お正月の定番曲 宮城道雄 「春の海」 瀬戸内海の鞆の浦との関わり

瀬戸内海 鞆の浦 国立公園に指定されている

 

 「風物」という言葉を使おうとすると、少しだけ古風な印象を覚えざるをえない。というのも、結局、日本的な光景という不確かな感覚が、今やどこかに忘れさられつつあるからなのだろうか。そこでつくづく思うのは、現代の日本において「日本的」とされているものの多くが、人為的に作られた文化であり、それはまた上辺の景物と言わざるを得ない。日本的な情緒を感じることは、年々少なくなりつつある。もしかりに、そういったものが見つかるとすれば、例えば、一般的に旅行のガイドブックやパンフレットには掲載されることの少ない「人の手の入らない原初的な場所や地域」であろう。もちろん、日本文化とて、多くの大陸国家と同様に、完全に独自の島国のカルチャーとして存続してきたわけではない。たえず、大陸との交流により発展し、例えば、清や唐、南蛮との貿易によって、文化の混交として成立してきたのだから、結局のところ、クロスオーバーという考えによって文明が構築されてきた経緯があるのだ。

 

 

写真: 田村茂
 宮城道雄は、1930年に日本音楽の名曲「春の海」を作曲した。彼は「検校」という盲目の最高官職にあり、また数々の文化的な貢献を認められた文化人で、箏曲の作曲を専門とし、東京藝術大学の前身である東京音楽学校の教師も歴任した。

 

 おそらくは、宮城道雄もまた、岡本天心、横山大観といった日本の芸術のアカデミズムの先鋭的な気風を形作った派閥の系譜であると言っても良いのではないか。また、生花や能楽といった師範制度にある日本の伝統音楽の教育にも注力し、多くの弟子を育てた。宮城は、9歳の頃から盲目であったが、弟子の心を読む天才でもあった。弟子は、師匠が自分の考えていることをピタリと当てるのをおかしがったという。

 

 

 そもそも、宮城は、日本の音楽的な文化に多大な貢献をしたことは確かなのだが、月次な日本人ではあるまい。神戸の外国人居留地で生まれ育ち、海外の輸入文化に強い触発を受けた人物である。外国人居留地は、横浜や長崎といった港湾地域で発展した外国人のための居住地である。後に「異人館」と称される、神戸の居留地で育った宮城が様々な西洋の魅惑的な文化を真綿のように吸収したことは想像に難くない。彼はまた、最も日本的な音楽を作曲して後世に伝えたが、かなりの洋楽マニアであったことが知られている。ラヴェル、ドビュッシー、ミヨー、ストラヴィンスキーをこよなく愛し、まごうかたなき文明開化後の文化人としての道を歩もうとしていた。当時、こういった音楽を聴いていたというのは、先進的な人物像であったことが伺える。彼の音楽的な表現方法が自然味に溢れていながらも、モーツァルトのように研ぎ澄まされ、洗練されている(無駄な音を徹底して削ぎ落とす)のは、こういった理由なのである。

 

「春の海」は、個人的な作曲とは言いがたい。語弊があるかもしれないが、公曲の一部として献呈された。1930年の宮中の歌会始の儀(宮中で天皇や皇后に捧げられるのが伝統となっている)の勅題「海辺巌」のために作曲された。 それゆえ、宮城は、この音楽が厳正な日本音楽の伝統に則っていないとしても、格式高い邦楽を制作しようとしたのは疑いない。そして、歌会始めの課題曲として提出されたということから、和歌を念頭に置いたのも事実であろう。与謝蕪村の「春の海」の一節「春の海 ひねもすのたり、のたりかな」というユニークな興趣が専門的な研究者によって比較対象に挙げられるのにも相応の理由がある。とりもなおさず、宮城の「春の海」もまた、ゆったりとして、のどかで、おだやかな、日本の海を思わせるからである。

 

 

 



 

 春の海を作曲するにあたって、宮城道雄は祖父の故郷で墓地がある福山の「鞆の浦(とものうら)」を題材に選んだ。 おそらく、失明する以前に彼は祖父の故郷を訪れ、その景観の美しさに心をほだされたのではないか。この曲において、日本的な情緒を表現するに際して、幼少期に見たであろう鞆の浦の穏やかさと活気という、彼の心の深くに刻まれた瀬戸内海の二つの麗らかな心象風景を音楽で表現しようとした。発表当時、音楽評論家から「伝統的な日本の音楽の形式に則っていない」と批評されたのは、この曲が基本的にはソナタ形式の三部構成から成立しており、バッハやヴィヴァルディ以前の西洋音楽のポリフォニーに触発されているからである。

 

 しかし、例えば、雅楽の例を見ても、厳密な和声進行というホモフォニックの構成が登場しないように、「春の海」の作曲を手掛けた時、宮城はおそらく、対旋律の構造にこそ日本音楽の源流が求められ、なおかつ、日本音楽独自の核心が存在すると見ていたのではないか。彼は西洋のソナタ形式に則って、日本的な文学のイディオムを登場させ、「緩ー急ー緩」という三部構成に組み直した。そして、バッハ以前のバロック音楽の対旋律法を踏まえ、それらを日本音楽の伝統様式の陰旋法に置き換えた。特筆すべきは、春の海にはフーガ的な技法の影響もわずかに見いだせる。そして、彼が幼少期に過ごした神戸の外国人居留地という風変わりな環境や物心つく頃に体験した「日本と西洋の文化の混交」という視点、そして、「西洋から見た日本的な文化(その反対も)」という視点にも、この人物にしかなしえない独自の音楽性を発見出来る。


 昨日、楽譜を見てみたところ、この曲は、尺八と箏という日本の伝統的な楽器が、二つの潮流を形作るように交互に配置されていることがわかった。そして彼は、この器楽曲が宮中の歌会にそぐうように、曲の中に和歌に準じた文学的な表現を込め、大和人の詩情を織り交ぜることも忘れなかった。三部構成の一部では、先述したように、ゆったりとして、のどかで、おだやかな内海の情景が描かれたと思えば、第二部へと移行し、船の櫂をこぐ様子や海鳥が空を優雅に舞うという一部の対比的な楽章へと移ろい、活気に充ちた動的な印象を持つ海際の風景が描かれる。日本の古典文学の副次的な主題にも登場する「益荒男」の表現性を見出すこともできるだろう。そして、最後には、再び導入部にあるおだやかな海の風景に帰っていくという一連の構成である。これは長大な海の流れが一つの海流を経て、元の流れに戻る様子を織り交ぜたかのようだ。確かに対比性という西洋的な美の観念が取り入れられているにせよ、その枠組の中で宮城は苦心し、日本的な情景や風物の美しさを音楽によって描写しようと試みたのだった。

 

 当初、「春の海」は日比谷で初演され、NHK広島のラジオで初放送されたが、大きな反響を呼んだとは言いがたかった。しかし、フランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが編曲すると、一躍、日本国内でも人気曲となった。シュメーは宮城に会い、彼もその熱意に押されるようにして編曲の旨を了解し、琴とバイオリンで共演するに至り、「春の海」がアメリカやフランスでレコードとして発売されるための重要な契機を作った。ルネ・シュメーは、BBC Promsへの出演記録が残っているが、フランスに帰国してから著名な演奏家として認知されたとは言いがたい。しかしながら、ヴァイオリンを中心として西洋風な編曲を施したこの曲の編曲バージョンは、以降のお正月の定番曲として知られるための文化的な素地を形成したのである。 

 

 瀬戸内海の鞆の浦は、日本で最初に国立公園として制定され、景勝地として名高い。風景の美しさには往古から定評がある。江戸時代から北前船の寄港地として栄え、以降、朝鮮通信使が徳川幕府への慶賀のため度々寄港した。福禅寺は古くから迎賓の場として使用され、本堂隣りにある対潮楼は名所として知られている。1690年に客殿として建立し、座敷からは内海の絶景が広がる。朝鮮通信使として当地に招かれた李邦彦は、その眺望を見るにつけ、「日東第一景勝(日本で最も美しい風景)」と評したほど。宮城道雄は、「春の海」を作曲するにあたって、この海岸の風景を思い浮かべだのたろうか。それは映像的な景物としては彼の目から失われたけれど、その美しさ、そして日本的な感覚は、その後も彼の心のどこかに残り続けたのである。

 


J-POP TRENDS:  12月の邦楽の注目作をピックアップ


 

レーベルからご提供いただいた情報をもとに、その月の邦楽の注目作をピックアップするコーナーです。今年も最後となりました。12月は、ジャパニーズ・ハイパーポップ界の新星、Minakekkeの新作のほか、JJJの痛快なヒップホップ、その他、トクマル・シューゴの入手困難であった楽曲を集めたアルバム『Other Tracks』もリリースされました。下記より注目作をご覧下さい!!

 

 

 

 Minakekke 「Backwards」- New Single 



 

ユイ・ミナコによるソロ・プロジェクト、Minakekke(ミーナケッケと読む)。アシッド・フォーク、 ゴシック、アシッド・フォーク、ドリーム・ポップ、クラウト・ロック、シューゲイザー、トリップ・ホップ等、マニアックで多角的な音楽性を吸収しながらも、聴きやすいポップセンスを発揮します。ニューシングル「Backwards」は”IDEAL MUSIC”から12月18日に発売されました。

 

新旧の音楽的なイディオムを織り交ぜながらJ-POPの新機軸を探る。80年代のディスコサウンドを基にしたダンサンブルな音楽性の奥底から、マイナースケールを強調する特異なメロディーセンスが浮かび上がってくる。これは平成時代の邦楽をなんとなく彷彿とさせるものがある。ミュージックビデオは明らかにハイパーポップ勢を意識しているが、ご覧の通り、楽曲としては邦楽に軸足を置いています。ガチャ・ポップの次世代を担うアーティストとしてご注目。

 

 

 

配信リンク:https://ssm.lnk.to/Backwards

 

 

Tendre 「Happy End」- New Single

 



河原太郎はTendreの名を冠して活動し、ベース、鍵盤、ギター、そしてサックスも演奏するマルチプレイヤー。2017年12⽉にTENDRE名義での6曲⼊りデビューEP『Red Focus』をリリース。同作はタワーレコード“タワレコメン”、HMV“エイチオシ”、iTunes “NEW ARTIST”、スペースシャワーTVミドルローテーション“it”に選ばれるなど、各⽅⾯より⾼い評価を獲得。J-Waveへの出演でお馴染みのアーティスト。



2019年4⽉・5⽉と連続して配信シングル『SIGN』『CHOICE』をリリース。前者はオーストリアのスポーツサンダル・ブランド”Teva”とコラボレーションしたMVも話題を集め、その楽曲はJ-WAVE "TOKIO HOT100"で最⾼位4位を記録した。 また、Hondaが⼿がける旅とバイクの新プロジェクト「Honda GO」のテーマソングとして新曲『ANYWAY』が起⽤されました。 

 

Tendreは、ヒップホップ/ラップアーティストとして紹介されることも多いですが、彼の音楽的な感性にはソウルからの影響もちらつく。「Happy End」はまさしくベースプレイヤーとしての才能を凝縮させたチルアウト寄りの楽曲です。しかし、何より特筆すべきは、、生演奏を中心とした実力派のトラック制作と劇的にマッチする河原太郎のメロウなボーカルの魅力でしょう。


配信リンク: https://ssm.lnk.to/HAPPYEND

 

 

 

 

SONPUB, Jinmenusagi, SEEDA「Smells Like Twenteen Spirit feat. D3adStock (REMIX)」

 


 

SONPUBのソロデビューアルバム&レーベル設立20周年としてリリース。初期衝動時に影響を受けた有名曲を連想させるタイトルに「20年」「20代の魂」の意味も込め、変わらぬ情熱と野心を表現した作品「Smells Like Twenteen Spirit」を8月にリリースしました。

 

今回はそのリミックスバージョンとなり、Sexy drillやJersey clubを取り入れた軽快なビートに一新。客演にはジメサギとSEEDAに加え、オリジナルバージョンでCo-writerとして参加しており「ラップスタア2024」の4位に輝いた期待の新星”D3adStock(デッドストック)”がイントロバースで参加しています。

 

2000年生まれのD3adStockはSONPUBとSEEDAの丁度20歳差という嬉しい偶然も楽曲に深みを与えてくれる。20代、30代、40代のTwenteen Spiritを持つプレーヤー達が世代や文化の垣根を超えて繋がり繋げていくことを表現した作品です。 



配信リンク: https://ssm.lnk.to/SLTS

 

 

 

 

 

JJJ 「Nov」- New Single 

 

2024年7月に大阪、東京、高松、札幌をまわる初のワンマンツアー『July Tour』を開催。11月にはその続編として福岡、台北、仙台、東京で『Nov Tour』を行ったJJJ。2024年のツアーでは、コントラバス奏者の岩見継吾、尺八奏者の瀧北榮山、箏奏者の岡村秀太郎を起用したパフォーマンスを披露するなど、表現の幅を拡げながら勢力的なライブ活動を行なってきました。


本楽曲“Nov”はツアー最終日の11月30日(土)、東京・日比谷公園大音楽堂公演にて、JJJのライブ終了後に流れた新曲。仲間たちと共に過ごした濃密な2024年を総括した1曲となっています。 ビートは、SCRATCH NICEが手がけており、ミックスはJJJ、マスタリングはColin Leonard(SING Mastering)が担当。カバーはフォトグラファーのDaiki Miuraによるもの。

 

「Nov」はオールドスクールをベースにしたチョップ、そしてメロウなメロディーセンスが光る。



配信リンク: https://ssm.lnk.to/Nov

 

 

 

 

トクマルシューゴ 『Other Tracks』 (New Album Inc. Rare Tracks)


今年7月17日に約8年ぶりの新作アルバム『Song Symbiosis』をリリースし、12月20日には東京・日本橋三井ホールにて20周年記念スペシャル公演を成功させたトクマルシューゴ。


クリスマスイブの本日に急遽配信された本作『Other  Tracks』には、ライブでの限定販売や特典となっていた音源を中心に、これまで入手困難となっていた楽曲が収録されている。アルバム未収録のレアトラックが、トクマルシューゴからのクリスマスプレゼントとして届けられた。現在、 公式サイトのTonofonでは20周年記念ZINE「Mayakashi」が発売中。ライブ会場でも販売中です。

 

民族音楽をベースにしたフォーク/ポップのアルバムで、トクマルさんらしいアルバム。ローファイなミックス/マスターが最新作よりも際立つ。「Open A Bottle」がものすごく懐かしく聞こえる。

 

 


配信リンク: https://linkco.re/Dr8xYx0H?lang=ja




小瀬村晶  「Stellar」 -EP



ポストクラシカルシーンのリーダー、Scholeを主宰する小瀬村晶によるどこまでも純粋で澄明なピアノ作品「Stellar」は、Universal Music/Deccaから12月13日に発売されました。


写真家・岩倉しおり氏が撮影した息を呑むようなジャケットは、冬の夜から夜明けにかけた静寂のひとときを穏やかに美しく描き出しています。


本作は、異なる時期にレコーディングされた4曲を、ひとつのストーリーとして解釈した作品。小瀬村は「(Stellar)をレコーディングした時、空を回る星々の絵を思い浮かべました」 と振り返っています。


物語は荒野に佇む一軒の家(Wilderness House)、夜の静寂の中で聴こえる歌「Humming In The Night」、EPのエピローグとなる「日の出(Daylight)」へと進んでいく。簡潔でありながら、聴きごたえ十分です。小瀬村ファンはマストの一作となりそうです。
 
 
 
 「Stellar」
 






土岐麻子 『Lonely Ghost』 - New Album
 


土岐麻子が約3年ぶりとなるオリジナルアルバム「Lonely Ghost」(ロンリー・ゴースト)を12月18日(水)にリリース。CDバージョンの他、アナログ盤も2025年1月に発売予定です。


『Lonely Ghost』はピアノの演奏をベースにした静かで落ち着いたポピュラーアルバムとなっています。アルバムのサウンドプロデュースにはシンガーソングタイター”トオミヨウ”氏を迎え、全曲を共に制作した。


はかりしれない他人の気持ち、自分の心の中の不可解な感情、同じ空間をそれぞれ違った景色のなかで生きる人々……、それらを“ミステリー”と捉え、1枚のアルバムで表現。人間の奇妙な心と、それぞれの特別な人生について愛をもって描いた作品となりました。


2025年2月には20周年イヤーを締めくくる、バンド編成によるスペシャルツアー「Lonely Ghost TOUR / 20th〜21st ANNIVERSARY」が3都市(東京、名古屋、大阪)にて開催されます。

 






 


ブルックリンのシンガーソングライターのMei Semones(芽衣・シモネス)が最新EP、『Kabutomushi』、『Tukino』のLPヴァージョンのリリースを発表した。(海外盤の予約はこちら

 

さらに2025年のツアー・スケジュールも発表された。Hippo Campusのサポートとして1月28日から2月24日までツアーが開催される。ライブ日程については下記よりご覧ください。

 

さらに、今年11月、アーティストは来日公演を行ったほか、先月、シカゴのラジオ局”Audio Tree”のライブにも出演しています。バンドセッションで行われたライブ映像も合わせてご覧ください。(アーティストのQ&Aはこちら)

 

 

■ 2025 TOUR DATES

01/28 - Nashville, TN - Ryman Auditorium *
01/29 - Atlanta, GA - The Eastern *
02/05 - Asbury Park, NJ - The Stone Pony *
02/08 - Albany, NY - Empire Live *
02/09 - Toronto, ON - History *
02/11 - Detroit, MI - The Fillmore *
02/12 - Milwaukee, WI - Riverside Theater *
02/14 - St. Louis, MO - The Factory *
02/15 - La Vista, NE - The Astro Theater *
02/16 - Denver, CO - Mission Ballroom *
02/18 - San Diego, CA - The Sound *
02/20 - Los Angeles, CA - The Wiltern *
02/21 - Santa Ana, CA - The Observatory *
02/22 - Oakland, CA - Fox Theater *
02/24 - Salt Lake City, UT - The Union *



*supporting Hippo Campus

 

 

 

 Audio Tree Live

 

バーバンクにあるワーナー・ブラザーズのスタジオ


 Burbank Sound(バーバンク・サウンド)は、1970年代のロサンゼルスの象徴的なサウンドで、その多くがサンセット通りにあるレコーディング・スタジオから生み出された。西海岸の特有のロック、ウェスト・コーストサウンドとも重複する部分があり、長らくこのサウンドの正体を掴みかねていました。思い出の中にあるロックといえば語弊になりますが、それに近い印象もあったのです。

 

 該当するバンドといえば、ドゥービー・ブラザーズ、ライ・クーダー、ヴァン・モリソン、キャプテン・ビーフハートなどが思い浮かびます。どうやら、バーバンク・サウンドには表立った特徴がなく、ハリウッドの北の郊外にあるバーバンクという土地から生み出されたという理由で、このジャンル名がつけられたという。そして、フィル・スペクター・サウンドモータウン・サウンドには明らかな音楽的な特徴があるけれども、それとは反対にバーバンク・サウンドには明確な特徴がない。それだけではありません。バーバンク・サウンドが面白いのは、アーティスト主導によって推進され、考え方によっては音楽的な共同体のような意味が求められるというのです。

 

 日本の音楽評論家の重鎮であり、”はっぴいえんど”のファースト・アルバムを手掛けた小倉エージさんは、このサウンドについてドゥービー・ブラザーズのLPのライナーノーツでこう説明しています。「ロサンゼルスとはいっても、それはまったく東京のようでもあり、さらにそれを音楽と結びつけ、例えば、デトロイト、フィラデルフィア・サウンドというように表現しようとすると、これがまた複雑怪奇で、様々に入り乱れていて、なんと説明してよいか困り果ててしまう」

 

「ところで、ロサンゼルスには、無数のレコーディングスタジオが立ち並び、例えば、テレビのメロドラマのサウンドトラックのレコーディングから、明日を夢見るロックグループがなけなしの金をはたいて、わずかな時間を借り、レコーディングに励んでいたり、また、ずっとスタジオを借り切って新しい音の創造に熱を燃やす有名ロックグループ、というように様々なレコーディングが行われていた」

 

「もっとも、バーバンクでレコーディングされる音は、その姿勢などからいくつか分けることが出来ます。そのひとつが敏腕プロデューサーをチーフとし、有名スタジオ・ミュージシャンをバックに、プロデューサー本位の音楽を追求し、独特のサウンドを創造していくスタイル、かつてルー・アドラーが持っていた「ダンヒル」等、ポップマーケットを意識した音作りをしているものが挙げられます」

 

「それとは対象的に、バーバンク・サウンドは、あくまでアーティスト本位の音楽性を追求していくスタイルで、例えば、多くのロックグループがそれに当てはまり、ロックミュージシャン同士の交流も盛んだったので、互いのレコーディングに顔を出していることも多かった。 『スワンプ・ロック』という名前で紹介されたデラニー&ボニーやレオン・ラッセルなどが挙げられる。そして、これまでに伸びてきた二つのスタイルを重ね合わせ、アーティスト本位の音楽性を重視した上で、スタジオ・ミュージシャンなどを使い、商業性にこだわらない独自のサウンドを作り上げているプロデュースチームもあった。その代表格が、ハリウッドの北にあるバーバンク・サウンドのグループだった」

 

「バーバンク・サウンドという言葉を知らしめるきっかけとなったハーパーズ・ビザールの一連のヒット曲や、彼らが作り出した4枚のアルバム、ボー・ブランメルズ、アーロ・ガスリー、ランディ・ニューマン、ヴァン・ダイク・パークス等のアルバムを聴いていると、共通したなにか、それこそバーバンク・サウンドの特徴ともいえるものを発見することが出来る。セピア色に色づいた1920年代から40年代のアメリカ、それもハリウッドの黄金時代を思わせる都会的なものから、映画『怒りのぶどう』をほうふつとさせるものなのです。そこにはブルースがあり、カントリー&ウェスタンがあり、フォーク・ミュージックがあり、ジャズがあり、それにくわえて、ヴァン・ダイク・パークスやドゥービーのようにカリブ海からも音楽性を吸収している」

 

 

 こういった特徴を持つバーバンク・サウンドでありますが、この一連のグループが有名になっていったのには以下のような経緯がある。そして、商業性を度外視した音楽性から、一般的に有名になるのには少し時間がかかった。海外ではなおさらで、日本でこの言葉が普及するのには経過が必要だった。言ってみれば、じわりじわりとバーバンクの言葉が浸透していったのです。

 

 「ヴァン・ダイク・パークス、そして、ランディ・ニューマンなどはまったくと言っていいほど、商業性を無視していたから、それらの成果により名前だけは知られていても、アルバムの売上は十分と言えるものではなかった。そのため、日本でもほとんど紹介されぬまま終わっていたものも少なくなかった。 ところが、アーロ・ガスリーの「Coming To Los Angels」(1969年)がアンダーグラウンドでヒットしたのをきっかけに注目が集まるようになった。アーロ自身がウッドストック・フェスティバルで成功をおさめたことや、コメディ映画『Alice's Restaurant(アリスのレストラン)』(1969年)の成功も大いに手伝った。そして、1972年の夏、アーロ・ガスリーは「The City Of New Orleans」を大ヒットさせ、地位を決定づけた」

 

「それに刺激されてか、レニー・ワロンカーのアシスタント的な存在だったテッド・テンプルマンが、ポピュラー的な感覚を持つロック・グループを育てることに力を入れ始めた。その第一弾としてデビューしたのが、ドゥービー・ブラザーズだった。第二作『Toulouse Street』、その中のシングル「Listen To Music」が大ヒットし、成功を収めた。テッド・テンプルマンは、ヴァン・モリソンの制作を手伝うなど、音楽業界では、ワロンカー以上の注目を集めるようになりました。さらに、ドゥービー・ブラザーズに続いて、ヴァン・ダイク・パークス、リチャード・ペリーに才能を買われ、ニルソンやカーリー・サイモンのセッションにも参加したローウェル・ジョージを中心とするリトル・フィートが出てきた」とき、バーバンク・サウンドは決定的となった。

 

 

 バーバンク・サウンドはアーティスト主体によるサウンドで、フィル・スペクター・サウンドのように、限定的なサウンドではないことは先述した通りです。しかし、このバーバンク・サウンドは才能豊かなエンジニア、アレンジャー、プロデューサー、作曲家、そしてミュージシャンが支えてきた。これらは当時、ハリウッドのサイドストーリーともいえるバーバンクのスタジオで働く人々だった。その中には驚くべきロックミュージシャンの名前を見出すことが出来ます。

 

・レニー・ワロンカー(ワーナーーのチーフプロデューサー)

・テッド・テンプルマン(ワロンカーのアシスタントだったが、著名なプロデューサーになる)

・アンディ・ウィッカム(プロデューサー)

・ジョン・ケイル(音楽家、プロデューサー)

・ラス・タイトルマン(音楽家、プロデューサー)

・ヴァン・ダイク・パークス(音楽家、プロデューサー)

・ランディー・ニューマン

・リー・ハッシュバーグ(エンジニア)

 ・ドン・ランディー (エンジニア)


 というように、多数の才能豊富なミュージシャン、エンジニアがバーバンクのスタジオには在籍していたことが分かる。そして彼らが生み出したバーバンクの主要なグループは次の通りです。

 

 

 ■レニー・ワロンカーのプロデュース

 

 ・ライ・クーダー

・ハーパーズ・ビザール

 ・エヴァリー・ブラザーズ

・ランディ・ニューマン

・ボー・ブランメルズ

・ヴァン・ダイク・パークス

・ゴードン・ライトフット

 

■テッド・テンプルマンのプロデュース

 

 ・ドゥービー・ブラザーズ

・リトル・フィート

・キャプテン・ビーフハート

・ロレイン・エリソン


 

 ■伝説的なプロデューサー、レニー・ワロンカーが生み出したサウンド

 

 

 当時、ワロンカー氏は31歳になったばかりの若手プロデューサーだった。24歳のときに、ワーナーで勤務し始め、リバティ・レコードのプロモーション、そしてパブリッシングを担当していました。

 

 その経歴は彼の部下テンプルマンをして「今までに書かれたすべての曲を知っている男」と呼ばれていた。音楽的な知識が非常に豊富であったことがこのエピソードからうかがえる。ワロンカーがワーナーにきたとき、新しいマスターテープを聴き、アドヴァイスをし、そしてときにはレポートを書いたりして過ごし、1967年の始めまで プロデューサーをすることはなかった。


 ワーナー・ブラザーズは、1970年代頃、ボー・ブランメルズ、モージョー・メン、そしてハーパーズ・ビザールを所属させていたAutumn Recordsというサンフランシスコのレーベルを傘下に置いていた。レニー・ワロンカーは、このレーベルに向かい、Harpers Bizarre(ハーパーズ・ビザール)のデビュー・レコード、そしてMojo Men(モージョー・メン)のヒット作「Sit Down,I Think I Love You」を制作した。

 

 レニーは、レオン・ラッセルをハーパーズのアレンジャー、そしてモージョー・メンにはヴァン・ダイク・パークスをミュージシャン/アレンジャーに採用した。これがバーバンク・サウンドの始まりでした。

 

 

 ■レニー・ワロンカーのプロデュースの方針

 

レニー・ワロンカーが打ち出したプロデュースの方針は以下の通りでした。

 

1.プロデュースは''音楽の愛情''から行われるものである。

 

2.重要なことは、タレント(才能)を見つけ、 助けるということである。

 

3.「私は、私の知らない事を埋め合わせ、私のアイディアを理解出来る人々と働けるように務めている」

 

4.アーティスト自身にもプロデュースすることを勧める。 才能ある人の熱狂がどこかで必要だ。

 

5.すべては曲に始まる。曲の良さから来るアイディアが、時と場所、そしてアレンジャー、楽器の設定を可能にする。 


6.音楽はフィーリングである。

 

 

■ワーナー・ブラザーズの音楽的な方針 モー・オースティン氏の場合

 

 一方、これらのバーバンク・サウンドの自由性、あるいは寛容的な方針を推進したのが、親会社のワーナー・ブラザーズでした。当時、社長の座にあったのは、モー・オースティン氏だった。彼が打ち出した戦略、そして方針は、明らかにメジャーレコード会社らしからぬものでした。

 

1.何よりもまず、創造の自由を保証したい。 A&Rの働ける必要条件は、アーティストが創るものに一切の口出しをしない、ということである。放任主義あるのみ。そして、時間と費用も制約しない。


 

■ もう一人の立役者 テッド・テンプルマン

 

 テッド・テンプルマンといえば、後にヴァン・へーレンのプロデュースを手掛け、一躍ミュージック・シーンの重鎮になった人物である。彼の音楽の仕事の始まりは、他でもない、バーバンクでの仕事であった。彼は、レニー・ワロンカーが発掘した最も優秀な人材の一人であると称される。当初、ハーパーズ・ビザールの中心人物で、リード・ボーカル、ドラム、トランペット、ギター、作曲を担当していたマルチな才能の持ち主で、レニーとの初対面のときから、深い理解と友情へと結びついたという。そして、彼らの最初の科学反応の結果は、ハーパーズ・ビザールの大ヒット、そして「Feeling Groovy」に繋がりました。テッドは、のちにグループを離れ、ワーナーの専属プロデューサーの迎え入れられた。1970年9月のことでした。

 

 テンプルマンの最初の仕事はドゥービー・ブラザーズのデビューレコードの制作、そしてヴァン・モリソンの「Tupelo Honey」(1971年)、リトル・フィートの「Sailin' Shoes」(1973年)でした。その後、順調にキャリアを進め、『Toulous Street』、ヴァン・モリソンの『St.Dominic's Preview』(1972年)を制作した。以後、1972年4月に彼は役員プロデューサーに昇進しています。

 

 後に、プラチナやゴールド・ディスクを生み出すための布石は、すでに1970年代から盤石でした。彼の創り出すサウンドには、当時から惜しみない賞賛が送られています。


 リトル・フィートのリーダー、ローウェル・ジョージによる「彼は、アーティストがやりたいことをさせてくれる、アーティスト好みのプロデューサーだ」、キャプテン・ビーフハートによる「新作を彼とやったんだけど、今までのアルバムすべてを彼とやればよかった」、レニー・ワロンカーによる「彼は私の知っているベスト・プロデューサー。音楽的な基礎、技術的な基礎、そして、最高のプロデューサーの条件、自分のエゴで他人を妨げることのない才能を持っている」といった称賛の言葉はほんの一例に過ぎません。バーバンク・サウンドの自由な気風や創造における自由の保障という、当時のワーナーが掲げていた目標に沿ったものであることが実感出来ます。




【バーバンクの名盤 サウンドの感じを掴むための入門】 

 

 

Arlo Gathrie(アーロ・ガスリー) 『The Last Brooklyn Cowboy(邦題: 最後のブルックリン・カウボーイ)』 初盤は1973年に発売 2004年にリマスター盤が発売


アーロ・ガスリーによる1973年に発売された『Last Of The Brooklyn Cowboy』はバーバンクサウンドの最初期の良作です。このバーバンクサウンドの音楽的な温和さを味わうことが出来る。

 

このアルバムでは、ブルックリンと銘打たれていながら、アイルランド民謡のフィドルを取り入れたり、バンドセッションにおけるフォークロックの源を探っています。アーロ・ガスリーのボーカルはまったりしていますが、それもまたバーバンクの魅力とも言えるでしょう。初盤はホワイト・アルバムのようなアートワークでしたが、再発盤はワイルドなカウボーイと女性の影。

 

 

The Doobie Brothers(ドゥービー・ブラザーズ)『Toulouse Street(トゥールーズ・ストリート)』 初盤は1972年に発売 

 


 イーグルスと並んで、後のウェストコーストサウンドの象徴的なバンドへと成長するドゥービー・ブラザーズ。代表作としては『Captain and Me』が有名ですが、バーバンクサウンドとしては二作目のアルバム『Toulouse Street』が最適でしょう。

 

後にディスコロックの先駆者となるドゥービーのフォークロック色の強いアルバム。アーロ・ガスリーと同様に、カルフォルニアのフォークサウンドをベースにしつつも、R&B、ファンクといったブラックミュージックの要素も強い。渋いアルバムではありますが、アメリカのフォークロックの名盤の一つ。

 

 

 

Gordon Lightfoot(ゴードン・ライトフット) 『If You Could Read Mind(邦題 : 心に秘めた思い』 


 

ゴードン・ライトフットは1960年代後半から良いアルバムを発表しつづけていましたが、それがようやく商業的な形となったのが、1970年に発売された『If You Could Read Mind』でしょう。60年代後半はボブ・ディラン風のフォークロックでしたが、徐々に作曲はメロディアスになっていきました。

 

このアルバムはアコースティックギターの弾き語りをベースにしたもので、フットライトの温かく、心に染みるようなメロディーが切ない感覚を放つ。音楽的にも素晴らしいですが、バーバンクの高水準のレコーディングにも注目したいところですね。




Van Dyke Parks(ヴァン・ダイク・パークス) 『Discover America』 1972

 


 

ヴァン・ダイク・パークスは最初期の傑作『Song Cycle』においてビートルズのポップスを踏襲し、バロックポップやウォールオブサウンドの一貫であるチェンバーポップを実験的に政策していますが、特に、このアーティストらしさが上手く引き出されたのが『Discover America』でしょう。

 

地中海/カリブ音楽の影響が強いのは一目瞭然で、当時の西海岸のラジオで普通に流れていたのかもしれません。いわゆる現代のクロスオーバーの先駆的な存在であり、聴きのがすことが出来ません。ジャズやフォーク、そして当世のポップ、ロックなど、いかに当時のカルフォルニアには多彩な音楽が溢れていたかをこのアルバムに見てとることが出来る。

 

 

 Ry Cooder(ライ・クーダー) 『Into The Purple Valley(邦題: 紫の渓谷』 1971

 


 

若い頃から知っているが、素通りしてしまったアルバムが存在する。それがライ・クーダーの『Into The Valley』。ライ・クーダーはロマンティックなアルバムジェケットが多いですが、この作品だけはちょっとコメディー風で、映画の宣伝広告のようでもある。この先にどこに向かうのか。

 

実際に繰り広げられるのはカントリーをベースにしたロックです。他のアルバムに比べると、異質なほどブルース/カントリー色が強いです。アコースティックのブルース、カントリーをベースにしたロック/ポップで、南部のバーなどで流しのミュージシャンが演奏していそうな曲が目立つ。わけても、「Billy The Kid」は、ほとんどブルースと言っても良い。おそらくこのサウンドは、テッドニュージェント、ZZ TOPなどのサザンロックと呼応するようなものでしょう。他のアルバムに比べると入手しやすいはずです。渋いロックをお探しの方におすすめ。

 

 

 

Van Morrison 『Veedon Fleece』 1974

 

バーバンクサウンドの最高の名盤の一つです。テネシー・ワルツやフォーク、R&Bが折り重なり、ヴァン・モリソンのオリジナルサウンドが組み上げられた。ソウルフルな歌唱とピアノ、そしてベース、ギターという的確なアンサンブルが芳醇なバーバンクの世界を作り上げる。音楽に酔いしれることの素晴らしさ、そして西海岸の音楽の素敵さを、このアルバムは教えてくれるはずです。現代の音楽的な感覚から見ても、文句なしのポピュラーの名盤。 1980年代以降の米国の商業音楽のバラードは、おそらくヴァン・モリソンの影響が強いものと考えられる。

 




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Wiener Philharmoniker Photo: Dieter Nagl

 

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート2025が元旦に開催されます。2025年の公演は、ウィーンフィルが「最もウィーン的」と紹介するシュトラウスのプログラムを中心に1月1日に演奏されます。デジタル配信が1月8日に全世界で開始されます。コンサートの映像は世界90ヵ国で放映され、NHKでも1月1日の午後7:00から放映予定です。

 

2025年のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートは、リッカルド・ムーティを指揮者に迎えて、ストラウス一世、二世を中心とするプログラムが組まれており、意外な曲目が含まれている。コンスタンツェ・ガイガーという一般的に知られていない女性作曲家を対外的に紹介します。1939年初演という由緒ある伝統を持つウィーンフィル・ニューイヤーコンサートはこれまで、カラヤン、アーノンクール、小沢征爾らを指揮者に迎え、新年の到来を祝う素晴らしいコンサートを開催してきた。放映を前に来年度の注目しておきたいポイントを以下にご紹介します。

 

 

世界的な指揮者 リッカルド・ムーティ

Riccard Muti


イタリアのナポリ出身のリッカルド・ムーティは世界最高峰の指揮者。2010年に第10代シカゴ交響楽団(CSO)音楽監督に就任しました。指揮者としての全盛期には、フィレンツェ五月音楽祭(1968-1980)、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団(1972-1982)、フィラデルフィア管弦楽団(1980-1992)、ミラノ・スカラ座(1986-2005)において、輝かしい実績が築かれました。


リッカルド・ムーティはザルツブルグ音楽祭の芸術監督を務めていたカラヤンの招聘により、1971年に同音楽祭でデビューしている。それ以来、ウィーンフィルとの友好的な関係を築き、現在に至るまで同音楽祭に欠かせない重要な指揮者となった。

 

同音楽祭で演奏するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは、深い信頼関係を築いており、数々の記念すべき名演奏を残している。若い音楽家の育成にも情熱を注いでいる。2004年にはケルビーニ・ユース・オーケストラを設立。2015年には若手指揮者にイタリア・オペラの正統を伝えるため「リッカルド・ムーティ・オペラ・アカデミー」を主宰。2011年に70歳の誕生日を迎えるに際し、 ウィーン・フィルの名誉団員の称号を授与。これまでに、イタリア共和国カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ、フランスのレジオンドヌール勲章ほか、数多くの国際的な栄誉を受け、2018年には第30回「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞しています。

 


ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサートの長きにわたる歴史


 Herbert Von Krajan (1987)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートは今や世界中で知られており、本楽団によるシュトラウスの楽曲の演奏は「ワルツ王」の時代、つまりウィーン・フィルの歴史の始まりまで遡るという印象を与えているかもしれませんが、史実は異なるという。実際、楽団員は長いこと、当時作曲された最も「ウィーン的」なシュトラウスの音楽を取り上げてきませんでした。それはシュトラウスの音楽が娯楽的であるという理由によるんだそうです。彼らは、「娯楽音楽」と関係することで、「フィルハーモニー・コンサート」により向上した社会的地位が脅かされると考えたようです。シュトラウス一家に対する、この姿勢は徐々にしか変わりませんでした。


この姿勢を変えた決定的なことは、フランツ・リスト、リヒャルト・ワーグナー、ヨハネス・ブラームスなどの偉大な作曲家が、この作曲家一族の二人を大変高く評価していたという事実に加え、ヨハン・シュトラウス二世と何度か会うことで、ウィーンフィルの楽団員がこの音楽の意義やヨーロッパ中を魅了していた作曲家の人柄を知る機会を得たということにありました。



作曲家ヨハン・シュトラウスとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の長年にわたる友好的な関係


ウイーンフィルとシュトラウスの友好関係は長きにわたり深められてきました。ウイーンフィルの楽団員とヨハン・シュトラウスが出会って間も無く、シュトラウスの楽曲が初演されることとなりました。

 

1873年4月22日にウィーン楽友協会のホールで開催された宮廷歌劇場主催の舞踏会のためにシュトラウスはワルツ『ウィーン気質』を作曲し、ヴァイオリンを自ら演奏しながら指揮しました。1873年11月4日にはウィーン万国博覧会に参加した中国の委員会が開催したガラコンサートで父親やヨーゼフ・ランナーの楽曲、そして『美しく青きドナウ』の公演を行いました。


続いて、宮廷歌劇場のソワレにおいて(1877年12月11日)、シュトラウスは彼が作曲した《古きウィーンと新しきウィーンの回想》の初演を指揮しました。この曲は、残念ながら今は失われてしまった、彼のあるいは彼の父親の楽曲のテーマのメドレー集だと言われています。1894年10月14日にウィーン・フィルはシュトラウスの音楽家生活50周年を記念する祝賀演奏会に参加し、(その返礼として)シュトラウスは記念メダルおよび電報を送り、謝意を表明しました。


ヨハン・シュトラウス」その次の共演には悲しい結末が待ち受けていました。1899年5月22日にシュトラウスは宮廷歌劇場で『こうもり』の公演の最初で最後となる指揮を振りました。その時に風邪を引き、これが肺炎を誘発し、1899年6月3日に死去。


1979年10月にヴィリー・ボスコフスキーが健康上の理由で1980年のニューイヤーコンサートをやむを得ず降板した後、ウィーン・フィルは再び抜本的な改革を行いました。国際的な名声を博していた指揮者であるローリン・マゼールが選出、彼が、1996年までニューイヤーコンサートの指揮を振ることになった。その後は、毎年指揮者を替えることが決定されました。その始まりをヘルベルト・フォン・カラヤンが1987年の忘れがたいコンサートで華々しく飾りました。


その後、クラウディオ・アッバード、カルロス・クライバー、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティ、ローリン・マゼール、小澤征爾、ニコラウス・アーノンクー、マリス・ヤンソンス、ジョージ・プレートル、ダニエル・バレンボイム、フランツ・ヴェルザー=メスト、グスターボ・ドゥダメル、クリスティアン・ティーレマン、アンドリス・ネルソンス(2020年)といった、主にウィーン・フィルの定期演奏会の指揮者がニューイヤーコンサートを指揮した。マエストロ、リッカルド・ムーティがニューイヤー・コンサートで指揮するのはこれで7度目となります。

 

 

ニューイヤー・コンサートのこぼれ話 

2021年のニューイヤーコンサート


ニューイヤー・コンサートは、ザルツブルグ音楽祭と並び、オーストラリアの音楽祭としては最大規模。ウィーン楽友協会の黄金ホールで開催されるということもあり、新年らしい華やかなムードを素晴らしいオーケストラの演奏と共に体験出来ます。しかし、このニューイヤーコンサート、実は、12月30日、大晦日、1月1日と、3日間にわたって開催されるのが恒例です。1月1日の演奏だけが世界的に配信され、生放送されるのが通例となっているんです。

 

また、このコンサートは、一般的な参加が可能ですが、コンサートのチケットは抽選式となっています。毎年のように熾烈なチケット争奪戦が繰り広げられ、世界から約50万人の抽選応募があり、当選するのはかなり難しいという話。抽選の申し込みは、通例では、2月1日から29日までとなっているようです。また、”チケットは一人2枚まで”というのが規則となっている。

 

2021年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートは無観客で開催され、地元オーストリアのTV視聴率はなんと54%を記録し、歴史的な視聴率を獲得しました。同年のコンサートは、およそ120万人が視聴したと試算されています。また、この年のコンサートでは、楽団や指揮者の登場時は無音だったものの、第一部と二部の間にオンラインで視聴していた七万人の拍手をリモートで映像で届けるという荒業が取り入れられた。 

 

実は、この年、コンサートの指揮を振ったのが他でもない、リカルド・ムーティでした。彼は、ウィーンフィルと協力し、80年以上に及ぶ、同コンサートの伝統を守り抜くことに成功しました。

 

オーストリア日刊紙「クーリエ」は、この年のコンサートについて、次のように評しています。「芸術的にこれ以上望むものはない」「リッカルド・ムーティとウィーン・フィルは聴衆に特別な音楽的な饗宴をもたらしてくれた」。さらに、同国のクローネ紙も同様に「ウィーン・フィルは魅惑的な色彩感、そして洗練された音に包まれた」と手放しの称賛を送りました。

 

またとない豪華な共演、そして饗宴。様々な楽しみ方が出来るウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート。2025年の年始は、ご家族で生中継をご覧になってみてはいかがでしょうか。

 ・有名ミュージシャンに愛されたロードトリップの象徴  Route 66  


 シカゴからカルフォルニアに続く「Route 66」は、カーマニアには聖地のような場所である。かつてジョン・スタインベックが『The Grape of Wrath(怒りの葡萄)』でこのハイウェイを題材に取り上げた。

 

 作中では、オクラホマの農民がカルフォルニアに向かい、ハイウェイを横断する話が書かれている。スタインベックは風景描写に定評があり、市民の暮らしとアメリカの風物の美しさを社会的な時代背景とリンクさせながら丹念に描いた。今やルート66は過去の遺構となり、現在ではカーマニアが集い、マザーロード・フェスティバルが毎年9月に開催される。その道半ばには、ダイナー、モーテルが点在し、今なアメリカのロマンティシズムを地政学的に象徴付けている。


 つくづく思うのが、アメリカは自動車産業とともに発展していった国家でもある。その遺産はテスラ・モーターズに受け継がれているが、このルート66が愛された理由も、余暇に大陸を横断するハイウェイをクラシックカーで何日もかけて走るという営為が、アメリカ的なロマンティシズムの象徴でもあった。

 

 そして、「American Graffiti(アメリカン・グラフィティ)」で描かれるような富裕感覚ーー収入を車に費やすということ自体が、大きな憧れのようなものでもあったのである。自動車を個が所有する行為自体が、経済発展の象徴を意味し、これはシンクレア・ルイスが自動車に夢中になる若者と、家族制度の変化、教会制度の崩壊、という鋭いテーマを交え描いた。そして、アメリカ人が変化していく現状を、社会学の観点からシニカルに切り取ったのだった。この時代、明らかにアメリカは世界一の経済国家になる過程にあり、それはまた物質的な価値観が隆盛を極め、旧来の価値観が崩壊していくという新しい生活様式を予見していたのだった。

 

 

 ルート66は産業発展の象徴である。オクラホマの実業家であるサイラス・エイブリーはドイツのアウトバーンのような幹線道路を建設を思いつく。1910年には、一般道路の自動車の通行が増加しつつあった。実業家のエイブリー氏は、道路整備の重要性を提唱していた。彼は幼い頃、よくワゴンでオクラホマから西に向かった。そのときに見た光景から理想的なルートが脳裏に浮かんだ。シカゴからロサンゼルスにかけて2448マイルを横断する壮大なハイウェイの建設である。時代の需要も要因だった。1910年、米国では50万台の自動車が登録されていた。1920年頃には爆発的な普及を見せ、1000万台に到達した。この統計だけでもいかに一般家庭に自動車が普及しつつあったのか、手に取るように分かるのではないだろうか。

 

 1926年に最初の区画が開通した。しかし、1929年にはウォール街に端を発する恐慌が起こり、中西部から数十万人もの移民が発生した。彼らは出稼ぎのために、より大きな街を目指した。そして、1933年から37年にかけて、ルーズベルト大統領は不況解消法を制定し、失業者を中心にハイウェイの建設が進められた。幹線道路が建設された後、中西部から多くの農業従事者がカルフォルニアへと向かった。それはスタインベックの「怒りの葡萄」にも描かれているような情景であったに違いない。しかし、こういった重要な交通網としての役割の他にも、ルート66はもうひとつの役割を持っていた。この幹線道路は観光名所として親しまれたのだった。

 

 そうした中、世界大戦中、アメリカ人の一般的な娯楽が自動車とロードトリップに費やされたのは当然の成り行きだった。ビートニクスの象徴的な作家、ジャック・ケルアックが「オン・ザ・ロード」で、ルート66を取り上げたことによって、ある意味ではポップ・カルチャーの象徴ともなり、インテリ層の注目を惹きつけることになった。それ以降、1985年にハイウェイが廃止されるまで、 アメリカの経済成長の象徴でもあり、ロードトリップの象徴として、ルート66は多くの人々に親しまれた。写真に見られるように、いかにもアメリカ的な風物である。

 

 

 

・音楽的な題材としての「Route 66」 ナット・キング・コールからチャック・ベリー、ローリング・ストーンズ 時代とともに移り変わるテーマの変化

 


 

 まず最初にルート66に注目したのは、アラバマ出身のジャズ・ボーカリストの巨匠、ナット・キング・コールだった。1946年、戦争が終わった直後、ボビー・トゥループという人物が「Route 66」を作曲し、それをナット・キング・コールが歌った。彼は、出稼ぎ労働者のロマンを情熱的に歌った。新天地を目指す市民の憧れをこの曲でムードたっぷりに歌い上げている。

 

 曲としては、スタンダードなジャズであることが分かる。歌詞はご当地ソングのようでもある。旅に誘う内容で、途中には沿線各地の地名が登場する。シンプルなリフを基調とする親しみやすい曲調、軽快かつコミカルな歌詞とが好まれ、キング・コールのヒット以来、半世紀以上に渡って歌い継がれることに。 音楽的に言えば、渋く、古典的なジャズのリズムが特徴となっている。

 

 原曲を聴くと分かるが、歌詞の内容も情緒と興趣にあふれている。田舎から都会に出稼ぎ労働のために出ていこうとする若者の心の機微とうまく呼応している。そして、歌詞の重要なポイントは、「シカゴからロサンゼルスに向けて車を走らせようぜ。きっとワクワクする冒険が待っている」という箇所である。ナット・キング・コールは「西海岸に向かうと良いことがある」とも歌っている。 本当に良いことがあったかは分からないが、西海岸は、憧れの象徴の土地でもあったことが分かる。現在では、その土地のことが容易にわかってしまうこともあるが、当時ではそうではなかったのだろう。そういった側面では、想像の余地がこの曲のロマンティシズムを与えた。必ずしも知っているということばかりが、良いとはかぎらないということがわかる。 

 

 

Nat King Cole 「(Get Your Kicks On)Route 66」 (Original)

 

 

  「Route 66」はそれ以降、カバーソングの重要なレバートリーとして語り継がれることになった。また、次にこの曲のカバーに取り組んだのが、ご存知、ロックンロールの帝王、チャック・ベリーである。この曲は、ロックンロール最盛期(1955~56年)のあとにカバーソングとして発表された。

 

 チャック・ベリーはエルヴィス・プレスリーと同じく、RCAからデビューし、一躍「ロックン・ロールの帝王」として知られるようになった。ベリーがテレビに出演した時、88%もの視聴率を記録した。彼はまさしく、1958年までに国民的な歌手として知られるようになった。しかし、実は、全盛期以降の活躍に関しては賛否両論がある。1960年以降、ベリーは、R&Bに傾倒することもあり、国民的なスターではなく、本格派のプロミュージシャンとして活動を続けた。そんな中、このカバーソングは、ロックンロールの魅力を余すところなく凝縮している。 

 

 

Chuck Berry 「Route 66」

 

 

 

 最も注目すべきは、ナット・キング・コールの原曲は、出稼ぎ労働に出かける人々のロマンに焦点を当てている、他方、チャック・ベリーのカバーは、より都会的なムードを醸し出している。つまり、このカバーは、1961年のアメリカの都会的に洗練されていく若者を歌っているのではないか、ということ。つまり、チャック・ベリーは、幹線道路にまつわる時代の変化の推移をストレートなロックソングに込めて、それをリアリスティックに歌い上げたということである。

 

 続いて、この曲はローリング・ストーンズによってカバーされた。しかも1964年のデビューアルバム『The Rolling Stones』の一曲目でである。ある意味では、この一曲目のカバーが後のストーンズの運命を決定付けた可能性があると指摘しておきたい。というのも、1960年代のロックバンドは、最初、カバーから出発するのが王道であった。ビートルズはいわずもがな、ローリング・ストーンズもカバーから出発した。


 つまり、当時は、カバーから始まり、その後、ライブ等で実力をつけ、オリジナルを増やすというのがスターを生み出すための戦略だった。


 しかし、どの曲をカバーするかによって、そのバンドのキャラクターのようなものがはっきりと浮かび挙がってくる。「Route 66」のカバーでのミック・ジャガーの歌い方は、チャック・ベリーを少し意識している。このカバーは、海外から見た異国への憧れを暗示しているように思える。最初は、出稼ぎ労働者、都会的に洗練される若者、そして、海外から見た憧れの象徴というように、ルート66は、その時代ごとに、地政学的な意味合いを変化させていった。

 


The Rolling Stones 「Route 66」

 

 

・「Route 66」の意義の変化 父の世代の象徴としてのロード

 



 

 「Route 66」は長らく忘れ去られていたように思えた。そしてそれは、実際的には当然の成り行きでもあった。現実的に言えば、アイゼンハワー大統領の時代に、「ルート66」は幹線道路としての意義ーー人や物資の移動手段ーーを完全に失い、1985年以降は交通手段として一般的に廃止された。つまり、以降の時代は、飛行機での移動が当たり前となり、自動車での移動をする意味が乏しくなった。しかし、突如、最初のオリジナルソングのリリースから45年の歳月を経た1991年になって、この不朽の名曲が再び世の脚光を浴びることになった。

 

 曲を蘇らせたのは、ナット・キング・コールの娘、ナタリー・コールだった。彼女は、ジャズアルバムでありながら、ポップチャートを席巻した代表的な傑作『Unforgettable』で父親キング・コールの原曲を見事に蘇らせた。しかも、亡き父の歌声とのオーバーダブによって。このカバーにおいて、ナタリー・コールは父の魂を畏れ多く歌い、父親の本当の姿を探ろうとした。


 曲のカバーは、モダン・ジャズ風の洗練された編曲が施され、半世紀ほどを経て、新たなジャズ・スタンダードに生まれ変わることになった。ルート66は、1991年になると、次世代の「父の象徴」へと変化していったのである。以降、この曲はジャズスタンダードの定番になった。また、ナタリー・コールが終生にわたり、ロサンゼルスにこだわったのには理由がある。なぜなら彼女の父親はこう歌ったのだから。「西海岸に向かうと良いことがある」というように。


 カバーソングというのは簡単なようでいて難しい。それでもそれぞれ違った楽しみ方があって本当に素晴らしい。音楽的なバリエーションの変化にとどまらず、どのようなテーマを盛り込むのか、そして、独自の価値観を付与することが大切なのかもしれない。

 

 

Natalie Cole 「Route 66」

 Album Of The Year 2024  


 

Vol.3   独立化に向けたミュージックシーンの動き  

 

今年、もう一つの動向として顕著だったのが、それまで主要なレーベルから作品の発表をしていたミュージシャンやバンドによる独立化の動きです。


最も多い傾向が、相応に知名度のあるレーベルに所属し、何年かリリースを重ね、宣伝やマーケティング、録音のエンジニアリングなどのノウハウを学んだ後、独立的なレーベルや自主制作に移行するという形です。また、その動向のなかには、インディペンデントな形態での楽曲の配信も含まれています。


ミュージシャンの独立化に向けた動きであり、レーベルの起業やファウンドがトレンド的な流れとなりそうな予感もある。もしかすると、その中にはファッション・ブランド等、異なる業種の分野でのファウンドという可能性もあるかもしれません。少なくとも、独立化の動きは、商業的に左右されずに音楽を発表したいという、ミュージシャンの切望があらわれた形でしょう。実際的に、納期にまつわる制約が緩くなる場合があり、メリットもあるようです。こういった独立レーベルや自主制作を網羅するような媒体が増えると面白いかもしれません。

  

ただ、推奨したいのは、無計画に独立形態でやるのではなく、臨機応変に状況に対応し、戦略を展開させるべきでしょう。例えば、それ以前には、レーベルに所属し、プロモーターやA&Rなどのプロフェッショナルなノウハウを学習するというプロセスもどこかで必要になってきます。そしてそれが、最終的には社会的な還元や経済的な循環という形で寄与されるのが最も理想的でしょう。こういったインディペンデント化の一連の動きは、今後さらに活発になる可能性もあります。それこそが音楽業界の権利の均等化への道筋を作るための目印ともなりそうです。

 

音楽業界は確かに他の主要な産業に比べると小規模ではありますが、依然として大きな市場を誇っています。最近は、ライブツアーに関して、ヨーロッパ圏を中心に大きな市場が形作られつつあり、イギリスやアメリカのアーティストはこの地域に注力している。つまり、どこに可能性を見出すかによって、その結果はまったく変化してくるでしょう。僭越ではありますが、以上が今年数々のリリースやニュースを見てきた上での本サイトのシーズンの総括となります。

 

 

  

35. Bleachers 『Bleachers』



Label: Dirty Hit 

Release: 2024年3月8日

 

ニュージャージーが生んだ稀代のプロデューサー、テイラー・スウィフトの作品も手掛けるジャック・アントノフのバンド形式によるアルバム。プロ・ミュージシャンの頂点を知るミュージシャンは、むしろ若い時代のインディーロック・バンドのような新鮮さをこのデビュー作『Bleachers』で追求しています。ブリーチャーズのサウンドの礎となったのは、ヨットロック、AOR、ソフィスティ・ポップといった80年代のMTV全盛期の商業音楽である。そして、彼はブルース・スプリングスティーン以降のUSロックの魅力を誰よりも知り尽くしています。

 

誰しもときどき、何のために音楽をやり始めたのかを忘れてしまうときがある。アントノフはその初心を今作で取り戻した。シンセ・ポップ風のサウンドで始まるこのアルバムは、サックスの軽快な演奏を交えたロックソング「Modern Girl」へと繋がる。まるで音楽を最初に始めたときの初々しさ、楽しさ、音を奏でる純粋な喜び、そういった美しい感覚に満ちあふれています。

 

グラミーで頂点に立ったエンジニアとは異なる純粋な音楽ファン、そして演奏者としての姿を捉えたブリーチャーズのデビュー・アルバムは、米国の黄金時代のように輝かしさをどこかにとどめています。またDirty Hitらしいライトな質感を持つバラードソングも今作の最大の魅力です。

 

 「Modern Girl」

 

 

 

36.Sam Evian 『Plange』



 

Label: Flying Cloud/Thirty Tigers

Release: 2024年3月22日

 

今年、サム・エヴィアンは、新作アルバム『Plange』を発表した。本作はインディーロックの隠れた名盤と言えるでしょう。女性シンガーソングライターを中心にリバイバルサウンドが流行っているますが、エヴィアンのサウンドは、それらを男性的な視点から見据えています。アルバムはニューヨークの山間部であるキャッツキルで録音され、スフィアン・スティーヴンス、エイドリアン・エンカー、Palehoundのエル・ケンプナーなど、米国の象徴的なモダンフォーク/インディーロックミュージシャンが参加。サム・エヴィアンのビンテージロックに対する憧憬は、歌手自身の甘くマイルドなボーカルと相まって、うっとりとしたロックワールドを展開していく。

 

The Byrds、Beatlesの系譜にあるスタイリッシュなロックソングは、聞き手を懐かしきアメリカンロックの魅惑的な空間へと誘う。「Wild Days」、「Jacket」も秀逸なビンテージロックで渋くてかっこ良いが、「Runaway」のフォークサウンドも捨てがたい。最後に収録されている「Stay」は、今年のインディーロックソングの中ではベスト。ノスタルジックで牧歌的、そして、甘くて切ないアメリカーナのロックナンバー。Real Estateのファンにもおすすめしたい。



「Stay」

 

 

 

37.Real Estate 『Daniel』

 


Label: Domino

Release: 2024年2月23日



今年、Real Estateはニューヨークでイベントを開催し、「Daniel」という名前の入場者を集めたスペシャルライブを開催した。次いで来日公演を行い、いよいよ海外的にも人気を獲得していきそうです。

 

リアル・エステイトのロックサウンドは2010年代のニューヨークのベースメントのインディーロックシーンと呼応する形でビンテージロックをモダンなサウンドとして解釈するということにある。ドミノから発売された最新作『Daniel』でも五人組のコンセプトに変更はありません。心地よく爽やかなインディーロックサウンドは、時代を越えた普遍的な響きに縁取られています。

 

フォークサウンドとインディーロックを融合したスタイルは健在で、「Haunted World」、「Water underground」、「Flowers」、「Say No More」など聴かせる曲が多い。やはりさわやか。



「Say No More」

 

 

38. Middle Kids 『Faith Crisis Pt.1』

 


 Label: Lucky Number(Middle Kids)

Release: 2024年2月16日

 

オーストラリア国内では大きな支持を獲得している三人組のインディーロックバンド、Middle Kids。どうやら彼らの最大の魅力はライブにあるようで、スタジオ録音だけですべては語り切れないかもしれない。ライブはかなり盛り上がるらしい。

 

ミドル・キッズのサウンドには大きな期待値を感じさせる。ロック・バンドとは言えども、ダンス・ポップやオルトポップサウンドを絡めることもあり、色々な聴き方が出来る。最新作『Faith Crisis Pt.1』は個人的な危機について歌われており、また、今後、連作となる可能性もあるという。メルボルンやクライストチャーチのグループと連動するような形でベッドルームポップに触発されたオルトロック/オルトポップとして楽しむことが出来るかもしれません。

 

とくに感銘を受けたのが「The Blessing」という曲で、バンドにとっての象徴的なナンバーとも言えるかもしれない。他にも「Bootleg Firecracker」、「Highlands」など良曲がもりだくさん。ライブ盤『Triple J』も9月27日に発売されている。ぜひ大きな活躍をしてほしいです。

 


「The Blessing」

 



39.Demian Dorelli  『A Romance Of Many Dimentions』

 


 

Label: Ponderosa Music

Release: 2024年4月19日



イタリア人のファッション写真家、そして、英国人のバレエダンサーを両親に持つピアニスト、Demian Dorelli(デミアン・ドレッリ)は、ニック・ドレイクに触発を受けたアルバムを発表している。2023年のアルバム『My Window』に続く最新作『A Romance Of Many Dimentions』は、Max Richter(マックス・リヒター)の系譜にある美しく叙情的なピアノ・アルバムとなっている。表題の意味は”異なる次元にあるロマンス”です。


本作の表題は、1884年に発表されたエドウィン・A・アボットの小説『Flatland』にインスパイアされたという。アルバムに収録される完結で深みのある8つのトラックは、小説の副題である「多次元的な愛の物語 」によって喚起される感情さえも自由に探求する道筋を示している。

 

このアルバムは、心をかき乱されそうになったとき、ぜひとも手元においておきたい。近年のモダン・クラシカルやポスト・クラシカルは、プロデュース的に手の込んだ作品が目立つが、一方、ドレッリの新譜は、演奏者の演奏の流れを堰き止めたりせず、スムースな音楽性を楽しむことが出来る。基本的には、ピアノの演奏とチェロとの室内楽のようなアルバムになっている。デミアン・ドレッリの芸術的なセンスは、イタリアンバロックの時代から引き継がれたものだが、一方、フレンチ・ホルンを導入し、英国的な情緒に敬意を表することも忘れていない。

 

ひらめきのあるピアノのパッセージから繰り広げられる巧みな曲構成は、まさに演奏家/作曲家としてのイマジネーションを余すところなく凝縮させたと言えるだろう。「Houses」、「Universal Colour Bill」、「Thoughtland」といった楽曲は、まさしく彼が、同国のポスト・クラシカルシーンの名手であるマックス・リヒターの継承的な存在であることを伺わせる。”聴く度になにか新しい発見がある”という点では、制作者のコメント「1884年にエドウィン・A・アボットが小説『FLATLAND』を発表したように、さっきまであなたがいた次元とは違う次元を紹介できるよう頑張りたい」という言葉は、このアルバムの紹介にぴったりだと思う。



「Universal Colour Bill」

 

 

40.Lightning Bug 『No Paradise』

 


Label: Lightning Bug

Release: 2024年5月2日

 

前作までのインディーフォークをベースにしたアルバムが来るかと思っていたら、大きく予想を裏切られた。このアルバムでライトニング・バグは、旧来にない多彩な音楽的なアプローチを見せている。インディーフォークからポストロックに至るまで、従来にはない実験的な試みが取り入れられている。他の予測はほとんど外れたが、先行シングルを聴いたときに感じた映画的なサウンドというのは、どうやら当たっていたらしく、それがこの最新作の面白さともなっています。

 

アルバム全体における流れのようなものを強く意識しているらしく、特に、アルバムの中盤以降、「Lullaby For Love」から「I Feel」は連曲に近い構成となっています。一曲目「On Paradise」と最後のトラック「No Paradise」は対の楽曲であり、「Opus」、「December Songs」 も連曲の構成になっている。インスピレーションとソングライティングのセンスが素晴らしく、アルバムの序盤の収録曲「The Withering」を聞けば、そのことは一目瞭然かもしれない。話を聴いたかぎりでは、そういったインスピレーションを大切にしているということです。

 

当初、ライトニング・バグは静かで癒やし溢れるオルトフォークを主な特徴としていたが、「エッジの聴いたサウンド」、そして、「納期を気にせず制作に取り組めた」という制作者のコメントは、音楽全般の作り込みや洗練度の中に反映されている。弦楽器のアレンジなども入り、作風は豪華になっていることが分かる。制作の発端となったという「バイク旅」の話については、おそらく「Withering」、「I Feel」といった楽曲に反映されていると思われます。ソングライターは、ベス・ギボンズを敬愛しているらしく、アートポップを反映させた曲も少なくない。即効性のある曲も良いけれども、やはり「December Song」がベストトラックであると思います。


 

 「December Song」

 

 

・Interviewはこちらからお読みください。

 

41.  King Hannah  『Big Swimmer』



Label: City Slang

Release: 2024年5月31日


リバプールのインディーロックデュオ、King Hannah(キング・ハンナ)は今年、シティ・スラングから『Big Swimmer』を発表した。4ADのバンド、Dry Cleaningを彷彿をさせるスポークンワードのボーカルと、VU、Yo La Tengoの影響下にあるローファイなギターロック、アメリカーナに触発されたゆったりしたフォークロックが一つの特徴となっている。終盤の収録曲「This Wasn't International」にはシャロン・ヴァン・エッテンがボーカルで参加している。

 

今作は、デュオが制作の前年にアメリカツアーを行ったときの経験を基に制作された。アルバムの中にはキラリと光るセンスが偏在し、「New York Let's Do Nothing」等のハイライト曲に反映されています。また、実力派のバラードソング「Suddenly Your Hand」はじっくり聴かせる。ロックバンドとしてのきらめきは、アメリカツアーの思い出を綴った中盤の収録曲「Somewhere Near El Paso」に見いだせます。サイレントで冷ややかな展開から、中盤のギターソロ、ラウドで熱情的なハードロックへと移行する曲のクライマックスは圧巻とも言える。



「Suddenly Your Hand」


 

42.Bonnie Light Horseman 『Keep Me On Your Mind/ See You Free』




Label: jagujaguwar 

Release: 2024年6月7日


「これぞUSフォークサウンド!!」といいたくなるのが、Bonnie Light Horseman(ボニー・ライト・ホースマン)の最新作『Keep Me On Your Mind/ See You Free』。本作は二枚組の構成となっていて、20曲が収録されています。バンドはすでにグラミー賞にノミネート経験があり彼らの熟練のサウンドは一聴の価値あり。フォーク・ミュージックが近年、他のジャンルと融合する中で真実味を失いかけている中、ボニー・ライトホースマンはソウル、ジャズの音楽性を取り巻くように、奥深いフォークミュージックの世界をリスナーに提供しています。

 

特に、「Keep On You Mind」では、オルガンをベースにゴスペル風の見事なコーラスワークで始まり、うっとりさせる。また、アコースティックギターをベースにした本格派のカントリーソング「I Know You Know」を始め、デュエット形式の本格的なアメリカーナを楽しむことが出来ます。また、ジャズ風のバラードも収録されており、「When I Was Younger」は彼らの代名詞とも言えるナンバーである。その他にも、バンジョーを使用した爽快なフォーク・カントリーソング「Hare And Hound」なども明るい雰囲気に充ちていて素晴らしい。また、アルバムの終盤に収録されている「Over The Pass」も気持ちが明るくなるような爽快感がある。


本作は、アメリカーナやフォーク/カントリーソングの魅力を掴むのに最適なアルバムと言えます。

 

 「I Know You Know」

 

 

43.Charli XCX 『brat』 


Label: Atlantic

Release: 2024年6月7日

 

サブリナ・カーペンターと並んで、2024年を象徴付けるアルバム『Brat』は前作『Crash』で見せたハイパーポップのアプローチから一転、チャーリーはコアなダンスミュージックへと基軸を進めたことに少し驚いた。実際的に聴き応えのあるダンス・ナンバーがずらりと並んでいます。

 

「360」、「365」、「Rewind」、「Apple」といったコアなダンスチューン、ソングライターとしての成長の過程を捉えられる収録曲もある。オートチューンを用いたハイパーポップとバラードの融合「I Might Say Something Stupid」、「Talk Talk」など話題のトラックが満載。商業性とその中でどういったスペシャリティを織り交ぜられるのか、チャーリーの探求は続く。

 


「365」

 

 

 

44.Cindy Lee 『Diamond Jubilee』- Album Of The Year

 



Label: Realistik

Release: 2024年3月29日10月23日にストリーミングが開始

 

 

今年はデジタル録音の中でアナログの質感を強調させる作風が目立った。その筆頭格ともいえるのが、トロントのCindy Lee(シンディ・リー)による通算七作目のアルバム『Diamond Jubilee』。フィジカル盤は現時点では発売されていません。(2025年2月に三枚組で発売予定)

 

『Diamond Jubilee』は、各方面で「2024年のベスト・アルバム」という呼び声が高い。少なくとも一度消費して終わりというアルバムではないことは痛感出来る。ずっと聴いていると、サイケデリアの深度に呆れ、クラクラと目眩がしてくるようなミステリアスな作品。まず、32曲というボリュームに驚かされるが、内容の濃密さにも同じく圧倒される。サイケロック、モータウンサウンド、70年代のファンクロックを吸収し、ローファイな粗削りのサウンドに仕上げ、最終的にヒプノティックなポップソングのゆらめきに変わる。例えば、下記に紹介する「Flesh and Blood」では、アナログレコードの回転数の変化をBPMに取り入れています。

 

レコーディングプロセスに関しては寡聞にして存じ上げないものの、レコード時代のアナログサウンドを全般的に意識したことは明瞭ではないでしょうか。部分的に生演奏がコラージュのように縦横無尽に散りばめられるという点では、このアルバムの本質は、「リサンプリングの極北」でもある。きわめてマニアックでカルト的な作品であることは事実でありながら、タイトルにもある通り、新旧のポップソングの不朽の魅力が”ダイアモンド”のように散りばめられています。

 

こういったカルト的なアルバムが異様なるほど称賛されるのは理由があり、メインストリームの音楽に対するメディア側の本音のようなものを体現しているのかもしれません。本作は、反消費、反商業的なポップ・アルバムとして、次世代にひっそりと語り継がれる可能性がありそう。

 

 

 

  


 45. Clairo 『Charm』



Label: Virgin

Release: 2024年7月12日


2019年のデビュー作『Immunity』でロスタム・バトマングリイ、続く『Sling』でジャック・アントノフと共同制作をした後、クレイロは、エル・ミッシェルズ・アフェアのレオン・ミッシェルズと『Charm』を共同プロデュースしました。彼女は、ニューヨークの2つのスタジオ、クイーンズのダイアモンド・マインとショーカンのアレア・スタジオでライブ・レコーディングを行いました。


当初、録音された音源は、ライヴ演奏からテープへトラックダウンされ、ファンクレジェンドのシャロン・ジョーンズやザ・ブラックキーズ等と仕事をしたことがあるプロデューサーのLeon Michelsが厳密なアナログ・レコーディング手法にこだわった形で作業が進められ、完成した。

 

今作『Charm』は、クレイロにとって日本盤CDにてリリースされる初のアルバムでもある。ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)やブロッサム・ディーリー(Blossom Dearie)などの、壮大で洗練された音楽に魅了されたクレイロは、20世紀のレコーディング技術を活かし、なるべくデジタル時代の陳腐化した音にならないよう最新の注意を払いながら制作に取り組んだという。2021年に発表した『Sling』では、初めて生の楽器のサウンドを導入しましたが、今作の同じ手法を取り入れています。ホルン、木管楽器、ヴィンテージのシンセサイザーが印象を強め、同時に、リズミカルな楽曲が多い。デビュー作『Immunity』を思い出させる内容となっています。

 

デ・ラ・ソウルやドレの時代から受け継がれるターンテーブルのチョップのような技法を交えながら、ソウル、チェンバーポップ等を融合させた画期的なアルバムです。このアルバムを聴く限り、クレイロはよりプロフェッショナルなシンガーソングライターのレベルに到達しています。最早、ベッドルームポップを卒業し、次世代のSSWの象徴的な存在となりつつあるようですね。

 

 「Juna」

 



46. JPEGMAFIA 『I Lay Down My Life For You』



Label: AWAL

Release: 2024年8月1日(アルバムジャケットの別バージョン有り)


Tyler The Creator、Kendrick Lamerがオーバーグラウンドの帝王だとすれば、こちらはアンダーグラウンドの帝王。NYのアブストラクトヒップホップの頭領、JPEGMAFIAが『I Lay Down My Life For You』を携えて帰還した。本作は、盟友であるダニー・ブラウンの昨年の最新作『Quaranta』に部分的に触発を受けたような作品です。序盤ではドラムのアコースティックの録音を織り交ぜ、予測不能で独創的なアブストラクト・ヒップホップが繰り広げられます。

 

「ドープ」と呼ばれるフロウの凄みは今作でも健在。さらに音楽的なバリエーションも非常に豊富になりました。たとえば、「i scream this in the mirror-」では、ノイズやロック、メタルを織り交ぜ、80年代から受け継がれるラップのクロスオーバーも進化し続けていることを感じさせます。メタル風のギターをサンプリングで打ち込んだりしながら、JPEGMAFIAは、明らかにスラッシュ・メタルのボーカルに触発されたようなハードコアなフロウを披露する。そして、断片的には本当にハードコアパンクのようなボーカルをニュアンスに置き換えていたりする。ここでは彼のラップがなぜ「Dope」であると称されるのか、その一端に触れることができる。

 

そして、ターンテーブルの音飛びから発生したヒップホップの古典であるブレイクビーツの技法も、JPEGの手にかかるや否や、単なる音飛びという範疇を軽々と越え、サイケデリックな領域に近づく。「SIN MIEDO」は音形に細かな処理を施し、音をぶつ切りにし、聞き手を面食らわせる。ただ、これらは、Yves Tumorが試作しているのと同じく、ブレイクビーツの次にある「ポスト・ブレイクビーツの誕生」と見ても違和感がない。普通のものでは満足しないJPEGMAFIAは、珍しいものや一般的に知られていないもの、刺激的なものを表現すべく試みる。そして、音楽的には80年代のエレクトロなどを参考にし、ラップからフロウに近づき、激しいエナジーを放出させる。これは彼のライブでもお馴染みのラップのスタイルであると思う。

 
今回、JPEGMAFIAは、ダブ的な技法をブレイクビーツと結びつけている。そして、比較的ポピュラーな曲も制作している。「I'll Be Right Time」では、 背後にはEarth Wind & Fireのようなディスコファンクのサンプリングを織り交ぜ、まったりしたラップを披露する。そして、ブラウンと同様に、JPEGMAFIAのボーカルのニュアンスの変化は、玄人好みと言えるでしょう。つまり、聴いていて、安心感があり、陶然とさせるものを持ち合わせています。これは、70、80年代のモータウンのようなブラックミュージックと共鳴するところがある。何より、「vulgar display of power」のギターの切れ味が半端ではない。迫力十分のフロウを体感しよう!!

 

 

「vulgar display of power」

 

 

 47.Fucked Up 『Another Day』


Label: Fucked Up

Release: 2024年8月9日


今年は、若手のパンクバンドの新譜は大人しめな印象でした。Green Dayのほか、Offspringの新譜もリリースされた。ということで、ベテラン勢がかなり奮闘した印象があった。ひとしなみにパンクといっても、他のポスト・パンクを始めとするジャンルに吸収されつつあるため、純粋なパンクバンドというのは、年々減少傾向にある感じは否めません。トロントのファックド・アップも、Jade Tree,Matador、Mergeというように、インディーズの名門レーベルを渡り歩くなかで、年代ごとに作風を変化させてきたバンドです。全般的には、エモーショナルハードコアの印象が強いですが、エレクトロニックを交えたり、クワイアのようなコーラスを交えたりと、様々な工夫を取り入れている。すでにライブの迫力については定評がある。

 

今年、バンドは二作のアルバムをリリースしたが、それぞれ作風が若干異なっています。『Another Day』はファックド・アップとして何が出来るのかを探求したもので、一方、『Someday』では、複数のボーカリストのコラボレーターを招き、共同制作の醍醐味を追求しています。どちらのアルバムも雰囲気が異なり、楽しめると思いますが、ファックド・アップとして考えると『Another Day』を推薦しておきたい。特に、歌詞という側面で、このバンドの真骨頂を垣間見ることが出来る。無駄な言葉を削ぎ落とし、伝えたいリリックのみを伝えるというシンプルな手法は、パンクロックの命題のようなものを受け継いでいるといえるでしょう。

 

 

 

 

 48. Contour  『Take Off From Mercy』



 

Label: Mexican Summer

Release: 2024年11月1日


Contourのニューアルバム『Take Off From Mercy』は端的に言えば、ブラック・ミュージックの未来系を意味します。

 

カーリ・ルーカスは、本作において、ブラジリアン・ソウル(トロピカリア)、ボサノバ、エレクトロニック、ジャズ、ラップの要素を融合させ、新しいジャンルを予見している。サウスカロライナ州チャールストンのアーティスト、Contour (Khari Lucas)は、ラジオ、映画、ジャーナリズムなど様々な分野で活躍するソングライター/コンポーザー/プロデューサーです。


彼の現在の音楽活動は、ジャズ、ソウル、サイケロックの中間に位置するが、彼は自分自身をあらゆる音楽分野の学生と考えており、芸術家人生の中で可能な限り多くの音とテーマの領域をカバーする。彼の作品は、「自己探求、自己決定、愛と反復、孤独、ブラック・カルチャー」といったテーマを探求しています。


コンツアーの最新作『Take Off From Mercy』は文学的な気風に満ち、過去と現在、夜と昼、否定、そして、おだやかな受容の旅の記録である。カリ・ルーカスと共同エグゼクティブ・プロデューサーのオマリ・ジャズは、このアルバムを複数の拠点でレコーディングしました。チャールストン、ポートランド、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ジョージア、ロサンゼルス、ヒューストンの様々なスタジオで、Mndsgn、サラミ・ローズ・ジョー・ルイスら才能ある楽器奏者やプロデューサーたちとセッションを重ねながらアルバムを完成へと導いています。

 

コンツアーは、他のブラック・ミュージックのアーティストのように、音楽自体をアイデンティティの探求と看過しているのは事実かもしれませんが、それにベッタリと寄りかかったりしない。彼自身の人生の泉から汲み出された複数の感情の層を取り巻くように、愛、孤独、寂しさ、悲しみといった感覚の出発から、遠心力をつけて、次なる表現にたどり着き、最終的に誰もいない領域へ向かっていく。ジム・オルークのように前衛的な領域にあるジャズのスケールを吸収したギターのアヴァンギャルドな演奏は、空間に放たれ、言葉という魔法に触れると、別の物質に変化する。ヒップホップを経過したエレクトロニックの急峰となる場合もある。

 

 

 「Theresa」

 

 

 

49. Laura Marling 『Patterns In Repeat』



Label: Partisan

Release: 2024年10月25日


今年、Partisanからは注目作が数多くリリースされた。その総仕上げとなったのが本作。イギリスのシンガーソングライター、ローラ・マーリングは、前作アルバムではまだ見ぬ子供のための空想的なアルバムを制作し、「Patterns In Repeat」では、私生活を基に美しく落ち着いたポピュラーアルバムを制作しています。聴いていると、心温まるようなアルバムとなっています。

 

アコースティックギターを元にした穏やかな曲が中心となっている。アンティークなピアノ曲「No One’s Gonna Love You Like I Can」。この曲は、冒頭の曲と合わせて彼女自身の子供に捧げられたものと推測される。クラシック音楽やUKフォークを基にし、ミッチェルの70年代を彷彿とさせるようなささやくようなウィスパーボイスを中心にして、子育ての時期を経てローラ・マーリングが獲得した無償の愛という感覚が巧みに表現される。それは友愛的な感覚を呼び起こすとともに、永遠のいつくしみが丹念につむがれる。この曲は、他の収録曲と同じように、チェロ、バイオリン、ビオラといった複数の弦楽器のハーモニクスにより、美麗な領域へと引き上げられる。細やかな慈しみの感覚を繊細な音楽性によって包み込もうとしています。

 

アルバムの八曲目に収録されている「Looking Back」は、アコースティックギターで始まり、コーラスを交えた後、ビートルズを彷彿とさせる普遍的なポピュラー・ソングへと変遷していく。数年間の思い出を凝縮させたがごとく、ソングライター自身の追憶がうっとりするような旋律の流れとともに移ろい変わる。ソングライターの我が子への愛が凝縮された美しいアルバムです。



 「Looking Back」

 

 

 

50.Hollie Kenniff 『For Forever』




Label: Nettwerk

Release: 2024年12月6日


当初、ホリー・ケニフは、ソロ活動を始めた頃、シューゲイザーとドリームポップの中間域にある音楽を制作し、インディーズミュージックのファンの注目を集めていた。2019年、最初のアルバム『The Gathering Dawn』をリリースし、以降、注目作を発表しています。基本的には、ギタリストのミュージシャンですが、制作者の作り出す神秘的なアンビエンスは、ギターを中心に作り出されたとは信じがたい。ようやくというべきか、もしくは満を持してというべきか、ホリー・ケニフがカナダのネットワークから最初のフルアルバムをリリース。実際的な音楽性や世界観などが丹念に磨き上げられ、夢想的で美麗なアンビエントアルバムが登場しました。
 

本作では、アンビエント、ポスト・クラシカル、ドリーム・ポップを融合させ、癒やしに満ち溢れたサウンドワールドを体験出来ます。音楽性に関しては、2021年のシングル集「Under The Lonquat Tree(feat. Goldmund)」の延長線上にある。アンビエントというのは、アウトプットされる音楽が画一的になりがちな側面もありますが、ホリー・ケニフの多彩なソングライティングは、叙情的な感性と季節感に充ちた見事なサウンドスケープを生み出す。また、雪解けの季節を思わせる雰囲気、初春の清涼感のある空気感が主な特徴となっています。

 

4作目のアルバムを語る上で不可欠なのは、従来培われたギターやシンセを中心とする簡素なアンビエントテクスチャー、曲全体に表情付けを施すピアノです。これらが色彩的なタペストリーのように見事に絡み合い、ホリー・ケニフの音楽はひとまず過渡期を迎えようとしています。


 




2024年度のアルバム・オブ・ザ・イヤーはひとまずこれで終了です。お読みいただきありがとうございました。読者の皆様、良いお年をお過ごしください!!


◾️Album of The Year 2024 Vol.1はこちらからお読みください。