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■ 90年代のテクノ・ミュージック  

Plaid  90年代のテクノの立役者

デトロイトで始まり、隣接するシカゴを経て、海を渡り、イギリスに輸出されたテクノミュージック。現在でもハウスと並んで人気のあるダンス・ミュージックである。Kraftwerkから始まった電子音楽のイノベーションは、NEUの実験的な音楽の位置づけを経て、アメリカ、イギリスに渡り、それらの前衛的な性質を残しつつも、ベースメントの領域で独自の進化を辿るようになった。元々、アメリカではブラックミュージックの一貫として始まったこのジャンルがイギリスに渡ると、白人社会の音楽として普及し、80年代の後のクラブカルチャーを後押しした。


1990年代のテクノ・ミュージックは、新しもの好きのミュージシャンがラップトップで制作を始めた時期に当たる。90年代のテクノが以前のものと何が異なるのかといえば、その音楽的な表現を押し広げ、未知の可能性を探求するようになったことだろうか。

 

このジャンルを一般的に普及させたデトロイトのDJ、ジェフ・ミルズは、この年代において「テクノはストーリーテリングの要素を兼ね備えるようになった」と指摘している。いわば、それまでは4つ打ちのハウスのビートのリズムをベースに制作されるDJの音楽という枠組みにとどまっていたテクノは、ナラティヴな性質を擁するに至る。そのおかげか、たとえ全体的なイメージが漠然としていたとしても、制作者やDJは、音楽の概念的なイメージをリスナーに伝達しやすくなった。

 

近年でも、これらの「ストーリーテリングの要素を持つテクノ」という系譜は受け継がれていて、Floating Pointsの最新作『Cascade』、ないしは、Oneohtrix Point Neverの『Again』ということになるだろうか。さらに言えば、それは、単にサンプラーやシンセで作曲したり、DJがフロアで鳴らす音楽が、独自形態の言語性を持ち、感情伝達の手段を持ち始めたということでもある。

 

さらに、ジェフ・ミルズの指摘と合わせて再確認しておきたいのが、(Four Tetが今でもそういった制作方法を行うことがあるように)電子音楽がサウンド・デザインの要素を持ち始めたということだろう。これらは、シンセのプリセットや製品の進化と並行して、従来になかったタイプの音色が付け加えられるようになり、純粋なリズムのための音楽であったテクノが旋律の要素を殊更強調し、多彩な表現性を持つようになったことを意味している。「カラフルな音楽」とも換言できるかも知れない。その過程で、幅広い音楽の選択肢を持つようになったことは事実だろう。

 

ご存知の通り、2020年代では、オーケストラのような壮大なスケールを擁する電子音楽を制作することも無理難題ではなくなりつつある。これは、1990年代のプロデューサー/DJの飽くなき探究心や試作、そして、数々の挑戦がそれらの布石を形作ったのである。また、実験音楽としての電子音楽が街の地下に存在することを許容する文化が、次世代への道筋を作った。もちろん、これらのアンダーグランドのクラブカルチャーを支えたのは、XL、Warp、Ninja Tune((90年代はヒップホップ、ブレイクビーツ、ダブが多い)、そしてドイツ/ケルンのKompaktとなるだろう。

 

現在でも、上記のレーベルの多くは、主要な話題作と並び、アンダーグラウンドのクラブミュージックのリリースも行っている。要するに、売れ行き重視の商業的な音楽を発表することもあるが、基本的には、次世代の音楽の布石となる実験性の余地、ないしは、遊びの余白を残している。例えば、もしかりに、90年代のテクノミュージックが全く非の打ち所がなく、一部の隙もない音楽だったとしたら、次世代のダンスミュージックは衰退に向かっていたかも知れない。これらのレーベルには、欠点、未達、逸脱を許容する懐深さをどこかに持っていたのだ。

 

下記に紹介するプロデューサー、DJの作品は、彼らの前に何もなかった時代、最初のテクノを波を作った偉大な先駆者ばかりである。それは小さなさざなみに過ぎず、大きなウェイブとならなかったかもしれないが、2000年代以降のダンスミュージックの基礎を作ったのみならず、現代のポピュラーミュージックの足がかりを作る重要な期間でもあった。しかし、これらの解釈次第では「未知への挑戦」が次世代の音楽への布石となったのは事実ではないだろうか。




1.  SL2 『DJs Take Control』1991  XL

 

SL2は、ロンドン出身のブレイクビーツ・ハードコア・グループ。Slipmatt & LimeやT.H.C.名義でもレコーディングやリミックス、プロデュースを行っている。

 

SL2は当初、DJのマット・「スリップマット」・ネルソンとジョン・「ライム」・フェルナンデス、ラップボーカリストのジェイソン・「ジェイ・J」・ジェームスの3人で結成された。SL2という名前は、創設者たちのイニシャルに由来する。1985年に活動を開始し、93年に解散するも、1998年に再結成し、現在に至る。

 

『DJs Take Control』は、Food MusicとXLの2つのバージョンが存在する。'89年にイギリスで合法的に開催されたオリジナル・レイヴ「RAINDANCE」のレジデントであったSLIPMATTとLIMEを中心とするハードコア・ユニット・SL2が'91年にリリースした作品。Food MusicからのリリースとXLのリリースの二バージョンが存在する。Food Musicのオリジナル・バージョンは2018年に再発された。


レイヴミュージックをベースにしたサウンドであるが、ハードコア、UKブレイクビーツの先駆的な存在である。以降のJUNGLEのようなサンプルとしてのダンスミュージックの萌芽も見出だせる。クラブ・ミュージックの熱気、そしてアンダーグラウンド性を兼ね備えた画期的な作品だ。

 

 


 

 


 

2. Kid Unknown 「Nightmare」1992 Warp

 

 Kid Unknownは、ポール・フィッツパトリックのソロプロジェクト名で、マンチェスターの伝説的ナイトクラブ、ハシエンダのレギュラーDJだった。

 

1992年にワープから2枚のシングルをリリースした後、ニッパー名義でレコーディングを行い、LCDレコーズを共同設立している。

 

 1992年にWarpから発売されたEPで、イギリス国内とフランスで発売された作品であると推測される。当初は、ヴァイナルバージョンのみの発売。イギリスのブレイクビーツ/ダブの最初期の作品で、おそらくハシエンダのDJであったことから、マンチェスターのクラブミュージックの熱気が音源からひしひしと伝わってくる。DJのサンプラーやシンセの音色もレトロだが、原始的なビートやフロアの熱気を音源にパッケージしている。

 

このEPを聞くかぎりでは、最近のEDMはパッションやエネルギーが欠落しているように思える。知覚的なダンスミュージックというより、どこまでも純粋な感覚的なダンスミュージック。

 

 

 

 

3. John Bertlan 『Ten Days Of Blue』1996   Peacefrog Holding  

 


デトロイト・スタイルのテクノをレコーディングするプロデューサーとして、ジョン・ベルトランほど優れた経歴を持つ者はいない。

 

ミシガン/ランシング近郊を拠点に活動するベルトランは、デリック・メイ(インディオ名義)と仕事をし、カール・クレイグのレーベル、レトロアクティブから数枚のレコードをリリースしている(マーク・ウィルソンと共にオープン・ハウス名義)。ジョン・ベルトランは、ワールド・ミュージックやニューエイジ・ミュージックから着想を得て、PeacefrogやDot(Placid Anglesとして)といったホームリスニング志向のレーベルから作品をリリース。90年代初頭にアメリカのレーベル”Fragmented”と”Centrifugal”からシングルをリリースした後、1995年にR&Sレコードからデビューアルバム『Earth and Nightfall』をレコーディングした。

 

『Ten Days Of Blue』は2000年代以降のテクノの基礎を作った。ミニマル・テクノが中心のアルバムだが、駆け出しのプロデューサーとしての野心がある。現在のBibloのような作風でもあり、他のアコースティック楽器を模したシンセの音色を持ちている。かと思えば、アシッド・ハウスや現在のダブステップに通じるような陶酔的なビートが炸裂することもある。サウンド・デザインのテクノの先駆的な作品であり、時代の最先端を行く画期的なアルバムである。


 

 


 4. Plaid 『Not For Threes』1997  Warp

  

エレクトロニック・ミュージックの多様なサブジャンルを探求する時でさえ、イギリスのデュオPlaidは繊細なタッチを保っている。アンディ・ターナーとエド・ハンドリーは、UKのパイオニア的レーベルであったワープ・レコードの初期に契約し、ザ・ブラック・ドッグの後継者として、1991年にロンドンでこのプロジェクトを立ち上げた。

 

プレイドは、1997年の『Not For Thees』を皮切りに、カタログの大半をワープからリリースしている。このアルバムでは、メロウなブレイクビーツと格子状に脈打つメロディーをバックに、ビョークが歌い、「Lilith」では狼のように戯れに吠える。常に微妙に形を変えながら、

 

プレイドはその後、バブリーなアンビエンス(2001年の『Double Figure』)、シネマティックなムード(2016年の『The Digging Remedy』)、グリッチ的な複雑さ(2019年の『Polymer』)に及んでいる。ターナーとハンドリーは、2022年の『Feorm Falorx』で、架空の惑星で無限のフェスティバルを演奏する自分たちを想像し、これまでで最も弾力性のある作品を制作した。アルバムでは、ニューエイジサウンドに依拠したテクノ、ドラムンベース、アシッド・ハウス、トリップ・ホップ等、多角的なダンスミュージックを楽しむことが出来る。

 

 

 

 

 

5.  Aphex Twin 『Digeridoo』 1993  Warp


テクノの名作カタログを数多くリリースしているAphex Twin。メロディアスなテクノ、ドラムンベースのリズムを破砕し、ドリルに近づけたダンスミュージックの開拓者である。


最近では、「Come To Daddy EP」、『Richard D Jamse』等のテクノの名盤を90年代に数多く残したが、実のところ、ハウス/テクノとして最も優れているのは『Digeridoo』ではないか。ゴア・トランス、アシッド・ハウスといった海外のダンスミュージックを直輸入し、それらをUK国内のハードコアと結びつけ、オリジナリティ溢れる音楽性へと昇華させている。いわば最初期のアンビエント/チルウェイブからの脱却を図ったアルバムで、むしろ90年代後半の名作群は、この作品から枝分かれしたものに過ぎないかもしれない。2024年にはExpanted Versionがリリースされた。名作が音質が良くなって帰ってきた!!





6. Oval 『94 Diskont』 1996   Thrill Jockey

 

オーバルは1991年に結成された。マルクス・ポップ、セバスチャン・オシャッツ、フランク・メッツガー、ホルガー・リンドミュラーによるカルテットとしてスタートし、2年後にリンドミュラーが脱退した後、95年にマーカスポップによるプロジェクトになった。彼のソフトウェアベースの音楽は、ライブボーカルやクラブ対応ビートなどの要素が最終的に追加され、より従来の美しさとより混沌としたアイデアの両方を含むようになる。


1994年の『Systemisch』でCDをスキップする実験を行ったが、この1995年の続編では、そのテクニックを本当に叙情的に表現している。24分に及ぶ「Do While」はベル・トーンとスタッカート・チャイムで表現され、「Store Check」のラジオスタティックから「Line Extension」のシューゲイザーに至るまで、アルバムの他の部分も同様に催眠術のよう。これほど実験的な音楽が、温かな抱擁のように聴こえるのは珍しい。このアルバムはIDMの先駆的な作品であり、ダンスミュージックをフロアにとどまらず、ホームリスニングに適したものに変えた。2000年代以降のグリッチサウンドの萌芽も見出されるはずだ。

 



7. Dettinger 『Intershop』1999   Kompakt    * 2024年にリマスターで再発

 

Dettinger(デッティンガー)はドイツのレコード・プロデューサーで、ケルンを拠点とするレーベルKompaktと契約している。1998年の『Blond 12「』、1999年のアルバム『Intershop』(Kompakt初のシングル・アーティストLP)、『Puma 12」』、『Totentanz 12"』、2000年のアルバム『Oasis』などをリリース。


デッティンガーのトラックは、KompaktのTotal and Pop AmbientシリーズやMille PlateauxのClick + Cutsシリーズなど、様々なコンピレーションに収録されている。ペット・ショップ・ボーイズ、クローサー・ムジーク、ユルゲン・パーペなどのアーティストのリミックスも手がけている。また、フランク・ルンペルトやM.G.ボンディーノともコラボレーションしている。


『Intershop』については、アンビエントテクノの黎明期の傑作とされる。いかにもジャーマンテクノらしい職人的な音作りが魅力。それでいて天才的なクリエイティビティが発揮されている。Krafwerkの末裔とも言えるような存在。現在のテクノがこの作品に勝っているという保証はどこにもない。すでに2000年代のグリッチノイズも登場していることに驚く。テクノの隠れた名盤。

 

 

 


8.Orbital 『Orbital』(The Green Album)1991  London Records

 

表向きの知名度で言えば、Autechreに軍配があがるが、個人的に推すのがオービタル。アンダーワールド、ケミカル・ブラザーズ、プロディジーらと並び、1990年代のテクノシーンを代表するアーティストのひとつである。ライヴではライト付きの電飾メガネを付けてプレイするのが大きな特徴。

 

1990年代以来、ケント州のデュオ、オービタルは、複雑でありながら親しみやすいエレクトロニック・ミュージックを提供し、ダンスフロアのために作られた曲のために、渋いテクノと陽気なディスコの間を揺れ動いてきた。フィルとポールのハートノール兄弟は、M25に敬意を表して自分たちのプロジェクトを名付け、最初のシングル「Chime」を父親の4トラック・レコーダーで制作した。

 

1993年の『Orbital 2』でブレイクした彼らは、ディストピア的なサウンドと複雑なリズムを組み合わせたテクノ・アルバムを発表。その後のLP『The Middle of Nowhere』(1999年)や『Blue Album』(2004年)では、ハウスやアンビエント・テクノの実験を続け、2004年に解散。2012年に再結成された『Wonky』は、彼らの最もダイナミックな作品を生み出した活気に満ちたLPで、この傾向は2018年の『Monsters Exist』でも続いている。技術的に熟達しながらも果てしない好奇心を持つオービタルは、エレクトロニック・ミュージックの柱として君臨している。

 

グリーンアルバムはシンプルなミニマル・テクノが中心となっているが、このジャンルの感覚を掴むために最適なアルバムなのではないか。音色の使い方のセンスの良さ、そして発想力の豊かさが魅力。


 




9.  横田進  『Acid Mt.Fuji』1994 Muscmine Inc.


横田は日本出身の多彩で多作な電子音楽家・作曲家である。当初は1990年代を通じてダンス・ミュージックのプロデュースで知られていたが、2000年代に入ると、舞踏のように忍耐強く、小さなジェスチャーと徐々に移り変わる静かな音のレイヤーで展開するアンビエントで実験的な作品で、世界的なファンを獲得した。

 
初期のリリースは、アシッドトランスの『The Frankfurt-Tokyo Connection』(1993)から、デトロイトにインスパイアされた爽やかなテクノやハウスの『Metronome Melody』(Prismとして1995)まで多岐にわたる。

 
1999年に発表されたループを基調とした幽玄な瞑想曲『Sakura』は批評家から絶賛され、以来アンビエントの古典とみなされるようになった。その後、2001年の『Grinning Cat』や2004年のクラシックの影響を受けた『Symbol』など、アンビエントやダウンテンポの作品が多く発表されたが、2009年の『Psychic Dance』など、テクノやハウスのアルバムも時折発表している。


後には、ミニマル音楽等実験音楽を多数発表する横田さん。このアルバムではテクノとニューエイジや民族音楽等を結びつけている。心なしか東洋的な響きが込められているのは、ジャパニーズテクノらしいと言えるだろうか。日本のテクノシーンは、電気グルーヴやケン・イシイだけではないようだ。

 

 

 


10.   Thomas Fehlman   『 Good Fridge. Flowing: Ninezeronineight』1998  R&S


トーマス・フェールマンは、ポスト・パンクやハードコア・テクノ等、長年にわたってさまざまなスタイルでプレイしてきたが、アンビエント・ダブの巨人として最もよく知られている。

 

1957年、スイスのチューリッヒに生まれた彼は、1980年にハンブルクでホルガー・ヒラーとともに影響力のあるジャーマン・ニューウェーブ・グループ、パレ・シャウムブルクを結成。


90年代初頭には、モリッツ・フォン・オズワルド、フアン・アトキンス、エディ・フォウルクスらとともに2MB、3MBというグループでスピード感のあるストリップダウンしたレイヴを作り始め、デトロイトとベルリンのそれぞれのテクノ・シーンのつながりを正式に築くことに貢献した。

 

1994年にリリースした『Flow EP』などで、フェールマンはよりアンビエントなテクスチャーの探求を始め、ケルンのレーベル”Kompakt”からリリースした数多くのアルバムに見られるような瑞々しいパレットを確立した。パートナーのグドゥルン・グートとのマルチメディア・プラットフォーム「Ocean Club」のようなサイド・プロジェクトの中でも、フェールマンはアレックス・パターソンのアンビエント・プロジェクト「The Orb」の長年のコラボレーターであり、時にはゲスト・ミュージシャンとして、時には(2005年の『Okie Dokie It's The Orb On Kompakt』のように)グループの正式メンバーとして参加している。


『 Good Fridge. Flowing: Ninezeronineight』はベテランプロデューサーの集大成のような意味を持つアルバム。ジャーマンテクノの原点から、UKやヨーロッパのダンスミュージック、そしてテクノ、アンビエント、ハードコアテクノ、アシッド・ハウスまでを吸収したアルバム。98年の作品とは思えず、最近発売されたテクノアルバムのような感じもある。ある意味ではジャーマンテクノの金字塔とも呼ぶべき傑作。

 


 

◾️2000年代のテクノミュージックをより良く知るためのガイド

 


TYCHO(スコット・ハンセンによるエレクトロニック・プロジェクト)がニューアルバム「Infinite Health」のリリースを発表した。メロディアスで精妙なテクノをアウトプットするティコ。近年は、Saint Sinnerとのコラボレーション等を通して、ボーカル・トラックを中心に制作してきた。”聞きやすいテクノ”といえば、真っ先にティコを思い浮かべる人もいるはずだ。

 

ニューアルバム「Infinite Heath」は彼の作品の「ブレイク、ドラム、リズムの要素」に再びスポットを当て、テーマとしては”未来への希望と過去へのレクイエム”を目指しているという。

 

「タイプライターの前に座り、窓から自分の過去を眺めながら、混沌の中に意味を見出そうとする」とスコット・ハンセンは述べている。

 

「『Infinite Health』は、精神的、感情的、肉体的な癒しのためのマントラで、癒しと内省のための空間づくりをテーマにしている。

 

一日の終わりに、私たちが本当に持っているのは、肉体的にも精神的にも健康だけであり、私たちは家族や友人に無限の健康を願う。だからそういう意味で、無限の健康は敬礼であり、命令なんだ」

 

アルバムの最初のリードシングル「Phantom」は、デジタル化された音のさざめきで始まり、スリリングなエレクトロニックの旅。イタロ・ディスコを支えた鮮明なプロダクション・スタイルを彷彿とさせるアップビート、そこには精神、あるいはアザーズが働いている感覚もある。

 


「ナイトクラブの照明と未知の存在との融合のように感じたかった」とスコット・ハンセン。「幻影「ファントム)。動いて移り変わる知性は、このすべての表面の下にあるものをより深く理解するためのパイプ役を果たしているのかも。それはまた、死と折り合いをつけるということでもあるんだ」

 

80年代をテーマにしたビデオは、ビジュアル・アーティストのPixel FluxことRicardo B. Ponceと共同で制作された。

 

 

「Phantom」



 

TYCHOのニューアルバム『Infinite Health』は 8月30日にNinja Tuneからリリースされる。

 

 

 

TYCHO 「Infinite Heath」

 


 

Label: Ninja Tune

Release: 2024年8月30日


Tracklist:

1 Consciousness Felt
2 Phantom
3 Restraint
4 Devices
5 Infinite Health
6 Green
7 DX Odyssey
8 Totem
9 Epilogue

  Four Tet 『Three』

Label: Text Records

Release: 2024/ 03 /15


Review

 

以前、Four Tetはライセンス契約をめぐり、ドミノと係争を行い、ストリーミング関連の契約について裁判を行った。結局、レーベルとの話し合いは成功し、ストリーミングにおける契約が盛り込まれることになった。

 

ジェイムス・ブレイクにせよ、フォー・テットにせよ、フィジカルが主流だった時代に登場したミュージシャンなので、後発のストリーミング関連については頭を悩ませる種となっているようなのは事実である。しかし、直近の裁判についてはレーベルとの和解を意味しており、関係が悪化したわけではないと推測される。

 

ともあれ、新しいオリジナル・アルバムがリリースされたことにエレクトロニック/テクノファンとしては胸を撫で下ろしたくなる。アルバム自体も曇り空が晴れたかのような快作であり、からりとした爽快感に満ちている。今回のアルバムはテクスト・レコードからのリリースとなる。


フォー・テットことキーラン・ヘブデンは、エレクトロニック・プロデューサーの道に進む以前、ポスト・ロックバンドに所属していたこともあり、テクノ/ダウンテンポのアプローチを図るアーティストである。


生のドラムの録音の中に、ジャズやグライム、フォーク・ミュージックを織り交ぜる場合がある。Warp Recordsに、”Biblo”というプロデューサーがいるが、それに近い音楽的なアプローチである。また、音楽的な構図の中には、サウンドデザイン的な志向性があり、それらがミニマルテクノやブレイクビーツ、そして、インストのポストロックのような形で展開される。インストのロックとして有名なプロデューサーとしては、まっさきにTychoが思い浮かぶが、それに近いニュアンスが求められる。ヘブデンのテクノはモダン家具のようにスタイリッシュであり、建築学における設計のような興味をどこかに見出すこともそれほど無理難題ではないのである。

 

今回のアルバム『Three』は現代的なサウンド、あるいは未来志向のサウンドというよりも、90年代のAphex Twin、Clark、Floating Points、Caribouあたりの90年代のテクノに依拠したサウンドが際立っている。レトロで可愛らしい音色のシンセが目立つが、中には、この制作者らしいカラフルなメロディーが満載となっている。それらは、グリッチ/ミニマルテクノのデュオ、I Am Robot And Proudのような親しみやすいテクノという形で昇華される。ただ、Squarepusherほど前衛的ではないものの、(生の録音の)ドラムのビートに重点が置かれる場合があり、オープナー「Loved」に見出すことが出来る。それほど革新的ではないにせよ、言いしれない懐かしさがあり、テクノの90年代の最盛期の立ち帰ったようなデジャブ感がある。そしてアシッド・ハウス風のビートとカラフルなシンセの音色を交え、軽快なテクノへと突き進むのである。

 

アルバムの序盤は安らいだ感覚というべきか、アンビエントに近い抽象的な音像をダウンテンポやテクノの型に落とし込んでいる。「Glinding Through Everything」はサウンド・デザイン的なサウンドで聞き手を魅了する。Boards Of Canadaに比するアブストラクトなテクノとして楽しんでほしい。ポスト・ロック的なアプローチが続く。「Storm Crystals」は、Tychoのようなインストのロックに近い音楽性が垣間見え、それらは比較的落ち着いたIDM(Intelligence Dance Music)という形で展開される。ダンスフロアではなく、ホームリスニングに向けた落ち着いたテクノであり、ここにも冒頭のオープナーと同様に90年代のテクノへの親しみが表されている。


もちろん、音楽は新しければ良いというものではなく、なぜそれを今やるのかということが、コンポジションの方法論よりも重要になってくる場合がある。ヘブデンはそのことをしっかり心得ていて、無理に先鋭的なものを作らず、シンプルに今アウトプットしたいものを制作したという感じがこのアルバムの序盤から読み解くことが出来る。


続く「Daydream Repeat」では、ビートそのものは、おそらくデトロイトハウスの原点に近いサウンドをアウトプットしているが、ここにもアーティストのサウンド・デザイナー的なセンスが光り、ピアノのカラフルなメロディーが清涼感を持って耳に迫る。苛烈なサウンドではなく、癒やしに充ちたサウンドは、雪解けの後の清流のような輝きと流麗さに充ちている。ここでも叙情的なテクノというアーティストの持つセンスが余すところなく披露されているように思える。

 

「Skater」もTychoのようなギターロックのインストや、ポストロック的なアプローチが敷かれている。ここでも前曲と同じように清涼感のあるサウンドが味わえる。比較的、スロウなテンポを通じたくつろいだセッションの意味合いがあり、ギター、電子ドラムを中心にスタイリッシュなテクノ/ロックを制作している。ダブやファンクといった本来の電子音楽からはかけ離れた要素も込められている。少なくとも難しく考えず、リラックスして乗れるナンバー。続く「31 Room」はアナログなテクノに回帰し、2000年代の彼自身の作風を思い返させるものがある。2000年前後のグリッチ・サウンドを元にし、Caribouのようなユニークなサウンドを構築している。このあたりに、ベテランプロデューサーとしての手腕が遺憾なく発揮されている。

 

ヘブデンは同じようにアルバムの後半でも、無理に新しいものや先鋭的なものを制作するのではなく、みずからの経験や知見を元にし、最もシンプルで親しみやすいテクノを提供している。「So Blue」は驚くほどシンプルで、そして出力される部分とは対極にある「間」が強調されている。やはり一貫して、ホームリスニングに適したIDMであるが、しかし、そこには気負いがない。そして、安らいだテックハウスの中に、グライムやダブステップの影響下にある生のドラムを導入し、曲全体に変化をもたらす。レトロな音色は、やはり90年代のAphex Twinの「Film」で見られるテクノを思い起こさせる。一貫して身の丈にあったシンプルなダンスミュージックを提供しようというプロデューサーの考えは、クローズでもほとんど変わることがない。ここでは、ギターのノイズに焦点が置かれ、曲の中盤ではSigur Ros(シガーロス)のような北欧のポスト・ロック/音響派のアプローチへと突き進んでいる。このアルバムは、あらためてプロデューサーが90年代以降のキャリアを総ざらいするような作品になっている。ここにはセンセーショナルな響きはほとんどないものの、電子音楽の普遍的な魅力の一端が示されている。

 

 

 84/100

 

Best Track-「Loved」

 

©Gracia Villamil


Four Tet(ロンドンを拠点に活動するキーラン・ヘブデンによるプロジェクト)は、オウテカと並んでテクノ・ムーブメントにとって不可欠な存在。ノンリズムを特徴とする”Autechre”と同じように、アヴァンギャルドなテクノのアプローチを行うことで知られている。リズムの画期的な変革、音階の前衛性に重点を据えるフォー・テットの電子音楽には、テクノ、ジャズ、ヒップホップ、UKグライム、フォークというように驚くべき多彩なクロスオーバーが敷かれている。

 

Four Tetは、クロスオーバーが隆盛である現在のロンドンの音楽シーンの先駆的な存在であるといえるかも知れない。新曲「Loved」は、改めてプロデューサーの魅力の一端に触れるための良い機会となるに違いない。現在、ヘブデンは、新作アルバムのリリースを準備中とのことであり、今回公開された「Loved」はそのニューアルバムに収録予定とのことである。続報に期待すべし。

 

「Loved」はテクノ/ブレイクビーツの影響をもとに、ジャズの変則的なビートを織り交ぜている。しかし音楽そのものが前衛的になりすぎないのは、90年代のテクノのメロディーの懐かしさが散りばめられているのが理由。シンセのパーカッシブな効果は曲にキラキラとした輝きをもたらす。曲全般にどっしりとした安定感すら感じられるのは、経験豊富のプロデューサーの作品ならでは。Bibiloを思わせるエモーショナルな感覚が漂い、リスナーを電子音楽の幻惑に誘う。


昨年、フォー・テットのヘブデンは、単発のシングルトラック「Three Drums」をリリースし、ギタリストのウィリアム・タイラーと2曲入りのEPでコラボレーションを行ったことは記憶に新しい。



「Autobahn」のオリジナル盤のアートワーク

クラフトワーク(独:クラフトヴェルク)は、1970年代にビートルズを凌ぐほどの人気を獲得した。クラフトワークには象徴的なカタログがある。「Trans-European Express」、「Die Mensch Maschine」は当然のことながら、「Autobahn」も軽視することは出来ない。そしてクラフトワークはメンバーを入れ替えながら活動しているが、プロジェクトの主要なメンバーであるラルフ・シュナイダーとフロリアン・ヒュッターに加え、当時、画家として活動していたエミール・シュルトによる上記の3作品における功績を忘れてはならない。シュルトは、クラフトワークの複数のアルバムのカバーアート、歌詞を手がけ、デザインと詩の側面から多大な貢献を果たした人物である。


そもそも、エミール・シュルトがクラフトワークのメンバーの一員となったのは、フロリアン・シュナイダーが彼のスタジオに姿を現したときだった。最初、シュナイダーはシュルトにバイオリンの弓を制作するように依頼し、シュルトはクラフトワークの使用していたスタジオに出入りするようになった。

 

当時から、シュナイダーとヒュッターは最新鋭のドラムマシン、エフェクトボードを所持しており、シンセサイザーのコレクションを多数所有していた。シュナイダーとヒュッターはともに、裕福な家庭の生まれだったが、シュルトは、デュッセルドルフ近郊のメルヒェングラートバッハで育った。この土地は、1960年代の頃、非常に制限的であり、文化的に貧しい場所であったという。その後、奨学金を得て、ニューヨークへと行き、様々な音楽に親しむことになる。


いつもシュルトは彼らのスタジオを訪れるたびに、新しい機材が搬入されたことに驚きを覚えていた。その頃、すでにシュルトはクラフトワークのことを良く知っており、ディーサー・ロスのクラスで勉強をし、彼らの音楽を使い実験映画を作曲していた。流水の音、車の音といった音楽的な実体、現在でいう環境音を表現しようとしていた。

 

クラフトワークのスタジオを訪れるようになった後、エミール・シュルトは、ギター、ベース、ドラム、オルガンを用いて小さなジャムセッションを始めた。その後、実験音楽の方向性へと進んでいった。

 

フロリアンはシュルトに中古ギターを渡し、彼は周波数を調整していた。伝統的な高調波の仕組みまでは理解していなかったというが、周波数変調の技術を実験音楽として制作しようとすべく試みた。うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともあった。音の周波数を変更するため、送信機を使用していたというが、その送信機から物理的な距離があると機能しなかった。

 

実際、クラフトワークのライブステージでもこの送信機が使用された。ケーブルでの接続が出来なかったので、最終的にメンバーはローラースケートを使用してステージを走りまわり、送信機の受信範囲を超えると、激しいひび割れたようなノイズが発生した。しかし、エミール・シュルトに関しては、観客と折り合いがつかず、クラフトワークのライブメンバーとしての期間はあっという間に過ぎ去った。以降、彼はビジュアル・アーティストの経験を活かし、歌詞とアートワークの2つの側面で、いわば''裏方''としてクラフトワークの活動をバックアップしたのだった。曲の歌詞に関しては、「The Model」、「Computerworld」「Music Don't Stop」で制作に取り組んでいる。

  

クラフトワークの音楽の未来性を加味すると意外ではあるが、「歌詞の多くは日常的な生活からもたらされた」とシュルトは回想している。「Autobahn」に関しては、 実際に作品で何が起こっているかを理解出来るように試みた。さらにクラフトワークのメンバーは、仮想的な事実ではなく、実際に起きた現象に対する感覚的な体験を重視していたと話す。つまり、クラフトワークのメンバーは、アウトバーンを横断する旅に出かけ、その体験をもとに「Autobahn」を制作したのだ。


実際、音楽を聴いていると、アウトバーンを走行しているような錯覚を覚えさせるのはそのせいだろうか。アルバムバージョンのタイトル曲では、13分頃に象徴的なコーラスが入る。「Fahn Fahn Fahn, Auf Der Autobahn」というフレーズには言葉遊びの趣旨が感じられるが、このフレーズの発案者はエミール・シュルトであったという。シングル・バージョンではよりわかりやすい。


 

「Autobahn」-single version


 

 

エミール・シュルトは、その後も歌詞とアートワークの側面で、クラフトワークの活動を支えつづけた。しかし、「Trans European Express」のアートワークを手掛けた頃、他のメンバーとは疎遠になった。エミール・シュルトは、1979年にカルフォルニアに赴き、人工知能の研究に専念した。

 

以後、クラフトワークは1989年から二年間活動を休止していたため、エミールはメンバーと連絡をとらなかった。その頃、シュルトは結婚し、カリブ海にいったり、ドイツでレーシングバイクで走ったりと、バカンスを楽しんだ。 この時期についてシュルトは回想する。「''Mensch Maschine"以後の私のバンドへの貢献は限界に至り、それで終わってしまった。しかし、クラフトワークはその後も友人です。ただし、作品についてだけは例外的」であるとしている。

 

クラフトワークは、1970年代のデュッセルドルフの最初の電子音楽シーンの渦中にあって、アングロアメリカの音楽とは別のゲルマンらしい音楽を示すために存在したとシュルトは回想する。

 

また、彼は、クラフトワークが現代の音楽シーンに多大な影響を及ぼしたと指摘し、その功績を讃えている。「ヒップホップ、エレクトロ、テクノ、特に、後者から発生した音楽はすべて……」とシュルトは語った。「クラフトワークが成したことに何らかの影響を受けていると思います。それらはいわば''電子音楽のビーコン''とも言えるかもしれません。シュトゥックハウゼンに(トーンクラスターという)固有名詞がついたりするように、クラフトワークにもなんらかの名詞が付けられて然るべきでしょう」

 

現在、エミール・シュルトは、ビジュアル・アーティストとして活躍しており、音楽とビジュアルの融合に取り組んでいるという。


「音楽と写真、写真と音楽、そして、それらの組み合わせと併せて''共感覚''と呼ばれるものがある。それこそが文化の第一歩となりえるでしょう。音楽とビジュアルの組み合わせは、ユニークな第三の要素、ロマンスの感覚を生み出します」と指摘しており、テクノロジーが進化してもなお、人間の感覚を大切にすべきであるとしている。これは人工知能の研究者の言葉だからこそ、非常に説得力があるのではないだろうか。「私達の未来には黄金時代があり、そして、今後も音楽が文化の主要な役割を果たすことはほぼ間違いがありません」と彼は述べている。

 


 

Label: Warp

Release: 2023/7/28

 




Review



2015年のアルバム『Computer Controlled Acoustic Instrument Pt.2』以来のリチャード・D ・ジェイムスの復帰作となる。


近年は、実験音楽に親しんでいて、ジョン・ケイジ調のプリペリド・ピアノのサンプルを配したり、また、ドラム・フィルを集めてアコースティックなブレイクビーツとして配したりと実験的なIDMに取り組んでいた。その過程ではノイジーなハードコア・テクノも生まれたが、一方でピアノ・アンビエントとも称せる「aisatsana[102]」のような静謐な音楽も作り出されている。

 

イギリスのテクノ・シーンの伝説的なDJ/プロデューサーは、八年ぶりの復帰作においてテクノが一般的に普及していくようになった1995年~1996年の時代のブレイクビーツ/ドラムンベースの作風に回帰している。

 

ドラムンベースは、そもそもデトロイト・ハウスのような規則的なビートは少なく、変則的なリズムを主な特徴とするジャンルである。また、1995年以降にリチャード・D・ジェイムスが作り上げたビートを徹底的に細分化し、ラップのドリルや、ヘヴィ・メタルのブラストビートのような破砕的なリズムを特徴としたジャンルは、俗に「Drill n’ Bass」とも呼ばれるようになった。聴いての通り、細かなビートを複合的に重ね合わせ、建築学的な構造を擁するIDM/EDMを制作するのがこのプロデューサーの特徴であった。もちろん、その中にはUKのベースメント・フロアの鳴りの激しいベースラインがそのサウンドの土台や礎となっていた。


嘘か誠かはわからないが、実はパンデミックの最初期の時代、このプロデューサーがロックダウンに対する社会的な声明を出したという噂が流れていた。しかし、その出処の不明な声明は直後に取り下げられてしまったため、いまだあのメッセージがリチャード・D・ジェームス本人によるものだったのかは判明していない。そこにはイギリスのロンドンの都市をはじめとするロックダウンに反対する簡素なメッセージが明記されていたのだった。


しかし、少なくとも、本作を聴く範囲において、彼は仮想の空間ではなく、リアルなフロアで痛快に鳴らすためのサウンドを志向していることがわかる。その点を考慮すると、近年のパンデミック騒動を受けて、クラブサウンドとしてリアリティーを求めたいという制作者の意図も感じられ、それこそがエイフェックスの今回のEP制作の原動力ともなったとも考えられる。 そして、新しい曲をライブでテストしてみる機会は十分に設けられていた。UKのFields、バルセロナのSonarなど大規模なフェスティバルでライブを披露し、特に、スペイン/バルセロナのフェスではより大掛かりなライブセットが組まれ、中空にバーチャルな立方体が出現するという画期的かつ前衛的なステージの演出が行われた。現在、DJは視覚的な演出を交えたリアルなクラブミュージックを、リアルな空間でアートのインスタレーションのような形で即時的に体現するようになっている。

 

1995年頃の最盛期のエイフェックス・ツインの作風を知るクラブ・ミュージックのファンは、このEPに見られるエイフェックス・サウンドに懐かしさを覚えもし、またそれなりに手応えを感じているはずである。曲のタイトルが暗号かプログラミング用語のようなニュアンスであるのは以前と変わらない。また、本作は一曲の再構成が収録されているが、かつてのEP「Come To Daddy」のPappy Mix/Mammy Mixのように、ほとんど別のリミックスが施されていて、全然違う感じの曲に変化している。ただ、EPの中で最も聴き応えがあるのは、間違いなくオープナーとして収録されている「Blackbox Life Recorder 21f」となるだろう。背後のダウンテンポ風のトラックメイクに従来のアクの強いブレイクビーツを基調にした、しなるようなリズム/ビートが展開されており、八年のブランクがあったとは考えられないような素晴らしい出来栄えだ。

 

1990年代当時、音源としてのテクノ/ハウスにこだわっていた印象もあるエイフェックス・ツインではあるが、リアルなフロア/大規模なライブステージでの音響性を意識した音作りの方向性に転じている。旧来のドリルン・ベースのマテリアルがトラックにちりばめられているものの、それはダウンテンポ/アンビエント風の雰囲気をできるだけ損ねないように部分的に取り入れられ、曲の中になだらかな抑揚、起伏、アクセントを設けるような効果を発揮している。そして、トラックを重ねていく録音のような形で「Xtal」を想起させるボーカルのサンプリングが導入される。これは旧来のファンに向けたAphex Twinによる挨拶代わりの一曲といえるだろう。  


「zine2 test4」はアシッド・ハウスの要素が強いが、サブウーファーを意識したローエンドが強調されたドラムン・ベースとも解釈できなくもない。ときに、それは現在のダブステップに近い変則的なリズムも取り入れながらも、以前とは違う形のビートの実験性に取り組んでいる。おそらくマスター/ミックスの段階で、音形の部分的なエフェクト処理をしているものと思われ、バックビートの畝りという効果を生み出している。


真夜中過ぎのクラブフロアの熱狂のように催眠的であり、90年代の作風を想起させるデモーニッシュな効果が魅力のトラックではあるが、以前のファンは、この二曲目において旧来とは違ったエイフェックス・ツインの印象を見出すことになるだろう。規則的なビートとベースリードが主体のトラックだが、トーンを揺らす時、最も躍動感のあるビートが炸裂する。また、トーンの変容によってグルーヴを意図的に生み出そうとしており、イントロでは予期できなかった別のビートの出現をその過程に見出すことにつながる。このあたりは、DJ/プロデューサーとしての経験の豊富さが表れ出たトラックといえる。当初速いBPMを好んでいた印象もあるDJではあるが、ミドルテンポのどっしりとした安定感のあるビートを好むようになったのは何か大きな心境の変化があったのかもしれない。


「in a room 7 F760」では、『Richard D James Album』の時代のテクノ/グリッチに近い作風へと回帰しているが、以前のようなデモーニッシュな要素は薄れ、反対に精細なパーカッションやビートが形成されている。これはもうほとんどこのDJが以前のような形で周りをびっくりさせたりする必要性を感じなくなっているからではないだろうか。


ここには、純粋なテクノ・フリークとしてのリチャード・D・ジェイムスのアーティスト像が浮かび上がってくるのであり、なおかつまたクラブ・ミュージックの制作の本来の楽しみを徹底して90年代のように追体験しているような印象もある。現行のテクノミュージックとは異なり、ジェイムズは、この曲で日本のゲームサウンド最盛期の時代のレトロなサウンドを探求しており、チップチューンとまではいかないものの、レトロなゲームをプレイする時の童心に帰ったような純なる楽しさを、この曲で探し求めているように見受けられる。それは途中、鋭利なドライブ感を生み出すことにも繋がっている。音楽が楽しいものであるというような認識は、実はここ数年の彼の作品からはあまり感じられなかった要素なので、これは驚異的なことでもある。

 

もうひとつ、EP『Blackbox Life Recorder 21f / in a room7 F760』をレビューするに際して、テクノサウンドに内包される宇宙的な概念というのが重要になってくる。それは小さな音響世界に内包されるミクロコスモスとも称するべき感動的な瞬間がこれらの4曲に見いだせる。

 

リミックスは一曲目とは別の曲になっていて、どのようにしてミックスをするのかと質問したいくらいだが、それはベテランのDJの企業秘密ということになる。IDMとしてもEDMとしても聴くことが可能な宇宙的なテクノ/ハウスサウンドは、今後どのような変遷を辿っていくのだろうか??

 

 

84/100

 


 Jan Jenelik  『SEASCAPE -polyptych』

 


Label: Fatiche

Release: 2023/4/28




Review


ドイツ/ベルリンを拠点に活動するJan Jenelik(ヤン・イェネリック)は、20年以上にもわたり、グリッチ/ノイズの製作者として活動して来た。オリジナルアルバムとして有名な作品は、『Loop-Finding-Jazz-Records』(2001年)がある。2000年代から一貫して、イェネリックはドイツのレーベル”Fatiche”からリリースを行っており、今回のアルバムも同レーベルからのリリースとなる。

 

さて、グリッチ/ノイズシーンでは、ベテラン・プロデューサーの域に達しつつあるヤン・イェネリックの最新作は、映画のためのサウンドトラックで、より正確に言えば、映画をもとに制作された実験音楽でもある。この度、ヤン・イェネリックは、1956年のジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』(原作はハーマン・メルヴィルの同名小説)のエイハブ船長の独白をモチーフにして、それを電子音楽として組み直そうという試みを行った。つまり、純粋な音楽作品というよりかは、二つの媒体を融合させたメディア・アートに属する作品と称せる。映像や作中人物の声のデータをグリッチ/ノイズ、アンビエントとして再現させるという内容である。

 

ヤン・イェネリクは『SEASCAPE -polyptych』を制作するに際して、ノイズという観点を通じて彼自身の持ちうる知識を最大限に活用している。ヒスノイズ、シンセのシークエンス、逆再生のループ、サンプリング等、微細な音のデータを活用し、それらをミニマル・ミュージックとして構築している。注目しておきたいのは、アルバムのタイトルからも見える通り、このアルバムは海の音をグリッチという観点から再現し、それをポリフォニーの音楽として組み立てているということ。つまり、ミクロな音の構成そのものはカウンターポイントのような形で成立している。

 

ただ、普通のポリフォニーは例えば、バロック以前のパレストリーナ様式の教会音楽やセバスチャン・バッハの平均律、及びインベンションを見ても分かる通り、器楽の複数の旋律の併置という形で現れるが、イェネリックの場合、それは必ずしも器楽の旋律という形で出現するとはかぎらない。それはシンセサイザーの抽象的なシークエンスかもしれないし、映画に登場するエイハブ船長の独白のサンプリングかもしれないし、ヒスノイズ/ホワイトノイズかもしれない。どちらかと言えば、声や手拍子を器楽の一部として解釈するスティーヴ・ライヒの作品や、イギリスのコントラバス奏者のギャヴィン・ブライヤーズのタイタニック・シリーズのような性格を持ち合わせていることが、このメディア・アートを通じて理解してもらえるはずなのだ。

 

ヤン・イェネリックは、2000年代のリリース作品を通じて、コンピューターのエラー信号を音楽として再構成するグリッチの基本形を確立し、それを高水準の電子音楽に引き上げた人物であるが、今回のメディア・アートに関しては、どちらかと言えば、ノイズだけに拘泥した作品ではないように思われる。ノイズやグリッチも入力される音形を極限まで連続させていくと、水が蒸発して沸点を迎え、気体に変化するのとおなじように、ドローンやアンビエントという形に変化する。イェネリックはそのことを踏まえ、グリッチのノイズを連続させ、それを背後のレイアウトにあるシークエンスと融合させ、既存の作品とは一風異なるIDMを生み出そうとしている。

 

もちろん、深堀りすると、この作品はコンセプト・アルバムとも、ストーリー性を擁する作品とも解釈出来るが、どうやら、ヤン・イェネリックの今作の制作における主眼は、そういった映画のサウンドトラックの付属的な音響効果にあるわけではないように思える。彼はこの作品を通じ、電子音楽の未知の可能性を探り、音楽を、音楽という枠組みからどれだけ自由に解放させることが出来るのかを、彼の得意とするグリッチ/ノイズという観点から究めようとしているわけである。


このメディア・アートの作品の魅力的な点をもうひとつ挙げるなら、それは、映画のサウンドトラックと同じように映像から連想される音楽をどれだけ映像の印象と合致させるのかということに尽きる。

 

これはこのテクノ・プロデューサーの高い技術により、音そのものから何かを連想させるという創造性の一面として現れている。具体的に言えば、緊張した雰囲気、水の中にいるような不思議な雰囲気、木の階段を登っていく雰囲気、水の中に何かが沈んでいくような雰囲気、と多様な形で映画のワンシーンが、テクノ・ミュージックとして立ち現れる。これらの音は、まるで何もない空間に突如、映画的なワンシーンを出現させるかのようでもあり、SFに比する魅力を持っている。

 

私たちが崇めたてている物理的な重量を持つデバイスは、すでに古びようとしている。そのうち、物理的な箱型のデバイスは消え、何もない空中にデジタルのディスプレイを出現させるような革新的なテクノロジーが生み出されていくと思われるが、ベルリンのプロデューサー、ヤン・イエネリックが志向するメディア・アートとは、まさにそういった感じなのかもしれない。


 74/100 

Weekly Music Feature 



Tim Hecker



 


『Infinity Pool』、『The North Water』シリーズのサウンドトラックのオリジナルスコアを手がけたティム・ヘッカーが、『Konoyo(コノヨ)』『Anoyo(アノヨ)』の後継作の制作のためにスタジオにカムバックを果たしました。


シカゴのKrankyからリリースされた『No High』は、前述の2枚のレコードのジャケットのうち、2枚目のジャケットの白とグレーを採用し、濃い霧(またはスモッグ)に包まれた逆さまの都市を表現しています。


このアルバムは、カナダ出身のプロデューサーの新しい道を示す役目を担いました。Ben Frostのプロジェクトと並行しているためなのか、リリース時のアーティスト写真に象徴されるように、北極圏と音響の要素に彩られていますが、基本的には落ち着いたアルペジエーターによって盛り上げられるアンビエント/ダウンテンポの作品となっています。ノート(音符)の進行はしばしば水平に配置され、サウンドスケープは映画的で、ビートはパルス状のモールス信号のように一定に均されており、緊張、中断、静止の間に構築されたアンビエントが探求されています。特に『Monotony II』では、コリン・ステットソンのモードサックスが登場するのに注目です。


『No High』は「コーポレート・アンビエント」に対する防波堤として、また「エスカピズム」からの脱出として発表されました。この作品は、作者がこれほど注意深くインスピレーションを持って扱う方法を知っている人物(同国のロスシルを除いて)はほとんどいないことを再確認させてくれるでしょう。


最近では、ティム・ヘッカーは映画のサウンドトラックの制作にとどまらず、ヴィジュアルアートの領域にも活動の幅を広げています。”Rewire 2019”では、Konoyo Ensembleと『Konoyo』を演奏するため招待を受ける。さらにRewireの委嘱を受け、Le Lieu Uniqueの共同委嘱により、多分野の領域で活躍するアーティスト、Vincent de Bellevalによるインスタレーション、ステージ、オブジェクトデザインによるユニークなコラボレーション・ショーを開催しています

 

彼の音楽に合わせて調整される特注のLEDライトを使ったショーは、「グリッドを壊す」ための方法を探りながら、光、音、色、コントラスト、質感の間に新しいアートの相互作用を見出そうとしています。

 

 

『No Highs』 kranky




カナダ出身のティム・ヘッカーは、世界的なアンビエントプロデューサーとして活躍しながら、これまでその作風を年代ごとに様変わりさせて来ました。01年の『Haunt Me』での実験的なアンビエント/グリッチ、11年の『Ravedeath,1972』で画期的なノイズ・アンビエント/ドローンの作風を打ち立ててきた。つまり、00年代も10年代もアーティストが志向する作風は微妙に異なっています。そして、ティム・ヘッカーは21年の最新作『The North Water』においてモダンクラシカルの作風へと舵を取っています。これは後の映画のオリジナルスコアの製作時に少なからず有益性をもたらしたはずです。

 

現在までの作風の中で、ティム・ヘッカーは、アルバムの製作時にコンセプチュアルな概念をサウンドの中に留めてきました。それは曲のVariationという形でいくつかのアルバムに見出すことが出来る。この度、お馴染みのシカゴのクランキーから発売された最新作『No Highs』においても、その作風は綿密に維持されており、いくらか遠慮深く、また慎み深い形で体現されている。オープニングトラックとして収録されている「Monotony」、#7「Monotony 2」を見ると分かる通り、これらの曲は、20年以上もアンビエント/ドローン/ノイズという形式に携わってきたアーティストの多様な音楽性の渦中にあって、強烈なインパクトを残し、そしてアルバム全体にエネルギーをその内核から鋭く放射している。これは一昨年のファラオ・サンダースとフローティング・ポインツの共作『Promises』に近い作風とも捉えることも出来るでしょう。

 

DJ/音楽家になる以前は、カナダ政府の政治アナリストとして勤務していた時代もあったヘッカーですが、これまで彼のコンセプチュアルな複数の作品の中には、表向きにはそれほど現実的なテーマが含まれていることは稀でした。とは言え、それはもちろん皮相における話で、暗喩的な形で何らかの現実的なテーマが込められていた場合もある。アートワークを見るかぎり、『The North Water』の続編とも取れる『No Highs』は、彼のキャリアの中では、2016年の「Unhermony In Ultraviolet』と同様に政治的なメタファーが込められているように思えます。今回、アートワークを通じて霧の向こう側に提示された”逆さまの都市”という概念にはーー”我々が眺めている世界は、真実と全く逆のものである”という晦渋なメッセージを読み取る事も出来るのです。


もちろん、これまでのリリース作品の中で、全くこの手法を提示してこなかったわけではありません。しかし、この作品は明らかに、これまでのティム・ヘッカーの作風とは異なるアバンギャルドな音楽のアプローチを捉えることが出来る。本作において重要な楔のような役割を果たす「monotony」を始め、シンセのアルペジエーターの音符の連続性は、既存作品の中では夢想的なイメージすらあった(必ずしも現実的でなかったとは言い難い)ヘッカーのイメージを完全に払拭するとともに、その表向きの幻影を完膚なきまでに打ち砕くものとなるかもしれません。作品全体に響鳴する連続的なシンセのアルペジエーターは、ティム・ヘッカーのおよそ20年以上に及ぶ膨大な音楽的な蓄積を通じて、実に信じがたいような形で展開されていくのです。

 

ニュージャズ/フリージャズ/フューチャージャズのアプローチが内包されている点については既存のファンは驚きをおぼえるかもしれません。知る限りではこれまでのヘッカーの作風にはそれほど多くは見られなかった形式です。今回、ティム・ヘッカーはコラボレーターとして、サックス奏者のCollin Stenson(コリン・ステンソン)を招き、彼のミニマルミュージックに触発された先鋭的な演奏をノイズ・アンビエント/ドローンの中に織り交ぜています。それにより、これまでのヘッカー作品とは異なる前衛的な印象をもたらし、そして、ドローン・ミュージックとアバンギャルドジャズの混交という形で画期的な形式を確立しようとしている。それは一曲目の変奏に当たる「monotony Ⅱ」において聞き手の想像しがたい形で実を結ぶのです。

 

また、「No High」のプレスリリースにも記されています通り、”アルペジエーターによるパルス波”というこのアルバムの欠かさざるテーマの中には、現実性の中にある「煉獄」という概念が内包されています。

 

煉獄とは、何もダンテの幻想文学の話に限ったものではなく、かつてプラトンが洞窟の比喩で述べたように、狭い思考の牢獄の中に止まり続けることに他なりません。たとえば、それはまた何らかの情報に接すると、私達は先入観やバイアスにより一つの見方をすることを余儀なくされ、その他に存在する無数の可能性がまったく目に入らなくなる、いいかえれば存在しないも同然となることを表しています。

 

しかし、私達が見ていると考えている何かは、必ずしも、あるがままの実相が反映されているともかぎりません。ルネ・デカルトの『方法序説』に記されている通り、その存在の可能性が科学的な根拠を介して完全に否定されないかぎり、その事象は実存する可能性を秘めている。そして、私たちは不思議なことに、実相から遠ざかった逆さまの考えを正当なものとし、それ以外の考えを非常識なものとして排斥する場合すらある。(レビューや評論についてもまったく同じ)しかし、一つの観点の他にも無数の観点が存在する……。そういった考え方がティム・ヘッカーの音楽の中には、現実的な視点を介して織り交ぜられているような気がするのです。


さらに、実際の音楽に言及すると、パルス状のアルペジエーター、フリージャズを想起させるサックスの響き、パイプオルガンの音響の変容というように、様々な観点から、それらの煉獄の概念は多次元的に表現されています。これが今作に触れた時、単一の空間を取り巻くようにして、多次元のベクトルが内在するように思える理由なのです。また、その中には、近年、イーノ/池田亮司のようなインスタレーションのアートにも取り組んできたヘッカーらしく、音/空間/映像の融合をサウンドスケープの側面から表現しようという意図も見受けられます。実際、それらの映像的/視覚的なアンビエントのアプローチは、煉獄というテーマや、それとは対極に位置するユートピアの世界をも反映した結果として、複雑な様相を呈するというわけなのです。

 

こうした緊迫感のあるノイズ/ドローン/ダウンテンポは、その他にも「Total Gabage」や「Lotus Light」、さらに、パルスの連続性を最大限に活かした「Pulse Depresion」で結実を果たしている。しかし、本作の魅力はそういった現実的な側面を反映させた曲だけにとどまりません。また他方では、幻想的な雪の風景を現実という側面と摺り合わせた「Snow Cop」も同様、ヘッカーのアンビエントの崇高性を見い出すことができる。ここでは、Aphex Twinの作風を想起させるテクノ/ハウスから解釈したアンビエントの最北を捉えられることが出来るはずです。

 

以前、音響学(都市の騒音)を専門的に研究していたこともあってか、これまで難解なアンビエント/ドローンを制作するイメージもあったティム・ヘッカーですが、『No Highs』は改めて音響学の見識を活かしながら、それらを前衛的なパルスという形式を通してリスナーに捉えやすい形式で提示するべく趣向を凝らしたように感じられます。ティム・ヘッカーは、アルバムを通じて、音響学という範疇を超越し、卓越したノイズ・アンビエントを展開させている。それは”Post-Drone”、"Pulse-Ambient"と称するべき未曾有の形式であり、ノルウェーの前衛的なサックス奏者Jan Garbarekの傑作「Rites」に近いスリリングな響きすら持ち合わせているのです。

 

 

95/100


 

Weekly Featured Music 「monotony」



Tim Hecker


ティム・ヘッカーは、現在、アメリカ・ロサンゼルス、チリを拠点に活動する電子音楽家、サウンドアーティスト。

 

当初、Jetoneという名義でレコーディングを行っていたが、『Harmony in Ultraviolet』(2006年)、『Ravedeath, 1972』(2011年)など、ソロ名義でリリースしたレコーディングで国際的に知られるように。ベン・フロスト、ダニエル・ロパティン、エイダン・ベイカーといったアーティストとのコラボレーションに加え、8枚のアルバムと多数のEPをリリースしている。


バンクーバーで生まれたヘッカーは、2人の美術教師の家庭に生まれ、形成期には音楽への関心を高めていた。1998年にモントリオールに移り、コンコルディア大学で学び、自分の芸術的な興味をさらに追求するようになった。卒業後、音楽以外の職業に就き、カナダ政府で政治アナリストとして働く。


2006年に退職後、マギル大学に入学して博士号を取得、後に都市の騒音に関する論文を2014年に出版した。また、美術史・コミュニケーション学部で音文化の講師を務めた経験もある。当初はDJ(Jetone)、電子音楽家として国際的に活動していた。


初期のキャリアはテクノへの興味で特徴づけられ、Jetoneの名で3枚のアルバムをリリースし、DJセットも行った。2001年までに彼は、Jetoneプロジェクトの音楽的方向性に幻滅するようになる。2001年、ヘッカーはレーベル"Alien8"からソロ名義でアルバム『Haunt Me, Haunt Me Do It Again』をリリース。このアルバムでは、サウンドとコラージュの抽象的な概念を探求した。2006年にはKrankyに移籍し、4枚目のアルバム『Harmony In Ultraviolet』を発表した。


その後、パイプオルガンの音をデジタル処理し、歪ませるという手法で作品を制作している。アルバム『Ravedeath, 1972』のため、ヘッカーはアイスランドを訪れ、ベン・フロストとともに教会でパートを録音した。2010年11月、Alien8はヘッカーのデビュー・アルバムをレコードで再発売した。


ライブでは、オルガンの音を加工し、音量を大きく変化させながら即興演奏を行う場合もある。


2012年、ダニエル・ロパティン(Oneohtrix Point Neverとしてレコーディング)と即興的なプロジェクトを行い、『Instrumental Tourist』(2012)を発表する。2013年の『Virgins』に続き、ヘッカーは再びレイキャビクに集い、2014年から翌年にかけてセッションを行い、『Love Streams』を制作した。共演者には、ベン・フロスト、ヨハン・ヨハンソン、カーラリス・カヴァデール、グリムール・ヘルガソンがおり、ジョスカン・デ・プレの15世紀の合唱作品がアルバムの土台を作り上げた。


2016年2月、ヘッカーが4ADと契約を結び、同年4月に8枚目のアルバムがリリースされた。ヘッカーは、制作中に「Yeezus以降の典礼的な美学」や「オートチューンの時代における超越的な声」といったアイデアについて考えたことを認めている。    


God Speed You! Black EmperorやSigur Rósとのツアー、Fly Pan Amなどとのレコーディングに加え、HeckerはChristof Migone、Martin Tétreault、Aidan Bakerとコラボレーションしている。また、Isisをはじめとする他ジャンルのアーティストにもリミックスを提供している。また、サウンド・インスタレーションを制作することもあり、スタン・ダグラスやチャールズ・スタンキエベックなどのビジュアル・アーティストとコラボレーションしている。


ティム・ヘッカーは、他のミュージシャンであるベン・フロスト、スティーブ・グッドマン(Kode9)、アーティストのピオトル・ヤクボヴィッチ、マルセル・ウェーバー(MFO)、マヌエル・セプルヴェダ(Optigram)と共に、Unsound Festivalの感覚インスタレーション「エフェメラ」に音楽を提供した。また、ヘッカーは、2016年サンダンス映画祭の米国ドラマティック・コンペティション部門に選出された2016年の『The Free World』のスコアを作曲している。

 


イギリスの敏腕エレクトロニック・プロデューサー、CLARKが5月26日にThrottle Records発売される新作『Sus Dog』の最新シングル「Dismmisive」を公開しました。

 

このニューアルバムには、クリス・クラークの旧友であるトム・ヨークがエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねています。

 

ファン待望の次作アルバム『Sus Dog』では、クラーク自身がボーカルに取り組んでいる。これまでクリス・クラークは、最近再発されたデビューアルバム『Body Riddle』、及び、テクノシーンきっての傑作『Turning Dragon』を始め、テクノ、ハウス、ゴア・トランス、オーケストラレーションを交えたモダン・クラシカルと、複数の変革期を通じて、ジャンルを問わず多彩なバリエーションを持つ作風に取り組んできたが、ボーカル・トラックへの取り組みは90年代からクラブシーンの最前線で活躍するプロデューサーにとって未曾有のチャレンジとなる。

 

これはクラークがトム・ヨークにボーカルの指導を仰いだ作品であるという。クラークによると、このアルバムはビーチ・ボーイズがレイヴレコードを作ったときの自分版であり、ヨークはこの新作の中で1曲で歌い、ベースを弾いているのだそう。すでに初期のトラック「Town Crank」「Clutch Pearlers」が発売されていますが、今回、3曲目のシングルが到着しました。

 

「Dismmisive」

 

Ricardo Villalobos/DJ Python & Ela Minus

 

チリ出身のエレクトロニック・プロデューサー、Ricardo Villalobos(リカルド・ヴィラロボス)がEla MinusとDJ Pythonの2曲のリミックスを担当しました。

 

リカルド・ヴィラロボスはテクノ/ハウスの作曲の他、リミックスの領域で天才的な才覚を発揮するプロデューサー。ECMの再構築アルバム『Re:ECM』におけるグリッチの再プロデュースの手腕は傑出している。


今回、リカルド・ヴィラロボスが手掛けたリミックスEPは拡張リミックスで、「Kiss U」は13分、「Abril Lluvias Mil」は40分に及ぶリワークを収録。オリジナル曲は、Ela MinusとDJ Pythonの2022年のコラボレーションEP「♡」に収録されています。Villalobosのリミックス盤の3月23日にデジタルバージョンが先行公開され、フィジカルバージョンは7月に発売される予定だ。


リミックスを依頼したことに関して、「Ricardo Villalobosは、私の10代の頃からとても意味のある存在です」と、DJ Python はこのリンクアップについて述べています。「彼とこのようなことができるなんて、光栄すぎる。僕の目には音楽界のマイケル・ジョーダンみたいに映るんだ」


 

Clark


Clarkは4thアルバム『Sus Dog』の最新シングル「Clutch Pearlers」を公開した。ニューシングルは前作シングル「Town Crank」と同様、クラークの作品にしては珍しいヴォーカルトラックとなっている。トム・ヨークは自身がボーカル録音を提供したコラボレーションについて、次のように語っている。


「クリスは私に、歌を始めたので感想やアドバイスが欲しい、彼にとっては新しいサメの入り江のようなものだ、と書いてきたんだ。

 

私は彼がやっていることに何年ものめり込んでいて、結局、彼がその奇妙なことをつなぎ合わせている間、私は後部座席の運転手のような存在になってしまったんだ。

 

私は、彼が歌と言葉について、まったく別の扉から入ってきたことを発見しても驚かなかったし、それが私にとって最も興味深く、刺激的な部分だった。

 

彼が最初に送ってきたのは、2つのフロアの間に挟まれたことを歌っているもので、私はすでに納得していました。それは、彼が作曲やレコーディングに取り組む方法と同じでしたが、今回は人間の顔をしていたのです」

 

 

Clarkは昨年、初期の代表作『Body Riddle』に未発表曲を加えた『05-10』をリリースしている。。

 

「Clutch Pearlers」

 Pole  『Tempus』

 

 

 Label: Mute

 Release: 2022年11月18日

 

 

Review

 

 

ドイツ/ベルリンのプロデューサー、ステファン・ベトケは、既に長いキャリアを持つ電子音楽家で、ドイツのテクノ・ミュージックの伝統性を受け継ぐミュージシャンとして知られている。2000年代後半に発表した、三部作『I』『Ⅱ』『Ⅲ』において、このサウンド・デザイナーの持つ強固な個性を見事な電子音楽として昇華した。この三部作は、コンピューターシステムのエラーを介して発生するグリッチを最大限に活かした傑作として名高い。冷徹なマシンビートが重層的に組み合わされて生み出される特異なグルーブ感は、ベトケの固有の表現性と言えるだろう。


先週金曜日に発売された『Tempus』は、ステファン・ベトケ曰く、2020年の前作アルバム『Fading』の流れを受け継いだもので、その延長線上にあるという。しかし、2000年代の三部作とは異なる作風を今作を通じてベトケが追い求めようとしているのは、耳の肥えたリスナーならばきっとお気づきのことだろう。ステファン・ベトケは、今回の制作に際して、母親の認知症という出来事に遭遇したのを契機として、その記憶のおぼつかなさ、認知症の母に接する際の戸惑いのような感覚を、今作に込めようとしたものと推測される。しかし、記憶というのは、常に現在の地点から過去を振り返ることによって発生する概念ではあるが、ーー過去、現在、未来ーー、と、ベトケは異なる時間を1つに結びつけようとしている。これが何か、本作を聴いた時に感じられる不可思議な感覚、時間という感覚が薄れ、日頃、私達が接している時間軸というものから開放されるような奇異な感覚が充ちている理由とも言えるのである。


今作のアプローチには、2000年代のグリッチ/ミニマルの範疇には留まらず、実に幅広いベトケの音楽的な背景も窺える。そこには、メインとするグリッチの変拍子のリズムに加え、CANの『Future Days』のクラウト・ロック/インダストリアルへの傾倒もそこかしこに見受けられる。他にも二曲目の「Grauer Saound」では同じベルリンを活動拠点とするF.S. Blummのようなダブへの傾倒も見られる。しかし、ベトケの生み出すリズムは常に不規則であり、リスナーがリズムを規定しようとすると、すぐにその予想を裏切られ、まさに肩透かしを喰らってしまう。そして、ダブのようにリバーブを施したスネアの打音が不規則に重ねられることによって、ダブというよりもダブステップに近い複雑怪奇なグルーブ感が生み出される。聞き手はステファン・ベトケの概念的なテクノサウンドに、すっかり幻惑されてしまうという始末なのである。

 

アンビエントに近いテクスチャーにこういったダブに近いリズムが綿密に組み合わされ、『Tempus』の音楽性は構築されていくが、時に、これらの楽曲にはジャズに近いピアノのフレーズが配置され、これが無機質なアプローチの中に、僅かな叙情性を漂わせる理由といえる。しかし、それらのフレーズは常に断片的であり、何か人間の認識下に置かれるのを拒絶するかのような、独特な冷たさが全編を通じて漂っている。このあたりの没交渉的な感覚にクールさを見出すかどうかが、この最新アルバムを好ましく思うかの分かれ目となるかもしれない。

 

『Tempus』は、かなり前衛的なアプローチが図られており、聴く人を選ぶというより、聴く人が選ばれる、というような作品となる。しかし、この近未来へのロマンチシズムを思わせるようなアプローチ、モダン・インダストリアルな雰囲気の中に、今回の制作において、ステファン・ベトケの構想した、過去、現在、未来を1つに繋げるという、SFの手法が上手く落としこまれているのもまた事実だ。ステファン・ベトケは、リズムの面白さを脱構築的に解釈し、あえて不規則なリズムをランダムに配置することによって、自身の不安めいた感覚を電子音楽として表現しようとしているように思える、それは彼の内面の多彩性がこのような複雑な形で表れ出たとも言える。

 

最新作『Tempus』において、ドイツテクノシーンの最前線に位置するステファン・ベトケは、新しい立体的な電子音の構築を試みているが、彼の模索する新たなリズム構築の計画は未だ途上にあると思われ、今作で、ステファン・ベトケの最新の作風が打ち立てられたと考えるのは、やや早計となるかもしれない。しかし本作は、CANを始めとする、プリミティブなクラウト・ロックを現代的な視点から電子音楽により再構築したアルバムとして、多様な解釈を持って聴き込めるような作風となっている。


78/100


 

 



カナダ出身のDan Snaith(ダン・スナイス)は、”Caribou”の名を冠するグリッチテクノシーンの大御所であるが、さらに、もうひとつ、電子音楽家、”Dephni”としての顔も併せ持つ。さらに、彼は天才数学者でもある。

 

ダン・スナイスは、これら2つのプロジェクトにおいて若干の方向性の相違を示してきた。彼は、しばしば、カリブーとダフニの両方でフェスティバルに出演し、自分のバンドで伝統的なショーを行った後、もう一つのアイデンティティでDJを行う。先月のこと、ダン・スナイスは、ダフニとして、新曲「Cherry」をリリースしたが、これは2019年のEP『Sizzling』以来の同プロジェクトからの新曲となった。そして、今回、新たなシングル「Cloudy」をリリースした。


この秋、ダフニは、ニュー・アルバム『Cherry』を10月7日にJiaolongからリリースする予定で、これは2017年の『ジョリ・マイ』以来のダフニとしてのフルレングス・プロジェクトとなる。


このアルバムには、シングル「Cherry」のほか、先日公開されたばかりの新曲「Cloudy」が収録される。この曲は、宇宙的であり、さらに、緻密かつ濃密な7分にも及ぶ壮大なダンス・トラックである。瞑想的なピアノの上に会話のようなボーカルのサンプリングがオーバーダビングされている。さらに、シカゴ・ハウスのようなファンキーで推進力のあるベースラインが提示され、Caribouにおけるグリッチノイズのアプローチとは明らかに一線を画している。

 

 

 

 

Daphni  「Cherry」

 


 
 
 
Tracklist

 
1 Arrow
2 Cherry
3 Always There
4 Crimson
5 Arp Blocks
6 Falling
7 Mania
8 Take Two
9 Mona
10 Clavicle
11 Cloudy
12 Karplus
13 Amber
14 Fly Away



『Cherry』は10/7にJiaolongから発売される。


Cariou

 

 アメリカの電子音楽家、さらに天才数学者として知られるCaribou、ダン・スナイスは、ダフニ名義でのニューシングル「Cherry」をリリースしました。これは2019年のEP「Sizzlng」に続くシングルとなります。これまでのCaribouの作風と同様に、リズムそのものの複雑性とアナログシンセサイザーの音色に重点が置かれている。この新曲について、スナイスは以下のように説明しています。

 

「例えば、FMシンセの際限なく渦巻くポリリズムほど、愛を語るものはこの世に存在しえない。このトラックを作成することは、謂わば、蛇に自分の尻尾を食べさせるようなものだった」

 

 Apifera

 

アピフェラは、イスラエル出身のYuvai Havkin、Nitaii Hershkovis、Amir Bresler、Yonatan Albarakの四人によって結成されたジャズ・カルテット。音楽性は、電子音楽、ジャズ、民族音楽、また、オリジナルダブのような様々な音楽のクロスオーバーしたものであるといえるでしょう。

 

テルアビブに活動拠点を置くアピフェラは、2020年、LAの比較的知名度のあるインディペンデントレーベル”Stone Throw Records”と契約を結び、七作のシングル盤、一作のスタジオアルバム「Overstand」をリリースしています。活動のキャリアは二年とフレッシュなグループではありますが、それぞれ四人のメンバーは既にソロアーティストとしてアピフェラの活動以前に地位を確立しています。


彼ら四人の生み出す音楽性には、イスラエルという土地に根ざした概念性が宿り、西欧とも東洋とも相容れない独特な文化性によって培われたアート性が込められています。それはこの四人の音楽のバックグラウンドの多彩さにあり、イスラエルのフォーク・ミュージック、フランス近代の印象派の音楽家、モーリス・ラヴェル、エリック・サティ、スーダンとガーナの民族音楽、サン・ラのようなアヴァンギャルドジャズ、スピリチュアルミュージックまで及びます。従来の音楽スタイルを好んで聴いてきたリスナーにとっては、初めて、ポストロック界隈の音楽、あるいはまた、シカゴ音響派の音楽に接したときのようなミステリアスかつ魅惑的な音楽に聴こえるかもしれません。

 

イスラエル出身のアピフェラの音楽は、グループ名の由来である「蘭に群がるミツバチ」に象徴されるように、色彩豊かなサイケデリアのニュアンスも存分に感じられるはず。しかし、それは例えば、アメリカのサンフランシスコの1970年代に生み出されたサイケデリアとは異なり、アフリカの儀式音楽に根ざしたサイケデリア、西洋側の観念から見ると、相容れないような幻想性が描き出されているのが面白い。そのサイケデリア性は、全然けばけばしくもなく、どきつくもない、上品な雰囲気も滲んでいるのを、実際の彼らの音楽に耳を傾ければ、気づいていただけるでしょう。そのニュアンスは、これまで彼らがリリースしてきた作品のアルバム・ジャケットを見ての通り、ミステリアスでありながら、心休まるようなエモーションによって彩られているのです。

 

アピフェラの音楽は、即興演奏によって生み出される場合が多く、それがこのカルテットの音楽を生彩味あふれるものとしている。実際の作曲面においては、音の広がり、テクスチャー、音の温度差、といった要素に重点が置かれ、この3つの要素が、シンセリード、ギター、ベース、ドラム、電子音と楽器のアンサンブルの融合によって立体的に組み上げられていく。

 

また、オーバーダビングの手法を多用するあたりには、故リー・スクラッチ・ペリーのようなダブアーティストとの共通点も見いだされる。それから、ハウスのブレイクビーツのリズム性を取り入れたり、ジャーマンテクノのような旋律を取り入れたり、また、アバンギャルド・ジャズの領域に恐れ知らずに踏み入れていく場合もある。総じて、イスラエル、テルアビブ出身の四人組、アピフェラのサウンドは前衛的でありながら、懐かしいようなノスタルジアも併せ持っており、それは、このジャズカルテットの中心人物、Nitai Herdhkovisが語るように、「現実よりも明晰夢のような」サウンド、色彩的なサイケデリアが楽器のアンサンブルによって表現されています。

 

 

 

・「6 Visits」 EP   Stone Throw Records

 

 

 さて、今週の一枚として紹介させていただくのは、11月10日にLAのStone Throw Recordsからリリースされたばかりのイスラエル出身のアピフェラのミニアルバム「6 Visits」となります。

 

 




Tracklisting 


1.Beyond The Sunrays

2.Half The Fan

3.Psyche

4.Visions Fugitives-Commodo

5.L.O.V.E

6.Plaistow Flew Out


 

 

「Beyond The  Sunrays」 Listen on youtube:

 

https://www.youtube.com/watch?v=YQwpdB4VkPA 

 

 


Listen on Apple Music

 

 

他にも今週はブルーノ・マーズ擁するsilksonicの「An Evening At Silksonic」」が発表されたり、また、ジミー・イート・ワールドの「Futures」のライブ音源、また、KISSのデモ音源のリイシュー盤だったりと、比較的、話題作に事欠かない、今週の音楽のリリース状況ではありますが、今回、イスラエル出身のApiferaの新譜を紹介しておきたいのは、「6Visits」がミニアルバム形式でありながら、既存のヨーロッパやアジアの音楽シーンにはあまり存在しなかった前衛的作品であり、聞きやすく、スタイリッシュな格好良さもある。つまり、この作品「6 Visits」が多くのコアな音楽ファンにとって、長く聴くにたるような作品になりえるという理由です。

 

既に、前作のスタジオ・アルバム「Ovestand」において、異質なサイケデリックテクノ、プログレッシブテクノの一つの未来形を示してみせたテルアビブの四人組は、このEP「6 Visit」においてさらなる未知の領域を開拓しています。

 

このミニアルバムは、多くがインストゥルメンタル曲で占められていますが、ここに表現されているニュアンスは多彩性があり、このイスラエル、テルアビブ出身の四人組のカルテットの演奏に触れた聞き手は不思議な神秘性を感じるであろうとともに、バンド名「Apifera」に象徴づけられるように、さながら、蘭の花からはなたれる芳香に群がるミツバチのようにその音の蠱惑性にいざなわれていくことでしょう。ミステリアスな雰囲気は往年のプログレを思わせ、アバンギャルドジャズ的でもあり、ダブ的でもありと、音楽通をニンマリさせること請け合いの作品。

 

そこには、往年のジャーマンテクノ、また、YESのようなプログレッシブ・ロックのようなシンセサイザー音楽のコアな雰囲気が漂い、そして、ハウスのブレイクビーツを実際のドラムにより生み出すという点では、現代のイギリスあたりのフロアシーンの音楽にも通じるものがあるようです。

 

一曲目「Beyond The Sunrays」は、流行り廃りと関係のない電子音楽が展開されています。その他、オリジナルダブの原点に立ち戻った「Half The Fan」も、懐かしさとともに渋い魅力を兼ね備えています。

 

今作品に収録されているのはインストゥルメンタル曲だけではありません、三曲目「Phyche」は、ヴォーカルトラックとしてのエレクトロミュージックが展開され、ニュー・オーダーの音楽性にも近いクールさが込められているように思えます。

 

さらに、イスラエルの伝統的なフォーク音楽を、電子音楽の要素を交えて組み上げた「Visions Fugitives-Commodo」も、エレクトロニカをより平面的なテクスチャーとして捉え直した実験的な楽曲。また、アフリカ民族音楽を電子音楽という観点から再解釈した「Plaistow Flew Out」も、イギリスの最新のフロアシーンにも引けを取らないアヴァンギャルド性を感じていただけることでしょう。

 

表向きにはアバンギャルド性が強い作品ですけれど、作曲と演奏の意図は飽くまでリスナーの心地よさ、楽しませるために置かれ、もちろん、フロアで聴いて踊ってもよし、また、家でゆったり聴いても良しと、幅広い選択を聞き手に与えてくれる。全体的に見ると、新しいダンスミュージックの潮流、IDMという音楽の次なる未来形は、このアピフェラのEP作品を聴くにつけ、このあたりのイスラエル、テルアビブ周辺から出てくるのではないかと思うような次第です。

 

総じて、サイケデリアに彩られながらも知性溢れる作品であり、静かに聴いていると、音の持つミステリアスな精神世界の中に底知れず入り込んでいくかのような、深みと円熟味を持ち合わせた音源です。それほどイスラエルというのは多くの人にとってはまだ馴染みのない地域の音楽であるように思われますけれど、これから面白いアーティストが続々と出て来るような気配もあります。イスラエルのフロアミュージックシーンきっての最注目の作品としてご紹介致します。

 

 

・Apiferaの作品リリースの詳細情報につきましては、以下、Stone  Throw Recordsの公式サイトを御参照下さい。

 

  

Stone Throw Records Offical Site 

 

 https://www.stonesthrow.com/

 

 

 

 

 

 


Squarepusher 「Feed Me Weird Things」2021

 

 

 

英国のWarp Recordの象徴的な存在、この二十年の英国のクラブシーンをエイフェックス・ツインと共に牽引して来たスクエアプッシャーのデビュー作「FEED ME WEIRD THINGS」の25周年記念リマスター・バージョンが6月4日に再発される。

 

オリジナル版はLPリリースのみで、今回デジタル版としては最初のリリースとなります。ファンは泣いて喜びましょう。

 

「高音質UHQCD」という聞き慣れない圧縮形式が、技術的にどんなものなのかについての詳細は、ハイ・クオリティCD-Wikipediaを参考にして頂き、ここではスクエアプッシャーの新譜の感想のみを述べておこうと思います。 

 

 

 

 

 

 




1.Squarepusher Thema

2.Tundra

3.The Swifty

4.Dimotane Co

5.Smedleys Melody

6.Windscale 2

7.North Cinclur

8.Goodnight Jade

9.Thema From Ernest Borgnine

10.U.F.O's Over Leytonstone

11.Kodack

12.Future Gibben

13.Thema from Goodbye Renald

14.Deep Fried Pizza 

 


 
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このリマスター版を聴くと、トーマス・ジェンキンソンの代名詞とも呼べるドラムンベースサウンドが高音の抜け、そして、低音のグルーブの厚みがバランスよくリマスターされていて、低価格イヤホンでもダンスフロアで音を聴いているかのようなリアリティが感じられる一枚となってます。


レコード技術の知識については疎いため、あまり偉そうなことをいえないですけども、今回の高音質バージョンは、最新のリマスタリング技術も、ここまで来たのかと唸らされるような高級感のある音の仕上がり。

 

レコード生産技術というのは、日々進化しているというのが、音の質感によって感じることができるのは、クラシックでのオケの弦の温かみ、もしくは、コンサートホールの空間のダイナミクスというのも醍醐味といえるかもしれないが、こういったクラブ・ミュージックについても引けを取らないものがある。そして、今作のリマスタリング盤は、スタジオ・アルバムの形式でありながら、音に迫力感が他の作品よりも増しているように思え、ライブ感というのも凄まじい。

 

英国の「コーンウォール一派」と呼ばれるアーティストの一角をなすスクエアプッシャーは、この二十年以上のキャリアにおいて、ソロベース作品「Solo Electric Bass 1」でジャズ・フュージョン的なアプローチを見せ、スタジオ・アルバムで新しいエレクトロサウンドへ傾倒を見せたり、同レーベルを象徴する、クラーク、エイフェックスと異なるスタイルで独自の音楽性を追求している。

 

そして、この一枚を聴いてあらためて断言しておきたいのは、このデビュー作「FEED ME WEIRD THINGS」こそが、彼のキラキラと溢れんばかりの才質が感じられるスクエアプッシャーの最高傑作であるということ。

 

一曲目「Squarepusher Thema」から、誰も踏み入れたことのないアシッド・ハウスの先の極致ともいえる領域に入り込み、ベーシストとしての傑出したテクニックもたっぷり味わえるはず。

 

「Tundra」では、ダブステップ界隈のアーティストが、後の10年代に当たり前のように奏でる音を、エイフェックス風のドリルンベースと呼ばれる緻密なリズムを交えてあっけなくやってのけているあたりも驚愕といえる。

 

「Smedleys Melody」では、後のジャズ・フュージョン的なアプローチを予見するかのような前衛的なエレキベースを主体としたスイング風のリズムにも、ジェンキンソンは挑戦している。重低音の響き、そして、畳み掛けるようなドラムンベースのリズム、シンセリードの音色を変幻自在に変化させている辺りの音楽性は後の「Ultravisitor」の楽曲性の萌芽を見てとる事ができるはず。

 

そして、このアルバムの肝となるのが、スクエアプッシャーの後の一つの方向性を決定づけた「Thema From Ernest Borgnine」。この圧倒される音楽性の凄さというのは筆舌に尽くしがたいものがある。


たった、四小節のリンセリードのモチーフで、これだけの曲の表情に変化をつけられるのは、世界中見渡しても、トマス・ジェンキンソンくらいしか見当たらないかもしれない。この曲は、本当に感動ものです、英エレクトロ史上最高傑作の一つといっても過言ではないはず。

 

今回、初めて、デジタル版として解禁となったこの「Feed Me Weird Things」というデビュー作は、ファンにとってはたまらないものがあるでしょう。今作は、スクエア・プッシャーというミュージシャンの際立った凄さというのが痛感できる高音質のリマスター音源となっています。

 

 

 

Clark「Playground In a Lake」

 

 

 

 

Clarkは、クリス・クラークのソロプロジェクトで、スクエアープッシャーやエイフェックスと共に既にテクノ界の大御所ともいえる存在。

 

 

現在、イギリスからドイツに移住し、ワープレコードから移籍し、今作も前作に引き続いてドイツ・グラムフォンからのリリースです。

 

 

クリス・クラーク自体は、オラフソンの作品への参加など近年、クラシカルアーティストに近い活動を行うようになり、その辺りは彼の最近のドイツ移住に関連しているのかもしれません。

 

 

元々、クラークというのは、イギリスのワープ・レコーズの代表的な存在であり、元々はコアなテクノ、エレクトロを追求するアーティストでしたが、2016年「The Last panthers」辺りから徐々に方向性を転じていった印象を受けます。

 

 

活動初期はコアなテクノ、エレクトロという音の印象があり、それをクリースクラークらしいというか、彼の真骨頂であった音楽性がいよいよひとつの沸点を迎え、アンビエント・ドローン、そして、ポスト・クラシカル、ニューエイジの雰囲気も出てくるようになりました。これは往年のクラークを知るファンにとっては彼が一足先を行ってしまったのが少し寂しくあり、また、楽しみなところでもあるでしょう。 

 

 

Playground In A Lake  2021

 

 

 

 

 

そして、2021年3月26日リリースの今作「Playground  In a Lake」では、ピアニスト、コンダクターとしても活躍するAndy Masseyを迎え入れ、そして、さらに豪華なストリングス編成を加えたアルバムとしてリリース。

 

 

これはクリス・クラークの見せた新たな一面といって良いように思え、そして、元はワープレコードの代名詞的な存在でありながら、彼がいよいよクラブアーティストと呼ばれるのを拒絶しはじめたような印象を受けます。

 

 

この新作アルバムで展開されていく美しい電子音楽という彼の長年のキャリアの蓄積を踏まえた音楽性というのは、既に彼が現代音楽、または、純性音楽家としての道を歩み始めた証左であり、彼の往年のファンにとどまらず、クラシック界隈のファンにも自信を持ってレコメンドしたい作品です。 

 

 

ここでひとつのポスト・クラシカルとしての完成形をむかえた今作は、美麗なストリングスの表情をもち、また、ピアノの慎ましい演奏により、時には、クラーク流の電子的音響世界により、綿密かつ緻密、そしてインテリジェンス性を持って作り上げた歴史的名盤。彼自身のTwitterでのつぶやきを見ても、クリス・クラーク自身も、この新作の出来栄えに大きな満足感を抱いている様子。 

 

 

IDM(Intelligence Dance Music)というジャンルの一歩先を勇ましく行くのがクラークという存在であり、もちろん、それはかつての盟友、エイフェックスや、スクエアプッシャーが未来に見る音楽とは全く別の様相。

 

 

さて、これから、クリス・クラークがどのような新境地を開拓するのか、ファンとしては一時たりとも目を離すことができないでしょう。

Squarepusher 「ultravisitor」


今回は、ここで、あらためてくだくだしく説明するまでもなく、Aphex Twinと双璧をなすワープ・レコードの代名詞的な人物にして、現代エレクトロニカ界の大物アーティスト、スクエアプッシャー!! 


まず、この人のすごすぎるところは、電子楽器、たとえば、シンセやシーケンサーにとどまらず、生楽器の演奏というのも自分でやってのけ、しかも、ほとんど専門プレイヤー顔負けの超絶技巧を有している点です。

音楽性自体も非常に幅広く、電子音楽家という範囲で語るのが惜しくなるような逸材です。

おそらく彼にとっての音楽というのは人生そのものなのでしょう。特に、ベーシストとしても才能はずば抜けており、後の彼のジャズ・フュージョンのエレクトリックベースソロ・ライブは、音楽史において革命の一つであり、ジャズベースの名プレイヤー、ジャコ・パストリアスにも全く引けを取らない名演でした。

そして、このアルバムもまたスクエアプッシャー節、いわゆるドラムンベースの怒濤のラッシュとともに、さまざまな音楽のエッセンスが盛り込まれている辺りで、彼の代表作のひとつとして挙げても良いでしょう。

一曲目の「Ultravisitor」のライブのような音作りを聞いた時は、かなりヒッと悲鳴をあげ、少なからずの衝撃を受けました。はじめはこれはライブアルバムなのかと面食らったほどの生音感、また、そこには観客の歓声もサンプリングされており、スクエアプッシャーのライブをプレ体験できます。いや、それ以上の興奮感でしょう。後のスクエアプッシャーの数あるうちの方向性のひとつを定めたともいえる楽曲であり、彼自身も相当な手応えを持って、リリース時にこの曲「ultravisitor」を一曲目にすることを決断したのではないでしょうか。

これはクラブミュージック屈指の名曲。疾走感、ドライブ感があり、よくいわれるグルーブ感という概念、つまり音圧のうねりというのがはっきりと目の前に風を切って迫って来るような感じがあって、この曲を聞けば、その意味が理解できるだろうと思います。そして、ボノボのようなチルアウト感をもったアーティストとは異なり、彼は非常に熱いエレクトロニカを展開しています。これはほとんライブ会場内で、生々しい音を体感しているかのようなサウンドプロダクションといえ、他にこういった熱狂的なダンスミュージックは空前絶後。この曲で、彼は現代クラブミュージックシーンを、ひとりで、いや、リチャードDと二人で塗り替えてしまったといっていいでしょう。

 

このアルバム「ultravisitor」の興味深いのは、全体的にはライブの生音的なサウンド面でのアプローチが見られる所でしょう。もうひとつ挙げるべき特徴は、ドラムンベース・スタイルのダンスミュージック的な性格もありながら、それでいて多彩なジャンルへの探究心を見せている。例えば、ジャズ・フュージョンや古典音楽的な楽曲の才覚を惜しみなく発揮しているところに、ひとつのジャンルとして収めこもうと造り手が意識すること自体がきわめてナンセンスだというメッセージがここにほの見えるかのようです。

つまり、ジャンルというのは、売る側が決める都合であり、作り手は絶対にそんなことを考えてはいけないということなんでしょう。

まさに彼はそういった意味で、一種のラベリングに対する無意味さを熟知しているといえますね。

 

とりわけ、アルバムのなかで異彩を放っている「Andrei」という楽曲、これは甘美な響きがある現代音楽家の古典音楽へのつかの間の回帰ともいえるでしょう。イタリアの古楽のような響きがあり、中世リュートの伝統的な和音進行が、実に巧みに使いこなされ、バッハのコラール的な対旋律ふうに、ベースが奏でられています。これは本当に、彼の美しい名曲のひとつに挙げられます。もうひとつ、最後のトラックでも同じようなアプローチが見られ、「Every day I love」では、ジャズ・フュージョンというより、ベーシストとしての古典音楽にたいする接近が見られます。おわかりの通り、スクエアープッシャーのベーシストとしての天才性というのは、この最後の曲において遺憾なく発揮されているといえるでしょう。これまた、「Andrei」と同じように、彼の伸びやかな才能が感じられる曲であり、イタリアルネッサンス期の中世音楽への接近が見られ、優雅な雰囲気でアルバムをあたたく包み込み、アルバムの最後の印象を華やかに彩っています。

 また、「Tommib Help Bass」は、Aphex Twinのような、どことなく孤独感をおもわせる雰囲気の楽曲。ミニマルな構成のシンプルな曲ですけど、これがとても良いんです。落ち着きと心地よい鎮静を与えてくれる名曲。エイフェックスツイン好きならピンとくる楽曲でしょう。 只、少しエイフェックスと異なるのは、彼の楽曲というのは、和音構成がしっかり重視されている点でしょう。

そして、忘れてはならない、彼の代表曲のひとつの呼び声高い「Lambic 9 Poetry」については、もはや余計な説明不要だといえましょう。非常に落ち着いたイントロのベースのミュートから、生演奏のドラムのブレイクビーツの心地よさ。これは言葉にもなりません。そして、スクエアープッシャーの真骨頂は、途中からの破壊的な展開にある。徐々に、徐々に、崩されていって、拍子感を薄れさせていくリズムの発明というのはノンリズムの極致、作曲においての音楽の一大革命のひとつといえ、そのニュアンスは一種の陶酔感すら与えてくれるはず。

ダンスミュージックシーンに彗星のごとくあらわれたスクエアプッシャー!!。彼こそ、新たなダンスミュージックを初めて誕生させ、前進させた歴史的な音楽家だと明言しておきましょう。

Andy Stott  「Luxury Problems」2012

 
 
アンディ・ストットを最初に聞いたとき、音のニュアンスが”Burial”に近いのかなとも思いましたが、よく聴くと全然違うようです。確かにダブステップのニュアンスもありますが、その実、似て非なる存在かもしれません。
 
上記の二人は、古いダブといわれるスタイルの代表格、同じ英国のリントン・クウェシ・ジョンソンあたりの古典的なアーティストと比べると、現代のイギリスのダブ・ステップというのは、レゲエ、スカ色は薄まり、ダビング的な玄人好みの複雑で立体的なリズム性だけが引き継がれています。
 
とりわけ、このアンディ・ストットを唯一無二の存在たらしめているのは、インダストリアルの硬質な香りでしょうか。都会で鳴り響くような洗練された雰囲気、それがとてもクールに表現されています。そして、彼の音楽性には、必ずしもフロアで鳴らされるだめだけに作られたものではないところが興味深いです。ボノボあたりのひとりで家のなかで聴くような、鑑賞するための絵画的な音楽としても楽しめるでしょう。
 
アンディ・ストットはデビュー時からマンチェスターの「Modern Love」からリリースを続けていて、今でこそかなりアクのある重低音ブレイクビーツ感の強いアーティストといえますが、活動初期においての音楽性は、どちらかといえば、そこまでリズムの低音域が強調されていませんでした。淡々とした、むしろその音の古臭いようなチープさが癖になるようなアナログ風のテクノ音楽という感じで、そこまで深いドラマティック性というのもなかったように思えていました。
 
ところが、2011年リリースの「Passed Me By」あたりから、独自の趣向をガンガン押し進めていき、ダブステップ要素のある実験的な手法を取り入れはじめ、そして、複雑なリズムとグルーブを生み出していき、それまで抑えられている印象のあった低音域が出てくるようになりました。 
 
そして、 さらにダブステップ界隈のデムダイク・ステアーなどに比べ、彼の長所であるメロディーセンスを、この「Luxury Problems」から惜しみなく見せていきます。彼のメロディーセンスというのは、あまり他の音楽のジャンルでは聴いたことのない独特な個性に溢れ、女性ボーカルの艶のある声のサンプリングが巧みに生かされ、実に怪しげな耽美的音響世界が展開されていきます。
 
  
 
ストットの基本的な作曲技法としては、ミニマルな音形をループさせ、そこに、対旋律的に美しいメロディーをちりばめていくことにより、徐々にリズム自体を複雑化、抽象的にさせ、聞き手の感覚を、徐々に、麻痺、惑乱させていくところが面白い特徴。本来ならリズムトラックとして使われない音源をリズム的に使用しているのが、たとえば、ボーカルのサンプリングをハイハットのように使ったりするのが、ストットの凄いところでしょう。そして、コレは、ボーカルを旋律を紡ぎ出すものというにとどまらず、ヴォイスを”器楽的”に捉えているからこそ生み出し得る音楽といえるでしょう。
 
この観点からいうと、Andy Stottの音楽というのはよくエレクトロの風味に近いといわれますが、ドローン、もしくは現代的なアンビエントに近い風味のある、抽象的なエクスペリメンタルエレクトロ/テクノとも呼べなくもないかもしれません。
 
ストットの音楽性について特筆すべきなのは、アーキテクチャーの土台となる礎石を積み上げていくかのように、音が複雑に構築されていって、曲が展開されていくにつれ、イントロで明瞭としなかった要素、ドラマ、ストーリの性質が徐々に引き出され、ドラマティックな雰囲気が形作られるという点、他の多くのクラブミュージック界隈のアーティストと一線を画しています。

 
今回、紹介する「Luxury Problems」は、彼の他のアルバムに比べて、女性ボーカルのサンプリングが醸し出す妖しげな色気に満ちていて、それはインスト曲においても余韻のように染み渡り、彼独自の一貫した奇怪な世界観を形成しています。つまり、今作はコンセプト色の強いアルバムとみなすことができるはず。
 
アルバムに収録されている中では、「Numb」「Luxury Problems」「Leaving」このあたりがボーカルの旨味が感じられて、いくらか突っつきやすい歌曲としても存分に楽しめるはずです。
 
また、他の収録曲には、彼独自の油断のならなさのような滲み出ていて、それこそがこのアルバムの聴き応えを十分にしています。
 
ここでは、アンディ・ストットの才覚がいかんなく発揮されており、尚且、”ポピュラー性”と”インダストリアル性”という正反対にある要素が、上手く融合されることにより、アルバム全体が引き締まった均勢の取れた聴き応えのある楽曲群になっています。
 
総じて、ストットのめくるめくようなリズムの展開力。そして、夜の都市に満ちあふれる街のインダストリアル的な冷ややかな香り。そして、そういった生の気配から遠ざかった無機質な雰囲気。
 
それらがダブ・ステップという形式によりあざやかに表現され、さらに、そこに女性ボーカルのの艷やかなブレス、アンニュイな歌声の息吹がミューズのごとく麗しく添えられることにより、このアルバム「Luxury Problems」をクラブ・ミュージックの極北たらしめているという気がします。