ブラック・ミュージックの系譜を説明するに際して、ダンスの要素を差し引いて語ることはとても難しい。そもそも、ダンスは音楽と連動するようにして文化の中核を担ってきた経緯があるからである。ロックにしても、ソウルにしても、ハウスにしても、音楽には常に踊りが付随して文化発展を辿った経緯がある。アクションのない黒人音楽、それは無味乾燥なもので、ひどくつまらないものになるだろう。例えば、50年代には、ロックンロールという踊りがあったし、ツイスト、ポップコーン、ブギー、チキン、バンプ、ゴーゴー、ハウス、とその後の数十年をかけて、ダンスカルチャーの系譜を作り上げてきた。これらはスタジオの中にある音楽を一般のストリート・カルチャーに開放する力を持っていた。だから音楽家や取り巻きに留まることなく、多数の人々に支持され、インディーベースでも支持層を拡大してきたのだった。

 

ブラックミュージックは、移民系の有色人種や、そこに部分的に関わる白人のダンスカルチャーの一端を担っている。厳密に言えば、その後のヒップホップですらも、文学的な試みや個人的な告白や暴露、人種的なステートメントとは別に、ダンスの要素が不可欠となっている。ブラックミュージックは、音楽からダンスが離れすぎてもいけないし、それとは反対にダンスから音楽が離れすぎてもいけない。そして、ストリートのダンスとスタジオの音楽の融合がブラックミュージックのヒストリーの核心を構成している点を踏まえると、動きが少なく踊れることができないブラックミュージックはお世辞にもヒップとはいいがたい。そして主流の系譜からは外れており、それはオルタネイティヴに属すると言えるのだ。

 

今年開催されるパリ・オリンピックでも注目の競技となる、ブレイキングのルーツは、基本的には1970年まで遡る。 一般的にはブレイクダンスと言われることもあるが、これは主流メディアのプロモーションの後、ネーミングの変更を余儀なくされた。


ブレイクダンスというワードは、カルチャーの奥深くを知るものにとってそれほど良い響きとはならず、そもそもこの用語は、卑下の意味をもたらすこともある。そのため、複数のオリジネーター、RUN DMCを中心とするアーティストは、ブレイキングという言葉を用いることを推奨している。ただし、こういう話を持ち上げると、文化そのものの持つ面白さが薄れる場合があるため、この話は飽くまでブレイキンの原理主義的な話として捉えておいてもらいたいのだ。



DJ Cool Harc


オールドスクールヒップホップの重要なファクターとなる、「b-boy」、「b−girl」というワードは、そもそも「Break-ブレイク」という語の省略から生じている。このジャンルを最初に発生させたのは、ブロンクス地区で活躍していた「DJ Kool Herc」というのが通説だ。彼は、ジャマイカからの移民で、地元の公園でDJをしていた。彼の音楽活動の出発点はレゲエだったのだ。


音楽を公園で流すというのがヒップホップの最初の出発だったが、これが後にもっと自分でも音楽を制作したいという創作的な欲求が沸き起こったのは当然のことであり、それがそのまま原初的な「サンプリング」の形になった。それは機材や楽器を購入する資金がないという切実な状況から、エコな方法を取るに至ったのである。クール・ハークは、ブレイキングという言葉に関して、「興奮させる」、「精力的に活動する」という意味が込められていると語る。ブレイキングが躍動的で、この音楽が生命力を掻き立てる理由というのは、こういった原点を見ると、よりわかりやすいと思う。


それでは、ブレイキングのダンススタイルはどう作られていったのか。「b-boy」の多くの要素は、1970年以前の他のカルチャーの影響下にある。このダンスの先駆者として名高い、Rock Steady Crue(ロック・ステディー・クルー)のクレイジー・レッグスは、「b-boy」の出発は、ジェイムス・ブラウンの影響下にあるとしている。


クール・ハークを始めとする、ブロンクス地区に拠点を置くDJは、ダンスレコードのリズムのセクションを引用し、それを連続してループさせ、延長させた。電子音楽をはじめとする他の音楽のジャンルでも取り入れられることがある、音が一瞬で次の空間に飛ぶようなトリッピーな感じを表した「ブレイクビーツ」という語は、そもそもサンプリングの一形式を意味する。これは他のサウンドの引用や再解釈を元にして、それらをどのように発展させていくのかという、DJの創意工夫から始まったのだった。もちろん、下手なサウンドを組み上げればブーイングとなり、センス良くサウンドを構築すれば称賛される。いわば、DJとしての腕の見せ所でもあったのである。

 

そもそも、ブレイクビーツというジャンルも単なるサンプリングの一形式を示すだけにとどまらず、ダンス形態の一を意味する。推測にすぎないが、ブロンクス地区の公園で、レゲエやその他のソウル、そして続いて、サンプリングを披露するうちに、誰かが踊り始め、それがクールとなれば、他の誰かがそれを模倣し、より洗練された形にしていったのだろう。そして一般的には、犯罪沙汰や暴力沙汰に生命エネルギーを注ぎがちな若い青年に、クール・ハークを中心とするリーダー的な存在の人物が、ダンスによってエネルギーを使用するように呼びかけたというのが妥当な見方である。


本来、ブレイクビーツもダンサーが休憩のとき、即興を披露出来るスペースを提供するために生み出されたものだった。この動きは、創造性、スキル、音楽との同期という形を通じ、ダンスクルーの間に繰り広げられるコンペティションに繋がった。これらの最初のブレーカーは、バトルのような様相を呈することもあり、ここに対人でのバトルという競技のルーツを見ることが出来る。


そして、この最初の文化をもたらしたのは、移民を中心とするグループだった。最初の創成期のグループ、Sal Soul、Rockwell Associationといったグループのダンスクルーはほとんどがヒスパニック系で構成されていた。驚くべきは、最初のb-boyの九割がプエルトリコ系で占められていたという。



もうひとつ、ジェイムス・ブラウンの影響とは別に「uprock-アップロック」と呼ばれるダンススタイルの吸収も度外視することは出来ない。音楽のリズムを通じて、互いのダンサーの動きを模倣するという面白い形式である。


これらの動きには、相手を挑発するような意図もあるため、一般的に攻撃的なダンスであると見なされている。このトップロックの系譜にあるスタイルを導入するブレーカーによって採用されたことをのぞいては、このスタイルが後のブレイキングのような注目を浴びることはほとんどなかった。 


また、それ以降のブレイキング・ダンスは、ストリートカルチャーの気風が強まり、アーバンなストリートダンスとしてストリートで一般的に普及していく。音楽的には、ヒップホップの進化と並行して、ソウル、ロック、ファンクのビートに合わせて、パフォーマンスされることが多かった。音楽的な参考例としては、ジミー・キャスターによる「It's Just Begun」などがある。

 

ブレイキングの踊りの特徴としては、躍動的なアクションが強い印象を放つ。頭を床につけて、クルクル回転する動きをしたり、足と頭のポジションを一瞬で変化させるアクロバティックな動きは、このダンススタイルの視覚的な魅力でもある。こういったスタイルは70年代ごろに一般的になった。


もちろん、今ほど複雑な動きではないにせよ、ターン、フットシャッフル、スピン、フリースタイルといった90年代以降、ヒップホップが最もヒップとされる時代のダンススタイルと直結している。これらがb−boyのダンスに導入される場合は、対戦相手は、同じようなアップロックの動きで反応し、より短く、細かな動きで応えてみせた。

 

女性もまたこのストリートダンスに参加したが、通常は二人の男性が向かい合って踊ることが多かった。ブレイキングの原理主義的な形態の1つである「アップロック」の根底にある哲学は、「バーン」と呼ばれる手の細かな動きとジェスチャーに求められる。この模倣的な手の動きには意味があり、ディスることによって、相手を弱体化させるという意味が込められているという。


当初のブロンクスのダンサーは、こういった挑発的、あるいは扇動的な動きを取り入れながら、ラップバトルのような形で、ストリートダンスを普及させた。ダンスバトルにおける勝者がどのように決められたのかと言えば、音楽とダンスの動きを、巧みに連動させ、同期させることが上手いダンサーが選ばれた。そこには、模倣的な表現に対する攻撃や挑発の意味が込められており、ここにヒップホップの先駆者たちの皮肉と自負が込められている。つまり、彼らは、このヒップホップカルチャーが模倣的であることを自覚した上で、独創性をなによりも重視し、オリジナリティがないものはダサいという認識を持っていたのだ。これが、現代のヒップな音楽を見極める上での重要な鍵になっているのは明らかである。

 

以後、ロッキングとアップロッキングが発展していくにつれ、「ジャーク」と呼ばれる動きと「バーン」と呼ばれる動きが融合され、ダンサーの戦いをエミュレートしていくことになった。ブロンクスの市中のダンサーは、その後、ストリートダンスを洗練させるため新しいジェスチャーを加えた。


1980年代に入り、ギャングスタは新しい形式のダンスを披露するようになる。彼らが街の片隅で友達とぶらぶら歩きながらストリートで踊ることは一般的になった。ブレイキングダンスはこのようにしてストリートの文化として市民権を得るに至ったのである。



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ノラ・ジョーンズが今週末にブルーノートから発売される9作目のアルバム『Visions』の発売を間近に控え、LA Timesのインタビューに応じた。テキサス出身のシンガーソングライターは、この取材の中で、 2000年代の社会情勢、最新作から最近の生活、そしてグラミー賞についてを解き明かしている。

 

ジョーンズが有名アーティストとして知られるようになったのは、22年前のこと。『Come Away With Me』のレコーディングの際、ブルー・ノートのレーベルやプロデューサーは大きな期待をかけていなかったという噂があるが、実際の歌唱力を見て、レコーディング時にプロデューサーを変更し、デビュー作は難産となった。しかし、その結果、該当年のグラミー賞の部門をほとんど制覇した。この曲は世界的なヒットを記録し、ある種の社会現象を作り出したのである。レコードのプロデューサーとレーベルは、このアルバムのメガヒットを予期していた。

 

アルバムのオープナーとして収録されている「Don't Know Why」はこの2002年の最大のヒット曲となり、ジャズ・ポップの新しいスタンダードを確立した。その後は、自分自身の力でソングライティングを行いたいとの意図があり、ジョーンズは独立レーベルからリリースを行った。しかし、実際的に見て、たとえデビューアルバムの作曲について彼女自身の関わりが薄いとしても、本人の歌唱力がなければ、このアルバムをヒットさせることは到底不可能だった。

 

近年、ジョーンズはコラボレーション、カバーを率先して取組んでいる。コラボレーションに関しては、ウィリー・ネルソン、デンジャー・マウス、グリーン・デイのビリー・ジョーなど、カントリーの大御所から、ラップやソウル、そしてパンクアーティストまでジャンルを問わない。また、ポッドキャストでは、ロックの大御所のデイヴ・グロールや、メイヴィス・ステイプルズとのセッションに取組んできた。カバーとして有名なのは、クリスマスの定番曲を集めた2022年の『I Dream Of Christmas』がある。カバーを中心とする構成でありながら、歌唱力に関しては全盛期に劣らぬもので、クリスマス気分を味わうのに最適なアルバムだった。その後も、現在の米国のジャズ・ポップスの象徴的な歌手、ロサンゼルスのLaufeyとのデュエットでもピアノの弾き語りを中心に、依然として変わらぬ音楽家としての力量をみせている。

 

現在、ノラ・ジョーンズは、夫と二人の子供と一緒にニューヨークに住んでいる。LA Timesで語られた内容は、簡潔なものであり、政治的な内容に関しては曖昧な答えにとどめられている。『Visions』に関しては、過去の成功例とは対極にあり、ロック的な要素のあるソウルレコードであり、具体的には、ファジーなギター、オフキルターのドラム、ヴィンテージ・キーボードが織り交ぜられたサイケデリックなガレージソウルであるという。ジャズ・シンガーという固定観念を乗り越え、より自由な音楽的な方向性に歩みを進めようとしていることがわかる。今回、ジョーンズはプロデューサーのレオン・ミッシェルズとアルバムの制作に取組んだ。

 

一般的な話として、グラミー賞を受賞した歌手は、基本的に米国の大きなスポーツイベントに出演したり、また、影響力のある華やかなレセプション等で、国家を歌うことがひとつのステータスのようになっている。あるいは、プロの音楽家としての荷の重い責務と言えるかもしれない。それは、大きな成功を手にした(その成功は実際、外側からみたものと内側から見たものは全く異なる)ことへの誉れでもあるが、ノラ・ジョーンズに関しては、これまでずっと国家を大観客の前で歌うということを遠慮してきた。現在の視点から見て、ジョーンズは「体験になるのだから、それをやるべきだったかもしれない」と話す。しかし、2000年代の初頭、政治的な出来事が多く、国家を歌うこと自体が国を愛することに繋がるとは考えられなかったという。


ノラ・ジョーンズは、一般的な印象としては、それほど多く政治的な言及をしないように思えるが、必ずしもそうではない。彼女は、ジョージ・W について書かれた「My Dear Country」についても言及している。この曲では、「何かを愛するが、それを疑う」という複雑な感情を表現している。「誰かが知っている、多分、彼は狂っていない」というセリフは、前回の米国選挙でも流れされたという。しかし、このことについてもジョーンズは明確な言及を避けている。

 

新作アルバム『Visions』は、「リフレームのアルバムである」というTIMESの記者の指摘に対し、「多くの人が私がスムーズであるというイメージを持っているらしい」とジョーンズはやんわりと反論した。「私はこのようにいつもレコードを作ってきた。「Don't Know Why」は、ライブバンドとの1つのテイクにすぎない。私はただ、なめらかな声を持っている。少し緩んでいないとは言いませんが、しかし、今回はどちらかといえばスムーズに聞こえることを知っていながら、あえてそれを荒削りにしようと試みました」「私はかねてからレイ・チャールズのようになりたいと思っていた。レオンと私は、一緒に遊んでいてとても楽しかったと思います。高校時代のように、各曲の演奏が終了したとき、汗をかき、息が苦しかったのを覚えている。私の神ーー音楽、それは生の感覚でもある」と語り、レコーディングが充実したものであったことを明かした。


それでは、『Visions』の制作期間全体を通して、ジョーンズは何を考え、何を表現しようとしていたのだろうか。新作アルバムでは、家庭を持つ一般的な女性としての思いも描かれていて、家と孤独、自由への憧れも歌われている。しかし、全般的には何について考えられたものであったのか、ジョーンズは明確には言及していない。むしろ説明のための言葉を費やすというより、音楽における解釈を曖昧にするため、言葉は簡潔になり、少なくなり、そして断片的にならざるを得ない。「わかりません、物事が終わるまで、私は特定の方法で何を感じていたのか、よくわからない。ただ、ふざけていただけ、いつものようにジャグリングをしたり、子どもたちとぶらぶらしたり、仕事をしたり、それは放課後の活動について考えるようなものだった」

 

家庭と音楽の両立、これは多くのミュージシャンの悩ましく思う問題でもある。これらのバランスをジョーンズはどのように図っていたのか。時間をどこから捻出し、制作に当てたのか。アーティストは、比較的、家の中でリラックスする時間にクリエイティビティの泉があることを明らかにしている。「実をいうと、私はそれが得意であったことはほとんどありません」とジョーンズは言う。「頭の周りを駆け巡っているメロディーを拾い上げ、それを忘れないようにレコーディングする可能性が高い。もちろん誰かが問いかけるような気がするため、落ち着く時間はほとんどありません。ドアがロックされているとき、それらの活動はバスタブの中で起きる。私のボイスメモの多くは、そのバックグラウンドにお風呂が走っているようなものです」

 

このインタビューでは他にも、グラミー賞でのトレイシー・チャップマンとの共演や、お酒やマリファナについてトークした後、ジョニ・ミッチェルへの敬愛を明らかにしている。「私は彼女を愛してやまない」とジョーンズは言う。「年配のミュージシャンにとって、音楽を演奏すること自体が重要だと思う。私の父は92歳まで生きていました」と言い、演奏が父親の寿命を長くしたと説明している。「もし、彼がプレイをしないようにしたり、それをやめていたら、彼はもっと早く亡くなっていたかもしれなかった。私は数ヶ月前に彼と一緒に座っていました」とジョーンズは言う。「NYのフォレストヒルズスタジアムで。私は彼の妹のボビーの大ファンで、その夜ごとのギグにいた別のキーボード奏者を起用した。だから、ハーモニカ奏者のミッキー・ラファエルは、私が一晩中、キーボードシートで遊びたいかを尋ねた。そしてウィリーはただ楽しんでいるので、それは私にとっても世界でもっとも楽しいことだったのです」


 

©Robb Klassen


LAを拠点に活動するインディーポップ・アーティスト、Vicky Farewell(ヴィッキー・フェアウェル)がニューアルバム『Give a Damn』を発表した。2021年のデビュー作『Sweet Company』に続くこのアルバムは、マック・デマルコのレーベル、Mac's Record Labelから5月10日にリリースされる。リード・シングルの「Tern Me On」は、付属のビデオと共に本日リリースされた。


「より深い自分に出会うために、脆弱性を受け入れる必要があった」と、ファーウェルはロサンゼルスのアパートで自作プロデュースのアルバムについて語った。「これらの曲は本当の場所から生まれた」新曲について、彼女はこう付け加えた。"Tern Me On "の青写真がどういうわけか生まれるまで、私は即興で演奏したり、無意味にしゃべったりする自分のテイクを録音したの」


 


Vicky Farewell 『Give Me A Down』



Label: Mac's Record 

Release: 2024/05/10


Tracklist:


1. Intro (Remember Me)

2. Semi Auto

3. Make Me

4. Push It

5. Textbook

6. Isn’t It Strange

7. Tern Me On

8. Luxury Hellscape

9. Love Ya Like Me

10. Always There

 


カントリー歌手、ケーシー・マスグレイヴスは、シドニー・スウィーニーが司会を務める昨夜の『サタデー・ナイト・ライブ』に音楽ゲストとして出演した。アーティストは当初、自費制作により3枚のアルバムを発表後、2007年のオーディション番組を期に国内で知名度を獲得した。


マスグレイヴスがSNLに出演するのは今回で3度目となる。彼女が最後にこのコメディ・スケッチ番組にゲスト出演したのは、アルバム『star-crossed』のリリース後、2021年秋のシーズン・プレミアの時だった。


 

 

 Pissed Jeans 『Half Divorced』 

 

Label: Sub Pop

Release: 2024/03/04


Purchase/Stream



アメリカでは、たまに忘れた頃に魅力的なパンク・クルーが登場する。Pissed Jeansはペンシルバニアのハードコアバンドで、結成から20年のキャリアを誇る。今までこのバンドの存在を知らなかったが、実際の音源に触れれば、少なくとも、その活動期間は空虚なものではなかったと理解出来る。

 

パンクには、グループの音楽に内包されるアティテュードや、社会情勢に対してずばり物申すことが不可欠な要素なのだ。もし、それが的を射たものであればあるほど、実際にアウトプットされる音楽にも説得力が籠もるだろうし、より多くのファンを獲得することも出来る。つまり、パンクは、音楽そのものが尖っていれば良いというものでもない。少なくともルーザーから資産家の全方位にむけ、タブー視されていることや、一般的には言いにくいことを、ハードなサウンドに乗せてMCのように痛快にまくしたてる必要がある。かつてはそういったご意見番は、NOFXやGreen Dayといったパンクバンドが担っていたが、そろそろ次の世代が出てこないと、彼らもいよいよ「若い連中は何をやっているのか?」と嘆かわしく思いはじめることだろう。

 

例えば、政治的な揶揄、社会情勢や人生の成功者にたいして「ノー」を突きつけることは、彼らの実際の人生から生じている。バンドが直面した人生の辛酸や皮肉などを中心に、辛辣なハードコアパンク、カオティックハードコアとして昇華される。そこには、世間のいう幸福から遠ざかったことにより、赤裸々なパンクを制作することに躊躇がなくなった見る事もできる。人間誰しも、守るものがあったり、優遇される立場に置かれていると、人生の本質を見失い、そして、表現そのものに遠慮が出てくる。社会的な地位があればなおさら。みずからの発言や表現性により、誰がどんな表情をするのかをあらかじめ予期し、彼らのご機嫌取りしようとばかりに、お体裁の良い言葉や、彼らの気に入るであろう見目好い言葉を矢継ぎ早に投げかけるのだ。

 

そういった虚偽を覆うために奇妙な肩書があり、仰々しい名の元に構成された団体や機構、グループがある。だが、それらは実際、何の役にも立たず、誰も幸福にしない。そもそも、こういった虚偽の元に構成された奇妙な構造を持つ社会が少数の幸福者の下に無数の不幸者を生み出してきた。

 

どのような国家の議会でも聞かれるような言葉。その言葉は確かに配慮に富み、耳障りが良いかもしれないが、その実、そういった嘘くさい言葉は、何も現状を変えることもなければ、大多数の人々を癒やしたり、ましてや救うことなどありえない。なぜなら、それらは成功者、あるいは資本家を喜ばすことしかできず、一般大衆を喜ばすことなど到底なしえないからである。

 

Pissed Jeansが、そもそも他の一般的な人々よりも不真面目であり、真っ当な人生を歩んで来なかった、などと誰が明言出来るだろうのか。少なくとも、彼らのハードコアパンクは不器用なまでに直情的で、フェイクや嘘偽りのないものであるということは事実である。オープニングを飾る「Killing All The Wrong People」は、タイトルはデッド・ケネディーズのように不穏であり、過激であるが、その実、彼らが真面目に生きてきたのにも関わらず、相応の対価や報酬(それは何も金銭的なものだけではない)が得られなかったことへの憤怒である。その無惨な感覚を元にした怒りの矛先は、明らかに現在の歪んだ資本構造を生み出した資本家、暴利を貪る市場を牛耳る者ども、また、そういった社会構造を生み出した私欲にまみれた悪党どもに向けられる。それはパンクの餞であり、彼らなりのウィットに富んだブラック・ジョークなのだ。

 

実際の音楽はカオティック・ハードコアの屈強なスタイルを選んでいるが、これらの曲の中でたえず強調される不協和音は、四人が感じ取る現代社会の悲鳴であり、その中にまみれている不幸者の言葉にならぬ激しい呻きである。これらが長い経験から発生する激烈なカオティック・ハードコアという形で組み上げられていき、PJのサウンドを作り上げていくのだ。その中には、カルフォルニア・パンクの始祖であるBlack Flagのヘンリー・ロリンズのような慟哭もある。

 

バンドのパンクサウンドバリエーションがあり、単調なものに陥ることはほとんどない。オープニングのカオティックハードコアで盛大にぶちかました後、2曲目「Anti-Sapio」ではメロディック・パンクへと舵を取る。彼らのサウンドの下地にあるのは、複数のメディアが指摘しているように、ワシントン、ボストン、あるいは、ニューヨークの80年代から90年代にかけてのオールドスクール・ハードコアである。彼らのサウンドは、バッド・ブレインズ、バッド・レリジョン、あるいは、ニューヨークのゴリラ・ビスケッツのような象徴的なバンドの系譜に位置する。シンガロング性の高いフレーズを設けるのは、ポップ・パンクに傾倒しているがゆえ。それは以後のドロップキック・マーフィーズやフロッギン・モリーのようなパブ・ロックをメロディックパンクやケルト音楽から再解釈したサウンドを咀嚼しているからなのだろう。Pissed Jeansのサウンドには風圧があり、そして、それが怒涛の嵐のように過ぎ去っていく。

 

3曲目「Helicopter Parent」では、Sub Popのグランジ・サウンドの原点に迫る。『Bleach』時代のヘヴィネス、それ以後のAlice In Chainsのような暗鬱で鈍重なサウンドを織り込んでいるが、それはハードロックやヘヴィメタルというより、QOTSAのようなストーナーサウンドに近い形で展開される。しかし、彼らはグランジやストーナーロックをなぞらえるだけではなく、Spoonのようなロックンロール性にも焦点を当てているため、他人のサウンドの後追いとなることはほとんどない。クールなものとは対極にある野暮ったいスタイル、無骨な重戦車のような迫力を持つコルヴェットのボーカルにより、唯一無二のパンクサウンドへと引き上げられていく。挑発的で扇動的だが、背後のサウンドはブギーに近く、ロックのグルーブに焦点が置かれている。


アルバム発売直前にリリースされた「Cling to a Poison Dream」では、敗残者のどこかに消し去られた呻きを元に、痛撃なメロディック・ハードコアを構築する。アルバムの中では、間違いなくハイライトであり、現代のパンクを塗り替えるような扇動力がある。彼らは自分たち、そして背後にいる無数のルーザーの声を聞き取り、イントロの痛快なタム回しから、ドライブ感のあるハードコアパンクへと昇華している。乾いた爽快感があるコルヴェットのボーカルがバンド全体をリードしていく。リードするというよりも、それは強烈なエナジーを元に周囲を振り回すかのよう。しかし、それは人生の苦味からもたらされた覚悟を表している。バンドアンサンブルから醸し出されるのは、Motorheadのレミー・キルミスターのような無骨なボーカルだ。メタリックな質感を持ち、それがオーバードライブなロックンロールという形で現れる。曲は表向きにはメロディック・パンクの印象が強いが、同時に「Ace Of Spades」のようなアウトサイダー的な70年代のハードロック、メタルの影響も感じられる。アウトロでの挑発的な唸りはギャングスタラップの象徴的なアーティストにも近い覇気のような感慨が込められている。 

 

 

 「Cling to a Poison Dream」

 

 

 

ペンシルバニアのバンドではありながら、西海岸の80年代のパンクに依拠したサウンドも収録されている。そして、それは最終的にワールドワイドなパンクとしてアウトプットされる。これらは彼らのパンクの解釈が東海岸だけのものではないという意識から来るものなのだろう。「Sixty-Two Thousand Dollars in Debt」は、最初期のミスフィッツ、「Black Coffee」の時代、つまりヨーロッパでライブを行っていた時代のブラック・フラッグのサウンドをゴリラ・ビスケッツのハードコアサウンドで包み込む。ボーカルのフレーズはクラッシュのジョー・ストラマーからの影響を感じさせ、ダンディズムを元にしたクールな節回しもある。その中に、現代社会の資本主義の歪みや腐敗した政治への揶揄を織り交ぜる。しかし、それは必ずしもリリックとしてアウトプットされるとはかぎらず、ギターの不協和音という形で現れることもある。バッキングギターの刻みをベースにしたバンドサウンドは親しみやすいものであるが、これらの間隙に突如出現する不協和音を元にしたギターラインが不穏な脅威を生み出し、フックとスパイスを付与している。特に、ギターの多重録音は、PJの代名詞的なサウンドに重厚さをもたらす。

 

その後もブラック・フラッグ的なアナーキストとしてのサウンドが「Everywhere Is Bad」で展開される。相変わらず、不協和音を元にした分厚いハードコアパンクが展開されるが、ここには扇動的で挑発的なバンドのイメージの裏側にあるやるせなさや悲しみが織り交ぜられている。さらに彼らはパンクそのもののルーツを辿るかのように、「Junktime」において、デトロイトやNYのプロト・パンクや、プッシー・ガロア、ジーザス・リザード、ニック・ケイヴ擁するバースデイ・パーティのような、前衛的なノイズパンクへ突き進む。アルバムの序盤で彼らはオーバーグラウンドのパンクに目を向けているが、中盤では、地中深くを掘り進めるように、アンダーグランドの最下部へ降りていく。しかし、その最深部は見えず、目の眩むような深度を持つ。それを理解した上で、彼らはナンセンスなノイズ・ロックを追求しつづける。彼らのアナーキストとしての姿が垣間見え、上澄みの世間の虚偽や不毛な資本主義の産業形態を最下部から呆れたように見つめている。これは確かにルーザーのパンクではあるが、その立ち位置にいながら、まったくそのことに気がづいていない、ほとんどの人々に勇気を与え、彼らの心を鼓舞させるのだ。

 

バンドと彼らが相対する世界との不調和は、世間の人々の無数の心にある苛立ちやフラストレーションを意味しており、それがいよいよ次のトラック「Alive With Hate」で最高潮に達する。挑発的なノイズのイントロに続くボーカルは、腹の底というより、地中深くから怨念のように絞り出され、その後、Paint It Blackを彷彿とさせる無骨なハードコアパンクへと移行する。これらのハードコアパンクは、世間の綺麗事とは対極にある忖度が1つもない生の声を代弁している。

 

地の底を這うようなギターライン、それに合わさるワイアードなノイズ、扇動的なギター、ドラム、ハードコアに重点を置くボーカルが、目くるめく様に繰り広げられる。世の中のたわけきった人々を、彼らはニュースクール・ハードコアの文化に象徴される回し蹴りのダンス、外側に向けて放たれる強烈なエナジーにより蹴散らし、ヘイトをやめようなどと言い、その実、ヘイトを増大させる人々に、「目を覚ませ!」とばかりに凄まじい撃鉄を食らわす。怒涛の嵐の後には何も残らない。Panteraのダイムバック・バレルが墓場から蘇ったかのようだ。

 

アルバムの終盤では、比較的キャッチーな曲が収録されている、しかし、そのキャッチーさは必ずしも上澄みのパンクバンドのものとは一線を画している。


「Seabelt Alarm Silencer」では、80年代のストレート・エッジの性急なビートを元にし、メロディック・ハードコアを展開する。この曲は、Negative ApproachやNegative FXのようなボストン周辺のハードコアのような無骨さとミリタリー・パンクの要素を思わせる。続く「(Stolen) Catalytiic Converter」では、Gorilla Biscuitsのようなニューヨークのハードコアサウンドに立ち返る。ただその中にも現代的な音楽性も伺える。パルス状のシンセは、カナダ/トロントのFucked Upのエレクトロ・ハードコアの系譜にあるが、Pissed Jeansは、それを聞きやすいものにしようとか、親しみやすいものにしようなどという考えはない。ストレートなハードコアサウンドを突き抜けていくのは、耳障りなノイズ、そして、90年代や00年代のミクスチャーロックをベースにしたアジテーションである。


「Monsters」はアルバムの中で最もスリリングなポイントとなる。ボーカルはBad Religionのメロディック・ハードコアをスタイルに属するが、他方、全体的なサウンドとしてはUKのオリジナルパンクやハードコアの系譜にある。どこまでも無骨でゴツゴツとした感じ、一切、忖度やご機嫌取りをしないという生真面目でナーバスな点では、Discharge、Chaos UK、The Exploitedといったカラフルなスパイキーヘア、そして鋲のついたレザー・ジャケットの時代のUKハードコアの影響下にある。もちろん、疾走感のある性急なビートがそれらの屋台骨を形作り、現代的なハードコアがどうあるべきなのかを示している。これらは、Convergeやヨーロッパのハードコアバンドほど過激ではないが、王道にあるハードコアサウンドは、牙をそぎ落とされたファッションパンクばかり目立つ現代のシーンの渦中にあって鮮やかな印象を放つ。彼らはまだパンクが死んでいないことを証し立てる。


アルバムでは、引き出しの多いパンクのスタイルが重厚なサウンドによって展開される。表向きには、ぶっきらぼうな印象もあるが、最後の曲だけは、そのかぎりではない。「Moving On」では、Social Distortionを思わせる渋いメロディック・パンクをベースにし、コルヴェットの唸るようなヴォイスがその上を高らかに舞う。無骨なボーカルであるため、メロディー性は相殺されてしまっているが、サビのシンガロングの部分に彼らの最も親しみやすい部分が現れる。


この曲には、ソーシャル・ディストーションと同じように、カントリーとフォークの影響もわずかに見えるが、まだ残念ながら完全な形で表側には出てきていない。これがもし、ジョー・ストラマーのように、スカやカントリー、フォーク等、パンクの外側にあるジャンルを思い切り盛り込み、それが最も洗練され研ぎ澄まされた時、理想的なサウンドが出来上がるかも知れない。クラフトワークの『Autobahn』を思わせるアルバムジャケットはおしゃれで、部屋に飾っておきたいという欲求を覚えさせる。エミール・シュルトのセンスを上手く受け継いでいる。

 



85/100

 

 

 

Best Track 「Alive With Hate」



『Half Divorced』はSUB POPから3月1日に発売。アルバムからは前作「Sixty-Two Thousand Dollars in Debt」「Moving On」「Cling to a Poisoned Dream」先行シングルとして公開済み。  


米国の映画女優として活躍中のマヤ・ホーク。近年はシンガーとして頭角を表しつつある。先週、ジミー・ファロン主演の『トゥナイト・ショー』に音楽ゲストとして出演した。


この春、マヤ・ホークはクリスチャン・リー・ハトソンとレコーディングした新作LP『Chaos Angel』をリリースする。本作は前作『Moss』に続く作品。2022年には女性の中絶を支援する非営利団体を支援するコンピレーション「Good Music to Ensure Safe Abortion Access to All」にも参加している。


深夜番組でアーティストはアルバムの収録曲「Missing Out」を披露した。以下で見ることができる。


 『Liam Gallagher & John Squire』

 

Label: Warner Music UK

Release: 2024/ 03/ 01



Review  



元オアシスのリアム・ギャラガーと元ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアによるコラボレーション・アルバムは、予想以上の良作である。もちろん、このアルバムは両バンドのファンにとって納得の出来と言える。ビートルズ、ザ・フー、ローリング・ストーンズといったUKロックの代表格に加え、ブルース・ロックやウェストコーストロックの影響も感じさせるアルバムだ。


近年、リアム・ギャラガーは90年代のUKロックをベースにしたロックソングをソロ作の重要な根幹に据えていたが、今作はその延長線上にある作品と言える。ジョン・スクワイアはソロ・アルバムの音楽性にブルース・ロックという意外な要素を加えている。しかし、実はこれはストーンローゼズのクラブミュージックとサイケロックの融合という皮相の音楽性に隠されていたものだ。今回、ローゼズのファンはこのバンドの隠れた原石を発見することが出来るかも知れない。


オアシスやそれ以後のソロ作品において、ギャラガーは一般的にスタンダードなロックソングの面白さを追求してきたように感じられる。それはノエル・ギャラガーの良質なポップミュージックを追求するという考えとは対照的である。しかし、両者の考えにはマリアナ海溝のような深い隔たりがあるように思えるが、ロックとポップ、実はこの違いしか存在しないのである。


そして今までオアシスやソロアルバムでは一貫して英国のロックを追求してきたウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガーであるが、今回は必ずしもイギリスという括りにこだわっていないように思える。

 

長くも短くもなく、日曜の午後のように快活に過ぎ去っていくアルバムの10曲には、モッズ・ロックや、ビートルズ時代のバロック・ポップ、そして、90年代の宣伝用に作られた架空のジャンルである「ブリット・ポップ」の要素に加えて、アメリカの西海岸のロック、どちらかと言えば、ステッペンウルフのようなワイルドさを擁するロックソングが展開される。その中には、ストーンズのブギーやホンキー・トンクの影響下にあるロックの中核にある渋いリフが演奏されるが、これが表面的なロックソングに鋭いアクセントを与えている。表向きに歌われるメロディー性は、やはりオアシスやソロ・アルバムの系譜にあるが、そこにはロックの歴史の源流を辿るような意味合いが込められている。あらためて両者のミュージシャンは、ロックソングを誰よりもこよなく愛していることがわかるし、この音楽の魅力を誰よりも真摯に掘り下げようとしている。ギャラガーとスクワイアは間違いなく「現代のロックの伝道師」なのである。

 

昨年末、このアルバムの発表を事前にリークした時、リアム・ギャラガーは「リボルバー以来の傑作」とソーシャルで宣伝していた。しかし、このアルバムには、ビートルズの最初期の音楽性を想起させる「I'm So Bored」において、ビートルズの『Revolver』に収録されている「She Said She Said」に象徴されるようなマージービートという古典的なロックのスタイルを図っているのを除けば、明らかにローリングストーンズの影響下にあるアルバムである。次いで、言えば、このアルバムは、オアシスのようなアンセミックなフレーズ、そして清涼感のある音楽性を除けば、「Let It Bleed」のようなブルースの要素を前面に押し出した作品に位置づけられる。

 

今回のコラボレーション・アルバムで、ギャラガーはジョン・スクワイアのギターを徹底してフィーチャーすることを制作の条件にしたという。そのことがユニットという形であるにも関わらず、バンドセッションのような精細感をもたらす瞬間もある。スクワイアのギタープレイは、ブルースロックの要素をもたらしているが、それはジェフ・ベックやクラブトンといった、UKの伝説的なギタリストのラフなプレイの系譜に属している。そして、驚くべきことに、ジョン・スクワイアは、ストーン・ローゼズのエキセントリックな音楽性に隠れていたが、ジェフ・ベックやクラプトンに匹敵するブルース・ギタリストだったという事実が明らかになった。

  

このコラボレーションアルバムは、少なくとも両者の嗜好に根ざした日曜大工のような職人的な音楽の方式を取りながら、リズム、音階、構成、これらの3つの要素をどれひとつも軽視していないことは明確である。それはたしかに全盛期のように先鋭的ではないものの、あえて理想的な音楽の基本的な形に立ち返ったとも考えられる。また、若いミュージシャンを見るに見かねて、ある程度憎まれ役になるのを見越した上で、教則本のようなアルバムをリリースしたとも言える。


このアルバムは、先鋭的な創造性という側面では、中盤に少しだけ陰りが見られるが、全体的なアルバムとしては、いくつか傾聴すべきポイントが含まれている。また、本作は、古き良き時代を回想することだとか、古い時代への逃避を意味していない。前の時代の基本的な事例を示しながら、音楽とは何かを表そうとしているのである。この音楽を古びたものとか、そういうふうに考える事自体がナンセンスなのであり、もし、そんなことを考えるとすれば、それは音楽を堕落させる不逞の輩なのであり、考えられる限りにおいて最も愚鈍としか言いようがない。

 

アルバムには二人のミュージシャンの音楽的な語法を元に、ある意味では二人が理想とするスタイルが貫かれている。「Raise Your Hands」は、ギャラガーの生命力のある歌唱や、スクワイアの経験豊富なギターの組み合わせにより、理想的なロックミュージックの型を作り出す。この曲は、聞き手の心を鼓舞させ、音楽が人を消沈させたり悩ませたりするものではないことを表している。ギャラガーの音楽性は、お世辞にも新しいものとは言えまいが、それでも、この音楽の中には融和があり、愛がある。そして何より、音楽とは、人を怖がらせる化け物でもなく、また人を脅すものでもなく、聞き手にそっと寄り添うものであるということを示唆している。 

 

 

 「Mars To Liverpool」

 

 

 

理想的な音楽の形を示しながらも、リアムとジョンは、人間的な感覚をいまだに大切にしている。「Mars To Liverpool」は、彼らの住む場所を与えられたこと、ひいては生きていることへの感謝である。かつて若い頃は、「そういったことがわからず、家に閉じこもってばかりいた」と話すギャラガーは、彼が日課とする「愛犬との公園での散歩」という日常的なテーマに基づいて、最も良いメロディーを書こうとしている。


そこにスパイスを与えるのがスクワイアだ。二人の演奏の息はぴったり合っていて、根源的な融和という考えを導こうとしている。人種や政治、現代的な社会情勢を引き合いに出さずとも、こういった高らかな音楽を作ることは可能なのである。「過去へのララバイ」とも称せる「One Day At A Time」はノスタルジックなイントロを起点に驚くほど爽快なロックソングへと移行する。オアシスやソロ・アルバムで使い古された手法ではあるものの、こういったスタンダーなロックソングは複雑化しすぎ、怪奇的な気風すら漂う現代的な音楽の避暑地ともなりえる。


「I'm A Wheel」では、ジョン・スクワイアのブルースギタリストの才質が光る。ジョン・リー・フッカー、バディ・ガイのような硬派なブルースのリフを通じて、そこから飛び上がるように、お馴染みのリアム・ギャラガーが得意とするサビへと移行していく。シンプルでわかりやすい構成を通じて、BBCの「Top Of The Pops」の時代の親しみやすい音楽へと変遷を辿る。アウトロは、キース・リチャーズの得意とするような、渋みのあるリフでフェードアウトしていく。この音楽には、他にも英国のパブ・カルチャーへの親しみが込められているように思える。曲を聴けば自ずと、地下にある暗い空間、その先にある歓楽的な歓声が浮かび上がってくる。

 

年明けにリリースされた先行シングル「Just Another Rainbow」(MV)は、UKシングルチャートで見事一位を獲得した。


ストーン・ローゼズの「Waterfall」を思い起こさせる曲で、ギターラインはフェーザーのトーンのゆらぎを強調し、ニューウェイブの範疇にある手の込んだ音作りとなっている。そこにギャラガーは、ザ・スミスを彷彿とさせる瞑想的なフレーズをみずからの歌により紡いでいく。この曲は、ジョン・スクワイアのセルフカバーとも言えるが、「Waterfall」に対するオマージュは、ベースのスケールの進行にも見出せる。これらのストーン・ローゼズのカバーのような志向性は、しかし、やはりギャラガーの手にかかると、オリジナルのものに変わる。

 

アルバムの序盤では、驚くほどビートルズの要素は薄いが、「Love You Forever」 ではわずかにフォロワー的な音楽性が顕現する。ブルース・ロックをベースとし、シンコペーションを多用したロックソングが展開される。特に、楽節の延長を形作るのが、スクワイアのギターソロである。ここでは、ジャズのコール・アンド・レスポンスのように、ギャラガーのボーカル、スクワイアのギターによる音楽的な対話を重ねている。ギャラガーのボーカルが主役になったかと思えば、スクワイアのギターが主役になる、という面白い構成だ。音楽的な語法は、古典的なブルース・ロックやジョージ・ハリソンが好むような渋いロックソングとなっているが、その中に現代的な音楽の要素、主役を決めずに、語り手となる登場人物が切り替わる、演劇のようなスタイルが取り入れられている。この曲はまさに新旧のイギリスの音楽を咀嚼した内容である。

 

「Make It Up As You Go Along」は、キース・リチャーズがゲスト参加したと錯覚させるほどの見事なギターの模倣となっている。ストーンズの曲でもお馴染みのホンキー・トンク風のギターで始まり、TVドラマのエンディングのような雰囲気の曲調へと変遷していく。しかし、その後はビートルズのレノンが得意とする同音反復を強調するボーカルの形式を踏襲している。これらは、すでに存在する型を踏まえたものに過ぎないが、ポップ・ミュージックの理想的な形をどこかに留めている。この曲にある温和さや穏やかさはときに緊張感の欠いたものになる場合もあるが、アルバムを全体的な構成の中では、骨休みのような意味合いが込められている。つまり、崇高性や完璧主義とは別軸の音楽の魅力があり、また、少し気を緩めるような効果がある。


「You're Not The Only One」のイントロでは、New York Dolls、Sladeを思わせるブギーを主体にした呆れるほどシンプルなロックンロールに転じる。「You're Not The Only One」の場合は、少しクールというか気障なスタイルを採っている。この中に流動的なスクワイアのギター、そして、ストーンズのように4(8)拍を強調するピアノ、Led Zeppelinの「Rock N' Roll」の70年代のハードロックの要素が渾然一体となり、Zeppelinのバンドマークの要素を作り出す。これらは最近、ポストロックという形で薄められてしまったロックンロールの魅力を再発見することが出来る。


ロールとは、ダンスミュージックの転がすようなリズムを意味し、そもそもロックは、Little Richards,Chuck Berry、Bo Diddlyの代表的な音楽を聴くとわかる通り、ダンスの一貫として作られた音楽であることをありありと思い起こさせる。最近のロックは踊りの要素が乏しいが、本来はダンスミュージックとして編み出された音楽であるということをこの曲で再確認出来る。

 

「リボルバー以来の傑作」という制作者自身の言葉は、作品全体には当てはまらないかもしれないが、「I'm So Bored」には、お誂え向きのキャッチフレーズだ。イントロでは、ビートルズの初期から中期の音楽へのオマージュを示し、その後、ソロ・アルバムで追求してきた新しいロックの形を通じて、曲の節々に、ビートルズのマージービートのフレーズをたくみに散りばめている。


懐古的なアプローチが目立つ中、この曲は古びた感覚がない。それはスタンダードであり、またロックの核心を突いたものであるがゆえなのだ。ギターの録音のミックスもローファイな感覚が押し出され、モダンな雰囲気がある。その中にはザ・フーのタウンゼントに近いギターフレーズも見いだせる。UKロックのおさらいのような意味を持つのが上記の2曲である。ここには現代的な録音へのチャレンジもあり、ザ・スマイルが最新作『Wall Of Eyes』(リリース情報を読む)で徹底して追求したボーカルのディレイ、リバーブで、音像を拡大させるという手法も披露されている。

 

正直に言うと、コラボアルバムが発表された時、それほど大きな期待をしていなかった。それは単なる過去へのオマージュや回想の域を出ないことが予測されたからである。しかし、実際に聴いてみると、期待以上の出来栄えで、少なくとも、ローリンズ・ストーンズの『Hackney Diamonds』(リリース情報を読む)に匹敵するアルバムである。ここには、ロック・ミュージックの魅力がダイアモンドの原石のように散りばめられていて、商業音楽の理想形が示唆されている。それはやはり、分かりやすいメロディー、リズム、曲の構成という音楽を構成する基本的な要素が礎となっている。

 

最後にいうと、小さい子に聞かせることが出来ないタイプの商業音楽は、最良の選択とは言いがたい。その点、このアルバムは小さい子だって安心して楽しめる。もしかすると、犬でも猫でも楽しむことができるかも知れない。それは言い換えると、最良の音楽である証でもあるのだ。


アルバムのクローズ「Mother Nation's Song」では、他の曲では封印されていたフォークロックの雄大な性質が顕となる。 スクワイアのギターは全盛期のキース・リチャーズに匹敵し、円熟期を越え、マスタークラスの領域に達している。


リアム・ギャラガーは直近のインタビューで、若いミュージシャンが怠惰であることをやんわりと指摘していたが、このアルバムを聴くと分かる通り、どのような分野にも近道はないということが痛感出来る。少なくとも、ギャラガーとスクワイアは、今日までの道のりを一歩ずつ上ってきたのであり、その間、ひとつも近道をしようとしなかったことがわかる。彼らはいつも、正しい道を誰よりも実直に歩んできたのであり、少なくともそれは今後も同じなのだろう。

 


 

90/100 
 




Best Track 『I'm So Bored」

 


ズートンズが16年ぶりのニューアルバム『The Big Decider』を4月26日にICEPOPからリリースする。彼らは 「Creeping on the Dancefloor」に続いて、セカンド・シングル「Pauline」を公開した。ナイル・ロジャースとスタジオでレコーディングした映像も公開。試聴と視聴は以下から。


ズートンズは、デイヴ・マッケイブ(ギター、リード・ヴォーカル)、アビ・ハーディング(サックス、ヴォーカル)、ショーン・ペイン(ドラムス、ヴォーカル)。


マッケイブはプレスリリースで 「Pauline」についてこう語っている。


「数年前、バンドの休暇でパームスプリングスに行ったんだ。マッシュルームも食べたし、人生で最高の日だった。その数ヵ月後にこの曲を書いた。「Pauline」は、バンドとしてアルバムのために取り組んだ最初の曲だったから、勢いがついたんだ。この曲を書いた当時、僕はホット・チョコレートをたくさん聴いていたんだけど、それが表れていると思う。この曲はツアーでも好評で、すでにライブの人気曲になっている。"観客からのフィードバックはいつだって素晴らしい。


ズートンズは3年前に再結成し、伝説的アーティストでシックの共同創設者であるナイル・ロジャースのプロデュースによるニュー・アルバムをレコーディングする意向を発表した。


バンドはこのアルバムをアビーロード・スタジオでレコーディングし、ロジャースだけでなく、オリジナル・プロデューサーのイアン・ブルーディーとも仕事をした。


マッケイブは2人のプロデューサーとのレコーディングについてこう語っている。「ナイルとの仕事は素晴らしい経験で、レコードを作る前に感じたことのない自信を与えてくれた。彼はとてものんびりした人で、聞き上手なんだ。


「Disappear」という曲で、私はザ・ズートンズが星や銀河を旅して、宇宙で最も強力な質問である "なぜ?"を問いかけるという内容のスポークン・ワードを書いた。私はナイルに、曲の終わりの部分でそれを読み上げてくれないかと頼んだ。でも、彼は首にチェーンをかけ、サングラスをかけたままボーカルブースに飛び込んで、20テイクほど、自分自身のスタイルを変えて歌ったんだ。度肝を抜かれたよ!まるで彼が本当に宇宙船に乗って宇宙を旅していて、暇さえあれば音楽を作っているかのようだった。彼は私が今まで会った中で最もクールな人の一人だ。


「このアルバムでイアン・ブルーディーと再会できたのも素晴らしかった。彼は「Big Decider」のデモを聴いて涙が出たと言ってくれた。この曲はアルバムのために最初に書いた曲のひとつだったから、イアンからそのような反応をもらうと、自分たちが何か正しいことをしているような気がした。この曲はそれ自体を物語っていた」






 


 

ロサンゼルスのLaurel Halo(ローレル)が21分にも及ぶ長大なトラック「Octavia」を3月1日にリリースした。


昨年、アーティストはドローンアンビエントの傑作『Atlas』をリリースした。(リリース情報を読む)また、アルバムの発表後、アーティストはロンドンのイベンター、Modeが主催するイベントで来日した。


昨年のフルレングスに続く作品は、ハリウッド映画のサウンドトラックのようなダイナミックなスケールを持つドローン・アンビエント。プレスリリースによると、新曲はイタロ・カルヴィーノが1972年に発表した幻想文学「見えない都市」にインスピレーションを受けたという。

 

幻想文学「見えない都市」は、大枠では、9つの変奏形式で構成されている。作中では、マルコ・ポーロがフビライ・ハンに55の都市の物語を語り聞かせる。日本では河出書房新社から発売中。 

 

イタロ・カルヴィーノの「見えない都市」の223ページにはこのように書かれている。「偉大なるカン(フビライ・ハン)の地図帳(アトラス)には、また、さらに思念のなかでのみ訪れたものはあろうとも、未だ発見されても創建されてもいない約束の土地の地図が含まれている」

 

「Octavia」は2曲収録のデジタル・アルバムの一曲としてリリースされた。ローレル・ヘイローのシングル「Octavia」はLPのサイドAとして収録されている。サイドBには、ランス生まれで、ベルリンを拠点に活動するエレクトロニック・ミュージシャン、Jessica Ekomane(ジェシカ・エコマネ)の「Manifolds」が収録。二枚組のシングルLP「Octavia」は、bandcampで購入可能です。

 

 ーーピアノとエレクトロニクスのための作品「Octavia」は、メロディーのモチーフとテクスチャーの関係を、メロディー、ハーモニー、音素材の断続的な瞬間がつながったり離れたりする特異な方法で探求し、互いに揺れ動く一連の網や網を示す。

 

これらの音の網は緩やかに浮遊し、回転し、融合する。この作品は、イタロ・カルヴィーノの『インビジブル・シティズ』に登場する同名の「蜘蛛の巣都市」にインスパイアされている。深淵の上に吊るされたオクタヴィアの住人たちの生活は、他の都市に比べれば不確かなものではない。


ピアノとエレクトロニクスのための作品『オクタヴィア』は、メロディーのモチーフとテクスチャーの関係を特異な方法で探求し、断続的なメロディー、ハーモニー、音素材がリンクしたりしなかったりすることで、絡み合った一連の網や網を連想させる。

 

これらの音のリールはゆるやかに揺らぎ、回転し、融合して、深淵の上をゆるやかに漂っているような効果を生み出している。この作品は、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』に登場する同名の「蜘蛛の巣の都市」にインスパイアされている。奈落の底に吊るされたオクタヴィアの住人たちの生活は、次のようなものだ。ーーFrançois J. Bonnet, 2023 

 

 


 

 

 

Laurel Halo 「Octavia」


 

Tracklist:

 

Side A: 

Octavia (Laurel Halo)

Side B:

Manifolds (Jessica Ekomane)

 

 

Purchase;

https://laurelhalo.bandcamp.com/album/octavia 

 

 



米国の人気歌手、Miley Cyrus(マイリー・サイラス)は近年、カルフォルニアのマリブビーチの自宅が全焼するという信じがたい不幸に見舞われたが、新作アルバム『Endless Summer Vacation』のリリースやシングルカット「Flowers」でのグラミー賞の受賞、続いて、この曲が昨年、「最も売れたシングル」として公式に認定されたところを見るかぎり、その見返りは予測していたものよりも大きいものとなった。

 

実際、『Endless Summer Vacation』は、商業音楽として王道にあるアルバムで、商業的な成功を視野に入れた作品であったが、実際はかなり聴きごたえのある内容で、ソウルフルな歌唱力とバラードのうっとりさせるような美しさには目を瞠るものがあった。つまり、ローリング・ストーン誌が「Flowers」の紹介記事のなかで「勝利宣言」を行ったのも至極頷ける話なのだ。

 

サイラスがこの二度目の商業的な成功の後、どのような近況にあるのかは寡聞にして知らないが、グラミー賞の後も浮かれることなく、地道に音楽活動を続けていることは確かだ。


今回、彼女はファレル・ウィリアムスと組み、待望のコラボレーション第2弾「Doctor (Work It Out)」をリリースした。ファレルのルイ・ヴィトン・メンズの秋冬ショーで初披露された「Doctor (Work It Out)」は、マムフォード&サンズとの共演曲「Good People」に続く、今年2枚目のシングル。

 

マイリー・サイラスは、2023年最大のヒット・シングル「Flowers」でグラミー賞の年間最優秀レコード賞と最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞を受賞し、ジェイコブ・ビクセンマン監督によるオフィシャル・ミュージック・ビデオに出演している。アルバムのアートワークのような表向きのセンセーショナルなイメージとは裏腹に、かなり勤勉なアーティストの一人である。

 

 

Yard Act 『Where’s My Utopia?』

 


 

Label: Islands / Universal Music

Release: 2024/03/01


Listen/Purchase(国内盤の予約)



Review



依然としてヤード・アクトのシアトリカルなイメージはデビューアルバムから二作目に引き継がれている。オープナー「An Illusion」はリーズのバンドが得意とするジェームス・スミスのスポークンワードを主体とした、ダブ風のトラックにブレイクビーツを交えたサウンドが繰り広げられる。これは、ヤードアクトの新機軸が示されたと言える。ヤードアクトのサウンドにはザ・クラッシュの『London Calling』や『Sandinista』に対する憧憬のようなものも感じられる。イギリスのパブの仄暗く、また奇妙な熱狂性を擁する空気感は『Overload』以来も健在で、ひとまずこのオープナーでデビューアルバムがブラフではなかったことを証明づけようとしている。

 

デ・ラ・ソウルやDr.DREに象徴づけられる古典的なR&Bの系譜にあるオールドスクールヒップホップのターンテーブルのスクラッチやサンプリングをモチーフにした「We Make Hits」は、アルバムのハイライトとなりえる。


ヤードアクトは、そのヒップホップの要素に、ブレイクビーツやドリルの前衛的な手法を交え、一目散にサビへと向かっていく。「俺たちはヒットを生み出す!」というシンガロング必須のサビは、彼らのステートメント代わりであり、ゾンビ風のユニークなコーラスワークが絡みあい、ひときわユニークな印象を及ぼす。米国の深夜番組「ザ・トゥナイト・ショー・ステアリング・ジミー・ファロン」のパフォーマンスでは、ディスコ風のアレンジが施され、複数の女性コーラスがゴージャスな雰囲気を醸し出していたが、このアルバムの収録バージョンは硬派な雰囲気が漂う。サビでの熱狂的な雰囲気はバンドの最たる魅力が現れたと言える。

 

 以降の3曲目「Down By The Stream」ではデビューアルバム時のベースラインが強調された硬派なポストパンクサウンドに回帰している。 旧来よりパーカションの効果を押し出し、最初のアルバムのサウンドに前衛的な効果を及ぼそうとしているが、ちぐはぐな印象を覚えてしまうのは気のせいだろうか。リズムトラックとボーカルがまったくまとまっておらず、ビートやグルーブが断裂している。もし、ビリー・ウッズのようなアブストラクトヒップホップにおける先鋭的な要素を意図している場合は、この指摘は的外れとなるだろうが、歌いやすさと乗りやすさがバンドの魅力であったと考えると、やや難解なサウンドに傾倒しすぎたとも言える。

 

その後もヤードアクトはデビュー時の印象に変化を及ぼそうとする。「The Undertow」ではストリングスをダブサウンドやスポークンワードを取り入れたパンクサウンドに織り交ぜている。部分的には古典的なソウルミュージックの影響も反映されているかもしれないが、これらの複合的なジャンルは残念ながら、化学反応を起こすことなく、線香花火のようにそのスパークが「しゅーっ」と立ち消えになってしまう。一、二年のハードワークのライブツアーの疲弊がトラックには見え隠れする。それは本来のバンドの輝きやスミスのボーカルの生命力を削ぎ落とす結果となっている。

 

しかし、その中でもディスコ・サウンドやミラーボール・ディスコ、あるいは80年代のブラック・コンテンポラリーに根ざしたエンターテインメント性の高いサウンドで、なんとか陽気な雰囲気を生み出そうと試みる。先行シングルとして公開された「Dream Job」は、デビューアルバムの時代のユニークな風味をどこかに残しながら、シアトリカルなサウンドへと転換を図っている。ボンゴのようなワールドミュージックの打楽器を交えつつ、ヤード・アクトは、叫び声を取り入れたりし、コメディー風のサウンドを作り出している。その中に、やはりアースウィンドファイアー等を参考にしたコーラスが入ると、「Boggie Wonderland」のような70年代の空気感が生み出されることもある。しかし、スポークンワードという唯一無二の武器があるとはいえども、それらがなんらかの新しい音楽として昇華されたかどうかまでは分からない。

 

「Fizzy Fish」がギターサウンドをベースに、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の世界へ入り込んだSF的なポスト・パンク。 ヒップホップをベースにしながらも、「パワー・オブ・ラブ」のような懐古的な感覚と未来的な感覚をクロスオーバーするようなユニークなトラックである。しかし、曲の中盤から導入されるコーラスワークはいくらか調子はずれであり、本来の持ち味であるバンドが一体になって迫ってくるようなドライブ感が相殺されてしまっているのが残念。


ただノイジーな展開からダブ風のベースラインの起点とし、いくらか落ち着いた展開に移行する瞬間のスミスのスポークンワードに、この曲の醍醐味が宿っている。もしかすると、あえてアンセミックな展開を避け、全体的に落ち着いたサウンドにしても面白かったのではなかろうか。アウトロでは再び、トラックのイントロのようなノイジーで過激なサウンドへともどるが、これも何かエネルギーがくすぶり続けるような感じで、完全な不発に終わってしまっている。

 

「Petroleum」はヤード・アクトの代名詞的なトラックで、ダブサウンドを基調としたポストパンクをチョイスしている。しかし、この曲でも疲労感が漂う。スポークンワードは本来の切れ味がなく、それは情けない呻きのようにも聞こえる。リズムトラックに関しては入念に作り込まれており、その中にジャーマン・テクノのような新鮮な要素もキラリと光る。ところが、どうしても、それらは何らかの阻害を受けたかのように、なめらかなリズムの流れが途絶え、彼らの本来の魅力である親しみやすさやわかりやすさとは正反対にある難解で奇妙なサウンドに陥っている。これはおそらく、音楽的な選択肢が多すぎるがゆえの苦悩なのであり、それが最終的にはまとまったサウンドではなく、分散的なサウンドにとどまってしまっているのが難点か。

 

続く「When The Laugher Stops」では、女性ボーカリスト、J Pearsonをフィーチャーし、シンセ・ポップを主体とするニューウェイブ風のサウンドだ。表向きの陽気さや楽しさとは別に何かバンドやフロントマンの苦悩のようなものが浮かび上がる。厳密には明言できないが、それは何らかの選択に迷っているという気がし、これがフィーチャーの部分では煌めきがあるのに、メインのボーカルではくすぶっているような印象を覚える。曲そのものは親しみやすく痛快だが、もう少しだけ単純明快でクリアなサウンドを追求してもよかったかもしれない。

 

「Grifter's Grief」はスリーフォード・モッズのようなアウトローな感じのある打ち込みをベースにしたポストパンクサウンド。ここには新鮮な試みが見られ、トロピカルなサウンドやヨットロックのような要素をまぶし、安らいだ感覚を生み出す。ここにもバンドやフロントマンの隠された本音のようなものが見え隠れする。アウトロではブライトンのKEGのように一気呵成に轟音のハードコアサウンドへと猪突猛進する。しかし、残念ながらこれも完璧な不発に終わってしまっている。


表面的には増長や拡大、暴発的なサウンドを行き来するが、アルバムで最も説得力があるのは、それと対極にある「Blackpool Illumination」である。ここにはバンド、ボーカリストとしての進化が示され、そこにはアルバムの他の曲にはない深み、そして、本当のスピリットのようなものが一瞬だけ現れる。この曲が収録されていることが、ファンにとっての救いの瞬間となりえる。

 

Zen FCを離れて、メジャーレーベルのアイランドと契約し、多忙なスケジュールを組み、それを完璧に遂行し、国外のテレビ番組にも出演するようになったヤード・アクト。

 

解釈次第では、彼らはプロフェッショナルで、売れることを宿命づけられた立場にあるとも言える。クローズ曲でも売れるサウンドを生み出そうとしているが、それらのプレッシャーを完全にはね避けたとまでは言いがたい。なおかつ、本作は彼らの本当に理想とするサウンドになったとも明言しかねる。アルバムを聴いていると、何かしら懸念が頭の隅に突っかかっているという気がし、音楽そのものも、核心から次第に離れていくような違和感をおぼえてしまった。

 

単独の素晴らしいシングル「The Trench Coat Museum」が収録されなかったのも不可解である。今回のアルバムのリリースに関しては、多忙な日程でも核心にあるスピリットを誰にも受け渡さなかったアイドルズの『Tangk』とはきわめて対象的な結果となってしまった。切れ味のあるブラックジョークのような精彩味が乏しいのも残念。


才覚に満ち溢れたバンドが過密スケジュールで疲弊する事例があるが、このアルバムほどそのことを証明づけるものはない。バンドはすぐマヨルカ島へ行き、しばらくバカンスをする必要があるかもしれない。


 

 

70/100
 

 

 「We Make Hits」

 


アルバムの発表後、「Dream Job」のほか、「Petroleum」「When  The Laugher Stops」「We  Make Hits」が先行配信されています。


リアム・ギャラガーはスペイン/マドリッドの大手雑誌、elpaisの取材に応じた。国外のメディアだからこそ赤裸々に語れることもある。ソロアルバムの活動後、ギャラガーはストーン・ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイアをコラボレーターに選んだ。コラボというよりも共同制作者といった方が相応しいかもしれない。今回、彼はスクワイアとの親交を持つようになったきっかけ、ブリットポップとの出会いから、そして最新作『Liam Gallagher & John Squire』までを解き明かした。リアム・ギャラガー(マンチェスター、51歳)は、数ヶ月前に自身のソーシャル・ネットワークでこのアルバムを発表したとき、「リボルバー以来のベスト・アルバム」になると語った。多くの人が冗談だったはずだ。いや、そうでもなかったかもしれない。


「冗談だけど、本心でもあるんだ。元オアシスのヴォーカリストは、パリのホテルの一室で朝っぱらからビールを飲みながら言った。結局のところ、彼は不遜とまではいかないが、謙虚な人物として知られているというわけでもない。ギャラガーは、同じくマンチェスターの伝説的バンドであるザ・ストーン・ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイア(マンチェスター、61歳)との初共演アルバムについて語ったのだ。


ワーナーが今週金曜日にリリースする、メンバーの名前を冠したアルバム『Liam Gallagher & John Squire』は、ロックの歴史を変えることはないだろうが、「それぞれのグループが解散して以来、彼らがレコーディングした最高の作品になるかもしれない」というのが批評家のコンセンサスだ。ファースト・シングルのJust Another Rainbow』は快調な滑り出しを見せ、全英1位を獲得し、彼らのレシピ-良いメロディー、シンプルな歌詞、20世紀の男らしさ-がいまだに聴衆を惹きつけていることを証し立てる。


隣の席に座れば、彼らは家族のようになるのかもしれない。一見、スクワイアは本物の兄弟ノエル・ギャラガーと別れた後の代理の兄弟のように見える。彼らは同じグリーンのパーカー、同じアディダスのサンバ、同じ美容師がカットしたと思われるヘアスタイル、同じ北部訛り(ギャラガーの訛りは最も聞き取りにくい)を身にまとっている。


両者は90年代初頭からの知り合いだ。彼らのバンド間には、当時のイギリスのバンドに対する愛情があり、喧嘩とまではいかなくても、冗談交じりの侮辱に傾いていた。「当時は、自分より前に来たバンドを悪く言うのが流行ってて、ロックの恐竜扱いしていた。全員を憎まなければならなかった。でも彼らは決してそうしなかった」とスクワイアは頷く。「私たちは何度か悪口を言ったが、決して彼らを憎んだりはしなかったよ。我々は彼らを愛していた」とギャラガー。


オアシスのフロントマンは、16歳のときにストーン・ローゼズのコンサートを見に行った。1994年に "ウェールズの商店街で "偶然出会って以来、2人は何年にもわたって出会い、いくつかのギグで共演し、スクワイアは伝説的なギグで「シャンパン・スーパーノヴァ」を演奏したこともある。 2人がこれほど意気投合したのは、2人のバックグラウンドが似ているからなのだろうか?


「2人ともマンチェスター出身だからかもしれないけど、それよりも音楽についてもそうだし、似たような服が好きだから、そして、2人ともフットボールが好きだからだよ」とギャラガーは言う。「僕の方がちょっと上品なんだ。父親が工場で働いていたとはいえ、僕は郊外の緑の多いところで育ったんだ」とスクワイアは言う。アイルランド移民の息子であるリアムは驚く。母はマクビティーのビスケット工場で働いていた。でも、そのことを話したことはなかった。


2022年、2人は長年会っていなかったステージを共にした。帰り際、スクワイアはギャラガーに2曲のヴォーカルを依頼し、それが結果的にこのアルバムを構成する10曲となった。リアムはひとつの条件、つまり「ギターがたくさんあること」を条件にした。このアルバムは、長距離のブレインストーミングを経て、LAで3週間かけて録音された。アルバムのサウンドのインスピレーションを求めていたスクワイアは、ジミ・ヘンドリックスとザ・フェイセズの曲を提案した。ギャラガーは、ボブ・マーリーの『リデンプション・ソング』とビージーズ(!)のファルセットを提案した。


その結果、サイケデリアとブルースが混ざり合い、Mars to LiverpoolやMother Nature's Songのような丸みを帯びた曲が生まれた。「これは住む場所を与えてくれたことへの感謝のメッセージなんだ」とスクワイアは言う。「若い頃はそのありがたみがちっともわからず、一日中家に閉じこもって過ごしていた。でも、今は自然の中に入るのが大好きで、いつも早起きして散歩に出かけるんだ」と、ギャラガーは自宅近くのロンドンののどかなハムステッド・ヒース公園での愛犬バトンズとの散歩について語った。


デイモン・アルバーンは数ヶ月前、1994年にザ・フェイスが考案した「ブリットポップ」というレッテルがずっと嫌いだったと語った。


このレッテルは、トニー・ブレアの台頭と並行して、音楽、若者、新労働党が同一視された瞬間、燎原の火のごとく台頭してきた20代のバンドのニュー・ウェーブ運動を指すものだったが、長い年月を経て、幻影であったことが証明される。アルバーンは利用されたと感じた。ギャラガーはかつてのライバルについて次のように語る。「でも、彼らはブリットポップを作ったのだから」「パルプ、スウェード、エラスティカ、メンズウェア......。すべてがブリットポップ一色だった。オアシスやヴァーヴはもっと意味のあることをやっていたけどね。ブリットポップはちょっと愚かだったかな」


それ以来、あなたの国は音楽以外の理由で音楽的影響力を失ったと言えますかと聞かれると、「そうかもしれない、でも、それはブレグジットのせいじゃないと思う。ヨーロッパ・ツアーは高くついたけどね」とスクワイアは答える。 


ギャラガーは付け加えた。「最近の若者は、全員ではないけれど、そのほとんどがクソ怠け者だと思う。ブレグジットやナイジェル・ファラージを責めないでほしい。問題は、彼らがバンに乗ってクソみたいな道をドライブしたがらないことなんだ。彼らはすぐに成功したいわけさ。努力なんて少しもしたくないんだ。ファーストアルバムで一躍スターになった彼はどう? 車にもバスにもフェリーにも乗った。ミュージシャンとして必要なことは何でもやったんだ」


リアム・ギャラガーは、2024年にDefinitely Maybeの30周年を祝うツアーを発表した。兄なしでこれらの曲を演奏するのは奇妙なことだろうか?  「いや、いつもは自分のライブで演奏するんだ。それに、彼は参加するチャンスがあったのに、それを断ったんだ。誰かが汚れ仕事をしなければならないんだし」 彼はこのツアーに参加するように頼んだのだろうか? 「そう、頼みました」と彼は答えた。彼らは互いに話をしないことで有名だ。アルバムの記念日であると同時に、2009年にこの同じ街で行われたコンサートの後、オアシスが解散してから15年目になる。


しかし再結成の可能性は依然として低いようだ。ノエルは声明の中で、「耐えがたいレベルの言葉の威圧と暴力」によって彼を非難した。(後に、彼は彼の頭に「プラムとギター」を投げつけたと付け加えた)。 彼はそれについて何を覚えているのか?  唐突な記憶喪失に陥ったかのようにリアム・ギャラガーは、「何も覚えちゃいないよ」と言う。では、彼はいつか兄と和解することになるのだろうか? 「そうかもしれない」と彼は言う。「でも、今週はないだろうね」 


ふと、イギリスの世界的に有名ミュージシャンが再結成について口に出して騒動を巻き起こした「グロウ・アップ騒動」の時に「間抜けヅラ」と、相手を手痛く一蹴したノエル・ギャラガーの顔が浮かんでくる。オアシスの次の記念日は2025年である。傑作アルバム『(What's The Story)モーニング・グローリー』のリリースから30年。これ以上の機会は二度と訪れないかもしれない。

 


Charli XCXが待望のニューアルバム『BRAT』のファーストシングル「Von dutch 」をリリースした。

 

トルソが監督したこのミュージックビデオは、パリのシャルル・ド・ゴール空港で撮影された。シュワルツコフがオフィシャル・ヘア・パートナーとして参加している。この曲は、2022年の『CRASH』に続く待望の6枚目のスタジオ・アルバム『BRAT』に収録される。


先週、チャーリーはブルックリンで、A.G.クック、ジョージ・ダニエル、EASYFUN、ドスとともに新キャンペーンを発表するボイラールームを開催した。アディソン・レイやジュリア・フォックスらがスペシャル・ゲストとして登場し、ボイラー・ルームのイベント史上最多参加登録者数を更新した。


全15曲入りのニューアルバム『BRAT』は41分23秒で構成されている。今年の夏にリリース予定だ。また、"私はダンス・ミュージックを作るために生まれてきたの......。私はクラブから来たの......。『xcx6』は私がずっと作りたかったアルバム "とも書いている。

 

 「Von dutch」


ネイティブ・インストゥルメンツをとジェイコブ・コリアーによる新しい無料プラグインが発売される。コリアーのオーディエンス・クワイアのサウンドをソフトウェア音源に取り込んだプラグイン。詳細はこちら


オーディエンス・クワイアはコリアーのライブの定番で、グラミー賞受賞アーティストであるコリアーは、観客を彼の曲の演奏に参加させ、「様々なコード、キー、音世界をポリフォニックに」指揮する。


Jacob Collier Audience Choirは、アデレードからチューリッヒまで、世界の様々な都市で行われた22のコンサートの録音を基に作られている。プラグインには4つの異なる母音(Aa、Mm、Oo、Ee)が用意されており、インターフェースの右側にあるXYパッドを使ってブレンドすることができます。


このインストゥルメントにはコード・ジェネレーターも搭載されており、単音でダイアトニック・コードを演奏できるほか、ダイナミクス・コントロール用のスライダーもある。ティンブル・ノブはローパス・フィルターのような役割を果たし、オンボードのディレイとリバーブは5種類のリバーブを搭載し、期待通りの働きをする。ステレオ幅のコントロールもあり、アタックとリリースのダイヤルでエンベロープをシェイプが可能だ。


別のパネルを開くと、より高度なコントロールがあり、演奏しているコードをジャスト・イントネーション・チューニング・システムに合わせてリアルタイムで自動的にチューニングすることができます。「ピアノの調律方法は、通常、大勢の歌手のグループには適用されないからだ。「このプラグインの素晴らしいところは、実際の部屋で人々がチューニングを合わせるように、プラグインが適応できることだ」


このプラグインには、聖歌隊の音に加え、パーカッシブな音や、コリアーの聴衆が様々な言葉やフレーズを叫ぶサンプルも多数用意されている。このプラグインはポリフォニック・アフタータッチに対応しているので、Native Instruments Kontrol S MK3などのMPE対応コントローラーで表現力を高めることができる。


「私はここ数年、世界中をツアーし、世界中のあらゆる場所でショーを行ってきました。この経験の過程で、私が夢見ていたことのひとつは、もし私が自分の家でくつろいでいて、皆さんも自分の家でくつろいでいて、聴衆合唱団の感覚を手元で味わうことができたらどうだろう、ということでした。そこで私は、強力なネイティブ・インストゥルメンツのグループと手を組み、世界中の実際の観客のサンプルから作られたこの素晴らしいインストゥルメントを完成させた」



 Weekly Music Feature 

 



Nils Frahm

 

ニルス・フラームは、ベルリンを拠点に活動するドイツのミュージシャン、作曲家、レコード・プロデューサー。

 

クラシックとエレクトロニック・ミュージックを融合させ、グランドピアノ、アップライトピアノ、ローランド・ジュノ60、ローズ・ピアノ、ドラムマシン、ムーグ・タウルスをミックスした型破りなピアノ・アプローチで知られる。

 

ソロ活動のほか、アンネ・ミュラー、オラファー・アルナルズ、F. S. ブルム、ウッドキッドといった著名な演奏家とのコラボレーションも発表している。フレデリック・グマイナー、セバスチャン・シングヴァルトとともにノンキーンとしてレコーディング、演奏活動を行っている。

 

フラームは早くから音楽に親しんできた。父のクラウス・フラームは写真家で、ECMレコードのジャケットデザインも手がけている。彼はハンブルグ近郊で育ち、そこでクラシックのピアニストや現代の作曲家のスタイルを学んだ。学校ではミキシング・ボードを使い、録音された音の質に強い関心を抱いていた。

 

フラームは、初期のピアノ・ソロ作品『Wintermusik』(2009年)と『The Bells』(2009年)で注目を集めたが、批評家から絶賛されたのは2011年にリリースした『Felt』だった。以来、彼の音楽をリリースし続けているErased Tapesからの初のスタジオ・アルバムである。このアルバムに続くソロ・シンセサイザーEP『Juno and by Screws』(2012年)は、フラームが親指の怪我から回復している間にレコーディングされ、彼の誕生日にファンに無料ダウンロードで提供された。『Juno』に続く『Juno Reworked』(2013年)は、ルーク・アボットとクリス・クラークをゲストに迎えてリワークした。アルバム『Spaces』(2013年)は、2年以上にわたる様々な会場でのライブ録音で構成されている。


2013年12月、フラームは初の音楽集『Sheets Eins』をマナーズ・マクデイドから出版した。2016年には続編となる『Sheets Zwei』がリリースされた。2014年、フラームはデイヴィッド・クラヴィンスが彼のために特別に設計・製作した新しいピアノ「Una Corda」を発表した。このピアノは重さ100kg以下で、一般的に使用される3本の弦ではなく、鍵盤1つにつき1本の弦が張られている。


オーバーダビングなしの即興シングル・テイクによるアルバム『Solo』(2015年)は、後に同じくデヴィッド・クラヴィンス製の高さ370cmの縦型ピアノ「Modell 370」でレコーディングされた。インパラ・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた19枚のうちの1枚である。シングル「More」の凝縮バージョンは、『アサシン クリード ユニティ』のgamescomトレーラーに登場した。


2015年、フラームはセバスチャン・シッパー監督による140分連続テイクのドイツ映画『ヴィクトリア』で初のオリジナル・スコアを作曲した。また、2015年10月に公開され絶賛されたJR監督の短編映画『ELLIS』でウッドキッドとコラボレーションした。


同年、ニルス・フラームは1年の88日目を祝う「ピアノの日」(標準的なピアノの鍵盤が88鍵であることに由来)を創設した。最初のプロジェクトは、デイヴィッド・クラヴィンスとともに「Modell 450」を製作することだった。これは「Modell 370」の後継機である。


2016年2月、フラームは『The Gamble』をリリースし、2016年8月にはその関連作『Oddments of the Gamble』をリリースした。Pitchforkはこのアルバムを「魅力的につぎはぎだらけで雑然としているが、テンポがよくダイナミック」と評した。アートワークはフラームの父親がプロデュースした。

 

フラームは、「私は、人間がある状況下でどのように反応するか、そして音楽が人々の感情に何をもたらすかに興味がある。音色によって人々の態度をどのように変えることができるのだろうか。私が良いコンサートをした後、人々は幸せそうに部屋を出ていく。これは世界に還元できることなんだ。人々が落ち込んだり、もうダメだと感じたりしたときに、少なくとも音楽を聴かせ、人々の態度を変えることで、そういうふうに思わせたくない......。それが僕の宗教なんだ」



 

ドイツのポストクラシカルの至宝、ニルス・フラームが、ソロピアノ曲の新作「Day」を発表する。2022年の夏、ベルリンの有名な複合施設ファンクハウスのスタジオを離れ、完全な孤独の中で録音されたこのアルバムは、3時間に及ぶ壮大なアンビエントの傑作「Music For Animals」以来となる。


「Day」は、過去10年間、フラームが最初にその名を知らしめたピアノ曲から徐々に離れていき、それでもなお、より楽器的に複雑で複雑なアレンジを施した独特のアプローチに移行していくのを見てきた人たちにとっては驚きかもしれない。


2021年、パンデミックの初期にアーカイヴの整理に費やしていた彼は、80分、23曲からなる「Old Friends New Friends」をリリース。「Music For Animals」の延長線上にあるアンビエント的な性質から判断すると、この作戦は成功したと言えようが、フラームは初心に帰らずにはいられない。「The Bells」、「Felt」、「Screws」といった高評価を得たアルバムを楽しんだ人々は、「Day」の慣れ親しんだ個人的なスタイルに満足するはずだ。「Day」には6曲が収録され、そのうち3曲が6分を超えるもので、フラームが2024年にリリースを予定している2枚のアルバムの第1弾となる。


しかし、その性質上、フラームはこのリリースについて歌ったり踊ったりはしない。その代わり、現在進行中のワールド・ツアーを再開する。すでにベルリンのファンクハウスでの15公演がソールドアウトし、アテネのアクロポリスでの公演も含まれている。2024年7月にロンドン・バービカンで開催される数回のソールドアウト公演を含め、世界各地での公演が続く。


このアルバムは、レコーディングされた時のように、静かで居心地の良い部屋で楽しむのが一番だ。周期的で静かなジャジーな「You Name It」では、ペダルのきしむ音がかすかに聞こえ、「Butter Notes」のアルペジオの緩和的な波紋では、外の通りで犬が吠える音が聞こえる。慈愛に満ちた「Tuesdays」と感情的に曖昧な「Towards Zero」は、ハロルド・バッドの初期の作品のような痛烈な粘りをもって余韻を残し、「Hands On」は、時に明るく、風通しの良い曲で、独自の意図的なペースを作り出している。


内密なムードが特徴的な「Day」は、フラームが現在、ピアノ、オルガン、キーボード、シンセ、さらにはグラス・ハーモニカまで駆使した手の込んだ祝祭的なコンサートで最もよく知られていることは間違いないが、シンプルさ、優しさ、ロマンスに影響を与える名手であることを証明している。

 

 


 『Day』/ Leiter-Verlag


    


フラームがエレクトロニック・プロデューサーとしての表情を持つ傍ら、鍵盤奏者としての傑出した才覚を持つことは、音楽ファンによく知られていることである。2009年頃、ドイツ・ロマン派に属するポスト・クラシカルのシングル「Wintermusik」を発表して以来、不慮の事故で指に怪我を負う等、いくつかの懸念すべき出来事も発生したが、結局のところ、2024年現在まで、(知るかぎりでは)フラームが鍵盤奏者であることを止めたことは一度もない。

 

そのなかで、鍵盤奏者としての性質をわずかに残しながら、意欲的なミニマル・テクノやエレクトロも制作してきた。BBC Promsへの出演を期に、英国等の音楽市場でもアーティストの知名度が上昇した経緯を見ると、フラームの一般的なイメージは「エレクトロニック・プロデューサー」ということになるのかもしれない。しかし、ミュージシャンとしての本質は、やはり鍵盤奏者にあるといわざるを得ない。結局、ミニマル・テクノやダニエル・ロパティンのような電子音楽の交響曲という要素は、鍵盤奏者としての性質の延長線上にあるということなのだ。

 

また、 ニルス・フラームは、ドイツのファンクハウス・ベルリンに個人スタジオを所有していることは詳しい方ならご承知かもしれない。しかし、かつては自宅の地下室に個人スタジオからファンクハウスベルリンに制作拠点を移したことは、こ過剰なプレッシャーを制作者に与えることに繋がった。そこから気をそらすため、フラームは時々、マヨルカ島にエネルギーの補填に行ったり、ベルリンの音楽仲間である現代のダブ・ミュージックの象徴的なプロデューサー、FS Blummとのコラボレーションを行っていた。つまり、これは推測するに、気分が詰まりがちな制作環境に別の気風をもたらそうとしたというのが所感である。

 

今回の最新アルバム『Day』は個人スタジオがあるファンクハウスから距離を置いている。このファンクハウスの個人スタジオは、『All Melody』のアルバムのアートワークにもなっている。なぜ制作拠点を変更したのかについては、東西分裂時代のドイツの閉塞感から逃れることと、作風を変化させることに狙いがあったのではないかと推測される。


フラームは、以前からドイツの新聞社、”De Morgen”の取材で明らかにしている通り、ワーカーホリック的な気質があったことを認めていた。しかし、そのことが本来の音楽的な瞑想性や深遠さを摩耗していることも明らかであった。おそらく、このままでは、音楽的な感性の源泉がどこかで枯渇する可能性もあるかもしれない。そのことを知ってのことか、ニルス・フラームは、2021年頃から、ライブの本数を100本ほどに徐々に減らしていき、パンデミックやロックダウンを契機に、彼のマネージャーと独立レーベル、”Leiter-Verlag”を設立し、その手始めに『Music For Animals』を発表した。これらの動向は、次の作品、そして、その次なる作品へ向けて、以前の活動スタイルから転換を図るための助走のような期間であったものと考えられる。

 

フラームは、活動初期のコンテンポラリークラシカル/ポスト・クラシカルの未発表音源を収録した2021年の『Old Friends New Friends』では、自身のピアノ曲を主体とする音楽性について、「ドイツ・ロマン派」的なものであるとし、いくらかそれを時代遅れなものとしていた。その後の『Music For Animals』はシンセサイザーによるアンビエント作品であったため、しばらくはピアノ作品を期待出来ないと私は考えていたのだったが、結局のところ、このアルバムで再び最初期の作風に回帰を果たしたということは、フラームの発言はある種のジョークのような意味だったのだろう。


しかし、原点回帰を果たしたからといえど、過去の時代の成功例にすがりつくようなアルバムではない。はじめに言っておくと、このアルバムはニルス・フラームの最高傑作の1つであり、ピアノ作品としては、グラミー賞を受賞したオーラヴル・アルナルズの『Some Kind Of Piece』に匹敵する。全編が一貫してピアノの録音で占められていて、あらかじめスコアや着想を制作者の頭の中でまとめておき、一気呵成に録音したようなライブ感のある作品となっている。


ここ数年の称賛された作品や、売れ行きが好調な作品を見るかぎりでは、そのほとんどが数ヶ月か、それ以上の期間がアルバムの音楽の背景に流れているのを感じさせるが、『Day』は、ほとんどそういった時間の感慨を覚えさせない。制作者によるライブ録音が始まり、それが35分ほどの簡潔な構成で終了する。多分、無駄な脚色や華美な演出は、このアーティストには不要なのかもしれない。フラームのアルバムは、ピアノの演奏、犬や鳥の鳴き声のサンプリング、そして、マイクの向こう側にかすかに聞こえる緊張感のある息遣いや間、それらが渾然一体となり、モダン・インテリアのようにスタイリッシュに洗練された音楽世界が構築されたのである。

 

 

オープニングを飾る「You Name It」は、2018年の『All Melody』に収録されていた「My Friend The Forest」の作風を彷彿とさせ、さらに2009年頃のポスト・クラシカルの形式に回帰している。ビル・エヴァンスのような洗練された演奏力があるため、少なくとも制作者が忌避していたようなアナクロニズムに堕することはほとんどない。 なおかつ、近年のエレクトロニックを主体とした曲や、アルバムに申し訳程度に収録されていたピアノ曲ともその印象が異なる。


演奏には瞑想性があり、まるでピアノの演奏を通じ、深遠な思索を行うかのようである。それは必ずしも「音楽のフィクションの物語」となるわけではないが、少なくとも、「音で言葉を語る」という、プロの音楽家としての水準を簡単にクリアしているように思える。


この曲は、氾濫する言葉から距離を置き、言葉の軽薄さから逃れさせる力を持っている。この曲を聞き、言葉に還ると、言葉というものの大切さに気づく契機となるかもしれない。フラームの演奏はアンドラーシュ・シフやグレン・グールドよりも寡黙であるが、しかし、そこには音楽を尊重する沈黙がある。これがこの音楽を聴いて、じっくりと聞きこませる力がある理由である。 

 

「Tuesday」

 

 

 

「Tuesday」も一曲目と同じように、ピアノハンマーの音響を生かしたディレイやサステインを強調したサウンド・デザインである。しかし、最初の一音の立ち上がり、つまりハンマーが鍵盤の蓋の向こうに上がる瞬間、感情性とロマンが溢れ出し、潤沢な時間が流れはじめる。曲には、イタリアのルチアーノ・ベリオの「Wasserklavier」のような悲しみもかんじられるが、 ロベルト・シューマンの「Des Abends(夕べに)」のようなドイツ・ロマン派の伝統性も含まれている。シューマンの曲は、夕暮れの哀愁に満ちた情感、ライン地方の景物の美しさからもたらされる自然味が最大の魅力だったが、この曲は同じような系譜にあるとても美しい曲である。


しかし、それは旋律進行の器楽的な巧みさというよりも、実際の演奏の気品や洗練された感覚からもたらされる。楽節としてはミニマル音楽の系譜にあるものの、その合間に取り入れられる休符、つまり沈黙の瞬間が曲そのものに安らぎを与える。その間には、ピアノの演奏時には聞こえなかった演奏者のかすかな息遣いやアコースティックピアノのハンマーの軋む音が聞き取れる。これは隙間を見出すと、微細な音を配そうという近年の音楽の流れとは対極にある。忙しない音の動きやリズムを過剰に強調するのは、音楽というものを信頼していない証でもある。フラームはそれを逆手に取り、あえてこういった間や休符の中にある安らぎを強調している。

 

「Butter Notes」は、ある意味ではこれまでとは打って変わって、古典派やバロック音楽への敬愛を示している。バッハの「コラール」や「平均律クラヴィーア」に見られるような構造的な音楽を対比的に配置し、特異な作風に昇華させている。この曲には、ベートーヴェンやシューベルトのソナタ形式の作品に対する親近感もあり、それはロマンティックな気風を持つ「B楽章」を元にしている。これらはシューベルトのピアノ・ソナタの主要作品や、ベートーヴェンの『月光』の系譜に位置づけられる。それらの古典的な作風を踏襲しつつも、低音を強調したダイナミックでモダンなサウンド・プロダクションに変容させる。その中には実験音楽の技法が導入され、ボウド・ピアノ(プリペイド・ピアノ)のデチューンさせたピアノ弦をベース音として取り入れるという前衛的な試行がなされている。既存のクラシックの楽曲に影響を受けながらも、アンビエンスを強調したりというように、モダンなサウンドが敷き詰められている。

 

 「Hands On」は、『All Melody』の時代から取り組んできたアンビエントとピアノミュージックの融合を次世代のエレクトロニックとして昇華させるというフラームらしい一曲となっている。この曲では、実際に鳴っている鍵盤の音と背後にあるハンマーの軋みという2つの音楽的な構造が同一線上にある2つの線へと分岐している。これらは「音楽によるメタ構造」ともいうべき作風を作り出す。Olafur Arnolds、Library Tapes、Goldmund,Akira Kosemura(小瀬村晶)といった最近のポスト・クラシカルの主要な演奏家は、この2つのプロダクションの融合に取り組んでいたが、この曲では2つのサウンドデザインをはっきり分離させることで、立体的な構造性を作り出す。また、前の曲と同様に、低音を強調したプロダクションは、ベーゼンドルファー(オーストリアのピアノで、現在はヤマハが買収)のような特殊な音響性を兼ね備えている。

 

 「Changes」でもプリペイド・ピアノの技法が取り入れられている。三味線や琵琶のような枯れた響きのある前衛的な音をモチーフとし、琵琶の演奏の技法が取り入れられている。これは武満徹がニューヨークで初演を行ったクラシックの交響曲「November Steps」にも取り入れられている。


この曲ではプリペイド・ピアノをウッドベースのように弾くことにより、こういった演奏が生み出されている。そして面白いことに、持続音が減退音に変化する瞬間、琵琶や三味線のようであった和風の音響性が、インドのシタールのようなエキゾチックな音色へと変わる。それはライブセットで実際に演奏楽器を変えるときのような、イマジネーションを膨らませるような効果がある。この曲は従来の作風に比べると、驚くほど明るく、清々しい感覚に彩られている。ピアノの演奏面での工夫もあり、バッハの「フランス組曲」、「イギリス組曲」に見られるような装飾音、スタッカートの技法を取りいれ、音の印象に変容をもたらしている。聞き方次第では、それ以前のスカルラッティのイタリアン・バロックに対する親しみとも読み解ける。

 

クローズ「Towards Zero」はこれまでフラームが書いてきた中で最高傑作の1つに挙げられる。ドイツ・ロマン派の音楽性に根ざしたイントロから瞑想的な旋律が紡がれる。スケールの中にはバッハの「コラール」の編曲を行ったブゾーニのような重厚さと敬虔な響きが含まれる。低音を強調し、ディレイとサステインに変化を与え、その中に鶏の声のサンプリングを配している。

 

これらの実験的なサウンドプロダクションについては、かつてシューマンが行った「Vogel als Prophet(予言の鳥)」におけるストーリーテリングのような音楽と、イタリアのレスピーギが「ローマの松」で世界で最初に行われたサンプリングの技法を複合させ、それを現在の視点から再解釈するという意義が求められる。そして、この曲にも、ライブパフォーマンスのような精細感のある録音形式が選ばれている。ここには息を飲むようなリアルな緊迫感、音のひとつひとつの立ち上がり、ノートが完全に消え入ろうとする瞬間に至るまで、制作過程の全てが収録されている。それは実際に鳴っている音だけではなく、空間の背後の音を掬い取ろうというのだろう。

 

ニルス・フラームが、アルバムのクローズ曲「Towards Zero」で試みようとしているのは、おそらく音を強調するということではなく、休符によって発生する空白を、ディレイ/リバーブ等を中心とするエフェクトで強調させ、その余白を徹底して増大させるということである。そして制作者の意図する「ゼロに向かう」という考えは、最終的に、坂本龍一の作品と同じように、宇宙の根源的な核心へ接近していこうとする。一貫して、高水準のピアノ曲が示された後に訪れるのは、あっけない「沈黙」である。その敬虔な響きが徹底して強調され、アルバムは終わる。

 

また、最後の曲は、鳥の声のサンプリングが収録されているためか、新訳聖書のような文学性を思わせる。バイブルの中で、使徒ペテロがナザレのイエスを裏切るシーンと重なるものがあり、ミステリアスな印象を余韻という形で残す。特筆すべきは、カデンツァのトニカ(Ⅰ)で曲はおわらず、その途中で終了していることである。これはシューベルトが未発表のピアノ曲を遺稿として残し、未完に終わっていることを思い出させ、また、『ダヴィンチ・コード』のようにミステリアスな雰囲気に満ちている。果たして、音楽の後になんらかの続きが存在するのか? その答えは、次のアルバム以降に持ち越されるということになるかもしれません。

 

 

 

96/100 

 

 

 

Weekend Track 「Towards Zero」

 

 

 

・Nils Frahm(ニルス・フラーム)の新作アルバム『Day』は本日よりLeiterから発売。ストリーミングやご購入はこちらから。

 

ペンシルバニアのハードコアバンド、One Step Closer(ワン・ステップ・クローザー)は、2ndアルバム『All You Embrace』を発表した。

 

2021年の『This Place You Know』と昨年の『Songs for the Willow EP』に続くアルバムは、5月17日にRun for Coverからリリースされる。ニューシングル「Leap Years」は記事最下部よりご視聴下さい。


ボーカルのライアン・サヴィツキーは声明の中で、次のように述べています。「”One Step Closer”を完全な状態で披露したかったんだ。バンドの全てのパートを、そこに存在させたかった。100%自分たちらしく、できる限り自分たちのバンドに忠実でありたかった」



One Step Closer 『All You Embrace』


Label: Run For Cover

Release: 2024/05/17

Tracklist:


1. Color You

2. Leap Years

3. Blur My Memory

4. The Gate

5. Your Hazel Tree

6. Orange Leaf

7. Esruc

8. Slow To Let Go

9. Topanga

10. Giant’s Despair



「Leap Years」