Nilufer Yanya 『My Method Actor』

 

Label: Ninja Tune

Release: 2024年9月13日

 


Review

 

『Method Actor(メソッド・アクター)』について、ニルファーは、曲のコンセプトがどのように生まれたかを次のように語っている。「メソッド演技について調べていたんだけど、読んだところによると、メソッド演技は、人生を左右するような、人生を変えるような思い出を見つけることに基づいているんだ。メソッド演技がトラウマになったり、精神的に安全でないと感じる人がいるのは、常にその瞬間に立ち戻るからなんだ。良いことも悪いこともあるけれど、常にそのエネルギー、自分を定義づける何かを糧にしている。それはミュージシャンになるのと少し似ている。演奏しているときも、最初に書いたときのエネルギーや感情を、その瞬間に呼び起こそうとしている。その瞬間、その瞬間のエネルギーや感情を呼び起こそうとして試みた」

 

ロンドンのシンガーソングライター/ギタリスト、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤンヤ)は、多彩な表情を持つ。多角的なクロスオーバー性とハイブリットな音楽性により、2022年頃から熱心な音楽ファンの注目を集めてきた。そして、The Faderが「衝撃的な復活」と称したように、今年の5月頃に、「Like I Say(I Runaway)」を引っ提げて、久しぶりのカムバックを果たした。

 

このシングルでは、2022年のアルバム「Painless」のR&B、ベッドルームポップ、ブレイクビーツ、ラップ、オルタナティヴ・ロック(グランジ)を劇的に結びつけた。歌詞の中では少し棘のあるリリックの表現を取り入れている。それはミュージシャンとしての深化を意味し、人間的に一歩先へと踏み込んだことへの表れでもある。これはアルバムのオープニングを飾る「Keep On Dancing」にも顕著に表れ出ているかもしれない。表向きをなぞらえるソングライティングの影は立ち消え、より深い領域に踏み込むことをためらわなくなった。おそらくそれがシンガーソングライターをして、「より過激なアルバム」と言わしめることになった。過激さとは、表現性において、今までよりも一歩先に踏み込み、未知の領域へと差し掛かることを意味している。実際的に、それは、轟音性の強いディストーションギターに反映される場合がある。しかし、2022年頃の音楽と同様、エレクトリックギターによるサウンド・デザインの趣旨が強い。ヤーニャのギターの演奏の趣旨は、まごうことなきサウンド・デザインなのであり、それらのイメージを的確に体現させ、強調させるのが彼女自身のボーカルというわけである。

 

もうひとつ、これらのサウンド・デザインの方向性は、トラック制作全般にも適用され、ブレイクビーツを反映させたビートメイク、そして、しなるようなリズムに組み合わされるソフトな感覚を持つR&Bのテイストを加え、独立した音楽を構築していく。ヤンヤのソングライティングは、ビートを組み合わせることにより、それらにグルーヴ感を付与し、最終的に、そのグルーブにどのようなギターやボーカルを乗せるべきか、デザインやテキスタイルのような観点から幾つかの可能性を検討するという趣旨である。ゼロからイチを作り出すというよりも、複数ある選択肢からソングライターにとって最善のものを選び、それらを聞きやすく、乗りやすいキャッチーなナンバーへ昇華させる。これらは、人物的なセンスを象徴づけるだけではなく、歌手がファッション的なセンスを重視していることを表す。他の一般的なミュージシャンとは異なり、ニルファー・ヤンヤにとって音楽制作とは、自分に最も似合う服を選び、それらをデコレート、つまり装飾し、まったく想像だにしえない音楽作品へと仕上げるということである。

 

このアルバムでは、本来の自分とは別の何かを演ずることにより、別の視点から本来の自己の姿を見出すという概念的なテーマも含まれていることは事実なのだろうが、それは音楽性の基底にある肉付けのような要素、スクリプトのように内側に埋め込まれており、表面的に表れ出てくることはほとんどない。このアルバムの中に含まれているテーマやイデアは、それはもっと言えば、聞き手側がやって来るのを口を開けて待つだけでは不十分で、自分の方から近づいていかないと発見出来ないのである。つまり、より的確に言えば、受動的なポピュラーアルバムではなく、能動的なリスニングを促されるポピュラーミュージックなのである。このアルバムの真価を求めるためには、みずから、アルバムのジャングルのなかに分け入っていかないといけないかもしれない。それは、表面的な音楽の響きの奥底に、観念的なものが情念の炎のように揺らめき、その炎の幻影を、聞き手は表面的な掴みやすく親しみやすいポピュラーミュージックの渦中に発見することを意味する。つまり、ニルファーの『My Method Actor』は、ミルフィールのような構造を持った奇妙なアルバムなのである。フォークをひとつその表面に差し込むと、その先に別の何かが見出だせる。言い換えれば、音楽というページをめくるたびに、別のストーリーや局面が見つかるという、これまでにあまりなかったタイプの音楽なのである。


 

音楽的に言えば、ベッドルームポップや、エレクトリックギターの細かな演奏をコラージュのように組み合わせ、それらをトラック全体の背景となるヒップホップのビートとかけ合わせる、というスタイルが際立っている。これはしかし、何も最近生み出されたものではなく、2022年のアルバムから続いているスタイルである。ところが、『My Method Actor』では、前作アルバムよりも音楽的な選択肢が広がり、そしてアウトプットの受け皿のようなものが多くなった。それらは、序盤の流れを形づくる「Binding」、「Mutations」という2曲において、メロウでアーバンなネオソウルという形にはっきりと表れている。特に、「Mutations」は前作アルバムの収録曲ほどには派手さはないけれど、よりソングライターとして深い領域へと踏み入れたことを象徴付けている。それはオルタナティヴロック/マス・ロックのギターとネオソウルの艷やかなボーカル、及び、コーラスというフランク・オーシャンの次世代に位置づけられるポスト・ネオソウルのスタイルに立ち表れている。さらに曲の後半では、シンセサイザーによるストリングスを配置させ、R&Bミュージックの中に複数の新しい要素をもたらそうとしている。

 

別のジャンルからの引用や影響を元の自分の音楽的なスタイルとかけ合わせるというこのアルバムのソングライティングの方向性は、続く「Ready For Sun」を聞くとより瞭然かもしれない。オーケストラストリングスをシンセサイザーのシーケンスのように敷き詰め、その空間的な音の処理の中で、何が出来るのかというのが、この曲の目論見であると推測される。それはやはり、前作アルバムの延長線上にあるネオソウルとオルタナティヴ・ヒップホップの中間にある形式をとって繰り広げられる。しかし、注目すべきは、今回のアルバムでは、ヤンヤは必ずしも彼女自身の声を主体としているとは限らないということである。ときには、優雅なオーケストラストリングが前面に出てきたり、ビートがそれと立ち代わりに主体になったりと、流動的な音楽を重視している。もちろん、歌手の声がメインになることもあるのだが、必要以上にその音楽的な空間を専有するということがないのである。そしてこれは、内的な感覚の告白ともいうべき際どい感覚を持つリリックの印象とは異なり、非常に控えめな音楽的な態度を取り、主体となる音楽に対して、一歩距離を置くような姿勢を全面的に維持し続けている。いわばそういった柔軟性のある音楽性が、このアルバムに一度聴いただけでは分からない深みを付与する。

 

ニルファー・ヤンヤの音楽は、制作時の観点における難易度とは裏腹に、それほど難しくなりすぎることはない。基本的には、誰にでも親しめるようなポピュラーアルバムを制作しようとしているのは明らかで、たとえソングライターとしての視点が高い水準にあろうとも、初歩的なリスナーにも聞きやすい曲を制作することを最優先事項にしている。これは作曲家としての親切心であり、過度なサウンドエフェクトや、難解な展開を極力避けて、一貫してグルーヴ感を意識した曲構成を心がけている。これはまた、ニルファー・ヤンヤが構成的な側面に心を配りながらも、感覚的な側面を軽視しないことに理由がある。「なんとなく良い感じ」とヤンヤが言うように、理想的な音楽とは、言葉では言い表せず、また、文章にも出来ない部分があることを踏まえ、それらをしなやかな感覚を持つポピュラー・ミュージックに仕上げる。この感覚的なポピュラー、ロック、R&Bを制作する手腕にかけては、現時点のところ、このシンガーソングライターに比肩する存在は見当たらない。「Call It Love」、「Faith's Late」は、このアルバムにおいて、制作者が単に曲の寄せ集めではなく、音楽性のバリエーションを基にし、一連の流れを持つレコードを制作しようとしたことを伺わせる。そして、反面、少し意外なことに、それは同時に、名曲とまではいかないかもしれないが、良曲を輩出させる重要な契機ともなった。

 

このアルバムでは、音楽そのものが個人的な告白や軽薄なロマンチシズムに終始するのを避けている傾向がある。それでもなお、一貫して、人生の中から引き出される感覚的なものはコントロールされているが、終盤になって、それらの何かに恋い焦がれたり、理想的な人生の側面を追い求めるような、夢想的な感覚が堰を切るようにして溢れ出る。AOR(ソフィスティ・ポップ)、ヨットロック、ボサノヴァを題材にし、80年代のポップのフィルターに通した「Faith's Late」、オルタナティヴフォークをシリアスな風味を持つネオソウルとして解釈した「Just A Woman」に反映させている。これは古典的なポップやソウルをアーティストが咀嚼していることの証でもある。現代的なものを作り上げるためには、時々、過去にも目を向けねばならない。

 

現代的なサウンド・プロダクションによって、表向きには隠されているが、後者のトラックには、ザ・スプリームスのようなディスコソウルの古典的なR&Bに対する憧れが示されている。ニルファー・ヤンヤのディスコの概念とは、きらびやかなミラーボールの華やかさにあるのではなく、フロアのサイドにあるメロウでまったりとした空間なのだろうか。それはまた、このアーティストがチルウェイブに近い音楽を推していることを示唆し、表面的なオルタナティヴ・ポップの裏側にある、ヨット・ロック、AOR、あるいは、ブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーといった、複数の音楽的な文脈を浮かび上がらせる。もうひとつのギターヒーローのアーティストとしての表情は「Wingspan」に見出せる。もしかすると、性別こそ異なれ、ニルファー・ヤンヤはフランク・オーシャンの次世代の立場を担うかもしれない。時代が変わり、ソロアーティストでもバンドのような音楽を制作することは困難ではなくなっている。これは今後の音楽シーンで一層顕著になっていく可能性がある。それを受け、ソロアーティストとバンドは一体何が違うのかを示す必要がある。『My Method Actor』は、密林のカメレオンのように多彩な保護色に変化する。従来の音楽の聴き方の常識を覆すような作品。

 

 

 

88/100


 

 

Best Track 「Faith's Late」






On ‘Method Actor’, Nilufer Yanya explains how the concept for the song came about. 'I've been researching Method Acting and from what I've read, Method Acting is based on finding life-altering, life-altering memories. The reason why some people find method acting traumatic or mentally unsafe is because they always go back to that moment. There are good and bad moments, but you always feed off that energy, something that defines you. It's a bit like being a musician. Even when I'm playing, I'm trying to evoke the energy and emotion that I had when I first wrote it, in that moment. I try to try and evoke the energy and emotion of that moment, that moment in time.’

 
London singer-songwriter/guitarist Nilufer Yanya is a man of many faces. His multifaceted crossover and hybrid musicality has attracted the attention of dedicated music fans since around 2022. Then, around May this year, in what The Fader called a ‘shocking comeback’, they made their first comeback in a long time with the song ‘Like I Say (I Runaway)’.

 
The single dramatically links R&B, bedroom pop, breakbeats, rap and alternative rock (grunge) from the 2022 album ‘Painless’. The lyrics incorporate a slightly thorny lyrical expression. It signifies a deepening as a musician and a sign that he has taken a step further as a human being. This may be most evident in the album's opener ‘Keep On Dancing’. 

 

The shadows of songwriting that traced the surface have disappeared, and the band no longer hesitates to venture into deeper territory. Perhaps that is what led the singer-songwriter to call it a ‘more radical album’. Radicality means going one step further than before in terms of expressiveness and entering uncharted territory. Practically, this is sometimes reflected in the roaring distortion guitars. However, as with the music of around 2022, the aim of sound design with electric guitars is strong. The intent of Janya's guitar playing is unmistakably sound design, and it is her own vocals that embody and emphasise these images precisely.


Another of these sound design directions is applied to track production in general, with beat-making reflecting breakbeats and adding a soft feel of R&B flavours combined with sinewy rhythms to build independent music. Janya's songwriting is about combining beats to give them a groove, and then finally considering several possibilities in terms of what kind of guitars and vocals to put on top of the groove, like design and textiles. Rather than creating something from scratch, the songwriter chooses the best of several options and sublimates them into a catchy number that is easy to listen to and ride. These not only symbolise a sense of personhood, but also a singer's emphasis on fashionable taste. Unlike most musicians, for Nilufer Janja, making music means choosing the clothes that suit her best, decorating them and turning them into a completely unimaginable piece of music.


It may be true that the album also contains a conceptual theme of finding one's true self from a different perspective by playing something other than one's true self, but it is embedded inside like a script, a fleshed-out element at the base of the musicality, and rarely surfaces on the surface. It rarely surfaces. The themes and ideas contained within the album are, moreover, not enough to wait with open mouth for the listener to come to them; they can only be discovered if you approach them yourself. In other words, to be more precise, this is not a passive popular album, but popular music that encourages active listening. 

 

To find the true value of this album, you may have to wade into the jungle of the album yourself. This means that deep within the superficial musical resonance, the conceptual flickers like a flame of emotion, and the listener discovers a phantom of that flame within the superficial, easy-to-grasp, familiar whirlpool of popular music. In other words, Nilufer's My Method Actor is a strange album with a milfoil-like structure. Insert one fork into its surface and you find something else beyond it. In other words, it is a type of music that has rarely been heard before, where each turn of the musical page reveals a different story or aspect.

 

Musically speaking, the style is marked by a collage-like combination of bedroom pop and detailed electric guitar playing, which is interlaced with hip-hop beats that form the backdrop to the track as a whole. This is not, however, a recent development, but a style that has continued since the 2022 album. However, My Method Actor offers more musical options and more receptacles for output than the previous album. This is clearly evident in the form of mellow, urban neo-soul in the two tracks ‘Binding’ and ‘Mutations’, which shape the flow of the early part of the album. ‘Mutations’, in particular, is not as flashy as the songs on the previous album, but it symbolises the band's entry into deeper songwriting territory. This is evident in the post-neo-soul style of Frank Ocean's next generation, with alternative rock/math-rock guitars and neo-soul lustrous vocals and choruses. In the second half of the song, he attempts to bring multiple new elements into R&B music by placing synthesised strings.



The direction of the album's songwriting, in which references and influences from other genres are crossed with his original musical style, may be more apparent in the following track ‘Ready For Sun’. Laying down orchestral strings like a synthesiser sequence, the song is presumably intended to show what can be done with that spatial treatment of sound. It still unfolds in a format somewhere between neo-soul and alternative hip-hop, an extension of the previous album. It is worth noting, however, that on this album, Yanya does not necessarily use her own voice as the main instrument. At times, the emphasis is on fluid music, with graceful orchestral strings coming to the fore and beats taking their place. Of course, the singer's voice is sometimes the main focus, but it does not occupy the musical space any more than necessary. And this is different from the impression given by the lyric, which has a harsh sense of confession of inner feeling, and adopts a very reserved musical attitude, maintaining an overall attitude of keeping one step away from the music as the main subject. This musical flexibility, so to speak, gives the album a depth that cannot be understood after just one listen.


Nilufer Yanya's music is not overly difficult, despite the level of difficulty from a production point of view. Basically, it is clear that he is trying to produce a popular album that is accessible to everyone, and even if his songwriting perspective is of a high standard, he makes it a priority to produce songs that are easy to listen to for even the most rudimentary listener. This is a kindness as a composer, and he tries to avoid excessive sound effects and esoteric developments as much as possible, and to consistently structure his songs with a groove in mind. This is also the reason why Nilufer Janja pays attention to the compositional aspect but does not neglect the sensory aspect. As Yanya says, ‘It's kind of nice’, he is aware that there are aspects of ideal music that cannot be described in words, nor can they be put into writing, and he turns them into supple sensory popular music. At the moment, no singer-songwriter can compare to her skill in creating sensual popular, rock and R&B music. ‘Call It Love’ and ‘Faith's Late’ suggest that, on this album, the producers have tried to create a record that is not simply a collection of songs, but a series of records based on variations in musicality. On the other hand, somewhat surprisingly, it was also an important opportunity to produce good songs, if not masterpieces.
 

On this album, the music itself tends to avoid being all about personal confessions and frivolous romanticism. Nevertheless, the sensuality drawn from life is consistently under control, but towards the end of the album, a dreamy sense of longing for something of those things and the pursuit of idealised aspects of life floods in like a weir: AOR (sophisti-pop), yacht rock, and the album is a perfect example of the kind of music that is often used in the music of the late 1960s and early 1970s, Bossa Nova as reflected in ‘Faith's Late’, which takes its subject matter and passes it through the filter of 80s pop, and ‘Just A Woman’, which interprets alternative folk as neo-soul with a serious flavour. This is also a testament to the artist's mastication of classic pop and soul. In order to create something contemporary, one has to look to the past from time to time.


Although ostensibly hidden by the contemporary sound production, the latter tracks show a yearning for classic R&B disco-soul classics such as The Supremes. Is Nilufer Yanya's concept of disco not in the glitz and glamour of glittering mirror balls, but in the mellow and mellow space on the side of the floor? It also suggests that the artist is pushing music closer to chillwave, bringing up the multiple musical contexts behind the superficial alternative pop: yacht rock, AOR or black contemporary/urban contemporary. Another expression of Guitar Hero as an artist can be found in ‘Wingspan’. 

 

Perhaps Nilufer Yanya, although of a different gender, could take the place of Frank Ocean's next generation. Times have changed and it is no longer difficult for solo artists to produce music like a band. This is likely to become even more pronounced in the music scene in the future. In response, it is necessary to show what the difference is between a solo artist and a band. ‘My Method Actor’ is as diverse as a chameleon in a jungle. This is a work that breaks with conventional ways of listening to music.

 


マンチェスターのPale Waves(ペール・ウェーヴス)は、近日発売予定のニューアルバム『Smitten』からの最新シングルとして「Thinking About You」を発表した。

 

この曲には、フロントウーマンのヘザー・バロン・グレイシーが過去の恋愛を嘆き、その跡に残ったものを考えるという、風光明媚なワンショット・ミュージック・ビデオが添えられている。


この曲について、ヘザー・バロン・グレイシーはこう語っている。「"Thinking About You "は、誰かが去って、まだ完全に前に進むことができない状況について歌っている。そうすべきだし、長い目で見ればその方が自分にとって良いことだとわかっているはずなのに、それは見かけ以上に難しく辛いことなのです」

 


「Thinking About You」

 



 

©Eddy Chen


カナダの生んだ次世代のメガスター、The Weeknd(ザ・ウィークエンド)が、先週末のブラジル/サンパウロ公演で初披露した「Dancing in the Flames」をリリースした。このニューシングルは、現時点ではリリース日が確定していない彼の自作アルバム『Hurry Up Tomorrow』からのリード・シングルだ。アントン・タンミとエリック・ヘンリクソン撮影監督によるこの曲のビデオは、新しいiPhone 16 Proで撮影された。以下よりチェックしてみよう。


『Hurry Up Tomorrow』は、2020年の『After Hours』、2022年の『Dawn FM』に続く3部作の第3弾となる。

 


「Dancing in the Flames」


ウェールズ/チャーチ・ヴィレッジが生んだ新星、CVC(チャーチ・ヴィレッジ・コレクティヴ)がニューシングル「The Lowrider (Just About Meant To Be)」を発表した。「サタデー・ナイト・フィーバー」を思わせるノスタルジックなディスコロックに酔いしれよう。

 

彼らは2023年のデビューアルバム『Get Real』で未知の可能性を示した。70年代のハードロック、ディスコソウルを結びつけた求心力のあるサウンドはコレクティブの異次元のパワーを感じさせてくれた。


昨年、CVCは、「世界で活躍するようなバンドになりたい!」と表明していたが、その野望は現実のものに。ライヴスペースでじわじわと影響力を持つようになり、地元ウェールズの公演は軒並みソールドアウト。ニューヨーク公演も実現させた。ライヴは熱気に溢れ、素晴らしく驚異的であるという。ラグビー場とパブを特色とするウェールズの町の魅力とロックバンドの野心を融合させたCVCは、新しい作品を生み出すため、スタジオ入りした。愛とロマンスへの夢の賛歌「The Lowrider (Just About Meant To Be)」は、2人が完璧にシンクロする瞬間を歌っているという。


この曲の共同ソングライター/ヴォーカリストであるデイヴ・バッシーは次のように説明している。

 

『The Lowrider』は、昔住んでいた地元(カーディフのThe City Arms)で、遠距離恋愛中の恋人のこと、僕らがいかに "Just about meant to be "であるかについて、長いセッションの後に書いた! 家に帰ってシンセの "ベース "セッティングをしたら、曲の続きが出てきた。曲のタイトルは『The Lowrider』なんだけど、これはスヌープ・ドッグに参加してもらったら最高だと思ったから!」

 

 

「The Lowrider (Just About Meant To Be)」





【REVIEW】  CVC 「GET REAL」 ウェールズの新星によるデビュー・アルバム
Mastdon

アトランタのニューメタルゴッド、マストドンとラム・オブ・ゴッドが新曲「Floods of Triton」でタッグを組んだ。


先日リリースされたこの新曲は、マストドンの『リヴァイアサン』とラム・オブ・ゴッドの『アッシュズ・オブ・ザ・ウェイク』の20周年と同時に行われたバンドの共同ヘッドライナー・ツアーの後に発表された。


このコラボレーションは、マストドンのアトランタのスタジオ、ウエスト・エンド・サウンドでレコーディングされ、映画音楽作曲家のタイラー・ベイツと共同プロデュースされた。また、この作品はマストドンの新レーベル、ロマ・ヴィスタからの初リリースでもある。試聴は以下から。



「Floods of Triton」

 Sarah Davachi



 サラ・ダヴァチ(1987年カナダ生まれ)は、テクスチャー、倍音の複雑さ、音響心理現象、チューニングとイントネーションの緩やかな変化を強調するために、長時間の持続と考慮された和声構造を利用し、音色と時間空間の密接な複雑さに関心を寄せる作曲家であり演奏家である。


 彼女の作曲は、ソロ、室内アンサンブル、アコースティック形式と多岐にわたり、アコースティック楽器や電子楽器を幅広く取り入れている。 ミニマリズムやロングフォームの信条、フォルムやハーモニーに関する初期音楽の概念、スタジオ環境における実験的な制作手法からも同様に影響を受けており、彼女のサウンドは、忍耐強い体験であり、慣れ親しんだものや遠いものに対する知覚を緩和する。


 高く評価されている彼女のレコーディング作品に加え、ダヴァチは、エレン・アークブロ、オーレン・アンバーチ、グルーパー、タシ・ワダ、ロバート・アイキ・オーブリー・ロウ、シャルルマーニュ・パレスティン、映画監督ディッキー・バトなどのアーティストとともに、幅広くツアーを行っている。 委嘱作品には、クアトゥオール・ボッツィーニ、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ、ヤーン/ワイヤー、アパートメント・ハウス、ゴースト・アンサンブル、ワイルド・アップ、室内合唱団アイルランド、BBCスコットランド交響楽団、ラジオ・フランス、コンテンポラリー・アンサンブル、チェロ八重奏団アムステルダム、カナダ国際オルガン・コンクール、ウェスタン・フロントなどがある。 彼女の作品は、サウスバンク・センター(ロンドン、イギリス)、バービカン・センター(ロンドン、イギリス)、コントラクラング(ベルリン、ドイツ)、INA GRM(パリ、フランス)、イシュー・プロジェクト・ルーム(ニューヨーク、アメリカ)、ランポー(シカゴ、アメリカ)などで国際的に紹介されている。


ーー2022年から2024年にかけて作曲されたこのアルバムに収録された7曲は、コンセプチュアルな組曲を形成し、通過行為を理解するために構築される精神的なダンス、私たちが交わり、記念し、象徴を表象を超えた世界に持ち帰る方法を観察している。


この目的のために、『THE HEAD AS FORM'D IN THE CRIER'S CHOIR』は、古代ギリシアのオルフェウス神話への2つの言及に取り組んでいる。1922年に発表されたライナー・マリア・リルケの詩集『オルフェウスへのソネット』と、1607年に発表されたクラウディオ・モンテヴェルディのバロック初期のオペラ『オルフェオ』である。


オルフェウスの神話は、妻エウリディーチェの死によって悲しみに打ちひしがれた音楽家が、死者の神に彼女の帰還を説得するため、黄泉の国へと下っていく物語である。その道すがら、オルフェウスは竪琴から奏でる深く嘆き悲しむ音楽で、彼の行く手を阻む者たちを誘惑する。ハデスは承諾するが、ひとつだけ条件がある。オルフェウスは、ふたりが再び生者の世界に戻るまで、エウリュディケを振り向かせないこと。驚くなかれ、二人が地表に近づくにつれ、オルフェウスは不安を募らせて、振り向いて背後にいるエウリュディケの存在を確認する。そしてオルフェウスは、死が自分を連れ去ってくれるようにと歌う。マエナドの一団によってようやく願いが叶ったオルフェウスは、切り離された頭部と竪琴を川に流し、悲痛な歌を歌い続ける。


長年、私はスタジオでの練習とライブ・パフォーマンスの練習を大きく分けようと努めてきた。


このアルバムには4つのパイプオルガンが収録されている。イタリア、ボローニャのサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会にある、1968年にタンブリーニによって製作された機械式アクション楽器、フィンランド、ヘルシンキのテンペリアウキオ教会にある、1969年にヴェイッコ・ヴィルタネンによって製作された電気式アクション楽器; ジョン・ブロムボーが1981年に製作した機械式アクション楽器(アメリカ、オハイオ州オバーリンにあるオバーリン・カレッジのフェアチャイルド・チャペルにある)、そしてアリスティド・カヴァイエ=コールが1864年に製作した機械式アクション楽器(フランス、トゥールーズのゲス教会にある)。


『THE HEAD AS FORM'D IN THE CRIER'S CHOIR』に収録されているオルガン曲は、楽器のペダルに重きを置いており、ほとんどの楽器が持つ機械式トラッカー・アクションによって可能になったテクスチュアのバリエーションにも注目している。


特に、桜美林大学のブロムボー・オルガンは、17世紀初頭に設計されたオルガンに典型的な平均律の使用と、拡張された平均律におけるエンハーモニック等価性の欠如に対応するスプリット・アクシダメンタル・キーの使用の両方において、特に有意義な作曲の機会を与えてくれた。「Possente Spirto」は、『オルフェオ』のアリア「Possente spirto, e formidabil nume」に対する緩やかな概念的言及である。モンテヴェルディ版と同様に、私の作品も弦楽器と金管楽器の使用を強調し、それらが出入りする特定の順序を守り、一種の通奏低音の枠組みも取り入れている。私はそこから離れ、ゆっくりと動く和音進行に焦点を当てることにしたーー Sara Davachi 



『The Head As Form​’​d In The Crier​’​s Choir』/ Late Music  --ギリシャ神話に対する概念的言及、時間のない無限のドローン音楽--




 

 

ロサンゼルスのSarah Davachi(サラ・ダヴァチ)の最新作『The Head As Form​’​d In The Crier​’​s Choir』はいわゆるドローンミュージックの傑作であり、一般的なアナログシンセやプロデュース的な作品とは異なり、コンテンポラリー・クラシカルのライブ録音に近い作品となっている。

 

2022年には、スウェーデンのKali Malone、2023年には、ロサンゼルスのLaurel Halo、カナダのTim Hecker、そして、すでに今年、トルコからEkin Fil、カナダのLoscilの傑作が出ている。Sara Davachiの最新作は、それに続く前衛音楽の注目作ということになる。上記の作曲家を見て分かることは、カナダのティム・ヘッカー、ロスシルを除けば、ドローンミュージックは、女性中心によるウェイヴであること、そして、全般的には、いずれの作曲家も対外的な評価を度外視し、長期間にわたって辛抱強く音楽作品を作り続けてきたことである。

 

長い期間、女性のアーティストが正当な評価を受けてこなかったことは、すでによく知られていることであり、社会的な風潮としては致し方ない側面もあったかもしれないが、近年、優れたエレクトロニック・プロデューサーが登場し、男性優位であったこれらのシーンに一石を投じていることは喜ばしく、時代の流れを反映しているといえるだろう。クラシックでいえば、クララ・シューマン以外、ほとんど著名な女流作曲家が出なかったこと、長い間、男性優位のヨーロッパ社会において、女性が芸術家として正当な評価を受けるまでに数世紀を要したことへの反動や揺り戻しであり、また、それらの不均衡であった秤が、21世紀になり、まっすぐつまり直立に戻ったことを意味している。加えて、功利主義に陥りがちな男性音楽家とは明らかに異なり、女性の作曲家には、じっくり腰を据えて制作を行う、胆力や精神力が備わっている。男性というのは、元をたどれば、農耕民族以外は狩猟や漁をしなければならなかったため、目移りしたり落ち着きがないものである。私自身は、フェミニストというわけではないのだが、どうやら忍耐強さという側面では、女性の作曲家の方が上手のようである。それは「世間的な評価」という男性的な基準とは別に「内的な評価を重視する」という側面が、女性には備わっているのではないかと推測される。その反面、どうしても男性の作曲家は社会的な生き方を長い間強いられてきたので、外面的な評価という基軸から容易には逃れられないのである。

 

サラ・ダヴァチは、特に上記の傾向を象徴付けている。2010年代始めにエレクトロニックプロデューサーとして登場したときは、取り立てて「派手な音楽家」というわけではなかった。しかし、2015年頃からモダン・クラシカルの作風を従来のシンセを中心とする電子音楽の作風に取り入れ始めたころ、何かが劇的に変わりはじめた。2022年には傑作「Two Sisters」を発表し、ドローン・ミュージックの象徴的な作曲家になりつつある。2015年頃から、クワイアの導入に加え、パイプオルガンの演奏を重視してきた。特に、ダヴァチの中世ヨーロッパの楽器に対する好奇心は尋常ではない。まるで彼女の前世が中世ヨーロッパの器楽家であったか、もしくは、調律師であったかとおもわせるほど。ダヴァチは、イタリアの古い時代のベルを導入したり、作曲家、演奏家という二つの表情と合わせて器楽研究家の性質を持ち合わせている。そして、今回の新作アルバムでは、イタリアの中世の楽器を始めとする、4つのパイプオルガンが演奏に導入されている。その中には、日本の桜美林大学の鍵盤もある。まさに、世界中の楽器の蒐集、そして、それらの展覧会とも呼ぶべき内容の豊富さである。4つもパイプオルガンを使用する必要があったのか、と思うかもしれないが、実際の録音を聞けば分かる通り、それ以上の価値がある。このアルバムはまるで、倍数以上のオルガンを使用したような重厚な作風で、その中にはバッハのミサ曲を思わせる心痛な面持ちを持つ楽曲もある。

 

ギリシア神話のモチーフは、このアルバムに度々登場し、それはリヒャルト・ワーグナーの歌劇のライトモチーフのような働きをなし、「妻エウリディーチェのために黄泉の国に下る」という、恐ろしくもロマンチックな物語の主人公の実際的な行動が「トーンが少しずつ下降していくドローンの通奏低音」に明瞭に表れ出ていることがわかる。このドローンによるライトモチーフは何度も出現し、上記のギリシア神話のロマンティックな物語性をペーソスや悲哀のような感情性で縁取っている。例えば、Sub Popのナタリー・メリングは、ナルキッソスの物語をポピュラー音楽という側面において散りばめたことがあるが、ダヴァチの場合は、ドローン音楽により、黄泉の国に下るというミステリアスな物語を体現させようと試みる。その一方、制作者は、モンテヴェルディの「オルフェオ」にも言及しているが、これらは作品の効果や表情付けのようなものに過ぎないと推測される。イタリアン・バロックに欠かさざる音階的な優雅さや嫋やかさはほとんど登場せず、一貫して、JSバッハのミサ曲やマタイ受難曲のような宗教曲を彷彿とさせるパイプオルガンの重厚な和音構造、そして、別の鍵盤による通奏低音、ないしは弦楽器、金管楽器といった副次的な器楽が、主流となるパイプオルガンに異なる倍音の性質を付け加える。

 

ドローン音楽は、基本的には複数のポリフォニーで構成され、パレストリーナ様式の教会音楽のように、あるいは、JSバッハの6声部の対旋律のように、独立した主旋律を他の旋律が強化するような形で展開される。しかし、基本的には、主旋律は存在せず、副次的な旋律もまた主旋律の役割を持つという点で、カウンターポイントの新しい形式の一つでもある。これらの基本的な構成に加えて、倍音の性質が加わる。つまり、今回、ダヴァチ教授(彼女は本当に講義を学生に対して行うことがある)がわざわざ4つの異なる時代のパイプオルガンを使用したのには理由があり、楽器の音響学としての異なる性質をかけ合わせ、特異な倍音を重ね、独特なハーモニーや調和を求めようというのが、このアルバムの制作の主な動機ではなかったかと思われる。実際的に聞けば、分かるように、『The Head As Form​’​d In The Crier​’​s Choir』は異なる独立した声部と、別の性質を持つ和音が織りなす長大なハーモニーによる作品と称せるかも知れない。 



 

重要なことは、このアルバムは単なる電子音楽ではなく、モダンクラシカルという側面に焦点が絞られ、また、ミサ曲のような本格的な儀式音楽の性質が色濃い。同時に、ライブレコーディングの性質が強調されている。本作のオープナー 「Prologo」は、厳かなパイプオルガンの演奏で始まる。以前の作風と明らかに異なる点は、低音域が強調され、実際的に、鍵盤楽器の低音部の和音構造が重視されている。これが音楽的な気風として重厚な感覚を付与し、さらには厳粛さ、敬虔さ、宗教音楽の重要な動機である「頭の上にある存在に対する畏れ」を明瞭に体現させるのである。ときどき、AIの文明が発展したことにより、人間は過度に傲慢になったり、他者に対する配慮を見失うことがあるが、この序曲では、中世の時代にはたしかに存在した人間的な感覚の発露、そして、生命の動機、あるいはその緩慢な変遷、さらには人間的な本質がスピリットにあること、そういった現代文明の中で多くの人々が見失った真実を思い出させ、現実を虚像のように映し出し、その向こうに幻想的な古典性ーーギリシア神話の「オルフェウス」の竪琴の物語を立ち上げる。これらの映像的な音楽の効果は、間違いなく、ダヴァチさんのアカデミックな学識が明確に反映されている。これはまた、20世紀までは、女性が教育の中で抑圧されてきた史実を鑑みると、いよいよ女性的な知性が活躍する時代が到来したという風潮を把捉出来る。また、音楽的な側面でも、この序曲は、マスタリングの素晴らしさが際立ち、重厚感のあるサウンド、360度のサラウンド・システムで試聴するような音の奥行き、そして、全体的な音の艶やかさと、独立レーベルでこのようなハイクオリティの音質を生み出したことは、信じがたい偉業といえる。一貫して通奏低音が強調されるという側面では、現行のドローン音楽との共通項も多いが、他方、7分50秒からの別の鍵盤楽器による不協和音の追加は、独特な倍音を発生させ、音楽を可視化されたデータではなく、「生きた流動体」のように鋭く変化させる。つまり、音楽そのものが、生命としての息吹を与えられ、動き始め、そして、組み上げられたギリシア神話の物語の中を動き出す。そして、古典的なもの、現代的なものがたえず交錯するかのように、複数の次元から、あるいは、複数の地点から、旋律という光を照射し、見果てることの叶わぬ一大的なエネルギー体を構築していく。最早、この序曲の段階において制作者は、音楽が単なるデータでもなければ、マテリアルでもないことを確知し、生きた有機体としての役割を司ることを明示してみせる。


現実的な側面を反映させるでもなく、幻想的な側面を反映させるわけでもない。此岸から見た音楽は多数存在するが、彼岸から見た音楽というのはあまり前例がない。サラ・ダヴァチの音楽は、主観の音楽ではなく、客観の音楽である。「Possente Spirito」 では、2010年代から追求してきたモジュラーシンセの演奏を竪琴に見立て、簡素な分散和音をモチーフに、その後、通奏低音を挟み、アルバムの音楽は一連の流れを形作りはじめる。金管楽器の通奏低音、ないしはドローン音楽の範疇にある前衛的な手法は、このジャンルが当初、スコットランドのバクパイプの音響の発展から始まったことを思い起こさせる。つまり、鍵盤楽器ではなく、吹奏楽器から始まったのがドローンの形式である。ラ・モンテ・ヤング、ヨシ・ワダの最初期の作風を踏襲した上で、ダヴァチは祭礼時の儀式的な音楽、哀悼の意味を持つ宗教音楽を現代に復刻させる。これらはミニマル音楽の系譜、そして、ドローンの系譜という二つの視点を基に、音響学の可能性、次いで金管楽器の倍音の可能性という未知なる領域を切り開こうとするのである。

 

 

特に、パイプオルガンの楽曲、見方によれば鍵盤楽器による協奏曲のような意味合いを持つこのアルバムの音楽性が最も重力を持つ瞬間が「The Crier's Choir」、そして続く「Trio For A Ground」の2曲となる。前者は、古典的なイタリアンバロックやバロックの形式を基にして、重厚な通奏低音によって建築学的な構造を持つ前衛音楽を作り出す。そしてレビューの冒頭でも述べたように、複数の異なる鍵盤楽器の持つ倍音の特性が、(それは機械としての性質でもある)、ドローン音楽の重要な特徴であるイントロでは想像しえなかった音響学の構造変化、及び、倍音や音調の微細な変遷を、制作者が意図するギリシア神話の物語という動機を通じて敷衍させていく。この曲では、少なくとも、2つか3つのパイプオルガンの演奏が取り入れられているようだが、それは続く「Trio For A Ground」と同じように、ニューヨークの現代音楽家、モートン・フェルドマンの「Rothko Chapel」のようなドローン音楽の原点へと回帰していく。フェルドマンは、テキサスの礼拝堂の委嘱作品として「Rothko Chapel」を制作したが、同時に、これはアート作品を展示するための環境音楽の意味合いも込められていた。そして、世界で最初のインスタレーションは、間違いなく、モートン・フェルドマンの代表作だったのである。これらの現代音楽の系譜に準ずるかのように、ダヴァチは、ギリシア神話の黄泉の国への下りをテーマとし、漸次的に下降するドローンを複数重ね合わせ、圧巻の音響空間を物語に添える。「目的のための音楽」とも言えるが、結局、最後の演奏を終え、鍵盤楽器から手を離すとき、通奏低音が減退する瞬間に、演奏者として痛切な思いが込められ、音の停止、それはとりもなおさず、音楽に対する控えめな態度が、敷き詰められた音の連続に癒やしと安らぎをもたらす。もし、そうしていなければ、音楽という得難い化け物に飲み込まれていたかもしれない。

 

後者の「Trio For A Ground」は、中音域から高音域を強調する前曲と比べると、低音域を徹底して強調した厳粛な面持ちを持つパイプオルガンによる独奏曲とも言える。特に、平均律を基にした変則的な調律は、目の前に巨大な塑像のようなものが出現するかのごとき圧倒的な印象を受ける。それはギリシア神話というよりもダンテの神曲の地獄の門に入る時の作者の畏れのような感覚にも似ている。しかし、この曲では、2010年代中盤に、制作者が実験的に導入していた女性のクワイアが加わることにより、神話としての音楽的な動機を想起させ、そしてその枠組みの中で、幻想的な音楽の性質や、ミステリアスな感覚がありありと立ちのぼってくる。聞き方によっては、RPGの音楽や映画のワンシーンの効果的な音楽によるストーリーテリングの要素を持ち合わせ、アルバムの中盤の重要なハイライトを形成している。そして、ランタイムごとに、曲の表情は変化していき、暗鬱さ、神秘さ、神々しさ、そして精妙さ、透き通るような感覚、濁るような感覚、重苦しさ、悲しさ、そういった数しれない感情性の物語が、二人のギリシア神話の主人公のライトモチーフのような役割をなしている。また、曲の途中から加わる弦楽器のドローン、その上に微細に重ねられる高音部のパイプオルガン、複数の声部が幾つも折り重なり、増幅と減退を繰り返しながら、音響の持つ表情を変化させる。また、8分後半に出現するノイズは、まるで彼岸と此岸を隔てる幕のように揺れ動き、音楽的な効果は最高潮に達する。特筆すべきは、これらの音調の変容やドローン音の変遷は、抑揚的に高まると抑えられ、抑えられると高められるというように、一貫して、抑制と均整が取れ、必要以上にラウドになりすぎることもなければ、それとは反対にサイレンスになりすぎることもない。いわば、黄泉の「中つ国」の性質を反映させるかのように、中間領域の音楽としての性質を維持しつづける。そして、それらは、演奏者が明確に意図したアクセント、クレッシェンドやデクレッシェンドという手動による音響的な効果によって組み上げられる。これが最終的に、コントラバス、コントラファゴットの音域を強調するパイプオルガンの重厚な通奏低音により、物語の核心に迫る情景が暗示される。そして、前曲と同様、サラ・ダヴァチは、11分から12分にかけて、フェルドマンの「Rothko Chapel」のような霊妙なドローンを、パイプオルガンの複数の声部によって完成させる。間違いなく、現代の前衛音楽の至高の瞬間をこの一分間に見いだせるはずだ。音楽の正体が振動体であること、ウェイヴ、周波数であることは、この一分間で明示されている。実際的に、この曲は次の世紀に語り継がれてもおかしくない実験音楽である。

 

 

以降の2曲は、ダヴァチ教授の古典的なアートに対する趣味が色濃く反映されている。というのも、サラ・ダヴァチさんは古典的なヨーロッパ絵画にかなり熱心であり、それらの蒐集をしているかどうかは定かではないが、少なくとも、バロック主義の古典絵画のような世界を音楽により表現したいという欲求は、常日頃から持ち合わせているはずなのだから。これらの古典的な芸術に対する親しみは、「Res Sub Rosa」では、バロック主義のミサ曲のような形式をパイプオルガンで体現させ、他方、「Constants」では、イタリアン・バロックの宗教音楽のような古典的な世界観を構築する。これらの2曲は、音楽的な方向性としてマンネリズムに陥る場合もあるが、全般的には少しだけ重苦しくなりがちな作風に、ウィリアム・ターナーが描いた古典的なローマの情景のような安らいだ感覚や優雅な感覚を体現させる。それは現代人としての古典に対する憧れであり、また、それらのヨーロッパの苦難多き歴史の基底にある文化的な奥深さや多彩さに対するロマンチシズムを、厳粛なパイプオルガンの独奏で表現しているといえる。惜しむらくは、クラシック音楽のアリアのような優雅な声やクワイアが登場しなかったことが、作品全体に単一的な印象を及ぼしている。ただ、それとて、聞き手が制作者の手の内に転がされているに過ぎず、アートワークのモノトーンの体言化という制作者の意図の範疇にあるものなのかも知れない。しかし、最終盤に向けて、あちこちに拡散していたもの、あるいは、無辺に散らばっていたものが集まり、一つの中心点にゆっくり向かっていくような不思議な感覚、そして、先にも述べたように、音楽そのものが生きた有機体のようの蠢き始め、また、その果てに教会の鐘の残響のような余韻が残されていることが、何かしら遠いヨーロッパの異国を旅したときや、その土地土地で、まったく聞き慣れない異教の鐘の音をふと耳にするときのエキゾチズムを反映させている。制作者は、古典的なテーマに焦点が絞られていると指摘しているが、もしかすると、現代的な社会の気風や混乱など、副次的な主題も取り扱われているのかもしれない。少なくとも、この曲は最もモダンでアーバンな印象を持つ前衛音楽である。

 

 

続く「Constants」は、金管楽器で構成されるドローン音楽で、通奏低音を重視していることは事実だが、同時に、倍音を基に構成されるハーモニーにも焦点が置かれていることが分かる。これらは音楽的な効果として、本来は、なしえないはずの古典的な時代への旅、あるいは私達が生きていない時代への蘇り、また、その空想の空間の中で生きること、こういった普通では考えられないような音楽の醍醐味を体現させる。それは物語を見る第三者の視点が突如として登場したことを表し、メタ的な構造の変化を及ぼす。器楽的な観点から言えば、金管楽器の通奏低音の増幅、及び減退は、厳粛な音楽というアルバム全体のテーマを力強く反映させている。そして全体的な構成から言うと、この曲は、終曲にむけての布石や連結部のような役割を司る。主題と副題がたえず交差するようにし、このアルバムの音楽はクライマックスへと向かう。

 

終曲「Night Horns」は、基本的には、2つのパイプオルガンを中心に構成される。しかし、この曲では、日頃あまり指摘されないパイプオルガンの吹奏楽器としての音響的な性質が色濃く立ち現れる。撥音は鍵盤、音響効果はペダルであるが、出力はパイプ、つまり吹奏であるという音響学的な性質は、実際的に聞き手を音楽の最深部へと誘う力を持ち合わせている。最も和声構造の性質が強調され、それはやはり一貫して、ミニマル・ミュージックの次世代の音楽であるドローン・ミュージックという形式の範疇にあるが、和音の構成音の一音を丹念に、そして辛抱強く動かすことにより、音の流動性やうねりを作り出し、それらを建築物のような圧倒的な印象を持つ構造体へと作り上げる。それは、作曲のモチーフが上手く運び、ギリシア神話の物語のクライマックスを暗示しているのかもしれない。また、それは、人類史の無限への憧憬を表すバベルの塔の建築を思わせ、聞き手の興味を現実の世界から神話の世界へと接近させる。ある意味では、古典性と現代性という、2つの対極的なテーマを結びつけ、呆れるほど強度の高いドローン・ミュージックを構築したことに、このアルバムの最大の成果が込められている。

 

しかし、これは一年や二年で生み出されたものではない。2013年頃からたえず、サラ・ダヴァチは誰からも注目を受けなかった時代から、飽くなき探究心を持ち、電子音楽と前衛音楽を制作してきた。その11年目の成果が、ようやく傑作を出現させたのだ。最後の建物が振動する音と共に録音されたパイプオルガンの高音部の通奏低音は、レコーディングの歴史的な瞬間であり、今日までの音楽の中で最も崇高性を感じさせる。それはまた、現代の音楽が持つ一般的な意味を塗り替え、「スピリットを体現する音楽」という、哲学、数学と合わせて、最古の歴史を持つ人類が生み出した最高のリベラルアーツの本来の核心に最接近した瞬間なのである。

 

 

 

100/100



 



 


イギリスの人気シンガー、Michael Kiwanuka(マイケル・キワヌカ)がニューアルバム『Small Changes』を発表し、その中から2曲の新曲「Lowdown (part i)」と「Lowdown (part ii)」を共同ミュージックビデオで公開した。

 

『Small Changes』はGeffenから11月15日にリリース予定。Small Changes』は11月15日にGeffenからリリースされる。ビデオは以下から。

 

『Small Changes』はキワヌカの4枚目のアルバムで、2020年のマーキュリー賞を受賞し、グラミー賞の最優秀ロック・アルバム賞にもノミネートされた2019年の『Kiwanuka』に続く待望の作品。

 


「Lowdown (part i)」「Lowdown (part ii)」

 

 

 

Michael Kiwanuka  『Small Changes』

 

Label: Geffen

Release: 2024年11月15日


 Tracklist:


1. Floating Parade

2. Small Changes

3. One and Only

4. Rebel Soul

5. Lowdown (part i)

6. Lowdown (part ii)

7. Follow your Dreams

8. Live For Your Love

9. Stay By My Side

10. The Rest of Me

11. Four Long Years



ギタリストのケヴィン・ダニエル・ケーヒルとドラマーのグラハム・コステロから成るスコットランドはグラスゴー出身のアンビエント・デュオ、ケーヒル//コステロが、11月8日(金) に ニュー・アルバム『II』をレコード(限定枚数)、およびデジタル・フォーマットでリリースすることがわかった。この発表に合わせてリードシングル「Sunbeat」が本日配信された。(配信リンクはこちらから)


2021年にリリースしたデビュー・アルバム『オフワールド』に続いて2作目となる今作では、エフェクトのかかったギターを基調としたアンビエントな雰囲気と絶妙なグルーヴを取り入れたドラミングが、時折催眠術のようなテープ・ループを経由しながら織り交ざっている。


スコットランド王立音楽院で出会った2人は、ジャズとクラシックという異なる分野を専攻していたにもかかわらず、ミニマリズムと即興演奏への情熱を分かち合っていた。

 

ある時はグラハムのバックグラウンドであるジャズ的素養を感じさせ、またある時は彼が幼少期に聴いて育ったインストゥルメンタル・ロック、ポスト・ロック的な激しさも感じさせる。このアルバムは、デュオがデビュー作の成果をさらに発展させた、広大で野心的な作品となっている。


そして、新譜の発表を記念して、本日ファースト・シングル「Sunbeat」をデジタル・リリース! この曲は、サウンドと音色の面で彼らの新しい方向性を表している。


「Sunbeat」について2人は、次のように話している。


「『オフワールド』以来の僕たちの成長と音世界の変化を示すのに良いファースト・シングルだと思ったんだ。当初、この曲は即興のテープ・ループから始まり、ビートそのものが生まれ、ギターがそれに続いた。アルバムの主要なトラッキングが始まる前の最後の即興/ウォームアップから生まれたんだ。それはとてもオーガニックで楽しいプロセスだったよ」

 





Cahill//Costello(ケーヒル//コステロ) 『II(2)』- New Album





【アルバム情報】

アーティスト名:Cahill//Costello(ケーヒル//コステロ)

タイトル名:II(2)

発売日:2024年11月8日(金)

形態:2LP(140g盤)

バーコード:5060708611163

品番: GB1599


<トラックリスト>

Side-A


1. Tyrannus

2. Ae//FX 

Side-B


1. Ice Beat

2. Sensenmann

 

Side-C

1. JNGL

2. I Have Seen The Lions On The Beaches In The Evening

 

Side-D

1. Lachryma

2. Sunbeat



バイオグラフィー

 

スコットランドはグラスゴー出身のアンビエント・デュオで、メンバーは、ギタリストのケヴィン・ダニエル・ケーヒルとドラマーのグラハム・コステロ。出会いは2012年の英国王立スコットランド音楽院。ジャズとクラシックという異なった専攻の二人だったが、さまざまなジャンルにわたるミニマリズムと即興への相互の情熱を共有していた。この友情と共有された情熱は、最終的にケーヒル//コステロの結成に至る前に、グラハムとケヴィンがさまざまなソロ・プロジェクトで協力することにつながった。彼らのプロセスは、ミニマリズムとアンビエント・ミュージックの要素を融合し、過度の複雑さとは無縁の、非常に感情的なサウンドの世界を構成している。その音楽制作は忍耐と明晰さに基づいており、リスナーの心に正直に語りかける。2021年9月、ファースト・アルバム『オフワールド』をリリース。そして、2024年11月には3年ぶりとなるニュー・アルバム『II』の発売が決定している。

©Francois Bisi

現代ジャズシーンに新たな風を吹き込むハンマード・ダルシマー奏者マックスZTと日本人ベーシストMoto Fukushimaによるハウス・オブ・ウォーターズ。グラミー賞ノミネート作品の前作に続く初のインプロヴィゼーション・アルバムから先行シングル「Improv9」が公開。試聴は配信リンクと合わせて下記より。

 

前作『On Becoming』は、第66回グラミー賞ベスト・コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム部門にノミネート。ハウス・オブ・ウォーターズ初の即興演奏アルバム『On Becoming - The Improv Sessions』は、同セッションからの録音を基に構成され、8曲のインプロヴィゼーションと日本限定ボーナス・トラック2曲を収録している。世界屈指のドラマー、アントニオ・サンチェスが前作に引き続き参加し、心地よいグルーヴとリズム感を生んでいる。誰もがこれまでに聴いたことのない独創的で鮮やかな音世界が、今ここに提示される。

 

 

 

 

 

House Of Waters 「Improv 9」- New Single

 


収録曲:

1.Improv 9

配信リンク: https://morinohibiki.lnk.to/QOHhFx

 

 

『On Becoming - The Improv Sessions』- New Album

 



アーティスト:House of Waters(ハウス・オブ・ウォーターズ)
タイトル:On Becoming - The Improv Sessions
ジャンル: JAZZ
レーベル:森の響/インパートメント
発売日 : 2024年10月11日
フォーマット : 国内盤CD/デジタル配信


■ライナーノーツ収録(落合真理)
■ボーナストラック2曲収録
■日本のみCDリリース



◾️HOUSE OF WATERS(ハウス・オブ・ウォーターズ)   初の即興演奏アルバム『ON BECOMING - THE IMPROV SESSIONS』の発売が決定 10月11日に発売  アントニオ・サンチェスがドラムで参加

©Eliza Jouin


ニューヨークのインディーポップバンド、Pom Pom Squad(ポム・ポム・スクワッド)が、近日発売予定のアルバム『Mirror Starts Moving Without Me』から新曲「Street Fighter」を発表した。


この曲について、ミア・ベリングは声明でこう語っている。「コーディと私がこの曲をいじくりまわしていたとき、ストリートファイターから飛び出してきたようなシンセ・パッチに出くわしたの! ”ストリート・ファイターII”は、子供の頃に大好きだったゲームのひとつだったから、この曲を楽しい方向に持っていけると感じた。歌詞とヴォーカルは、同じ日の夜中の4時くらいに完成させた。一般的に、私の作詞は少しムーディーでシリアスな傾向がある。これは確かに私の違う一面を表しています」


2021年の『Death of a Cheerleader』に続く『Mirror Starts Moving Without Me』は、City Slang から10月25日にリリースされる。 

 


「Street Fighter」



 

©Steve Gullick

ポリッジ・レディオがニュー・シングル「A Hole in the Ground」をリリースした。この曲は、近日発売予定のアルバム『Clouds in the Sky They Will Always Be There for Me』からのもの。リード・シングル「Sick of the Blues」と同じく、この曲のビデオは、バンドが最近パリのポンピドゥー・センターで行った公演でライブ撮影された。以下からチェックしてほしい。

バンドリーダーのダナ・マーゴリンは声明の中で、「これは、わからないこと、お化け屋敷のおとぎ話や恐ろしい悪夢の中に閉じ込められ、逃げ回り、恐ろしい未来を予測し、それが現実となり、自己実現してしまうことを歌った曲です」と説明している。「優しい子守唄であると同時に、悲劇的な結末を迎える民話でもある。これは、まだ知らないことを知ることについての歌だ。当てずっぽうで未来を見ること、当たっていること......」

 
ポリッジ・レディオの『Clouds in the Sky They Will Always Be There for Me』はシークレットリー・カナディアンから10月18日にリリースされる。
 


「A Hole in the Ground」


 


ニューヨークのラッパー/プロデューサー、E L U C I Dがニューシングル「The World is Dog」をリリースした。

Fat Possumから10月11日にリリースされる新作アルバム『REVELATOR』の収録曲。E L U C I Dは昨年、Armand Hammer、billy woods、JPEGMAFIAとのコラボレーションアルバム「We Buy Diabetic Test Strip」を発表している。 

ビリー・ウッズをフィーチャーしたアルバムのリードシングル「Instant Transfer」はトラップのスタイルの巧みなラップでリスナーを惑乱させる。放送禁止用語のNワード等はお手のもの。同時に公開された「Slum of A Disregard」は、コラボレーションアルバムの経験を活かしたドラッギーなアブストラクトヒップホップだ。先鋭的なラッパーとしての才覚を遺憾なく発揮している。

アルバムからの三作目のシングル「The World Is Dog」は、サザンヒップポップ/トラップの系譜にあるナンバーである。従来のアブストラクトヒップホップをエモラップやニューウェイブと結びつけている。スクラッチのループはトリップの渦へとリスナーを導くこと必須だ。実験的なヒップホップだが、E L U C I Dのフロウは一貫して苛立ちや怒りがこめられていて情熱的だ。




「The World Is Dog」


◾️E L U C I D、ニューアルバム「REVELATOR」を発表  10月11日にリリース

 Jessie Murph 『That Ain't No Man That's The Devil』

 

 

 Label: Columbia

Release: 2024年9月6日

 

Review  

 

アラバマ州出身のジェシー・マーフは、驚くべきことに若干19歳のシンガーだ。2021年、コロンビア・レコードとレコード契約を結び、デビューシングル「Upgrade」をリリースした。現代的なシンガーソングライターと同様に、TikTokやYoutubeから登場したシンガーである。すでに彼女の楽曲「Pray」は、UKチャート、ビルボードチャート、それからカナダのチャートの100位以内にランクインしている。今後ブレイクする可能性の高い歌手と見るのが妥当だろうか。


ジェシー・マーフは、エイミー・ワインハウスのポスト世代の歌手である。喉を潰したような、この年齢からは想像の出来ないハスキーな声の性質は、むしろこの歌手の最大の強みであり、スペシャリティとも言えるだろう。そして、巧みなビブラートを駆使することによって、ハスキーな声は、人間的な奥深さや業へと変化する。そして、アラバマ出身という長所は、「サザン・ソウルの継承」という音楽的なテーマに転化し、カントリー、ブルース、R&Bを変幻自在に横断する。さながら今は亡きエイミー・ワインハウスの歌声が現代に蘇ったかのようでもあり、リリックの内容も歌手のプライベートのきわどい話題に触れている。実際的にオープナー「Gotta Hold」でのブレイクビーツに反映されているように、ヒップホップのビートからの影響も含まれていることがわかる。ソーシャルメディア全盛期に登場したシンガーと言うと、耳障りの良いライトな感じのインディーポップを思い浮かべる方もいるかもしれないが、ジェシー・マーフの音楽性はそれとは対極にあり、現代のミュージックシーンから孤絶している。マーフは、むしろ自分自身の声色のダーティーさや醜さをいとわず、米国南部的な感覚を徹底して押し出そうと試みる。それもまたワインハウスの人間的な業のようなものを引き継いでいると言える。近年のR&Bの流れに与せず、70年代のソウルミュージックのヘヴィーさに重点が置かれている。この点に、並み居るシンガーとはまったく異なる個性を見出すことが出来る。

 

ジェシー・マーフの曲は、お世辞にもきれいだとか都会的に洗練されているとは言いがたい。いや、むしろその粗削りで、どこまで行くか分からない、潜在的な凄みがデビューアルバムの醍醐味でもある。現代の歌手は、どこにいようと、インターネットで楽曲をオープンにすると、音楽ファンやレーベルに見出されてしまうが、コロンビアがこういったある意味、現代性とは対極にある古典的なR&Bシンガーに期待していることは、この名門レーベルが時代を超越するような存在、そして現代の音楽シーンを変えうる存在、さらに宣伝的なアイコンではなく、本物の歌のパワーで音楽そのものの意味を塗り替えてしまう存在を待望していることの証でもある。トラックの編集や他の楽器による脚色、ないしは、マスタリングのエフェクトとは関連のない「音楽そのものの良さ」を表現することが、2020年代後半の音楽家やアーティストの使命である。そういった重圧にジェシー・マーフが応えられるかどうかはまだ定かではない。

 

しかしながら、このデビューアルバムでポップスターとしての前兆は十分見えはじめている。もちろん、ラディカルな側面だけが歌手の魅力ではあるまい。「Dirty」では、Teddy Swimsとの華麗なデュエットを披露し、カントリーやアメリカーナ、そしてロックをR&Bと結びつけて、古典的な音楽から現代への架橋をする素晴らしい楽曲を制作している。ジェシー・マーフの歌声には偉大な力が存在し、そしてどこまでも伸びやかで、太陽の逆光を浴びるかのような美しさと雄大さを内含している。この曲こそ、南部のソウル・ミュージックの本筋であり、メンフィスのR&Bを次世代へと受け継ぐものである。そこにブルースの影響があることは言うまでもない。さらに「Son Of A Bitch」も、バンジョーの演奏を織り交ぜ、カントリーをベースにして、ロック的な文脈からヒップホップ、そしてモダンなR&Bへ、まるで1970年代から50年のブラック・ミュージックの歩みや変遷を再確認するような奥深い音楽的な試みがなされている。


ヒップホップに近いボーカルのニュアンスが披露されるケースもある。「It Ain't Right」は、背景となるソウルミュージックのトラックに、ポピュラー、ラップ、ロックの中間にある歌声を披露している。音楽としての軸足がラップに置かれたかと思うと、次の瞬間にはロックへと向かい、そしてポップスへと向かう。これらの変幻自在のアプローチが音楽そのものに開放的な感覚を付与し、聞き手側にもリラックスした感覚を授けることは疑いがない。一つの形式に拘泥せず、テーマとなる音楽を取り巻くように音楽を緩やかに展開させていることが素晴らしい。


アルバムの冒頭では、マスタリング的なサウンドは多くは登場しないが、反面、中盤にはエクスペリメンタルポップの範疇にある前衛的なポップスの楽曲が登場する。例えば、「I Hope It Hurts」はノイズポップの編集的なサウンドを織り交ぜ、シネマティックなR&Bを展開させている。また、続く「Love Lies」では、ヒップホップの文脈の中で、ロックやカントリーといった音楽を敷衍させていく。これらは、「ビルボードびいきのサウンド」とも言えるのだが、やはり聞かせる何かが存在する。単に耳障りの良い音楽で終わらず、リスナーを一つ先の世界に引き連れるような扇動力と深み、そして音楽における奥行きのようなものを持ち合わせているのだ。

 

アルバムの中盤の2曲では、形骸化したサウンドに陥っているが、終盤になって音楽的な核心を取り戻す。いや、むしろ19歳という若さで音楽的な主題を持っているというのが尋常なことではない。探しあぐねるはずの年代に、ジェシー・マーフは一般的な歌手が知らない何かを知っている。それらは、「High Road」を聞くと明らかではないだろうか。マーフはこの曲で基本的には、主役から脇役へと役柄を変えながら、デュエットを披露している。実際的に、Koe Wetzelのボーカルは、80年代のMTVの全盛期のブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーのR&Bの世界へと聞き手を誘うのである。サビやコーラス、そしてその合間のギター・ソロも曲の美しさを引き立てている。何より清涼感と開放感を持ち合わせた素晴らしいポップスだ。さらに、Baily Zimmmermanとのデュエット曲「Someone In The Room」では、アコースティックギターの演奏を基にこの年代らしいナイーヴさ、そしてセンチメンタルな感覚を織り交ぜ、見事なポップソングとして昇華させている。また、マーフのボーカルには、やはり、南部のR&Bの歌唱法やビブラートが登場する。もちろん、デュエットとしての息もピッタリ。二人のボーカリストの相性の良さ、そして録音現場の温和な雰囲気が目に浮かんできそうだ。

 

 

アルバムの最終盤では、エイミー・ワインハウスのポスト世代としての声明代わりのアンセム「Bang Bang」が登場する。この曲では、自身のダーティーな歌声や独特なトーンを活かして、フックの効いたR&Bを生み出している。やはり19歳とは思えない渋みと力感のある歌声であり、ただならぬ存在感を見せつける。デビューアルバムでは、そのアーティストが何者なのかを対外的に明示する必要があるが、『That Ain't No Man That's The Devil』では、その水準を難なくクリアしている。何より、商業主義の音楽でありながら、一度聴いて終わりという代物ではない。

 

本作のクローズでは、現代のトレンドであるアメリカーナを主体とし、アラバマの大地を思い浮かばせるような幽玄なカントリー/フォークでアルバムを締めくくっている。音楽や歌の素晴らしさとは、同じ表現性を示す均一化にあるわけではなく、他者とは異なる相違点に存在する。最新の音楽は「特別なキャラクターが尊重される」ということを「I Could Go Bad」は暗示する。2020年代後半の音楽シーンに必要視されるのは、一般化や標準化ではなく、他者とは異なる性質を披瀝すること。誰かから弱点と指摘されようとも、徹底して弱点を押し出せば、意味が反転し、最終的には大きな武器ともなりえる。そのことをジェシー・マーフのデビュー作は教唆してくれる。文句なしの素晴らしいアルバム。名門コロンビアから渾身の一作の登場だ。



 

90/100




Best Track 「Dirty」




Jessie Murphのデビューアルバム『That Ain't No Man That's The Devil』はコロンビアから発売中。ストリーミングはこちらから。

 

 

ロンドンのシンガー、Suki Waterhouse(スキ・ウォーターハウス)は、Vogue誌でも特集が組まれ、今最もホットな話題を振りまくシンガーである。9月13日(金)にSub Popからリリースされるアルバム『Memoir of a Sparklemuffin』から最終シングル「Model, Actress, Whatever」を公開した。

 

タイラー・ファルボが監督したビデオは、先日の米国のMTVライブ、MTVU、MTV Biggest Popで初公開されたほか、パラマウント・タイムズスクエアのビルボードにも登場した。Sub Popが現在最もプロモーションに力を入れており、イチオシするシンガーであることは疑いない。


ミュージックビデオでは、ウォーターハウスは混沌とした映画撮影現場で、アクション満載のシーンをこなしながら、 "お堅い "監督に批判され、リセットして "テイク33 "に挑む。ハッピーなことに、ウォーターハウスは最終的にグチャグチャのリベンジを果たし、その場を後にする。


ウォーターハウスは、2024年のMTVビデオ・ミュージック・アワードのプレゼンターも務め、アルバム・リリース後は、9月28日のコロラド州デンバーの公演を皮切りにスパークルマフィン・ツアーに出発し、9月21日には、ポートランドのモーダ・センターでMitskiをサポートする。

 


「Model, Actress, Whatever」




◾️アルバム情報





◾️先行シングル


MEW


 MEW(ミュウ)が解散を発表した。デンマークのロックバンドは、5月29日にオーフスのオーフス・コングレス・センターで、5月31日に地元コペンハーゲンのロイヤル・アリーナで開催される2つのコンサートでファンに別れを告げる。

 

 シンガーのヨナス・ビェーレ、ドラマーのサイラス・ウトケ・グラエ・ヨルゲンセン、ベーシストのヨハン・ウォーラート、ギタリストのボー・マドセンは1995年にミュウを結成。バンドの最後のアルバムは2017年の『Visuals』だった。


 ヨナス・ビェールは声明で次のように述べている。


 親愛なる友人たちへ


 来年でMewは30周年を迎えます!私や素敵なバンド仲間に数え切れないほどの冒険をさせてくれたこの旅は、本当に素晴らしいものでした。そしてそのどれもが、Frengersの皆さんと皆さんのサポートがなければ実現しなかったことです。これは決して当たり前のことではなく、これからも変わらない。


 私にとって、この旅は終わりに近づいている。来年がミュウでの最後の年になる。私個人としては、別の旅に出て、他のクリエイティブなプロジェクトに集中する時期だと悟りました。こうしてお別れ公演ができること、そして大切な友人であり共同創設者であるヨハンとサイラス、そしてドクとマッズ・ウェグナーと最後の旅に出られることをとても嬉しく思っている。このことについては、近いうちにもっと長い記事を書くつもりだ。とりあえず、来年のショーで会えるのが待ちきれないよ!


 愛を込めて、ジョナス。


 そして、フルラインナップはこう付け加えた。「30年? まともな神経をしていたら、1995年当時、僕らがまだここにいるなんて想像もしなかっただろうね」

 

 デンマークのエレクトロ・ロックバンド、MEWは2000年頃にスウェーデンのHIVESとともに北欧のミュージック・シーンがどれほど素晴らしいか、世界的に紹介した貢献者である。両バンドともに、実際のライブを見たことがあるが、それぞれ持ち味こそ異なるにせよ、素晴らしいライブを披露していた。MEWは北欧のロックの旋律の素晴らしさ、そして音響派としてのロックという長所を持っていた。MEWの紡ぎ出す耽美的な旋律はMBVに匹敵するものがあった。