Again」では、70,80年代以降のファンクソウルを踏襲し、ディスコビートを反映させ、キャッチーなヴォーカルを披露している。懐古的なナンバーであるが、ポリス・ウーマンは一貫して現代的なポピュラーの要素を付け加えている。また、デスティニーズ・チャイルドのダンス・ナンバーに近い「Remember The Voice」等などを聞くと分かる通り、古典的なソウルだけがポリス・ウーマンのテーマではなく、一大的なブラックミュージックの系譜を改めて確認しなおすような狙いを読み取ることもできる。

 

 こういったポピュラーな良曲が含まれている中で、フルアルバムとして精彩を欠く箇所があることは指摘しておくべきかもしれない。しかし、それはソングライターとしてポピュラー性を意識したことの証であり、音楽的な表現が間延びしたり、選択が広汎になりすぎたせいで、そういった印象を受けるということも考えられる。そんな中で、タイトル曲は、チャカ・カーンが追求した編集的なソウルミュージックの系譜を捉えなおし、その中でニューヨークで盛んなエクスペリメンタルポップという要素を付け加えている。

 

ただ、全体的にはエレクトロニクスを追加し、リズムを複雑化したとしても、全体的なサウンドプロダクションは、古典的なバラードに焦点が絞られているため、やはり上記の主要曲と同じように静かに聞き入らせる何かが存在している。 エレクトリック・ピアノとシンセサイザーの組み合わせの中から、ボーカルの力によって何か霊妙な力を呼び起こすことがある。これまでの音楽的な蓄積を踏まえて、エルトン・ジョンのような親しみやすいバラードを書こうという意識がこういった良曲を生み出す契機となったのかもしれない。それに続く「Tribute to Holding On」は、ソウルミュージックとして秀逸なナンバーである。ポリス・ウーマンはハスキーな声を基に、シンプルなバンド構成を通じて、サザンソウルの醍醐味を探求しようとしている。バックバンドの演奏も巧みで、カスタネット等のパーカッション、ヴォーカルの合間に入るギター等、ポリス・ウーマンのヴォーカルを巧みに演出している。これらのバンドサウンドは少しジャズに近くなることがあり、それらのムードたっぷりな中で、アーバンソウルの系譜にある渋いボーカルを披露している。ニューヨークの夜景を思わせるようなメロウさがある。

 

従来から培ってきたソングライターとしての経験の精華がアルバムのクローズ曲「Help Is On It's way」に顕著に現れている。ジャズピアノをフィーチャーし、良質なポピュラー・ソングとは何かを探求する。この曲はまた現代的なバラードの理想形を示したとも言えるかもしれない。


 


80/100

 

 

Best Track 「Tribune To Holding On」

 Nilufer Yanya 『My Method Actor』

 

Label: Ninja Tune

Release: 2024年9月13日

 


Review

 

『Method Actor(メソッド・アクター)』について、ニルファーは、曲のコンセプトがどのように生まれたかを次のように語っている。「メソッド演技について調べていたんだけど、読んだところによると、メソッド演技は、人生を左右するような、人生を変えるような思い出を見つけることに基づいているんだ。メソッド演技がトラウマになったり、精神的に安全でないと感じる人がいるのは、常にその瞬間に立ち戻るからなんだ。良いことも悪いこともあるけれど、常にそのエネルギー、自分を定義づける何かを糧にしている。それはミュージシャンになるのと少し似ている。演奏しているときも、最初に書いたときのエネルギーや感情を、その瞬間に呼び起こそうとしている。その瞬間、その瞬間のエネルギーや感情を呼び起こそうとして試みた」

 

ロンドンのシンガーソングライター/ギタリスト、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤンヤ)は、多彩な表情を持つ。多角的なクロスオーバー性とハイブリットな音楽性により、2022年頃から熱心な音楽ファンの注目を集めてきた。そして、The Faderが「衝撃的な復活」と称したように、今年の5月頃に、「Like I Say(I Runaway)」を引っ提げて、久しぶりのカムバックを果たした。

 

このシングルでは、2022年のアルバム「Painless」のR&B、ベッドルームポップ、ブレイクビーツ、ラップ、オルタナティヴ・ロック(グランジ)を劇的に結びつけた。歌詞の中では少し棘のあるリリックの表現を取り入れている。それはミュージシャンとしての深化を意味し、人間的に一歩先へと踏み込んだことへの表れでもある。これはアルバムのオープニングを飾る「Keep On Dancing」にも顕著に表れ出ているかもしれない。表向きをなぞらえるソングライティングの影は立ち消え、より深い領域に踏み込むことをためらわなくなった。おそらくそれがシンガーソングライターをして、「より過激なアルバム」と言わしめることになった。過激さとは、表現性において、今までよりも一歩先に踏み込み、未知の領域へと差し掛かることを意味している。実際的に、それは、轟音性の強いディストーションギターに反映される場合がある。しかし、2022年頃の音楽と同様、エレクトリックギターによるサウンド・デザインの趣旨が強い。ヤーニャのギターの演奏の趣旨は、まごうことなきサウンド・デザインなのであり、それらのイメージを的確に体現させ、強調させるのが彼女自身のボーカルというわけである。

 

もうひとつ、これらのサウンド・デザインの方向性は、トラック制作全般にも適用され、ブレイクビーツを反映させたビートメイク、そして、しなるようなリズムに組み合わされるソフトな感覚を持つR&Bのテイストを加え、独立した音楽を構築していく。ヤンヤのソングライティングは、ビートを組み合わせることにより、それらにグルーヴ感を付与し、最終的に、そのグルーブにどのようなギターやボーカルを乗せるべきか、デザインやテキスタイルのような観点から幾つかの可能性を検討するという趣旨である。ゼロからイチを作り出すというよりも、複数ある選択肢からソングライターにとって最善のものを選び、それらを聞きやすく、乗りやすいキャッチーなナンバーへ昇華させる。これらは、人物的なセンスを象徴づけるだけではなく、歌手がファッション的なセンスを重視していることを表す。他の一般的なミュージシャンとは異なり、ニルファー・ヤンヤにとって音楽制作とは、自分に最も似合う服を選び、それらをデコレート、つまり装飾し、まったく想像だにしえない音楽作品へと仕上げるということである。

 

このアルバムでは、本来の自分とは別の何かを演ずることにより、別の視点から本来の自己の姿を見出すという概念的なテーマも含まれていることは事実なのだろうが、それは音楽性の基底にある肉付けのような要素、スクリプトのように内側に埋め込まれており、表面的に表れ出てくることはほとんどない。このアルバムの中に含まれているテーマやイデアは、それはもっと言えば、聞き手側がやって来るのを口を開けて待つだけでは不十分で、自分の方から近づいていかないと発見出来ないのである。つまり、より的確に言えば、受動的なポピュラーアルバムではなく、能動的なリスニングを促されるポピュラーミュージックなのである。このアルバムの真価を求めるためには、みずから、アルバムのジャングルのなかに分け入っていかないといけないかもしれない。それは、表面的な音楽の響きの奥底に、観念的なものが情念の炎のように揺らめき、その炎の幻影を、聞き手は表面的な掴みやすく親しみやすいポピュラーミュージックの渦中に発見することを意味する。つまり、ニルファーの『My Method Actor』は、ミルフィールのような構造を持った奇妙なアルバムなのである。フォークをひとつその表面に差し込むと、その先に別の何かが見出だせる。言い換えれば、音楽というページをめくるたびに、別のストーリーや局面が見つかるという、これまでにあまりなかったタイプの音楽なのである。


 

音楽的に言えば、ベッドルームポップや、エレクトリックギターの細かな演奏をコラージュのように組み合わせ、それらをトラック全体の背景となるヒップホップのビートとかけ合わせる、というスタイルが際立っている。これはしかし、何も最近生み出されたものではなく、2022年のアルバムから続いているスタイルである。ところが、『My Method Actor』では、前作アルバムよりも音楽的な選択肢が広がり、そしてアウトプットの受け皿のようなものが多くなった。それらは、序盤の流れを形づくる「Binding」、「Mutations」という2曲において、メロウでアーバンなネオソウルという形にはっきりと表れている。特に、「Mutations」は前作アルバムの収録曲ほどには派手さはないけれど、よりソングライターとして深い領域へと踏み入れたことを象徴付けている。それはオルタナティヴロック/マス・ロックのギターとネオソウルの艷やかなボーカル、及び、コーラスというフランク・オーシャンの次世代に位置づけられるポスト・ネオソウルのスタイルに立ち表れている。さらに曲の後半では、シンセサイザーによるストリングスを配置させ、R&Bミュージックの中に複数の新しい要素をもたらそうとしている。

 

別のジャンルからの引用や影響を元の自分の音楽的なスタイルとかけ合わせるというこのアルバムのソングライティングの方向性は、続く「Ready For Sun」を聞くとより瞭然かもしれない。オーケストラストリングスをシンセサイザーのシーケンスのように敷き詰め、その空間的な音の処理の中で、何が出来るのかというのが、この曲の目論見であると推測される。それはやはり、前作アルバムの延長線上にあるネオソウルとオルタナティヴ・ヒップホップの中間にある形式をとって繰り広げられる。しかし、注目すべきは、今回のアルバムでは、ヤンヤは必ずしも彼女自身の声を主体としているとは限らないということである。ときには、優雅なオーケストラストリングが前面に出てきたり、ビートがそれと立ち代わりに主体になったりと、流動的な音楽を重視している。もちろん、歌手の声がメインになることもあるのだが、必要以上にその音楽的な空間を専有するということがないのである。そしてこれは、内的な感覚の告白ともいうべき際どい感覚を持つリリックの印象とは異なり、非常に控えめな音楽的な態度を取り、主体となる音楽に対して、一歩距離を置くような姿勢を全面的に維持し続けている。いわばそういった柔軟性のある音楽性が、このアルバムに一度聴いただけでは分からない深みを付与する。

 

ニルファー・ヤンヤの音楽は、制作時の観点における難易度とは裏腹に、それほど難しくなりすぎることはない。基本的には、誰にでも親しめるようなポピュラーアルバムを制作しようとしているのは明らかで、たとえソングライターとしての視点が高い水準にあろうとも、初歩的なリスナーにも聞きやすい曲を制作することを最優先事項にしている。これは作曲家としての親切心であり、過度なサウンドエフェクトや、難解な展開を極力避けて、一貫してグルーヴ感を意識した曲構成を心がけている。これはまた、ニルファー・ヤンヤが構成的な側面に心を配りながらも、感覚的な側面を軽視しないことに理由がある。「なんとなく良い感じ」とヤンヤが言うように、理想的な音楽とは、言葉では言い表せず、また、文章にも出来ない部分があることを踏まえ、それらをしなやかな感覚を持つポピュラー・ミュージックに仕上げる。この感覚的なポピュラー、ロック、R&Bを制作する手腕にかけては、現時点のところ、このシンガーソングライターに比肩する存在は見当たらない。「Call It Love」、「Faith's Late」は、このアルバムにおいて、制作者が単に曲の寄せ集めではなく、音楽性のバリエーションを基にし、一連の流れを持つレコードを制作しようとしたことを伺わせる。そして、反面、少し意外なことに、それは同時に、名曲とまではいかないかもしれないが、良曲を輩出させる重要な契機ともなった。

 

このアルバムでは、音楽そのものが個人的な告白や軽薄なロマンチシズムに終始するのを避けている傾向がある。それでもなお、一貫して、人生の中から引き出される感覚的なものはコントロールされているが、終盤になって、それらの何かに恋い焦がれたり、理想的な人生の側面を追い求めるような、夢想的な感覚が堰を切るようにして溢れ出る。AOR(ソフィスティ・ポップ)、ヨットロック、ボサノヴァを題材にし、80年代のポップのフィルターに通した「Faith's Late」、オルタナティヴフォークをシリアスな風味を持つネオソウルとして解釈した「Just A Woman」に反映させている。これは古典的なポップやソウルをアーティストが咀嚼していることの証でもある。現代的なものを作り上げるためには、時々、過去にも目を向けねばならない。

 

現代的なサウンド・プロダクションによって、表向きには隠されているが、後者のトラックには、ザ・スプリームスのようなディスコソウルの古典的なR&Bに対する憧れが示されている。ニルファー・ヤンヤのディスコの概念とは、きらびやかなミラーボールの華やかさにあるのではなく、フロアのサイドにあるメロウでまったりとした空間なのだろうか。それはまた、このアーティストがチルウェイブに近い音楽を推していることを示唆し、表面的なオルタナティヴ・ポップの裏側にある、ヨット・ロック、AOR、あるいは、ブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーといった、複数の音楽的な文脈を浮かび上がらせる。もうひとつのギターヒーローのアーティストとしての表情は「Wingspan」に見出せる。もしかすると、性別こそ異なれ、ニルファー・ヤンヤはフランク・オーシャンの次世代の立場を担うかもしれない。時代が変わり、ソロアーティストでもバンドのような音楽を制作することは困難ではなくなっている。これは今後の音楽シーンで一層顕著になっていく可能性がある。それを受け、ソロアーティストとバンドは一体何が違うのかを示す必要がある。『My Method Actor』は、密林のカメレオンのように多彩な保護色に変化する。従来の音楽の聴き方の常識を覆すような作品。

 

 

 

88/100


 

 

Best Track 「Faith's Late」






On ‘Method Actor’, Nilufer Yanya explains how the concept for the song came about. 'I've been researching Method Acting and from what I've read, Method Acting is based on finding life-altering, life-altering memories. The reason why some people find method acting traumatic or mentally unsafe is because they always go back to that moment. There are good and bad moments, but you always feed off that energy, something that defines you. It's a bit like being a musician. Even when I'm playing, I'm trying to evoke the energy and emotion that I had when I first wrote it, in that moment. I try to try and evoke the energy and emotion of that moment, that moment in time.’

 
London singer-songwriter/guitarist Nilufer Yanya is a man of many faces. His multifaceted crossover and hybrid musicality has attracted the attention of dedicated music fans since around 2022. Then, around May this year, in what The Fader called a ‘shocking comeback’, they made their first comeback in a long time with the song ‘Like I Say (I Runaway)’.

 
The single dramatically links R&B, bedroom pop, breakbeats, rap and alternative rock (grunge) from the 2022 album ‘Painless’. The lyrics incorporate a slightly thorny lyrical expression. It signifies a deepening as a musician and a sign that he has taken a step further as a human being. This may be most evident in the album's opener ‘Keep On Dancing’. 

 

The shadows of songwriting that traced the surface have disappeared, and the band no longer hesitates to venture into deeper territory. Perhaps that is what led the singer-songwriter to call it a ‘more radical album’. Radicality means going one step further than before in terms of expressiveness and entering uncharted territory. Practically, this is sometimes reflected in the roaring distortion guitars. However, as with the music of around 2022, the aim of sound design with electric guitars is strong. The intent of Janya's guitar playing is unmistakably sound design, and it is her own vocals that embody and emphasise these images precisely.


Another of these sound design directions is applied to track production in general, with beat-making reflecting breakbeats and adding a soft feel of R&B flavours combined with sinewy rhythms to build independent music. Janya's songwriting is about combining beats to give them a groove, and then finally considering several possibilities in terms of what kind of guitars and vocals to put on top of the groove, like design and textiles. Rather than creating something from scratch, the songwriter chooses the best of several options and sublimates them into a catchy number that is easy to listen to and ride. These not only symbolise a sense of personhood, but also a singer's emphasis on fashionable taste. Unlike most musicians, for Nilufer Janja, making music means choosing the clothes that suit her best, decorating them and turning them into a completely unimaginable piece of music.


It may be true that the album also contains a conceptual theme of finding one's true self from a different perspective by playing something other than one's true self, but it is embedded inside like a script, a fleshed-out element at the base of the musicality, and rarely surfaces on the surface. It rarely surfaces. The themes and ideas contained within the album are, moreover, not enough to wait with open mouth for the listener to come to them; they can only be discovered if you approach them yourself. In other words, to be more precise, this is not a passive popular album, but popular music that encourages active listening. 

 

To find the true value of this album, you may have to wade into the jungle of the album yourself. This means that deep within the superficial musical resonance, the conceptual flickers like a flame of emotion, and the listener discovers a phantom of that flame within the superficial, easy-to-grasp, familiar whirlpool of popular music. In other words, Nilufer's My Method Actor is a strange album with a milfoil-like structure. Insert one fork into its surface and you find something else beyond it. In other words, it is a type of music that has rarely been heard before, where each turn of the musical page reveals a different story or aspect.

 

Musically speaking, the style is marked by a collage-like combination of bedroom pop and detailed electric guitar playing, which is interlaced with hip-hop beats that form the backdrop to the track as a whole. This is not, however, a recent development, but a style that has continued since the 2022 album. However, My Method Actor offers more musical options and more receptacles for output than the previous album. This is clearly evident in the form of mellow, urban neo-soul in the two tracks ‘Binding’ and ‘Mutations’, which shape the flow of the early part of the album. ‘Mutations’, in particular, is not as flashy as the songs on the previous album, but it symbolises the band's entry into deeper songwriting territory. This is evident in the post-neo-soul style of Frank Ocean's next generation, with alternative rock/math-rock guitars and neo-soul lustrous vocals and choruses. In the second half of the song, he attempts to bring multiple new elements into R&B music by placing synthesised strings.



The direction of the album's songwriting, in which references and influences from other genres are crossed with his original musical style, may be more apparent in the following track ‘Ready For Sun’. Laying down orchestral strings like a synthesiser sequence, the song is presumably intended to show what can be done with that spatial treatment of sound. It still unfolds in a format somewhere between neo-soul and alternative hip-hop, an extension of the previous album. It is worth noting, however, that on this album, Yanya does not necessarily use her own voice as the main instrument. At times, the emphasis is on fluid music, with graceful orchestral strings coming to the fore and beats taking their place. Of course, the singer's voice is sometimes the main focus, but it does not occupy the musical space any more than necessary. And this is different from the impression given by the lyric, which has a harsh sense of confession of inner feeling, and adopts a very reserved musical attitude, maintaining an overall attitude of keeping one step away from the music as the main subject. This musical flexibility, so to speak, gives the album a depth that cannot be understood after just one listen.


Nilufer Yanya's music is not overly difficult, despite the level of difficulty from a production point of view. Basically, it is clear that he is trying to produce a popular album that is accessible to everyone, and even if his songwriting perspective is of a high standard, he makes it a priority to produce songs that are easy to listen to for even the most rudimentary listener. This is a kindness as a composer, and he tries to avoid excessive sound effects and esoteric developments as much as possible, and to consistently structure his songs with a groove in mind. This is also the reason why Nilufer Janja pays attention to the compositional aspect but does not neglect the sensory aspect. As Yanya says, ‘It's kind of nice’, he is aware that there are aspects of ideal music that cannot be described in words, nor can they be put into writing, and he turns them into supple sensory popular music. At the moment, no singer-songwriter can compare to her skill in creating sensual popular, rock and R&B music. ‘Call It Love’ and ‘Faith's Late’ suggest that, on this album, the producers have tried to create a record that is not simply a collection of songs, but a series of records based on variations in musicality. On the other hand, somewhat surprisingly, it was also an important opportunity to produce good songs, if not masterpieces.
 

On this album, the music itself tends to avoid being all about personal confessions and frivolous romanticism. Nevertheless, the sensuality drawn from life is consistently under control, but towards the end of the album, a dreamy sense of longing for something of those things and the pursuit of idealised aspects of life floods in like a weir: AOR (sophisti-pop), yacht rock, and the album is a perfect example of the kind of music that is often used in the music of the late 1960s and early 1970s, Bossa Nova as reflected in ‘Faith's Late’, which takes its subject matter and passes it through the filter of 80s pop, and ‘Just A Woman’, which interprets alternative folk as neo-soul with a serious flavour. This is also a testament to the artist's mastication of classic pop and soul. In order to create something contemporary, one has to look to the past from time to time.


Although ostensibly hidden by the contemporary sound production, the latter tracks show a yearning for classic R&B disco-soul classics such as The Supremes. Is Nilufer Yanya's concept of disco not in the glitz and glamour of glittering mirror balls, but in the mellow and mellow space on the side of the floor? It also suggests that the artist is pushing music closer to chillwave, bringing up the multiple musical contexts behind the superficial alternative pop: yacht rock, AOR or black contemporary/urban contemporary. Another expression of Guitar Hero as an artist can be found in ‘Wingspan’. 

 

Perhaps Nilufer Yanya, although of a different gender, could take the place of Frank Ocean's next generation. Times have changed and it is no longer difficult for solo artists to produce music like a band. This is likely to become even more pronounced in the music scene in the future. In response, it is necessary to show what the difference is between a solo artist and a band. ‘My Method Actor’ is as diverse as a chameleon in a jungle. This is a work that breaks with conventional ways of listening to music.