Indigo De Souza


 

インディゴ・デ・ソウザは、ノースキャロライナ州のプルースパイン出身の女性アーティスト。現在は3人編成のロックバンドとして活動している。



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幼少期、アーティストであった彼女の母親は、このプスースパインという土地柄と反りが合わず、程なくして、家族で同州のアッシュビルへと転居する。デ・ソウザは、このときに母親の勧めを受け、ソングライティングを9歳からはじめ、音楽制作に親しむことになった。

 

2016年、インディゴ・デ・ソウザは、友人宅のガレージを借り、本格的なソングライティングを始める。完全なるDIYスタイルのインディーロックアーティストとしての目覚め。それが「Boys」をはじめとする初期のデモ集で結実をみせている。この時代の音楽的な出発、ガレージで大音量で音楽を奏でるというスタイルはガレージでの録音ではあるものの、非常に宅録に近いベッドルームポップに近い音の指向性を持ち、またそこにラップに対する憧憬のようなものも見て取れる。

 

デ・ソウザの音楽の主題は、内面的な人間関係における不安や葛藤、それに対する深い芸術的な眼差しともいうべきもので、これは不安的な幼少期の時代の苦悩に根ざしているように思われる。

 

アルバム・ジャケットにしても、言ってみれば、モンスターのような風貌をしたキャラクターが描かれ、何度もこのモチーフをデ・ソウザは好んで用いている。これからも、このキャラクターが何度も登場すると思われるが、女性的な母親のモンスターに付き従う子供のモンスター。これは、デ・ソウザの内面世界をイラストとして克明に描き出したもののように思える。そして、これこそ、デ・ソウザという芸術家の内面に巣食っている人間関係における深い不安、葛藤の正体である。

 

デ・ソウザは、彼女自身内面に根ざす不安を見つめ、それを正反対の表現、ときに軽やかに、また、、ときには、キュートさやジョークをまじえ、音楽としてアーティスティックに描き出している。その音楽は、このような内面の葛藤や不安を認め、朗らかに笑い飛ばすようなニュアンスも感じられる。それはインディゴ・デ・ソウザという天真爛漫なアーティストのキャラクター性においても同様である。だから、デ・ソウザの音楽は真実味があり、ポップ音楽として深い説得力がこもっている。これまで、自主レーベルを中心に作品リリースを行っているインディーロックアーティストにもかかわらず、アメリカの若者たちを中心に大きな支持を集めているのもうなずけるはなしといえるかもしれない。

 

また、インディゴ・デ・ソウザは、2000年直前に生をうけた所謂ミレニアム/Z世代に属するミュージシャン。

 

彼女の音楽的な趣味は、近年のアメリカのリバイバルアーティストと同じく、最近の音楽だけに照準が絞られているというわけではない。

 

直近の音楽だけにとどまらず、現代の音楽家にとってはライブラリーミュージックともいえる生前の音楽に対する情熱的な眼差しが注がれている。とりわけ、シューゲイズやドリームポップといったオルタナティヴ・ミュージックに対する深い影響がうかがえ、、それが近年流行りの宅録のポップス、ベッドルームポップとの融合を果たしている。

 

デ・ソウザというアーティストは、新時代の「オルタナの申し子」ともいえるかもしれない。そのオルタナ性と称するべき彼女自身の反映と換言できるような性質がポップス、ラップ、ソウルといった音楽性と掛け合わさり、新時代のインディー・ミュージックと喩えるべき音楽性が生みだされる。

 

スタイリッシュであるものの、どことなく不敵。不敵であるが、その内奥には人間的なハートフルな温かさも滲む。そしてそれは不思議にも、アルバムアートワークに描かれている、おどろおどろしくもあり、なおかつ奇妙なかわいらしいキャラクターの姿の雰囲気に近いように思われる。




「I Love My Mom」Saddle Creak 2018





Tracklisting

 

1.How I Get Myself Killed

2.Take Off Ur Pants

3.Good Heart

4.Smoke

5.Sick In The Head

6.What Are We Gonna You Down

7.Home Team

8.Ghost

9.The Sun Is Bad

10.I Had To Get Out



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「インディゴ・デ・ソウザ」の名をインディー・ロックシーンに知らしめたデビュー作「I Love Mom」である。

 

ここで、デ・ソウザは、初期からのベッドルーム・ポップ色に加え、その要素にインディー・フォークやドリーム・ポップを融合させたような新しいオルタナティヴ世代の音楽を、既にこの一作目にして提示してみせている。

 

アルバム・ジャケットワークにしても、また、歌詞にしてもいくらか暗鬱なニュアンスを感じるかもしれないが、実際の音楽性というのは、どちらかといえば、それとは正反対に爽快で朗らかな雰囲気がただよっている。

 

これは、デ・ソウザというアーティストがその内面の不安、葛藤を直視した上、その問題の向こう側にある世界を音楽というスタイルで表現しているといえなくもない。その表現性は苛烈になったかと思えば、穏やかともなり、謂わば変幻自在な両極端な内面世界がえがかれているように思える。

 

「Take Off Ur pants」では、明らかに、シューゲイズ/ドリーム・ポップ寄りのアプローチを図っているが、その他は落ち着いた、ポップソング、インディーフォーク、あるいはベッドルームポップを中心に構成される。

 

そして、デ・ソウザの跳ねるようなリリックというのが滅茶苦茶痛快で、それが今作の最大の魅力といえるかもしれない。全体的な作風としては、デ・ソウザの持つ独特なスタイリッシュな人間性、ポップス性を打ち出した秀逸な楽曲がずらりと並んでいる。


それを様々なスタイル、カントリー/フォーク、ポップ、ソウル、ラップという形で表現されている。これを散漫な興味ととるのか、幅広い音楽性が込められているととるのかは、リスナーの感性次第によるかもしれない。現代のポップスらしいフレーズがあったと思えば、その一方で、モータウンサウンド、ノーザン・ソウルのようなカクッとしたブレイクを挟むフレーズも、さり気な〜く挟まれるのが顕著な特徴といえるだろうか。

 

このあたりは、ケンドリック・ラマーのトラックメイクのような独特なぶっ飛び具合に比する資質と称することもできる。ファンク、ラップの領域で活躍するアーティストの「これまでのサウンドの引用」という手法を、「インディー・ロック/フォーク」として新たに組み直している点が画期的である。特に、デ・ソウザのソングライティングは、メロディの良さという面に重点が置かれている。意外な渋みすら感じられる曲が多い。





「Any Shape You Take」 Saddle Creak 2021




Tracklisting

1.17

2.Darker Than Death

3.Die/Cry

4.Pretty Pictures

5.Real Pain

6.Bad Dream

7.Late Night Crawler

8.Hold You

9.Way Out

10.Kill Me

 


Listen on Apple Music

 

 

前作「I Love My Mom」ではおぼろげであった音楽的な印象がより明瞭となり、秀逸なポップソングとして昇華されたのが通算二作目のスタジオアルバム「Any Shape You Take」である。特に、#3「Die/Cry」#4「Pretty Picture」に代表されるように、良質なポップソングは前作よりもはるかに完成度が高くなったといえよう。

 

このシンガーの朗らかで親しみやすい資質、天真爛漫な性質というのは前作よりと伸びやかに表現されている。特に、シンガーとしての風格は前作よりも大きなものを感じてもらえるはず。

 

ポップス色の強い作風ではあることは言うまでもなく、インディー・ロック色を交えた魅力的なサウンドが展開されている。センチメンタルなニュアンスが涼やかに歌われている。前作と同じく、インディゴ・デ・ソウザらしいスタイリッシュさも存分に感じていただけるはずと思う。


前作よりはるかにキャッチーなポップソングとして楽しめる、すがすがしく、ゆるやか、ほんわかとした気分をもたらしてくれる素晴らしいサウンド。インディゴ・デ・ソウザの入門編としておすすめしておきたい良盤!!

 Snail Mail

  

 

スネイル・メイルは、NYを拠点に活動するシンガーソングライター兼ギタリスト、リンジー・ジョーダンによるソロプロジェクト。

 

2015年、リンジー・ジョーダンはバンド形態で活動をはじめ、同年にEP「Sticki」をリリースし、ライブを行うようになります。その後、ベーシストのライアン・ビレイラ、ドラムのショーン・ダーラムが加入。2016年には、バンド形態で自主ツアーを敢行した後、最初の公式リリースとなるEP「Habit」をSister Polygon Recordsからリリース。


この作品「Habit」は、アメリカの幾つかの著名音楽メディアで取り上げられ、これを機に、Ground Control Touringと契約を結ぶ。この際、Pitchforkは「Thinking」が名物コーナー”Best New Track”として特集されている。


その後、2017年に、スネイル・メイルは、北米ツアーを敢行し、プリースト、ガールプール、ワクサハッチーを回り、NYのビーチ・フォッシルズのサポートアクトを務める。翌年、リンジー・ジョーダンは十代の若さで、NY名門レーベル(かつてはコーネリアスも所属)Matadorと契約を結び、アルバム「Lush」をリリース。カート・コバーンの元妻、コットニー・ラブにも楽曲を提供している。


スネイルメイルの音楽性は、インディーロック、フォークの王道を行くものであり、女性版カート・コバーンの再来といっても過言ではないはず。凄まじい風格を持ったインディー・ロック・クイーンの誕生を予感させる。今月の下旬から、故郷のバルティモアをはじめ、大規模ツアーを控えているスネイル・メイルことリンジー・ジョーダン。これから日本でもブレイクは間近と思われる再注目のクールなアーティストのひとり。

 

 

 

「Valentine」Matador Records

 




Tracklisting

 

1.Valentine

2.Ben Frankilin

3.Headlock

4.Light Blue

5.Forever(Sailing)

6.Madonna

7.c.et.al.

8.Glory

9.Automate

10.Mia



 
 
Featured Track Snail Mail「Mia」Official PV
Listen On Youtube : 
 

https://youtu.be/Zx4vvTgsbuI 

 

 

さて、今週のオススメの一枚として取り上げさせていただくのは、11月5日にリリースされたスネイル・メイルの最新アルバム「Valentine」となります。

 

先々月からシングル盤「Valentine」が先行リリースされており、アメリカのメディアにとどまらず、イギリスの音楽誌等においても、大掛かりな特集が組まれていました。そして、今週に入り、スネイル・メイルは、このアルバムに収録されている「Madonna」のNYでのライブヴァージョンを発表。この瞬間、ローリングストーン、NMEをはじめとする音楽メディアがかなり色めきだっていました。今となっては、これらの音楽誌の記者は、既にアルバムのサンプルを聴いていたのか、「2021年代を代表する相当な傑作が出た!?」という確信の下、幾つかの記事を大々的に掲載したのかもしれません。そして、実際、この新作アルバムを聴いて思ったのは、その予想を遥かに上回る凄まじいクオリティの作品が発表された、というのが正直な感慨です。


先行リリースされたシングル作を聴くかぎりでは、もう少しアップテンポの曲が多いのを予想していましたが、インディー・フォークの王道を行く楽曲、また、しっとりとしたバラードも収録されており、一つの作品として絶妙なバランスが取れた傑作に仕上がったという印象を受けます。もちろん、これまでのリンジー・ジョーダンの作品のローファイ寄りのポップス性というのは、歴代の作品に比べてさらに磨きがかけられ、どのトラックも宝玉のような眩いばかりの輝きを放っています。特に、デビュー当時からの資質に加え、SSWとしての凄まじい覇気のようなものが、今作全トラックに宿っています。曲自体の完成度が高いだけにとどまらず、インディーロックアーティストとしての何らかの主張性がこの作品全体には通奏低音のように響いています。

 

また、特筆すべきなのは、このスネイル・メイルのスタジオアルバムの最も心惹かれる表題曲「Valentine」においては、レズビアンのままならない恋愛について、もしくは、現代の監視社会に対する提言といった、若い年代のアーティストにしかなしえない社会に対する主張性を込めた歌詞が熱烈に歌われているのも魅力です。それに加え、インディーフォークアーティストとして天才性が発揮された#3「Headlock」#4「Light Blue」といった楽曲も、このスタジオアルバム作品に、淑やかな華を添えています。

 

特に、本作の有終の美を飾る#10「Mia」は、これまでのスネイル・メイル、リンジー・ジョーダンが書いてこなかったタイプのストリングスのアレンジをフューチャーした少しだけジャズの領域に踏み入れた直情的な名バラードとして聞き逃せません。クリーントーンのギターに弾き語りという形の楽曲であり、今年、聴いた中では、ノラ・ジョーンズのクリスマスソングと共に最も美しい曲のひとつに挙げられます。

 

今年のインディー・シーンの女性アーティストの作品の中では、ラナ・デル・レイのアルバムが最も際立っていると考えておりましたが、それを遥かに上回る大傑作の誕生の瞬間です。2020年代のインディー・ロックの最良の名盤として次世代に語り継がれる作品がリリースされたことに際し、ひとりの熱烈な音楽ファンとして本当に喜ばしく思い、また、ちょっとだけ、ホロリと感動。文句の付け所のない完璧な大傑作の登場です!! 

 

 
Snail Mailの「Valentine」のリリースの詳細情報については、Matador Records公式サイトを御覧下さい。
 
 

Matador Records Official Site


https://www.matadorrecords.com/
 

 

  

 

 

 

 Japanese Breakfast


ジャパニーズ・ブレックファーストはオレゴン州ユージーン出身、ミシェル・ザウナーのソロプロジェクト。

 

2013年、リトル・ビック・リーグのヴォーカルとして活動していたザウナーは母親が癌であるとの知らせを受け、オレゴン州に帰郷。

 

その後、リトル・ビック・リーグの作品「Tropical Jinx」をリリースした後、「Japanese Breakfast」として名乗るようになり、ソングライターとしての活動を始めています。厳密に言うなら、彼女は日系人ではないものの、外国的な響き「Japanese」そしてアメリカ的な響き「Breakfast」という組み合わせが面白かったから、自身のプロジェクト名を「Japanse Breakfast」と冠するようになったそう。

 

 2016年にはアルバム「Phychopomp」をDeadoceansからリリースしてデビュー。センセーショナルな話題を呼んだアルバムではないものの、ドリーム・ポップとディスコサウンドをかけ合わせた独特なサウンドを展開。その後、翌年リリースした「Soft Sounds from Anotherplanet」は、シューゲイザーとドリームポップの中間を行く音楽性で多くのファンを魅了します。

 

この年、ジャパニーズブレックファーストの名は瞬く間に、国内のインディーロックファンに知られるようになる。最新作「Jubiee」では、日本のアイドルポップ、アメリカのインディーロック/ローファイを融合した個性的な音楽性で、アメリカのインディーロック界を席巻。

 

2021年現在のアメリカインディーロック界において、”Indigo de Souza”と共に双璧をなす再注目のアーティストです。




「Live At Electric Lady」EP   2021 Dead Oceans




 

これまでアイドルポップとドリーム・ポップを融合させたような独特な世界観を打ち出してきたジャパニーズ・ブレックファースト。

 

正直なところ、音楽性の最初の印象としては、インディゴ・デ・ゾーサほどには良くなかったんですが、近年のリリースを見るかぎりで、ジャパニーズ・ブレックファーストは完全にその最初のイメージから脱却し、よりバラエティ豊かな創造性の高い個性的なシンガーソングライターとしての道を歩み始めているのをひしひしと感じます。

 

前作の「Glider」2021は、ゲームのサウンドトラックを初めてジャパニーズ・ブレックファーストが手掛けた作品ですが、徐々に最初期のイメージとは異なるマルチタレント性を発揮しはじめ、彼女の才覚は、最初期には花開いておらず、ウィーザーの名曲「Say It Aint'so」を収録した今作「Live At Electric City」で、いよいよその本領を発揮し始めたと言えます。

 

特に、2021年リリースの「Juibee」の完成度の高い楽曲をゴージャスなストリングスアレンジを交えてライブ音源として再録した「Live At Electric City」は、近年までのドリーム・ポップのアーティストというイメージを払拭し、落ち着いた上品さの漂うシンガーとしての才質が遺憾なく発揮されている傑作です。

 

これまでソングライティングという面では、類稀なる才覚をみせてきたミシェル・ザウナーはこのライブ盤において、エレクトリック・ピアノ、ストリングスのアレンジ楽曲に取り組むことにより、これまでとは異なるシンガーとしての資質を示すことに成功し、本来のザウナーのキュートなキャラクター性と合わさり、クラシカル寄りの雰囲気が醸し出されています。

 

特に、このライブ盤では、「Ballad O」「Boyish」は、一聴の価値有りです。何となく平成時代の日本のポップスを彷彿とさせ、日本人にとっては馴染みのあるような曲で、こういった楽曲はアメリカには存在しないため、珍しく聴こえるのかもしれません。

 

近年の日本のアーティストは平成時代のポップスのメロの良さというのを捨ててしまった感もなくはないですが、意外にもアメリカのアーティスト、ジャパニーズブレックファーストがこの平成時代の日本のポップス性を見事に引き継がれているのに驚く。

 

他にも、Weezerのカバー「Say Aint' It So」のアレンジメントも原曲に引けを取らない上質な雰囲気に彩られています。弦楽器のアレンジメントが秀逸で、ホロリとしてしまうようなセンチメンタルで美しい楽曲が多く収録。ジャパニーズ・ブレックファーストのメロディセンスというのがいかに秀でているのか痛感出来る作品。Weezerのファンはもちろんのこと、インディーロックファンは必聴の一枚です!!




Japanese Breakfastのリリース情報につきましては、Dead Oceansの公式HPを御参照下さい。

 

 https://deadoceans.com/news/japanese-breakfast-releases-live-at-electric-lady-ep/



References


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャパニーズ・ブレックファスト




Debbie Reynolds


 

「Tammy and the BARCHELER」邦題「タミーと独身者」の主演女優を演じるデビー・レイノルズは、オードリー・ヘップバーンやジュリー・アンドリュース以前に登場したアメリカの女優。1932年生まれ、2016年沒。米テキサス州エルパソ出身の女優、歌手、声優として活躍した。

 

16歳の時、カルフォルニア州にバーバンクで、「ミスバーバンク」として選出後、ワーナーブラザーズと契約を結び、映画二本で端役を演じた後、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約する。その後、「雨に唄えば」の主演に抜擢され、一躍、アメリカのムービースターの座に登りつめた。 また、この代表作の後にも、タイタニック号の実在する生存者、モリー・ブラウンを演じた「不沈のモリー・ブラウン」1964では、アカデミー賞にノミネート。そのほかにも、ジブリ映画「魔女の宅急便」のディズニー英語版で、老女役の吹き替えを担当していることでも知られている。

 

女優としては、デビー・レイノルズが登場して間もなく、上記の二人の大女優、ヘップバーン、アンドリュースが映画界を席巻したため、この二人に比べると、知名度という点ではいまいち恵まれなかった印象もなくはない。けれども、この二人を上回る魅力を持った、いかにもアメリカの女優というべき独特な雰囲気をもった名優である。





 

デビー・レイノルズは、女優としても演技力が随一といっても差し支えないはずだが、歌手としても他のミュージックスター達の歌唱力に引けを取らない甘美な歌声を持った名シンガーである。女優としての天賦の才だけでなく、歌手としての素晴らしい秀抜した才覚を示してみせたのが、ロマン・コメディ映画の「タミーと独身者」であった。

 

米ユニバーサルから配給された映画「タミーと独身者」1957は、シド・リケッツ・サムナーの小説を原作とし、ジョセフ・ペブニーがメガホンを取った。年頃の少女が自分の恋心の芽生えに気づいた淡い感情を描いてみせた名作のひとつで、コメディの風味も感じられるが、アメリカらしいロマンティックさに彩られた往年の名画といっても良いだろうか。

 

この映画がどのようなエピソードなのか、大まかではあるが、そのあらすじを以下に説明しておきたい。

 


「タンブレー・”タミー”・タイピーはミシシッピ川の屋形船に、おじいちゃんのジョンディンウィッティと住んでいる17歳の少女。彼女は裸足で駆け回り、沼の外での生活を夢見て、親友のヤギのナンと話して毎日を過ごしている。

 

そんなある日、小さな飛行機が沼に墜落した。タミーと祖父のジョンは、この不意の墜落機を救うために助けにいく。

 

そこで、見つけたのがパイロット、ピーター・ブレントであった。タミーと祖父のジョンは、この青年を助け、彼等の家に連れて行って、彼が回復するのを看病して手伝った。その時、タミーはピーター・ブレントという青年に恋に落ちる。この青年は意識を回復する間もなく、家に帰る必要があり、それをタミーは口惜しく思うが、ブレントは祖父に何かあったさい、ぜひ、自分のところを頼ってきてほしいという約束をタミーと交わす。

 

折しも、数週間後、タミーの祖父のジョンは密造酒を作った廉で逮捕されてしまう。縁を失ったタミー・タイピーは、すぐに件の青年、ピーター・ブレントの住むブレントウッドホールを目指して出発する。 彼女は、ダンスのリハーサル中に到着し、 ピーターが友人と一緒にいるところに遭遇する。ピーターの友人アーニーがパーティーの終わりに、タミーを見つけると、彼女は彼に祖父の投獄のことについて説明する。

 

しかし、ピーターはこれを曲解して、祖父のジョンが死亡したとミセスブレントに教えた。ミセスブレントは、タミーを中に導き入れると、ピーターがブレントホールの事業面での成功が期待される「ブレントウッド# 6」というトマトの自動作成機の開発に忙しいことを知る。

 

その後、タミーは、実は、自分の祖父は投獄されただけであり、死亡していないことを皆の前で打ち明けるが、このことで、ミセスブレントはタミーに対して大変立腹し、彼女を追い返そうとする。しかし、本人のピーターブレントと彼の叔母レニーは、タミーがこの地に留まるように説得した。

 

その後、ピーター・ブレントの婚約者バーバラビスルがブレントウッドホールに立ち寄る。彼女の叔父は、ピーターにトマトの自動作成機の開発をやめるようにと、そして、広告ビジネスで一緒に働こうではないか、と彼に申し出る。ところが、ピーター・ブレントはこの申し出をあっけなく断る。

 

ちょうどこの週は、(復活祭の)巡礼の期間に当たり、ブレントウッドホールもその巡礼の地に含まれていた。ピーターの叔母レニーは、タミーに曾祖母が着ていたドレスを渡す。ミセスブレントとレニーは、タミーが。その夜に、曾祖母クラチットの幽霊のフリをすることを提案する。その夜、タミーは、ゲストのためにある物語を語り、それまで反りの合わなかったミセスブレントをはじめ全ての人を魅了することになる」

  

 

タミーと独身者」という映画の最後の結末まであらすじを書くのは、ネタバレになってしまうので遠慮しておきたい。全体的には、コメディタッチのあらすじであるものの、その下地にアメリカらしい美麗なロマンチシズムが漂う名画という印象を受けなくもない。あまり、映画については詳しくないため、ちょっと自信に乏しい。どころか、プロットについても簡潔に説明できている実感もない。でも、ひとつたしかなのは、映画の歴代のサントラの屈指の名曲として挙げられる「Tammy」は、この巡礼週間の夜、窓辺でロマンチックに歌うタミー扮するデビー・レイノルズのロマンティックな瞬間を、ワンシーンのカットで、実に見事に描いてみせたということである。

 

特に、女優としてのしての力量もさることながら、さほど体格として大きないのにも関わらず、歌手として伸びやかで、素晴らしい声量にめぐまれているのがデビー・レイノルズなのである。 

 

この映画の劇中歌としてうたわれる「Tammy」という一曲は、ミュージカルの風味もあり、バラードとしても超一級品。映画の象徴的なワンシーンを、ドラマティックかつ麗しく彩っている名曲で、アメリカの古い映画らしいミュージカルの影響を受け継いだ名曲といえる。コメディ映画の性格を持ちながらも、劇中歌としてシーンに挿入される「Tammy」は、涙ぐむような一度しかない十代という青春の切ない叙情性が滲んでいる。

 

この後、ヘップバーンやアンドリュースといった新鋭の女優に先んじられた印象のあるデビー・レイノルズである。しかし、私は、この女優、そして、この歌がとても大好きでたまらない。

 

実際の映像を見ずとも、自然に、映画の中で描かれている美しい情景、甘美なワンシーンがまざまざと目に浮かんでくる正真正銘のサウンドトラック。名女優デビー・レイノルズが歌手としても抜群の才覚を持っていたのは、「Tammy」という歴史的な名曲が証明づけている。

 

映画「タミーと独身者」は、興行面においては、製作者側の期待ほどに振るわなかったようであるものの、劇中歌「Tammy」は、サウンドトラックとして、当時、全米で大ヒットとなった。今、聴いても、全く色褪せない、素晴らしい感動を与えてくれる永遠の名曲である。




荒内佑

 

 

荒内佑さんは、ceroの活動で、キーボード/ピアノを演奏、それに加え、作曲、作詞を担当しているミュージシャンです。

 

これまでセロの活動内では、J-Pop,ヒップホップ、またその他にもクラブミュージックの要素を交え、日本語歌詞の新たな語感を追求し、これまでになかったタイプの新鮮味あるJ-Popを生み出しています。

 

ceroは活動最初期には、「大停電の夜に」に象徴されるように、インディー・ロック、あるいはオルタナティヴ・ロックの方向性を持ったロックバンドでしたが、徐々に、ラップやクラブミュージックの要素を実験的に取り入れ、様々な音楽性を交え、JPopの先にある音楽を生み出しています。

 

そして、ceroではキーボード奏者としてこのバンドサウンドを支えている荒内さんは、フロントマン、ヴォーカリストの高城晶さんと共に、ceroの音楽性に漂う主要なアトモスフェールを形作っており、このバンドになくてはならない不可欠な存在といえるでしょう。

 

ceroは元々、バンドサウンドとして三者のミュージシャンが集ったというよりかは、三者の独立したミュージシャンが集い、新たに個性的なサウンドを生み出すという、普通のロックバンドとは少し異なるスタイルで今日までの活動を行ってきているバンドであるため、バンド活動だけに執着するのではなく、時々、バンド形式での活動の合間に、独立したアーティストとしてのソロ名義作品をリリースし、柔軟性を持った活動領域、バンド活動の外側にも自分たちの音楽性を発揮する空間を設けています。

 

荒内佑さんは、音楽の探求者ともいうべきミュージシャンであり、なおかつ今日流行の音楽だけではなく、ライブラリー音楽にも通暁しているアーティスト。音楽的興味は、きわめて幅広く、ポップス、ヒップホップ、クラブミュージックといった現代の音楽にとどまらず、ライヒ、グラス、テリー・ライリーといったミニマル・ミュージックをはじめとする現代音楽、その他にもドビュッシーやメシアンといったフランスの近代音楽にも親しんできているアーティスト。ご本人は、自分はプレイヤーではなく、コンポーザーであるとおっしゃってますけれども、彼の生み出す音楽は、実験性、創造性、芸術性、美的感覚、どれをとっても、並外れた才覚をもった秀逸な楽曲ばかりです。

 

現在の日本のアーティストの中でも、非凡な才覚を有し、なにより、音楽に対する深い求道心を持った真摯なアーティストとして、注目しておきたいミュージシャンのひとりです。




「Sisei」 2021 カクバリズム

 




Tracklisting


1.Two Shadows

2.Arashi no mae ni tori wa

3.Petrichor

4.Whirlpool

5.Lovers

6.Clouds

7.Understory

8.Protector

9.Sisei(of Taipei 1986)

 


 

 

今年八月にリリースされた「Sisei」は、文豪、谷崎潤一郎の最初期の耽美主義の作品「刺青」という傑作に因んで名付けられた作品。今年の日本のリリースの中でも屈指の名作のひとつに挙げられるでしょう。

 

この作品「Sisei」は、アート性の高いアルバムジャケットからして、キュピズム、フォービズムをはじめとする絵画芸術を思わせるニュアンスが込められていますが、ナイジェリア出身、現在LAを拠点に活動している画家、ジデカ・アクニーリ・クロスビーの作品にインスピレーションを受けて制作されたスタジオ・アルバム。

 

アルバムジャケットとして使用されているデジカ・アクリー二・クロスビーの絵画は、写真や雑誌を切り抜いてのコラージュ作品を主な作風としているアーティストで、タイトルについても、横たわる女性の腕にタトゥーが入っているように見えたことに因む。ただ、このタイトルには刺青の本義の他にも、姿勢、それから死生という様々な複数のニュアンスが込められているようです。その絵画芸術としてのコラージュ法に影響を受け、サンプリングとしての音楽性を追求しようという意図で作られています。

 

この作品では、共同プロデューサーとしてベーシストの千葉広樹、ドラマーの渡健人、ヴィブラフォン奏者、角銅真美をはじめとする、これまでceroのリリース作品に参加してきた管弦楽器プレイヤーが参加しています。

 

その他にも、Julia Shortreed、Corey Kingがゲストとして参加し、今作の実験音楽色の強い風味に寛ぎと和らいだ雰囲気を付け加えています。

 

今作のチェンバーポップ色を表向きの特徴とする作品は、様々な彩が織りなされ、独特な色を生み出しています。

 

ceroでの作品はどちらかといえば、種々雑多な音楽性を交えながらもヴォーカル曲として意味合いが強い作品が多いですが、Arauchi Yuとしてのソロ作品はceroの音楽的なアプローチとが異なり、現代的な雰囲気を漂わせ、そこに現代音楽、とりわけライヒ、グラス、ライリーといったミニマルミュージックの巨匠の音楽性、それに加え、モダンジャズやクロスオーバージャズの雰囲気が付け加えられ、独特な楽曲性を感ずることができます。ここで展開されるのは、ストリングス、クラリネットをはじめとするホーンによるモダン・ジャズの延長線上を行くものであり、またそこはかとなくアシッド・ジャズのような音楽性からの影響もなんとなく感じられる。また、そこに、日本のアーティストらしい叙情性が表されていることに着目しておきたいところです。

 

もちろん、英語の歌詞といい、現代の海外のクラブアーティストのようなグルーヴを打ち出し、海外の音楽のように一見聞こえますけれど、また、そこに、「和モダン」とも喩えるべき日本のアーティストらしい精神性がこの作品を魅惑あふれるものにし、説得力溢れるものにしています。

 

ミニマル・ミュージック、フランスの近代作曲家の音楽性を踏襲した上、そこにモダン・ジャズという立体的な構造を与えることにより、表題曲「sisei(of Taipei 1986)をはじめとする楽曲に代表されるように、落ち着いて、おだやかで、叙情性があり、耳に馴染みやすいファッショナブルな音楽として完成させている。

 

おそらく、これは、長年培ってきた荒内佑さんの多岐にわたる音楽の広範な知識を活かし、それをどのように、コンポーザーとして駆使するのか、そして、また、どのように、アート音楽として「デザイン」するのか。これまでのceroの鍵盤奏者としての活動において、数えきれないほどの試行錯誤を繰り返してきたからこそ、ここで、芸術音楽家としての到達点が今作において見いだされたと言えます。ceroとは一味違った気鋭のアート・ミュージック・コンポーザー、荒内佑さんの類まれなる才覚、前衛性が体感できる素晴らしい傑作として、今回紹介させていただきます。


 

 

作品「Shisei」の詳細につきましては以下、公式HPをご参照ください。

 

Arauchi Yu Official 

 https://arauchiyu.com/

 

 

 

References 


arauchiyu.com

https://arauchiyu.com/

mikiki.co.jp

 

 

Radiohead en Barcelona, Daydream Festival"Radiohead en Barcelona, Daydream Festival" by alterna2 is licensed under CC BY 2.0


Radioheadは、11月5日にUHQCDの三枚組「KID A」のリリースを目前に控えていますが、昨日、TwitterのRadiohead公式アカウントにて、これまで未発表曲、幻の音源としてお蔵入りしていた「Follow Me Around」のPVを公開致しました。

 

最近のダブステップ界隈のアーティスト、Burialとのコラボを初め、クラブミュージック寄りのアプローチを図っているトム・ヨークでありますが、この楽曲は往年のファンにとっては懐かしさがあり、以前とは異なるレディオヘッドの魅力を見出す良い契機となりえるかもしれません。

 

新たにレディオヘッドがyoutubeでアルバム発表に先駆けて公開した「Follow Me Around」は楽曲自体は1990年代にレコーディングされていながらも、現在までオフィシャル形式では発表されてこなかった作品で、いかにもらしい、ローファイ色溢れるインディーロックとなっております。

 

聞くところによれば、「Follow Me Around」は、ブートレッグとしては流通していて、コアなレディオヘットファンには馴染みの曲になっているのだそう。いずれにせよ、今週の最注目のリリースは、UKロックの金字塔といえる「KID A」のリマスター版に加えた五曲のボーナス・トラックにあることは間違いありません。

 

UKロックファンにとどまらず、洋楽ロックファンにとっても今回のレディオヘッドの再発盤リリースは見逃せません。ちなみに、このPVには、俳優のGuy Pearce氏が主演を務めており、現代の監視社会を象徴するかのようなメッセージ性の見いだされる秀逸な映像作品として楽しんでいただけることでしょう。もちろん、楽曲としても、往年のレディオヘッド節が炸裂。あらためて、UKの90年代のインディー・ロックの素晴らしさが体感していただけはずです。

 

 

 Radiohead 「Follow Me Around」
Listen On :



https://m.youtube.com/watch?v=nrxWiU_v9Qs

 


英国の1970年代の文化を形成したパンクロッカーたち、Sex Pistolsやその後のハードコア・パンクのDischargeに代表されるような、革ジャンに、破れたTシャツ、スパイキーヘアといったエキセントリックというべきファッションスタイルは、今やほとんど過去の風物として忘れさられた感がある。

 

特に、この破れたTシャツに黒いライダース風の分厚い革ジャンを着るスタイルは、現在のユニクロファッションのようなお手軽感のあるファストファッションの元祖である。実は、このファッションは、元をたどれば、1970年代のNYのバワリー街というソーホーの裏手、ウェストヴィレッジの奥まった区画のバックストリートにあるスラム街のような場所、その一角にあるニューヨークの伝説的ライブハウス「CBGB」に出演していたラモーンズと呼ばれる若者の象徴的なファッションスタイルであった。 

 

 

Ramones-liner"Ramones-liner" by I'm Heavy Duty! is licensed under CC BY-NC 2.0

 

 

この「バワリーストリート」というウェストヴィレッジの最も奥まった区画に位置する元は億万長者が住んでいた悪名高き一角に、ヒリー・クリスタルという「ヒリーズ・オン・ザ・バワリー」というホンキートンクバーを経営していた人物が、この最初の店の後に最愛の妻と一緒に初めたのが「CBGB」というライブハウスだった。ウェストヴィレッジのバワリー街は、NY最も歴史のある街であり、植民地時代、ボストンへの郵便輸送ルートの要地だったようだ。

 

元々、景気が良かった時代には、新世界に現れたビリオネア、億万長者たちが住まうていた土地だったが、独立戦争後、イギリスの駐軍兵がNYに多く入ってくると、これらの兵士の娯楽施設が必要だったためか、このバワリー街は徐々に没落していき、治安の方もあまりよろしくなくなっていって、サロン、闘鶏場、闘鼠場、売春宿、ストリップショーといった店が立ち並ぶようになり、歓楽街の様相を呈し、この界隈は、当時の海外旅行ガイドブックで危険地域として指定されるほど治安の悪い場所となり、浮浪者、アルコール中毒者、無法者が多くこの界隈を根城とするようになった。そのことにちなんで、ヒリー・クリスタルは「栄養不良の食通のためのカントリー、ブルーグラス」という意味合いで、このような皮肉じみた屋号をつけた。 

 

他方、デヴィッド・ボウイ、ルー・リードといったスターが出演していた比較的、治安の良い場所にあるマクシス・カンサス・シティとはきわめて対象的に、NYアンダーグラウンドの聖地とも呼べるライブハウス”CBGB”は、後になると、マクシス・カンサス・シティとともに、ニューヨークパンクのメッカと喩えるべき場所となった。

 

経営者ヒリー・クリスタルは、当初、この後の時代にアメリカでカントリー音楽が流行ると見込んでいた。しかし、その当てははずれ、彼は後に、このパンクシーンを形づくる第一人者として、「カントリーが流行るのはこの土地ではなかった」というように、いくらか悔しそうにこの1970年代について回想する。ヒリー・クリスタルは、元々、カントリー、ブルーグラスといったトラディショナルな演奏家を、自分のライブハウスCBGBに出演させて、このライブハウスで演奏させるつもりでいたが、次第に、こういったカントリー音楽を聞きに来る客はドリンクも食事もろくに頼まないので、ライブハウスビジネスとしての収益が全然見込めないと気づいた。そこで、ものはためしと、ヒリー・クリスタルは最愛の妻と相談をし、ロック音楽をこのライブハウスに取り入れることに決めたのだった。


プランの手始めとして、幾つかの店内の改装を自らの手で施し、さらにアンディー・ウォーホールの通称バナナジャケットのアルバムデザインでひと稼ぎしたテリー・オークが所有するロフトに出演していた新鋭のロックバンド、テレヴィジョンをこのライブハウスに出演させることに決めたのである。 

 

実を言えば、このCBGBの経営者ヒリー・クリスタルは、ロック音楽に非常に疎い人間であったと、自らロック音楽について話している。元々、第二次世界大戦中、アメリカ海軍の兵士として生きた人間だからか、古風でダンディズムな気質があり、ロックどころか、パンクのがちゃがちゃした音が最初は気に食わなかったらしい。もしかすると、同じニューヨークのライブハウス、マクシス・カンサス・シティで流行っていた、ニューヨーク・ドールズ、ルー・リード、デヴィッド・ボウイをはじめとする”グリッター・ロック”と呼ばれる面々の華美なロックンロール音楽というのは、このヒリー・クリスタルというアメリカ海軍上がりのカントリー、ブルーグラスをこよなく愛す、きわめてハードボイルドな気質を持つ人物の目には、女々しく映ったかもしれない。

 

それに加え、こういった彼のライブハウスを訪うロックバンドのメンバーの連中は、常に自信満々で、「俺達は最高だ!」と皆口を揃えて言ったりするのに、ヒリー・クリスタルは彼等より年上の人物として、いささか辟易としていた。しかし、ヒリー・クリスタルは、ライブハウスを訪れるロッカーたちの若者たちの目の輝きを見たとたん、この若者たちを信頼してみようという気になった。

 

既に、かなり有名なエピソードとなっていますが、テレヴィジョンが週一でこのライブハウスCBGBのレギュラー出演を獲得した際には面白いエピソードがある。


「お前たちはカントリーが演奏できるか?」というヒリー・クリスタルの問いに対して、テレビジョンのギタリスト、リチャード・ロイドは、「カントリー、ブルーグラスでも、なんでもお望みのものはなんでもやる」と言い放ち、CBGBのレギュラー出演の座を半ば経営者をはぐかして勝ち取ってみせた。


その後、テレビジョンのギタリスト、リチャード・ロイドはバンドを大々的にNYで宣伝してもらうため、映画「理由なき反抗」の監督ニコラス・レイに頼み、「君たちはパッションを持った4匹の猫だ」、NYの「16」誌の編集者ダニー・フィールズには、「泣かせてくれるぜ。こいつらは釘のようにタフだ」と、適当なバンドの宣伝文句を広告や雑誌等の媒体に打ってもらい、テレヴィジョンというロックバンドの存在は、NYでそれなりに知られるようになっていく。 

 

そして、これが、ロンドンに先駆けて、パンク・ロックという文化がニューヨークに誕生した瞬間だ。というか、ロンドンのパンクロック文化は後追いとして発生したもので、NY文化をなぞらえ、それを発展させ独自の文化として成長させていったもの。ここで、もし、ヒリーがテレヴィジョンの面々に実際にライブハウスでリハーサルでもさせていたなら、カントリーが演奏できないことが露見し、パンク・ロックはNY、それどころか、世界で誕生しなかった。もちろん、テレヴィジョンは、それまで一度たりとも、カントリー、ブルーグラスを演奏したことはなく、以後もカントリーを演奏したこともほとんどないのにもかかわらず、上記のように言ってのけた。経営者ヒリー・クリスタルを半ばはぐらかしてライブハウスの週一回のレギュラー出演を手に入れたことにより、このニューヨークパンク、それに続くロンドン・パンクという若者文化は始まったというのは有名な話だ。これはバワリー街という治安の悪い場所で発生したカウンターカルチャーであり、上記のニコラス・レイの適当な宣伝文句を見てわかるとおり、パンクという音楽は多くのニューヨーカーにとっても、無論、先進的な気風を持つ映画監督や編集者にとっても得体のしれぬものでしかなく、その最初はいかがわしいものでしかなかったのだ。


 

その後、このカントリー、ブルーグラス専門のライブハウス「CBGB」は、テレヴィジョンの出演を契機として、ロックミュージックが中心に演奏されるようになっていく。このテレヴィジョン、その他にも詩の朗読をライブステージで行う女性詩人、最初の女性パンクロッカーとして名高いパティ・スミス、そして、最初に性転換を行ったロックミュージシャン、荒くれもののウェイン・カウンティが、CBGBでのレギュラーの座を獲得する。その後、登場したのが、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、ミンク・デヴィル。それから、ニューヨークパンクの基礎、後のロンドン・パンク勢に多大な影響を及ぼした四人組の若者、ラモーンズだった。


メンバー四人全員が「ラモーン」と名乗り、全員が長髪で、ダメージドジーンズ、Tシャツ、革ジャンという特異ないで立ちをした中産階級の四人の若者たち。彼等四人が、「ラモーン」というステージネームを名乗ったのは、ビートルズのポール・マッカートニーのステージネームにあやかった。ザ・ビートルズが、ドイツ、ハンブルグで”シルバー・ビートルズ”として活動していた際、マッカートニーが「ポール・ラモーン」というステージネームを使っていた。(これはあくまで、ディー・ディー・ラモーンの発言による俗説に過ぎないと付け加えておく必要がある)

 

最初、ラモーンズの面々を、CBGBの経営者ヒリー・クリスタルに紹介したのは、ご存知、アンディー・ウォーホールのアルバムジャケットを手掛けたテリー・オーク。彼は、特に、この最初のパンクムーブメントの立役者のひとりで、実のところは、自主レーベル、オーク・レコードを運営し、パティ・スミスの作品をリリースしたり、アンディー・ウォーホール以上に、この新しいニューヨークの音楽シーンを活性化させようとしていた。テリー・オークの努力には瞠目すべきものがあり、「ソーホーニュース」にこのライブハウス、この場所に出演するミュージシャンを宣伝し、また一人でドリンクを大量に頼むことにより、このニューヨークで始まった新たな音楽の潮流を明確な形にしようと奮起していた。

 

そして、テリー・オークが最も期待のバンドとして連れてきたラモーンズは、CBGBにレギュラーとして出演するまもなく、ニューヨークの若者の間で絶大な人気を博すようになる。このラモーンズが登場したときの衝撃というのは筆舌に尽くがたいものであった。たったひとつかふたつのパワーコードしか演奏されない、実にシンプルな演奏を特徴としていたが、これは彼らの登場以前には存在してなかった音楽だったのだ。


ラモーンズは、活動初期からスタイルを変えず、解散の時期まで全力疾走を続けたロックバンド。一曲は、長くても、二分、あっという間に曲が流れていき、曲間MCも皆無。無駄を徹底的に削ぎ落としたシンプルでソリッドなロックンロール音楽。何らのひねりもない直情的なロックンロール音楽。しかし、ラモーンズが、このライブハウスでライブのステージングを行う瞬間は、CBGBを訪れる多くの若者達を魅了した。彼等のライブでは、若者たちが熱狂的な歓声を上げ、うっとりする客も少なからず。当初、彼等のライブの出演時間は、だいたい、十五分程度であったが、徐々に、十五分の尺が、二十分へと膨らんでいくことになる。

 

 

そもそも、ラモーンズというパンクロックバンドが、それまでのロック・バンドと何が違っていたのか説明しておかなければならない。それ以前のニューヨークで活動するロックバンドは、悲劇のロックンローラー、ジョニー・サンダースを擁するニューヨーク・ドールズをはじめとするグリッターロックと呼ばれるグラムロックに近い音楽が主流だった。カラフルでパーマをくるくるとかけた髪、人形のようなけばけばしい化粧をほどこし、ヒールの高いブーツを履いて、女性の着るドレスのような格好を身にまとう。これは、最初のカウンターカルチャーの発生だが、後のデビッド・ボウイ、そして、ファッションデザイナーの山本寛斎が取り入れるような新奇なファッションスタイル中性的な服装を、これらのNYで活躍するグリッターロックバンドは好んで身につけていて、もちろん、そのスタイルは「ワイルドサイドを歩け」リリース時代のソロ活動をしていたルー・リードの中性的なファッションに引き継がれていった。


この後の世代の1970年代に、NYのパンクシーンに登場した前衛的なファッションを好む男女の若者たち、ウェイン・カウンティ、リチャード・ヘル、ラモーンズの台頭は、その前の時代のニューヨークのミュージシャンのファッション性とは、全くと言っていいほど相容れないものであった。同じく、CBGBを拠点に活動していた女性詩人、パティ・スミス、リチャード・ヘルのファッション性を受けついで、ダメージドジーンズにTシャツ、コンバースのスニーカー、バイカーの好むような革のライダースジャケットというファッションスタイル。この四人全員が「ラモーン」と名乗るNYのクイーンズフォレスト出身の中産階級の若者達の服装は、ものすごくシンプルでありながら、現在のファストファッションのスタイルに近い、ストリートファッションの要素を1970年代において自然に取り入れていた。彼等四人のファッションは、CBGBのステージライトに照らし出され、このライブハウスを訪れた観客の目にどれくらいクールに映ったのかは想像に難くない。

 

そして、音楽性においても、ラモーンズは、革新性の高い、インスタントファッションのような魅力を擁していた。デトロイトのMC5のガレージロックを下地にし、そこに、ビーチ・ボーイズ、ベイ・シティ・ローラーズ等のサーフロックのわかりやすい音楽性を取り入れ、キャッチーでわかりやすいメロディ性、跳ねるようなリズム、矢継ぎ早に繰り出される8ビート、そして、前のめりな「Hey Ho Let's Go!!」という威勢の良いコール。それに引き続いて、「1.2.3.4」という彼等の代名詞といえるドラマーのカウント。全てが完璧。彼等の存在は、力が抜けて、すべてあるがままなのにもかかわらず、自然なかたちでロックスターとしての風格が漂っていた。 

 

 

1st Album 「RAMONES」


1976

 

 

彼等ラモーンズの音楽は、言ってみれば、ビートルズ、ビーチボーイズのレコードの回転数を、無理やり早めたような音楽として、当時のNYの人々、取り分け、このCBGBを訪れた観客たちには聞こえたかもしれない。あまりに痛快で、シンプルなロックンロール。しかし、これが当時のニューヨークの若者の心を見事に捉えてみせたことは事実である。そして、ラモーンズは、NYのパンク・ロッカーとして、最初にメジャーレーベルと契約を結び、国内にとどまらず、イギリスやヨーロッパツアーを敢行し、その過程でラモーンズのファストファッションが海外の若者たちにも知られていく。最初、現地の音楽評論家の中には、彼等の音楽性に辛辣な評価を下す人もあったが、ラモーンズは、次第にニューヨークの若者に絶大な信頼を得て、このライブハウスCBGBの営業面で多大な貢献を果たし、看板アーティストとなったのである。

 

 

最初にも述べたように、このバイク愛好者の着る革のライダースジャケットに、ダメージドジーンズ、に加え、カットソー、スニーカーという、ラフでシンプルなファッションスタイルは、その数年後に、海を越えたロンドンのパンク・ロッカー、オールドスクールパンクのミュージシャンに引き継がれていく。現代、このスタイルは、ライダースジャケットでなく、ごく普通のフォーマルなジャケットスタイルに進化しているが、その他のスタイル、全体的な服装のシルエット自体は50年が経っても、現在のファッション性とそれほど変化がないことに驚く。

 

そして、ロンドンの若者たち、殊に、マルコム・マクラーレンが経営していたブティック”SEX”に屯するパンク文化を最初にロンドンにもたらしたロットン、ヴィシャスという若者は、このNYのバックストリート発祥のファッション、ラモーンズ、パティ・スミス、リチード・ヘル、といったNYのパンクロッカーの醸し出すデンジャラスな雰囲気に惹かれ、このファッションの要素に、カラフルな髪の色、安全ピンという独特なファッションを取り入れたのだ。

 

このストリートファッションが、やがて、GBH、Discharge、Chaos UKといったイギリスのハードコアバンドのスタイル、スパイキーヘアに代表される過激で先鋭的なファッション性に繋がっていく。また、ロンドンの若者のファッションスタイルはデイリーユースでなくて、NYのグリッターロックファッションの方向性に回帰を果たしたかのように思える。ラモーンズファッションとは異なり、このロンドンの若者たちの服装は、エキセントリック過ぎ、使いがってが良くないため、一般のファッションとして流行ることはなかったけれども。

 

しかし、パンクファッション、ストリートファッションの源流を形作ったラモーンズの現代的な服装については、現在も受け入れられるような普遍性が宿る。特に、Tシャツ、デニム、スニーカー、という普遍的なファッションスタイルは、この後に流行するファストファッションの元祖と言えるし、時代を選ばない永遠不変のクールなファッションスタイルだ、もちろん今も変わらず。


 


 

References 

 

CBGB伝説 ニューヨークパンクヒストリー CBSソニー出版 ローマンコザック著 沼崎敦子訳



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