Olafur Arnolds


 

オーラヴル・アルナルズは、アイスランド、レイキャビク出身のアーティスト。盟友ニルス・フラームと共にヨーロッパのポスト・クラシカルシーンの代表的なアーティストです。

 

昨年にはコロナパンデミック禍において、傑作「Some Kind Of Pierce」をリリースし、名実共にアイスランドを代表するミュージシャン。これまで、オーラブル・アルナルズは、ピアノの小曲を中心とした古典音楽の雰囲気のある楽曲に真摯に取りくんできたという印象を受けます。

 

2007年、10月に「Eulogy for Evolution」をErased Tapesから発表し、デビューを飾っています。

 

翌年、同レーベルからEP「Valiation of Static」を発表した後、ポストロックの大御所シガー・ロスのツアーに同行。

 

最初期は、エレクトロニカの寄りのサウンドでしたが、繊細で美麗なピアノ曲へとシフトチェンジを図るようになっている印象。

 

コラボ作品も多くリリースしており、ドイツのポスト・クラシカルアーティスト、ニルス・フラームとの共作「Trance Friendz」を始め、舞踏家ウェイン・マクレガーに楽曲を提供し、それらの楽曲は「Dyad 1909」として発売されています。

 

オーラヴル・アルナルズは、ヨーロッパのポスト・クラシカルシーンでの活躍の傍ら、サイドプロジェクトとしてアイスランドの電子音楽ユニット、Kiasmosとしての活動も有名で、「Blurred」「Kiasmos」といったクールなスタジオ・アルバムをリリースし、幅広い音楽のジャンルで活躍しているアーティスト。今後のヨーロッパの音楽シーンのおいて、ニルス・フラームと共に再注目するべきセンス抜群のミュージシャンです。

 


「Partisans」 2021

 



 

 TrackListing 


1.Patisans
2.Epilogue


 

Bonoboをゲストとして迎え入れたことでも大きな話題を呼んだ前作のスタジオアルバム「Some Kind of Piece」2020の「We Contain Remains」は、個人的にもとても好きな楽曲で、オーラブル・アルナルズの最良の作品と言っても差し支えない作品でしょう。この作品を聴いてとても感動したのは、この薄暗いコロナ禍の時代において、このような美麗な明るさを持った楽曲を生み出してくれる素晴らしいアーティストが世界にひとりでもいたという事実に対する感謝、この感情に尽きるように思えます。 

 

 

そして、この素晴らしい流れを引き継いでのシングル「Partisans」は、十年前に録音しておいた未発表の作品を収録した来月発売のEP「The Invisible」からのシングルカットで、先行リリースという形となります。

 

前作「We Contain Remains」と同じく、英、ロンドンの電子音楽を専門に扱うインディーレーベル”Mercury KX"から10月1日にリリースされたばかりのシングル盤です。

 

なぜ、今までこれらの楽曲がリリースされなかったのかと思うほどクオリティの高いポスト・クラシカルの王道を行く二曲が収録。二曲ともに映画音楽のようなピクチャレスクな叙情性に彩られ、音楽に耳を傾けているだけで、美しい風景を瞼の裏に呼び起こすかのような雰囲気をもった楽曲です。 

 

特に、弦楽のハーモニクスが上質な響きを演出する一曲目の「Patisans」は沈思的なトラックで、内省的な色彩感のあるハーモニクスにより華麗に彩られています。また、二曲目の「Epilogue」は、「Some Kind of Piece」の流れを汲んだ美麗なピアノの小曲。終盤部の弦楽器のハーモニクスの盛り上がりは聞き逃せません。

 

これまで発表されなかったという事実が本当に信じられないほどの完成度の高い傑作です。

 

清冽な水のような澄明な輝きをもった素晴らしい楽曲で、オーラブル・アルナルズの十四年というキャリアの中で最良のトラックに数えられ、ポスト・クラシカルの代表的作品として、十二曲入りのアルバムのようなボリューム感のある傑作。

 

今作を聴いていると、来月リリース予定のEP「The Invisible」(Mercury kx)の発売が待ち遠しくなり、その出来栄えに大きな期待を抱かずにはいられません。

 

 

 

楽曲のご視聴は以下MERCURY KX 公式HPにて

https://www.mercurykx.com/ 



References 

Wikipedia -Olafur Arnolds

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%BA 


 Soccer Mommy


Soccer Mommy


サッカー・マミーは、ソフィー・アリソンのソロ・プロジェクト。ライブパフォーマンスにおいてはサポートメンバーを交えて四人組ロックバンドの形態を取る。ソフィー・アリソンはスイス生まれで、その後、米、テネシー州ナッシュビルにて育つ。六歳の頃からギターを始め、ソングライティングに親しんだ。ナッシュビルの芸術学校に学び、ジャズのスイングバンドに属した。


ソフィー・アリソンは、その後、ニューヨーク大学に進学、音楽ビジネスを中心に専攻するが、在学中、ベッドルームポップ、宅録プロジェクトを立ち上げて、サッカー・マミーとしてバンド活動開始する。2015年から、WEB上のインディーズ音楽視聴サイト、BandCamp上で楽曲の発表を行い、後に「Collection」として収録される楽曲をインターネット上で展開させていく。


大学在学中、サッカー・マミーとしての最初のギグをNYブルックリン区のブッシュウィックにて行う。その後、故郷ナッシュビルに戻り、サッカー・マミーとしての活動を本格的に開始する。2016年には、ベッドルームポップシーンを牽引するNYのインディーレーベル、”Orchid Tapes”から「For Young Heart」をリリース。


その後、デビュー・アルバム「Clean」2017をFat Possum Recordから発表する。これまで、カルフォルニア州インディオで二週間に渡って行われる野外音楽フェスティヴァル”Coachella”、そして、スペイン、バルセロナにて年一度開催される十万人規模の音楽フェスティヴァル”Primavera Sound”に出演し、サッカーマミーは着実にインディー・ロックアーティストとして知名度を高めていく。


これまでMitski,Jay Som,Slowdive,Frankie Cosmos,Phair Phebe Bridgersらと共演している。また、追記として、今年には、イギリスのテクノポップトリオ、Kero Kero Bonito(フロントマンは日本人)とコラボ作品「Rom Com 2021」をリリースしている。


その音楽性は、ローファイ、インディー・ポップ寄りのカテゴリに属する。親しみやすい楽曲が多い。Garaxie 500、Guide By Voices,Superchunk、Pavementといった80、90年代のアメリカの良きインディー・ロックバンドの趣向性を彷彿とさせ、またそこに、クレイロのような現代的なベッドルーム・ポップの音楽性も持ち合わせている。特に、「For Young Hearts」「Clean」はローファイの良作といえ、アメリカのインディーロックバンドの音楽性を思い起こさせる。


Fender社のムスタングを介してのギターの音色作りは職人的であり、穏やかで心地よい音色に重点を置く。スコットランドのバンド、The Pastelsの方向性に近い温和な雰囲気が感じられ、ネオアコ、ギターポップバンドとの共通点も見いだされるはずである。

 

 

1.「For Young Hearts」 2016

 


デジタル、カセット形式でリリースされた「For Young Heart」」はベッドルームポップとして聴くことも出来なくないものの、彼女の実質的なデビュー作にして最良のローファイ作品として挙げても良いはず。


ここではアメリカのインディー・ロック、カレッジ・ロックの系譜、それを見事に受け継いでおり、上記したように、Garaxie 500、Superchunkを彷彿とさせるような穏やかなギターロックを堪能できる。後の作品に比べると、こじんまりとしているようにも思えるが、特にメロディー面でのソングライティングの才覚は他のアーティストに比べて頭ひとつ抜きん出ている。テネシーの雄大な自然を思わせるような穏やかで和やかな良質なギターロックで、そこにまた内省的な詩情を漂わせる。つまり、今作はギターを介しての詩的表現ともいえる。


こういった音楽性は、実のところ、80、90年代のアメリカのインディー・シーンにはありふれていたはずなのに、2000年代から、ぱたりと途絶えていったような印象を受けなくもない。しかし、サッカー・マミーは、音楽フリークとして、その80、90年代のアメリカンインディーの旨味を巧みに抽出し、宅録、ベッドルームポップとして2010年の時代に見事にリバイバルさせている。


今作「For Young Heart」は、以後の作品と比べ、大げさな感じや派手さはない。しかし、音楽性においては純朴で良質なのである。この作品に収録されている多くの楽曲では、メロディーやフレーズの中には音楽フリークとしての深い矜持が滲んでいるように思え、サッカー・マミーという表向きのキャラクターの印象とはまた異なり、硬派な音楽家としての佇まいが感じられる。アルバム作品の最初を美しく彩る「Henry」をはじめ、どことなく切ない質感に彩られた叙情的な楽曲で埋め尽くされている。


これはエモという類型的な言葉で言い表し難いなにかで、詩的なテネシーの大自然への慕情が現れた新しい時代のフォーク音楽といえるかもしれない。本作「For Young Heart」は、アメリカらしいインディー・ロックの醍醐味の旨味が凝縮されていると言っておきたい。特に、この音源で見られるFender、ジャズマスター、ムスタングらしいプリミティヴな音の質感は本当にグレイト!!


 

2.「Collection」 2017



一作目「For Young Heart」の後に、WEB上の音楽配信サイトBandCampで最初に発表を行っていた最初期の音源をコレクションとして集めた作品。ファットボッサムレコードからリリースされている。


もちろん、これらの作品の多くはニューヨーク大学の在学中に録音された宅録作品ともえいるが、そういったデビュー前のレア・トラックスという先入観を持って聴くと、完全に実際の楽曲の良さに面食らうはずである。音楽の方向性は「For Young Heart」と通じるものがあり、インディーロック、あるいはネオアコにも近い音楽性である。どことなくひねくれたようなポップセンスが加わっている辺り、オルタナティヴロックとして聴くことも出来なくもない。


特に、朗らかな印象のある「For Young Heart」と比べると、より内省的な雰囲気を持ったセンチメンタルな楽曲が多く見受けられるように思え、独特な行き場の見つからない揺れ動くような心情がギターロックとして描かれた作品。最初の方向性としてはベッドルームポップを志していた雰囲気。


後に若干の音楽上にモデルチェンジを果たすサッカー・マミーであるが、この作品は、彼女のデビュー前のレア・トラックとしてのみならず、その音楽性のルーツが伺える快作。この「Collection」の中では「Allison」「3AM at a Party」の出来が際立っているように思える。ここに垣間見える女性的な内向性は切なげな爽やかさに彩られている。


3.「Clean」 2018


本作は、ミシシッピのファットボッサムレコードからリリースされたサッカー・マミーの正式なデビュー作。


ここでは上記の二作品と比べ、プロダクションとしての音楽性に重点が置かれている。つまり、聴き応えがある作品に仕上がったと言うべきか、エフェクトにしてもマスタリング処理にしても現代のアメリカのポップスの王道を行くようなスタイリッシュでクールな雰囲気を漂わせている。 


最初期の作品の中では、このデビュー作がポピュラー音楽性が強く、ローファイ色は他の作品に比してちょっとだけ薄められている。しかし、最初期のサッカー・マミーらしいローファイな音楽性が消えているわけではない。たとえば、リードトラックの「Still Clean」は、よりマーケティングを意識した楽曲でありながら、素朴なインディーロックシンガーとしての音楽性が伺える。

最初期のインディー・フォークとしての最初の集大成が「Blossom(Wasting All Time)」で既に表れ出ており、ニューヨークの都会性、テネシーの自然性、この二つの大きく隔たった土地の間を常に揺れ動くかのような楽曲で、雄大な自然を思わせる楽曲があったかと思えば、「Your Dog」に代表されるように、InterpolのようないかにもNY的な雰囲気を持つコアな楽曲も収録されている。


エレクトリック、そして、アコースティックギターの双方が楽曲中には主に取り入れられており、アメリカのインディーロックの王道を行く作風といえるかもしれない。マスタリングにおいて深くディレイエフェクトを掛けたりと、独特なサウンド処理も伺え、音楽上の実験性も少なからず込められている。特にシンガーとしてのサッカーマミーの魅力が最もつかみやすい作品といえ、特に、ヴィブラートの高音部において、他のシンガーと違う独特なギューンという伸び方をするのがこのサッカー・マミーのシンガーとしての声質の最大の魅力のように思える。


「Color Theory」2020


アメリカの主要な音楽メディアでも大きく取り上げられた「Color Theory」はこれまでの内向きなエネルギーを外側に転換してみせた作品。ソングライティングの面では、よりこのアーティストらしい独特な個性が滲み出ている。一曲の中で、ドラッギーというべきなのか、普通では考えられないようなエフェクトを施し、楽曲の中にキラーチューンとして多次元性をもたらしている。 

初めてこの作品を聴くと、驚く場合もあるかもしれない。しかし、最初期からのポップセンス、メロディーセンスは健在、いや、さらに磨きがかけられ、作曲面でも洗練された印象である。もちろん、その洗練性がこのアーティストの個性を帳消しにしたわけではなく、楽曲面での親しみやすさ、深みがましただけにすぎない。特に、歌手としての才覚は以前よりはるかに魅力的なものが感じられ、ビックアーティストへの道のりを歩みだしたという雰囲気も伺える。


このスタジオアルバムに表されている楽曲の性質は、ややもすると、以前、誰かしらが書いてきたものなのかもしれない。しかし、それは新しくこの秀逸なソングライターの手によりアップデートされている。今作は、2020年のインディー・ロックという音楽の歩みを一歩先に進めた革新性に溢れた楽曲ばかり。往年のポピュラー音楽と未来のポピュラー音楽を、サッカーマミーは今作を起点として、希望に満ち溢れた橋を架けるような役割をはたしているように思える。


「rom com 2004ーsingle」


そして、 もう一作ぜひとも紹介しておきたいのがシングル「rom com 2004-single」である。 これはJapanese Breakfastがゲーム・サントラを手掛けたのと関連があるのかまでは定かでないものの、特に、PVが8ビットの古いドットゲームのようなコンセプトで制作されたユニークなシングル作品。


少し、ゲーム音楽をモチーフにした電子音楽のひとつチップチューンに対する果敢なアプローチを感じるユニークなリリースといえるかもしれないが、凄くシンプルな楽曲ではあるものの、サッカー・マミーのポップセンスの敏腕性が感じられる超がつくほどの快作。


独特なドラッギーな感覚として描かれる多次元性というのもこのミュージシャンの大きな魅力、それは、少し妙な喩えかも知れないが、ケンドリック・ラマーのトラックメイクにも比する痛快なぶっ飛び具合なのである。


最後に、もちろん言うまでもなく、ポップソングを書く技術にかけて、サッカー・マミーは並み居るインディーロックアーティストの中で秀抜しており、これからどのような楽曲をリリースしてくれるのか、たのしみで仕方がないシンガーソングライターであることに変わりないように思える。もちろん、後にリミックスとしてリリースされた日本人女性シンガー擁するイギリスのポップ・トリオ、Kero Kero Bonitoとのコラボ作「rom com2021」も注目したい作品である。

 

 

References

 

Virgin MUSIC carolineinternational.jp

https://carolineinternational.jp/soccer-mommy/soccer-mommy/

last.fm  

https://www.last.fm/music/Soccer%20Mommy

 

 

 

世界のアンビエント界の最前線を突き進む畠山地平の新作アルバム「Void ⅩⅩⅢ」が日本の実験音楽を中心に音源リリースを行っているインディーズレーベル"White Paddy Mountain"から9月25日に発表されました。


今回の作品は、中国シリーズの第一作「Autumn Breeze」2020に続く形で、三国志の諸葛孔明の事績にインスピレーションを受けたアンビエントのコンセプト・アルバムの形式となっているようです。



 「Void ⅩⅩⅢ」 2021 white paddy mountain

 

 

 

1.Falling Asleep in the Rain Ⅰ

2.Falling Asleep in the Rain Ⅱ

3.Falling Asleep in the Rain Ⅲ

4.Falling Asleep in the Rain Ⅳ

5.What a Day Ⅰ

6.What a Day Ⅱ

7.Sleeping Beauty


これまでの作品の多さを見てもお分かりの通り、多作のアンビエント製作者として知られる畠山地平さんですが、今回の新作アルバム「Void ⅩⅩⅢ」もこれまでのChihei Hatakeyamaの音楽性の方向性を引き継ぎ、アンビエントードローンの中間点に位置づけられるであろう作風です。


既に、Tim Heckerを始めアンビエントドローンの音源リリースを行っているアメリカのクランキーレコードからデビューをはたしたChihei Hatakeyamaですが、いよいよ世界的なアンビエントアーティストとして認知されるようになり、2021年の7月24日、BBCの「RADIO6」というコーナー内の日本アンビエント特集において、坂本龍一と一緒に畠山地平の作品がオンエア紹介されています。


昨今、日本のみならず海外の電子音楽シーンで大きな注目を浴びているアンビエントアーティストといえ、今作「Void ⅩⅩⅢ」 は畠山地平が新境地を切り開いた作品で、ピクチャレスクな趣向性を持ったChihei Hatakeyamaの新たな代表作の誕生と銘打っておきましょう。


今作は、ジャケットワークに描かれる奥深くたれこめる霧のようなサウンドスケープ、おぼろげでかすかな世界がアンビエントという側面で表現されており、これまでの畠山作品のように徹底して落ち着いたテンションで紡がれていきながら、作中に見られる微細なシークエンスの変化の中、ときに激したエモーションとなって胸にグッと迫ってくる特異な作品と呼べるかもしれません。


これまでの主な作風と同じようにアルバム作品全体がひとつづきの流れを形作っており、透明感のあるアンビエントドローンのアンビエントトラックが清冽な上流の水のようにゆったりと流れていく。そこには、刺々しさはなく、茫漠とした抽象画のような温和な音像が多次元的な立体感をなして丹念に広がりを増していく。


最近のトレンドのアンビエントと言えば、機械的で無機質な音楽というイメージが何となく定着しつつあるように思われますが、今作は真逆の質感を生み出し、奥行きのある大きな自然を感じさせる「叙情性のあるアンビエント」へのアプローチが図られています。


シンセサイザーのPADを中心とするトラックは、立体感のある音作りがなされていますが、独特な和音が丹念に折り重なっていく際、内省的でありながら詩的な情感が漂う。これは、西洋音楽として発生したアンビエントに対する「東洋的な回答」とも称すべきか。


また、これまでの作品においても、アンビエントドローン制作という側面の他に、ギタリストとしての表情も垣間みせるChihei Hatakeyamaですが、 今作も美麗な包み込むようなシークエンスの中に、うっすらとエレクトリックギターのフレーズが重ねられているのが他のアンビエントアーティストにはない特徴です。


特に、このアーティストの生み出すアンビエントというのはささくれだったところが微塵もなく、ただただ温かく包み込むような穏やかなドローンのシークエンスが拡張されていく。それは一種のアンビエントらしい快感を聞き手に与え、癒やしの効果も与えてくれます。


Chihei Hatakeyamaの最新作、「Void ⅩⅩⅢ」は「Falling Asleep in the Rain」に代表されるように、「空気感」という微妙なニュアンスを見事に音楽により体現してみせた名作です。


特に、ラストトラックとして収録されている「Sleeping Beauty」は畠山地平の新たな代表曲といえるだけでなく、アンビエントの屈指の名曲の誕生の瞬間です。それほど目まぐるしい展開が現れず淡々とシークエンスが紡がれていく側面において、類型的にはウィリアム・バシンスキーの作風に近いニュアンスが漂う作品です。


なおかつ、またこの作品は、坂本龍一とのコラボ作品をリリースしているFenneszと同じく、「ギター・アンビエント」の未来形を追求したという見方も出来る。そして、アルバムジャケットに表されている奥深くたれこめる霧のサウンドスケープ、また、山の頂に上り詰めた際に感じるような清々しい空気感を持つアンビエント作品です。

ECM Records





ECMレコードは、1969年、ドイツ、ミュンヘン本拠のレコード会社。元々、ベルリン・フィルのコントラバス奏者であったマンフレート・アイヒャーが西ドイツ時代に設立。ユニバーサルミュージックグループの傘下に当たる。

fot. M.Zakrzewski"fot. M.Zakrzewski" by maltafestivalpoznan is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

ECMは、元々、ジャズを中心とした作品をリリースを行っていた。しかし、近年では「NEW SERIES」という現代音楽や実験音楽を中心とするカタログもリリースされるようになった。このドイツの名門レーベルのコンセプトは、「音の静寂」にあり、レコーディングの音源として音の透明感を出すかに焦点が絞られている。また、アルバムジャケットデザインも専属のカメラマンを雇い、鑑賞者に問いかけるかのようなアート色のつよい個性的なデザインを特色とする。

ECMは、これまでの五十年以上のレーベル運営において、音楽史として欠かさざる作品を多くリリースしている。例を挙げれば枚挙にいとまがないが、キース・ジャレット、パット・メセニー、チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、ヤン・ガルバレクといったジャズの巨匠の作品はもちろん、現代音楽作曲家の巨匠、スティーヴ・ライヒ、アルヴォ・ペルト、ヴァレンティン・シルベストロフ、カイヤ・サーリアホの音源作品、ジョン・ケージ、モートン・フェルドマンといった近代作曲家。あるいは、アンドラーシュ・シフをはじめとするクラシック音楽の著名な演奏家の作品リリースも行っている。特に、シフの作品では、これまでの近代の名ピアニストが途中で断念してきたベートーベンのピアノ・ソナタ全録音をシリーズ化してリリースしている。

つまり、ECMレコードは、ジャズの領域のみならず、民族音楽、ニューエイジ、アンビエント、クラブ・ミュージック、現代音楽、古典音楽というふうに、メインカルチャーからカウンターカルチャーに至るまで広範な歴史的文化事業を「音源の録音リリース」という側面で五十年もの間支え続けている。

厳密に言えば、この世に「音楽の博物館」というのは存在しませんが、ECMレコードはその役割を十分、いや十二分に果たしている。新旧問わず、歴史的音源を網羅してリリースを行うのが、ECMというミュンヘンのレーベルである。もちろん、その中には、クラブ・ミュージックのアーティスト、しかも、きわめて前衛的な作品リリースも含まれていることも付け加えておかねばならないはず。

この大多数のジャンルレスにも思えるECMのカタログ作品の中に通じているのが、マンフレート・アイヒャーがECMの設立時に掲げたコンセプト「澄明な静寂性」という概念。これはこの五十年、一度も覆されたことのないこのレーベルの重要なコンセプトでもある。実際に、このECMのレコーディングの音には、他のレーベルにはない雰囲気、アルヴォ・ペルトの自身の作品についての説明の半分受け売りとなってしまうが、「プリズムのような輝き」が込められている。

そして、ときに歴史的に重要な作品のリリースの際は、マンフリート・アイヒャーが直々にエグゼプティヴ・プロデューサーとして作品を手掛けている。特に、彼のベルリン・フィル時代からのレコーディングに対する知見は群を抜いており、どの場所にマイクロフォンを設置すれば、どのような音が録音出来るのか、また、どのようなエフェクト処理を施せばどのような音が表れ出るのかを熟知しているのが、レコーディング・エンジニアのマンフレート・アイヒャー。

これまでのECMカタログ中には、無数の魅力的な作品、また、あるいは歴史的な名盤が目白押しといえますが、このカタログから重要なアーティストのリリース年代に関わらず拾い上げていきたいと思います。概して、ECMレコードのリリースは、現代ジャズの入門のみならず、現代音楽、民族音楽、ニューエイジ。といった一般的にはそれほど馴染みのないジャンルへの入り口として最適です。


Vol.1  Arvo Part


ECMレコードの設立者、マンフリート・アイヒャーの長年の盟友のひとりであるアルヴォ・ペルト。

Arvo Part"Arvo Part" by Woesinger is licensed under CC BY-SA 2.0


御存知の通り、説明不要の現代音楽家の巨匠であり、高松宮殿下記念世界賞も与えられている作曲家、アルヴォ・ペルトは、エストニアの現代作曲家であり、ミニマリズムの学派に属しています。若い時代からタリン音楽院で学び、非常に多作な作曲家だったようです。その後、正教会のキリスト教の信仰に目覚め、独特な作風を確立する。特に、聖歌や教会でのミサ曲などを中心に作曲を行っている。

基本的には、ミニマリズムの学派としての作風でありながら、グレゴリオや古楽の楽譜を専門的に研究し、作曲中にも原始的な教会旋法が取り入れられており、アントニオ・ヴィヴァルディに代表されるイタリア古楽との親和性も見いだされる作風。ペルトの主要な交響曲、合唱曲、ミサ曲においてはロシア正教の形式に則ってラテン語が使用されている。アルヴォ・ペルトは、これまでの自身の作風について、「プリズムの反射」というように説明しており、和声的な作曲法でなくて、ポリフォニー的な作曲法を中心に据えている。フーガ形式、あるいはアントン・ブルックナーのような単一の楽節の反復性、さらにいえば、それらの楽節の要素を最小限まで縮小したミニマルな単位(単音)が頻繁に繰り返される点がアルヴォ・ペルトの主要な作風。若い時代から、マンフレート・アイヒャーの盟友で、ECMを中心に次作の交響曲、声楽曲、弦楽曲のリリースを行っている。スティーブ・ライヒと共にECMを代表する作曲家です。



・Arvo Partの主要作品


「Arvo Part: Tabula Rasa」 1984







1.Fratress
2.Cantus In Memory Of Benjamin Britten
3.Fratress-For 12 Celli
4.Tabula Rasa Ⅰ.Ludus-Live
5.Tabula Rasa Ⅱ.Silentium-Live 



アルヴォ・ペルトが、なぜミニマリズムの学派に属するのかその理由を示し、あるいは、また、アルヴォ・ペルトという現代音楽作曲家の作風を掴むのに最も適した作品が「Tubula Rasa」です。

ここでは、ピアノとバイオリンを交えた室内楽として、この作品を楽しむ事ができます。レコーディングにはキース・ジャーレットが参加し、ピアノの演奏をしているというのも豪華。ここでは、グレゴリア聖歌からの影響、単旋法というペルトの音楽を知る上では欠かさざる要素を読み取ることが出来ます。

アルヴォ・ペルトの代表的な楽曲のひとつ「Fratres」は、弦楽としての単旋法の導入というのが現代音楽として作曲法としても弦楽技法的にも大きな革新性をもたらした傑作です。もちろん、キース・ジャレットは、バッハの平均律クラヴィーアやモーツアルトのリリースもECMから行っているように、ジャズ・ピアニストでありながら古典音楽に対する深い理解があり、ここではジャズでなく「古典音楽ピアニスト」としてのキース・ジャレットの演奏を堪能することが出来る。そして、ペルトの楽曲に高級な雰囲気を添えているのが名ヴァイオリニストのGidon Kremerです。また、これまでのキャリアの中での屈指の名曲「TubraRasa  Ⅱ.Silentium」も反復性に重点を置いたペルトらしい名曲といえ、ここでは抑制のとれたチェレスタの演奏、そしてバイオリンの芳醇な響きを味わう事が出来ます。


「Te Deum」 1993




1.Te Deum

2.Silouans Song

3.Magnificat

4.Berliner Messe:Kyrie

5.Berliner Messe:Gloria

6.Berliner Messe:Ester Alleluiavers

7.Berliner Messe:Zwaiter Alleluiavers

8.Berliner Messe:Veni Sancte Spiritus

9.Berliner Messe:Credo

10.Berliner Messe:Sanctus

11.Berliner Messe:Angus Dei


そして、上記二作とは異なり、アルヴォ・ペルトの宗教曲の魅力を堪能出来るのが「Te Deum」です。ここでは聖歌の厳格な形式に則って作曲が行われています。これまでグレゴリア、教会旋法、あるいは古楽の楽譜を長年にわたって研究してきたペルトの集大成ともいえる宗教曲です。Te Deumは、イムヌスに分類されるラテン語の聖歌の一。ペルトのロシア正教の深い信仰性により、これらの楽曲は、かつてのバッハの宗教曲のような荘厳な響きを現代に復活させています。エストニア室内合唱団は、ペルトの合唱曲の多くに参加している合唱団で、ここでは深い正教の信仰性に培われた精神、概念というのが、合唱のハーモニクスにより表現されているように思えます。

「Te Deum」では、ヨハン・セバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」にも比する荘厳な音響の世界が形作られている。しかし、それは宗教という狭い空間にとどまらず、またその他の領域にも開かれた現代的な雰囲気を持つ。

ここでペルトは、長年の正教の信仰からの精神性、古典音楽の系譜を受け継いだ上でそれを現代音楽として、あるいは現代の宗教曲として見事に体現してみせています。「Te Deum」は、ECMのカタログの中でも屈指の名作のひとつと言えるでしょう。これまでの現代音楽が無調という一般的印象を払拭し、中世のバロック音楽、それ以前の教会旋法を大胆に取り入れた作品です。


「Fur Alina」1999




1.Spiegel im Spiegel version for Violin and PIano

2.Fur Alina

3.Spiegel im Spiegel version for Cello and Piano

4.Fur Alina- Reprise

5.Spiegel im spiegel version for Violin and Piano/Reprise


アルヴォ・ペルトは、これまで、交響曲、弦楽曲、あるいはピアノ小曲集、歌曲と、古典音楽としての基本的な作法を踏襲しながら様々なジャンルの音楽を数多く残しています。そのほとんどは調性音楽で、長い古典、近代音楽史としてみてもきわめて重要な歴史に残るべき名作が多い。中でも、最もアルヴォ・ペルトらしい作風ともいえるのが、「Fur Alina」という作品です。、表題曲の「Fur Aline」はペルトのピアノ曲としては代表的作品です。

ロシア正教会の鐘の音をモチーフにしたと思われるこの楽曲「Fur Alina」はペルトの代表的なピアノ曲。これまでの古典音楽で存在しなかったタイプの楽曲で、後期フランツ・リストのような静謐さを彷彿とさせ、教会尖塔の中で響くようなアンビエンスが意図的に取り入れられています。ピアノの実際の演奏だけでなく、空間に満ちている音を際立たせるという側面ではジョン・ケージの「In a Landscape」と同じ指向性が取り入れられている。「Fur Alina」は、演奏上においても特異な特徴があり、ダンパーペダルに対する特殊指示記号がこの楽譜中に見られ、また、低音が突如として楽曲の中に現れ、低音部が高音部と対比的に配置されているのも共通点。ジョン・ケージの系譜にある「サイレンス」を活かしたピアノ曲でありながら、独特な教会旋法が取り入れられている点についてはアルヴォ・ペルトらしい作風といえるかもしれません。

また、「Spiegel im Spiegel」も、アルヴォ・ペルトの代表的な楽曲です。清涼感のある穏やかな楽曲で、癒やし効果のある名作。「Fur Alina」と同じように、初歩的な演奏能力があれば演奏出来る楽曲でありますが、説得力のある演奏をするのはきわめて至難の業という面で、ケージの「In a Landscape」と同じく難易度の高い楽曲といえるでしょう。短調の「Fur Alina」と長調の「spiegel im spiegel」は、アンビエント音楽、ポスト・クラシカルのジャンルの先駆的な意味合いを持った一曲。交響曲、宗教曲の印象が強いペルトではありますが、こういったピアノの小曲でも情感にうったえかけるような際立った楽曲を書いていることもゆめ忘れてはならないでしょう。




スプリング・コート フランスで最古のテニスシューズ

 

 

Spring Courtは、フランスで最古の歴史を持つスニーカー。1870年にアルザスの樽職人であったセオドア・グリムセンがフランス、パリ近郊にラバー専門の工場を設立したことから事業は始まった。

 

生産工場は、パリ11区にあり、現在までグルムメイセン社の本拠となっている。その後、祖父グリムセンの事業を受け継いだセオドアの孫ジョルジュ・グリムセンは、1936年に、ゴム素材を改良し、フランスで最初のスニーカー、”スプリング・コート”を開発した。 


このスプリング・コートというスポーツシューズには画期的な特長が三つある。一つは、コットンキャンバスの素材とバルガナイズ製法という点。

 

そして、テニス用のスニーカーであるにもかかわらず、本来は革靴で頻繁に使用される素材ラバーソールを使用、靴そのものの頑丈さに重きを置いたという点。

 

今ひとつは、靴の側面下底部に四つの空気穴を設けたこと。これにより、靴の中に、常時的に空気を循環するようにし、夏でも足が蒸れにくい実用型のスニーカーが誕生する。 

 

最初、このスニーカーを試用した際の「これはバネ(スプリング)のようで、飛び跳ねるかのようだ!!」という感嘆の言葉、そして、クレーコート(土)用のテニスシューズとして開発された経緯から、フランスで最初に発売されたスポーツシューズは、「Spring Court」と命名された。

 

実際、この靴は、1930年代としては、画期的な軽さの靴であった。特に、インナーソールは分厚いが、柔らかいバネのようなクッション性を持った素材が取り入られ、歩いている時や、走っている際にも、飛び跳ねるような着用感がある。実際、スプリングコートは、1970年代後半まで多くのプロテニスプレイヤーが愛用していた。

 

さらに、このスプリングコートには、他のシューズにはない興味深いデザインが取り入れられている。

 

スプリング・コートのロゴにはトリコロール(フランス国旗)が使用、このスポーツスニーカの長年のトレードマークでもある。さらに、靴のインナーソールを剥がしてみると、一番底の部分に、ユニークなキャラクターが描かれている。

 

 

Spring Court 公式より

 

スプリング・コートの代名詞的な存在のマスコットキャラクターには取り立てて名前がついていないらしいが、頬をぷくっと膨らませて何かをピューと吹き出し、靴の中の空気圧を支えている。ぼんやり見ているだけでも癒やされる可愛らしいデザインである。

 

 

スプリング・コート愛用した歴代ミュージシャンたち

 


このフランスのテニスシューズ、スプリング・コートを愛用した有名ミュージシャンは数知れない。

 

ジョン・レノンをはじめ、ゲンスブール、ジェーン・バーキン、リアム・ギャラガー、他にも、多くのミュージシャンから親しまれているファッションアイテムである。

 

もちろん、ファッション性においても、コーディネートのしやすさがあり、カジュアル、普段着として大活躍すること請け合いで、セミフォーマルとして、このスポーツスニーカーをコーディネートの中に取り入れても、ものすごく「サマ」になることも請け合いである。

 

たとえば、シンプルなセミフォーマルの格好、ジャケット、デニムに、スプリング・コートをあわせても、それなりシルエットとしては洗練されたシャープな印象をもたらし、いかにも「洒脱!!」といった雰囲気になるのがスプリング・コートの魅力である。

 

もちろん、男女兼用で、人による体格も関係なく、どのような格好にもほど良くマッチする。また、機能面においてもすぐれ、動きやすく、歩きやすい、走りやすい、というスニーカーとして三拍子揃った特徴を持っている。

 

このスプリング・コートの主要モデル「G2」は、コットンキャンバスとレザーの二素材で販売が展開されており、コットンキャンバスの方は、1万円前後、レザータイプの方は、2万円前後という価格帯を維持しているため、比較的手の届きやすいリーズナブルなスポーツスニーカだといえるだろうか。このG2モデルの特徴をかいつまんで言えば、日常的に使い勝手の良い、ローテクだけどハイテクなスニーカーである。

 

そして、やはり、デザインとしても秀逸で、シンプルでありながら、とても絵になる。長年、白と黒の二色でメーンの商品カラーを統一してきたこともあり、購買層の年代を選ばない普遍性の高いデザイン性がこのスニーカーの魅力だ。比較的、若い年代のファッション寄りのコンバースの「オールスター」に比べ、ジョン・レノン、オノ・ヨーコの例を見ても分かる通り、若い人だけではなく、御年配の方にも安心して履いていただけるシューズである。

 

そして、これまで、数多のミュージシャンが、なぜ、このスプリング・コートを好んで履いてきたかといえば、はっきりと断言こそできないけれども、靴そのもののファション感度が高く、フォーマルとカジュアルの中間を行く、いわば使い勝手の良さがあること、そしてまた、靴そのものとしての実用性の高さが主な理由といえるだろうか。

 

とりわけ、歴代のミュージシャンの着用例を挙げると、フレンチ・ポップの生みの親のひとり、セルジュ・ゲンスブールは、広告の撮影において、このスプリング・コートを履いている。また、ジェーン・バーキンも、普段着としてこのスプリング・コートを時代に先駆けてカジュアルファッションの中に取り入れていた。

 

特に、ジェーン・バーキンは、オードリー・ヘップバーンと共に、「フェミニン」という現代では一般的となったファッションスタイルの生みの親と言っても良いかも知れない。

 

しかし、ゲンスブールの方は、一般的に言われるのとは少し事情が異なり、どちらかといえば、彼は、フランスのバレエ・シューズ、Repettoを好んでいて、よく言われるほどこのスポーツシューズを履いていたとは言いづらい。

 

一方、セルジュ・ゲンスブールとの間に子をもうけたジェーン・バーキンの方は、確かに、スプリング・コートのG2のハイカットモデルを愛用している姿が多くの写真に残されているのが見いだされる。このフランスのファッショナブルなテニスシューズ、スプリング・コートを日常的に普段着として愛用していた様子が伺えるのである。 

 

 

ジョン・レノンとスプリング・コート 


そして、歴代のミュージシャンの中でも、特に、このフランスのテニスシューズを最も愛好していたのが、他でもない、ジョン・レノンである。

 

レノンは特に、スタジオでの演奏のリハーサルをする時にも、また、日常のふとした場面を写した写真でも、このスプリング・コートを愛用している。

 

とりわけ、オノ・ヨーコと共に映される写真では、毎度のように、このスプリング・コートを履いている。

 

最初のエピソードとしては、オノ・ヨーコとの結婚式で、このスポーツシューズを履いていたくらいで、生粋のスプリング・コート愛用者といえる。特に、一番有名なのは、「アビー・ロード」のジャケット撮影、レノンはこのスプリングコートのG2を身につけている。

 

The Beatles 「Abbey Road」

 

 

つい最近まで、このジャケットワークの写真で、レノンが、普通に革靴を履いていると勘違いをしていたと申し開きをしておく必要があるが、よく見ると、アビー・ロードスタジオにほど近い横断報道を渡る際、先頭を行くジョン・レノンが、上下のド派手な光沢のある白のスーツに合わせているのは、スプリングコートのレザータイプのG2ではなく、コットンキャンバスのG2だ。つまり、スプリングコートの最もクラシカルなモデルを着用している。

 

この「アビー・ロード」のアートワークについて、スプリング・コート側は、レノン、ビートルズ側に公式に提供したものではないと後になって声明を出していて、ファッションブランドとのタイアップの一貫として、レノンは撮影時このテニスシューズを着用したのでなく、単に、自分のファッションとして気に入って身につけていただけだったということが判明している。

 

この時代から、ジョン・レノンのスプリング・コート贔屓は始まり、オノ・ヨーコとの結婚式でもスプリングコートを履いてみたり、それからはオノ・ヨーコとのリンクコーディネートとして、このスプリング・コートを自分たちのもうひとつのアイコンのようにファッションに取り入れていた。このフランス製のスポーツシューズを穿きこんで愛していた。

 

しかし、イギリス人であるレノンが、なぜ、このフランスのスポーツシューズをそれほどまで気に入っていたのかという疑問が浮かぶ。

 

一般的に、ジョン・レノンは「洒脱」と言われるファッションスタイル、つまり、他はフォーマル、セミフォーマルな格好ではあるが、靴等、服装のごく一部にカジュアルな側面を取り入れて、「崩し」という要素を取り入れた粋なファッションを演出することに長じていたという印象を受けなくもない。

 

レノンが、そのようなファッションの着崩し方をしたのはなぜなのか、これはロックミュージシャンとして「既成概念に対する反駁をする」という意図も込められていたかもしれない。 

 

 

John gifter sig med sin Yoko i Spring Court"John gifter sig med sin Yoko i Spring Court" by ljungsgarderob is licensed under CC BY 2.0

 

表向きには、ファッションというのは、ただ単に、見かけを社会性の中で披露するためのもの、というのまた、ファッションとしての楽しみ方のひとつとしてあるかもしれないが、特に、歴代のロックミュージシャンは、それをあんまり良しとせず、自分が身につける服装の中に、なんらかの強い主張性を取り入れることの主眼を置いて来た。

 

もちろん、私は、ファッションの専門家ではないのであまり強くはいえないものの、これは、ファッション=服飾という概念のとても重要なテーマの一つのように思えてならない。それが、たまたま、英国人のジョン・レノンにとっては、フランスのエスプリという概念、少しの、ウィット、スパイス、またあるいは、日本風にいえば「洒落」を効かせたスポーツシューズ、スプリング・コートというアイテムだったのだろう。


 

1,環境音楽の発明
環境音楽、いわゆる、のちにアンビエントともいわれる概念を築き上げたのは、一般的にブライアン・イーノと言われています。


この音楽について、現在ではかなり広い範囲で聞かれるジャンルとなり、それなりに認知されるようになりましたが、簡単に言うと、家具としての音楽の役割を担っていて、その場の雰囲気に馴染むように作られ、その多くがインストゥルメンタル曲で、広い空間処理が施され、どことなく癒やし効果が感じられるような曲風が多いといえます。
無論、適用される音楽が幅広いのでアーティストごとにその表現方法がまるきり異なるのがおもしろいところなんでしょう。大自然を感じさせるような音楽もあれば、その対極に、工業的なインダストリアル風の音楽もありますし、その中にもさまざまな細かいジャンルを内包しているように思えます。
イーノは自身の作品において、もしくはハロルド・バッドとの合作において、あるいは、敏腕サウンドエンジニアとして、キャリアの当初から現在にいたるまで長らく、さまざまな方面において輝かしい才覚のきらめきを放ちつづけています。言うまでもなく、U2の「Joshua Tree」の天文学的な大ヒットというのは、ブライアン・イーノの手腕なくしてはなしえなかったといえます。
しかし、のちにイーノがバッドとの共作「The plateaux of mirror」においてみせるアンビエントミュージックとしてのひとつの到達点というのは、彼の音楽ジャンルの出発点から考えてみると、相当かけ離れた意外なものであるように思われます。というのも、元々、ブライアン・イーノというアーティストは、ロキシー・ミュージックというグラムロック、もしくは、ゴシック・ロック寄りのバンドメンバーとして音楽シーンに彗星の如く現れ、 今でこそにわかに信じがくもなりますけれど、イーノの音楽家としての最初の出発点というのは、デヴィッド・ボウイ、TーREXのマーク・ボランのような毳毳しい化粧をしたグラム・ロックミュージシャンとしてであったわけです。
その後、彼の音楽キャリアを揺るがすような大きな出来事が起きます。75年、ロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノが、不運にも自動車事故に見舞われます。
そこで、アンビエンスという部屋の中に満ちている音の存在に気がつくわけです。身体が病などに侵されて身動きが思うようにとれないような状態に陥ると、人間というのは、きわめて五感が鋭敏となってきて、動物的な本能というべきか、ごく稀にそれ以上の微細な感覚が呼び覚まされることがあります。
いわゆる有名な映画のシックスセンスのようなもので、この感覚が優勢となってくると、たとえば、今まで全然注意を払わなかった音、さらに微細なアンビエンスというのが感じ取られるようになっていきます。
2.アンビエントの概念
実は、この有名なブライアン・イーノの事故のエピソードというのは、ジョン・ケージの ハーバード大学の無響室での体験ときわめて共通するところがあると感じられます。彼も、またイーノと同じように、無響室という異質な人工空間、四方の壁、そして、天井から突き出ている無数の木杭が、すべての音を吸収し、音が響かないようにしてしまう。そこでは、手をパンと叩いても、足踏みをしても、なんの音も聞こえません。
その無響空間、いわば、地球の中に人工的に拵えられた宇宙的な空間の中で、音楽史における数奇な発見に至り、そして、その概念からかの有名な「4分33秒」が産み落とされるにいたるわけです。その四分半の時間は、指揮者も譜面台の前にたち、白紙のオーケストラ譜をひろげ、その前にも、弦楽器の奏者が椅子に腰をおろし、指揮者が演奏を始めようと、手を振り上げると、実際に演者は演奏を始めようと弓を引きますが、その四分半、音が鳴なりわたることはありません。
しかし、コンサートホールにいる観客たちは、何も鳴らないと思われる広い空間の中で、すでにそこにある音「アンビエンス」に気づかされます。
この両者に共通しているのは、「すでにある音という存在に気がつく」というごくごく自然の出来事でしかありませんが、しかし、そのことに気がつく人はごく稀でもあります。彼等二人は、己の中に備わっている繊細な感覚という音を扱う人間として欠かさざるべき素質に恵まれた、或いは、なんらかの霊感により、その契機を与えられたおかげで、その覚知体験を、音楽という概念上での「悟り」のようなものとして受け入れ、それを見事に、自分の作風に仕上げていったというわけです。

ケージ、イーノという二人の偉大な芸術家は、現実において、自分が体験した美しい瞬間を、それぞれ異なる手法によって洗練された音楽作品として組み立て、ケージは、「沈黙」という表現によって、イーノは、自分が病室で聴いたような空間で鳴り響いている「環境音」をシンセによって生み出しました。さらに、ケージの初期の「Dream」という楽曲に代表されるような空間的な奥行きの感じられる簡素なピアノ演奏をちりばめていくことにより、彼独特の作風に仕上げていきました。 つまり、ブライアン・イーノという傑出した音楽家は、ジョン・ケージの音楽的な遺伝子を引き継いで、その先へ推し進めていこうという意図もあったように思われます。
3, アンビエントのもう一つのルーツ
およそアンビエント・ミュージックの重要な要素である環境音という概念については、大雑把ではありますけれど、そこにどのような意図が込められ、なおかつどういった経緯があって生み出されたのか理解してもらえたろうと思います。
そして、次にもうひとつアンビエントという音楽を語る上で「ミニマル」という欠かさざる重要な要素についても簡単に説明し、そのルーツを探っていこうかと思います。
この「ミニマルミュージック」というのは、今ではごく普通にクラブミュージック、ヒップホップのサンプリング等にも用いられている手法であり、短い楽節が延々と繰り返される音楽性を意味し、同じ楽節のループによって分厚いグルーブ、音のうねりを生み出す効果があります。その手法というのは、アーティストめいめいの特性によって多種多様、同じフレーズを曲の後ろの方にそのまま形を崩さないで繋げていくこともあれば、また、変奏のカタチをとって複雑なアレンジメントが付け加えられる場合もあります。
このいわゆる、ミニマル・ミュージックという音楽概念を、明瞭な形で世に知らしめたのは、スティーブ・ライヒという人物であり、彼はのちのクラブミュージック、ハウス、テクノといったジャンルのお手本となっただけにとどまらず、ダンスミュージックの側面からアンビエントを追求したアーティストたちに、ケージとともに大きな影響を与えたのは音楽史的に疑いを入れる余地はないでしょう。
そして、このミニマルミュージックというのは、たしかにスティーブ・ライヒが積極的にみずからの作風とした、延々と反復される小さな楽章というスタイル、前衛的でありながら過剰な手法を選ぶことによって、ループというやり方で前面に押し出していったジャンルであることもまた相違ないですが、以前の中世の古典音楽などにおいて、まったくそういったミニマルの原型のような性質の音楽が存在しなかったのかというと、そういうわけではありません。
実は、古くは、ベートーベンの「月光」、もしくはバッハの平均律クラヴィーアの前奏曲の中にも、同じようなフレーズの執拗な反復という手法が用いられており、非常にわかりやすい形で、ミニマルミュージックの要素が見られます。
さらにいえば、同じフレーズの執拗な繰り返しによって、無秩序であった空間の中に、なんらかの概念に規律が生みだされて、そこに一種のまとまりのようなものが出てきます。これが法則だとか、規則の根本的な概念を音という形で表現したものであり、こういった手法を過剰な形ではないまでも、グレゴリオ聖歌の時代から好き好んで使われていたのは、それらの反復的な要素が一切なければ、芸術性に乏しい作品と見做されてしまいます。
反復性といわれる要素、ここにすべての学問の美学の源泉が求められ、和声についても、対位法についても、ひいては、楽曲というものが生み出されるためには、すべてが規則という名の土台の上に、整然と礎石が計画的に積み上げられる必要があります。
特にドイツ・ロマン派をはじめとする音楽家たちは、規律、規則、禁則という面を重要視し、今日の音楽に慣れた耳には堅苦しくも思えるような気風を重じたという印象があります。無論、ベートーヴェン等は、あえて作品を美しく見せるために、意図的にそれらの和声法における作法を破ったりしています。
そして、その「反復」という規則性を生み出す要素をきわめて過剰な形で表現し、さらなる当時の意味における現代的な手法を一番最初に採用していったのが、この近代フランスの作曲家、エリック・サティであり、彼の偉大さであったでしょう。
サティは体系的な教育から出発しながらも、アカデミズムから距離をとった芸術家であり、どことなくアウトサイダー的な人物ともいえ、フランス国立音楽院を卒業するのに十年以上を要したという話を始め、彼ほど人生上の興味深いピソードを持つ芸術家はそうそう見当たらないでしょう。そしてまた、フランスのサロンにおいて、ショパンを客の前で演奏していたというエピソードも有名です。
こういった逸話から伺えるのは、エリック・サティという人物はフォーレのようなアカデミズム寄りの音楽家でなくて、市井寄りの大衆音楽家の一人だったといえます。
無論、フォーレの後世のフランス和声に対して与えた影響というのも少なくないはずですが、このサティという人物の独特な作曲技法というのは、後のドビュッシー、ラヴェル、プーランク、メシアンをはじめとするフランス近代和声にきわめて大きな影響を与えたでしょうし、さらに、完全に古典和声の禁則事項を無視したかのような、きわめて前衛的な和声法を生み出しました。
そして、この和声法における革新と言っても差し支えない、奇妙な和声法の影響というのは、ラヴェルやドビュッシーをはじめ、ガーシュウィン、マイルス・デイビス以降のジャズ音楽へと受け継がれた部分もあるかと思われます。ジャズ特有の独特な和音発生の起源というのは、おそらくでありますが、この人の勇ましい音楽の既成概念への挑戦による部分が多かろうと思われます。
エリック・サティのこの独特な音楽性は、のちに「家具の音楽」と称されるようになり、簡単にいえば、何かしら他の存在の雰囲気を引き立たせるために存在する名脇役の音楽というように形容することもできます。
そして、是非とも言っておきたいのは、ここでいう他の古典ロマン派などの音楽に比べ、楽曲の存在感が希薄であり、その場の雰囲気にスッと馴染んでいくよう作られたサティの楽曲スタイルが、アンビエントの源流の出発点ではないだろうかと思われます。そして、このサティが、サロンで体験したと思われる、その場の空気を主体として重んじた上で音を奏でるという概念は、上記したブライアン・イーノが知覚した片方のスピーカーからのハープの音色が、外側の空間の音に馴染んで聞こえる、つまり「環境音」と呼ばれる概念ときわめて合致しているようにも思えます。
それは、実に、近代フランスのサロン文化において必要不可欠な要素であり、客の食事だったり、おしゃべりの雰囲気を壊さない、心地よくたのしくやすらげる音楽というのを、サティはみずからの体験から引き出して、それが彼の特異な性質とあいまって、アカデミズム性の高い音楽と一線を画した、大衆のためのくつろいだ環境音楽が生み出される契機となったのかもしれません。
エリック・サティは、「ジムノペディ」をはじめ、短い楽章を反復したごくシンプルで聞きやすく、どことなく癒やしの効果のある楽曲を数多く遺し、その癒し効果のある反復性の強い音楽性というのは、のちのジョン・ケージ、また、ブライアン・イーノの系譜にあたる楽曲スタイルに大きな影響を与えたろうと思われます。
4,終わりに 
今日のアンビエントミュージックにアンビエントの遺伝子は受け継がれていき、現代のアンビエントは、さまざまなジャンルを内包するに至ります。それはリチャードD・ジェイムス、ティム・へッカーまでその手法というのはそれぞれ異なりますが、今なお、ブライアン・イーノが考案した音楽の概念というのは大切に引き継がれています。
今や、ごく自然に、電子音楽、クラブミュージック、スタンダードなロックバンドにいたるまで、アンビエントの要素を取り入れるようになっていきます。これは、このジャンルというのは、主役を引き立てる名脇役の作用があるので、他の楽曲の個性をより引き出すような効果もあろうかと思われます。そして、何か、まだまだこの音楽の概念には掘り下げる要素があって、この次のジャンル、アンビエントの向こうにある新たなジャンルが何者かによって生み出される日もそう遠くないでしょう。
我々が日々接している音楽はまだまだ発展する余地が残されていて、いよいよ新たなジャンルが生み出す分岐点に差し掛かっているようにも思え、その新たな生命の産声が聞かれるのも夢見事とはいえません。
新たな人類のテクノロジー社会の影響と相まって、これから数年後、新しい音楽、もっと大げさに言えば、音楽という小さな枠組みから飛び出すような新しい概念が生み出されないともかぎりません。
今日のアンビエントミュージックの盛り上がりというのは、現今のクラブミュージック界隈のアーティストを見ても、いよいよ最高潮を迎えつつあるように思えます。
これから、サティ、ケージ、イーノと引き継がれたアンビエントという音楽の概念がどのように変遷をたどっていくのか個人的に期待し、楽しみにしていきたいところです。

 UQIYO

 

UQIYOは、2010年から日本、東京を中心に活動する”Yuqi Kato”の音楽プロジェクト。以前はユニットとして活動していたようですが、現在はソロ・プロジェクトになっているようです。Yuqiはこのプロジェクトの作曲、演奏、マスタリングまで手掛け、ライプパフォーマンスでは、アコースティックギターの他に、キーボードも演奏してしまうというマルチタレントのアーティストです。

これまで、久保田リョウヘイ、元ちとせ、Monkey Majikをはじめとする日本の著名なアーティストとの共同制作を行っています。2020年から、日本国内のみの活動だけではなく、アジア圏まで音楽活動の幅を広げ、シンガポールのインディーレーベル「Umami Records」から作品をリリース。また、シンガポールのアーティスト”マリセル”とのデュエット曲「lo V er」を発表している。もう一つ、特筆すべきは、台湾のドリーム・ポップバンド”I Mean Us”とのデュエット曲「6000℃」で、現地台湾のインディーミュージックアワード「金音創作奨」の受賞者に輝いている。近年、国内にとどまらず、アジア全体に活躍の幅を広げつつあるインディーズアーティストです。

UQIYOの音楽性としては、バックグラウンドの広さを伺わせており、流麗なアコースティックギターの演奏がこのミュージシャンの最も秀でた点といえ、しかし、それほどひとつのジャンルに拘泥することもなく、柔軟性を持ちつつ、これまでの作品で幅広い音楽に取り組んでいるアーティストです。基本的には、インディー・フォークのジャンルに該当、アメリカン・フォークに対する「アジアン・フォーク」と称するべき独特な音楽性です。キーボードを駆使して実験的な音楽性に取り組むという点では、エレクトロ、クラブ・ミュージック寄りのアプローチを図る場合もあり。ということで、エレクトロ・ポップに近い楽曲もこれまでリリースしています。UQIYOの楽曲自体は親しみやすく、 アコースティックギターをフーチャーした穏やかなスタンダードなJ-Pop、あるいは、またインディーフォークとして聴くことも出来るかもしれません。

 

 

「蘇州夜曲」

 

今月の英詞のインディー・フォーク曲「ソンバー」においては、日本人らしからぬ堪能な英語曲を披露しているUQIYOこと、Yuqi Kato。そして特に、同時期にリリースされたこの昭和の名歌謡曲、「蘇州夜曲」の新たな2021年のシングルは、楽曲自体の切なく甘いメロディーが引き出された名曲のカバーということで、今週の一枚として、なんとしても、オススメしておきたいと思います。 

 

 


TrackListing

 

1.蘇州夜曲

 

もちろん、既にご存知の方も多いかもしれませんが、「蘇州夜曲」は、昭和の戦後の時代に置いて、日中間の国際的問題にまで発展した音楽史の曰くつきの名曲です。原曲は、戦時中の日本の国策映画「支那の月」という作品の挿入歌として使用されています。日本語バージョンと中国語バージョンの二パターンが現存している。これまで、日本歌謡界の歴代のスーパースター、李香蘭、美空ひばり、アン・サリー、夏川りみ、と錚々たる女性の名歌手がカバーしてきた日本歌謡曲の中でも屈指の名曲。

日中戦争時代、李香蘭がこの曲を歌い、当時の流行歌となる。そして、この曲については、素晴らしい名曲であったのにもかかわらず、むつかしい政治的問題が絡んだということで、非常に長い間、中国では政治的にご法度の曲とみなされてきた経緯があり、中国では嫌悪の対象となる楽曲だったようです。しかし、現在では、中国国内においてもこの曲に対する見方が変わって来て、現地のレコード会社からこの楽曲がリリースされたり、この曲を中国語で歌ったりする人もいるそう。

そして、今回、なぜ、このようなエピソードを長々と記述したのかというと、この新しい日本のアーティスト、UQIYOさんのカバーは、李香蘭に近いアプローチを忠実に選びとっているからです。特に、この楽曲を聞くかぎりでは、戦争の「せ」の字も出てこないのに驚く。どちらかというなら、奥深い中国大陸への日本人の慕情、恋情を和歌として歌いこんだだけの素晴らしい非の打ち所のない名曲です。しかし、あまりに歌の出来が良すぎたためか、国策映画の挿入歌として使用され、また、当世の流行歌となってしまったのでしょうか? 夏川りみさんの豪華なストリングス、ホーンセクションのカバー曲ももちろん素晴らしいですが、UQIYOのカバーで聴くことが出来るギターと歌、二胡という中国の伝統楽器の生み出す絶妙な空気感、簡素、質朴、朴訥、幽玄、とも称するべき水墨画に近い雰囲気のある「蘇州夜曲」こそ、この曲の伝統的な解釈であるように思えます。今回のリリースでは、情感たっぷりに、Yuqi Katoさんは、日本歌謡を深い慕情をいだき、現代のアーティストとしてカバーに真摯に取り組んでいるあたりが聞き所です。

この楽曲「蘇州夜曲」は、元が大名曲であるだけに、実際、カバーをする際、ミュージシャンとしての覚悟が試されるという気もする。しかし、今回のカバーにおいて、UQIYOさんは、そういった高い壁をもろともせず、原曲に対する敬意を持ち、謙遜した演奏、一歩引いた謙虚な歌を丹念に紡ぐことにより、原曲「蘇州夜曲」のメロディーの本来の魅力を引き出し、本来の雰囲気を損なわず、さらに、そこにまた、この曲の新鮮味を新たに提示している点については素晴らしいとしか言いようがありません。

そして、カバーという音楽史に引き継がれている伝統ある形式。これについて、あらためて再考してみると、先人たちの精神を敬意を持って現代に継承し、次の未来、また、次の世代に生きる人達に「文化」として繋げていくという役割が込められていることに、「蘇州夜曲」のUQIYOさんのカバーを聴くにつけ何かしら考えさせられるものがありました。それからもう一つ、なんとなく感じいらずにはいられなかったのは、李香蘭という歌い手にまつわる問題、また「音楽に罪があるのか?」というよく近年取り沙汰される問題についてです。これは例えば、現在でも、ポーランドの放送局では、カラヤン指揮のワーグナーの音源を流すことが困難という問題にも非常によく似た事象です。

もちろん、音楽と政治というのは常に抜き差しならない問題を抱える一方、また音楽というのは、人々の心にわだかまる歴史的な負の感情を取り払い、大きな癒やしを与えることも出来るはずですから、UQIYOさんの今回のカバーのように、現代のアーティストが歴史的な感情を取り払うために新たな挑戦を試みること、アートを観念から救い出し、観念から離れた広い領域に解き放ってみせること(沖縄出身の夏川りみさんの「蘇州夜曲」のカバーには重要な意義があった)これら二つの挑戦はとても頼もしいことでしょうし、文化史として見ても大いなる意味が込められているはずです。

少なくとも、「蘇州夜曲」という曲は、今、聴いても、なんとなく、切なさの感じられる味わい深い恋歌です。海を越えた大陸にたいする深い慕情を感じさせる日本歌謡の最高峰の一曲で、ピクチャレスクな雰囲気に満ちています。最後に、この楽曲のきわめて感慨深い日本語詞を引用しておきます。

 

 

髪に飾ろか 接吻しよか

君が手折りし 桃の花

涙ぐむよな おぼろの月に

鐘は鳴ります 寒山寺

                        「蘇州夜曲」の歌詞より”

 

 

・UQIYO公式


https://uqiyo.lnk.to/Soshuyakyoku