オールドスクールヒップホップの重要なファクターとなる、「b-boy」、「b−girl」というワードは、そもそも「Break-ブレイク」という語の省略から生じている。このジャンルを最初に発生させたのは、ブロンクス地区で活躍していた「DJ Kool Herc」というのが通説だ。彼は、ジャマイカからの移民で、地元の公園でDJをしていた。彼の音楽活動の出発点はレゲエだったのだ。
また、それ以降のブレイキング・ダンスは、ストリートカルチャーの気風が強まり、アーバンなストリートダンスとしてストリートで一般的に普及していく。音楽的には、ヒップホップの進化と並行して、ソウル、ロック、ファンクのビートに合わせて、パフォーマンスされることが多かった。音楽的な参考例としては、ジミー・キャスターによる「It's Just Begun」などがある。
ジョーンズが有名アーティストとして知られるようになったのは、22年前のこと。『Come Away With Me』のレコーディングの際、ブルー・ノートのレーベルやプロデューサーは大きな期待をかけていなかったという噂があるが、実際の歌唱力を見て、レコーディング時にプロデューサーを変更し、デビュー作は難産となった。しかし、その結果、該当年のグラミー賞の部門をほとんど制覇した。この曲は世界的なヒットを記録し、ある種の社会現象を作り出したのである。レコードのプロデューサーとレーベルは、このアルバムのメガヒットを予期していた。
近年、ジョーンズはコラボレーション、カバーを率先して取組んでいる。コラボレーションに関しては、ウィリー・ネルソン、デンジャー・マウス、グリーン・デイのビリー・ジョーなど、カントリーの大御所から、ラップやソウル、そしてパンクアーティストまでジャンルを問わない。また、ポッドキャストでは、ロックの大御所のデイヴ・グロールや、メイヴィス・ステイプルズとのセッションに取組んできた。カバーとして有名なのは、クリスマスの定番曲を集めた2022年の『I Dream Of Christmas』がある。カバーを中心とする構成でありながら、歌唱力に関しては全盛期に劣らぬもので、クリスマス気分を味わうのに最適なアルバムだった。その後も、現在の米国のジャズ・ポップスの象徴的な歌手、ロサンゼルスのLaufeyとのデュエットでもピアノの弾き語りを中心に、依然として変わらぬ音楽家としての力量をみせている。
LAを拠点に活動するインディーポップ・アーティスト、Vicky Farewell(ヴィッキー・フェアウェル)がニューアルバム『Give a Damn』を発表した。2021年のデビュー作『Sweet Company』に続くこのアルバムは、マック・デマルコのレーベル、Mac's Record Labelから5月10日にリリースされる。リード・シングルの「Tern Me On」は、付属のビデオと共に本日リリースされた。
「より深い自分に出会うために、脆弱性を受け入れる必要があった」と、ファーウェルはロサンゼルスのアパートで自作プロデュースのアルバムについて語った。「これらの曲は本当の場所から生まれた」新曲について、彼女はこう付け加えた。"Tern Me On "の青写真がどういうわけか生まれるまで、私は即興で演奏したり、無意味にしゃべったりする自分のテイクを録音したの」
Pissed Jeansが、そもそも他の一般的な人々よりも不真面目であり、真っ当な人生を歩んで来なかった、などと誰が明言出来るだろうのか。少なくとも、彼らのハードコアパンクは不器用なまでに直情的で、フェイクや嘘偽りのないものであるということは事実である。オープニングを飾る「Killing All The Wrong People」は、タイトルはデッド・ケネディーズのように不穏であり、過激であるが、その実、彼らが真面目に生きてきたのにも関わらず、相応の対価や報酬(それは何も金銭的なものだけではない)が得られなかったことへの憤怒である。その無惨な感覚を元にした怒りの矛先は、明らかに現在の歪んだ資本構造を生み出した資本家、暴利を貪る市場を牛耳る者ども、また、そういった社会構造を生み出した私欲にまみれた悪党どもに向けられる。それはパンクの餞であり、彼らなりのウィットに富んだブラック・ジョークなのだ。
3曲目「Helicopter Parent」では、Sub Popのグランジ・サウンドの原点に迫る。『Bleach』時代のヘヴィネス、それ以後のAlice In Chainsのような暗鬱で鈍重なサウンドを織り込んでいるが、それはハードロックやヘヴィメタルというより、QOTSAのようなストーナーサウンドに近い形で展開される。しかし、彼らはグランジやストーナーロックをなぞらえるだけではなく、Spoonのようなロックンロール性にも焦点を当てているため、他人のサウンドの後追いとなることはほとんどない。クールなものとは対極にある野暮ったいスタイル、無骨な重戦車のような迫力を持つコルヴェットのボーカルにより、唯一無二のパンクサウンドへと引き上げられていく。挑発的で扇動的だが、背後のサウンドはブギーに近く、ロックのグルーブに焦点が置かれている。
アルバム発売直前にリリースされた「Cling to a Poison Dream」では、敗残者のどこかに消し去られた呻きを元に、痛撃なメロディック・ハードコアを構築する。アルバムの中では、間違いなくハイライトであり、現代のパンクを塗り替えるような扇動力がある。彼らは自分たち、そして背後にいる無数のルーザーの声を聞き取り、イントロの痛快なタム回しから、ドライブ感のあるハードコアパンクへと昇華している。乾いた爽快感があるコルヴェットのボーカルがバンド全体をリードしていく。リードするというよりも、それは強烈なエナジーを元に周囲を振り回すかのよう。しかし、それは人生の苦味からもたらされた覚悟を表している。バンドアンサンブルから醸し出されるのは、Motorheadのレミー・キルミスターのような無骨なボーカルだ。メタリックな質感を持ち、それがオーバードライブなロックンロールという形で現れる。曲は表向きにはメロディック・パンクの印象が強いが、同時に「Ace Of Spades」のようなアウトサイダー的な70年代のハードロック、メタルの影響も感じられる。アウトロでの挑発的な唸りはギャングスタラップの象徴的なアーティストにも近い覇気のような感慨が込められている。
「Cling to a Poison Dream」
ペンシルバニアのバンドではありながら、西海岸の80年代のパンクに依拠したサウンドも収録されている。そして、それは最終的にワールドワイドなパンクとしてアウトプットされる。これらは彼らのパンクの解釈が東海岸だけのものではないという意識から来るものなのだろう。「Sixty-Two Thousand Dollars in Debt」は、最初期のミスフィッツ、「Black Coffee」の時代、つまりヨーロッパでライブを行っていた時代のブラック・フラッグのサウンドをゴリラ・ビスケッツのハードコアサウンドで包み込む。ボーカルのフレーズはクラッシュのジョー・ストラマーからの影響を感じさせ、ダンディズムを元にしたクールな節回しもある。その中に、現代社会の資本主義の歪みや腐敗した政治への揶揄を織り交ぜる。しかし、それは必ずしもリリックとしてアウトプットされるとはかぎらず、ギターの不協和音という形で現れることもある。バッキングギターの刻みをベースにしたバンドサウンドは親しみやすいものであるが、これらの間隙に突如出現する不協和音を元にしたギターラインが不穏な脅威を生み出し、フックとスパイスを付与している。特に、ギターの多重録音は、PJの代名詞的なサウンドに重厚さをもたらす。
その後もブラック・フラッグ的なアナーキストとしてのサウンドが「Everywhere Is Bad」で展開される。相変わらず、不協和音を元にした分厚いハードコアパンクが展開されるが、ここには扇動的で挑発的なバンドのイメージの裏側にあるやるせなさや悲しみが織り交ぜられている。さらに彼らはパンクそのもののルーツを辿るかのように、「Junktime」において、デトロイトやNYのプロト・パンクや、プッシー・ガロア、ジーザス・リザード、ニック・ケイヴ擁するバースデイ・パーティのような、前衛的なノイズパンクへ突き進む。アルバムの序盤で彼らはオーバーグラウンドのパンクに目を向けているが、中盤では、地中深くを掘り進めるように、アンダーグランドの最下部へ降りていく。しかし、その最深部は見えず、目の眩むような深度を持つ。それを理解した上で、彼らはナンセンスなノイズ・ロックを追求しつづける。彼らのアナーキストとしての姿が垣間見え、上澄みの世間の虚偽や不毛な資本主義の産業形態を最下部から呆れたように見つめている。これは確かにルーザーのパンクではあるが、その立ち位置にいながら、まったくそのことに気がづいていない、ほとんどの人々に勇気を与え、彼らの心を鼓舞させるのだ。
バンドと彼らが相対する世界との不調和は、世間の人々の無数の心にある苛立ちやフラストレーションを意味しており、それがいよいよ次のトラック「Alive With Hate」で最高潮に達する。挑発的なノイズのイントロに続くボーカルは、腹の底というより、地中深くから怨念のように絞り出され、その後、Paint It Blackを彷彿とさせる無骨なハードコアパンクへと移行する。これらのハードコアパンクは、世間の綺麗事とは対極にある忖度が1つもない生の声を代弁している。
昨年末、このアルバムの発表を事前にリークした時、リアム・ギャラガーは「リボルバー以来の傑作」とソーシャルで宣伝していた。しかし、このアルバムには、ビートルズの最初期の音楽性を想起させる「I'm So Bored」において、ビートルズの『Revolver』に収録されている「She Said She Said」に象徴されるようなマージービートという古典的なロックのスタイルを図っているのを除けば、明らかにローリングストーンズの影響下にあるアルバムである。次いで、言えば、このアルバムは、オアシスのようなアンセミックなフレーズ、そして清涼感のある音楽性を除けば、「Let It Bleed」のようなブルースの要素を前面に押し出した作品に位置づけられる。
アルバムには二人のミュージシャンの音楽的な語法を元に、ある意味では二人が理想とするスタイルが貫かれている。「Raise Your Hands」は、ギャラガーの生命力のある歌唱や、スクワイアの経験豊富なギターの組み合わせにより、理想的なロックミュージックの型を作り出す。この曲は、聞き手の心を鼓舞させ、音楽が人を消沈させたり悩ませたりするものではないことを表している。ギャラガーの音楽性は、お世辞にも新しいものとは言えまいが、それでも、この音楽の中には融和があり、愛がある。そして何より、音楽とは、人を怖がらせる化け物でもなく、また人を脅すものでもなく、聞き手にそっと寄り添うものであるということを示唆している。
「Mars To Liverpool」
理想的な音楽の形を示しながらも、リアムとジョンは、人間的な感覚をいまだに大切にしている。「Mars To Liverpool」は、彼らの住む場所を与えられたこと、ひいては生きていることへの感謝である。かつて若い頃は、「そういったことがわからず、家に閉じこもってばかりいた」と話すギャラガーは、彼が日課とする「愛犬との公園での散歩」という日常的なテーマに基づいて、最も良いメロディーを書こうとしている。
そこにスパイスを与えるのがスクワイアだ。二人の演奏の息はぴったり合っていて、根源的な融和という考えを導こうとしている。人種や政治、現代的な社会情勢を引き合いに出さずとも、こういった高らかな音楽を作ることは可能なのである。「過去へのララバイ」とも称せる「One Day At A Time」はノスタルジックなイントロを起点に驚くほど爽快なロックソングへと移行する。オアシスやソロ・アルバムで使い古された手法ではあるものの、こういったスタンダーなロックソングは複雑化しすぎ、怪奇的な気風すら漂う現代的な音楽の避暑地ともなりえる。
「I'm A Wheel」では、ジョン・スクワイアのブルースギタリストの才質が光る。ジョン・リー・フッカー、バディ・ガイのような硬派なブルースのリフを通じて、そこから飛び上がるように、お馴染みのリアム・ギャラガーが得意とするサビへと移行していく。シンプルでわかりやすい構成を通じて、BBCの「Top Of The Pops」の時代の親しみやすい音楽へと変遷を辿る。アウトロは、キース・リチャーズの得意とするような、渋みのあるリフでフェードアウトしていく。この音楽には、他にも英国のパブ・カルチャーへの親しみが込められているように思える。曲を聴けば自ずと、地下にある暗い空間、その先にある歓楽的な歓声が浮かび上がってくる。
アルバムの序盤では、驚くほどビートルズの要素は薄いが、「Love You Forever」 ではわずかにフォロワー的な音楽性が顕現する。ブルース・ロックをベースとし、シンコペーションを多用したロックソングが展開される。特に、楽節の延長を形作るのが、スクワイアのギターソロである。ここでは、ジャズのコール・アンド・レスポンスのように、ギャラガーのボーカル、スクワイアのギターによる音楽的な対話を重ねている。ギャラガーのボーカルが主役になったかと思えば、スクワイアのギターが主役になる、という面白い構成だ。音楽的な語法は、古典的なブルース・ロックやジョージ・ハリソンが好むような渋いロックソングとなっているが、その中に現代的な音楽の要素、主役を決めずに、語り手となる登場人物が切り替わる、演劇のようなスタイルが取り入れられている。この曲はまさに新旧のイギリスの音楽を咀嚼した内容である。
「Make It Up As You Go Along」は、キース・リチャーズがゲスト参加したと錯覚させるほどの見事なギターの模倣となっている。ストーンズの曲でもお馴染みのホンキー・トンク風のギターで始まり、TVドラマのエンディングのような雰囲気の曲調へと変遷していく。しかし、その後はビートルズのレノンが得意とする同音反復を強調するボーカルの形式を踏襲している。これらは、すでに存在する型を踏まえたものに過ぎないが、ポップ・ミュージックの理想的な形をどこかに留めている。この曲にある温和さや穏やかさはときに緊張感の欠いたものになる場合もあるが、アルバムを全体的な構成の中では、骨休みのような意味合いが込められている。つまり、崇高性や完璧主義とは別軸の音楽の魅力があり、また、少し気を緩めるような効果がある。
「You're Not The Only One」のイントロでは、New York Dolls、Sladeを思わせるブギーを主体にした呆れるほどシンプルなロックンロールに転じる。「You're Not The Only One」の場合は、少しクールというか気障なスタイルを採っている。この中に流動的なスクワイアのギター、そして、ストーンズのように4(8)拍を強調するピアノ、Led Zeppelinの「Rock N' Roll」の70年代のハードロックの要素が渾然一体となり、Zeppelinのバンドマークの要素を作り出す。これらは最近、ポストロックという形で薄められてしまったロックンロールの魅力を再発見することが出来る。
「リボルバー以来の傑作」という制作者自身の言葉は、作品全体には当てはまらないかもしれないが、「I'm So Bored」には、お誂え向きのキャッチフレーズだ。イントロでは、ビートルズの初期から中期の音楽へのオマージュを示し、その後、ソロ・アルバムで追求してきた新しいロックの形を通じて、曲の節々に、ビートルズのマージービートのフレーズをたくみに散りばめている。
懐古的なアプローチが目立つ中、この曲は古びた感覚がない。それはスタンダードであり、またロックの核心を突いたものであるがゆえなのだ。ギターの録音のミックスもローファイな感覚が押し出され、モダンな雰囲気がある。その中にはザ・フーのタウンゼントに近いギターフレーズも見いだせる。UKロックのおさらいのような意味を持つのが上記の2曲である。ここには現代的な録音へのチャレンジもあり、ザ・スマイルが最新作『Wall Of Eyes』(リリース情報を読む)で徹底して追求したボーカルのディレイ、リバーブで、音像を拡大させるという手法も披露されている。
これらの音のリールはゆるやかに揺らぎ、回転し、融合して、深淵の上をゆるやかに漂っているような効果を生み出している。この作品は、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』に登場する同名の「蜘蛛の巣の都市」にインスパイアされている。奈落の底に吊るされたオクタヴィアの住人たちの生活は、次のようなものだ。ーーFrançois J. Bonnet, 2023
今回、彼女はファレル・ウィリアムスと組み、待望のコラボレーション第2弾「Doctor (Work It Out)」をリリースした。ファレルのルイ・ヴィトン・メンズの秋冬ショーで初披露された「Doctor (Work It Out)」は、マムフォード&サンズとの共演曲「Good People」に続く、今年2枚目のシングル。
以降の3曲目「Down By The Stream」ではデビューアルバム時のベースラインが強調された硬派なポストパンクサウンドに回帰している。 旧来よりパーカションの効果を押し出し、最初のアルバムのサウンドに前衛的な効果を及ぼそうとしているが、ちぐはぐな印象を覚えてしまうのは気のせいだろうか。リズムトラックとボーカルがまったくまとまっておらず、ビートやグルーブが断裂している。もし、ビリー・ウッズのようなアブストラクトヒップホップにおける先鋭的な要素を意図している場合は、この指摘は的外れとなるだろうが、歌いやすさと乗りやすさがバンドの魅力であったと考えると、やや難解なサウンドに傾倒しすぎたとも言える。
続く「When The Laugher Stops」では、女性ボーカリスト、J Pearsonをフィーチャーし、シンセ・ポップを主体とするニューウェイブ風のサウンドだ。表向きの陽気さや楽しさとは別に何かバンドやフロントマンの苦悩のようなものが浮かび上がる。厳密には明言できないが、それは何らかの選択に迷っているという気がし、これがフィーチャーの部分では煌めきがあるのに、メインのボーカルではくすぶっているような印象を覚える。曲そのものは親しみやすく痛快だが、もう少しだけ単純明快でクリアなサウンドを追求してもよかったかもしれない。
リアム・ギャラガーはスペイン/マドリッドの大手雑誌、elpaisの取材に応じた。国外のメディアだからこそ赤裸々に語れることもある。ソロアルバムの活動後、ギャラガーはストーン・ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイアをコラボレーターに選んだ。コラボというよりも共同制作者といった方が相応しいかもしれない。今回、彼はスクワイアとの親交を持つようになったきっかけ、ブリットポップとの出会いから、そして最新作『Liam Gallagher & John Squire』までを解き明かした。リアム・ギャラガー(マンチェスター、51歳)は、数ヶ月前に自身のソーシャル・ネットワークでこのアルバムを発表したとき、「リボルバー以来のベスト・アルバム」になると語った。多くの人が冗談だったはずだ。いや、そうでもなかったかもしれない。
ワーナーが今週金曜日にリリースする、メンバーの名前を冠したアルバム『Liam Gallagher & John Squire』は、ロックの歴史を変えることはないだろうが、「それぞれのグループが解散して以来、彼らがレコーディングした最高の作品になるかもしれない」というのが批評家のコンセンサスだ。ファースト・シングルの『Just Another Rainbow』は快調な滑り出しを見せ、全英1位を獲得し、彼らのレシピ-良いメロディー、シンプルな歌詞、20世紀の男らしさ-がいまだに聴衆を惹きつけていることを証し立てる。
その結果、サイケデリアとブルースが混ざり合い、Mars to LiverpoolやMother Nature's Songのような丸みを帯びた曲が生まれた。「これは住む場所を与えてくれたことへの感謝のメッセージなんだ」とスクワイアは言う。「若い頃はそのありがたみがちっともわからず、一日中家に閉じこもって過ごしていた。でも、今は自然の中に入るのが大好きで、いつも早起きして散歩に出かけるんだ」と、ギャラガーは自宅近くのロンドンののどかなハムステッド・ヒース公園での愛犬バトンズとの散歩について語った。
ふと、イギリスの世界的に有名ミュージシャンが再結成について口に出して騒動を巻き起こした「グロウ・アップ騒動」の時に「間抜けヅラ」と、相手を手痛く一蹴したノエル・ギャラガーの顔が浮かんでくる。オアシスの次の記念日は2025年である。傑作アルバム『(What's The Story)モーニング・グローリー』のリリースから30年。これ以上の機会は二度と訪れないかもしれない。
Jacob Collier Audience Choirは、アデレードからチューリッヒまで、世界の様々な都市で行われた22のコンサートの録音を基に作られている。プラグインには4つの異なる母音(Aa、Mm、Oo、Ee)が用意されており、インターフェースの右側にあるXYパッドを使ってブレンドすることができます。
このプラグインには、聖歌隊の音に加え、パーカッシブな音や、コリアーの聴衆が様々な言葉やフレーズを叫ぶサンプルも多数用意されている。このプラグインはポリフォニック・アフタータッチに対応しているので、Native Instruments Kontrol S MK3などのMPE対応コントローラーで表現力を高めることができる。
フラームは、初期のピアノ・ソロ作品『Wintermusik』(2009年)と『The Bells』(2009年)で注目を集めたが、批評家から絶賛されたのは2011年にリリースした『Felt』だった。以来、彼の音楽をリリースし続けているErased Tapesからの初のスタジオ・アルバムである。このアルバムに続くソロ・シンセサイザーEP『Juno and by Screws』(2012年)は、フラームが親指の怪我から回復している間にレコーディングされ、彼の誕生日にファンに無料ダウンロードで提供された。『Juno』に続く『Juno Reworked』(2013年)は、ルーク・アボットとクリス・クラークをゲストに迎えてリワークした。アルバム『Spaces』(2013年)は、2年以上にわたる様々な会場でのライブ録音で構成されている。
2016年2月、フラームは『The Gamble』をリリースし、2016年8月にはその関連作『Oddments of the Gamble』をリリースした。Pitchforkはこのアルバムを「魅力的につぎはぎだらけで雑然としているが、テンポがよくダイナミック」と評した。アートワークはフラームの父親がプロデュースした。
2021年、パンデミックの初期にアーカイヴの整理に費やしていた彼は、80分、23曲からなる「Old Friends New Friends」をリリース。「Music For Animals」の延長線上にあるアンビエント的な性質から判断すると、この作戦は成功したと言えようが、フラームは初心に帰らずにはいられない。「The Bells」、「Felt」、「Screws」といった高評価を得たアルバムを楽しんだ人々は、「Day」の慣れ親しんだ個人的なスタイルに満足するはずだ。「Day」には6曲が収録され、そのうち3曲が6分を超えるもので、フラームが2024年にリリースを予定している2枚のアルバムの第1弾となる。
フラームは、以前からドイツの新聞社、”De Morgen”の取材で明らかにしている通り、ワーカーホリック的な気質があったことを認めていた。しかし、そのことが本来の音楽的な瞑想性や深遠さを摩耗していることも明らかであった。おそらく、このままでは、音楽的な感性の源泉がどこかで枯渇する可能性もあるかもしれない。そのことを知ってのことか、ニルス・フラームは、2021年頃から、ライブの本数を100本ほどに徐々に減らしていき、パンデミックやロックダウンを契機に、彼のマネージャーと独立レーベル、”Leiter-Verlag”を設立し、その手始めに『Music For Animals』を発表した。これらの動向は、次の作品、そして、その次なる作品へ向けて、以前の活動スタイルから転換を図るための助走のような期間であったものと考えられる。
フラームは、活動初期のコンテンポラリークラシカル/ポスト・クラシカルの未発表音源を収録した2021年の『Old Friends New Friends』では、自身のピアノ曲を主体とする音楽性について、「ドイツ・ロマン派」的なものであるとし、いくらかそれを時代遅れなものとしていた。その後の『Music For Animals』はシンセサイザーによるアンビエント作品であったため、しばらくはピアノ作品を期待出来ないと私は考えていたのだったが、結局のところ、このアルバムで再び最初期の作風に回帰を果たしたということは、フラームの発言はある種のジョークのような意味だったのだろう。
しかし、原点回帰を果たしたからといえど、過去の時代の成功例にすがりつくようなアルバムではない。はじめに言っておくと、このアルバムはニルス・フラームの最高傑作の1つであり、ピアノ作品としては、グラミー賞を受賞したオーラヴル・アルナルズの『Some Kind Of Piece』に匹敵する。全編が一貫してピアノの録音で占められていて、あらかじめスコアや着想を制作者の頭の中でまとめておき、一気呵成に録音したようなライブ感のある作品となっている。
オープニングを飾る「You Name It」は、2018年の『All Melody』に収録されていた「My Friend The Forest」の作風を彷彿とさせ、さらに2009年頃のポスト・クラシカルの形式に回帰している。ビル・エヴァンスのような洗練された演奏力があるため、少なくとも制作者が忌避していたようなアナクロニズムに堕することはほとんどない。 なおかつ、近年のエレクトロニックを主体とした曲や、アルバムに申し訳程度に収録されていたピアノ曲ともその印象が異なる。
これらの実験的なサウンドプロダクションについては、かつてシューマンが行った「Vogel als Prophet(予言の鳥)」におけるストーリーテリングのような音楽と、イタリアのレスピーギが「ローマの松」で世界で最初に行われたサンプリングの技法を複合させ、それを現在の視点から再解釈するという意義が求められる。そして、この曲にも、ライブパフォーマンスのような精細感のある録音形式が選ばれている。ここには息を飲むようなリアルな緊迫感、音のひとつひとつの立ち上がり、ノートが完全に消え入ろうとする瞬間に至るまで、制作過程の全てが収録されている。それは実際に鳴っている音だけではなく、空間の背後の音を掬い取ろうというのだろう。