テレサ・ジャービスは不安や抑うつ状態など、自身のメンタルヘルスの問題から、 それらをモチーフにしたロックソングを書いてきた。YONAKAは他のロックバンドと同じように、問題を抱える人の心を鼓舞し、最も暗い場所から立ち上がる手がかりを与える。そしてジャービスは自分と同じような問題を抱えるリスナーに”孤独ではないこと”を伝えようとしてきた。それらのメッセージがひとつの集大成となったのが昨年に発表された『Welcome To My House』だった。
今週末、LAVAからリリースされた「Fight For Right「権利のために闘う」)では、ボーカリストのテレサ・ジャーヴィスはシンプルに自分たちの権利を守るために歌を歌っている。ここには主張性を削ぎ落とした結果、ニュートラルになったバンドとは全く異なる何かが含まれている。彼らは口をつぐむことをやめ、叫ぶことを是としたのだ。
トリオは昨年までのロックバンドとしての姿を留めていたが、年明けのシングル「Predator」と合わせて聴くと、全然異なるバンドへと変貌を遂げたことがわかる。ライブイベントやファンとの交流の中で、”ファンの声を聞き、それを自分たちの音楽に取り入れることが出来た”と話すテレサ・ジャービスが導き出した答えは、YONAKAがニューメタルバンドとしての道を歩みだすことだったのだろうか。「Fight For Right」は彼らが書いてきた中で、最もグルーヴィな一曲。彼らはトレンドから完全に背を向けているが、その一方、最もサプライズなナンバーだった。誰にでも幸福になる権利があり、そしてそれは時に戦うことにより獲得せねばならない。
そしてトゥアレグは、ある意味では音楽的な民族であり、このグループからはエムドゥー・モクターだけではなくティナワリンというグループも登場している。どちらも1970年代のヘンドリックス、グレイトフル・デッドを思わせるような古典的なロックバンドである。そして表向きのイメージではエムドゥー・モクターについてはヘンドリックスの再来というキャッチフレーズばかりが独り歩きする場合があるものの、グループの音楽的な魅力は、実はロックミュージックだけにとどまらない。彼らは、西アフリカの三拍子の民族音楽ーフォークミュージックを次世代に伝える役割を持っていて、それはこの最新作『Funeral For Justice』にも共通する事項である。もちろんいうまでもなく、そこには"タマシェク語"という固有言語の次世代に伝えるという意義もある。
こういったバンドが気を付けておきたいことは、その音楽が見世物やミュージカルにならない、ということである。なぜなら西アフリカの音楽はわたしたちが今まで知らなかったに過ぎず、わたしたちが生まれる前から存在していた。ただ、そのことを知らなかったという無知によるものなのである。そう考えると、マタドールから発売された「Funeral For Justice」は純粋なロックミュージックの魅力を体感できるのは事実だが、それと異なるポスト・リスニングが可能となる。つまり、ハードロックのリズムや高らかなギターの響きとは別に今までわたしたちがしらなかったものをあらためて再確認するという意味が求められるのである。いつもわたしたちは何かをよく知っているように装うが、実は、本当のことは何も知らず、無明の状態にある。ロックバンド、エムドゥー・モクターの音楽には、”平均化された音楽評価”とは別に、音楽をやることや演奏することの意義や、その動機のようなものが顕著なかたちで含まれている。
本日、ビー・クリスティは、ジェイク・アーランドが監督したミュージックビデオ付きのシングル「Take a Bite」で、”beatopia”の続編のプレビューを提供した。以下よりご覧下さい。
ビーバドゥービーは、プロデューサーのリック・ルービンとシャングリ・ラ・スタジオで『This Is How Tomorrow Moves』をレコーディングした。「このアルバムが大好きよ。「このアルバムは、この新しい時代、自分が今いる場所についての新しい理解をナビゲートする上で、他の何よりも私を助けてくれたような気がする。それは女性になるということだと思う。
何年もの間、彼女は音楽を自分自身と親しい友人や家族だけにとどめていたが、2014年に現在の夫ジェイムズ・バーナードと出会い、2人は一緒に音楽を書き始め、アンビエント・プロジェクトで目覚めた魂を分かち合うようになりました。2021年にStereoscenic Recordsからソロ・デビュー・アルバム「idyll」を、2022年にはPast Inside the Presentから「chamomile」をリリースしています。
「cemented」は、亡き叔父が大切にしていたギターの弦がタペストリーさながらに絡み合い、お気に入りの公園を散歩したさいの足音が強調され、無限の空間を作り上げていきます。憂鬱と畏怖が共存する短いパッセージにより闘病中の妹の勇気を称え作曲された「of the west」、カリフォルニアの緑豊かな季節を淡いきらめきに織り交ぜ、牧歌的なテーマ(Stereoscenic, 2021)と呼応する「suddenly green」など、彼女の旅は続く。これらは疑いなしに深く個人的な作品であることはたしかなのですが、その慈愛と共感の魅力的な空気に圧倒されずにいられないのです。
最後の「to belong」は、長年の血筋の影響(USCのリトル・チャペル・オブ・サイレンスを作った曾祖母のために書かれた "in the spaces")と親しい友人の無条件の愛("all you give (for ash)")を呼び起こし、感謝と無常への2部構成の頌歌で幕を閉じる。「night palms sway」は、街灯の下でひらひら舞う昆虫だけが目撃する、日の終わりに手をつないで歩く親しげな光景を想起させるでしょうし、「call and answer」は、聴けば歌ってくれるミューズへの賛歌となる。最後の曲については、束の間の別離を惜しむというよりも、再び会いたいという親しみが込められているのです。
上記の2曲はむしろ日常生活にポイントを置いたアンビエントフォークという形で楽しめるはずですが、次に収録されている#6「Of The West」では再び抽象的で純粋なアンビエントへと舞い戻る。そしてモジュラーシンセのテクスチャーが立ち上がると、霊妙な感覚が呼び覚まされるような気がするのです。バーナードの作り出すテクスチャーは、ボーカルと融合すると、ジュリアナ・バーウィックやカナダのSea Oleenaの制作と同じように、その音の輪郭がだんだんとぼやけてきて、ほとんど純粋なハーモニーの性質が乏しくなり、アンビバレントな音像空間が作り出される。こういったぼやけた音楽に関しては、好き嫌いがあるかもしれませんが、少なくともバーナードの制作するアンビエントはどうやら、日常生活の延長線上にある心地よい音が端的に表現されているようです。それは空気感とも呼ぶべき感覚で、かつて日本の現代音楽家の武満徹が”その場所に普遍的に満ちているすでに存在する音”と表現しています。
アウトロのかけて魂が根源的な本質に返っていく瞬間が暗示的に示された後、#9「all you give(for ash)」ではボーカルテクスチャーをもとに、アブストラクトなアンビエントへと移行していきます。ここでは波の音をモジュラーシンセでサウンド・デザインのように表現し、それに合わせて魂が海に戻っていくという神秘的なサウンドスケープを綿密に作り上げています。ときおり、導入されるガラスの音は海に流れ着いた漂流物が暗示され、それが潮の流れとともに海際にある事物が風によって吹き上げられていくような神秘的な光景が描かれています。パンフルートを使用したシンセテクスチャーの作り込みは情感たっぷりで、アウトロではカモメやウミネコのような海辺に生息する鳥類の声が同じようにシンセによって表現されています。
アルバムの最終盤でもマリン・アイズの音楽性は一つの直線を引いたように繋がっています。つまり、アイディアの豊富さはもちろん大きな利点ではあるのですが、それがまとまりきらないと、散逸したアルバムとなってしまう場合があるのです。少なくとも、幸運にも、マリン・アイズはジェームスさんと協力することでその難を逃れられたのかもしれません。「In The Space」では至福感溢れるアンビエントを作り出し、人間の意識が通常のものとは別の超絶意識を持つこと、つまりスポーツ選手が体験する”フローの状態”が存在することを示唆しています。そして優れた音楽家や演奏家は、いつもこの変性意識に入りやすい性質を持っているのです。一曲目の再構成である「To Belong(Reprise)」では、やはりワンネスへの帰属意識が表現されています。本作の収録曲は、ふしぎなことに、別の場所にいる話したことも会ったこともない見ず知らずのミュージシャンたちの魂がどこかで根源的に繋がっており、また、その音楽的な知識を共有しているような神秘性があるため、きわめて興味深いものがあります。音楽はいつも、表面的なアウトプットばかりが重要視されることが多いのですが、このアルバムを聴くかぎりでは、どこから何をどのように汲み取るのか、というのを大切にするべきなのかもしれませんね。
アルバムの最後を飾る「call and answer」はアコースティックギター、シンセ、ボーカルのテクスチャーというシンプルな構成ですが、現代のどの音楽よりも驚きと癒やしに満ちあふれています。ディレイ処理は付加物に過ぎず、音楽の本質を歪曲するようなことはなく、伝わりやすさがある。このアルバムを聴くと、音楽のほんとうの素晴らしさに気づくはず。良い音楽の本質とは?ーーそれはこわいものでもなんでもなく、すごくシンプルで分かりやすいものなのです。
近年、リゾートのための理想的な音楽とはどのようなものであるのかを探求してきたギタリストによる端的な答えが、アルバムの中盤から終盤の移行部に収録される「Wo du Wir」に示されています。この曲では、クラリネットの演奏は控え目、むしろミュラーによるチェロのレガートの美しさ、ボサノヴァのような変則的なリズムを重視したF.Sブラームの演奏の素晴らしさが際立っています。実際、リスナーをリゾートに誘うようなイメージの換気力に満ち溢れている。この曲の補佐的な役割を果たすのが続く「Frag」で、ブラームの演奏はハワイアンギターのような乾いたナイロンのギターの音響をもとに贅沢なリスニングの時間を作り出しています。
序盤のいくつかの収録曲と合わせて、アイスランドやノルウェーを中心とする北欧のエレクトロニックジャズに触発された音楽も発見できます。例えば、ミヒャエルのクラリネットの巧緻なスタッカートの前衛的な響きが強調される「kurz vor weiter Ferne」/「Hollergrund」は、ブラームトリオの音楽のユニークな印象を掴むのに最適となるかもしれません。ここでは、リゾート地に吹く涼やかな風を思わせる心地よさが音楽という形で表現されているようにも思えます。
このプロジェクトは、ギタリストのサンティアゴ・デュランゴとベーシストのジェフ・ペッツァティ(ともにシカゴのパンクバンド、ネイキッド・レイガンのメンバー)、ドラマーのローランド”TR-606”を加えたフルバンドへと発展し、EPを何枚もリリースし、洗練されたサウンドを発展させていった。ペッツァティの脱退後、デイヴ・ライリーがベースを担当したビッグ・ブラックは、1985年に『Atomizer』と『Songs About Fucking』という2枚の有名なアルバムをリリースし、1987年に解散しました。
以後、スティーヴ・アルビニは、ドラムのレイ・ウォシャム、ベースのデヴィッド・W・シムズとともにバンドを結成しました。2枚のシングル、1988年の『Budd EP』、1988年のアルバム『Two Nuns and a Pack Mule』をリリース後、1989年に解散しています。
アルビニはエンジニアとして(彼は "プロデューサー "という呼び方を好まない)、1988年のピクシーズのデビューアルバム『Surfer Rosa』の仕事でその名を知られるようになった。ライヴ・レコーディングの生のエネルギーを強調するアナログ・プロダクション・テクニックを使用することで知られるアルビニは、ブリーダーズの1990年のデビュー作『POD』、ニルヴァーナの『In Utero』、PJハーヴェイの1993年のアルバム『Rid of Me』、そして、ジーザス・リザード、スリント、スーパーチャンクの初期のアルバムをレコーディングした後、1997年にシカゴに2つのスタジオを併設したエレクトリカル・オーディオをオープンした。特にギターのディストーションのエッジを強調するサウンドがアルビニのレコーディングの美学でもあった。
1992年、アルビニはドラマーのトッド・トレイナー、ベーシストのカミロ・ゴンザレスとともに新バンド、シェラックを結成しました。1994年から2014年の間に6枚のスタジオ・アルバムを発表し、アルビニにとって最も長生きし、最も多作な音楽活動であった。シェラックは来週、10年ぶりのアルバム『To All Trains』をリリースする予定でした。
* なお、詳細な確認は取れていないものの、スティーヴ・アルビニの最後のプロデュース作品は、昨年7月にリリースされたチェコ/プラハのポストパンクバンド、Alpha Strategy「アルファ・ストラテジー)のEP「Staple My Hand To Yours」(この作品はアルビニのエレクトリック・オーディオスタジオBでレコーディングされ、アルビニが録音とミックスとを担当している)だった。