グソクムズ

 

グソクムズは、東京、吉祥寺を拠点に活動する四人組のシティ・フォークバンドで、2014年に、たなかえいぞを(Vo.Gt)、加藤佑樹(Gt)中心に結成されました。

 

活動当初は、現在とは全く異なるプロジェクト名を冠して、フォークデュオの形態でゆるく活動を行っていたようではありますが、2016年、堀部祐介(Ba)が加入、さらに2018年に中島雄士(Dr)が加入し、現在のバンド体制が整う。グソクムズの音楽的な背景は、往年の日本の名バンド、はっぴいえんど、高田渡、シュガー・ベイブスなどのフォーク音楽にあり、これらのバンドの音楽に強い影響を受けている。


彼らのバンドサウンドは「ネオ風街」と称されるように、細野晴臣直系のフォークサウンドを継承する現代のバンドです。グソクムズは、森は生きている、Predawnの次の世代を行くリバイバル・フォークサウンドを2020年代に推し進めようとしています。

 

またバンドとしてはメディアへの出演経験があり、2020年に雑誌「POPEYE」に掲載されている。同年8月には、TBSラジオにて冠番組「グソクムズのベリハピラジオ」が放送されている。 

 

グソクムズは、これまで自主レーベルから「泡沫の音」をはじめ、二枚のシングルとミニアルバム「グソクムズ系」をリリース。2021年には、電子音楽やポストロック系音楽を中心にリリースするご存知P-VINEと契約を結び、7インチシングル「すべからく通り雨」を発表、タワーレコードをはじめ、東京のインディーズシーンで大きな話題を呼んでいます。

 

グソクムズのサウンドは、ここ十年来の吉祥寺のスタジオペンタ系列のライブハウスのロックバンドの系譜にあり、ゆるく、まったりと、おおらかなオルタナティヴの気風に彩られている。

 

こういった音楽は、ここ十年来、吉祥寺のライブハウスにありふれたものでありながら、誰も彼もが明確な形として昇華しきれないもどかしさを覚えていました。それは、それぞれが、渋谷、下北沢とは異なる吉祥寺独自の音楽を不器用に貪欲に探しもとめていたということでもあるのです。

 

グソクムズのサウンドには、先を行った数多くのミュージシャンの熱い想いが宿っていて、ここ十年来の吉祥寺の数多くのバンドが引き継いできた音楽に対する愛情と気風を感じざるをえません。ここ十年、駅前で複数のライブハウスが協賛して、音楽フェス等を開催し、「音楽の町」として盛り上げようと苦心惨憺を重ねてきた東京吉祥寺が、満を持して日本のミュージックシーンに送り込んだインディー・フォークバンドです。 

 

 

 

 

「グソクムズ」 P-Vine  2021 

 



 

1.街に溶けて

2. すべからく通り雨

3. 迎えのタクシー

4. 駆け出したら夢の中

5.   そんなもんさ

6. 夢が覚めたら

7. 濡らした靴にイカす通り

8.   グッドナイト

9.   朝に染まる  

 

 

 

 

 

 

さて、今週の一枚として紹介させていただくのは、グソクムズのデビューアルバム「グソクムズ」となります。このアルバムはデビュー・アルバムとは思えないほどの完成度の高さ、十年以上メジャーで活動を行ってきたような貫禄を感じさせる作品です。

 

バンドの中心人物の”たなかえいぞを”は、若い時代から両親の影響で、カーペンターズやサイモン&ガーファンクルといった往年のアメリカンフォーク、ポップスを聴いてきたようです。それに加え、日本のシティ・ポップサウンドの源流をなすシュガーベイブス、はっぴいえんど、といったバンドの音楽からの影響を公言しています。

 

日本のシーンには、こういったバンドに影響を受けたミュージシャンが、他にも、スカート、トクマルシューゴをはじめ多く見受けられますが、グソクムズは、それらの日本のインディー・シーンの系譜にあたり、LAのリバイバルムーブメントとは異なる日本独自のリバイバルシーンの台頭を予見するかのような淡いサウンドの魅力によって彩ってみせています。


このアルバムで展開されていく音楽は、誰もが一度くらいはラジオなどを通して聴いたような懐メロ寄りのサウンド。メロディーやコードの構成にせよ、リズムの独特な運び方にせよ、そういったシティポップサウンドを踏襲していることはたしかですが、そこに現代的な要素を加え、おしゃれで洗練されたサウンドに仕上げているのは、ロサンゼルスやニューヨークのリバイバルバンドの動きと通じているような印象を受けます。

 

 

そして、このバンドの最大の魅力というのは、良質なメロディ、強かな演奏力に裏打ちされた、誰が聴いても何となく良さが分かるポピュラー性にあります。それはフロントマンの”たなかえいぞを”の細野晴臣を彷彿とさせる温かく包み込むようなヴォーカルの声質がバンドサウンドに深みをもたらしているからこそ。LAでは、今まさに、日本のシティ・ポップの人気が高まってきているようですが、それに比する、いや、いや、以上の資質をそなえたシティ・フォークサウンドが、今作において味わい深く展開されています。

 

グソクムズのデビューアルバムの中では、先行の7インチ・シングル「すべからく雨の中」「グッドナイト」の出来が際立っているように思われます。


特に、リードトラックの「街に溶けて」のネオアコサウンド風に心惹かれるものがあります。ノスタルジックでありつつ、現代性も失っていない。そして、過去と現代の間で、センチメンタルに揺れ動く切なさ、淡いエモーションが日本語フォークとして体現されていて、近年のJ-POPの中でも、屈指の名曲と言っても良いでしょう。

 

そして、「街に溶けて」のメロウでゆったりした名バラードにこそ、吉祥寺サウンドの本来の魅力が詰め込まれている。それは、先にも述べたとおり、この十年来において、ストリートサウンドとして数々のバンドが真摯に追究してきた音楽性でもあります。

 

かつて、ある吉祥寺のライブハウスの店長が、「吉祥寺のロックバンドの持つ音楽性には、他の町とは異なり、流行に流されない普遍性がある。それは、新宿とも八王子とも異なるんだ。そういった音楽シーンをこの町に作っていきたい」と話していましたが、彼が既に現場のスタッフではなくなった後、その切望が実現したというのは少し寂しくもあります.....。

 

それでも、グソクムズの日本のインディーシーンへの台頭、彼らの素晴らしいデビュー作は、全国区の「吉祥寺サウンド」が完成したことの証明にもなる。今作は、ローファイサウンドの盛んなLAあたりで結構人気の出そうな作品です。いずれにしても、P-Vineの素晴らしい新人発掘力、目の付け所の鋭さには感嘆するよりほかなし。

Jeff Parker


 
ジェフ・パーカーは、LAを拠点に活動するアメリカのジャズギタリスト兼作曲家。コネチカット州出身、バージニア州ハンプトンで育ったジェフ・パーカーは、カルフォルニアのバークリー音楽院でギターを学んだ後、1991年からシカゴを拠点に、実験音楽家、ジャズプレイヤーとして活動しています。
 
 
現在も、ジャズ、エレクトニック、ロックと様々な音楽を融合した斬新なギター音楽を紡ぎ出しているアーティストです。
 
 
これまでジェフ・パーカーは、シカゴのインディーシーンの象徴的なポスト・ロックバンドの活動、作品制作に数多く携わっています。
 
 
Tortoiseのギタリストとしての活動をおこなっているほか、シカゴのインディーシーンの重要なバンド、Isotope 217°の、ジャズ・アンサンブル、Chicago Undergroundの発起人でもあり、2000年代には、クリエイティヴミュージシャンの進歩を助ける協会”AACM”の会員に名を連ねています。 
 

上記のバンドとは別に、Andrew Bird、Yo La Tengoをはじめ、数多くの秀逸なアーティストとの共同制作を行い、ならびに、Jeff Parkerとしてのソロ名義での活動も行っています。
 
 
2021年までにジェフ・パーカーは、通算7枚のスタジオ・アルバム
 
 
「Like-Coping」2003、
「The Relatives」2005、
「Bright Light in Winter」2012、
「New Bread」2016、
「Slight Freedom」2016、
「Suite for Max Brown」2020
「Forfolks」2021
 
を発表しています。
 
 
特に、ジェフ・パーカーのソロ作品は、モダンジャズとしての国内外のメディアにきわめて高い評価を受けています。
 
 
「New Bread」「Slight Freedom」の二作はThe New York Timesが2016年のトップジャズリリースとして選出しています。また、「Suite for Max Brown」は、英国ガーディアンの日曜版「The Observer」の紙面において、2016年のトップジャズアルバムに選出されていることにも注目です。

 

 

 

 

 「Forfolks」 International Anthem  2021

 


 

 

これまで、Tortoise、Isotope 217°、といった実験的ロックバンドの活動において、また、Chicago Undergroundでのジャズ・アンサンブルにおいて、コンピューター・テクノロジー、ロック、ジャズ、電子音楽を交えて、様々な音楽の混淆、未知なる音楽へのアプローチに三十年もの間、挑戦しつづけてきたジェフ・パーカー。
 

2021年12月10日にリリースされたソロ・ギター作品は、ジェフ・パーカらしい前衛性が垣間見える作風で、音楽本来のプリミティヴな魅力を楽しんでいただけるでしょう。
 
 
「Forfolks」は、これまでのジェフ・パーカーの作品に比べ、ジャズ・アンサンブルというより、ジャズ・ギターに焦点を絞った硬派なギタリストとしてのアプローチが貫かれた傑作といえ、ジェフ・パーカーのジャズギタリストとしての並々ならぬ情熱が感じていただけるはずです。
 
このスタジオ・アルバムには、ウェス・モンゴメリーのようなジャズギターの巨人に対するリスペクト、フォーク音楽を始めとするアメリカのルーツミュージックに対する憧れに近い、内側の熱情を外側に静かに表出した作品です。
 
 
今回のスタジオアルバムには、セロニアス・モンクのカバー「Ugly Beauty」、ジャズ・スタンダードの「My Deal」のほか、1997年にIsotope 217°、Tortoiseと制作を行った「La Jetee」をはじめ、六曲のオリジナル曲が収録されています。これらの楽曲は、2021年6月、カルフォルニア州のジェフパーカーの自宅にあるスタジオSholo Studioで僅か2日間で録音されました。
 
 
このスタジオアルバムに収録されている楽曲は、ジャズ・ギターの原始的なみずみずしい演奏の魅力が宿っています。しかし、その中に、いかにも、これまでシカゴのインディーシーンの中心人物として活躍してきたジェフ・パーカーらしい前衛性が発揮され、楽曲中にループを多用し、それを層状に連ね、メロディックな即興のギター演奏、電子音楽のテクスチャーが融合、実験音楽としての意義を失わせない斬新なアプローチをジェフ・パーカーは本作において図っているのです。
 
 
「私は、自分が彷徨うための音の世界を生み出そうとしている」とパーカー自身が語っているように、今作品は、一度、そのジャズ・ギターの世界に踏み入れた途端、めくるめく音楽の大迷宮に迷い込んでしまうかのような、驚き、そして、深み、厳かさを存分に感じていただけるはずです。
 
 
また、ジェフ・パーカーと長年コラボレーションを行ってきた彼の音楽性を最もよく知るMatthew Luxは、この新作「Forfolks 」について、ライナーノーツに以下のように書き記しています。

 

 

”ジェフがソロで演奏するのを聴くのはとても特別なことだ。彼は、異常なほど無欲な即興演奏家であるし、しばしば、自分ではなくて、他のバンドメンバーの貢献をことのほか強調したりする奥ゆかしい人物なんだ。

 

もちろん、本来、ジェフは、全く何の音も鳴らない空間で、3つのコードを演奏するような器用なミュージシャンではない。それでも、今回のレコーディングについては、すべて彼一人の力によって演奏されているのは確かなことだよ。ジェフの頭の中で組み立てられた音楽を具体化していくため、アイディアが何度も入念に繰り返され、それがようやく確かなギターのフレーズとして固定化されていった作品なんだ。

 

今回のアルバムの8つのセクションにおいて、ジェフが音の世界を入念に作り上げていくことを聴くことで、これまでまったく知られていなかった事実、彼がどのようなプロセスでこういった実験的な音楽を生み出しているのか知ることができるはずだ。

 

.....彼は、実は、今回のレコーディングにおいて単一のジャンルとして音楽を落とし込み、その枠組内で演奏することを避けていた。 どちらかといえば、音楽を色彩的にいろどるため、あえて絵画的なアプローチを選択し、いかにも商品らしい音楽を生み出そうとはせずに、内面的な深い声を音楽として表現するように努めていたんだ”


 

 

 

 

 

・Apple Music Link 


羊文学と共に日本の現代シューゲイザー・ロックシーンを一角を担う揺らぎが、カナダの電子音楽プロデューサーRyan Hemsworthとの共同名義の2曲収録シングル「While My Waves Wonder」を12月17日にFriendship.からリリースしました。

 

これまでTinasheやTory Lanezの作品のプロディースを手掛けているRyan Hemsworthがリミックスを手掛けた「While My Waves Wonder」は、揺らぎの前作「For You,Adroit it but soft」2021に収録されている楽曲。

 

今回カナダのDJ、Ryan Hemswortの手腕により、テクノ・ポップ風の秀逸なリミックス作品に生まれ変わりを果たしています。

 

また、揺らぎは、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)をマスタリング担当に迎えた注目の新作リミックス・アルバム「For You,Adroit it but soft:Remixes&Rarities」の発売を2022年1月19日に控えています。

 

現在、She Her Hersとのツーマンライブを開催している揺らぎ。今後、国内外で大きな活躍をしそうな気配のあるバンドとして注目していきたいところでしょう。

 

 







「While My Waves Wonder(Ryan Hemsworth Remix」Friendship. 2021





Tracklisting


1.While My Waves Wonder-Ryan Hemsworth Remix

2.While My Waves Wonder


アフリカでは、二十世紀を通して、特に、ガーナの首都アクラ地域を中心として、キネマ文化が大きく花開いた。

 

しかし、現在、一時代を築き上げたアフリカの映画産業は、今後発展していく可能性を秘めているものの、前の時代のガリウッド、ノリウッドのもたらした暗い影、負の遺産になっているのではないかとの否定的な見方もあるらしい。

現在、1980年代から1990年代にかけて、アメリカのハリウッド映画が盛んに上映されていたガーナの首都、アクラの映画館はほとんど閉館し、半ば廃墟化しているという。この事実から鑑みると、最終的には、この土地には映画産業は、一般的には浸透していったものの、完全にはカルチャーとして根付かなかったという意見もある。

 

ナイジェリアでは「ノリウッド」、ガーナでは、「ガリウッド」という呼称がつけられている独特な映画文化。近年、アメリカやイギリスでは、このガーナの映画の個人の芸術家が描いたポスターが収集家の間で話題を呼んでいることをご存知だろうか。

 

アメリカ、イギリスの美術館、博物館では、このガーナのモバイルシネマのポスターが独自の芸術として再評価を受けており、欧米人の間で一種のアート作品と見なされている。今回、一般の人々にとっては馴染みがないように思えるアフリカ大陸のキネマ文化について、あらためておさらいしておきたい。

 

 

 

 

 

 

1.アフリカの映画産業の原点

 

 

アフリカの映画文化の起こりは、政治と思想、特に、プロパガンダと深く結びついている。言うなれば、白人としての優位性をもたせるため、映画文化が活用されたのである。このような言い方が穏当かはわからないにせよ、アフリカを統治していたイギリス政府がアフリカの民族の牙を削ぎ落とそうとするための意図も見いだされるようだ。

 

さらに、極端に論を運ぶことをお許し願いたいが、イギリス人は、アフリカの先住民の思想性、文化性を植民地化するために、この映画産業をアフリカにもたらしたともいえるかもしれない。考えてもいただきたいのは、そもそも戦争や侵略の後に行われる地域の植民地化というのは、土地を収奪することが重要なのではなく、その土地の人間の思想性を奪うことに大きな意味が見いだされるのである。

 

19世紀後半から20世紀にかけて、ケニア、ウガンダ、北ローデシア、ニヤサランド、ゴールドコーストを統治するイギリスの植民地時代、イギリスはアフリカの先住民を教育という名目で統治し、啓蒙を行う様々な方法を模索していた。

 

そのため、1935年、英国植民地省は、「バンドゥー教育映画ユニット」をアフリカに設立することを決定する。このユニットは、1937年まで運営されていたが、これは取りも直さず、イギリス植民地の先住民族を文明化する方法として組み込まれた計画であった。


この「バンドゥー教育映画ユニット」の責任者は、ケニアの大規模農場(プランテーション)の所有者で、アフリカについて深い知識を持っているといわれていたイギリス人、レスリー・アレン・ノットカット少佐だった。

 

その後、レスリー・アレン・ノットカット少佐は、このバンドゥー教育映画ユニットの運営を任されるや否や、植民地文化への影響、費用を最小限に抑えるため、地元俳優の起用を取り決めた。1937年になると、ノットカット少佐は、英国植民地省に対し、北ローデシア、ケニア、ゴールドコースト、ウガンダのイギリス植民地で別々の映画ユニットを立ち上げ、ロンドンからの管理を一元化するよう説得を試みたのだった。

 

結果として、英国植民地省は「ゴールド・コースト・フィルム・ユニット」の設立を決定したことに伴い、”ゴールド・コースト”といわれる後のガーナに当たる地域で、アフリカの最初の映画産業が立ち上がった。

 

 

 

 

 

2.アクラに設立された映画ユニット、アフリカ映画文化の黎明の時代

 

 

アクラという土地は、ギニア湾に面した土地で、現在はガーナの首都に当たる。とすれば、この土地に最初の映画産業のゴールド・コースト・フィルム・ユニット、所謂、ハリウッドの撮影所のような施設が設立されたこと、それがそのまま、独立後にガーナの首都となったことは偶然ではないかもしれない。都市というのは、文化の栄華により、人間の文化の営みにより形成されていくからである。特に、このアクラという地域は映画産業を通じて二十世紀を通して産業発展に寄与した土地であったのだ。

 

ゴールド・コースト・フィルム・ユニットが設立された後、さらにこの映画産業はハリウッドのような形で推し進められようとしていた。

 

英国植民地省は、アメリカのハリウッドのような文化をこのアフリカ大陸にもたらそうとしていたように思える。次いで、英国植民地省は、現地アフリカの映画製作者及び俳優を育成するために、「コロニアルフィルムユニット」と呼ばれる映画学校をこの後にガーナの首都アクラという土地に開設することを決定した。

 

これは、LAのハリウッドのような夢のある話に思えるかもしれないが、そのような甘い話ではないようだ。その出発点としては、イギリス植民地省の統治の一貫としての産業発展のための政策のひとつであったといえる。

 

コロニアルフィルムユニットといわれるアクラの映画学校は、地元の映画産業を厳格に管理するように運営されていた。アフリカの最初の映画製作者に、自由性を与えず、厳しい管理下においた制作を行わせようと試みていたのである。英国植民地省は、アフリカの人々に既存の映画を鑑賞させ、以前の知識に基づいた映画文化を再発展させ、アフリカの市民、あるいは創作家たちに創造性を与えようという意図はなかった。

 

 

 

 

入植後、イギリスはアフリカの文化性について、あまりに原始的であると断定づけていたから、英国人はアフリカの先住民に対し、 基本的な映画制作の技術を教えたのみであった。これに加え、この映画産業の勃興に関して問題点を見出すなら、思想的な手法、プロパガンダの手法が、アフリカの最初の映画産業の設立には組み込まれていたことだろう。

 

この映画産業は、イギリスの支配と文明を正当化するために行われたともいえる。これは、さらに踏み込んで言及するなら、ヨーロッパの優位性をアフリカに対して示すために組み込まれた統治政策のひとつだったという見方もある。これらのコロニアル映画ユニットの撮影所で制作された最初期のアフリカ映画は、アフリカの伝統、あるいは古くから伝わる文化性を飽くまで迷信として描写していた。

 

もちろん、アクラに設立されたゴールド・コースト・フィルム・ユニットには、こういったアフリカ先住民の持っていた文化性を薄れさせるという負の側面もありながら、西欧の観点からいう文化産業を発展させる側面もあったことは事実ではないだろうか。


1957年には、ガーナが国家として独立した際、クワメ・ンクルマ大統領は、映画業界のインフラを構築し、制作、編集、配信の設備を充実させ、1980年代にかけてのガリウッド文化の基盤を形作った。

 



3.クワメ・ンクルマ政権下でのガーナの映画産業

 

 

1957年から1966年のンクルマ政権下、ガーナの映画産業はアフリカで最も洗練された文化、映画産業に成長した。クワメ・ンクルマ大統領は就任当初から、映画産業を国家の大きな推進力として事業を構築するという強い政治戦略を打ち出していた。 

 

J.F.ケネディ大統領とクワメ・ンクルマ大統領
 

 

クワメ・ンクルマ大統領は就任以後、ゴールド・コースト・フィルム・ユニットを国別化することを決定し、名称を「State Film Industry Corporation」に変更する。さらに、最終的には、「Ghana Film Industry Corporation」(通称GFIO)として国策の映画産業にまで発展させた。この時代、大統領は、映画産業を通して、ガーナの国家的発展を企図しようとしていたのである。

 

ンクルマ政権時代、ガーナの映画産業は国策の名目により推進がなされていき、国営企業であるガーナ映画産業公社により独占されていた。ガーナの映画産業は厳しいコントロール下において推進されていった。

 

また、1959年には検閲委員会が設置され、ガーナ政府から資金提供を行い、 上映する国際映画を決定し、強い影響を映画業界に与えていた。

 

映画産業の権力のシフトは、1957年から1966年の間に移行し、映画産業の健全な生産性が確立される。少なくとも、産業としてガーナ国内で確立されていく過程、映画館で上映される作品自体がなんらかの政治的思想性、プロパガンダの意味を持っていたことは事実のようである。

 

 

4.ガーナ映画産業の最盛期

 

 

1966年、映画産業を肝いり政策として打ち出していたンクルマ政権が終焉を迎えた後、ガーナのコロニアル映画産業は、一時的に、ゼロからの出発の時期を迎えざるをえなくなった。

 

政権が崩壊してまもなく、彼の政権時代に上映されていた映画作品は全て没収されてしまったのである。しかし、一方、映画産業を再構築させようという動きも起こった。ガーナ映画産業公社には新たなシステムが組み込まれ、ガーナ国外の映画関係者が共同制作、共同監督を手掛けることが可能になったのである。


このガーナの内向きな映画文化に新鮮な空気を与えようとする政府の決定については、ガーナの映画産業の救済策として打ち出されたものであるが、これはガーナの映画文化を発展させるどころか衰退させる負の要因となったという見方もあるようだ。

 

映画業界が国外からの資金調達を検討する必要有りと感じたため、反面、ガーナ政府は、国内の業界全体に対する資金調達を削減した。これにより、ンクルマ政権下では長編映画の制作が盛んであったが、この後代には長編映画制作が減少の一途をたどった。

 

さらに、シネマティックメインストリーム(映画館での上映)は国際映画、例えば、ハリウッドの映画で独占されていたため、国内の映画作品の上映機会が減り、唯一、ガーナのテレビネットワークだけがガーナ国民にとって国内の映画を鑑賞できる数少ない機会となった。

 

結果、ガーナの映画産業は一時的に創作面で衰退していかざるをえなくなり、1966年から1980年代にかけて、ガーナ映画はおよそ20本しか制作されることはなかった。国家の支援、資金不足、および、ガーナの全体的な経済の衰退によって、国内事業の一貫である映画産業は、株価の変動に喩えて言うなら、底を打ったというふうにもいえるだろう。

 

 

5.独自のキネマカルチャーの確立

 

 

ガーナ映画産業公社が国内の映画産業を独占していたこと、映画業界内での資金不足のために、その後、ガーナ人はより独立した映画産業の構築に活路を見出そうとした。それがガーナ内でのインディー・シネマともいうべきカルチャーへと変化してゆく。

 

この動きは、独学の映画製作者であるウィリアム・アクフォによって推進されていった。他の多くの人と同じく、アクフォは自分の映画のために州から資金を調達することが出来なかったので、自分のポケットマネーで自主映画を作成しようと試みたのである。

 

ウィリアム・アクフォは4つの壁方式(映画製作者が映画の全期間に渡ってスタジオ、ステージを借り入れ、劇場の所有者の対価を支払うのでなく、自分のためにチケットの収益を維持する)に従い、映画を低予算で撮影し、自作のスタジオで上映をすることにより、コストを軽減した。

 

ウィリアム・アクフォのこの4つの壁方式として制作された映画の中で最も代表的な作品が、1987年にリリースされた長編ビデオ映画の「Zinabu」だった。この映画は、ガーナのビデオ映画業界に大きなブームを引き起こした。

 

 


 

それから時を経ず、ガーナの首都アクラには、数多くの新しい映画館が建設され、映画ライブラリーが作成され、アクラの町の隅々まで新しい映画を宣伝するバナー、ポスターが沢山貼り出されるようになった。これに従い、ガーナの映画産業は新しい段階に入った。この頃から、ガーナの映画業界は「ガリウッド」と呼ばれ親しまれるようになった。



6.1980年代から1990年代のキネマブーム、モバイルシネマ



1980年代からイギリスの植民地支配以来、初めて、映画はガーナの人々の現代の信念や社会問題を活写する芸術表現へと昇華されるようになった。この時代から、ようやく一般の人々が映画で描かれる日常的な問題について、自分たちの生活と直結した身近なテーマを見いだせるようになった。

 

この時代から、ガーナには移動式の映画館が街なかにお見えするようになった。車の荷台に自動の発電機を取り付けて、その電力により映画を上映するというモバイルシネマという独特の文化が登場した。

 

Ghana Moblie Cinema

 

多くのガーナ人は、この移動式のモバイルシネマに夢中になったはずだが、この文化から副産物的なアート形態が登場した。

 

それが映画の宣伝の為の広告ポスターであった。これは、当初、ハリウッドから輸入された映画、アクション映画、ホラー映画、あるいはセクシー映画などの広告をガーナのデザイナーたちが手掛けるようになったのだ。

 

その始まりというのも、最初は、紙の原料が不足してたため、苦肉の作として小麦袋に絵を描くという原始的な手法であったが、独特のB級の味わいのあるポスター文化が花開いたと言える。

 

そこで描かれるポスターはどことなく不気味な印象でありながらコミカルなタッチが魅力の独特のドローイングアートが生み出されるに至った。 

 

 


 

にわかに信じがたいのは、ハリウッドの配給会社から事前に実際の映像が提供されることは稀であり、これらのポスターのデザイナーたちは映画の内容を自分たちでイマジネーションして描いていたというのだから驚きである。このモバイルシネマ時代のポスターを見るにつけ感じるのは、いかに人間の想像力は素晴らしいものであるのかということだろう。

 

 

7.GFIOの事業売却とガーナ国内の映画産業の終焉


 

1980年代にかけてガーナの映画産業は最初の植民地時代からの長い年月を経てようやく花開いたが、1990年半ばに入り、急速に衰退していくことになった。この要因というのは、最初は厳しい監視下で開始された映画産業が、ガーナ国内でコントロールしきれなくなっていったからだ。

 

結果として生じた問題が、映画自体が、巨大産業というより、自主的に楽しむ芸術としての要素がつよまっていったのではなかったかと思われる。

 

最終的には、植民地政策の一貫として国策事業として始まった「Ghana Film Industry Corporation」(GFID)の存在感する意味も、1990年代からミレニアムの節目にかけて徐々に薄れていかざるをえなかった。

 

その後、ガーナ国内では、映画の違法コピーと配布の割合が高くなり、「性別、暴力、強盗、人権的な偏見、女性差別」といった過激なテーマの映画が頻繁にマーケットに出回り、制作内容の検閲が全く行われなくなり、ガーナ国内の映画産業は無法状態に近くなっていた。おのずと、国家的な事業として始まったGFIDはガーナ政府の重荷になりかわっていた。


そのため、州政府は、このGFIDの株式の約70%をマレーシアのクアラルンプールの制作会社に譲渡することに決定した。

 

これはガーナの映画産業を救済する試みに思えたが、結果としてこの譲渡は産業を閉じていく要因ともなってしまった。

 

GFIDは、「Gama Media System LTD」に名称が変更されたが、新会社は既存の弱りかけた産業構造を回復することも新システムを構築することも出来なかった。2000年代には、1980年代から盛んだった映画館も軒並み閉館となり、コロニアルシネマとして栄えた栄華産業も衰退の一途をたどった。

 

アクラ地域の街には、現在も閉館となったまま土地の買手のつかない映画館の建物だけが多く残されている。



 

もし、仮に、このガーナで映画産業が再興するか、それに類する華やかなカルチャーが再び花開く時があるするなら、本当の意味で、このガーナの首都アクラの人々が国策として押し付けられた思想文化を無理矢理に推し進めるのではなく、自分自身の手に「真の権利」というものを誇り高く勝ち取り、その後アフリカ独自の芸術表現が生み出されるかどうかによる。 その時まさに、本来の意味のアフリカ、ガーナの独自の芸術、表現形態と呼べる素晴らしきものが新しく出来するはずだ。

 

「Nujabes Pray Reflection」 Hydeout Productions 2021  


  

12月4日にHydeout Productionsから発売されたハルカ・ナカムラの新作は、アルバム・タイトルの「Nujabes Pray Reflection」にもはっきり見えるように、日本の伝説的なDJ、故Nujabesに捧げられた作品です。かつて、Nujabesが作品をリリースしていたレーベルからの作品発表というのも並々ならぬ決意のようなものを感じます。

 

11月5日に発表された「新しき光」においても、nujabesに対する深い敬愛を示していたハルカ・ナカムラは、この作品でさらにそのリスペクトを深め、そしてこのDJが何を探し求めていたのか、その真理にいよいよ近づいたといえるでしょう。そもそも、このハルカ・ナカムラの新作「Nujanes Pray Reflection」は、Nujabesの生前の作品からインスピレーションを得て、それを新たに、ポスト・クラシカル/ネオ・クラシカル、あるいはまた、フュージョンジャズという側面から組み換え、Nujabesの芸術性をさらに一歩先に推し進めていこうという意図も伺えます。

 

これは、これまでの作品のように故人を偲ぶ作品ではなく、故人の意思を今生きる人間として受け継いだ重要な作品ともいえるかもしれません。

 

そもそも、ローファイヒップホップ/チルアウトの世界水準のアーティストとして日本のシーンに登場したDJのNujabesは、例えば、レイ・ハラカミと同じように、外国人から見た日本の文化性ではなくて、日本からみた日本文化の叙情性、エモーションを主な音楽性の特徴としていた稀有なアーティストでした。

 

それは、いうなれば、西洋人には見えづらい日本の内面性ともいうべき情感、禅文化の「侘び、寂び」にも似た幽玄な雰囲気を、現代的なローファヒップホップという音楽に込めたアーティストだったとも換言できなくはないでしょう。


今作が生み出される契機となったのは、Hydeout Productionsからハルカ・ナカムラに以下のような依頼があったことに始まります。「時が止まったままの十年を進めて欲しい」

 

これはレーベル側としても、Nujabesの盟友ともいえるハルカ・ナカムラとしてもNujabesの不意の出来事に関して、長年にわたって、どのように捉えるべきか苦悩していたと思われます。あらためて、Hydeout Productions側からの、今回、ひとつの区切りを設けて、新たに時計の針を進めてもらいたい、という提案を契機として、ハルカ・ナカムラも同じような意図で作品の制作に真摯に取り組んだものと思われます。 そして、ハルカ・ナカムラはレーベルからの依頼を受け、これまでのNujabesの生前の音楽を縁として、それをなんとか新たしい音楽として昇華し、現在まで後ろ向きであった思いを、故人のためにも前向きな思いに変えていこうと試みたのかもしれません。

 

今作「Nujabes Pray Reflection」には、生前のNujabesの独特な淑やかな情感とも呼ぶべきものが「Walts of Reflection Eternal」「World' end Rhapsody」といった秀逸で非常に聞きやすさのある楽曲の木管楽器の使用、旋律の運び方に受け継がれています。また、それは、以前のような後ろ向きな形でなくて、前向きで明るい形の表現に変化したと形容すべきでしょう。これは、ハルカ・ナカムラが長年の間、Nujebesの出来事について、暗い気持ちを抱えていたのだけれど、ついにそれを振り払い、ようやく肯定的に捉えなおすことが出来たというべきかもしれません。

 

そして、この作品は、見方を変えてみれば、トリビュートというより、故人Nujabesとハルカ・ナカムラの目には見えない形で繋がった作品。それが作品全体に非常に温かみある感慨が満ち溢れている要因といえるかもしれません。

 

ここ数年、どことなく暗鬱な印象の楽曲を中心に書いてきたように思えるハルカ・ナカムラは、この新作において新しく生まれ変わり、未来に明るい希望を見出しつつあるように思えます。それこそが、ハルカ・ナカムラのファンとしては、最も、嬉しく、喜ばしい出来事に違いありません。



Haruka Nakamura


ハルカ・ナカムラは1982年生まれ、青森県出身のアーティスト。幼い時代から母親の影響によってピアノの演奏をはじめ、その他にもギターを独学で学んでいます。2006年からミュージシャンとしての活動を開始し、2007年、2つのコンピレーション作品に参加、多様な音楽性を持った演奏を集め、「nica」を立ち上げる。2008年に小瀬村晶の主催するスコールから「Grace」でソロデビューを飾る。

 

その後、ソロアーティストとしての作品発表、Nujabesとのコラボ作品のリリースで日本のミュージックシーンで話題を呼ぶ。また、東京カテドラル聖マリア大聖堂、広島、世界平和記念聖堂、野崎島、野首天主堂等をはじめとする多くの重要文化財にて演奏会を開催しています。


近年の仕事で著名なところでは、杉本博司「江之浦観測所」のオープニング特別映像、国立新美術館「カルティエ 時の結晶」、安藤忠雄「次世代へ次ぐ」、NHKの土曜ドラマ「ひきこもり先生」の音楽を担当。

 

その他、京都・清水寺成就院よりピアノ演奏をライブ配信、東京スカイツリー、池袋サンシャインなどのプラネタリウム音楽も担当し、画期的なライブ活動を行っています。  早稲田大学交響楽団と大隈記念講堂にて、自作曲のオーケストラ共演も行っています。

 

12月3日に新作シングル「The Dying Light(Winter Edit)」をリリースし、今、英国のポップシーンでホットなアーティスト、サム・フェンダーがHolly Humberstoneとのコラボレートを果たし、今年アルバムとしてリリースされたフェンダーの新たなレパートリーとも言える楽曲「Seventeen Going Under」のアコースティックヴァージョンを12月9日に公開致しました。 

 

 

Sam Fender Supporting Eliza and The Bear"Sam Fender Supporting Eliza and The Bear" by thematthorne is licensed under CC BY-NC-SA 2.0

 

 

 

サム・フェンダースは、BBCの2018年の「Sound of 2018」、スタジオアルバム「Hypersonic Missiles」で、ブリット・アワードの批評家賞を受賞している若手ミュージシャン。

 

ホリー・ハンバーストンは、近年、イギリス国内のミュージック・シーンで人気がうなぎ登りの注目アーティストです。2019年、グラストンベリーに出演、そしてブリット・アワードのRising Sunにも選出されているシンガーソングライター。この現在、英国で最も期待の若手アーティストの豪華なコラボレーションが実現したというわけで洋楽ファンとしては見逃すわけにはいかないでしょう。


今回、コラボレーションが実現した理由については、英国レコード産業が開催するブリット・アワードの授賞式において、サム・フェンダースがRosing Sunを受賞したホリー・ハンバーストンに対して、「これはあなたが勝ち取ったものであり、あなたは勝者にふさわしい」という非常に紳士的な祝福と称賛の言葉を掛けたことがアーティストとして共同作業を行う契機となったようです。また、今回のアコースティック・アレンジ楽曲「Seventeen Going Under」の発表に際して、サム・フェンダースは、BBCのRadio1の放送内でこのように話しています。

 

 今は、暗く難しい時代ではありますが、この逆境をどのように捉えるかだと思います。

 

むしろ、この逆境は人々をより精神的に成熟させるものであると思うし、また、自分がどのようにあるべきか、また、どのような表現を行うべきかあらためて見つめ直すきっかけとなると思います。

 

 難病の母親を持ち、これまで、家庭問題、人間関係、そして、社会問題など忌憚ない歌詞をひとつの芸術表現として鋭く描き出してきたサム・フェンダース。今夏にリリースされた「Seventeen Going Under」は、個人的な問題から社会的な問題を見事に広い視点で描き出してみせた名作です。

 

 順当に行けば、来年開催されるブリット・アワードにノミネートされる可能性もある楽曲です。今回、12月9日にポリドールからリリースされたホリー・ハンバーストーンと合奏という形でアコースティックアレンジの楽曲も、逆境にある人々に強い光を投げかけるような鋭さを持っています。

 






「Seventeen Going Under」 (Acoustic)  Sam Fender&Holly Humberstone Polydor 2021


 Eydis Evensen


 

エイディス・イーヴンセンはアイスランド北部の小さな町、Blönduós(ブリョンドゥオゥス)出身の作曲家兼ピアニストです。

 

音楽好きの両親の元に生まれ、六歳の頃にピアノを習いはじめ、七歳の時に最初の曲を書いている。

 

イーヴンセンは最初の故郷、そして、音楽性のルーツでもあるBlönduóという小さな町についてこのように回想する。

 

「日照時間が長い夏は、本当に素敵なんです。冬はそれとは正反対で、途方も無い孤独感に襲われます。1、2日の間、町中が雪に閉ざされることもありました。そんな時は、キャンドルに火を灯し、ボードゲームをするくらいしかやることがありませんでした。

 

風が強くなって来た、そんなふうに感じると、喜びも少しくらいは湧きますが、それが嵐になってしまうと、重苦しい気持ち、暗鬱、メランコリアが呼び起こされるんです」

 

13歳になる頃、すでにイヴンセンは早熟の才能を発揮し、7、8のピアノ曲を作曲、自作のCDを制作している。

 

また、イヴンセンは若い時代、オーストリア、ウィーンでクラシック音楽を勉強する計画を立てていたが、そのプランを取りやめ、19歳の時に故郷アイスランドを離れ、イギリスのロンドンに移住し、モデルとしてのキャリアを積みながら、ニューヨークをはじめとする世界を旅した。その後、2020年、音楽家としての活動に専心するため、故郷のアイスランドに戻っている。

 

ソロアーティスト、Eydis Evensenとしてのキャリアは、いくつかのシングル作に始まり、これまでに8作のシングル盤をリリースしている。デビュー・アルバム「Bylur」(アイスランド語でブリザードを意味)は、2021年4月に、ソニーミュージックのXXIMレコードから発表された。また、同年10月には、ロイヤル・アルバート・ホールのエルガールームでコンサートを行っている。

 

エイディス・イヴンセンの音楽は、ポスト・クラシカル、ネオ・クラシカルに該当し、アイスランドのアーティストということで、シグルソン、オーラブル・アーノルズに続く三番目の期待のネオクラシカルミュージシャンの台頭といえそうだ。

 

ウィディス・イーヴンセン自身は、音楽のルーツとして、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、トム・ヨーク、といったロックバンドに加え、フィリップ・グラス、ニルス・フラームといったアーティストを挙げている。



Quote:Eydis Evensen Twitter


 

 

 

 

 

「Bylur」XXIM Records  2021

 

 

Eydis Evensen 「Bylur」
「Bylur」

 

 

 

Tracklisting 

 

 

1.Deep Under

2.Dagdaraumer

3.The Northern Sky

4.Wandering Ⅰ

5.Ventur Genginn i Gard

6.Fyrir MIkael

7.Wandering Ⅱ

8.Circlulation

9.Innsti Kjarni og Tilbrigdi

10.Naeturdogg

11.Midnaight Moon(feat.GDRN)

12.Brotin

13.Bylur

 

 

2021年4月23日、ソニー・ミュージックからリリースされたエイディス・イーヴンセンのデビュー・アルバム「Bylur」は、アイスランドのレイキャビクで2020年の7月に録音された作品。

 

全ての楽曲は、ピアノ、そして、弦楽器四重奏の合奏のスタイルを採用しています。その他、コントラバス、金管楽器が、これらのイーヴンソン自身の流麗で叙情的なピアノ演奏をより優雅たらしめています。

 

このアルバム作品は、これまでリリースされたシングル作を数多く収録。故郷アイスランド、その他、イーヴンソンがモデルとして旅してきた、ニューヨーク、南アフリカ、ケープタウンの土地に捧げられた楽曲も収録されています。


驚くのは、これらの楽曲全てに、なにか音自体が息をしているかのような生彩が感じられることです。それは、イーヴンソンの演奏力が洗練されており、艷やかな質感をもっているのだけではなく、なおかつ、その周囲に広がりをましていく弦楽器のハーモニーが豊潤な空間性を演出しているからなのでしょう。そして、音楽性についても、いくつか取り上げることがあるとするなら、イーヴンソンのピアノ演奏の特徴は、フィリップ・グラスを彷彿とさせるミニマル学派への傾倒を見せつつ、またそこに、同郷の故ヨハン・ヨハンソンに近い映画音楽のような視覚的な音響性がもたらされる。楽曲の最初には、ごくシンプルなピアノ曲の印象であったものが最終盤になると、美しい弦楽器のハーモニクスにより、奥深い幽玄な世界が丹念に描き出されていく。

 

エイディス・イーヴンソンのピアノ演奏は、繊細で、艷やかであり、スタイリッシュな響きに富んでいます。

 

そして、何かしらアイスランドの雪深い情景を思い起こさせるような力感が込められていることを、これらの楽曲を聴くにつけ感じていただけるでしょう。

 

また、ピアノ演奏を起点として、様々に繰り広げられる弦楽の色彩的なハーモニーは目のくらむようなあざやかみを増していき、そして、金管楽器の持つたおやかな響きは、楽曲の最後になると、イントロでは全く想起できなかったような奥行きのある劇的な展開が生ずる。

 

これは、ピアノの演奏を中心点として、その周囲に、同心円を描きながら繰りひろげられる弦楽器、金管楽器をはじめとする音の壮大なストーリー、そして、音楽における旅、と形容しても過言ではないかもしれません。

 

この作品リリースのコメントにおいて、並々ならぬ故郷アイスランドへの深い慕情を語ったイーヴンソン。

 

それは表題曲「Bylur」に代表されるように、彼女の原初の記憶であるアイスランド北部のちいさな町、Blönduósが雪一面に覆われる「風景ーサウンドスケープ」を聞き手に想起させ、もちろん言うまでもなく、それは、この世で考えられる中で最も美麗な形で聞き手の脳裏に再現されるでしょう。

 

また、そして、GDRNをゲストヴォーカルとして招いた「Midnight Moon」では、故郷に対するイーヴンソンの情熱的な慕情がボーカルトラックとして大きな実を結んだといえるでしょう。

 

 

 

 

 

「Bylur Reworks」 XXIM Records 2021 

 

 

Eydis Evensen 「Bylur Reworks」
「Bylur Reworks」



Tracklisting 


 

1.Dagdraumer Janus Rasmusen Remix

2.Wandering Ⅱ Ed Carlsen Remix

3.Circulation Uele Lamore Remix

4.Midnight Moon(feat.GDRN) Remix

5.Wandering Ⅱ Paddy Mulcahy Remix

6.   Fyrir Mikael Slow Meadow Remix

7.   Wandering Ⅱ Thylacine Remix

 

 

「Bylur Reworks」は11月12日に発表された先行アルバム「Bylur」のリミックス作品となります。

 

この作品では、オリジナル作品のクラシック性とは異なるポップス性が味わえるでしょう。初期のヴァルゲイル・シグルソンのようなエレクトリック音楽のアプローチを図った作品です。


Kiasmosの活動でもよく知られているアイスランドの電子音楽アーティスト、Jenus Rasmusenをはじめ、イタリア出身、現在はデンマーク、コペンハーゲンを拠点に活動するEd Carlsenといった豪華なアーティストがイーヴンソンの「Bylur」のリミックスを手掛けています。


いかにもアイスランドらしいクールなエレクトリック、そしてアンビエント、テクノといった幅広いリミックスが施された快作です。アルバム「Bylur」のハイライトの1つといえる「Moon Light」の別ヴァージョンのヴォーカルトラックも収録されている他、原曲の魅力をそのままに、テクノ寄りのアレンジが施された「Wandering Ⅱ」も、非常に魅力的な楽曲と言えるでしょう。