左から畠山地平/石若駿


 
アンビエント/ドローン・ミュージシャンChihei Hatakeyama(畠山地平)とジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーション・アルバムの第二弾『Magnificent Little Dudes Vol.2』が本日ついにデジタル・リリースされる。 

 
 

アルバムのリリースを記念して、デュオは受賞歴のあるイギリスのチェリスト、セシリア・ビグナルをフィーチャーしたアルバムのオープニング曲「M3」を公開した。

同楽曲について、畠山は次のように声明を通じて述べている。「『M3』では私たちの演奏にセシリア・ビグナルがチェロで参加してくれました。これは遥か昔、私がデヴィッド・グラブスから受けた影響が見え隠れしています。彼のアルバムの『ザ・スペクトラム・ビトウィーン 』に入っている「Stanwell Perpetual」という曲です。しかしこの曲は私が頭の中で何度も形を変えてしまったので、今回の『M3』とは直接は関係がないように思えます」と話していました」

 

「M3」

 

 

このアルバムに関するMOJO,Uncutを筆頭とする英国の音楽メディアの反応は以下の通りです。

 

・「ボーズ・オブ・カナダの聖歌隊、ケヴィン・シールズのギター、常軌を逸したパーカッシヴな刻み」- MOJO



・「ロビン・ガスリーのソロ・カタログがフリー・ジャズ・ドラムでどんなサウンドになるか、日本の大物アンビエントによる想像」 - Uncut

 

・「きらめくアンビエント・エレクトロニクスとエフェクトを多用したギターが織り成す蒸し暑い靄……。これぞまさしくアンビエントのドクターが注文したものだ」 - Electronic Sound

 

・「心地よいそよ風が、陽光に照らされた草原に直接テレポートさせてくれる」 - The Vinyl Factory

 

・「瞑想的で催眠術のように、人間の状態とその感情スペクトラムを見つめる」 - Far Out Magazine 

 

ニューアルバム『Magnificent Little Dudes Vol.2』は本日デジタルで先行リリース済みです。以後、CD /2LP(140g)フォーマットでもリリース予定となっています。詳細は下記の通りです。

 

 

・Chihei Hatakeyama/ Syun Ishiwaka  『Magnificent Little Dudes Vol.2』- New Album Now On Sale!!

Tracklist:


1. M3 (feat. Cecilia Bignall)
2. M2
3. M5
4. M6
 

 

Listen(配信リンク):https://bfan.link/magnificent-little-dudes-volume-02

 

 

アルバムのリリースに合わせて、ジャズドラマーの石若駿さんのイベントの開催が決定しています。石若さんのコメントも到着!!

 

 

【ライヴ情報】

石若 駿 3days 6公演 2024


Shun Ishiwaka Trio with 青羊 (fromけもの)& Gensuke Kanki


10月25日(金)@Shinjuku PIT INN
Open19:30 /Start20:00
チケット: SOLD OUT



--皆様、大変ご無沙汰しております。石若駿です。今年も「pit inn」での3days6公演をさせていただく運びとなり大変光栄に思います。感謝いたします。2024年にはこの日がピットイン初出場となってしまいました。pit innのあの空気が恋しすぎました。--

 

--同時に、とてもいまからわくわく楽しみです。初日昼は、chiheiさんとのduoで、昨年はプレリリースのライブでしたが、今年は既に2作品リリース済みとなってのライブです。昨年のよろめいたトークは個人的にツボでしたが、果たして、今年はどんな演奏と、お話になるのだろうか......。-- 石若駿

 

 

2014年に閉館した吉祥寺のサンロードの五日市街道の手前にある名物的な映画館”バウスシアター”から始まった「爆音映画祭」(*閉館イベントには細野晴臣さんが出演。)バウスシアターでは週末になると、爆音祭という魅力的なイベントが開催されていました。週末の深夜の映画館の音響を活用し、爆音で映画を放映していました。今回、爆音映画祭が企画するイベントが10月26日から11月4日までユナイテッド・シネマ アクアシティお台場にて開催されます。


イベント期間中には、特別企画が開催予定です。イベントの2日間(10/27、11/3)、日本映画の巨匠である黒沢清監督特集が組まれ、映画音楽界隈で活躍目覚ましいミュージシャンが出演します。詳細は下記の通りです。


[爆音映画祭特別企画] 黒沢清 監督特集に、渡邊琢磨、ジム・オルーク、 波多野敦子、千葉広樹が出演、ライブ上映を行う予定です。


黒沢清監督『Chime』『Cloud クラウド』、山中瑶子監督『ナミビアの砂漠』など今年話題の映画音楽を手がける渡邊琢磨の制作した短編アニメ作『Episode』と共に、ジム・オルークが即興演奏を行うライブ上映(10/27)、映像作家・牧野貴の新作『100年』を弦楽五重奏=梶谷裕子(vn1)、波多野敦子(vn2)、角谷奈緒子(va)、橋本歩(vc)、千葉広樹(cb)による演奏でライブ上映します。

10/27(日)の『Cloud クラウド』、及び『Chime』上映後には、黒沢清監督の登壇トークショーも行われる予定です。

 



【日程】 

・10/27(日)DAY①
・11/3(日)DAY②

【会場

ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場



【チケット購入】

 
https://www.unitedcinemas.jp/campaign/bakuon_odaiba_vol15/



■10/27(日)黒沢清監督DAY ①

 

・タイムテーブル

10:15~『Chime』
11:30~『Cloud クラウド」★黒沢清監督登壇
15:30~ 渡邊琢磨『Episode」✕ ジム・オルーク ライヴ
16:45~『Chime』★黒沢清監督登壇


 

【ライヴ】 ジム・オルーク(音楽)✕ 渡邊琢磨(映像)ライヴ


渡邊琢磨の新作アニメーション『Episode』と共にジム・オルークが即興演奏を繰り広げる約30分のライヴ

上映作品=渡邊琢磨『Episode』
演奏=ジム・オルーク
チケット料金=2,800円(税込)
 

【トーク】

 

『Cloud クラウド』

ゲスト=黒沢清(映画監督)聞き手=篠崎誠(映画監督)
チケット料金=2,600円(税込)


『Chime』

 
ゲスト=黒沢清(映画監)聞き手=樋口泰人(爆音映画祭プロデューサー)
チケット料金=2,100円(税込)



■11/3(日)黒沢清監督DAY②

 

・タイムテーブル

9:25~ 『予兆散歩する侵略者劇場版』
13:40~『Cloud クラウド』+牧野貴『100年』✕ 渡邊琢磨ライヴ
17:00~『Chime』



<ライヴ> 牧野貴(映像)✕ 渡邊琢磨(音楽) 弦楽五重奏ライヴ
(『Cloud クラウド」上映+ライヴ)


上映作品=牧野貴監督『100年』★世界初上映
音楽=渡邊琢磨
演奏=梶谷裕子(vn1)波多野敦子(vn2)角谷奈緒子(va)橋本歩(vc)千葉広樹(cb)

チケット料金:5,500円(税込)


※10/27(日) 10:15~『Chime』、11/3(日)17:00~『Chime』は1,800円(税込)、
11/3(日) 9:25~『予兆散歩する侵略者:劇場版』は2,300円(税込)でご鑑賞いただけます。

 


【詳細】爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場詳細:


https://www.unitedcinemas.jp/campaign/bakuon_odaiba_vol15/

 

Henning Schmiedt

 

ドイツ/ベルリンのピアニスト、Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)が待望の新作「Orange」の制作を発表しました。 本作は10月30日にFLAUからCD/LPの2形式で発売されます。

 

長らく静かで落ち着いたピアノ曲を提供してきたヘニング・シュミートのリードシングル「Speal Softly」にも注目です。洗練性と叙情性を兼ね備えたピアノ曲。日曜の午後のやすらぎを思わせる素晴らしいポストクラシカルの登場。Olafur Arnolds、Nils Frahm、Library Tapes、Goldmund(キース・ケニフ),高木正勝、小瀬村晶がお好きなリスナーにおすすめです。


7年ぶりの来日公演も話題となったヘニング・シュミート、久々の新作は前2作のインティメイトなアップライトピアノと名作「Spazieren」のポジティブな暖かさを掛け合わせた、優しくもフレッシュなピアノ・ソロ作!


旧東ドイツ出身のピアニスト、Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)の最新ソロ・ピアノ・アルバムは、ミュートしたアップライト・ピアノとグランド・ピアノの両方で演奏された16曲で構成された小品集。

 

オレンジの持つ創造性、新鮮さをインスピレーションとした本作は、繊細で温かみのあるエレクトロニック・テクスチャーが効果的に使用され、エモーショナルに時に叙情的に、優しくささやくような感覚を呼び起こす。


「私にとってオレンジは色以上のもの。それは香りであり、暖かさ、バランス、そして創造への欲求を感じさせる。夏らしい暖かさ、フルーティーな輝き、オレンジの癒しの黄金の光を体現しています。それは創造性と幸福の活動的な状態を表し、森の湖で爽やかに泳ぐような、暖かくすべてを包み込む音なのです。」 - Henning Schmiedt

 

 

 


Henning Schmiedt - Orange



タイトル:Orange

アーティスト:Henning Schmiedt

発売日:2024年10月30日


tracklist:

1. tell me about

2. joie de vivre

3. don’t worry

4. glitzern

5. on my way home

6. cumulus

7. ebb and flow

8. koi

9. afloat

10. hide and seek

11. melancholy

12. orange sunset

13. stay

14. bittersweet

15. lullaby

16. speak softly


Henning Schmiedt

 

ドイツ・ベルリンのピアニスト、作曲家、編曲家。ジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開し、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるミキス・テオドラキス)から絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めた。

 

Marie Séférianとのnousや、ausとのHAU、他Tara Nome Doyle、Christoph Bergとのコラボレーションも幅広く行う。今月Each Storyで7年ぶりの来日、来年2月にはジャパンツアーを予定している。

burrn   『Without You』

 

Label: Self Release 

Release: 2024年10月16日


 Stream/Purchase



Review


2005年に東京で結成され、最初期のシューゲイズシーンを形成したburrrn。バンドは2011年に自主制作盤『blaze down his way like the space show』を発表した後、活動を休止した。それから13年が経過し、待望の復帰作『Without You』でカムバックを果たす。しかも、アルバムのプロデューサーにはRIDEのフロントマン、Mark Gardner(マーク・ガードナー!!)を抜擢。

 

burrrnはボストンのシューゲイズバンド、Drop Nineteen(ギタリストに安江さんを擁する)の東京版とも言える。バンドに何があったのかは定かではないものの、13年の ブランクはむしろバンドの音楽性を煮詰める絶好の機会になったように感じられる。このアルバムはシューゲイズのカルト的な側面を擁しているが、よく聞くと分かる通り、世界水準のロックアルバムである。傑作とまではいかないかもしれないが、熱心なファンの間でマニアックな人気を獲得しそうだ。

 

 burrnのニューアルバム『Without You』にはシューゲイズの基本的な作風が凝縮されていて、『Loveless』の系譜に属している。転調や移調をギターのトーンの変容の中で交えながら、アシッド的な雰囲気を呼び覚まし、ドリーミーなボーカルが全般的な陶酔感を引き立てる。シューゲイズの醍醐味であるフィードバックノイズと幻覚性を呼び起こすMBVの音楽が下地になっている。しかし、バンドの音楽には深い知見があるので、音楽が単なるキャッチコピーに終始することはない。このジャンルの中核にあるネオ・アコースティック/ギター・ポップの要素がバーンのソングライティングの核心をなしており、ギターサウンドの組み立て方やマンチェスターの80年代のエレクトロのビートの引用し、ポンゴ等のワールドミュージックの一貫にある楽器も取り入れたりと、念入りな工夫が凝らされている。しかし、サウンド自体はそれほどマニアックにならず、耳にすっと入ってくる。聴きやすいサウンドと言えるのだ。これはシューゲイズのマスタークラス、マーク・ガードナーさんのプロデュースの功績と言えよう。

 

ロンドンのWhitelandsのギタリスト/ボーカルのエティエンヌは、このジャンルが「誰でも出来る」と言っていたのだったが、それが彼の天才たる所以である。シューゲイズはギターの音響の特性やフィードバックに関する広汎な知識を必要とするので、少なくとも素人が手を出すようなジャンルにはあらず。むしろ他のジャンルを卒業したバンドがやるべき音楽であり、感覚的にこういったジャンルの音楽を確立するのは至難の業。しかし、バーンは、このアルバムで、シューゲイズのトーンの変調を活かし、独特なグルーヴを出現させている。ただ、バーンの音楽は、他のシューゲイズバンドと同じように、ダンス・ミュージックに特化しているというよりも、ドリーム・ポップの要素が色濃い。アルバムの冒頭を飾る「Vague Word」では、カヒミ・カリイ等の渋谷系シンガーを彷彿させるスタイリッシュなボーカルが際立ち、これらがノンビートに近い希薄なドラム、そして抽象的なギターのアンビエンスと掛け合わされる。一見すると、シンプルに思えるが、実際的にはかなりの深い見識に裏打ちされたサウンドである。これは軽さやポップさという側面をバンドサウンドとして計算しつくした結果と言えそうだ。


二曲目の「Your Sweetness」では天才的なメロディーセンスが遺憾なく発揮されている。ラフでローなサウンドは、Bar Italiaの最初期のサウンドに近いが、ロックではなく、ポップという側面がburrrnのサウンドに個性味をもたらしている。甘めのメロディーは、渋谷系の直系に当たり、スコットランドのネオ・アコースティックの音楽性を活かし、エレクトリック/アコースティックのギターのユニゾンの多重録音を強調させ、陶酔感のあるシューゲイザーを作り出している。バンドアンサンブルに加えて、男女ボーカルのユニゾンというMBVのコーラスの要素が登場する。さらにシューゲイズの転調という側面を活かし、曲のセクションごとに移調を繰り返し、独特なトーンの揺らぎと抽象的な音像を作り出している。これは見事としか言いようがない。

 

このアルバムには、ボーカルやドラムの音像を曇らせる、シューゲイズの「暈しの技法」が取り入れられていて、それはThe Telescopesのようなカルト的なロック性に縁取られている。他方、アルバムの中盤に登場する「Band Doll」のような曲には、ローファイやスラッカーロックの要素が出現し、リスニングの際に強固な印象をもたらす。ノイズやフィードバックを強調させたサウンド、それとは対称的なダウナーでスロウテンポの楽曲が並置されることで、かなり危ういところでバランスを保っている。これは経験が乏しいとハチャメチャなサウンドになる恐れがあるが、burrrnはスレスレのところで絶妙な均衡を保っているのに驚きを覚える。この曲では、シューゲイザーの天国的な音楽性がバンドアンサンブルによって組み上げられる。プロデュース的なサウンドに陥ることなく、精細感溢れるバンドサウンドを追求しているのに注目だ。

 

シューゲイズの音楽はときどき、シリアスになりすぎたり、ダークになりすぎたりすることがある。これは時々、リスナーとして気が滅入りそうになることがある。しかしながら、このアルバムでは、アートワークのかなり不気味なイメージとは異なり、明るい光に満ち溢れたエネルギーが発露する瞬間もある。「Flirtation」は、burrrnがワールド・スタンダードに到達した瞬間であり、特に他の曲では存在感をあえて消しているドラムのビートの刻みの迫力が押し出されている。ボーカルは他曲と同様に多重録音だが、表向きに現れる精細感のあるボーカルワークを聴くとスカッとする。少なくとも、「Flirtation」はロックソングとして秀逸で、爽快感に満ちあふれている。特に、マーク・ガードナーのプロデュースはこの曲に洗練性を付与している。

 

東京のオルタナティヴロックバンド、 burrrnは、The Telescopes、Bar Italiaとおなじようにサイケデリックの音楽性をエッセンスとしてまぶすことがある。日本語で美しさを意味する「Birei」は、まさしく曲名とぴったり合致し、ギターサウンドのアーティスティックな側面がフィーチャーされている。それは轟音のディストーションギター、そしてフィードバックノイズというこのジャンルの基本的な要素を踏襲している。この曲でも、ファンシーな印象を持つボーカルが際立つ。表面的なサウンドはハードロックであるが、その背後にぼんやりと煙のように揺らめくのは、Throwing Muses、Breedersのような、4ADの最初期のコアなオルタナティヴサウンドなのだ。

 

burrrnのロックのアウトプットは広汎であり、間口が広い。「Always Alright」ではヨ・ラ・テンゴのようなギターロックに挑戦し、「Destruction」では、デモソングのようなラフなミックスが強調されている。こういったギターロックやオルタナティヴロックのコアな魅力をいくつも提供した上で、本作のクローズ「Lovers Interlude」では、70年代のバーバンクサウンド、あるいはLa's(ラーズ)のようなフォークロックが登場するのだから手がつけようがない。


もしかすると、このアルバムは定期的に作品をリリースしていたら完成しえなかったかもしれない。しばらくプロジェクトと距離を置いていたからこそ、音楽にパワーが溢れ、奇妙なパッションが込められている。2024年のトクマル・シューゴの最新作と並んで、世界水準のロックアルバムの登場!!

 

 

 

86/100 

 



 

 

©Alec Moss


Ducks Ltd.(ダックス・リミテッド)がニューシングル「Grim Symmetry」をリリースした。最新アルバム『Harm's Way』のセッションで録音されたこの曲には、ラットボーイズのジュリア・スタイナーとムーンタイプのマーガレット・マッカーシーがバッキング・ヴォーカルとして参加している。


シンガー/ギタリストのトム・マクグリーヴィは、この曲についてこう語っている。「モダン・フィクションの作曲プロセスの初期に書いた曲で、デモを共有した人たちの間ではお気に入りだったんだけど、アルバム用にレコーディングしようとした時には、うまくいかなかった」

 

「でも、この曲はずっと気に入っていたので、『Harm's Way』のレコーディングの際にも、この曲を使ってみたんだ。結局アルバムの雰囲気には合わなかったけど、自分たちが望んでいたところまで持っていくことができた」

 


「Grim Symmetry」

 


Lambrini Girlsが、デビューアルバム『Who Let the Dogs Out』を発表した。シティ・スラングから1月10日にリリースされる。ランブリーニ・ガールズはブライトンを拠点に活動するヴォーカリスト/ギタリストのフィービー・ルニーとベーシストのリリー・マキーラによるデュオ。ファースト・シングルのタイトルは「Big Dick Energy」。これは暗喩ではない!!


「世界的リーダーからハイテク企業のCEO、謙虚なソフトボーイまで、人間には様々な形がある。「しかし、彼らを結びつけるものは何だろう?社会は、彼らが常に誇示している、比喩的にも文字通りの意味でも巨大なディックを称賛している。なぜか? 有害な男らしさなのだ」


「彼らの権利意識と不安感を煽ることは、有害な行動につながる。それを放置しておくと、私たちはそのしっぺ返しを食らうことになる」と続けた。定義は、証明する必要のない自信である。では、その巨根は現実にはどれほどの大きさなのだろうか?もうお分かりだと思うが、それほど大きくない!!」


ランブリーニ・ガールズは、ギラ・バンドのダニエル・フォックスと『Who Let the Dogs Out』をレコーディングし、ミキシングはセス・マンチェスターが担当した。フリートウッド・マックが『Rumours』をコカインの売人に捧げようとしたのを知っているかい? このアルバムは、テスコで買った全ての酒に捧げるべきだと思う」

 


「Big Dick Energy」



 Lambrini Girls『Who Let the Dogs Out』

Label: City Slang

Release: 2025年1月10日


Tracklist:


1. Bad Apple

2. Company Culture

3. Big Dick Energy

4. No Homo

5. Nothing Tastes As Good As It Feels

6. You’re Not From Around Here

7. Scarcity Is Fake (Communist Propaganda)

8. Filthy Rich Nepo Baby

9. Special, Different

10. Love

11. Cuntology 101


 

©︎Steve Gullick


ブライトンのオルトロックバンド、Porridge Radioが今週金曜日にリリースされるニューアルバム『Clouds in the Sky They Will Always Be There for Me』のラストプレビュー「God of Everything Else」をリリースしました。アルバムの発売日を前にチェックしてみて下さい。


フロントウーマンのダナ・マーゴリンは声明の中で、「God of Everything Else」について次のように語る。


「その力を取り戻すために自分に嘘をついた。あなたは私にこんなことをしたけど、私は他のすべての神よ。この曲は、常に解離し、常に痛みに苛まれ、どこにも居場所がなく何時間も街をさまよい、決して立ち止まることなく虚無と向き合い、常にそこから逃げ続け、決して癒されることなく、他人の中に自分を見出そうとし、次の一歩をどこに踏み出すべきか手がかりがないことについて歌ったものなんだ。

 

「これは、女性らしさについての歌でもある。どうしたら女性になれるのかと悩み、それを難なくこなしている人を見て、もし彼女のようになれたら楽だろうかと考える。もちろん、そんなことはないんだけれど」


「God of Everything Else」



 

Luby Sparks


Luby Sparksが待望のニューシングル「Overrated!」をリリースしました。4曲入りのEP「Songs for The Daydreamers」に続く作品となります。ニューシングル「Overrated!」はインディ/オルタナオルタナティヴ・サウンドに、エレクトロ/シンセ・ポップの要素を取り入れたナンバーです。

 

ルービー・スパークスのサウンドは多面的で、毎度聞くたびに変化するのに驚かされます。表向きにはポップソングにも聞こえるけれど、見方を変えればロックソングにもなる。そういった多彩な音楽的な要素がバンドの音楽に聴きごたえをもたらしています。


ニューシングル「Overrated」でバンドはポップとロックの文脈の定義を薄れさせ、際どいラインを探っています。エレクトロ・ポップのダンサンブルなシンセ、耳障りの良いキャッチーなボーカルのフレーズを押し出しながらも、背景となるディストーションギターは歪んでいます。表向きと裏側のサウンドの絶妙なコントラストは、ルービー・スパークスならではと言えるのではないでしょうか。


 

続いて、イベント情報も公表されました。Luby Sparksの自主企画「One Last Night」が11月30日、大阪(LIVE SPACE CONPASS)にて初開催されます。Frog 3、Ben Inuiの出演が決定しています。シングルの配信リンクと合わせてチェックしてみて下さい。現在、チケット販売中です。

 

「Overrated!」

 

 

◾️東京のオルタナティブロックバンド、LUBY SPARKS(ルービー・スパークス)、「SONGS FOR THE DAYDREAMERS」EPをリリース



Luby Sparks「Overrated!」


 


LSEP-5 | 2024.10.16 Release
Released by AWDR/LR2


配信リンク[ https://ssm.lnk.to/Overrated]

Lyrics : Erika Murphy
Music : Natsuki Kato
Arranged by Erika Murphy, Natsuki Kato, Taimo Sakuma, Sunao Hiwatari & Shin Hasegawa

Vocal : Erika Murphy
Bass & Synthesizers : Natsuki Kato
Electric Guitar : Tamio Sakuma
Electric Guitar : Sunao Hiwatari
Drums : Shin Hasegawa

Recorded by Ryu Kawashima at IDEAL MUSIC FABRIK
Mixed by Zin Yoshida at Garden Wall
Mastered by Kentaro Kimura (Kimken Studio)

Produced by Luby Sparks & Zin Yoshida

Cover Photography : Annika White


■Luby Sparks Presents 'One Last Night Osaka' (Luby Sparks / Frog 3 / Ben Inui) 2024.11.30 [Sat] LIVE SPACE CONPASS, Osaka




・Luby Sparks Presents 'One Last Night Osaka'

イベント詳細 [ https://eplus.jp/one-last-night ]

DATE| 2024.11.30 [Sat]
OPEN/START| 18:00/18:30
VENUE| LIVE SPACE CONPASS, Osaka
ACTS| Luby Sparks / Frog 3 / Ben Inui
ADV.| 3,500 Yen [+1D]
DOOR| 4,000 Yen [+1D]
INFORMATION| YUMEBANCHI [06-6341-3525]


チケット詳細 | e+ [ https://eplus.jp/one-last-night ]


・Luby Sparks Presents ‘One Last Night’


2022.02.19 [Sat] WWW X (DYGL / CEMETERY) *SOLDOUT
2023.06.23 [Fri] WWW X (THE NOVEMBERS) *SOLDOUT
2023.10.19 [Thu] BASEMENTBAR (Pretty Sick) *One Last Night – Extra
2024.02.29 [Thu] WWW X (SATOH / NTsKi)
2024.11.30 [Sat] LIVE SPACE CONPASS (Frog 3 / Ben Inui) *One Last Night – Osaka

©Ward & Kweskin

Father John Mistyは「She Cleans Up」でブギーロックを彷彿とさせる古典的なスタイルに回帰している。 曲から立ち上るワイルドさ、そしてダンサンブルなアグレッシヴさに注目したい。


『Mahashmashana』は11月22日にベラ・ユニオン(イギリスとヨーロッパ)とサブ・ポップ(その他の地域)から発売される。2022年の『Chloë and the Next 20th Century』に続くこのアルバムは、ファーザー・ジョン・ミスティとドリュー・エリクソンがプロデュースした。

 

「She Cleans Up」は近日発売予定のアルバム『Mahashmashana』の収録曲。このシングルは以前にリリースされた「Screamland」と「I Guess Time Just Makes Fools of Us All」に続く。

 


「She Cleans Up」





©︎Juliette Boulay


フィラデルフィアのソングライター/ギタリスト、グレッグ・メンデス(Greg Mendez)は、10月18日(金)にリリースされるEP『First Time / Alone』に収録される「Alone」をミュージックビデオとともに公開した。この曲は新作とともに発表された先月の「First Time」に続くシングルとなる。先日、シンガーソングライターはデッド・オーシャンズと新しい契約を発表した。

 

グレッグ・メンデスはエリオット・スミス等のサッドコアの系譜にある憂いのあるフォーク・ソングをスラリと書く。もちろん、ギターのストロークにはカントリーの素朴な雰囲気が漂う。今回のシングルでもローファイに触発されたアナログなサウンドが個性的な空気感を放っている。

 

グレッグ・メンデスは、ロメルダとトンバーリンとの2025年2月のツアー日程も発表している。


「Alone」

 



ブルックリンのシンガーソングライター、Mei Semones(メイ・シモネス)がニューシングル「Dangomushi」をBayonet Recordsからリリースした。この新曲は2024年4月に発売された最新EP「Kabutomuhsi」につづく作品となる。(楽曲のストリーミングはこちらから)

 

シモネスの音楽的な主題には、ジャズのほか、ラテンミュージックがある。新曲でも日本語と英語の歌詞とボサノヴァとジャズを組み合わせた軽妙な音楽スタイルは健在である。聴きやすく親しみやすいポップスで、J-POPのリスナーの琴線に触れるものがありそうだ。今回のシングルでは、アコースティックギターの華麗な演奏と合わせて、ストリングスがフィーチャーされている。歌詞では日常的な出来事が日記のように紡がれ、ほんわかとしたイメージが立ち上る。

 

現在、メイ・シモネスはライブツアーを開催中で、来年2月までこの日程は続く。フロリダ、テキサス等の公演を経て、10月30日には、ニューヨークの”The Brookilyn Monarch”での公演を予定している。また、11月3日には再来日を果たし、Spotify O-Westでライブを開催する。

 

Mei Semonesの過去のインタビューはこちらからお読みください。

 

 

「Dangomushi」

 




タイトなハードロックからサイケ、プログレッシブ、ノイズまで幅広い音楽性にアプローチするスリーピースバンドPSP Social。「JET STREAM OF PSYCHIC YOUTH」が10月16日にリリース。


鋭い社会と音楽への批評性に裏打ちされたスカム、フォーク、即興演奏を組み合わせた音楽性を展開を魅力とする「日本のRed Crayola」ことJohn Tremendous’ Soft Adult Explosion, サイケ、アンビエント、ノイズ、即興演奏、純邦楽、クラウトロックからエレクトロニックに至る音楽性を持ち、220人以上の参加者を擁する不定型の音楽家集団、野流の三者によって企画された「即興演奏」をテーマとしたコンピレーションの第一弾。


上記の三組に加え、跡地、関口マーフィー、千川新(computer fight)、とんとんトマトちゃん、光分解、jakなどを含む総勢34組による50トラック、ボーナストラックを含めて3時間半に及ぶ内容を収録。野流の演奏にはAcid Mothers Templeの河端一(Guitar)が参加。アートワークは漫画家の匙田洋平が担当した。


また、本作の発表を記念した耐久リスニングパーティが、11月9日に大塚地底にて開催されます。イベントでは全トラックの「耐久試聴」とトークショー、PSP Socialのアバラ、John Tremendous、野流のHyozoの三者によるスペシャルセッションも予定。アルバムの視聴はこちらから。、跡地、関口マーフィー、千川新(computer fight)、とんとんトマトちゃん、光分解、jakなどを含む総勢34組による50トラック、ボーナストラックを含めて3時間半に及ぶGuitar)が参加。

アートワークは漫画家の匙田洋平が担当した。
また、本作の発表を記念した耐久リスニングパーティが、11月9日に大塚地底にて開催される。イベントでは全トラックの「耐久試聴」とトークショー、PSP Socialのアバラ、John Tremendous、野流のHyozoの三者によるスペシャルセッションも予定。



PIASの創業者ケニー・ゲイツとミシェル・ランボットは、ユニバーサル・ミュージック・グループに残りの株式を売却することを決定したと発表した。


市場をリードするメジャーとインディーズの巨人は、2021年に「型破りな」戦略的グローバル提携を発表した。2022年11月、ケニー・ゲイツとミシェル・ランボットは、PIASグループの少数株式(49%)をUMGに売却した。残りの51%の売却後、UMGはPIASの全権を握ることになる。


現在、PIASグループは、2つの中核事業部門を運営している。PIASレーベル・グループは、グループ傘下および関連レコード・レーベルの本拠地であり、インテグラルは、世界中のインディーズ・レーベルにフィジカルおよびデジタル流通サービスするグループのサービス部門である。


新しい契約の一環として、インテグラルとヴァージン・ミュージック・グループは手を組むことになる。統合されたチームは、特注の独立した国際流通ネットワークへのアクセスとサービスを提供する。


発表によると、PIASレーベル・グループは、インテグラルの自社レーベルと協力レーベルの本拠地であるが、独立レーベルとして今後も存続する。レーベル・グループには、Play It Again Sam、Harmonia Mundi、Demain、Spinefarm、Sourceといったレーベルや、ATO、Heavenly、Mute、Transgressiveといった提携レーベルがあり、Nick Cave & The Bad Seeds、Kneecap、Sofiane Pamart、Sleep Token、Arlo Parks、Black Pumasといったアーティストの作品の販売を手がけている。


billboardによると、2021年に始まった両社の戦略的グローバル・パートナーシップを拡大するこの取引について、金銭的条件は明らかにされていないという。翌年、UMGが[PIAS]の49%の株式を非公開の金額で取得した際、ゲイツとランボットは同社の過半数の支配権を保持していた。


新しい取り決めの一部として確認されている詳細には、ヴァージン・ミュージック・グループと[PIAS]のサービス部門の合併が含まれ、ATO、Beggars Group、Secretly Groupを含む100以上のインディー・レーベル・パートナーにフィジカルおよびデジタル配信サービスを提供している。

Letting Up Despite Great Faults  『Reveries』 

 

Label: P-VINE

Release: 2024年10月11日

 

Review

 

テキサス/オースティンを拠点に活動するLetting Up Despite Great Faultsは、5回の来日公演を実現させているドリーム・ポップ/シューゲイズバンド。タヌキチャンがバンドを組んだら、と思わせるようなグループである。すでに音楽ファンが指摘している通り、エレクトロニックとドリーム・ポップの融合を図るバンドである。彼らは、近年、さらにK-POPの音楽性を組み合わせて、ポップとロックの中間にあるアンビバレントな作風に取り組んでいるところだ。

 

『Reveries』は、ドリームポップ・ファンとしてはぜひともチェックしておきたい佳作である。ミックスにベッドルームポップの象徴的な存在で、カナダのLiving Hourの最新作にも参加しているJay Som、マスタリングには、Slowdiveのドラマー、Simon Scottを迎えて制作された。コラボレーターにも注目で、3曲目の収録曲「Color Filter」では、LAで注目を集めるシューゲイズ・バンド、”Soft Blue Shimmer”からMeredith Ramondをゲストヴォーカルに迎えた。インディーポップやシューゲイズ・リスナーにはたまらないメンバーが参加した作品。

 

夢想的で甘口のメロディーを武器に、チルウェイブ、ヨットロックのような気安さが漂うのはテキサスのバンドならではといえる。フェーダー、ディレイを掛けたスタンダードなシューゲイズサウンドを聴くことが出来るが、基本的には苛烈な轟音になることはない。ギターサウンドはライトなポップの範疇にあり、それがバンドの音楽に近づきやすい印象をもたらす。アルバムの冒頭「Powder」では、テクノとドリーム・ポップの融合に取り組んでいる。特に、ゲーム音楽から発展したチップチューン、ポップのクロスオーバーは、フレッシュな感覚をもたらす。

 

Letting Up Despite Great Faultsは『Reveries』において、メロディーやハーモニーの側面でバンドとして素晴らしい連携を示し、各々のセンスを上手く発揮している。「Dress」は、抽象的なギター、ベースがボーカルの夢想的な感覚と重なりながら、DIIV、Slowdiveの系譜にある艷やかなハーモニーを形成する。この曲はアルバムの序盤のハイライトとして楽しめるはず。アルバムの序盤から中盤に掛けて、このアルバムはより深い幽玄なドリームポップの領域に入り込む。「Emboidered」ではニューロマンティックの系譜にあるサウンドへと近づいていく。

 

また、バンドの音楽は2010年代のキャプチャードトラック周辺のサウンドの影響を感じさせ、それはサーフロックやヨットロックのような旧来のサウンドとパンクの系譜にあるドライブ感のあるロックとの融合という音楽性に結び付けられる。「Past Romantic」では、90年代のエレクトロをベースにドライブ感に充ちたシューゲイズサウンドに舵を取る。シンセサイザーをフィードバックギターに見立て、ボーカルを対比させ、心地よいアンビエンスを作り出す。構成的にはギターロックだけれど、表面的にはアンセミックなポップとして聞き入ることが出来る。彼らのサウンドのアグレッシヴな一面が体現され、ライブで映えそうなナンバーだ。

 

基本的には、このアルバムではSlowdiveの系譜にあるサウンドが強調されている。ただ、よりアートポップバンドのような一面が立ち現れる場合もある。「Collapsing」ではコクトー・ツインズのようなゴシックやニューロマンティックの系譜にあるアートポップの要素を読み取れる。ボーカルはエリザベス・フレイザーのように艷やかであり、甘美な感覚に縁取られている。この要素がより洗練されていくと、何かオリジナル性のあるサウンドが出てきそうな予感もある。また、バンドの音楽には4ADのThrowing Musesのようなオルト性を読み取ることが出来、それが部分的に牧歌的、あるいは温和な音楽性という側面を併せ持つことの証左でもある。

 

バンドの音楽はチップチューンのようなゲーム音楽に近いテクノサウンド、そしてダンサンブルなエレクトロ、オルトフォーク、ニューロマンティックを中心に形成されている。序盤では都会的というか、アーバンなイメージに縁取られているが、終盤になると、古典的な音楽性が強調され、それが淡いノスタルジアを漂わせる。現代的なリスナーにとって、過去の音楽の一端に触れることは郷愁的な感覚をもたらすが、テキサスのバンドが最もこのアルバムの制作で最も意識したのはノスタルジアーー過去の時代への沈潜ーーだったかもしれない。それは実際的に抽象的な感覚に縁取られると、聞き手に心地よさという美点を提供する。 また、ノスタルジアに対するイメージがぼんやりとしたものであればあるほど、実際にアウトプットされる音楽には陶酔感が漂う。それはつまり、言語では表しえない非言語性を内包しているからなのだ。


アルバムの終盤は、Slowdive、Cocteu Twinsのアルバムに最初に触れた時のような感覚に溢れ、あっという間に過ぎ去っていく。ぼんやりした午後、背後に過ぎ去る季節、そして次にやってくる夢。彼らは複数の観点から、センチメンタルで、心をくすぐるような切ないラブソングに近いポップソングを書く。そのシューゲイズ的な音楽に耳を澄ませてみると、ぼんやりした意識の向こうから美麗なハーモニーが夜のライトのようにちらつく。抽象的な時間、さほど意味がないように思える穏やかなひとときが、『Reveries』の最大の魅力とも言える。「Swirl」、「Self-Destruct」のような曲のスタイルが、たとえすでに使い古されていたとしても、このアルバムの音楽には確かに人をうっとりさせるものがある。お世辞にも傑作とは言えないかもしれないが、インディーポップファンとしては一聴の価値がある良作となっている。


 

 

76/100

 

 

 

Best Track- 「Dress」

 

 

 

Letting Up Despite Great Faultsの新作アルバム『Reveries』はP-VINEより発売中です。アルバムのストリーミングはこちら

 

 

■Letting Up Despite Great Faults

 

LAで結成され、現在は音楽の街、テキサス・オースティンで活動中のLetting Up Despite Great Faultsが5枚目のオリジナルアルバム『Reveries』を10月11日にリリースする。

 

Letting Up Despite Great Faultsはデビューアルバムで完成させたエレクトロなシンセサウンドをシューゲイズやドリームポップというジャンルに落とし込むという発明で、日本でも5回の来日公演を成功させるなど人気を集めるバンドだ。

 

『Reveries』はミックスにJay Som、マスタリングにSlowdiveのドラマーであるSimon Scottを迎えて制作された作品で、3曲目に収録されている「Color Filter」ではLAで注目を集めるシューゲイズ・バンド、Soft Blue ShimmerからMeredith Ramondをゲストヴォーカルに迎えるなど、インディーポップやシューゲイズ・リスナーにはたまらないメンバーが参加した作品。

 

本作でもLetting Up Despite Great Faultsの特徴であるエレクトロ+シューゲイズ/ドリームポップにキャッチーなメロディーラインを加えるという彼らのオリジナリティーを武器にした作品に仕上がっているが、その上で冒頭を飾る「Powder」や6曲目「Past Romantic」のように実験的なリズムを取り入れた楽曲も収録。

 

K-POPからHyper Popまで様々なポップスを聞くようになったというフロントマンのMike Lee(マイク・リー)がLetting Up Despite Great Faultsのインディーポップな良さに様々なジャンルをポップセンスを加えた楽曲たちもアルバムの中で存在感を放っている。

 

2曲目「Dress」はインディーポップのルーツが存分に感じ取れる心地良い楽曲であり、7曲目に収録されている「Collapsing」のコード感やメロディーセンスも90sのインディーポップやギターポップが好きな人たちにはたまらないであろう。シングル曲として公開された「Swirl」は2010年代の〈Captured Tracks〉が好きな人にはオススメな楽曲であり、国内盤CDに収録されている2曲も間違いない。Letting Up Despite Great Faultsが感じ取れる楽曲が収録!!

Eagles
70年代のウエストコーストロックの立役者であるイーグルス レコードの総売り上げは2億枚を誇る
 

ウェスト・コースト・ロック、イーグルスやジャクソン・ブラウン、ドゥービー・ブラザーズに象徴される70年代の西海岸のロックサウンドは、今でもなお魅力的な輝きを放ってやまない。サーフロックと並行して登場したウェスト・コースト・ミュージックは、カントリー・ロックやサーフ・ロック、そしてR&Bのファンクやソウルをロックという枠組みの中で体現しようという試みでもあった。ビーチボーイズで始まった西海岸のロックの流れは、CSN&Yのフォークロック、カントリーロックを経たのち、より純化され洗練化されていくことになった。もちろん、その過程で他のジャンルとのクロスオーバーが試みられたのは言うまでもない。

 

特に、イーグルスはカントリー・ロックを中心に制作し、ウェスト・コースト・ロックを牽引した。およそ10年間の間で、6作のフルアルバムをリリースした。レコードの総売上は2億枚にのぼる。代表作『Hotel Calfornia』でUSロックの金字塔を打ち立てた。『Hotel Calfornia』において、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実のところ虚勢に満ちており、内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「Life In The Fast Lane」などが有名。1981年に一度活動を休止し、ドン・ヘンリーは80年代に入り、AORやソフトロック、カントリーの系譜にあるロックから、アーバンなポピュラー音楽へとシフトチェンジを図り、時代の変化に対応し、新しい音楽をリードしていった。

 

 

ウェスト・コースト・ロックの双璧をなすドゥービー・ブラザーズは、これに対して、カントリー・ロックや南部のサザン・ロックをベースにしながらも、明らかにブラック・ミュージックの系譜にあるファンクやソウルの影響をうまく取り入れていた。スライ&ザ・ファミリーストーンが人種混合のバンドで、ロックとソウルを結びつけたように、ドゥービー・ブラザーズも同じ役割を果たした。ダンス/ソウルミュージックとして聴いても一級品で、わかりやすくそれほど音楽に詳しくなくても口ずさめる、ダンサンブルなロックで70年代を象徴するグループとなった。一方、ウェスト・コーストロックの一角をなす音楽としてフォーク・ロックも見過ごすことはできない。CSN&Yはウェスト・コーストの最初の流れを形成し、人間の友愛的な側面を尊重し、フォーク・ミュージックとグループサウンドを結びつける重要な役割を担った。

 

 

一方、バンドやグループにとどまらず、ソロアーティストの活躍もこの時代のアメリカのロックシーンの特徴と言える。イーグルスとの共作で知られるジャクソン・ブラウンは、ソロシンガーとして大成功を収めた。また、後に、KISSのような過激なメークアップを施して人気を博すアリス・クーパーは一般的に80年代のハードロックの代表格であるが、元はウェスト・コーストロックの出身者であることは再確認すべきかもしれません。女性シンガーの活躍も見過ごせない。後のフォークロックの大家とみなされるミッチェル、27クラブの出身者ジャニス・ジョップリン等、のちの音楽界の大家と呼ばれるアーティストが数多く台頭した時代。今回は、70年代の西海岸のロックのアーティストと代表的な名盤を以下に大まかにご紹介します。


 

・Eagles



1971年にデビューしたアメリカのカントリー・ロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら、全世界的人気を獲得した米国のトップ・バンドのひとつ。

 

イーグルス(Eagles)はヴォーカリスト、リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt )のバンド、Linda Ronstadtのメンバーとして集められたグレン・フライ(Glenn Frey )、ドン・ヘンリー(Don Henley )、ランディー・マイズナー(Randy Meisner)、バーニー・リードン(Bernie Leadon)の4名が独立して1971年8月に結成され、リンダ・ロンシュタットが所属していたアサイラム(Asylum)レコード(拠点・ロサンゼルス)からデビューしたバンドである。

 

メンバーのグレン・フライが当時同一のアパートに居住していたシンガー・ソングライターのジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)と共作した、デビューアルバム『Eagles (イーグルス~邦題:「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy(テイク・イット・イージー~「気軽に行こう」の意)」がいきなりヒットし、瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。

 

『One Of These Nights』 Asylum  1975 

 

 

ウェスト・コースト・ロックのサウンドを掴むためには、まずこのアルバムを抑えておきたい。1970年代半ばのある夜、ギタリストのグレン・フライは友人のソングライター、J.D.サウザーとディナーに出かけた。ロサンゼルスのクラブ、トルバドールに隣接する彼らの行きつけのレストランで、フレイは魅力的なブロンド女性がかなり年上の男性と食事に出かけているのに気づいた。「あの嘘つきの目を見てみろ」とフレイは言い、すぐにペンを取った。もちろん、この瞬間がイーグルスの「Lyin' Eyes」の起源であり、RCAレコードの元社長ボブ・ブジアックは、「これまで書かれた中で最高のLAロックンロール・ソングのひとつ」と呼んだという。



1975年にリリースされた『One of These Nights』は、ドン・ヘンリーとのソングライティング・パートナーシップが新たなピークを迎えていたフレイ曰く、イーグルスで最も「痛みのない」アルバムだった。ビバリーヒルズの自宅をシェアしながら、2人は次々と名曲を書き上げた: 淫らなダンスフロアの定番曲 「One of These Nights」、ランディ・マイズナーとの共作で路上生活の弊害を歌った 「Take It to the Limit 」などだ。名声の暗黒面を描くのは飽き飽きした手法かもしれないが、ヘンリーとフレイは高速道路での生活を鋭く観察していたことを証明した。「このグループで同じように考える傾向があるのは、グレンと私の2人だけだった」



プロデューサーのビル・シムジークと協力して、バンドは新たなリスクを冒した。Too Many Hands 「では複雑なギター・リフを重ね、バーニー・リードンのバンジョー・インストゥルメンタル 」Journey o 「では、」Too Many Hands 「と 」Too Many Hands "の中間をとった。


「Take It To The Limit」

 

 

 

 『Hotel Calfornia』 1976   Elektra


1976年初頭、イーグルスはコンピレーション・アルバム『The Greatest Hits 1971-1975』をリリースした。このコンピレーション・アルバムは、その後半年間ビルボード・トップ200にランクインし続け、20世紀アメリカで最も売れたアルバムとなった。

 

しかし、おかしなことに、このバンドで最も人気があり、キャリアを決定づけた代表曲が登場するのをファンはもう少し待たねばならなかった。その栄誉はもちろん、1976年の大ヒット作『ホテル・カリフォルニア』のタイトル・トラックにある。このアルバムでイーグルスは、カントリー・ロックのルーツの残り香を消し去り、世界中のフットボール・スタジアムに居を構えた。



この変化は、この町の新人のおかげだ。ジョー・ウォルシュは、脱退した結成時のギタリスト、バーニー・リードンの後任である。オープニングの「Hotel California」で、ウォルシュは6弦のウイングマンであるドン・フェルダーとともに、ドン・ヘンリーによる不気味で謎めいた語りに、ロック史上最もドラマチックで指に響くギター・ソロを加えた。その闊達さは、「Victim of Love」(このバンドがヘヴィ・メタルに最も近づいた曲)のブロントサウルスのようなストンプや、ディスコ調の「Life in the Fast Lane」(オープン・バーのあるペントハウスの仮面舞踏会のように魅惑的で退廃的なハリウッドの快楽主義)にも波及している。しかし『ホテル・カリフォルニア』は、ベルベットのロープの向こう側から見た70年代の過剰な肖像画でもある。


 

 ・The Doobie Brothers


 

ドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers) はアメリカのバンド。1970年代に人気を博したウエストコースト・ロックを代表する。



1970年にトム・ジョンストンを中心に結成、翌1971年にデビュー。1972年に「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」のヒットを放つ。サザン・ロック色の濃い音楽性に加え、二人のドラマーに黒人のベーシストを加えた、力強いファンキーなリズムセクションは評判を呼び、1973年のアルバム『The Captain And Me』からは「Long Train Running」、「China Grove」、1974年のアルバム『What Were Once Vices Are Now Habits(邦題: ドゥービー天国)』からは「Black Water」といったヒット曲が生まれ、一躍アメリカン・ロックを代表する人気バンドの一つとなった。



1974年、度々ゲスト参加していたスティーリー・ダンを脱退したジェフ・バクスターが正式加入する。その頃からバンドの顔であり、ヒット作を数多く作曲していたジョンストンの健康状態が悪化し、バンドを一時脱退してしまう。間近に控えたツアーのため、ジョンストンの代役としてバクスターの紹介により、スティーリー・ダンのツアーメンバーだったマイケル・マクドナルドが正式加入する。卓越した歌唱力に加え、スティーリー・ダンに培った作曲能力を持ったマクドナルドの存在は大きく、バンドの音楽性はトム・ジョンストン期の野性味あふれる快活なギターロックから、R&Bの影響を受けた洗練されたAOR色の強いものへと変化していった。



こうした音楽性の変化はファンの間で賛否が分かれたが、1978年のアルバム『Minute By Minute』とシングルカットされた「What A Fool Believes」はともに全米1位を獲得、その年のグラミー賞でアルバムタイトル曲は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワット〜」は最優秀楽曲に輝くなど、高い人気と評価を確立した。

 

 

『The Captain And Me』 Warner  1973


『Hotel Calfornia』と並んで70年代のロックの普及の名作である。『The Captain And Me』は、1973年3月2日にワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた、アメリカのロックバンド、ザ・ドゥービー・ブラザースの3枚目のスタジオ・アルバム。レコードから1973年3月2日にリリースされた。「Long Train Runnin'」、「China Grove」、「Without You」など、バンドの代表曲が収録されている。全米レコード協会(RIAA)より2×プラチナ認定。Colin Larkin's All Time Top 1000 Albums』(2000年)の第3回では835位に選ばれている。


このバンドの持ち味はウェスト・コーストロックを代表するワイルドなサウンドにあるが、このアルバムを聴くとそれだけではない。ウェスト・コーストロックがサザン・ロックなどのブルースの系譜にあること。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのように白人と黒人の音楽を結びつける重要な役割を担ったことが分かる。ドゥービー・ブラザーズのロックには、ディスコ、ファンク、ソウル等ブラック・ミュージックからの影響がきわめて大きいのである。上記でも述べたようにソウルロックとして聴いても、珠玉のアルバムであることに違いはない。



 

 

・Jackson Browne


クライド・ジャクソン・ブラウンは、アメリカのロックミュージシャン、シンガー、ソングライター、政治活動家であり、アメリカ国内で1,800万枚以上のアルバムセールスを記録している。



1960年代半ばのロサンゼルスで10代のソングライターとして頭角を現し、他人のために曲を書いて最初の成功を収めた。この曲は1967年にドイツ人シンガーでアンディ・ウォーホルの弟子でもあるニコのマイナー・ヒットとなった。また、同じ南カリフォルニアのバンドであるニッティ・グリッティ・ダート・バンド(1966年に短期間メンバーとして参加)やイーグルスにも曲を提供し、イーグルスは1972年にブラウンとの共作「Take It Easy」で初のビルボード・トップ40入りを果たした。



他人のために曲を書いて成功したことに勇気づけられたブラウンは、1972年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースし、「Doctor, My Eyes」と「Rock Me on the Water」という自身の2曲のトップ40ヒットを収録した。デビュー・アルバムをはじめ、その後の数枚のアルバムやコンサート・ツアーのために、ブラウンは当時の著名なシンガー・ソングライターたちとも仕事をしていた多作なセッション・バンド、ザ・セクションと密接に仕事をするようになった。


セカンド・アルバム『For Everyman』は1973年にリリースされた。サード・アルバム『Late For The Sky』(1974年)は、ビルボード200アルバム・チャートで14位を記録し、それまでで最も成功を収めた。4枚目のアルバム『The Pretender』(1976年)は、各アルバムが前作を上回るというパターンを継続し、アルバム・チャートで5位を記録した。

 

 

『Running on Empty』 Elektra/Asylum    1977


ジャクソン・ブラウンは他の西海岸のバンドが80年代に向けて、アーバンなサウンドや他のジャンルとの融合を図る中で、古き良きフォークロックやカントリー・ロックを70年代に発表していた。特に70年代後半の作品は、すべてアルバムジャケットが素晴らしく、見ているだけで惚れ惚れとするようなデザインが多い。つまりデザインの中に無限のロマンがあるのだ。

 

『孤独なランナー』 (こどくなランナー、Running on Empty) は、1977年に発売されたジャクソン・ブラウンの5枚目のアルバム。ブラウン初のライブ・アルバムである。通常のライブ・アルバムとは趣が異なり、ステージでのパフォーマンスはもちろん、ホテルやバスの中など、ツアーの様々な場所での演奏が収録されている。収録曲もすべて新曲とカヴァー曲で構成されている。


全米第3位で700万枚の売上を記録し、ブラウンのキャリアの中で最高のヒット作となった。1978年のグラミー賞「Album of the Year」にもノミネートされた。また、映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の劇中で表題曲「Running On Empty」が使用された。 歌声も澄んでいて素晴らしい。

 

 「The Road」

 

 

 

・CCR(Creedence Clearwater Revival)



クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival、略称CCR)はアメリカのバンド。アメリカ南部特有の泥臭いサウンドを持ち味としたサザンロックの先駆者的存在。活動期間は短いながらもロック界に大きな足跡を残し、1993年には見事にロックの殿堂入りを果たした。1959年にジョン・フォガティ、スチュ・クック、ダグ・クリフォードの3人で結成されたブルー・ベルベッツを前身とする。後にジョンの兄のトム・フォガティが加入する。

 

1967年にサンフランシスコのファンタジー・レコードと契約し、バンド名をゴリウォッグスと変えてデビュー。1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改めた。同年にスワンプロック(南部のロック)のカバー曲「スージーQ」がヒットし、当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでは異色の存在として脚光を浴びる。

 

1969年から1970年にかけて、彼らの代表曲となる「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばす。

 

ところが「プラウド・メアリー」(3週連続)、「バッド・ムーン・ライジング」、「グリーン・リヴァー」、「トラヴェリン・バンド」(2週連続)、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」という、この5曲は全てビルボード・シングルチャートで全米第2位に泣かされている。全米No.1を獲得出来なかったアーティストの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍記録になっている。

 

前途洋々かと思われたバンドだったがジョンに注目が集まりすぎたゆえにメンバーの仲がぎくしゃくし、1971年にトムが脱退。翌1972年に発表したアルバム「マルディ・グラ」は各メンバーの曲やボーカルも取り入れた民主的な作品であったが失敗に終わり、バンドはあっけなく解散した。

 

ジョンはソロ作『ブルー・リッヂ・レインジャーズ』(1973年)、『ジョン・フォガティ』(1975年)を発表するが、楽曲の著作権にかかわる訴訟に巻き込まれたため、CCR時代の楽曲が唄えなくなってしまった。また訴訟関連に嫌気が差したことも影響して、音楽活動に消極的になり隠遁状態が続いた。しかし、1985年には『センターフィールド』を発表、同作はミリオン・セラーを記録し、1997年に発表した『Blue Moon Swamp』では、 キャリアの集大成的なサウンドを披露しグラミー賞を獲得した。

 

 

 『Cosmo's Factory』 Concord 1970

 

CCRのロックはイーグルスの最初期のアルバムと聴き比べてみると分かるが、きわめてサザン・ロック色が強い。オールマン・ブラザーズやジョニー・ウィンターの系譜にある南部特有の泥臭いブルース・ロックで、バーボンのような渋さがあり、パブロックにも近い。それに加えて、このバンドは、Big Starと並んで最初のインディーズバンドの先駆的な存在とも言える。もちろん、彼らはキャリアを総じて、メジャーから作品をリリースしたが、楽曲のスタイルはアリーナのロックではなく、小規模なライブハウスで映えるようなインディーズロックである。

 

 『Cosmo's Factory』はCCRの絶頂期の瞬間的な記録である。1969年、彼らは3枚のアルバムをリリースし、絶えずツアーを行っていた。1970年初頭には、『Cosmo's Factory』からの最初のシングルがチャートを駆け上がり始めた。ロイ・オービソンの「Ooby Dooby」やマーヴィン・ゲイの「I Heard It Through the Grapevine」のカヴァーから、オリジナルの「Travelin' Band」、「Lookin' Out My Back Door」、「Who'll Stop The Rain」まで、このアルバムには名曲が凝縮されている。ロックソングの本来の楽しさを体感出来る佳作となっている。また、このアルバムは、80年代以降のハードロックバンドに強い影響を及ぼしている。

 

 「Travelin' Band」

 

 

 

・ Fleetwood Mac



フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)はイギリス、アメリカのバンド。ブルースロックのバンドだった初期とポップバンドとして大成功を収めた後期で音楽性が大きく異なる。


1967年、ジョン・メイオールの門下生だったピーター・グリーン(ギター)、ミック・フリートウッド(ドラム)、ジョン・マクヴィー(ベース)らでバンドを結成。初期のバンド名はピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)。グリーンのギターをフィーチャーし、当時イギリスで勃興していたブルースロックのブームに乗って成功を収めた。なおアルバム「英国の薔薇」収録の「ブラック・マジック・ウーマン」は、後にサンタナにカバーされてヒットしている。他にもジューダス・プリースト、ゲイリー・ムーア、エアロスミスが、この時期のフリートウッド・マックの曲をカバー。


ピーター・グリーンは麻薬に溺れて精神に異常をきたし、1970年にバンドを脱退した。新しいメンバーとしてアメリカ人のボブ・ウェルチ、加入後にジョン・マクヴィーの妻になったクリスティン・パーフェクトが加入し、バンド名をフリートウッド・マックと改めた。この時期のマックはややジャズロック的アプローチをとり、3枚のアルバムを発表して安定した活動を続ける。しかし1974年にフロントマンのウェルチが脱退してしまい、バンドは再び存続の危機を迎える。


ウェルチに代わるフロントマンを探していたフリートウッドは、バッキンガム・ニックスというアメリカ人の男女デュオを見出し、この二人(リンジー・バッキンガム、スティービー・ニックス)を新しいメンバーとして迎え入れた。再び生まれ変わったマックは、1975年にアルバム「ファンタスティック・マック」を発表した。「セイ・ユー・ラブ・ミー」、「リアノン」といったヒット曲が生まれ、アルバムは全米1位を獲得、それまでにない成功を収めた。穏やかで安心感を醸し出すクリスティン、ポップで張りのあるリンジー、ワイルドなダミ声かつ哀愁味を帯びた個性派のニックスという三者三様のボーカルはこのバンドの大きな個性となった。



1977年には最大のヒット作となるアルバム「噂」を発表。シングルカットされた「ドント・ストップ」、「ドリームス」などの大ヒットとともに、アルバムは31週間に渡って全米1位に輝き、1000万枚といわれる史上空前のセールスを記録する。マックは一躍スーパースターの座に上り詰めた。この後はメンバー各自のソロ活動も並行しながら3枚のアルバムを発表、引き続きヒットを持続した。しかし1987年にバッキンガムが脱退し、新しいメンバーを加えたものの1990年にニックスとクリスティンが脱退したことによってバンドは活動停止を余儀なくされた。

 

 

『Rumor』 Warner 1977


この年代のワーナー・ブラザーズのリリースは神がかっている。他のウェスト・コーストロックを聴くと、70年代らしいヴィンテージなサウンドを楽しむことが出来るが、フリートウッド・マックは異色のポップバンドである。ウェスト・コーストロックを吸収していることは事実だろうが、モダンなテイストが匂い立ち、それはアーバンコンテンポラリーやAORに近い80年代を予見するサウンドである。現代のポップバンドが参考にすべきバンドは、このフリートウッド・マックかもしれない。そして実はジャクソン・ブラウンと並んで一番好きなグループだ。


『Rumours』の何がこれほどまでに衝撃的だったのかを理解するには、その前後に発表された音楽を見る必要がある。フリートウッド・マックのように、シンガー・ソングライターの親密さとロックンロールの柔らかさを併せ持つアーティスト、イーグルスとリンダ・ロンシュタットの時代だった。


ドゥーワップや初期のビートルズのレコードが好きだった親は気に留めないかもしれないが、何百万人ものティーンエイジャーは気に留めるだろう。バリー・マニロウとニール・ダイアモンド、ABBAとビージーズ、ザ・クラッシュとパティ・スミスは言うまでもないが、彼らはみな全く異なる存在でありながら、ポップ・ロックをショーマンシップ、洗練、反抗の極みへと引き上げた。



そしてその中間地点にいるのがルーマーズ。ロックするときは優しく(「The Chain」)、しかし噛みしめるような歌い方で、アダルト・コンテンポラリー・コンテンポラリーとは一線を画している(「Go Your Own Way」)。そして彼らは、良い人生(そしてそれを生きるベビーブーマーたち)の屈託のない前向きさを捉えながらも、そこに至るまでにかかった苦悩からも逃げることはなかった(「Don't Stop」、「Dreams」)。彼らの音楽的個性(ミック・フリートウッドとジョン・マクヴィのブルース育ちのリズム隊、クリスティン・マクヴィのロマンティシズム、リンゼイ・バッキンガムのポップな完璧主義、スティーヴィー・ニックスの神秘主義)が見事に融合しているのと同様に、彼らはいつもお互いを優しく引っ張り合っているのが聞こえる。



「Go Your Own Way」

 

 

 

・Carol King 



 

本名・キャロル=クライン(Carole Klein)。ニューヨーク市・ブルックリン生まれ、1958年に歌手デビューした。大学在学中にポール・サイモンからデモ・テープの作り方を教わった彼女は、自分で作ったデモ・テープを売り込んで1958年、ABCパラマウント・レコードからシングル・デビュー。しかしながらその後ABCやRCAなどに残した4枚のシングルは何れも失敗に終わり、一旦歌手としてのキャリアは頓挫することとなる。


1960年代には当時の夫ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで、「ロコ・モーション」「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」など後々まで歌い継がれている数々の名曲を生み出した。1960年から1963年にかけての三年間で、ふたりは延べ20曲あまりの全米トップ40ヒットを世に送り出している。彼女自身もシンガーソングライターとして1曲だけこの時期に「イット・マイト・アズ・ウェル・アズ・レイン・アンティル・セプテンバー」という曲で全米トップ40入りを果たしている。しかし、飛ぶ鳥を落とすような勢いもビートルズの全米進出を機に翳りを見せ始め、仕事上の不和がプライヴェートにまで影響を及ぼしたらしく1968年にジェリーとキャロルは離婚する(仕事上ではその後もたびたびパートナー関係を続けている)。


1970年代に入ってからはシンガー・ソングライターとしての活動を本格的に開始。1970年にファースト・ソロ・アルバム『ライター』を発表、翌1971年に発売された彼女のセカンド・ソロ・アルバム『つづれおり』(Tapestry))は、グラミー賞4部門制覇、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続でトップ100にとどまるロングセラーとなる。現在もなお多くの人々に愛され、世界中で延べ2200万枚を超える驚異的なヒットを記録している歴史的名盤だ。

 

その中の1曲であるシングル「It's Too Late」は1971年6月19日から5週連続全米No.1を獲得している(シングル年間チャートでは第3位)。同じアルバムから「きみの友だち」をジェームス・テイラーがカバーし同年7月31日にシングルチャートでNo.1を獲得している。その後もアルバム『ミュージック』『喜びにつつまれて』、シングル「ジャズマン」など順調にヒットを連発。彼女は1970年代前半から中期を代表するヒットメーカーの一人となり、2つの年代にわたって天下を取った。

 

キャロル・キングは、70年代のフォーク・ロックには珍しい優しさと闊達さをもって、愛の複雑な現実を考察している。60年代初頭、ニール・ダイアモンドや当時の夫ジェリー・ゴフィンらと並んで、キングは限りなく多才なブリル・ビルディングのソングライターだった。そこで彼女は、シャイレルズの「Will You Still Love Me Tomorrow」のようなガールズ・グループのアンセムを単なるバブルガムの域を超え、若きアレサ・フランクリンとともにゴスペルの火山的なパワーを取り入れ、モンキーズの大ヒット曲「Pleasant Valley Sunday」のカウライティングを手がけるなど、切ないサイケデリアを取り入れた。その後、傷つきやすいロックと直感的なソウルのミックスで独立を宣言したニューヨーカー出身の彼女は、1971年のソロデビュー作『Tapestry』などのアルバムで、シンガー・ソングライター時代の感情的な親密さを定義づけた。

 

彼女はまた、縁の下の力持ち的なソングライターから一人前のスターへと転身するための雛形も書いた。ほころびゆくロマンスへの痛切な探求を、クラシックなR&Bバラードの魅惑的な憧れと組み合わせたり(「It's Too Late」)、ブルース・シンガーのように闊歩しながら欲望が人生を変える力を讃えたり(「I Feel the Earth Move」)、キングは、トリ・エイモス、エリカ・バドゥ、エイミー・ワインハウス、アデルのようなワイルドで個性的な告白型シンガーの複数の世代を形作った。

 

 

『Tapestry』 Sony Music  1971


 最近、マーゴ・ガリアンの方が存在感を持ち始めているが、少なくとも、キャロル・キングは70年代のポップスを語る上で欠かすことの出来ない偉大な歌手である。現代の多くのポップシンガーがお手本にすべきであり、基本的な資質をすべて持ち合わせている。1960年代後半、ニューヨークの熟練したプロのソングスミスがローレル・キャニオンに移り住み、まったく新しい方法で自分の声を見つけ、1970年代の最高のポピュラーのレコードのひとつを世に送り出した。

 

これが、キャロル・キングの1971年のヒット曲『タペストリー』にまつわる略史であり、ジャンルにとらわれないシンガー・ソングライターの規範を象徴する作品であり、キングの第二の活動の幕開けとなったアルバムである。志を同じくする西海岸のアーティスト、ジェイムス・テイラーや、ジョニ・ミッチェルとともに活動したこのヒットメーカー・シンガーは、ソングライターとして、またパフォーマーとして、パーソナルな部分を削ぎ落とし、その結果、告白的表現の不朽のスタンダードを生み出した。一枚岩のポップ・アルバムに支配された10年間で、『Tapestry』は最大級のモンスターアルバムとなり、最終的に1,400万枚以上を総売上を記録した。
 

アルバムがリリースされる以前から、キャロル・キングはソングライターとしてアメリカン・ポップ・ミュージックの再構築に貢献しており、彼女の作品は女性グループの代弁者となっていた。シャイレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」では、これまで覆い隠されていた弱さを表現し、アレサ・フランクリンの「(ユー・メイク・ミー・フィール・ライク)ア・ナチュラル・ウーマン」では、大胆な官能性を表現した。ソロとして2作目となるアルバム『Tapestry』では、キャロル・キングはこれらの楽曲を再生させ、新曲の数々とともに彼女自身の物語を語った。それまでのヒット曲は元夫のジェリー・ゴフィンとの共作だったが、本作ではキングは新たなソングライティングのコラボレーターを一人受け入れた。トニ・スターンだった。

 

 「It's Too Late」

 

 

・James Taylor 

 

ジェイムズ・ヴァーノン・テイラー(1948年3月12日生まれ)は、アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。グラミー賞を6度受賞し、2000年にロックの殿堂入りを果たした。当初は、ビートルズのアップル・レコードからデビューした。さらりとした歌声と良質なソングライティングを特徴とする。


1970年にシングル「Fire and Rain」で3位を獲得し、1971年にはキャロル・キングが作曲した「You've Got a Friend」で初の1位を獲得した。1976年のグレイテスト・ヒッツ・アルバムはダイヤモンドに認定され、アメリカ国内だけで1,100万枚を売り上げ、アメリカ史上最も売れたアルバムのひとつとなった。


1977年のアルバム『JT』に続き、彼は数十年にわたって多くの聴衆を惹きつけてきた。1977年から2007年まで、彼がリリースしたアルバムはすべて100万枚以上のセールスを記録している。1990年代後半から2000年代にかけてチャートで復活を遂げ、代表作(『Hourglass』、『October Road』、『Covers』など)をレコーディングした。2015年には『Before This World』を収録したアルバムで初の全米1位を獲得した。

 

ジェームス・テイラーは「How Sweet It Is (To Be Loved by You)」や「Handy Man」などのカヴァーや、「Sweet Baby James」などのオリジナルでも知られている。 モンテ・ヘルマン監督の1971年の映画『Two-Lane Blacktop』では主役を演じた。2024年現在も精力的に活動を行っている。

 

 

『Sweet Baby James』 Warner  1970

 

フォーク・ロックやカントリー・ロックをベースとした良質なソングライティングで知られるジェームス・テイラー。ボストン出身のシンガーは、紆余曲折のある人生をギターやピアノに合わせて親しみやすく心に響く曲を歌う。男性のシンガーは特に、個人的あるいは近しい友人のことを歌った時に、その真価が出てくる。シンガーソングライターのジェームス・テイラーは、レコーディングする曲の選び方についてアップル・ミュージックに語っている。「単純に、自分が本当につながりを感じる曲を選び、それをギターで弾き、自分の声で歌うだけなんだ」

 

アレンジ、技術、フィーリングといったテイラーのシンプルな抽出は、1970年の爽やかなヒット曲 「Fire and Rain 」以前から、彼の音楽を決定づける要素だった。ボストンで生まれ、ノースカロライナのチャペル・ヒルで育ったテイラーは、カリフォルニアの有名なローレル・キャニオンで作り上げた穏やかで控えめなフォークで、60年代末のアメリカの集団的な落ち込みを捉えた。青春の雰囲気、人生をそのまま音楽にそのまま転化させたことがこのアルバムの音楽に普遍性を付与している。ひとつひとつの楽曲を真心を込めて制作することで知られているが、それはこのフォークロック、カントリー・ロックを基調とするアルバムを聞けば明らかである。

 

「Sunny Skies」

 

 

・America


 

1970年代にビックヒットを飛ばしたアメリカは、フォーク・ロックのハーモニーとカントリー・ロックのツワモノを、ポップ・ソングライティングの優れた才能で濾過し、不朽のトップ40チューンを次々と生み出した。皮肉なことに、アメリカン・ポップのサブセットを定義するようになったバンドはイギリスで始まった。

 

デューイ・バンネル、ジェリー・ベックリー、ダン・ピークは空軍の子供で、1970年にロンドンで出会い、一緒にバンド活動を始めた。1972年のデビュー・シングル「A Horse With No Name」で大成功を収めた後、3人はロサンゼルスに移り住み、「Ventura Highway」、「Tin Man」、「Sister Golden Hair」などの名曲を連発し、当時の爽やかな西海岸ポップ・サウンドを体現しながら、アメリカのチャートを席巻した。ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンは数枚のアルバムで彼らのポップ・マジックを生み出す手助けをした。10年代後半の頃には状況は冷え込んだものの、1982年の『You Can Do Magic』でアメリカ(ピークを除く)は復活を遂げた。

 

 

『A Horse With No Name』 Warner  1972


この1971年のフォーク・ロックの名作『名前のない馬』をトリオがレコーディングしたとき、海外にいる空軍出身の3人のうち2人はまだティーンエイジャーにすぎなかった。緊密なヴォーカル・ハーモニー、親密なプロダクション、インスパイアされたメロディーが、映画のような「A Horse with No Name」、キャッチーでチープな「I Need You」を特徴づけている。Here 「では実存的な問いかけの中で洒落たギター・ソロが聴けるし、ダン・ピークの 」Donkey Jaw "は、彼のクリスチャン・ロックでのキャリアとアメリカのエレクトリックな作品を予感させる。

 

 ウェスト・コーストロックのカントリー・ロックの側面を巧みに押し出した作品で、イーグルスの最初期の作風にも近い。考えようによっては、90年代始めのR.E.Mのカレッジロックの先駆的な作品とも考えられる。戦争という複雑な時代に生きながらも、牧歌的なスピリットを持つことにこの作品の意義がある。もちろん、その中にはディランの代表作のような青春味が滲む。

 

 

「Riverside」 

 

 

・ Janis Joplin



ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin、本名 Janis Lyn Joplin、1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、アメリカのロックシンガー。魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。また死してなおロックの歴史を代表する女性シンガーとして現在に至るまで人気を博している。

 

ジャニス・ジョプリンは、テキサス州ポート・アーサーに生まれた。父セス・ジョプリンはテキサコに勤める労働者。家族は両親とマイケル、ローラの三人兄妹であった。ジョプリンは小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聞いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加している。1960年にポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業し、テキサス大学オースティン校に入学した。高校では他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聞かされたのを契機にブルースやフォーク・ミュージックにのめり込むようになった。

 

大学をドロップアウトしたジョプリンは、1963年にテキサスを離れて、サンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。覚醒剤やヘロインの他にアルコールも大量に摂取していた。彼女のお気に入りの銘柄は「サザン・コンフォート」であった。当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンの外的なイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の姉妹が著わした手記『Love, Janis』には彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。


ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成した。ブラス・セクションを加えた、よりソウル・ミュージックを意識した編成である。1969年に『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』をリリースして、ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドもほどなく解散した。この後ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『Pearl』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。このアルバムからはクリス・クリストファーソンのカバー曲「Me and Bobby McGee」と、ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された「Mercedes-Benz」がヒットを記録している。

 

 

『Pearl』 Sony Music  1971



ジョップリンはジャック・ケルアックに象徴されるビートニクの世代に属し、女性ロックシンガーとしては伝説的な存在である。ヘンドリックスと同じように彼女が27歳で死去し、27クラブの仲間入りを果たしたのは、ある側面では、ビートニクの暗い時代を反映させた象徴とも言える。その音楽は対象的に溌剌としたロックで、そういった負の一面をまったく感じさせない。歌唱力については、ブラック・ミュージックの象徴的な歌手にも引けを取らない。ソウルフルな歌唱で、ウェスト・コーストロックの象徴的なアルバムをジョップリンは残すことになった。

 

ジャニス・ジョプリンが70年代初頭に『Pearl』のセッション中に亡くなったとき、「Buried Alive in the Blues」にはヴォーカルが入らなかった。シンガーソングライターの失われた人生の悲劇は、自分自身の中に新たな力を感じていたアーティストの不在によって倍加された。新しいフル・ティルト・ブギー・バンドのおかげで、チープ・スリルのサイケデリック・ブルースよりもコントロールされていたが、それでも『パール』にはジョプリンを偉大にした何かがあふれていた。たとえ彼女が生きていたとしても、エレガントな 「Me and Bobby McGee 」やハワード・テイトの賢明なソウル・バラード 「Get It While You Can 」のカヴァーは、大きな感情的共鳴をもたらしただろう。彼女がいなければ、冗談のようなアカペラの 「Mercedes Benz 」でさえ胸に刺さっただろう。このアルバムを聴くとわかるように、「パール」はあまりにも偉大である。

 

 

「Get It While You Can」

 

 

・Joni Mitchell 



シンガー・ソングライター時代のパイオニア的存在であるジョニ・ミッチェルは、より大きく、より曖昧で、しかし外の世界と同じくらいリアルに感じられる内的世界を描き、人間関係や自己探求を、彼女以前には考えられなかった率直さ、ユーモア、知恵で表現した。カナダ生まれのミッチェル(1943年、ロバータ・ジョーン・アンダーソン生まれ)は、60年代半ばにアメリカに進出し、ジュディ・コリンズやトム・ラッシュといったアーティストにカバーされた後、ロサンゼルスのローレル・キャニオンに落ち着いた。

 

60年代後半、反体制的なフォーク・シーンでソロ・キャリアをスタートさせたにもかかわらず、彼女はカウンターカルチャーに対して懐疑的な態度をとり、ジャズへの進出(チャールズ・ミンガスやジャコ・パストリアスとのコラボレーションを含む)、詩や絵画への時折の隠遁など、アイコノクラスムとミューズへのこだわりを何十年も持ち続けた。(私はいつも、自分自身を状況によって脱線した画家だと考えてきた」と彼女はかつて語っている)。

 

2015年の脳動脈瘤でミッチェルは身体的に衰弱し、集中的なリハビリを必要とした。2022年のニューポート・フォーク・フェスティバルで公の場に復帰し、翌年にはワシントンで初のフル・コンサートを行った。2024年のグラミー賞での初パフォーマンスは、彼女の遺産を思い出させた。フォーク、ポップス、ジャズの間を自由に行き来しつつも、それを誇示することなく、彼女のたゆたうような歌声とアドバイス、そして鋭く、時に辛辣なウィットを並置している。 

 

 

『Blue』 1971  Warner


最近のリスナーにとって、ジョニ・ミッチェルはジャズ系のシンガーとして認知されているかもしれないが、当初はフォーク・ロックの音楽性が魅力だった。もし、ミッチェルの音楽の素晴らしさを知りたいのなら、彼女の4枚目のアルバム『Blue』(1971年)をおすすめしておきたい。このシンガーソングライターの歌の繊細さと美しさを体験するのに最適な名盤である。まるで個人的な日記を綴るように、ささやかで、温和なフォーク・ミュージックが繰り広げられる。

 

2曲目に収録されている「My Old Man」では、シンガー・ソングライターはピアノを弾きながら、憂鬱な気分を抑えてくれる「公園で歌う人」「暗闇で踊る人」と分かち合った人生への晴れやかな賛歌を歌う。彼女は、強い二人の絆を自慢し、ミュージシャンが彼に贈る最高の賛辞を添えている。そして、「My Old Man」のブリッジでは、ミッチェルの温かい愛情の中に、冷ややかな無調の変化が現れることに注目しておきたい。 


「しかし、彼がいなくなると、私と孤独なブルースは衝突する/ベッドは大きすぎるし、フライパンは広すぎる」
 

傑作『Blue』にはこのようなミラクルな瞬間があふれている。ミッチェルが永遠のものにした、他愛のないスナップショットだ。恋人が去っていくとき、彼女は寂しいと言うだけでは十分ではない。彼女の痛みは、彼がベッドシーツのもつれの中に残していく空間と、2人ではなく1人の朝食を作るスキレットに感じられる、直感的なものである。ミッチェルが『Blue』を書いたとき、彼女は初期のサスカチュワンのステージやトロントのフォーク・シーンから遠ざかって久しかった。その後、3枚のアルバムを発表しキャリアを深めた彼女は、そのソングライティングと雲をつかむように抽象的な歌唱力で、世界的な人気を築こうとしていた。1971年のことであった。



「Little Green」

 

 

・Neil Young 



ニール・ヤングNeil Young, 1945年11月12日 - )は、カナダ・トロント出身のシンガーソングライター。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍。1969年にソロデビューし、1995年にはロックの殿堂入りを果たした。

 

「ウッドストック」世代の1人として、アメリカ国内の保守化や右傾化に対して「異議申し立て」の姿勢を貫いている。1990年の湾岸戦争の際には、コンサート会場でボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌い、また2001年の「9月11日事件」直後に、放送が自粛されていたジョン・レノンの「イマジン」を歌った。イラク戦争後は、ブッシュ政権打倒の姿勢を鮮明にしている。

 

同世代のミュージシャンから後進の若いミュージシャンたちまで交友範囲は広い。ただ、それだけに、音楽界での悲劇的な死の多くを見つめ続けてきた。また、ニルヴァーナのカート・コバーンの自殺にも深く心を痛めた(コバーンの遺書には、ニールの歌詞の一節が引用されていた)。

 

ソロ活動で行動を共にすることが多いのが、クレイジー・ホース(Crazy Horse)。もともとは6人編成のバンドだったザ・ロケッツから、ダニー・ウィットン(ギター)、ラルフ・モリーナ(ドラムス)、ビリー・タルボット(ベース)の3人がニールに見初められ、彼のバックバンドとしてクレイジー・ホースが結成された。しかし、1972年12月、ギタリストのダニーが死亡したため(ヘロイン中毒による)、新メンバーとしてギタリストのフランク・サンペドロが加入した(なお、ニールとの活動とは別に、クレイジー・ホースとしてのアルバムも発表している)。

 

しかし、このクレイジー・ホースとともに作り出す、ハードで豪快なロック・サウンドが、ニール・ヤングのすべてではない。時として、サポートメンバーを入れ替え、フォーク、カントリー、ロカビリー、テクノ、グランジ等、発表作品ごとに作風が変化する。一芸に安住せず、巷の評価に拘泥することなく、新しいものに挑戦し続ける姿勢こそ、ニールの真骨頂である。新作発表が伝えられるたび、「次はどんな作品になるのか」と期待してしまうファンも少なくない。

 

ボーカルも個性的で、その鼻にかかったような印象のハイトーンの声は、バラードには無垢な繊細さ、ハードなロック・ナンバーには悲痛な表情を与えている。 ギタープレイに関してはいわゆる「ヘタウマ」という評価があるが、過剰に歪ませた爆音サウンドを引き出す激情的なプレイはオンリー・ワンと言うべきで、根強い人気がある。 無骨かつ繊細なアコースティック・ギターのプレイも人気が高い。

 
1945年にトロントで生まれた彼は、60年代半ばにロサンゼルスに移り住み、1970年の『After the Gold Rush』や1975年の『Tonight's the Night』のような内省的なソロ・アルバムからクレイジー・ホースとのグループ活動まで、彼の音楽はポスト・ビートルズのロックンロール・サウンドを定義するのに貢献した。カントリー、グランジ、フォーク、ノイズ......、ヤングがこれほど多くの音楽的系譜に馴染むとすれば、それは彼があまりに多くの領域を確かな信念でカバーしてきたからに他ならない。伝記作家のジミー・マクドナーが、ヤングに「宇宙へ行きたいと思うか」と訊ねた時、ヤングは「自分がずっと宇宙へ行くと分かっている時だけそうする」と答えた。

 

 
『Harvest』Reprise 1972

 

グラハム・ナッシュは、1971年に北カリフォルニアの牧場にニール・ヤングを訪ねたときの話をしたことがあった。ヤングがナッシュに何か聴きたいと言うと、ナッシュはいいよと答えた。

 

ヤングはナッシュを湖へと案内し、2人は手漕ぎボートに乗って漕ぎ始めた。ナッシュは、ヤングは彼にとって謎の存在だったので、湖の真ん中まで漕ぎ出して会話をするのは理にかなっていると言った。ヤングは自宅と隣接する納屋に巨大なスピーカーを設置していたことがわかり、2人は水上に座って『Harvest』を聴いた。



このアルバムはヤングに最大の商業的成功をもたらし、「Heart of Gold」は70年代フォーク・ロックの色あせた美しさを決定づけた曲で、ヤングの唯一のNo.1シングルとなる。しかし、その乏しさと内省感は、1960年代後半の市民意識から離れ、エリオット・スミスのようなインディーズ・アーティストやニルヴァーナの『Unplugged』のようなアルバムの基盤としても機能した。

 

「ハート・オブ・ゴールド」と「オールド・マン」のバック・ボーカルを務めたリンダ・ロンシュタット(同じくウエストコーストの代表格)は、ニール・ヤングをスケッチ・アーティストと評した。もちろん、手漕ぎボートの中で聴く必要はないが、ヤングがなぜそうしたかったのかは理解できるだろう。『ハーベスト』は、シンプルであり続けるというファンタジーについて歌っているだけでなく、ひとりで、あるいは少なくとも岸から離れ、シンプルであり続けるというファンタジーについて歌っている。だから、彼が失った友人を悲しむ場所を与えるというわけなのである。

 

フォーク、カントリーの重要なアイコンであるが、このアルバムを聴くと、あらためてヤングのソングライティングの凄さが際立っているのが分かる。「A Man Needs a Maid」はオーケストラの演奏をフィーチャーした長大なスケールを持つ後の時代を先駆ける名曲であり、ウェストコーストロックにとどまらず、70年代を代表する素晴らしいポピュラー・ソングの一つである。

 

 

「A Man Needs a Maid」