Lambrini Girlsが、デビューアルバム『Who Let the Dogs Out』を発表した。シティ・スラングから1月10日にリリースされる。ランブリーニ・ガールズはブライトンを拠点に活動するヴォーカリスト/ギタリストのフィービー・ルニーとベーシストのリリー・マキーラによるデュオ。ファースト・シングルのタイトルは「Big Dick Energy」。これは暗喩ではない!!
ランブリーニ・ガールズは、ギラ・バンドのダニエル・フォックスと『Who Let the Dogs Out』をレコーディングし、ミキシングはセス・マンチェスターが担当した。フリートウッド・マックが『Rumours』をコカインの売人に捧げようとしたのを知っているかい? このアルバムは、テスコで買った全ての酒に捧げるべきだと思う」
ブライトンのオルトロックバンド、Porridge Radioが今週金曜日にリリースされるニューアルバム『Clouds in the Sky They Will Always Be There for Me』のラストプレビュー「God of Everything Else」をリリースしました。アルバムの発売日を前にチェックしてみて下さい。
フロントウーマンのダナ・マーゴリンは声明の中で、「God of Everything Else」について次のように語る。
Luby Sparksが待望のニューシングル「Overrated!」をリリースしました。4曲入りのEP「Songs for The Daydreamers」に続く作品となります。ニューシングル「Overrated!」はインディ/オルタナオルタナティヴ・サウンドに、エレクトロ/シンセ・ポップの要素を取り入れたナンバーです。
続いて、イベント情報も公表されました。Luby Sparksの自主企画「One Last Night」が11月30日、大阪(LIVE SPACE CONPASS)にて初開催されます。Frog 3、Ben Inuiの出演が決定しています。シングルの配信リンクと合わせてチェックしてみて下さい。現在、チケット販売中です。
2022.02.19 [Sat] WWW X (DYGL / CEMETERY) *SOLDOUT 2023.06.23 [Fri] WWW X (THE NOVEMBERS) *SOLDOUT 2023.10.19 [Thu] BASEMENTBAR (Pretty Sick) *One Last Night – Extra 2024.02.29 [Thu] WWW X (SATOH / NTsKi) 2024.11.30 [Sat] LIVE SPACE CONPASS (Frog 3 / Ben Inui) *One Last Night – Osaka
発表によると、PIASレーベル・グループは、インテグラルの自社レーベルと協力レーベルの本拠地であるが、独立レーベルとして今後も存続する。レーベル・グループには、Play It Again Sam、Harmonia Mundi、Demain、Spinefarm、Sourceといったレーベルや、ATO、Heavenly、Mute、Transgressiveといった提携レーベルがあり、Nick Cave & The Bad Seeds、Kneecap、Sofiane Pamart、Sleep Token、Arlo Parks、Black Pumasといったアーティストの作品の販売を手がけている。
テキサス/オースティンを拠点に活動するLetting Up Despite Great Faultsは、5回の来日公演を実現させているドリーム・ポップ/シューゲイズバンド。タヌキチャンがバンドを組んだら、と思わせるようなグループである。すでに音楽ファンが指摘している通り、エレクトロニックとドリーム・ポップの融合を図るバンドである。彼らは、近年、さらにK-POPの音楽性を組み合わせて、ポップとロックの中間にあるアンビバレントな作風に取り組んでいるところだ。
『Reveries』は、ドリームポップ・ファンとしてはぜひともチェックしておきたい佳作である。ミックスにベッドルームポップの象徴的な存在で、カナダのLiving Hourの最新作にも参加しているJay Som、マスタリングには、Slowdiveのドラマー、Simon
Scottを迎えて制作された。コラボレーターにも注目で、3曲目の収録曲「Color Filter」では、LAで注目を集めるシューゲイズ・バンド、”Soft
Blue Shimmer”からMeredith
Ramondをゲストヴォーカルに迎えた。インディーポップやシューゲイズ・リスナーにはたまらないメンバーが参加した作品。
Letting Up Despite Great Faultsは『Reveries』において、メロディーやハーモニーの側面でバンドとして素晴らしい連携を示し、各々のセンスを上手く発揮している。「Dress」は、抽象的なギター、ベースがボーカルの夢想的な感覚と重なりながら、DIIV、Slowdiveの系譜にある艷やかなハーモニーを形成する。この曲はアルバムの序盤のハイライトとして楽しめるはず。アルバムの序盤から中盤に掛けて、このアルバムはより深い幽玄なドリームポップの領域に入り込む。「Emboidered」ではニューロマンティックの系譜にあるサウンドへと近づいていく。
Letting Up Despite Great Faultsの新作アルバム『Reveries』はP-VINEより発売中です。アルバムのストリーミングはこちら。
■Letting Up Despite Great Faults
LAで結成され、現在は音楽の街、テキサス・オースティンで活動中のLetting Up Despite Great Faultsが5枚目のオリジナルアルバム『Reveries』を10月11日にリリースする。
Letting Up Despite Great Faultsはデビューアルバムで完成させたエレクトロなシンセサウンドをシューゲイズやドリームポップというジャンルに落とし込むという発明で、日本でも5回の来日公演を成功させるなど人気を集めるバンドだ。
『Reveries』はミックスにJay
Som、マスタリングにSlowdiveのドラマーであるSimon Scottを迎えて制作された作品で、3曲目に収録されている「Color
Filter」ではLAで注目を集めるシューゲイズ・バンド、Soft Blue ShimmerからMeredith
Ramondをゲストヴォーカルに迎えるなど、インディーポップやシューゲイズ・リスナーにはたまらないメンバーが参加した作品。
本作でもLetting
Up Despite Great
Faultsの特徴であるエレクトロ+シューゲイズ/ドリームポップにキャッチーなメロディーラインを加えるという彼らのオリジナリティーを武器にした作品に仕上がっているが、その上で冒頭を飾る「Powder」や6曲目「Past
Romantic」のように実験的なリズムを取り入れた楽曲も収録。
K-POPからHyper
Popまで様々なポップスを聞くようになったというフロントマンのMike Lee(マイク・リー)がLetting Up Despite Great
Faultsのインディーポップな良さに様々なジャンルをポップセンスを加えた楽曲たちもアルバムの中で存在感を放っている。
2曲目「Dress」はインディーポップのルーツが存分に感じ取れる心地良い楽曲であり、7曲目に収録されている「Collapsing」のコード感やメロディーセンスも90sのインディーポップやギターポップが好きな人たちにはたまらないであろう。シングル曲として公開された「Swirl」は2010年代の〈Captured
Tracks〉が好きな人にはオススメな楽曲であり、国内盤CDに収録されている2曲も間違いない。Letting Up Despite Great
Faultsが感じ取れる楽曲が収録!!
特に、イーグルスはカントリー・ロックを中心に制作し、ウェスト・コースト・ロックを牽引した。およそ10年間の間で、6作のフルアルバムをリリースした。レコードの総売上は2億枚にのぼる。代表作『Hotel Calfornia』でUSロックの金字塔を打ち立てた。『Hotel Calfornia』において、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実のところ虚勢に満ちており、内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「Life
In The Fast Lane」などが有名。1981年に一度活動を休止し、ドン・ヘンリーは80年代に入り、AORやソフトロック、カントリーの系譜にあるロックから、アーバンなポピュラー音楽へとシフトチェンジを図り、時代の変化に対応し、新しい音楽をリードしていった。
メンバーのグレン・フライが当時同一のアパートに居住していたシンガー・ソングライターのジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)と共作した、デビューアルバム『Eagles (イーグルス~邦題:「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy(テイク・イット・イージー~「気軽に行こう」の意)」がいきなりヒットし、瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。
1975年にリリースされた『One of These Nights』は、ドン・ヘンリーとのソングライティング・パートナーシップが新たなピークを迎えていたフレイ曰く、イーグルスで最も「痛みのない」アルバムだった。ビバリーヒルズの自宅をシェアしながら、2人は次々と名曲を書き上げた: 淫らなダンスフロアの定番曲 「One of These Nights」、ランディ・マイズナーとの共作で路上生活の弊害を歌った 「Take It to the Limit 」などだ。名声の暗黒面を描くのは飽き飽きした手法かもしれないが、ヘンリーとフレイは高速道路での生活を鋭く観察していたことを証明した。「このグループで同じように考える傾向があるのは、グレンと私の2人だけだった」
プロデューサーのビル・シムジークと協力して、バンドは新たなリスクを冒した。Too Many Hands 「では複雑なギター・リフを重ね、バーニー・リードンのバンジョー・インストゥルメンタル 」Journey o 「では、」Too Many Hands 「と 」Too Many Hands "の中間をとった。
この変化は、この町の新人のおかげだ。ジョー・ウォルシュは、脱退した結成時のギタリスト、バーニー・リードンの後任である。オープニングの「Hotel California」で、ウォルシュは6弦のウイングマンであるドン・フェルダーとともに、ドン・ヘンリーによる不気味で謎めいた語りに、ロック史上最もドラマチックで指に響くギター・ソロを加えた。その闊達さは、「Victim of Love」(このバンドがヘヴィ・メタルに最も近づいた曲)のブロントサウルスのようなストンプや、ディスコ調の「Life in the Fast Lane」(オープン・バーのあるペントハウスの仮面舞踏会のように魅惑的で退廃的なハリウッドの快楽主義)にも波及している。しかし『ホテル・カリフォルニア』は、ベルベットのロープの向こう側から見た70年代の過剰な肖像画でもある。
・The Doobie Brothers
ドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers) はアメリカのバンド。1970年代に人気を博したウエストコースト・ロックを代表する。
1970年にトム・ジョンストンを中心に結成、翌1971年にデビュー。1972年に「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」のヒットを放つ。サザン・ロック色の濃い音楽性に加え、二人のドラマーに黒人のベーシストを加えた、力強いファンキーなリズムセクションは評判を呼び、1973年のアルバム『The Captain And Me』からは「Long Train Running」、「China Grove」、1974年のアルバム『What Were Once Vices Are Now Habits(邦題: ドゥービー天国)』からは「Black Water」といったヒット曲が生まれ、一躍アメリカン・ロックを代表する人気バンドの一つとなった。
こうした音楽性の変化はファンの間で賛否が分かれたが、1978年のアルバム『Minute By Minute』とシングルカットされた「What A Fool Believes」はともに全米1位を獲得、その年のグラミー賞でアルバムタイトル曲は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワット〜」は最優秀楽曲に輝くなど、高い人気と評価を確立した。
『The Captain And Me』 Warner 1973
『Hotel Calfornia』と並んで70年代のロックの普及の名作である。『The Captain And Me』は、1973年3月2日にワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた、アメリカのロックバンド、ザ・ドゥービー・ブラザースの3枚目のスタジオ・アルバム。レコードから1973年3月2日にリリースされた。「Long Train Runnin'」、「China Grove」、「Without You」など、バンドの代表曲が収録されている。全米レコード協会(RIAA)より2×プラチナ認定。Colin Larkin's All Time Top 1000 Albums』(2000年)の第3回では835位に選ばれている。
1960年代半ばのロサンゼルスで10代のソングライターとして頭角を現し、他人のために曲を書いて最初の成功を収めた。この曲は1967年にドイツ人シンガーでアンディ・ウォーホルの弟子でもあるニコのマイナー・ヒットとなった。また、同じ南カリフォルニアのバンドであるニッティ・グリッティ・ダート・バンド(1966年に短期間メンバーとして参加)やイーグルスにも曲を提供し、イーグルスは1972年にブラウンとの共作「Take It Easy」で初のビルボード・トップ40入りを果たした。
他人のために曲を書いて成功したことに勇気づけられたブラウンは、1972年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースし、「Doctor, My Eyes」と「Rock Me on the Water」という自身の2曲のトップ40ヒットを収録した。デビュー・アルバムをはじめ、その後の数枚のアルバムやコンサート・ツアーのために、ブラウンは当時の著名なシンガー・ソングライターたちとも仕事をしていた多作なセッション・バンド、ザ・セクションと密接に仕事をするようになった。
セカンド・アルバム『For Everyman』は1973年にリリースされた。サード・アルバム『Late For The Sky』(1974年)は、ビルボード200アルバム・チャートで14位を記録し、それまでで最も成功を収めた。4枚目のアルバム『The Pretender』(1976年)は、各アルバムが前作を上回るというパターンを継続し、アルバム・チャートで5位を記録した。
『孤独なランナー』 (こどくなランナー、Running on Empty) は、1977年に発売されたジャクソン・ブラウンの5枚目のアルバム。ブラウン初のライブ・アルバムである。通常のライブ・アルバムとは趣が異なり、ステージでのパフォーマンスはもちろん、ホテルやバスの中など、ツアーの様々な場所での演奏が収録されている。収録曲もすべて新曲とカヴァー曲で構成されている。
全米第3位で700万枚の売上を記録し、ブラウンのキャリアの中で最高のヒット作となった。1978年のグラミー賞「Album of the Year」にもノミネートされた。また、映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の劇中で表題曲「Running On Empty」が使用された。 歌声も澄んでいて素晴らしい。
『Cosmo's Factory』はCCRの絶頂期の瞬間的な記録である。1969年、彼らは3枚のアルバムをリリースし、絶えずツアーを行っていた。1970年初頭には、『Cosmo's Factory』からの最初のシングルがチャートを駆け上がり始めた。ロイ・オービソンの「Ooby Dooby」やマーヴィン・ゲイの「I Heard It Through the Grapevine」のカヴァーから、オリジナルの「Travelin' Band」、「Lookin' Out My Back Door」、「Who'll Stop The Rain」まで、このアルバムには名曲が凝縮されている。ロックソングの本来の楽しさを体感出来る佳作となっている。また、このアルバムは、80年代以降のハードロックバンドに強い影響を及ぼしている。
そしてその中間地点にいるのがルーマーズ。ロックするときは優しく(「The Chain」)、しかし噛みしめるような歌い方で、アダルト・コンテンポラリー・コンテンポラリーとは一線を画している(「Go Your Own Way」)。そして彼らは、良い人生(そしてそれを生きるベビーブーマーたち)の屈託のない前向きさを捉えながらも、そこに至るまでにかかった苦悩からも逃げることはなかった(「Don't Stop」、「Dreams」)。彼らの音楽的個性(ミック・フリートウッドとジョン・マクヴィのブルース育ちのリズム隊、クリスティン・マクヴィのロマンティシズム、リンゼイ・バッキンガムのポップな完璧主義、スティーヴィー・ニックスの神秘主義)が見事に融合しているのと同様に、彼らはいつもお互いを優しく引っ張り合っているのが聞こえる。
その中の1曲であるシングル「It's Too Late」は1971年6月19日から5週連続全米No.1を獲得している(シングル年間チャートでは第3位)。同じアルバムから「きみの友だち」をジェームス・テイラーがカバーし同年7月31日にシングルチャートでNo.1を獲得している。その後もアルバム『ミュージック』『喜びにつつまれて』、シングル「ジャズマン」など順調にヒットを連発。彼女は1970年代前半から中期を代表するヒットメーカーの一人となり、2つの年代にわたって天下を取った。
キャロル・キングは、70年代のフォーク・ロックには珍しい優しさと闊達さをもって、愛の複雑な現実を考察している。60年代初頭、ニール・ダイアモンドや当時の夫ジェリー・ゴフィンらと並んで、キングは限りなく多才なブリル・ビルディングのソングライターだった。そこで彼女は、シャイレルズの「Will
You Still Love Me
Tomorrow」のようなガールズ・グループのアンセムを単なるバブルガムの域を超え、若きアレサ・フランクリンとともにゴスペルの火山的なパワーを取り入れ、モンキーズの大ヒット曲「Pleasant Valley Sunday」のカウライティングを手がけるなど、切ないサイケデリアを取り入れた。その後、傷つきやすいロックと直感的なソウルのミックスで独立を宣言したニューヨーカー出身の彼女は、1971年のソロデビュー作『Tapestry』などのアルバムで、シンガー・ソングライター時代の感情的な親密さを定義づけた。
彼女はまた、縁の下の力持ち的なソングライターから一人前のスターへと転身するための雛形も書いた。ほころびゆくロマンスへの痛切な探求を、クラシックなR&Bバラードの魅惑的な憧れと組み合わせたり(「It's
Too Late」)、ブルース・シンガーのように闊歩しながら欲望が人生を変える力を讃えたり(「I Feel the Earth Move」)、キングは、トリ・エイモス、エリカ・バドゥ、エイミー・ワインハウス、アデルのようなワイルドで個性的な告白型シンガーの複数の世代を形作った。
1970年にシングル「Fire and Rain」で3位を獲得し、1971年にはキャロル・キングが作曲した「You've Got a Friend」で初の1位を獲得した。1976年のグレイテスト・ヒッツ・アルバムはダイヤモンドに認定され、アメリカ国内だけで1,100万枚を売り上げ、アメリカ史上最も売れたアルバムのひとつとなった。
1977年のアルバム『JT』に続き、彼は数十年にわたって多くの聴衆を惹きつけてきた。1977年から2007年まで、彼がリリースしたアルバムはすべて100万枚以上のセールスを記録している。1990年代後半から2000年代にかけてチャートで復活を遂げ、代表作(『Hourglass』、『October Road』、『Covers』など)をレコーディングした。2015年には『Before This World』を収録したアルバムで初の全米1位を獲得した。
ジェームス・テイラーは「How Sweet It Is (To Be Loved by You)」や「Handy Man」などのカヴァーや、「Sweet Baby James」などのオリジナルでも知られている。 モンテ・ヘルマン監督の1971年の映画『Two-Lane Blacktop』では主役を演じた。2024年現在も精力的に活動を行っている。
アレンジ、技術、フィーリングといったテイラーのシンプルな抽出は、1970年の爽やかなヒット曲 「Fire and Rain 」以前から、彼の音楽を決定づける要素だった。ボストンで生まれ、ノースカロライナのチャペル・ヒルで育ったテイラーは、カリフォルニアの有名なローレル・キャニオンで作り上げた穏やかで控えめなフォークで、60年代末のアメリカの集団的な落ち込みを捉えた。青春の雰囲気、人生をそのまま音楽にそのまま転化させたことがこのアルバムの音楽に普遍性を付与している。ひとつひとつの楽曲を真心を込めて制作することで知られているが、それはこのフォークロック、カントリー・ロックを基調とするアルバムを聞けば明らかである。
デューイ・バンネル、ジェリー・ベックリー、ダン・ピークは空軍の子供で、1970年にロンドンで出会い、一緒にバンド活動を始めた。1972年のデビュー・シングル「A Horse With No Name」で大成功を収めた後、3人はロサンゼルスに移り住み、「Ventura Highway」、「Tin Man」、「Sister Golden Hair」などの名曲を連発し、当時の爽やかな西海岸ポップ・サウンドを体現しながら、アメリカのチャートを席巻した。ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンは数枚のアルバムで彼らのポップ・マジックを生み出す手助けをした。10年代後半の頃には状況は冷え込んだものの、1982年の『You Can Do Magic』でアメリカ(ピークを除く)は復活を遂げた。
『A Horse With No Name』 Warner 1972
この1971年のフォーク・ロックの名作『名前のない馬』をトリオがレコーディングしたとき、海外にいる空軍出身の3人のうち2人はまだティーンエイジャーにすぎなかった。緊密なヴォーカル・ハーモニー、親密なプロダクション、インスパイアされたメロディーが、映画のような「A Horse with No Name」、キャッチーでチープな「I Need You」を特徴づけている。Here 「では実存的な問いかけの中で洒落たギター・ソロが聴けるし、ダン・ピークの 」Donkey Jaw "は、彼のクリスチャン・ロックでのキャリアとアメリカのエレクトリックな作品を予感させる。
ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成した。ブラス・セクションを加えた、よりソウル・ミュージックを意識した編成である。1969年に『I
Got Dem Ol' Kozmic Blues Again
Mama!』をリリースして、ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドもほどなく解散した。この後ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『Pearl』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。このアルバムからはクリス・クリストファーソンのカバー曲「Me and Bobby McGee」と、ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された「Mercedes-Benz」がヒットを記録している。
ジャニス・ジョプリンが70年代初頭に『Pearl』のセッション中に亡くなったとき、「Buried Alive in the Blues」にはヴォーカルが入らなかった。シンガーソングライターの失われた人生の悲劇は、自分自身の中に新たな力を感じていたアーティストの不在によって倍加された。新しいフル・ティルト・ブギー・バンドのおかげで、チープ・スリルのサイケデリック・ブルースよりもコントロールされていたが、それでも『パール』にはジョプリンを偉大にした何かがあふれていた。たとえ彼女が生きていたとしても、エレガントな 「Me and Bobby McGee 」やハワード・テイトの賢明なソウル・バラード 「Get It While You Can 」のカヴァーは、大きな感情的共鳴をもたらしただろう。彼女がいなければ、冗談のようなアカペラの 「Mercedes Benz 」でさえ胸に刺さっただろう。このアルバムを聴くとわかるように、「パール」はあまりにも偉大である。
2曲目に収録されている「My Old Man」では、シンガー・ソングライターはピアノを弾きながら、憂鬱な気分を抑えてくれる「公園で歌う人」「暗闇で踊る人」と分かち合った人生への晴れやかな賛歌を歌う。彼女は、強い二人の絆を自慢し、ミュージシャンが彼に贈る最高の賛辞を添えている。そして、「My Old Man」のブリッジでは、ミッチェルの温かい愛情の中に、冷ややかな無調の変化が現れることに注目しておきたい。
1945年にトロントで生まれた彼は、60年代半ばにロサンゼルスに移り住み、1970年の『After the Gold Rush』や1975年の『Tonight's the Night』のような内省的なソロ・アルバムからクレイジー・ホースとのグループ活動まで、彼の音楽はポスト・ビートルズのロックンロール・サウンドを定義するのに貢献した。カントリー、グランジ、フォーク、ノイズ......、ヤングがこれほど多くの音楽的系譜に馴染むとすれば、それは彼があまりに多くの領域を確かな信念でカバーしてきたからに他ならない。伝記作家のジミー・マクドナーが、ヤングに「宇宙へ行きたいと思うか」と訊ねた時、ヤングは「自分がずっと宇宙へ行くと分かっている時だけそうする」と答えた。
このアルバムはヤングに最大の商業的成功をもたらし、「Heart of Gold」は70年代フォーク・ロックの色あせた美しさを決定づけた曲で、ヤングの唯一のNo.1シングルとなる。しかし、その乏しさと内省感は、1960年代後半の市民意識から離れ、エリオット・スミスのようなインディーズ・アーティストやニルヴァーナの『Unplugged』のようなアルバムの基盤としても機能した。
フォーク、カントリーの重要なアイコンであるが、このアルバムを聴くと、あらためてヤングのソングライティングの凄さが際立っているのが分かる。「A Man Needs a Maid」はオーケストラの演奏をフィーチャーした長大なスケールを持つ後の時代を先駆ける名曲であり、ウェストコーストロックにとどまらず、70年代を代表する素晴らしいポピュラー・ソングの一つである。
2008年の「My Name is Safe In Your Mouth」、2020年の「Who The Power」、2023年の「Internal Working Model」、そしてデューク・スピリットとの5枚のアルバムにより、「Transparent Eyeball」はリエラの新時代を築き、より大胆なサウンドの方向へと進んでいる。
しかし、今回、IYEARA(マーク・ラネガン、ヒューマニスト)をプロデュース・チームに招聘し、「A Bardge Of Friendship」という制作チームの助力を得て自主制作盤としてリリースされた『Transparent Eyeball』では、KASABIANのデビュー当時のようなエレクトロ・ロックへとドラスティックな音楽的な変換を図り、見違えるような印象をもたらすことになった。カサビアンはデビュー当時、自分たちを『ギャングスタ』と名乗っていたが、それに近いイメージだ。そのセンセーショナルで毒気に満ちた印象は、デビュー時のビョークやベス・ギボンズに匹敵する。
ラディカル(急進的)な印象を持つ本作の序盤であるが、後半とのつなぎ目に、バラード調の落ち着いた曲が収録されている。「Something I Left Behind」は、バンド時代からおよそ21年のキャリアを振り返り、歌手として新たな決意表明を行うかのような勇ましさに充ちたナンバー。他の収録曲と同様に、リズムトラックに力が注がれているが、この曲は音楽性が異なる。
例えば、Pearl Jam、Alice In Chains、Soundgardenといったグランジの急峰の音楽の旋律的な要素を踏襲し、ポップスの枠組みで展開させ、最終的には、ブリストルのトリップホップの形式と融合させる。例えば、ロックという解釈を差し置いても、サウンドガーデンのクリス・コーネルの曲は、ポピュラーソングとして傑出している場合があるが、そのことをつくづく考えなおさせるような一曲である。グランジは、ハードロックやメタルの側面ばかりが取りざたされるが、間違いなくポピュラー音楽の要素を含んでいたことを、リエラ・モスは示唆するのである。
Liela Moss のニューアルバム『Transparent Eyeball』は印象深い曲が複数収録されている。ただ、アルバムの最後で少しトーンダウンしてしまったイメージを受ける。対照的に、うっとりさせるような曲を最後に収録しても面白かったのではないだろうか? もちろん、少なくとも、リスニングの際に感じた不足感は私自身が本来の魅力を見つけられなかったことによる。何度も聴いていくうちに、新しい発見があるかもしれない。未知のポテンシャルを持つアルバムである。
「Something I Left Behind」
96/100
Liela Moss 『Transparent Eyeball』は自主制作盤として発売中。ストリーミングはこちらから。
1. Prism 2. Dark Kitchens 3. Conditional Love 4. Reward 5. Something I Left Behind 6. Blue 7. Sticky 8. Freedom Likes Goodbyes 9. Real Future Begins 10. Superior
このアルバムは、風変わりなもの、ドラマチックなもの、悲しげなもの、そして甘美なものの間を行き来し、時にはペルト(Arvo Part)のようなシンプルさを呼び起こす。アンセミックで明るい、あるいは運動的な瞬間は、「Get Along」や「Imitates a Penguin」の静謐な空間とは対照的である。