今では、不動の地位を獲得している伝説のシンガーにも、困難な時代があった。ローリング・ストーン誌の選ぶ、歴史上最も偉大な100人のシンガーで2位を獲得し、ケネディー・センター名誉賞、国民芸術勲章、ポーラー音楽賞の授与など、音楽という分野にとどまらず、米国のカルチャー、ポピュラー・ミュージックの側面に多大な貢献を果たしたレイ・チャールズにも、不当な評価に甘んじていた時期があったのだ。それでも、チャールズはちょっとした悲しい目に見舞われようとも、持ち前の明るさで、生き生きと自らの人生の荒波を華麗に乗りこなし、いわば、その後の栄光の時代へと繋げていったのだった。今回、この伝説的な名歌手の生い立ちからのアトランティック・レコードの在籍時代までのエピソードを簡単に追っていこう。
レイ・チャールズの歌には、他の歌手にはない深みがある。深みというのは、一度咀嚼しただけでは得難く、何度も何度も噛みしめるように聞くうち、偽りのない情感が胸にじんわり染み込んでくるような感覚のことを指す。もっといえば、それは何度聴いても、その全容が把握出来ない。チャールズは、バプテスト教会や黒人霊歌を介し、神なる存在に接しているものと思われるが、他方、聴いての通り、彼の歌は全然説教っぽくない。スッと耳に入ってきて、そのままずっと残り続ける。 彼の歌は、サザン・ソウル、ゴスペル、ジャズ、ポップ、いかなる表現形式を選ぼうとも、感情表現の一貫である。そして、それは説明的になることはない。彼はいかなる表現でさえもみずからの詩歌で表する術を熟知していた。彼の歌は、彼と同じ立場にあるような人々の心を鷲掴みにした。 歌手がビック・スターになる過程で、チャールズは、天才の称号をほしいままにするが、アトランティック・レコーズの創始者、アーメット・ガーディガンはチャールズのことについて次のように説明していた。彼いわく、天才と銘打ったのは、マーケティングのためではなかった。「そうではなくて、単純に我々が彼のことを天才だと考えていたんだ。[....]