ベルリンを拠点に活動する作曲家、プロデューサー、サウンドデザイナーのベン・ルーカス・ボイセンは、2016年にデビューアルバム『Gravity』の再リリースと『Spells』でErased Tapesに初めて契約した。
『Spells』は、プログラムされたピアノ曲と生楽器を融合させ、コントロール可能なテクニカルな世界と予測不可能な即興演奏を組み合わせた作品である。ある意味、アンダーグラウンドでのデビュー作『Gravity』が残したものを引き継いでいるが、多くの重荷が取り除かれ、より軽快でエネルギッシュな作品に仕上がっている。レーベルオーナーの友人であり、Erased Tapesのアーティストでもあるニルス・フラームが、2枚のアルバムのミキシングとマスタリングを担当した。ベンは名ピアニストではないが、彼のサウンド・コラージュは非常に綿密にデザインされており、その結果を聴いて感銘を受けたニルスはこう宣言した。"これは本物のピアノだ"。
『Spells』と『Gravity』は、彼自身の名前でレコーディングされた初めてのアルバムだが、高名なエレクトロニック・プロデューサー''HECQ''として、2003年以来9枚のアルバムをリリースし、アンビエントからブレイクコアまで、あらゆるジャンルを探求してきた。同時に、アムネスティ・インターナショナルやマーベル・コミックなど、さまざまなクライアントのために仕事をし、長編映画、ゲーム、アート・インスタレーション、コンベンションのオープニング・タイトルなどの作曲を手がけ、信頼される作曲家、サウンド・デザイナーとしての地位を確立している。
1981年、オペラ歌手のディアドレ・ボイセンと俳優のクラウス・ボイセンの3番目の子供として生まれたベンは、7歳のときピアノとギターによるクラシック音楽の訓練を受け始め、ブルックナー、ワーグナー、バッハの作品によって重要な基礎を築いた。両親と共有していた音楽を再発見し、オウテカ、クリスティアン・ヴォーゲル、ジリ・セイヴァーからピンク・フロイド、ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーのサウンドと融合させた。ブラック・エンペラーを聴きながら、そもそもなぜ彼が音楽を書きたかったのかを理解した。
ベン・ルーカス・ボイセンのニューアルバム『Alta Ripa(アルタ・リパ)』は、彼の芸術的旅路における激変を意味する。このアルバムは、彼の創造的なパレットが花開いたドイツの田舎町の穏やかな美しさの中で形成された、彼の青春時代の基礎的な衝動を再訪するというものである。
しかし、彼のサウンドに衝撃を与えたのは、2000年代初頭にベルリンに移り住んだことで、この街の脈動するエネルギーと多様な文化の影響を注入した。『Alta Ripa』は、この変容の経験をとらえ、彼の田舎での始まりの内省的なメロディーと、ベルリンの活気あるエレクトロニック・ミュージック・シーンから生まれた大胆で実験的な音色を融合させている。このアルバムは、ボイセンの進化の証であり、地理的な移り変わりがいかに芸術表現を深く形作るかを示している。
ボイセンのソロ名義での4作目となるスタジオ・アルバムは、彼の出発点へのうなずきであると同時に、未来へのヒントでもあり、作品としては、その大胆さと謙虚さにおいて、ほとんど矛盾がある。彼は、リスナーを自分探しの旅へと誘う。自分にとってもリスナーにとっても。この音楽を、"15歳の自分が聴きたかったが、大人になった自分にしか書けないもの "と表現している。
ボイセンは、彼自身の嗜好が折衷的であることと、特定のシーンに属したことがないことから、自分がどの音楽の伝統にも属しているとは考えていない。一貫性の欠如というよりは、さまざまなアプローチに対する評価であり、彼は音楽的に進化するために常に挑戦しているのだ。
例えば、”Hecq”という名義でノイズミュージックを始めた当初は、レフトフィールドのエレクトロニカ、ブレイクコア、テクノなど、さまざまなジャンルからインスピレーションを得ていた。その後、アコースティック楽器を取り入れた、より構造的で質感のあるエレクトロニック・ミュージックの作曲に力を入れ、自身の名義で並行して活動するようになった。また、映画、テレビ、ビデオゲーム、マルチメディア・インスタレーション、アレキサンダー・マックイーンをはじめとするファッション・デザイナーのための作曲家としても幅広く活動している。
過去2枚のアルバムでは、チェリストのアンネ・ミュラー、フリューゲルホルン奏者のシュテフェン・ジマー、ドラマーのアヒム・フェルバーなど、他のミュージシャンと仕事をしている。しかし、最近のライブ・パフォーマンスへの復帰に触発されたこともあり、『アルタ・リパ』では、ボイセンは純粋なコンピューター・ミュージックへの情熱に回帰している。彼はこう説明する。
「ベルリンで20年近く過ごした後、数え切れないほど素晴らしいアーティストとの交流や出会いがあり、それが私の作品やアルバムに反映されてきた。しかし、この小さな町アルトリップは、ある意味、私が本当に離れたことのない町であり、その遠い記憶とともに、私の心の前に戻り続け、私が学んできたこと、今日あることのすべてを、いわば「故郷」に持ち帰るように促してくれた」
「私は、人生が複雑になる前に、私を形成し、インスピレーションを与えてくれた場所に芸術的に戻り、今日の経験をもってその世界に入り込みたいと思った。どういうわけか、戻るのと同時にゼロから出発して、私の最も古いアルバムであるとともに、最も新しいアルバムを書くことになった」
『Alta Ripa』/ Erased Tapes
今ではすっかり忘れさられてしまったが、ドイツは1800年ごろまでには現在のオーストリアを含む地域を自国の領土としていた。それがナポレオン率いるフランス軍によって一部を制圧され、現在では、その領土の一部を受け渡した。第二次世界大戦では、歴史上最も死者を出したスターリングラードで敗北を喫し、ソビエト連邦の管理下に置かれる地域もあった。さらに多くの都市において、城塞都市を持ち、古城の周りが要塞のような構造を持つ地域もある。これは地形的に、ドイツが侵略と戦いの憂き目にさらされてきたことを象徴付ける。そして、近代以降、ドイツが生んだ最高の遺産は、工業製品やインフラ設備であり、大衆車(volkswagenは大衆車の意味)の生産ラインを確立し、自動車の大量生産の礎を築き、アウトバーンのような大規模な幹線道路を建設したことにある。例えば、ミュンヘンのアウトバーンを走行していると、巨大なフットボールクラブのスタジアムのドーム、アリアンツ・アレーナが向こうに見えてくる。
第二次世界大戦の後、ドイツは工業的な生産を誇る国家として発展してきたが、もうひとつアカデミアの文化も長い歴史を持つ。例えば、中世の時代にはボン大学があり、普通に一般的な講義として、詩の授業が行われていて、ロマン・ロランの伝記によると、若き日のベートーヴェンは、作曲家になる以前に、聴講生として詩の講義に参加していたことがあったという。他にも、南ドイツのフライブルク大学は、創設がなんと15世紀であり、ネッカー川や哲学者の道が有名で、街のパブの壁には学生の思索のメモ書きが今もふつうに残されている。ドイツは、マイスター等の階級的な職業制度に関して問題視されることもあったが、少なくともオーストリアと並び、知性を最も重んじる国家であり続けてきた。こういった中で登場した電子音楽は結局のところ、クラフトヴェルクといった富裕層の若者たちによって、文化や芸術のような形で綿々と続いてきた。ドイツの工業製品にせよ、芸術や音楽、そしてフットボールのプレイスタイルにせよ、一つの共通点がある。それは、秩序、規律、統率を何よりも重んじ、それを芸術的たらしめるということ。これはまさしく、古い時代から培われた知性の象徴であり、ドイツの美徳とも呼ぶべきものだ。なぜなら、新しい考えは秩序や規律から生ずるからである。
ベン・ルーカス・ボイセンの音楽は、こういったドイツの遺産を見事な形で受け継いでいる。 そもそも音楽は、和声から始まったのではなく、モーダル(Mordal)という半音階を上がったり下がったりする旋法から始まり、その後、ドイツの音楽学者や作曲家により、厳格な対旋律法が生み出され、その後、和声的な考えが出てくるようになった。特に、古典派の多くの作曲家は旋律の進行に関して、厳格な決まりや原理を設けていた。つまり、旋律が上がれば、そのあと、バランスを保つために下がるという規則を設け、その中で制約の多い作曲を行った。これが以降のポピュラーミュージックの基礎となったのは明確である。フランスの音楽的な観念は、そこまで厳しくはないが、ドイツの和声法や対旋律法はきわめて厳格であることで知られている。これは「音楽の秩序や規律」という一面を示す。そして、例外的な要素は濫用せずに、ここぞ!というときのためにとっておいたのである。規則を破るのは美しさのためだけである。
ベン・ルーカス・ボイセンの電子音楽は、1990年代や2000年代のAutecre、Clarkのスタイルを継承しているが、これに対旋律的な技法やMogwaiのポスト・ロックの遊び心を付け加えている。
冒頭を飾る「1-Ours」を聞けば、ボイセンの音楽がシンプルに構成されていることがわかる。おそらく、Native Instruments等のソフトウェア音源によるシンセリードから始まり、それを規則的に繰り返しながら、音楽構造としての奥行きを発生させ、その背景に薄くパッドの音源を配置させ、大きめの音像を発生させる。ポスト・ロックの音響派の影響を受け継いだイントロの後、テクノやブレイクコアではお馴染みの簡素で規則的な4ビートを配置し、うねるようなウェイブーーグルーヴーーを発生させる。ただ、90年代のテクノやブレイクコアは、速いBPMが使用されることがわりと多かったが、アルバムでは意図的にスロウなBPMが導入されている。
これはビートの重力を出すための制作者のアイディアではないかと思われる。そして重層的なビートは、何度もアシッドハウスのような感じで繰り返されると、「Delay Beat」とも称するべきシンコペーションの効果を発揮し、強拍が後ろに引き伸ばされていくような効果が発生する。徐々に、そのウェイブのうねりは大きくなり、レイヴやアシッドハウスのような広大で陶酔的なグルーブに繋がり、クラブフロアの縦ノリの激しく心地よいリズムが縦横無尽に駆け巡る。その仕上げに、ベン・ボイセンはノイジーなシークエンスをビートの上に重ね、それらをトーンシフトさせ、変調させる。これが独特なアシッド的なうねりと熱狂性を呼び起こすのである。
傑出したダンスミュージックの制作者にとっては、一般的な制作者が見落としてしまいがちな些細な音源の素材も、リズムを形成するための重要なヒントになるようだ。シンプルなファジーなアルペジエーターで始まる「2-Mass」は、マスターによって十分な強度を持つに至り、フィルターで音を絞った後、変則的なリズムトラックがループしていく。これが最終的には、Clarkが90年代や00年初頭に制作していたゴアトランスのように変化し、重力のあるスネアとキックの交互の配置により、徐々に熱狂的なエネルギーを帯びていく。さらに対旋律的にリードシンセを配置し、曲に色彩的な効果を及ぼす。曲の途中にはアルペジエーターを配置し、フィルターを掛けたシークエンスを散りばめたりしながら、間接部の構成を作り、クラシック音楽では頻繁に使用されるソナタの3部構成の形式を設け、再びモチーフに戻っていく。ダンスミュージックが規律や秩序から発生することを象徴付けるような素晴らしいトラック。
続く「3-Quasar」は、2010年代以降、先鋭化されたブレイクコアのジャンルを相手取り、よりシンプルで原始的なダンスビートを抽出している。ベースラインとユニゾンを描くリズムトラックは基本的には心地よさが重視され、クラブビートの本質的な醍醐味とはなにかを問いかける。ダンスミュージックの最大の魅力とは複雑化ではなく、簡素化にあることがわかる。さらに静と動の曲構成を巧みに使い分けながら、重厚感と安定感のあるサウンドを構築している。この曲でもBPMを一般的なものよりも落とすことで、リズムにメリハリと重力をもたらす。
こういったリズムを側面を強調させ、レフトフィールドの質感を持つアルバムの序盤の収録曲に続いて、Erased Tapesらしい叙情的な雰囲気を持つダンスミュージックが続く。「4-Alta Ripa」では制作者のポストロック好きの一面がうかがえる。Mogwaiが90年代以降に打ち立てた音響派のサウンドをシンセで再現し、瞑想的な音楽に昇華させている。クールダウンのための楽曲というより、ダンスミュージックの芸術的な側面を強調させている。また、ここでは、ベン・ボイセンのピアニストとしての演奏がフィーチャーされ、ドイツ的な郷愁を思わせるものがある。ここには制作者が親しんできたバッハ、ヴァーグナー的な悲哀がシンセで表現される。
「Alta Ripa」
単体の素材でリズムが構成される場合が多かったアルバムの序盤に比べると、後半部は複合的なリズムが目立つ。さらに新しく登場した実験音楽家等が頻繁に使用するAbletonで制作するような図面的な信号とは異なり、アナログな音源が多く使用されている。
「5-Nox」は、シンプルに言えば、Logicのような初歩的なソフトウェアにも標準的に備わっているFM音源のようなシンセを用い、それらを複合的な音色をかけあわせ、かなりレトロな質感を持つEDMに仕上げられている。ここにはドイツの工業生産的なダンスミュージックの考えを見て取れるし、それ以前の構成的な音楽という考えも見いだせる。二つの楽節を経過した後に、1分35秒ごろに主要なモチーフが遅れて登場するが、こういった予想外の展開に驚かされる。そして、ここでもアシッドハウスのような手法が用いられ、反復的なビートと裏拍(二拍目)の強調を用いながら、強固でしなるようなパワフルなグルーヴを作り上げていくのである。
本作には異色の一曲が用意されている。「6-Vinesta」は、電子音楽が芸術的な音楽と共存することは可能であるかを試したトラック。シンプルに言えば、オペラと電子音楽の融合の未来が示唆されている。ボイセンは、ダウンテンポの手法を用いながら、広大なシンセの音像を作り出し、壮大なイントロのように見立てた後、曲の最後のさいごになって、オペラのような歌曲としての要素を出現させる。ここにはバッハ、ヴァーグナーの影響も伺え、天国的な雰囲気を持つミサ曲のようなシークエンスに、トム・アダムスのオペラティックな歌唱を最後に登場させる。
特に、ダンスミュージックとして傑出しているのが、「7-Fama」である。この曲ではリングモジュラーで発生させる音色をアルペジエーターとして配置し、グルーヴィーな構成を作り上げる。特に、他の収録曲と比べると、Four Tetのようなサウンド・デザインの性質が表れ、複合的なリズム、対旋律的なリズムというように、構成的なダンスミュージックを楽しめる。ボイセンは実に見事に、これらのリズムの要素に音量としてのダイナミックスの起伏を設け、サイレンスからノイズを変幻自在に行き来する。簡素でありながら意匠に富んだダンスミュージックは、まさしく南ドイツのアンダーグラウンドのダンスミュージックを彷彿とさせるものがある。
正直にいうと、久しぶりに手強いダンスミュージックが出てきたと思った。軟派ではなく本格派のクラブビートであるため、容易に聴き飛ばすことが難しい。わずか38分のアルバムは、細部に至るまで注意が払われており、かなりの聴き応えがある。そして、ベン・ルーカス・ボイセンの出力する迫力のあるビートは、ある種の緊張感すら感じさせる。すべてがインプロヴァイぜーションで演奏されているとは限らないが、その録音時にしか収録出来ない偶発的な音やトーンの変容、演奏に際するひそかな熱狂性のような感覚を収録しているのは事実だろう。
しかし、こういった、かなりの強度を持つ収録曲の中にあって、最後の曲だけは雰囲気が異なる。「8-Mere」は、エレクトロニックの美しさを端的に表現し、ブライアン・イーノの名曲「An Ending(Ascent)」を継承する素晴らしいトラックである。この曲を聴いているときに感じる開けたような感覚、それから自分の存在が宇宙の根源と直結しているような神秘的な感覚は、他の音楽ではなかなか得難いものだと思う。これぞまさしく正真正銘の電子音楽なのだ。
86/100
Ben Lucas Boysenによる新作アルバム『Alta Ripa』は本日、Erased Tapesから発売。ストリーミングはこちら。
「Fama」