米国の伝説的なレコード・プロデューサー、作曲家、マルチ・インストゥルメンタリストであり、現代音楽への貢献は70年以上に及び、ジャズ、ポップス、ヒップホップなど様々なジャンルに及んだクインシー・ジョーンズが91歳で亡くなった。1980年代のアーバンコンテンポラリーをリードしただけではなく、ポピュラーミュージックに大きな影響を与えた偉大なミュージシャン。


クインシー・ジョーンズの家族は声明の中で次のように訃報を明らかにした。「今夜、私たちの父であり兄であるクインシー・ジョーンズの訃報に接し、胸が張り裂けそうになりました。そして、これは私たち家族にとって信じられないような損失ですが、私たちは彼が生きた偉大な人生を祝福し、彼のような人は二度と現れないことを知っています」


ジョーンズは音楽業界で最も称賛されたアイコンの一人であり、3度の年間最優秀プロデューサー賞、2度の年間最優秀アルバム賞と年間最優秀楽曲賞を含む、グラミー賞の最多ノミネート80回、受賞28回を記録した。最近の受賞は2019年で、娘のラシダ・ジョーンズが脚本と共同監督を務めた半自伝的ドキュメンタリー『クインシー』が最優秀音楽映画賞を受賞した。


プロデューサー、アレンジャーとして、ジョーンズは20世紀で最も決定的なレコードのいくつかを手がけた。1982年のマイケル・ジャクソンの大ヒット作『Thriller』をプロデュースし、このアルバムは今でも史上最高の売り上げを記録している。


ディジー・ガレスピー、アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、ルーファス&チャカ・カーン、アル・ジャロウなど、各時代のトップ・タレントとコラボレートし、レスリー・ゴアの "It's My Party"、フランク・シナトラの "Fly Me to the Moon (In Other Words)"、ブラザーズ・ジョンソンの "Strawberry Letter 23 "など、ジャンルを超えたヒット・シングルの指揮も執った。


クインシー・ディライト・ジョーンズ・ジュニアは1933年3月14日、イリノイ州シカゴ生まれ。幼い頃からピアノを習い始め、家族でシアトルに引っ越してからトランペットを始める。ジャズ・バンドのリーダー、ライオネル・ハンプトンのツアーに参加するため、ボストンのバークリー音楽大学を1年で中退し、その後ニューヨークに移り、レイ・チャールズ、サラ・ヴォーン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルドなどのフリーのアレンジャーとなった。


1956年に最初のアルバム『This Is How I Feel About Jazz』をリリースしたが、1962年の『Big Band Bossa Nova』や1971年の『Smackwater Jack』など、立て続けにリリースしたアルバムで知名度を高めた。ソロでは、1973年の『You've Got It Bad Girl』、1974年の『Body Heat』、1981年の『The Dude』で、ジャズやビッグバンド・ミュージック以外のジャンルをさらに探求した。1989年の大作『バック・オン・ザ・ブロック』は、急成長中のヒップホップ・スタイルを含む、広範な感性のすべてを融合させたもので、アルバム・オブ・ザ・イヤーを含むグラミー賞7部門を受賞した。


1985年、ジョーンズはスティーヴィー・ワンダー、ティナ・ターナー、ボブ・ディラン、ポール・サイモンら一流のミュージシャンを集め、非営利団体USA for Africaのためにシングル「We Are the World」をレコーディングした。ジャクソンとライオネル・リッチーが書いたこの曲は、アフリカの人道的救済のために7500万ドルの寄付金を集め、年間最優秀楽曲賞と年間最優秀レコード賞を含む3つのグラミー賞を受賞した。ジョーンズは45人以上のミュージシャンとのレコーディング・セッションを指揮し、入り口にこんな警告を掲げた:「エゴは入り口でチェックしてください。


ジョーンズはエンターテインメント業界においても画期的な存在で、1967年の『バニング』の「愛の瞳」で、アフリカ系アメリカ人として初めてアカデミー賞のオリジナル楽曲賞にノミネートされた。映画音楽の作曲家としては、『イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト』、『イタリアン・ジョブ』、『カラーパープル』で印象的なスコアを書き、シドニー・ルメット監督の1978年のミュージカル『ウィズ』では音楽監督を務めた。テレビ界では、『サンフォード&サン』や『アイアンサイド』の忘れがたいテーマ曲を手がけ、後に自身の制作会社クインシー・ジョーンズ・エンターテインメントを率いて『ベルエアのフレッシュ・プリンス』や『マッドTV』を制作した。


多くの称賛の中で、ジョーンズは1992年にグラミー・レジェンド賞、2001年にジョン・F・ケネディ・センター名誉賞、2011年にバラク・オバマ大統領から国民芸術勲章を授与され、2013年にはアーメット・エルテガン賞の受賞者としてロックの殿堂入りを果たした。2016年にはトニー賞を受賞した舞台『カラーパープル』のプロデューサーとしてEGOTの地位を獲得した。数々のグラミー賞受賞に加え、ジョーンズは1977年に『ルーツ』でエミー賞の優秀作曲賞を受賞し、1994年にはアカデミー賞のジーン・ハーショルト・ヒューマニタリアン賞を受賞した。


◾️【ESSENCIAL GUIDE】 R&B / BLACK CONTEMPORARY  ブラック・コンテンポラリーの最重要作とアーティスト

Interview- Passepartout Duo 



 

~  Music exists as a communicator of ideas outside of language~(音楽は言語外にあるアイデアの伝達者として存在する)  - Passepartout Duo(Nicoletta Favari)



Passepartout Duoは、ニコレッタ・ファヴァリ(イタリア)とクリストファー・サルヴィト(イタリア/アメリカ)により結成され、エレクトロ・アコースティックのテクスチャーと変幻自在のリズムから厳選されたパレットを作り上げる。2015年から世界中を旅しながら「スローミュージック」と呼ぶ創造的な楽曲を発表している。環境音楽から実験音楽まで幅広いですが、共通するのは、デュオの音楽は従来の系譜に属するものではなく、未知の体験に溢れていることです。

 

著名なアーティスト・レジデンスのゲストや文化スペースでのライブ・パフォーマンスなど、カテゴライズされる事なく活動を続ける。ウォーターミル・センター(米国)、スウォッチ・アート・ピース・ホテル(中国)、ロジャース・アート・ロフト(米国)、外国芸術家大使館(スイス)など、世界各地で多数のアーティスト・レジデンスの機会を得た。また、2023 年には「中之条ビエンナーレ」に参加、同年4月には「Daisy Holiday! 細野晴臣」に出演。2024 年には”ゆいぽーと”のアーティスト・イン・レジデンスとして来日し、東北・北海道を訪れています。

 

Passepartout Duoは、2020年のグラミー賞の最優秀ヒストリカルアルバム部門にノミネートされた『KANKYO ONGAKU』にも参加しています。2024年の夏にリリースされたイノヤマランドとのコラボレーション・アルバム『Radio Yugawara』に続き、ニューアルバム『Arogot』を11月29日にリリースする。本作は、ストックホルムのレジデンス開催中に考案され、モジュラーシンセのBuchla、Sergeとの出会いを通じて制作された。今回、デュオのメンバーでピアニスト、楽器の開発者でもあるニコレッタ・ファヴァーリに話を聞いた。

 


ーー前作『Radio Yugawara』が環境音楽を中心に構成されていたのに対し、『Argot』の作風は大きく異なります。アルバムでは、アコースティック・ピアノとアナログ・シンセによる前衛的なライブ・セッションを聴くことができました。このアルバムの制作のインスピレーションと全体的な構想について教えていただけますか?

 

Passepartout Duo(Nicoletta Favari):  私たちの活動は非常に雑食的であることを目指しているので、私たちの異なるプロジェクトが異なるスコープに分類されることは、それほど驚くことではありません。『Argot』は一種のサウンド・リサーチであり、私たちが数年間追求し、培ってきたもので、非常に原始的で高品質なサウンド・レコーディングにも努めている。


このアルバムは、『エピグラム』というタイトルの前作EPにつながるもので、ユニークなアナログ・シンセサイザーと、私たちが演奏するアコースティック楽器、アコースティック・ピアノやパーカッションを組み合わせるというアイデアなんだ。


このアルバムでは、特定の''Buchla''や''Serge''のシンセサイザーを初めて使う機会があったので、マシンのロジックやどのような音を作ることができるのかについて多くを学ぶことができた。そのおかげで、ピアノのための作曲の新しい可能性を想像するようにもなった。『ラジオ湯河原』では、イノヤマランドとの初めてのコラボレーションで何が可能かを想像していたし、他方『アルゴット』では、シンセサイザーとピアノの組み合わせで何が可能かを想像している。



ーーBuchlaやSergeなどのシンセサイザーはどのような機材ですか?普通のモジュラー・シンセサイザーとの違いはありますか?  大まかに教えてください。


Passepartout Duo(Nicoletta Favari): 現在のシンセサイザーは、何百という先代のシンセサイザーを参考にして、インターフェースや素材、機能性を決定することができますが、BuchlaやSergeにはそのような余裕はありませんでした。これらのモデルが作られた60年代や70年代には、純粋なエレクトロニック・ミュージックを作ることは可能でしたが、ミュージシャンにとって理にかなったアプローチを作るには時間と労力が必要でした。古いBuchlaやSergeのシステムで興味深いのは、これらの新しい疑問のすべてに答えようとする非常にユニークな試みだということだ。


これらのシステムは大部分がアナログであるため、非常に特殊な特性と不安定性を持っており、それが私たちの音の扱いや機械との共同作業のプロセスにとって非常に重要なのです。システムには(Buchlaタイム・ドメイン・プロセッサーのような)デジタルの要素もありますが、同様にテクノロジーの初期バージョンを探求しているため、興味深いアーティファクト(人工物)があります。



ーーレコーディングではインプロヴァイゼーション(即興性)が強調されているように感じました。どのようなサウンドを目指したのでしょうか? また、制作の中で最もエキサイティングな瞬間を挙げるとしたらそれはどんな瞬間にありましたか?


Passepartout Duo: 私たちは主に、シンセサイザーと一緒に作曲することで、シンセサイザーをそのプロセスにおけるもう1つの能動的なエージェント(代理)として扱い、独自の決定を下していくことをアルバムのプロセスとして考えていました。


これはマシンとのインタビュー(対話)のようなもので、パッチ(データやモジュール)を設定し、音符のセットを確立することで、いくつかの質問を投げかけます。マシンは、私たちが完全に予測できず、時には理解できないような答えを返してくる。これによって、レコーディング時に私たちが反応する会話が生まれ、すべての音響パートは、そうした音楽的会話から派生したものなのです。


実は、ピアノ・パートは、シンセサイザー・パートからトランスクリプション(曲ないしは音を譜面に起こすこと(記譜のこと)によって抽出されたコンポジションです。私たちは、シンセサイザーの音の最もメロディアスでハーモニックな要素を際立たせるため、主にユニゾンのテクスチャーに焦点を当てたいと思い、聴こえたものをできるだけ正確に記譜し、また、興味深い予測不可能な結果を生み出すことができるトランスクリプション・ソフトウェアも活用しました。


この2番目のステップによって、私たちの耳は、次に録音するアコースティック楽器のパートで、より精巧にしたり、より装飾的にしたりするような、作品のさまざまな方向性を聴き取ることができました。さらにフルート、コントラバス、弦楽四重奏など、ゲスト・ミュージシャンがさまざまなトラックに参加したことで、即興の世界がより鮮明になりました!  


まず第一に、私たちは彼ら全員を素晴らしいミュージシャンと見ていますので、完全な信頼を置いて決断しました。そして第二に、これらのトラックがまったく新しい次元で生き返ったのを聴くのは本当に信じられないことでした。


ーーこのアルバムでは、日本人の打楽器奏者の住吉さんが和笛を吹いています。彼をコラボレーターに選んだ理由はなぜでしょうか?


Passepartout Duo: 今年の初め、私たちはアーティスト・イン・レジデンスとして新潟で数カ月を過ごしました。思いつきの旅行で佐渡の鼓童村を訪ねたのですが、裕太はとても素晴らしいホストとして私たちを迎え入れてくれました。


彼はまた、自身の0onプロジェクトや、音楽レーベル、自身の音楽、そしてレコーディングのセットアップについて少しだけ話してくれた。

 

その後すぐに、新潟での小さなライブ・セットで即興演奏をする機会があったのですが、裕太がいかに簡単にプロジェクトに飛び込み、彼自身のユニークな声をシームレスに織り交ぜることができるのかと、信じられませんでした。ですから、私たちは、一緒に仕事をする機会を与えてくれたことに感謝していますし、このような寛大な心の持ち主に出会えたことに感謝しています。


『Argot』のためにコラボレーターに声をかけることを決めたとき、私たちはフルートが興味深いレイヤーを加えてくれるだろうとも考えました。フルートのフレージングは言語と同じように、呼吸(ブレス)の持続時間と強く結びついているからです。


ーーお二人は以前、細野晴臣さんのラジオ番組に出演されたことがあり、最後のアルバムは湯河原の温泉地でレコーディングされたそうですね。日本との関係はどのように始まりましたか? また、日本文化のどこに魅力を感じますか?


Passepartout Duo:  日本的な文化が好きな友人が、文学やさまざまな証言を通して彼女が心に描いてきた日本が、現実には存在しないことに気づくだろうから、日本には絶対に行きたくないな、と言ったことがありました。


たまたまクリスと私はここ数年のあいだ、何度も日本を旅行する機会があったけれど、その度に私たちの日本への想像は現実と出会い、そして離れている間に独自の成長を遂げ、再び現実に引き戻されたような気がしました。それはある種、興味深いダイナミックな関係を意味します。


ーー思っていたのと違った箇所もあったけれど、実体験によって、より深い理解を得たということですね。日本文化に対する見方について具体的に、どのようなときに予想外だと感じましたか?

に対する見方について。具体的に、どのようなときに「思ってい

Passepartout Duo: 地理的に日本のさまざまな地域を訪れることができ、その違いを感じることができたと思います。青森から佐渡まで、東京から京都まで、長野から徳島まで、地域によってリズムが違ったり、季節によって生活の意味合いが違ったりするのは、いつも驚きましたし新鮮でした。


ーーPassepartout Duoの音楽性を「スロー・ミュージック」と表現していますね。この音楽は「くつろげる、ゆったりとした音楽」と定義されるのでしょうか? この考えを「Argot」にも当てはめることはできますか?


Passepartout Duo:  私たちが "スロー・ミュージック "と言う場合、一般的には、構想や楽器の設計から最終的な音楽の完成に至るまで、多くの時間を要する段階からなるプロセスとしての音楽制作に対する私たちの全般的なアプローチを指しています。


実際、私たちが音楽制作をコントロールする上で、一方ではかなり具体的であるとしても、他方では、人々が私たちの音楽を聴くときの心の状態について、本当に予測することはありません。Argotでは、いくつかの曲を聴いた後の感情の状態をどう表現したらいいのか本当にわからない。私たちが音楽を聴くとき、特に興味があるのは、音楽を理解することと理解しないことの間の押し引き(境界線)なのかもしれない。私たちの考えでは、音楽は言語の外にあるアイデアの伝達者として存在し、楽曲の目的、反応、感覚を表現するのに通常の言語では不十分と感じています。しかし、私たちの側からアルゴについて確実に言えることは、「妥協のない音楽」ということです。


Argotは私たちが話していた「スローミュージック」のプロセスに入るのでしょうか?というのも、このプロジェクトは、私たちが新しい楽器を発明したり、作ったりする必要がなかったからです。また、ライブ・パフォーマンスという形式をとっていないため、聴く人それぞれが、どこでどのように聴くかによって、自分自身のリスニング体験を作り上げることになるからです。


ーーさて、お二人は頻繁に世界中を旅していらっしゃるようですね。旅先で出会った人々や文化、風景は、あなたの作品に影響を与えていますか? 旅の素晴らしさや醍醐味について教えてくださいますか。


Passepartout Duo:  私たちはこの7年間、旅を続けていますが、本当に幸運なことだと思います。この旅はまず私たちを人間として変化させましたし、そうして音楽にも浸透させている。作品を発表するために呼ばれる場所や状況が絶えず移り変わるので、私たちは常に練習方法を見直したり、新しく発見した音楽のテクニックや楽器の素材、リズムやアイデアに触発されることがよくあります。私たちは行く先々で、素晴らしいアーティストやミュージシャンに出会うだけでなく、美しいコミュニティやアーティスト・スペースの運営方法にも出会うこともある。


『Argot』に関しては、この微妙なプロセスを如実に表しています。というのも、もともとオーストリアのレジデンスでのブクラ・シンセサイザーとの出会いに触発され、スウェーデン、フランス、アメリカでのレジデンスのおかげで実現したものだし、中国や日本での旅からのインスピレーションも含まれています。もっと多くの人が旅行や旅をする機会を持てば、社会はもっと良くなると私たちは心から思っています!


ーーArgotは音楽として聴くことも、芸術作品として解釈することもできます。このアルバムに接した人たちに、どのような面白さを感じてほしいですか?


『Argot』のリスナーが、エレクトロニック・ミュージックとアコースティック・ピアノの両方に対する新しい考え方を発見できるような、新鮮なアルバムだと感じてくれることを願っています。


ーーPassepartout Duoの今後について教えてください。また、あなたにとって最も理想的な音楽と芸術の形は何ですか?


新しい旅の計画は続けていますし、新しいライブセットも現在開発中です。数ヶ月後には、ベルリンのKOMA Elektronik社と共同で製作・販売を開始した楽器、''Chromaplane''が多くの人の手元に届き、使われ始めるでしょう。自然はおそらく私たちにとって最もパワフルな音楽で芸術でもあるのです!

 

『Argot』に関するリリース情報はこちらからご覧ください。



【Episode In English】

 

The Passepartout Duo, formed by Nicoletta Favari (Italy) and Christopher Salvito (Italy/USA), create a carefully selected palette of electro-acoustic textures and mutable rhythms. Since 2015, the group has been traveling the world, presenting creative compositions they call “slow music”. The music ranges from environmental to experimental, but the common thread is that the duo's music is not part of a traditional musical lineage, but rather an experience of the unknown.


They continue to work without categorization as guests of prominent artist residencies and live performances in cultural spaces. He has had numerous artist residency opportunities around the world, including the Watermill Center (USA), Swatch Art Peace Hotel (China), Rogers Art Loft (USA), and Embassy of Foreign Artists (Switzerland). In 2023, they participated in the Nakanojo Biennale, and in April of the same year, they performed in “Daisy Holiday! Haruomi Hosono”. In 2024, they came to Japan as artists-in-residence for “Yui Port”, visiting Tohoku and Hokkaido.


The Passepartout Duo also performed on “KANKYO ONGAKU,” nominated for a 2020 Grammy Award in the Best Historical Album category, and released a collaborative album with Inoyama Land, “Radio Yugawara,” in the summer of 2024. Following this, he will release his new album “Argot” on November 29. 

 

This work was conceived during a residency in Stockholm, and was created through an encounter with modular synths "Buchla" and "Serge". We contacted with Nicoletta Favari, a member of the duo, pianist, and instruments developer.


--While the previous album "Radio Yugawara" was composed mainly of environmental music, the style of "Argot" is very different. On the album, we can hear an avant-garde live session of acoustic piano and analog synths. Can you tell us about the inspiration and general conception of the production of this album?

 

Passepartout Duo: Our practice aims to be quite omnivorous, so it is not really a surprise for us that our different projects fall into different scopes. Argot is a sort of sound research, something that we have been seeking and cultivating for a couple of years, and where we strive for very pristine and high quality sound recording too. It reconnects to our previous EP titled Epigrams, and the idea is to couple very unique analog synthesizers with the acoustic instruments we play, acoustic piano and percussion. 


In this album, we had the opportunity to use some specific Buchla and Serge synthesizers for the first time, and so we learned a lot about the logic of the machine and the kind of sound it can create. Because of this, we also started imagining new possibilities for writing for piano. Maybe what is in common between all of our work at a very basic level, is the understanding of music as the magic materialization of a possibility: in Radio Yugawara we were imagining what would be possible in a first time collaboration with Inoyama Land, and in Argot we are imagining what is possible pairing synthesizers and piano.


ーーWhat kind of equipment are synthesizers such as Buchla and Serge? Are there any differences between them and ordinary modular synthesizers?  Could you give us a general idea?


Passepartout Duo: When a synthesizer is made today, we can pull from its hundreds of predecessors to make decisions about the interface, materials, and functionality, but Buchla and Serge did not have this luxury. When a technology is new, there are no answers yet, just many questions - in the 60s and 70s when these models were made, it was possible to create pure electronic music, but creating an approach that made sense for musicians took time and effort, and so conventions were developed slowly. What is interesting about the older Buchla and Serge systems is that they are very unique attempts to answer all of these new questions.


Because the systems are largely analog, they have a very special character and instability that is very important to our treatment of the sound, and the process of collaborating with the machine. There are some digital elements to the systems (like the Buchla Time Domain Processor), but because they are similarly exploring early versions of the technology, they have interesting artifacts too.


--It seemed to me that improvisation was emphasized in the recording. What kind of sound did you aim for in this production? And if you had to name the most exciting moment in the production?


Passepartout Duo:  We mainly saw the process of the album as composing together with the synthesizer, treating the synthesizer as another active agent in the process contributing its own decisions. It was a sort of interview with the machine, where we pose some questions by setting up a patch and establishing a set of notes. The machine generates some answers back, answers that we cannot fully predict and sometimes cannot understand, even if they make sense based on the question asked. This creates a conversation that we’re reacting to when recording, and all the acoustic parts are derived from those musical conversations.


The piano parts are compositions that are extracted from the synthesizer part through transcription. We wanted to focus on primarily unison textures to highlight the most melodic and harmonic elements of the synthesizers’ sounds, notating out what we heard as accurately as we could, also making use of some transcription software that can produce interesting and unpredictable results. This second step helped our ears hear different directions the pieces could go, that we would elaborate or embellish in the acoustic instrument parts that were recorded next.


The contributions that guest musicians gave to different tracks on flutes, double bass, and string quartet live more clearly in the world of improvisation, and this was possibly the most exciting moment of the production for us! First of all, it was a step that we took with complete trust, because we see all of them as incredible musicians; and secondly, it was just incredible to hear these tracks come alive again in a completely new dimension: something that we thought we knew so well, was now sounding like we could have never imagined on our own, and this was really magical!


--On this album, Sumiyoshi-san, a Japanese drummer, plays the Japanese flute. What made you choose him as your collaborator?


Passepartout Duo:  Earlier this year we spent a couple of months as artists in residence in Niigata, and we were so lucky to meet a bunch of wonderful people involved with music. On a spontaneous trip we were taken to visit Kodo on Sado Island and Yuta hosted us as such a wonderful host. He also shared with us a bit about his 0on project, his music label, his own music, and his recording setup. 


Soon after, we had the chance to improvise during a small live set in Niigata, and it was so incredible how easily Yuta could jump into a project and seamlessly weave in his own unique voice. So we are very grateful for the chance to work together, and thankful for meeting such a generous soul! When we were deciding to reach out to collaborators for Argot, we also thought that these flutes would add an interesting layer because their phrasing is, like language, strongly connected to the duration of the breath.


--The two of you have appeared on Haruomi Hosono's radio program before, and your last album was recorded in the hot spring resort of Yugawara. How did your relationship with Japan begin? Also, what do you find favorable about Japanese culture?


Passepartout Duo:  A friend who is very fond of everything that is Japanese once told me that she would never want to visit Japan, because she would realize that the Japan she had cultivated in her mind through literature and different accounts does not exist in real life. 


It happened that Chris and I had many opportunities to travel back to Japan in the last few years, and I feel like every time our imagination of Japan meets reality and then has some time to grow on its own when we are away, and then back to reality again. That is a sort of interesting dynamic relationship.


--So you have gained a deeper understanding. Specifically, when did you find your view of Japanese culture unexpected?


Passepartout Duo: I think I was able to visit different parts of Japan geographically and feel the differences! From Aomori to Sado, from Tokyo to Kyoto, from Nagano to Tokushima, it was always surprising and refreshing to see the different rhythms in different regions and the different meanings of life in different seasons.


--You guys describe the musicality of Passepartout Duo as "slow music". Is this music defined as "relaxing, laid-back music that makes you feel at home"? Can we apply this idea to "Argot" as well?


Passepartout Duo:  When we speak of “slow music” we generally refer to our overall approach to music making as a process, made of many time-consuming phases from conception and instrument design to final fruition of the music. In fact, if from one side we are quite specific in the control that we have over the production of the music, on the other side we really don’t have predictions about the state of mind that people should have when listening to our music. 


And especially with Argot, we are really not sure how to describe the emotive state after we listen to some of the tracks. Maybe what we are particularly interested in when we listen to music is this push and pull between understanding and not understanding the music, so that in fact the act of listening is expanding our own understanding. In our view, music exists as a communicator of ideas outside of language, and we don’t feel language is normally sufficient to describe the purpose, response, and feeling of a piece. But from our side, what we can certainly tell about Argot is that it is music of no compromises.


Now, does Argot fall in the process of “slow music” that we were talking about? I think only partially, because this project did not require us to invent and build new musical instruments, and also because it does not really exist in the format of a live performance, so every listener will be curating their own listening experience depending on how and where they are listening to it.


--It seems that you two often travel around the world. Do the people, cultures, and sights you encounter on your travels have any influence on your work? Can you tell us about the beauty of travel?


Passepartout Duo:  We have been continually traveling for the past seven years, and we know we are really fortunate. This travel is first changing us as people, and in this way seeping through into the music too. Because of the shifting grounds and circumstances where we are called to present our work, we are constantly reframing our practice, and we are often inspired by newly discovered music techniques, materials for musical instruments, rhythms or ideas. 


Everywhere we go we encounter incredible artists and musicians, but also beautiful communities, and ways of running artist spaces, and the dedication of all of these people give us a lot of strength and motivation.


Argot is really a clear example of this subtle process, because it was originally inspired by our encounter with the Buchla synthesizer at a residency in Austria, it actually was made possible thanks to residencies in Sweden, France, and the US, and also includes inspiration from travels in China and Japan.


We truly think that if more people had the chance to travel or travel more often, our societies would improve!


--“Argot" can be listened to as music and interpreted as a work of art. What do you hope people who come into contact with this album will find interesting?


Passepartout Duo:  We hope that listeners of Argot will find it a refreshing album that allows them to discover new ways of thinking about both electronic music and acoustic piano, which is exactly what happened to us in the process of making it too.


--Can you tell us about the future of Passepartout Duo? Also, what is the most ideal form of music and art for you?


Passepartout Duo:  We continue to have plans for new travels, and we are developing at the moment a new live set as well, that will include some older and some newer instruments. 


In a few months many people will also start receiving and using the Chromaplane, the instrument that we have started producing and selling together with the Berlin-based company KOMA Elektronik, so we are really excited to see where that will take understanding of the instrument and of electronic music.Nature is probably the most powerful form of music and art for us!

 



 The Horrorsはニューアルバム『Nightlife』のセカンドシングル「Trial By Fire」をリリースした。ゴシック、ポストパンク、インダストリアル、ダンスロックが結びついたアンセミックなナンバーだ。


バンドはプレスリリースで、このニューシングルについて次のように語っている。「Trial By Fire」は『Night Life』の攻撃的な曲のひとつで、僕らの2つのインダストリアルEPと新作の間のギャップを埋める内容なんだ。リースはサウスエンドで孤独にデモを作り始めた。この曲は、人生につきまとう呪いについて歌っています。ホラーズにとっては、毎日がハロウィンなんだ」

 

『Nightlife』はバンドにとって8年ぶりの新作となり、ラインナップを変更した。ホラーズの最後のアルバムは2017年の『V』だが、2021年には『Lout』と『Against the Blade』のEPをリリースしている。バンドにはまだヴォーカルのファリス・バドワンとベーシストのリース・ウェブが在籍している。これら結成時のメンバーに、キーボードのアメリア・キッドとドラムのジョーダン・クック(バンドTelegram)が新たに加わった。オリジナル・メンバーのジョシュア・ヘイワードもアルバムでギターを弾いている。オリジナル・メンバーのキーボーディスト、トム・ファース(2021年にバンドを脱退)とドラマーのジョー・スパージョンは不在だ。


バドワンとウェブは、ウェブのノース・ロンドンのアパートでデモ制作を始め、レコーディングはロサンゼルスでプロデューサーのイヴ・ロスマン(Yves Tumor、Blondshell)と行った。その後、ギタリストのヘイワードとともにロンドンでアルバムが完成した。


ザ・ホラーズのニューアルバム『ナイトライフ』をフィクションから2025年3月21日にリリースされます。


「Trial By Fire」





◾️THE HORRORS(ザ・ホラーズ)がニューアルバム『NIGHTLIFE』を発表 3月21日にリリース

 

©Elizabeth De La Piedra

米国のシンガーソングライター、Bartees Strange(バーティーズ・ストレンジ)はハロウィーンに合わせて次作『Horror』からのニューシングルを発表した。ケイト・アーサーが監督したミュージックビデオは、ボルチモアのお化け屋敷で撮影された。


「これはアルバムの音のテーゼだ」とストレンジは声明の中で「Too Much」について語っている。「これが好きなら、他の曲も全部好きになると思うよ。このアルバムは、私を怖がらせるものについて歌っているんだ。そしてこの曲は、人生に圧倒される感覚について歌っている。この曲はそんな気持ちを歌っている。抱えきれないほど、触れることもできないほどにね」

 

Bartees Strangeの新作アルバム『Horror』は2025年2月14日に4ADからリリースされます。 


「Too Much」






10月30日、ロサンゼルスのインディーポップシーンのリーダー、Magdalena BayはABCテレビの番組「Jimmy Kimmel Live!」に出演した。マグダレナ・ベイは業界の人間から受けの良いデュオである。

 

ライブステージにせよ、録音にせよ、独創的でワイアードなキャラクターを演出するのが夫婦のデュオ、マグダレナ・ベイ。ステージでは、オペラ座の怪人のようなマスクを身につけることもある。

 

今回のテレビ出演では、ワイアードさに拍車がかかっている。スタジオセットの背後には鏡のプロジェクターが設置され、1つ目の妖怪や最新アルバムのイメージである回転するCDディスクが映し出され、床からはスモークが舞い上がり、幻想的な雰囲気を演出。そして、アラビアンナイト風のエキゾチックなドレスに身を包んだマイカ・テネンバウムがディスコ調のインディーポップソングを歌い始めてからしばらくすると、ステージの階段にゴジラのような巨大ヒトデが登場し、踊り始めた。果たして、ここまで手の込んだセットを作る必要があったのか!!

 

今年に入り、マグダレナ・ベイはニューアルバム『Imaginary Disc』をMOM+POPから8月23日にリリースしている。今週初めにグライムスと組んでシングル「Image」のリミックスを発表した。


 


 Ethel Cain(エセル・カイン)が、来年1月8日に発売される次回作『Perverts』のリード・シングル「Punish」をリリースした。バリトン・ギターとラップスティールのヴィヴァ・メリンコリヤをフィーチャーしたこの曲は、カインとシルケン・ワインバーグが監督したミュージック・ビデオと合わせて公開された。


「羞恥心はどこまで深く、許されざる行為はどこまで許されるのだろう。自分のせいではないし、どうしようもなかったと自分に言い聞かせるだろうか?それを本当に信じる人がいるだろうか?そうだろうか?」


2022年の『Preacher's Daughter』に続くこの作品は90分に及ぶが、カインはこれをアルバムではなくEPだと表現している。彼女はペンシルベニア州コラオポリスとタラハシーの間で作曲、プロデュース、レコーディングを行なった。この曲に関するアーティストの声明は詩によって行われている。



1.長い長い森を抜けて行くと、私は何も感じず、何者でもなく、安らいだ。灰色のトネリコの木とその斑模様の羽は互いに一体となり、頭上で天井を形成するように湾曲し、枝分かれしていた。幹と幹の間は広く区切られ、広大な回廊が目の前、背後、そして周囲へと四方八方に伸びていた。ああ、あの樫の木の間で過ごした終わりのない夕暮れの秋を、私は何と讃えればいいのだろう!


2: 誰も私と一緒に来る者はなく、誰も私に襲いかかる者はなかった。しかしある日、木々が折れ、回廊が終わり、私は大暗黒の岩場に突き落とされた。


そこで私は初めて顔を見、足音を聞いた。熱く握り締めたこの2本の裸の手を持ち運ぶのは恥ずべき行為だった。森のなかでは、その両手に気づくことはなかった。ここでは、張りのある皮膚が伸び、汗をかき、まるで自分たちの握力に苛立つかのように光っていた。


グレート・ダークを歩き回ると、見渡す限り灰色の不毛の岩しかなかった。それは観察者を通行人にした。私は、彼らがとぼとぼと歩き、開いた口に指を突っ込み、舌をなめらかにして、濡れるのを必死に待っているのを見た。森の中では、私は監視者であった。しかし、無気力という窒息しそうな労苦の中で、私は鐘の音を聞いた。ぬるぬると曲がった指の間の神のつぶやきが、私の首の後ろの髪をなびかせた。私の筋肉は皮膚の重みに耐えかねて呻き、解き放たれたくてうずいた。


3: 目の前の地平線に、丘の上に大きなドームがそびえているのが見えた。そう、私はそれをこの目で見たのだ!白い外壁は、平らな開口部が霧に隠れてよく見えず、背後の暗い空とかろうじて区別がついた。


凸型の屋根は円盤の上にあり、神殿を取り囲む大きなイオニア式の柱によって支えられていた。階段が放射状に斜面を下っており、まるで落とした石から逃れる池の波紋のようだった。それは人生よりも、木よりも、この暗闇を満たす他のすべてよりも偉大で、私のだまされやすい喜びは、それがすべて私のものだということだった。


そう、すべて私のものだった!人は私についてくることはできても、私の中に入ってくることはできない。私の両手は、骨にひびが入るような音を立てながら外へと伸ばされた。


4: あとは言えない。何も変わらないのだから。もし私が全裸で神の劇場に足を踏み入れたとしたら。もし私が何も必要とせず、何も欲しがらなかったとしたら。そのとき、もし私が満腹になり、円筒形のプルプルが、ぽっかりと空いた顎から私の果てしない喉へと滑り込んでいったとしたら。


水晶の水の上の真珠色の油のように、ベールを透かして揺らめくそれを見たなら。私を形成するすべての原子、私のすべての開口部や傷口を通して、第5の私を完成させてほしいと懇願する私の多声部を通して、私が歌っているのを聞いたとしたら。もしそれが私を見つめ、私がいかに神が知っていることを知り、神とともにいることを必要としているかを見たなら。もしそれが平坦な不協和音で私に語りかけてきたなら、"どうしてできないの?"というように。


5: こんなことを話しても、何の意味もない。たとえ地面の下であっても、自分自身と自分の過ちを繰り返そうとする愚かな欲求を抱えたまま、私はどんな形で地面の下に戻されたのだろう。誰が崖っぷちを覗き見るために壁を登らないだろうか? 


戒めの物語は愚か者の道楽であり、私は愚か者ではない。私の手はねじれ、継ぎ目で破裂する。転倒したときの悲しみや、この岩だらけの田舎に這い戻るときの苦しみを抑えきれなかったように。私は、私は、私は!でも、心に響くような細かいことは言わない。そのわけは皆さんご存知でしょう?  




「Punish」


スーパーチャンクとクイヴァーズは、USツアーを終え、ハロウィンをお祝いするスプリット7インチでタッグを組んだ。ダブルA面のハロウィン・シングルは2曲のカヴァーをフィーチャーしており、スーパーシャンクはデッド・ムーンの「Fire in the Western World」を、そしてクイヴァーズはヨ・ラ・テンゴの「Pass the Hatchet, I Think I'm Goodkind」を再解釈している。(両シングルのストリーミングはこちら


スーパーチャンクのフロントマン、マック・マコーガンは「Fire in the Western World」について次のように説明しています。


「数年ぶりにお化け屋敷に戻り、ハロウィーン・トラックをお届けします!今回は永遠のロッカー、デッド・ムーンの不朽の名曲「Fire In The Western World」です。今月のQuiversとのツアーでは、ほぼ毎晩この曲を演奏して楽しみました。ツアー用の7インチは完売してしまいましたが、お好きなデジタル音源からこの曲を吹き込めば、トリック・オア・トリートたちを怖がらせることができます。真夜中に鳴く雄鶏の声が聞こえないだろうか?」

 




Paste誌で初公開された "Pass the Hatchet, I Think I'm Goodkind "のクイバースのコメント。


ヨ・ラ・テンゴの10分47秒の名曲 "Pass the Hatchet, I Think I'm Goodkind "というありえない曲を選んだんだけど、この曲に参加できて本当に楽しかった。特に、古いソウル・ソングの中にいると、以前にもあった、そしてこれからも続く曲の川に足を浸すような感覚になる。あのビートとベースラインは永遠だ。 


タスカム388のオープンリールを使って、初めて自分たちでレコーディングしたんだ。ベラとホリーがヴォーカルを担当し、私たちはヨ・ラ・テンゴの素晴らしい繰り返しの壮大な世界というよりも、この曲を、行ったり来たりする伝送のようにイメージした。その後、ホリーがミックスしてくれたんだけど、初めて自分たちだけで作った曲ができて、いい気分だった。DIYは音楽の唯一の未来だと思う!ツアーに先駆けてSuperchunkとスプリット7インチを作るなんて夢のようだった。



世界中の音楽ファンを魅了する音楽家、青葉市子。2025年新春にデビュー15周年記念公演開催決定!




先週末、総勢10名のバンド編成で来年2月リリース予定の最新作『Luminescent Creatures』を再現した”世界初演”のコンサート<ICHIKO AOBA “Luminescent Creatures” World Premiere>を大盛況のうちに終えた青葉市子。


現在は来年2月から予定されているワールド・ツアーに先駆け、約5年ぶりとなる国内ツアー<ICHIKO AOBA Japan Tour 2024>をスタートしたばかり。


2025年1月、デビュー15周年を迎えるにあたり、京都と東京にて記念公演の開催が決定しました!15年の活動を総括するソロ公演となります。どうぞお楽しみに!!




■公演概要 

公演名:ICHIKO AOBA 15th Anniversary Concert




日程:2025年1月13日(月祝)
会場:京都・京都劇場
開場17:00 / 開演18:00

日程:2025年1月20日(月)
会場:東京・東京オペラシティ コンサートホール
開場17:30 / 開演18:30

■チケット(京都公演)
全席指定¥6,800 / 全席指定<学割>¥4,800
※学割:公演当日、入場口におきまして学生証を確認させていただきます (小、中、高校生、大学生、専門学校生 対象)。

■チケット(東京公演)
S席¥6,800 / バルコニーA席¥5,800 / バルコニーB席¥4,800
※バルコニーA席 / バルコニーB席 お席によって一部演出、出演者が見えにくい場合がございます。座席の変更、振替はできませんので予めご了承ください。

※2公演共通 ⼩学⽣以上有料 / 未就学児童⼊場不可


■チケット先行受付

受付期間:11/1(金)18:00〜11/10(日)23:59
受付URL:https://eplus.jp/ichiko-15th/
※抽選受付。
※海外居住者向けチケット先行受付(先着)URL:https://ib.eplus.jp/ichikoaoba_15th

チケット一般発売日:12/1(土)



■お問い合わせ


京都公演:清水音泉 06-6357-3666 / info@shimizuonsen.com http://www.shimizuonsen.com

 
東京公演:ホットスタッフ・プロモーション 050-5211-6077 http://www.red-hot.ne.jp


ICHIKO AOBA Japan Tour 2024(全公演チケット完売御礼!)


2024年10月31日(木)@福岡・福岡市立中央市民センター ※終了
2024年11月2日(土)@広島・広島YMCA国際文化ホール
2024年11月8日(金)@札幌・ふきのとうホール
2024年11月15日(金)@金沢・金沢市アートホール
2024年11月22日(金)@高松・サンポートホール高松 第1小ホール
2024年12月1日(日)@名古屋・中電ホール
2024年12月8日(日)@仙台・仙台銀行ホール イズミティ21 小ホール




■青葉市子/ICHIKO AOBA


音楽家。自主レーベル "hermine" 代表。2010年デビュー以降、これまでに7枚のオリジナル・アルバムをリリース。クラシックギターと歌を携え、世界中を旅する。"架空の映画のためのサウンドトラック" 『アダンの風』はアメリカ最大の音楽アーカイブ "Rate Your Music" にて2020年の年間アルバム・チャート第1位に選出されるなど、世界中で絶賛される。


2021年から本格的に海外公演を行い、これまで、Reeperbahn Festival, Pitchfork Music Festival, Montreal International Jazz Festival 等の海外フェスにも出演する。今年6月にはフランスの音楽家 "Pomme" と2020年にリリースされた「Seabed Eden」のフランス語カヴァーをリリース。FM京都 "FLAG RADIO" で奇数月水曜日のDJを務め、文芸誌「群像」での連載執筆、TVナレーション、CM・映画音楽制作、芸術祭でのパフォーマンス等、様々な分野で活動する。


サウスカロライナ州チャールストンのアーティスト、 Contour (Khari Lucas)は、ラジオ、映画、ジャーナリズムなど、様々な分野で活躍するソングライター/コンポーザー/プロデューサー。


彼の現在の音楽活動は、ジャズ、ソウル、サイケ・ロックの中間に位置するが、彼は自分自身をあらゆる音楽分野の学生だと考えており、芸術家人生の中で可能な限り多くの音とテーマの領域をカバーする。彼の作品は、「自己探求、自己決定、愛とその反復、孤独、ブラック・カルチャー」といったテーマを探求している。


コンツアー(カリ・ルーカス)の画期的な新譜『Take Off From Mercy- テイク・オフ・フロム・マーシー』は、過去と現在、夜と昼、否定と穏やかな受容の旅の記録であり、落ち着きのない作品である。


カリ・ルーカスと共同エグゼクティブ・プロデューサーのオマリ・ジャズは、チャールストン、ポートランド、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ジョージア、ロサンゼルス、ヒューストンの様々なスタジオで、Mndsgnやサラミ・ローズ・ジョー・ルイスら才能ある楽器奏者やプロデューサーたちとセッションを重ねながら、アルバムを制作した。


ジャンル的には、『Take Off From Mercy- テイク・オフ・フロム・マーシー』は、ギター・ドリブン・ミュージック、トロピカリア、ブルース、そしてヒップホップのありのままの正直さを融合させ、夜への長い一日の旅を鮮やかに描き出すことで、すでにコンターの唯一無二の声に層と複雑さを加えている。


メキシカン・サマーでのデビュー作となる本作では、2022年にリリースされた『オンワーズ!』のノワール的なサンプルやリリカルな歴史性を踏襲し、より歌謡曲的で斜に構えたパーソナルな作品に仕上げている。ルーカスにとって、これはギターを手に取ることを意味し、この動きはすぐに彼を南部のソングライターの長い系譜と形而上学的な会話に置くことになる。カリ・ルーカスは言う。「それはすぐに、旅する南部のブルースマンについて考えるきっかけになった」 彼にとってギターは旅の唯一の友であり、楽器は自分の物語を記録し、世代を超えた物語と伝統を継承する道具なのだ。このアルバムの語り手は放蕩息子であり、悪党の奸計の中をさまようことになる。



『Take Off From Mercy』/ Mexican  Summer   (94/100) 

 

  Yasmin Williams(ヤスミン・ウィリアムズ)をはじめ、最近、秀逸な黒人ギタリストが台頭していることは感の鋭いリスナーであればご承知だろう。Khari Lucas(カリ・ルーカス)もまたジャズのスケールを用い、ソウル、ヒップホップ、サイケロック、そして、エレクトロニックといった複数のフィールドをくまなく跋渉する。どこまで行ったのだろうか、それは実際のアルバムを聞いてみて確かめていただきたい。

 

シンガーソングライター、ルーカスにとっては、ラップもフォークもブルースも自分の好きな音楽でしかなく、ラベリングや限定性、一つのジャンルという括りにはおさまりきることはない。おそらく、彼にとっては、ブルース、R&B、エレクトロニック、テクノ、アンビエント、スポークンワード、サイケロック、それらがすべて「音楽表現の一貫」なのだろう。そして、カーリ・ルーカスは、彼自身の声という表現ーーボーカルからニュアンス、ラップーー様々な形式を通して、時には、フランク・オーシャンのような次世代のR&Bのスタイルから、ボン・アイヴァー、そしてジム・オルークのガスター・デル・ソルのようなアヴァン・フォーク、ケンドリック・ラマーのブラックミュージックの新しいスタイルに至るまで、漏れなく音楽的な表現の中に組みこもうと試みる。まだ、コンツアーにとって、音楽とはきわめて不明瞭な形態であることが、このアルバムを聴くと、よく分かるのではないだろうか。彼は少なくとも、「慈悲からの離陸」を通して、不確かな抽象表現の領域に踏み入れている。それはまるでルーカスの周囲を取り巻く、「不明瞭な世界に対する疑問を静かに投げかける」かのようである。


「静か」というのは、ボーカルに柔らかい印象があり、ルタロ・ジョーンズのようにささやきに近いものだからである。このアルバムの音楽は、新しいR&Bであり、また、未知の領域のフォークミュージックである。部分的にはブレイクビーツを散りばめたり、Yves Tumorの初期のような前衛的な形式が取り入れられることもあるが、基本的に彼の音楽性はもちろん、ラップやボーカル自体はほとんど昂じることはない。そして彼の音楽は派手さや脚色はなく、演出的な表現とは程遠く、質実剛健なのである。アコースティックギターを片手にし、吟遊詩人やジプシーのように歌をうたい、誰に投げかけるともしれない言葉を放つ。しかし、彼の音楽の歌詞は、世の一般的なアーティストのように具象的になることはほとんどない。それはおそらく、ルーカスさんが、言葉というのに、始めから「限界」を感じているからなのかもしれない。

 

言語はすべてを表しているように思えるが、その実、すべてを表したことはこれまでに一度もない。部分的な氷山の上に突き出た一角を見、多くの人は「言葉」というが、それは言葉の表層の部分を見ているに過ぎない。言葉の背後には発せられなかった言葉があり、行間やサブテクスト、意図的に省略された言葉も存在する。文章を読むときや会話を聞く時、書かれている言葉、喋られた言葉が全てと考えるのは愚の骨頂だろう。また、話される言葉がその人の言いたいことをすべて表していると考えるのも横暴だ。だから、はっきりとした脚色的な言葉には注意を払わないといけないし、だからこそ抽象領域のための音楽や絵という形式が存在するわけなのだ。

 

カリ・ルーカスの音楽は、上記のことをかなり分かりやすい形で体現している。コンツアーは、他のブラック・ミュージックのアーティストのように、音楽自体をアイデンティティの探求と看過しているのは事実かもしれないが、少なくとも、それにベッタリと寄りかかったりしない。彼自身の人生の泉から汲み出された複数の感情の層を取り巻くように、愛、孤独、寂しさ、悲しみといった感覚の出発から、遠心力をつけ、次の表現にたどり着き、最終的に誰もいない領域へ向かう。ジム・オルークのようにアヴァンな領域にあるジャズのスケールを吸収したギターの演奏は、空間に放たれて、言葉という魔法に触れるや否や、別の物質へと変化する。UKのスラウソン・マローンのように、ヒップホップを経過したエレクトロニックの急峰となる場合もある。


コンツアーの音楽は、「限定性の中で展開される非限定的な抽象音楽」を意味する。これは、「音楽が一つの枠組みの中にしか存在しえない」と思う人にとっては見当もつかないかもしれない。ヒップホップはヒップホップ、フォークはフォーク、ジャズはジャズ、音楽はそんな単純なものではないことは常識的である。


そして、音楽表現が本当の輝きを放つのは、「限定的な領域に収まりきらない箇所がある時」であり、最初の起点となるジャンルや表現から最も遠ざかった瞬間である。ところが、反面、全てが単一の領域から離れた場所に存在する時、全般的に鮮烈な印象は薄れる。いわば押さえつけられた表現が一挙に吹き出るように沸点を迎えたとき、音楽はその真価を発揮する。言い換えれば、一般的な表現の中に、ひとつか、ふたつ、異質な特異点が用意されているときである。

 

アルバムは15曲と相当な分量があるものの、他方、それほど時間の長さを感じさせることがない。トラック自体が端的であり、さっぱりしているのもあるが、音楽的な流れの緩やかさが切迫したものにならない。それは、フォーク、ブルースというコンツアーの音楽的な核心があるのに加え、ボサノヴァのサブジャンルであるトロピカリアというブラック・ミュージックのカルチャーを基にした音楽的な気風が、束の間の安らぎ、癒やしを作品全体に添えるからである。


アルバムの冒頭を飾る「If He Changed My Name」は、ジム・オルークが最初期に確立したアヴァンフォークを中心に展開され、不安定なスケール進行の曲線が描かれている。しかし、それ対するコンツアーのボーカルは、ボサノヴァの範疇にあり、ジョアン・ジルベルト、カルロス・ジョビンのように、粋なニュアンスで縁取られている。「粋」というのは、息があるから粋というのであり、生命体としての息吹が存在しえないものを粋ということは難しい。その点では、人生の息吹を吸収した音楽を、ルーカスはかなりソフトにアウトプットする。アコースティックギターの演奏はヤスミン・ウィリアムズのように巧みで、アルペジオを中心に組み立てられ、ジャズのスケールを基底にし、対旋律となる高音部は無調が組み込まれている。協和音と不協和音を複合させた多角的な旋法の使用が色彩的な音楽の印象をもたらす。 そしてコンツアーのボーカルは、ラテンの雰囲気に縁取られ、どことなく粋に歌をうたいこなすのである。

 

 一曲目はラテンの古典的な音楽で始まり、二曲目「Now We're Friends」はカリブの古典的なダブのベースラインをモチーフにして、同じようにトロビカリアの領域にある寛いだ歌が載せられる。これはブラックミュージックの硬化したイメージに柔らかい音楽のイメージを付与している。しかし、彼は概して懐古主義に陥ることなく、モダンなシカゴドリルやグリッチの要素をまぶし、現代的なグルーヴを作り出す。そしてボーカルは、ニュアンスとラップの間を揺れ動く。ラップをするというだけではなく、こまかなニュアンスで音程の変化や音程のうねりを作る。その後、サンプリングが導入され、女性ボーカル、アヴァンギャルドなノイズ、多角的なドラムビートというように、無尽蔵の音楽が堰を切ったかのように一挙に吹き出る。これらは単なる引用的なサンプリングにとどまらず、実際的な演奏を基に構成される「リサンプリング」も含まれている。これらのハチャメチャなサウンドは、音楽の未知の可能性を感じさせる。



さて、Lutalo(ルタロ・ジョーンズ)のように、フォークミュージックとヒップホップの融合によって始まるこのアルバムであるが、以降は、エレクトロニックやダンスミュージックの色合いが強まる。続く「Entry 10-4」は、イギリスのカリビアンのコミュニティから発生したラバーズロック、そして、アメリカでも2010年代に人気を博したダブステップ等を吸収し、それらをボサノヴァの範疇にある南米音楽のボーカルで包み込む。スネア、バスを中心とするディストーションを掛けたファジーなドラムテイクの作り込みも完璧であるが、何よりこの曲の気風を象徴付けているのは、トロピカリアの範疇にあるメロディアスなルーカスのボーカルと、そして全体的にユニゾンとしての旋律の補強の役割を担うシンセサイザーの演奏である。そして話が少しややこしくなるが、ギターはアンビエントのような抽象的な層を背景に形作り、この曲の全体的なイメージを決定付ける。さらに、音楽的な表現は曲の中で、さらに広がりを増していき、コーラスが入ると、Sampha(サンファ)のような英国のネオソウルに近づく場合もある。

 

その後、音楽性はラテンからジャズに接近する。「Waterword」、「re(turn)」はジャズとソウル、ボサノヴァとの融合を図る。特に、前者にはベースラインに聴きどころが用意されており、ボーカルとの見事なカウンターポイントを形成している。そしてトラック全体、ドラムのハイハットに非常に細かなディレイ処理を掛けながら、ビートを散らし、分散させながら、絶妙なトリップ的な感覚を生み出し、サイケデリックなテイストを添える。しかし、音楽全体は気品に満ちあふれている。ボーカルはニュアンスに近く、音程をあえてぼかしながら、ビンテージソウルのような温かな感覚を生み出す。トラックの制作についても細部まで配慮されている。後者の曲では、ドラムテイク(スネア)にフィルターを掛けたり、タムにダビングのディレイを掛けたりしながら、全体的なリズムを抽象化している。また、ドラムの演奏にシャッフルの要素を取り入れたり、エレクトリックピアノの演奏を折りまぜ、音楽の流れのようなものを巧みに表現している。その上で、ボーカルは悠々自適に広やかな感覚をもって歌われる。これらの二曲は、本作の音楽が全般的には感情の流れの延長線上にあることを伺わせる。

 

アルバムの中盤に収録されている「Mercy」は本当に素晴らしく、白眉の出来と言えるだろう。ヒップホップに依拠した曲であるが、エレクトロニックとして聴いてもきわめて刺激的である。この曲は例えばシカゴドリルのような2010年代のヒップホップを吸い込んでいるような印象が覚えたが、コンツアーの手にかかると、サイケ・ヒップホップの範疇にある素晴らしいトラックに昇華される。ここでは、南部のトラップの要素に中西部のラップのスタイルを添えて、独特な雰囲気を作り出す。これは「都会的な雰囲気を持つ南部」とも言うべき意外な側面である。そして複数のテイクを交え、ソウルやブルースに近いボーカルを披露している。この曲は、キラー・マイクが最新アルバムで表現したゴスペルの系譜とは異なる「ポスト・ゴスペル」、「ポスト・ブルース」とも称するべき南部的な表現性を体験出来る。つまり、本作がきわめて奥深いブラック・ミュージックの流れに与することを暗示するのである。

 

意外なスポークンワードで始まる「Ark of Bones」は、アルバムの冒頭部のように緩やかなトロピカリアとして流れていく。しかし、ピアノの演奏がこの曲に部分的にスタイリッシュな印象を及ぼしている。これは、フォーク、ジャズ、ネオソウルという領域で展開される新しい音楽の一つなのかもしれない。少なくとも、オルークのように巧みなギタープレイと霊妙なボーカル、コーラス、これらが渾然一体となり、得難いような音楽体験をリスナーに授けてくれるのは事実だろう。続いて、「Guitar Bains」も見事な一曲である。同じくボサやジャズのスケールと無調の要素を用いながら新しいフォークミュージックの形を確立している。しかし、聴いて美しい民謡の形式にとどまることなく、ダンス・ミュージックやEDMをセンスよく吸収し、フィルターを掛けたドラムが、独特なグルーヴをもたらす。ドラムンベース、ダブステップ、フューチャーステップを経た現代的なリズムの新鮮な息吹を、この曲に捉えることが出来るはずだ。


一般的なアーティストは、この後、二曲か三曲のメインディッシュの付け合せを用意し、終えるところ。そして、さも上客をもてなしたような、満足げな表情を浮かべるものである(実際そうなるだろうとばかり思っていた)しかし、驚くべきことに、コンツアーの音楽の本当の迫力が現れるのは、アルバムの終盤部である。実際に10曲目以降の音楽は、神がかりの領域に属するものもある。それは、JPEGMAFIA、ELUCIDのような前衛性とは対極にある静謐な音楽性によって繰り広げられる。コンツアーは、アルバムの前半部を通じて、独自の音楽形態を確立した上で、その後、より奥深い領域へと踏み込み、鮮烈な芸術性を発揮する。


 「The Earth Spins」、「Thersa」は、ラップそのもののクロスオーバー化を徹底的に洗練させ、ブラックミュージックの次世代への橋渡しとなるような楽曲である。ヒップホップがソウル、ファンク、エレクトロニックとの融合化を通過し、ワールドミュージックやジャズに近づき、そして、ヒーリングミュージックやアンビエント、メディエーションを通過し、いよいよまた次のステップに突入しつつあることを伺わせる。フランク・オーシャンの「Be Yourself」の系譜にある新しいR&B、ヒップホップは再び次のステップに入ったのだ。少なくとも、前者の曲では、センチメンタルで青春の雰囲気を込めた切ない次世代のヒップホップ、そして、後者の曲では、ローファイホップを吸収し、それらをジャズのメチエで表現するという従来にはなかった手法を確立している。特に、ジャズピアノの断片的なカットアップは、ケンドリック・ラマーのポスト的な音楽でもある。カーリ・ルーカスの場合は、それらの失われたコーラスグループのドゥワップの要素を、Warp Recordsの系譜にあるテクノやハウスと結びつけるのである。


特に、最近のヒップホップは、90、00年代のロンドン、マンチェスターのダンスミュージックを聴かないことには成立しえない。詳しくは、Warp、Ninja Tune,、XLといった同地のレーベル・カタログを参照していただきたい。そして、実際的に、現在のヒップホップは、イギリスのアーティストがアメリカの音楽を聴き、それとは対象的に、アメリカのアーティストがイギリスの音楽を聴くというグルーバル化により、洗練されていく時期に差し掛かったことは明らかで、地域性を越え、ブラックミュージックの一つの系譜として繋がっている部分がある。

 

もはや、ひとつの地域にいることは、必ずしもその土地の風土に縛り付けられることを意味しない。コンツアーの音楽は、何よりも、地域性を越えた国際性を表し、言ってみれば、ラップがバックストリートの表現形態を越え、概念的な音楽に変化しつつあることを証立てる。このことを象徴するかのように、彼の音楽は、物質的な表現性を離れ、単一の考えを乗り越え、離れた人やモノをネットワークで結びつける「偉大な力」を持ち始めるのである。そしてアルバムの最初では、一つの物質であったものが分離し、離れていたものが再び一つに還っていくような不思議なプロセスが示される。それは生命の根源のように神秘的であり、アートの本義を象徴付けるものである。

 

アルバムの終盤は、カニエ・ウェストの最初期のようなラフなヒップホップへと接近し、サイケソウルとエレクトロニック、そして部分的にオーケストラの要素を追加した「Gin Rummy」、ローファイからドリルへと移行する「Reflexion」、アヴァンフォークへと回帰する「Seasonal」というように、天才的な音楽の手法が披露され、90年代のNinja Tuneの録音作品のように、荒削りな質感が強調される。これらは、ヒップホップがカセットテープのリリースによって支えられてきたことへの敬意代わりでもある。きわめつけは、クローズ「For Ocean」において、ジャズ、ローファイ、ボサノヴァのクロスオーバーを図っている。メロウで甘美的なこの曲は、今作の最後を飾るのに相応しい。例えば、このレコードを聴いたブロンクスで活動していたオランダ系移民のDJの人々は、どのような感慨を覚えるのだろうか。たぶん、「ヒップホップはずいぶん遠い所まで来てしまったものだ」と、そんなふうに感じるに違いない。





 

©Imogene Barron


アンビエントはインスタレーションを経て、純粋な音楽としてのツールを超越しつつあるのかもしれない。ジョン・ホプキンスがNASAとコラボレーションし、新曲「Forever Held」を発表した。同楽曲は、アイスランドのマルチ・インストゥルメンタリスト、オラファー・アーナルズによるストリングス・アレンジをフィーチャーしており、ワシントンDCのNASA本部で一般公開されているNASAの新しい没入型体験施設「スペース・フォア・アース」のために作曲された。


「Forever Held」は、NASAのクリエイティブ・ディレクターであるアーティストのエリカ・ベルンハルトが地球から宇宙に向けて書いたラブレターにインスパイア。ホプキンスは「この機会にフルオーケストラの曲を作りました。地球に "抱かれている "という感覚を伝えるような、時代を超越したものを作りたかった。この惑星の儚さと力、そして人類の運命における役割について考えていました」


この曲のミュージック・ビデオも手がけたベルンハルトはこう付け加えた。

 

「地球と地球を観測するNASAの衛星の間では、目に見えないコミュニケーションが行われている。宇宙からの眺めは、宇宙飛行士はこれをオーバービュー効果と呼ぶ。ホプキンスの作曲は、その変化を捉えている」

 

「宇宙の広がりを音に吹き込むと同時に、地球上の生命の本質とリズムに私たちを根付かせる。彼のサウンドスケープは、宇宙と地球の畏怖と驚きを、私たちに宇宙における私たちの位置と、地球に対する私たちの責任を考えさせる、音と没入感のある旅へと変換し、これらの領域をつなぐ架け橋として機能する」

 


「Forever Held」


CHVRCHESのヴォーカリスト、Lauren Mayberry(ローレン・メイベリー)が新曲「Something in the Air」を発表した。この曲は今年後半にリリースされる彼女のデビュー・アルバム『Vicious Creature』に収録される。


「”サムシング・イン・ザ・エアー”は、本当に突然生まれた曲なんだ。「私はロンドンで、友人であり共同作曲家兼プロデューサー、ダン・マクドゥーガルと別曲を仕上げていた。スタジオの共有キッチンで休憩してたら、イギリスを代表するミュージシャンが入ってきて、電気、5G、それが私たちを病気にしているという話を始めた。ダンと私はスタジオに戻る前にブロックの周りを散歩しながら、そのような理論や、なぜ人々がそれを信じたがるのかを紐解いていた」


「Something in the Air」



Chelsea Wolfe(チェルシー・ウルフ)が本家のNPRのタイニー・デスクに出演した。ピアノのベン・チショルムと共に、ウルフは最新アルバム『She Reaches Out to She Reaches Out to She』から「Dusk」、「Place in the Sun」、「Whispers in the Echo Chamber」の3曲をアコースティックで演奏した。2人はまた、ウルフが2012年にリリースしたアコースティック・アルバム『Unknown Rooms』から「Flatlands」を再演した。以下で視聴できる。


ウルフのタイニー・デスク・コンサートは、11月15日にリリースされる『She Reaches Out』収録曲のストリップダウン・ヴァージョンを収録した『Unbound EP』のリリースに先駆けて行われた。

 

お正月開催の新たな洋楽フェス、rockin’on sonicにNY発のポスト・パンク・バンド、モノブロックの出演が決定!



日本の大手音楽雑誌ロッキング・オンと同じくライヴプロモーターの大手クリエイティブマンが新たに共同開催するニューイヤー洋楽フェス”rockin’on sonic”。

 

2025年1月4日(土)・5日(日)の2日間に渡って幕張メッセにて開催される同イベントには、ヘッドライナーにUKロック・シーンのレジェンド、パルプと、マスターピース『ブルー・アルバム』が30周年を迎えたウィーザーがそれぞれ決定している。


そんな中、本日発表となった第3弾出演アーティストに、期待の新星モノブロックが名を連ねた。ニューヨークのアンダーグラウンドDIYシーンから飛び出したモノブロックは、ヴォーカルのティモシー・ウォルドロンとベースのマイケル・シルバーグレードが率いる5人組バンド。今年に入ってシングル「I'm Just Trying To Love You」「Where Is My Garden」「Irish Goodbye」と立て続けに3曲をリリース。


デビュー間もないながらも、すでにUKのオール・ポインツ・イースト・フェスティバル、フランスのロック・アン・セーヌに出演。今後もメキシコのコロナ・キャピタル・フェスティバルやアイスランド・エアウェーブスなどの出演が決定している。そして、この度ロッキング・オンとクリエイティブマンがプッシュする新星として、rockin'on sonic出演アーティストとして白羽の矢が立った。


モノブロックの強みは、生来のストーリーテリングの才能にある。豊かなテクスチャー、直感的でエモーショナルなディテールと、ミニマルな楽器編成はニューヨークの偉大な芸術家たちと肩を並べながら、まったく独自の道を歩んでいる。Rolling Stone UKは彼らを「NYの偉大なバンドのひとつとなる次なる候補」と述べている。

 

メンバー一同、日本に来ることは長年の夢で非常に楽しみにしているとのことなので、ぜひ日本初のステージとなるrockin'on sonicをお見逃しなく!



【リリース情報】

アーティスト名:Monobloc(モノブロック)


1stシングル「I'm Just Trying To Love You」配信中!

https://firebird.lnk.to/ijttly


2ndシングル「Where Is My Garden」配信中!

https://found.ee/mb_wimg


3rdシングル「Irish Goodbye」配信中!

https://found.ee/monobloc_irishgoodbye




【バイオグラフィー】

 

ティモシー・ウォルドロン(ヴォーカル)とマイケル・シルバーグレード、別名:モップ(ベース)が率いる、ニューヨーク発の5人組バンド。2023年にザック・ポックローズ(ドラム)、ベン・スコフィールド(ギター)、そしてニーナ・ リューダース(ギター)が加わり、正式に始動した。バンドのサウンドは、1980年代のマンチェスターのインディー・レーベル、ファクトリー・レコードから影響を受けている。

 

他にも、トニー・ウィルソン、ピーター・サヴィル、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーらの名を挙げており、また、スティーヴ・ライヒが制作した『Music for 18 Musicians』はとりわけバンドのギター・パートに大きな影響を与えたという。2024年1月、シングル「I’m Just Trying to Love You」を、セルフ・プロデュースしたミュージック・ビデオと共にリリースすると、瞬く間に彼らの評判は知れ渡り、イギリスやヨーロッパへのフェス出演に次々と出演。2025年1月にはrockin'on sonicへの出演も決定し、早くも初来日することが発表された。


ダフト・パンクと松本零士による2003年のSFアニメ・ミュージカル映画『インターステラ5555』の4Kリマスター版『The 5tory of the 5ecret 5tar 5system』が、12月12日に全世界で一夜限りの公開となる。


一足早いクリスマスは、トラファルガー・リリースの協力で映画館にやってくる。「これは、ダフト・パンクのミュージック・ビデオとともに、この映画を大きなスクリーンで体験できる貴重な機会であり、世界中の観客とこの映画を共有するのが待ちきれません」と、同社のマーク・アレンビーCEOはプレス声明で語っている。


この映画は、ダフト・パンクの2001年のアルバム『ディスカバリー』のビジュアルコンパニオンを兼ねているため、リマスター版は、『ディスカバリー』と題されたレコードの新しい限定版と同時に発売される。「インターステラ5555エディション」のリリース詳細はダフト・パンクのオフィシャルサイトで、また上映会の詳細はこちらで確認できる。


2003年5月に公開されたダフト・パンク&松本零士の『インターステラ5555』:The 5tory of the 5ecret 5tar 5system』は、トーマス・バンガルター、ガイ=マニュエル・ド・オメム=クリスト、セドリック・エルヴェが脚本を執筆し、竹之内和久が監督、伝説的な漫画家、松本零士が監修した。


『インターステラ5555』は、邪悪な計画を企む人間によってエイリアンの音楽バンドが誘拐されるというストーリー。この1時間の映画は、ダフト・パンクのアルバム『ディスカバリー』に合わせてミュージックビデオにカットされたもので、映画館でオリジナルの形で見られるのは珍しい。


この映画のすぐ後には、スパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリー、セブ・ジャニアック、ロマン・コッポラ、ウォーレン・コッポラなどの監督による、ダフト・パンクを象徴するビデオのセレクションが上映される。



米/アシュビルを拠点に活動するシンガーソングライターのインディゴ・デ・ソウザがハリケーン「ヘリーン」によって大きな被害を受けた自宅の貴重品回収のため災害救援基金を設立した。


ご存知の通り、9月26日に南東部で発生したへリーンはフロリダを中心に甚大な被害をもたらした。ソウザにとっても同じだった。彼女の自宅は大型のハリケーンにより崩壊してしまった。しかし、当面のところソーザはアシュビルを離れるつもりはないという。「私の周りの誰もが多くの助けを必要としている時、助けを求めるのは本当に難しい。でも、私はここにいるし、それを受け入れなければならない」とインディゴ・デ・スーザはGoFundMeのページに書いた。「私の家と持ち物はハリケーン・ヘリーンによって破壊された。私はここに留まり、ここで生活を築き続けたい。どんなに壊れても、永遠にこの場所の一部でありたいと思う」


生活空間への被害だけでなく、ハリケーンは彼女の音楽機材に修復不可能なダメージを与え、その結果、彼女の精神衛生に深い影響を与えた。


「私は、私が失ったものの世界を取り替えるために、このお金を集めています」と彼女は続けた。「そして最も重要なのは、私が音楽を作るために慣れ親しんできた機材、つまり私を生かし、自宅で仕事をするためのものです。私はゼロからのスタートなのよ」


インディゴ・デ・スーザは、ザ・ウォー・オン・ドラッグス、フリート・フォクシーズ、R.E.M.、ワクサハッチーなどをフィーチャーした、ノースカロライナ州西部のハリケーン被災者のためのコンピレーション『Cardinals at the Window』にも参加している。Go Fund Meはこちらから参加できます。