Arve Henriksen 「Kvääni」
Label: Arve Music
Release: 2024年8月16日
Review
今年、ECMから『Touch Of Time』を発表しているアルヴェ・ヘンリクセンであるが、立て続けに自主レーベルからフルレングスのリリースを控えていたとはかなり驚きだった。新作アルバム「Kvääni」は、Laraajiを彷彿とさせるニューエイジ/アンビエントの作品であり、エレクトロニックジャズやストーリーテリングのような試みも行われている。推察するに、ECMでは出来ない音楽を、このアルバムで試してみたかったのではないだろうか。ジャズとは、スタンダードな作風を継承するのみならず、既存にはない前衛的なチャレンジを行う余地が残されているジャンルである。そのことを裏付けるかのように、短い曲が中心であるものの、様々な試みが本作に見出だせる。それは音楽のこれまで知られていなかった意外な側面を表すものでもある。
例えば、音楽は、言葉と音階やリズムという構成要素によって生ずるが、このアルバムを聴くかぎり、言葉がなくとも、何らかのイメージや思想形態、そして作品に込められた真摯な思いのようなものをテレパシーのように伝えることができることが分かる。
シンセサイザー、民族音楽の楽器、そして、トランペットの編集的なサウンドプロダクションを通して伝わってくるのは、アルバムの全体には東洋の神秘思想や、奥の院にある神秘主義への傾倒が通底しているということだ。さながら小アジアの寺院を観光で訪れ、その秘教の神秘主義の一端に触れるような不思議な味わいを持つ。曲自体は、それほど長大になることも冗長になることもなく、一貫して端的さが重視されている。およそ4分半以下にまとめられたシンプルなスピリチュアルジャズの中には、その枠組みから離れ、神秘的な源泉に迫るものもある。
音楽には、表側に鳴り響くものとは別に、裏側に鳴り響く何かを聴取する魅力がある。それは音楽の持つ源泉に触れることを意味する。ノルウェーのトランペット奏者、アルヴェ・ヘンリクセンは、神秘主義の音楽を一つの入り口として、宇宙のミクロコスモスに近づこうとする。その試みはララージや、生前のファラオ・サンダース、テリー・ライリーに近いものであろう。
アルバムの冒頭部「1-Kvenland」では、チベット・ボウルのようなアジアの民族音楽の打楽器の音響を始まりとして、神秘主義の扉を押し開くかのようである。現代社会の喧騒の中で生活していると、瞑想的な側面に触れる機会は自ずと少なくなってしまう。それは、この世に本当の音楽がきわめて希少だから。そして、アルヴェ・ヘンリクセンは、これらの未知の扉をゆっくりと開こうと試みる。その響きはチベット寺院の祈りのようであり、無限的な音楽が内包されている。
本作の序盤では、「編集的なサウンド」という、アルヴェ・ヘンリクセンのジャズの主要な特徴を捉えられる。「2-Ancestors From North」は、流浪の旅人をどこかの異郷で見かけるようなエキゾチズムがあり、それを空間的なジャズーーアンビエント・ジャズーーという新しい形で表現している。
全体的なスピリチュアル・ジャズの枠組みにおいて、ECMのマンフレッド・アイヒャーがもたらしたミニマルミュージックを基にしたエレクトロニックやテクノの要素が加わることもある。
「3-Secret Language」は、序盤の重要なハイライトであり、ノルウェーのJan Garbarek(ヤン・ガルバレク)が、2004年のアルバム『In Praise Of Dreams』 でもたらしたエレクトロニックジャズの要素を、トランペット奏者として踏襲している。これらの瞑想的かつ催眠的なエレクトロニックの要素が、ヘンリクセンの巧みなブレスと巧みに合致しているのは言うまでもない。
トランペット奏者のソロアルバムであるのにもかかわらず、純粋なエレクトロニックも収録されている。それはやはり、ララージやテリー・ライリーのようなニューエイジ系のサウンドに縁取られることが多い。
「4-Raisinjoki」は、レトロなシンセサイザーの音色を組み合わせ、アジアの民謡、あるいは東ヨーロッパの民謡のような一般的に知られていないワールドミュージックが繰り広げられる。簡素でありながら、無限の音楽が含まれているような奇異な感覚、まさしく万里の長城を登るときや、小アジアの隠された秘教の寺院の回廊を歩く時に感じるような神秘性を体感できる。「5-Sappen」は、従来のヘンリクセンの作曲の延長線上にある一曲。枯れたトランペットのミュートのブレスの渋い味わいがECMのエキゾチックジャズの魅惑的な響きとピタリと重なり合う。
「6-Voices From The Highlands」では山岳地帯をモチーフにしている。アラビア風の旋法が登場し、エキゾチズム性に拍車が掛かる。アルメニアの楽器、ドゥドゥクのような民族音楽の要素を強調している。従来の作品の中で、最もエキゾチックといえ、グルジエフのような秘教的な雰囲気が含まれている。そして、通奏低音をもとにして、色彩的なタペストリーを織り上げていく。
「7-Hansinkentta」では、ダルシマー/サントゥール/ツィターの楽器の特性を捉え、インド風の旋律で縁取っている。さらに、これらの弦楽器の演奏の上に、ドイツのクラフトワークのような原始的な電子音楽が付け加えられる。音の旅のようなニュアンスと神秘性を象徴付ける一曲として楽しめる。
中盤では、スピリチュアル・ジャズの瞑想的な響きを体験できる。「8-Invisible People」は、思弁的なトランペットの主旋律に導かれるように、複合的な対旋律が折り重なり、絶妙なハーモニーを形成する。ミュートとレガートを織り交ぜたヘンリクセンの演奏は、一般的なマイルスやエンリコ・ラヴァの系譜にある主流の演奏法とは明らかに異なる。スタッカートのような気高い演奏ではなく、むしろ徹底して感情は抑制され、厳粛な音の響きが重視される。少しだけ物悲しく、哀感溢れる演奏は、現代の混乱する世界情勢に対する演奏家の深い嘆きのような感慨が込められているのではないか。それは明確な言葉よりも、深く心を捉える瞬間もあるのだ。
「9-Kjelderen」は、アルバムの中で最も奇妙な一曲で、ジャズとしては問題作の一つである。ドローン風の効果音は、ホラー映画のサウンドトラックのような冷んやりとした感覚を呼び覚ます。隠された地下トンネルを歩くかのような、もしくは異世界のゆっくりと次元に飲み込まれていくような、おぞましくも奇異な感覚に満ちている。
更に「10-A New Story Story Being Told」において、ヘンリクセンは、勇猛果敢にも、東アジアの民族音楽をベースにして、アヴァンギャルドミュージックの最前線に挑む。旋律性や調性を度外視したフリー・ジャズの形式を、民族音楽の観点から組み直している。どことなく調子はずれな響きは、何を脳裏に呼び覚ますだろうか。
アルバムの後半部は、実験音楽、現代音楽、トランペットの音響の革新性、スポークンワードのサンプリング等、多彩な音楽性が発揮されている。「11-Creating New Traditions」では、カール・シュトックハウゼンのトーンクラスターの作風を踏まえた実験的な電子音楽を聴くことができる。
「12-Heritage」は、トランペットの音響の未知なる可能性を編集的なサウンドで抽出している。かと思えば、「13-The Mountain Plateau」では、民族音楽風の作風に舞い戻ったりと、変幻自在なサウンドを織り交ぜ、異なるモチーフを出現させる。「14-Moliskurkki」では、野心的な試みが見出される。エレクトリックジャズの先鋭的な側面を強調させ、ミニマルミュージックの構造性を作り上げ、無調の旋律のレガートをトランペットのブレスで強調させる。これらは、アフロジャズの原始性と現代的なエレクトリックジャズの融合を図っていると推察できる。
ポピュラー・ソングにスポークンワードをサブリミナル効果のように挿入する最近の音楽的な手法は、新しい作風の台頭のように見る人もいるかもしれない。しかし、実際は新しくはなく、2007年にHeiner Goebbelsが「Landshaft mit entfernten Verwandten」において、現代音楽や舞台音楽として、いち早く実践していたのだった。おそらく、これまでニュージャズの最前線を追求してきたアルヴェ・ヘンリクセンにとって、スポークンワードを物語のように導入することは、古典に近いニュアンスがあると思われる。「15-My Father From Isolagti」は、老人の声が悲しげな雰囲気を帯び、空間的な印象を呼び覚ます。それらの後に、ヘンリクセンのトランペットが登場するが、それは物語性の延長か、はたまた音楽の印象を強化するような役割を担っている。
終盤においてヘンリクセンは実験音楽の最前線に挑んでいる。 「16-Truth and reconciliation」では、アコーディオンの先祖であるコンサーティーナの音響を踏まえ、シュトックハウゼンのトーンクラスターと融合させる。この曲を聞くかぎりでは、金管楽器奏者のヘンリクセンは、作曲家/編曲家としてのみならず、電子音楽家としても深い音楽的な知識と理解、何より、実践力を兼ね備えていることが痛感出来る。この曲はむしろ、アヴァンギャルド・ジャズというよりも、ライヒやグラスの先にある現代音楽の新しいスタイルが断片的に示されていると言えよう。
しかし、前衛的なミュージック・セリエルの後、パイプオルガンのような敬虔な音響が登場する。シュールレアリズムや形而下にある概念を音楽で表現したような奇妙な音楽が続いている。
それらの前衛性は、トランペットの音響の潜在的な側面に向けられることもある。「17-On A Riverboat To Bilto」では金管楽器のルーツや楽器の出発に回帰する。イントロのドローン/ノイズに導かれるように、原始的な響きが始まる。細やかなブレスのニュアンスの変化からもたらされるヘンリクセンのトランペットの演奏には、音楽に対する深いリスペクトのような感覚が滲む。
この曲を起点とし、本作の最終盤では、原始的な音楽に接近する。原始的というのは、楽曲構成が未発達であり、旋律的ではなく、リズムも希薄であるということ。古来の西欧諸国の音楽は、スペイン国王のアルフォンソが音楽に旋律性をもたらし、英国圏のデーン人に伝えるまで、グレゴリオ聖歌のモノフォニーという要素が、その後分岐するようにしながら発展していったに過ぎない。以降、多声部のカウンターポイントが体系化され、教会旋法からポリフォニーが発生し、イタリアンバロックにおいて対旋律が洗練され、以後、ドイツの古典派やヨーロッパのロマン派、新古典派の作曲家が和声法や対位法を洗練させ、19世紀ごろにアフリカ発祥のリズムが加わり、以降のポピュラーやジャズ、ミュージカルという形式に変遷していった。
そして、現代の商業音楽の基礎を作ったのは、ニューヨークのジョージ・ガーシュウィン、近代和声を確立したラヴェル、ドビュッシーのようなフォーレのもとで学んだ作曲家だろう。また、日本の元旦に流れる「波の盆」のような和風な曲ですら、JSバッハの曲をヨナ抜き音階に再構成し、日本の伝統的な民謡のリズムや音階を付与したものに過ぎない。西洋にせよ、東洋にせよ、最近のポピュラー音楽など、悠久の歴史にとっては、束の間の瞬きのようなものなのだ。
想像しがたいことに、現在のような音楽は、多く見積もっても一世紀半くらいの歴史しか持たず、それ以前の系譜の方がはるかに長い。多くの人は、現在の感覚が全てだと思うからか、それを忘れているだけなのだろうか。しかし、あらためて、そのことを考えると、「18-New Awareness」のような曲は、音楽の原点回帰ともいえ、歴史の原始的な魅力を呼び覚ます。「19-Kaipu」も同じように、ECMのニュージャズを見本にして、音楽の原初的な一端を表現している。
最後の「20-Nature Knowledge」は何かしら圧倒されるものがある。この曲は、サントゥール/ダルシマーの弦楽器や鍵盤楽器のエキゾチズムとルーツを的確に捉えている。
ハープシコードやフォルテピアノを始めとする西洋楽器は、オーストリアのハプスブルグ家のお雇いの技術者が財閥の命令によって開発したのが由来である。しかし、原初的なモデルが存在し、それがダルシマー/サントゥールのような弦楽器だ。(日本の”琴”の同系に当たる。)この話は、西洋文化や音楽自体が小アジアやアナトリアのような地域から発生したことを伺わせる。
この曲では、そういった音楽の長きにわたる文化の混淆に触れることが出来る。サンプリングやエレクトロニック、ミュージック・コンクレートといったモダンな要素は限定的に留められていて、作品の最後になって、音楽的なスピリットがぼんやりと立ち上ってくるような気がする。
こう言うと、神秘主義者のように思われるかもしれない。しかしながら、音楽の最大の魅力というのは、論理では説明出来ず、文章化はおろか体系化もできぬ、密教の曼荼羅のような部分にある。本作の最終曲では、霊感の源泉のような得難い感覚が示唆されている。まさしく、それこそ、今は亡きジャズの巨匠、ファラオ・サンダースが追い求めていたものだったのだろうか。
86/100
Details:
「1-Kvenland」A
「2-Ancestors From North」B
「3-Secret Language」A+
「4-Raisinjoki」B
「5-Sappen」B+
「6-Voices From The Highlands」A
「7-Hansinkentta」A
「8-Invisible People」B+
「9-Kjelderen」B
「10-A New Story Story Being Told」B+
「11-Creating New Traditions」B−
「12-Heritage」B
「13-The Mountain Plateau」 C+
「14-Moliskurkki」B
「15-My Father From Isolagti」B+
「16-Truth and reconciliation」C+
「17-On A Riverboat To Bilto」B
「18-New Awareness」A+
「19-Kaipu」A
「20-Nature Knowledge」A+